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2009年8月30日 (日)

旭盛丸の最後

雨になりそうな雲行き。歩いて衆議院議員の投票場迄行く。結構人が多い。
久しぶりに外を歩いたので汗をかく。
帰宅してすぐシャワーを浴びる。やっと人心地。

こちらは相変わらず「ニューギニア戦記」の複写に忙しい。
先日雲南省のラモーで第56師団の一部守備隊1300名が玉砕した顛末をテレビでやっていたが、国民の知らぬ所で惨めな事実が展開されていた、ニューギニアの戦場も同じようなもので、勝った勝ったで踊らされた国民が哀れである。
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  旭盛丸の最後・・・・海上に退避する
30分くらい経った頃船長が巡回してきて、機関室に火が回ってきたのでエンジンが爆発する恐れがあると伝えにきた。既に下船準備の命令が出されていたので、中隊員は銃を斜めに担い、雑嚢に最小限の食糧(乾パン)を入れていた。三人一組のグループを作り、各組は乾パンの空き箱で作った浮きを持って舷側の近くに待機した。
船は殆ど停止していた。「退船用意」の命令で兵士たちは先ず乾パンの箱で作った浮きを投げ込み、次いで携行糧抹や乾燥野菜の入った缶,ブイ、竹材、予備の浮き胴衣等あらゆる浮くものを投げ込んだ。
本船付近の海面は多くの浮遊物が散乱し、暴風雨の過ぎ去った後の港の中のようであった。
輸送指揮官の「全員退避」の命令で一斉に海に飛び込み始めた。

舷側に吊るされていた救命ボートが海中に下ろされていた。下半身を打ち付けて半身不随となっていた中村軍曹が戸板に括りつけられて運ばれてきて、そのまま舷側からロープで吊り下ろされ救命艇に収容された。この様に重傷者はすべてロープや戸板で吊り下ろされたが、無傷のものは自分で、舷側に吊り下げられたロープを伝って海面に降りて行ったのである。
戸板で降ろされた中村軍曹は当夜ラエに揚げられたが、3月7日に死亡した。

相変わらず砲弾は間断なく誘発を繰り返し船倉の中は黒煙が濛々と充満して近寄る事は出来ない。負傷者は見つけ次第元気な兵士に担がれて右舷に運ばれて行く。
当初負傷者は一人一人吊り下げていたが、今はその余裕もなくなった。戸板に括りつけてまま海中に投げ下ろす。戸板が裏返しになるのもあるがそれをかまっている余裕は全くなかった。生も死も投げ入れる一瞬で決まる。表が出れば生、裏が出れば死である。しかし表が出ても生きるという保証はなにもない。烈日の大陽をまともに受けて漂流すれば、命は何時間と保たないであろう。船に残っていてもいずれは沈む船と運命を共にしなければならない。元気な者は生き残っている負傷者に対しとり得る処置にも限界があった。負傷者に対し詫びながら彼等を次々に海中に投げ入れていった。戦友を助けるためだと言いながらこんな方法しかとれなかったことはなんとしても惨い仕打ちであった。

船は最悪の状態となって、右舷は海面すれすれに傾き、左舷側は船の赤い横腹を剥き出してきた。これは恰も巨大な怪物が眼前に迫った様であった。最早スマートな船の姿は目の前には見られず、捕鯨船の銛を打ち込まれて曳航されている鯨にも似ている哀れな姿をしていた。予想外に船の横っ腹の大きいのに驚いた。

ついさっき迄の甲板上の騒ぎはまるで嘘の様に静かになっていた。早くも一時間近くたっていたようだが、見渡す限り周辺の海上に船らしいものの姿は全く見えない。

副中隊長の寺田中尉がやってきて、中隊員が全員退避したことを中隊長に告げた。
二人で船橋のタラップの下に腰を下ろし、寺田中尉が煙草を取り出してそれに火をつけて差し出した。二人は無言のうちに思いっきり煙草をふかした。

船は完全に停止していたが、船上には兵士の姿は全く見られず四周の海上には点々と漂流者が浮かんでいた。もう敵機の姿はなく、打ち上げた砲弾の名残らしい砲煙が薄雲の様に高い空に残っていた。ハッチ内の砲弾の破裂音もまばらになてきた。その時船長が走ってきて「もう危ない」と叫んだ。よし、行こうかと二人は腰を上げ、煙草を投げ捨てて右舷の欄干を越えて寺田中尉と共に一挙に海上目がけて飛び込んだ。これで二人も海上を漂流する仲間となったのだ。
飛び込む前に船上から中隊本部員の位置を確認して,其処に飛び込んだにも拘らず,一旦海上に入ると見通しが悪く皆目見当がつかない。何はともあれ沈む本船から離れる事が先決である。浮き胴衣をつけていると思う様には泳げない。

やっと本船から7、80mばかり本船から離れる事が出来た。大声で呼び交しているうちに中隊本部のグループを発見して,辿り着いてやっと彼等と一緒になることができた。

此の時、振り返って本船を見ると船首を海中に突っ込んでいた。次の瞬間船は逆立ちとなって船尾が水面に立ち上がり、やがてするすると海中に消えていった。
旭盛丸は実に他愛無く沈んで行ったが,暫くして水中を通して腹にずしんと衝撃があったが、これは船が海底に着いた音であろう。と海上に水しぶきが揚がり,暫くして海底から砲弾の破裂する振動音が思い出した様に伝わってきた。味気ない本船の最後であった。

小泉日記には旭盛丸の最後の状況を次の様に記録している。
「旭盛丸は如何なったかと波間から伺うと,黒煙を吐きつつ迎えた最後の光景がはっきりと見えた。それは船首を真下にして船尾を高く空中に持上げたかと思うと,甲板上のあらゆる物品がガラガラと音を立てつつ,茶色の埃を噴き上げて海中に引き入れられて行った。そして、旭盛丸自体も右に体を捩る様にして,急速に海面から消えて行った。ハッチの上に搭載されていた大発動艇が海上に押し出され、ブスブスと余燼を揚げながら海面を漂いつつ海中に消えていった。
あの艇内には戦友の遺体が幾体も横たわっているのだと思うと心が痛む。やがてギシっと腹に強いショックを受けたが船体が海底に達した瞬間であろうか」と。

暫く泳いでいると中隊本部の湯田曹長のグループが見つかり,互いに大声でそれぞれ名前を呼び交した。湯田曹長は中隊の先任下士官であった。彼は大声で「各人、名前を言え」と怒鳴った。彼方此方からそれぞれ名前を名乗って来たが,名前が抜けて出て来ない者が沢山いるようだった。將兵たちは呼んでも返事の返って来ない戦友たちの名前を繰り返して呼び続けたが,そのものたちのの応答はなかった。此の戦友を呼ぶ声は空しい事と知りながら,その後いつまでも続いていた。
(船舶工兵第8聯隊吉田武中尉手記/山口在住今田勇編集ニューギニア戦記から)
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