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2009年8月 1日 (土)

捕虜その3

目覚めると外は雨。やはりまだ梅雨は続くと見える。気温24度。
「雨天は上のポストへ」と張り紙しておいたので、新聞は上のポストに入れてある。
ポストを設置したのは随分前だが、張り紙をしないといつまでも入れてくれなかった。やっと効果があったわけだ。

9時過ぎには雨は止んだ。
家内はせいこう外科へ行く。
午後になると雲間を通す日光が眩しく暑い。
午後3時また空が怪しくなる。家内はまだ降るんだろうかと心配そう。

アルゼンチン蟻の跋扈はますます甚だしい。伝染病などまき散らしてくれると大変なんだが,その気配は無さそうだ。神経質になる方が損だ。共存共栄で行くしかないか。
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私の戦争/捕虜その3
世の中がどうなってるのかわからないまま新年を迎えたが、帰国の話は風の便りもない。
すき腹をかかえたまま、寝転んでの生活がいつまでも続く。一頃の演芸ブームも影をひそめる。
情報も何もない。時折本部の山崎少尉が私を訪ねて来るが。昔話をするだけで先の見通しは情報掛将校の彼にもわからない。
私の隣に寝転んで食べ物の話をしながら、朝まで過ごして帰って行くだけ。

緯度からいえば、奄美大島くらいの位置だから、雪も降らないし、夏服ぐらしでもそんなに寒い訳ではないが、徐々に栄養失調になって行って,身体にカロリーの蓄えはなくなりつつあった。

3月下旬突如帰国どころか、出動命令が下った。咸寧南方50キロの道路、河川の改修命令が下り、各隊から選抜の集成1ヶ中隊を率いて、私に行けというのである。
今まで一番楽をしていたと思われたのだろうな。部隊長は桂林を立ち去る前に生田目大尉から山下大尉に代わってはいたが。
二日行程の一日目の晩たまたま宿営したところに生田目前部隊長の部隊が駐在していた。
生田目さんは大喜びで私を歓待してくれた。楽しく嬉しい限りであった。

私には道路工事や河川改修などの経験も知識も皆無である。指揮指導のしようがなく、各隊任せで適当にやれということだった。
毎日小川で釣り糸をたれて,時間を過ごすだけだった。
子供らがやって来て、いろいろ談笑するのが楽しみになった。海の話は彼らにとって興味ある話題だったらしい。熱心に話しあって時を忘れる事もあった.

4月中旬部隊本部から、軍の帰還命令が出たので、すぐ引き揚げるようにとの連絡が入り、やっときたかと、約80キロの道を昼夜兼行で歩き続けて、一日で賀勝橋の収容所に帰って来た。

出発の前日中国軍の身体意見が実施された。
中国のものと思われるものや、写真などは一切没収されるし,場合によっては逮捕等の原因になるかもしれないので、焼却など処分するようにとのあらかじめの達しがあった。

私は満州以来,愛用のカメラや撮り続けてきた写真ネガを数百枚保存していたが、犯罪につながるようなものはないと自信を持ちながらも、部隊の帰還遅延の原因になることを恐れて、無念の焼却をせざるをえなかった。

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