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2009年7月13日 (月)

武漢三鎮

朝6時半気温26度。宮島おぼろなり。裏の極楽寺山はすっぽりと霧の中。

朝アルパークに出掛ける。久しぶりだが丁度10時頃だったから、早すぎて店内はがらがら。私は本屋に行き地元の地図を買う。
家内はあちこち探し歩いていたが、いいものは見当たらなかったようだ。
昼飯になるようなものを買って帰って食べる。
民生委員の生谷さんが顔を出し健康状態はと聞かれる。別状なしとこたえる。麻雀をやりに来ませんかという。もうそんなのは駄目だとことわる。もう何十年もやらない、できるわけがない。

暑くなって疲れがひどくなった。起居すべてがえらくなった。
まもなく動けなくなるのではと朝不安になるこの頃である。

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私の戦争/中支戦線へその2
南京では貨車搭載の我々の列車ごと新線路への入れ替えなどで忙しく、市内の様子を見る暇などはなく、通過してしまった。
翌13日終点の蕪湖に到着、ここで搭載を終わり.一般道路上に入るのだが、これが簡単ではない。
一騒動も二騒動もあってやっと落ち着く。
遡江の準備もあって4、5日滞在することになる。
戦火もほとんど受けてないので、凄く賑やかであり、物資も豊富だった。
南京政府が発行した儲備券もよく流通してるし、結構買い物が沢山出来た。

大通りを2mもある鯉を背中に背負って、しっぽを引きずりながら歩いている男がいたが、さすがに河も大きいが魚も大きいなとと驚く。

ゆっくり休養をとって、18日フェリーのような船10隻に分散乗船し、各々引き船にひっぱられてしずしずと遡江を開始した。
途中なんども寄港し休憩を重ねる。時折敵機らしきものが見えたが、単なる偵察だった。安慶、九江などすばらしい風景を望み見しながら、観光気分で通り過ぎる。イルカも数頭づつの群れがなんどか後を追って来て、海でも出くわさなかっただけに珍しかった。

26日大冶鉄山の積出港、石灰ように到着。ここで遡江を終わって上陸する。
ここでの食事のまずさには参った。米の中に砂利が沢山混じっていて、すごく食べ難い。とうとう歯を一本欠いてしまった。
健康優良児の歯だったのが、この戦争で虫歯だらけになってしまった。

陸路久しぶりに走って、武昌に入る。
武漢三鎮と言われるだけあって、さすがに大都会である。
しかし戦争のおかげで大半は廃墟と化し、雨露をしのぐに役立つ程度だった。
無人の空き屋を利用して分散駐留する事になる。
家の中はがらんとしているが荒らされた形跡はない、戦争をさけて家財を積み、近郊にでも立ち去ったのであろうか。
しかし便所に入ると早速さそりに出くわす。すぐ兵隊に言って駆除さしたが、怖い御出迎えであった。

電気は200Vだから、満州から持参した電気器具は役に立たない。もっとも同じものを2個直列につなげばなんとか使えたが。
(電灯などくらくてどうしょうもなかった)住み着く訳でないから、必要なことだけ済まして、もっぱらぶらぶらして過ごす。ナンキン虫も多かったなあ。さされておおさわぎする。

空襲はなさそうだから、用事がなければ有名な黄鶴楼をまず見に行く。揚子江岸の小山の上にあって遠くからよく見えてたので、行くのは簡単だった。漢口、漢陽の街も河を挟んでよく見えた。がいずれも訪れる事は最後までなかった。
近郊の竜宮城を思わせる武漢大学は二度訪れた。湖水の向こうに横たわるその眺めは夢に見るような景観だった。(下の写真とはまるで違う紅楼とも称すべきものだった)

(この写真はwww.edu.cn/ より収録)
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