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2009年8月15日 (土)

戦争はいやと敗戦はいや

夜半からの雨、昨夜は無事に宮島の花火大会が盛大に終了したようだ。家からは前の小山が邪魔して,花火の頂上しか見えず,水中花火を音だけが耳に入って来る。
後で聞けば35万人の見物客だったとか。

4、5年前わざわざ連絡船に往復乗船してじっくり見たことがあるが、もうその元気はなくなった。
年々盛大になるが、果たして喜ぶべき事かどうか。

岩国民間飛行場はいよいよ施設工事に着手するらしいが、何か盛り上がりに欠けるようだ。
私自身利用の恩恵に浴する機会はゼロに等しいが、それでも将来のために嬉しくて仕方が無い。
軍用であれ、民間用であれ、飛行場に変わりはない。軍用は戦時になれば稼働するが,平時は民間と同じである。市民に及ぼす経済活力は一緒である。すぐ近くの大連でも先般見た所では戦闘機が飛行場の隅に数十機ずらっと並んでいた。
戦争はやらなければいい、いやもう絶対にやるなである。やったら一飛行場の問題ではない。
その前提で進むべきである。

わが廿日市市でも岩国基地に猛反対しているが、私には理由が分からない。騒音がうるさいという。四六時中やかましい自動車騒音はうるさくないのか。飛行機が宮島に落ちて国宝がなくなるという。確率0%に近い。爆音で傷む事は無い。こんなこと心配してたら生きて居れない。
広島空港まで行くよりは、どれだけ近いか。時間と燃費を計算してみたらいい。

64年前の今日私は終戦を知らず,広西省と湖南省とにまたがる大南嶺山系の密林の中で、昼は眠り,夜はのろのろと自動車を走らす、反転作戦の最中だった。確か全県というところだったろう。
敵機の来襲が急になくなったことは、次の日、その次の日には気づいた。だからといって昼間は走れなかった。なけなしのガソリンを使うよりは、じっとしている方がいいということでもあった。
撤退時は当然補給活動もほとんど無かった。

前日の昭和20年8月14日には、故郷の我が家が敵の猛爆撃に壊滅した。もちろん知る由もなかったが。戦争被害者であることは、国民の皆さんと変わる事は無い。

いつかもこのブログで再三書いたが、開戦の日昭和16年12月8日の生々しい記憶とこの終戦の日の模糊たる記憶との対比が我ながらおかしい。

敗戦後の約一年、飢えと屈辱と後悔に打ちひしがれ、初めて戦争は嫌だと思い知った。それでもまだ”戦争は嫌”ではなくて”敗戦は嫌”だが本音だった。

しかし曲がりなりにも戦争無く六十有余年を過ぎてみると、やはり平和の方が戦争よりは良いと本音で自覚出来た。時間がかかるものである。

しかし敗戦の痛みを知らないアメリカ人は戦争を嫌だと思っていないのではないかと思ったりする。戦争を準備している国は他にも沢山いる。これでは戦争はなくならない。
戦争は嫌でも巻き込まれないという保証はない。
いやいやと言いながら戦争をさせられることになる。これでは前のときと同じ事だ。

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コメント

自分の父親の名で検索しましたら、昨年7月の記事に、数カ所、父の名を見いだしました。
お葉書をいただいていましたが、昨年5月に亡くなりまして、お知らせして良いものか迷っておりました。

父や、月洞先生から従軍の話は聞いておりましたが、sinoman様の記事で、更に詳しく記されていて、
これから時間をかけて少しずつ読ませていただきます。

投稿: ☆庄助 | 2009年8月17日 (月) 03時12分

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