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2009年7月26日 (日)

戦史を読む(3)

何時降り出すかも分からないような空、気温23度、梅雨はまだ上がりそうにないという。
7月に入ってから一日でも天気の良い日があったかしら。
朔日から三日続きの雨の三日目だった。
日記には曇と書いておけばほぼ間違いない日の連続である。

午後に入るととうとう本降りになる。
もう止む気配は全然見えない。

大阪の水戸君から珍しく電話。5回目の抗がん剤を飲み始めたとの事。痛くないので助かるとの弁。
それが一番。遅かれ早かれ何かで死ぬのだ。痛まずに円満に死にたい。
元気な声を出してるからまだ大丈夫だ。もうちょっと頑張れ。


今”私の戦争”をブログに連載しているのだが、私の一番記憶の希薄な部分に取りかかっていて,連載を迷っている所だ。
戦争末期、他の事には目もくれず集中して取り組んでいたのは、アルコール燃料とその実用化問題であった。
連夜桂林駅構内に出向いて、如何に早く,間違いなくトラックの車輪をトロッコの車輪と取り替え,レールに載せて走らせるかであった。10人ぐらいの部下を指揮して,夜を徹して取り組んだ。
敵情など時折信号弾は上がっても、全然気にしなかった。星明かり、月明かりだけをたよりに、今思い出すと不思議な気持ちだ。

テスト運行がうまく行って、もう大丈夫という所で、実際に輸送を担当する中隊に引き渡したのだが、それから後がどうなったか、どうしても思い出さない。
駐留地から桂林まで2、30キロあったから、夜通うのでも何時間もかかる。
引き渡してからは、こちらの役目ではない。
結果は後日聞かされた話になり、実際に体験したのでないからいい加減な記憶になる訳である。
どれだけの実績を上げたかは報告は受けたであろうが覚えていない。

ただ6月か7月輸送司令官が部隊に見え、我が工場をつぶさに見学し、激賞してくれたことはよく覚えている。それがアルコール事業か鉄道に転用した実績だったかそのあたりがはっきりしない。

後日捕虜生活中、久田副官が鉄道のトラック輸送のお蔭で後方に滞貨なしと司令官から賞されたのだから、戦に勝っておれば勲章は間違いなしだったのになと、私に語った事があったが、冗談だったか本気だったかはっきりしない。負けてしまっては後の祭りだと聞く耳をもたなかったせいもあった。
久田副官も20年も前に亡くなって、大分前に資料が残ってないか奥さんに探してもらったが,僅かなものしかなかった。
この度防衛省に問い合わせたが、部隊の陣中日誌や作戦記録は焼却したり、散逸したりして残っていないと回答があった。久田副官が二日市で下車して、終戦事務所に出向したのはなんだったのだろうか。

今ここに風聞程度のことを書く訳に行かないから,私の戦争史から除外しなければならない。
私のやった戦争功績はこれしかないような気がするから,今となっては至極残念でたまらない。
槿花一朝の夢だったかもしれない。

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