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2009年8月 2日 (日)

捕虜その4

相変わらず灰色の空だが、朝から日射しが強いから、雨にはなりそうにはない。
気温はいつも通り24度。ちょっと涼しいかな。

天気が良いからどんどん気温は上昇して10時半には35度を超える。
ぐったりして眠られもしない。
蝉の鳴き声がいやに暑苦しく聞こえる。

デオデオにカミソリを買いに行こうと思ったのだが,家内に止められて今日は止めとく。混む日などは老人なんか相手にしてくれないもんな。

昨夜は蟻の群れに枕元を襲われ驚く。2時間ばかり大騒ぎして眠るに眠れなかった。
共存共栄といったけどやはり楽じゃないな。

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私の戦争/捕虜その4
 私の隊にも終戦間際補充の新兵さんが、5名入隊して来た。
しかし鴨志田武雄と伊藤武一という兵隊は部隊追求途中で途中の兵站病院に入院病死してしまい。顔を見る事も出来なかった。更に西谷益男と江端時雄は帰還途中の全県で病床にあるのを見舞ったが、すでに危篤状態で言葉を交わす事もなかった。風土病に冒されているらしかった。脚部は腐って臭い膿を出していた。

一人松島健四郎のみ元気で着隊し、すぐ先輩隊員にとけ込んだ。そしてそのまま我々と一緒に帰国の途に着いた。

大隊は先頭が4月19日賀勝橋を出発,逐次武昌に向かって行軍を開始した。我が隊は29日に武昌に向かった。
5月6日当隊はやっと小舟10隻に分乗、揚子江を流れ下ることとなる。
大隊は4月29日には逐次河を下り始めていたので、5月11日には南京に到着した。当隊は5月22日南京に到着、上陸するやテントに入る間もなく私は喀血病臥する事になる。
南京から無害貨車で上海に移送される.途中で何度も停車し,押し寄せる住民のブーイングを聞き、略奪をされ、汽車輸送の対価物資の要求をされつつ、やっと懇願しながら上海に辿り着く。

5月24日到着するや収容所に監禁され、外部とは一切遮断される。
もちろん住民とのトラブルを避けるためと分かっているから,忍ぶ以外にない。

6月1日引き出されるまで、長い長い毎日だった。
帰還に要した1ヶ月、まったく忍耐の日々だった。中国兵の略奪にも笑って堪えた。目的はただ故国に帰れればいいそれだった。
南京でも厳重な取り調べがあった。聞けば南京虐殺があったというのである。
身に覚えもないし,寝耳に水の話だった。

埠頭まで厳重な警戒のまま行列し,日本の駆逐艦に乗船させられる。
やっと愁眉を開いた瞬間だった。

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