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2009年9月30日 (水)

佐久間第6号潜水艇々長

昨日から降ったり止んだりが続いている。今朝7時の気温は22度。
暑気いまださめやらずといったところか。

昨日の高齢者講習の疲れがひどく今朝も7時迄ぐっすり眠る。よほど緊張したと見える。

今日の産経netviewを読むと,人物講座の欄に「佐久間勉 艇内で部下思う遺書」という表記で,私には懐かしい佐久間艇長のことが書いてある。
私の郷里のすぐ沖合で明治43年4月15日沈没して亡くなった第6号潜水艇の佐久間艇長以下14名の殉職事故の事である。

勿論私が生まれる10年前の事だから事実は知る由もない。
しかし子供の物心ついた頃から毎年行われる,新港の記念碑の前でのお祭りに母に連れられて約一里の道を何度かお参りのために詣でた思い出がある。
折から桜が満開で、海岸の岩こぶの頂上にある記念碑からつづく山に植わった花を見るのも楽しみであった。

江戸時代からあったらしい、新港と呼ばれる小さな港は岩国藩の上方や江戸に向う海上利用の関門であったらしい。
記念碑はこの新港の北の端に隣接していた。大小の舟が停泊していたのも子供には珍しい光景ではあった。
せいぜい帆船で、蒸気船のような大きなものはなかったし、港には入れなかっただろう。
港と言っても石を何段にも重ねた”がんぎ”に舟を着け乗り降りしていた。内海の島々に沢山あるスタイルの港である。

後年満州の会社に就職した時,同じ課にたまたま学校の8期先輩の長谷川さんが居られた。
兵隊に行く迄の8ヶ月間随分公私ともにお世話になった。入隊した後にも一度出張で新京に行った時,お宅に泊めて貰って奥様の手料理をご馳走になった事があった。

終戦後ある日突然その長谷川さんから手紙をいただいた。呉で第6号潜水艇の記念行事があるから出掛けるが,不案内なので案内して欲しいという事だった。
よく聞けば艇の次席の長谷川中尉が叔父さんに当たり、自分が一番近い係累だから招待を受けたという事だった。

記念行事は呉の記念公園にて行われた訳だが、潜水艇のその後の在処は知る人がなく、見たいという長谷川さんと一緒にあちこちと訊ね歩いた。
米軍が鉄くずとして処分したというのが大方の意見だった。

後日江田島の第一術科学校の校庭にある事がわかったが、宮崎県に住んでいた長谷川さんには訪れる機会はなかったのではないか。

こうした因縁のある第6号潜水艇だが、私自身は幸い2度艇に面会する事が出来た。小さな艇でよくも14名も入って勤務出来たものだと今でも不思議な気持ちである。私自身も中学生時代当時潜水学校に置いてあった艇の中に入った事があって、その窮屈さを実感していた。

佐久間艇長の沈勇さは教科書に載ったほどで、世界的に賞賛された行為だが、部下も当時の最優秀な軍人達だったらしい。長谷川中尉も兵学校卒業第2位の成績だったとある。

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