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2009年7月 6日 (月)

ひいまご

昨日午後になって,井上のものたちが、雅代と彩寧をつれて突然やってくる。

彩寧はすっかり大きくなって,動作が激しい、机にすがって簡単に立ち上がり素早く左右に移動する。手に触るものはたちまちおもちゃになる。親の言うことはよくわかるらしく,すぐ反応して動作に移る。
よく肥えていかにも元気、いうことはない。
主役は完全に彼女のもの。みな振り回されて口あんぐり。
一時間以上居て帰って行く。原爆の日が誕生日である。もう間もなく1歳になる。
滅多にあったことのない私は終始相手にしてもらえなかった。
Ayane

今朝なんとなく起き辛い。
昨日婿から教えてもらったソフト”宅ファイル便”での送信がどうしてもファイルごとになってフォルダーでは送れなかったので、今朝もう一度今度はフォルダーを圧縮しておくって見る。そしたら一つのファイルと認めてくれたらしく送信可能となった。
婿もちらと圧縮してと言ったようにも思うのだが、その時は聞き流していた。

これで添付書類の制限1MBを超えて楽に送れるようになった。ただしこれでも100MBが限度ではあるが。
灰色の空は終日変わらなかったが、その雲を通しての穏やかな日光が,暑からず寒からず、くらしよい天気にしてくれた。
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私の戦争/幹部候補生その3
 この日昭和16年12月8日は私の記憶の中でも最も鮮明な一日として残らざるをえなかった。演習に同行したカメラマンもよくこの日の写真を撮り残してくれたものである。こうして現在まで生きながらえてみれば,最大の追憶証拠となった。
1週間程度の富士山麓での訓練体験だったが、真近に仰ぐ富士の峰はその印象まことに強烈であった。特に夜半歩哨に立つと、山の威容が正に白扇逆さに天に架かるに似て、まざまざと心の底まで残された風景ではあった。

軍を挙げて東に西にはた南に北に戦火を拡大しているのだから、当然我々も心身ともに臨戦態勢に移った。
最後の3月は火だるまのようになって打ちすぎた。

正月の2日に突然母と妹が上京して来て,面会を申し込んだ。正月休みでゆっくりしていた私も突然のことに驚いたが、外出許可を得ると勇んで外に出た。数年前まで近所に住んでいた山県さんの家に泊めてもらっているとのことで、先ずそこへの挨拶から始まって都心を終日あちこちつれ歩くことになった。
忙しく歩き回ったのだから,今となってはどこへ行ったか定かではない。
へとへとになって門限ぎりぎりに学校へ帰ったことは覚えている。

明日観兵式の日の前の夜,学校酒保で突然同級生の金出宇台君に出くわす。同じ寮で暮らしたことのある男である。明日の式に参列するという。彼は所沢の騎兵学校生徒だった。正に閲兵行進する側である。こんな時期だから正に一期一会の邂逅だった。

昭和12年2月最後の野外演習が愛知県渥美半島で行われた。天白、高師の原野で実践形式の2週間に亘る熾烈な演習だった。

豊橋駅では列車搭載の実戦訓練も行われ、後日満州からの移動の際には大いに役立った。

3月31日教育修了、曹長に進級同時に見習士官に任命された。
即日軍刀を購入し、帯刀して帰郷した。
郷里では母が親戚から刀を分けてもらい軍刀に仕上げて待っていた。
母の志を受け,戦地にはそれを携行した。この刀が最後まで行を共にし、武装解除で中国軍に引き渡す運命となった。

4月5日同士20名は下関で集合し、関釜連絡船で釜山へ、朝鮮経由で新京へ、一日滞在して勤め先の会社の上司、同僚などと久闊を叙し、その夜は先輩のお宅でお世話になり、翌日新京からハルビン経由で斐徳の原隊に復帰した.4月10日だった。
Sityouheigakkoutai
Lunch
Tousai1

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