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2009年7月18日 (土)

赤痢で危篤になる(長沙)

毎朝25度程度の気温が続く。亜熱帯夜といったところか。それほど寝苦しくもなく、涼しい方だ。
沖合はすっぽり霧に隠れて何も見えない。

昼近く青空がのぞき,明るい日射しがひさしぶりに下界を照らす。
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私の戦争/湘桂作戦その2
 8月いっぱい部隊は長沙を起点に本来の輸送業務に精進していた。
私はまもなく赤痢にかかった。当初は凄い下痢で寝込んでしまった。便所に通う時間もたらないぐらいで、当番兵が見かねて腰掛けの中に穴をあけ、ベッド脇に置いて腰掛ければ排泄が出来るようにしてくれた。

リンゲルという注射もされた。太股にする大きな筋肉注射だが、これを何本したか記憶が残っていないが、後年随分長くこの後遺症に悩まされた思いが残っている。ともあれ軍医などの熱心な努力で回復はしたが、動き出すのに一月を要した。
後に軍医がもう駄目かとおもったといった程だった。グアニジンという当時できたての新薬のよく効く薬のお蔭だったと述懐していた。隊長だから使えたとの口ぶりでもあった。入院もせずに危篤の患者を医者や看護兵(衛生兵)の尽ききりで治してもらった。後日の話だが、補充で追求して来た顔を見た事もない部下には同じ赤痢で長沙で死んだものも居た。申し訳ない。

8月というこの月は私は寝ているだけで過ぎた。もちろん任務とはかけ離れていた。
隊の半数は早くから易俗河の方へ転進していたが,残り半分の第2分隊も私を残して前進、湘譚県花蕚郷板塘という易俗河から60キロ南方に修理所を開設した。もちろん部隊は9月から易俗河ー衡山間約百キロの輸送任務についていた。
先行した第1分隊は衡山付近の黄花坪に開設していた。

結局9月半ばまで指揮班の一部を看病に残して、他は第2分隊とともに前進した。
9月に入ってからだったか、B−24の絨毯爆撃を食らった。50機ぐらいだったろうか。
半分は焼夷弾らしかったから、落とした数程の被害はなかった。ほとんど廃屋だし、燃えるようなものはなかった。
私のすぐ側に数発落ちたが,少し壊れた程度で車両には被害0だった。私はすっかり回復し元気になっていた。

転々と火の手が上がってはいたので、視察に出て歩いたが、消火活動するものもいなかったし、不発弾がごろごろころげているのには驚かさせた。衡陽攻略に全力を挙げ,長沙警備の第58師団まで使って、やっと陥落させたくらいだから,このとき長沙はもぬけの殻だった。
閑散としていた警備司令部に被害状況報告に行った際、今晩地下室で日本映画「新雪」を上映するから見においでと誘われた。
支那語字幕付きの日本映画だったが、懐かしく嬉しかったなあ。ぼろぼろ涙を流しながら見た思い出がある。 

長居は無用とすぐ準備して部隊に追求する事にし,出発する。
易俗河までの数十キロの間に、路傍に70輛以上の焼けただれたトラックなどが転げているのに驚いた。
長沙の街中では敵機は大爆撃以外は来た事がなかったが、易俗河付近の渡河点は危ないなと警戒する。
渡河点についてみると、夜にならないと駄目だと言われ,順番を待つ。
この日は順番がこないで翌晩まで待たされる。1、2キロも離れた廃屋のあるところで遮蔽して夜を待つ。
昼間近所の畑で落花生の植わっているのを見つけ,掘り出して夕食のおかずにする。生まれて始めて落花生の煮物を食ったが、おいしかったかどうかそこまでは思い出せない。

工兵の鉄舟をつなぎ合わせたはしけで幅1キロの河を1輛づつ渡してもらうのだが、暗闇での作業だから気が気ではない。運転手は随分緊張したらしい。

無事渡り終えるとすぐ前進、先ず上田冲の本部に立ちより生田目部隊長に報告と謝意を表する。
久田副官は私と同年兵で同じ部隊出身である。よろしく頼んで、10キロ先の我が隊に向かう。
夜が明けてたかもしれない。

準備してもらっていた居室に入る。予期していた訳ではないが、約4ヶ月の駐留が始まった。
地名を軍から提供された地図に現在地部落の名前が入っていないので、現在地と思われる場所に地名か橋名か分からないが広東橋と表示があったので、これだと呼称をこれにきめる。
部下にも,本部や他隊にも通知して、知悉せしめる。

工場は山あいを利用してうまく設営してあった。
兵たちは民間にあって,数年の、中には十数年も年期を積んだものたちで、隊長が作業に口出す事はなにもなかった。

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