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2009年8月17日 (月)

遅まきの墓参り

朝霧深し。気温26度。
6時半起きてパソコンに向う。ネットに入りニュースなど一渡り見る。
受信メールの中に
r-miyoshi@triton.ocn.ne.jp  というアドレスのメールが一通入っている。
三好という文字があるし、去年の7月に数カ所私のブログに載せられているということで、戦友の横浜の三好信雄氏の関連だなとすぐ気づく。調べてみるとやはり3回記事を載せている。思った通りである。
去年の5月に亡くなられているとのこと、もう少し聞きたい事があったのではと残念である。
昨年の年賀状では広西大学教授趙冰夫妻のその後を心配して居られたが,当事者の私にもまるで分からない。彼の友人周仏海(南京政府のno.3)そのものが死刑になったのだから、辿り着く術はなかったのではと思うだけである。
戦争はあくまでも非情である。

午前十時家を出て,家内と二人で遅まきの墓参に岩国に出掛ける。
車が少なくて助かる。同じ区間を、行きは500円,帰りは350円だったが、どういうことだろう。普段は750円とられるのだが。

家内が日傘を墓に置き忘れて,弟がとりに行ってくれる。久しぶりだから話は長くなるし,昼を過ぎて食事は出してもらう等,いとまを告げた時には午後3時、もうひとりの弟のうちでは忙しく話を端折って、それでも帰宅したのはかれこれ5時。とうとう一日つぶしてしまった。
今生の別れになるかもしれないから、まあいいか。
しかし今日は暑かったなあ。駐車中に車が焼けて,危うくハンドルで手を火傷する所だった。

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コメント

三好信雄の息子です。
検索されたくないので、「☆庄助」というハンドルネームをなのっています。

91歳まで記憶はハッキリしていて、訊けば何でも教えてくれた父でしたが、
話したがらないこともあったようです。

上官だった月洞先生宅に伺った際、家族の前では出さない話題が出てきて驚いた記憶があります。
また、ある戦友をいじめた上官のことを、わが事のように恨んでいたようですが、それは偶々書きかけの手紙が見つかったからわかったのです。

大学教授の件は、初めて知りました。

何でも話してくれたと思っていたのに、心の中で、亡くなるまで戦争体験というのものがわだかまっていたということでしょうか。

これからも戦地でのことを書いていただけたらと存じます。
「トスカ」やシューベルトのピアノソナタのことなどもお願いします。

投稿: ☆庄助 | 2009年8月18日 (火) 01時10分

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