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2009年7月30日 (木)

捕虜その1

珍しく青空一面の快晴、気温24度と涼しい朝。
このまま梅雨が上がるといいのだが。

11時内藤内科に行く。腎臓の検査をするという。血液を採って別に検査してくれる。
健康値ぎりぎりで良好と告げられる。
食欲もまあまあだし、これ以上はしかたのないところだろう。

午後はやや雲が出て来たが、かんかん照りよりは過ごし良い。

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私の戦争/捕虜
 昭和20年8月30日夕刻、長沙を徒歩で出発。背嚢には食糧と下着類のみのささやかな荷物を詰め込み、それこそとぼとぼと気力を喪失した歩みであった。

何キロ行ったか、もと鉄道のあった橋だろう、渡る事になった。1kmもある長い橋である。下はごうごうと凄い音を立てて流れる濁流の大河湘江、落ちでもしたら命はない。
線路を取り払った,隙間だらけの橋、揺れ動く橋板の上をそろそろ歩く。まったく肝を冷やすとはこのことだった。始めは何とか立って歩いたが、中程からは皆這って渡り始めた。その方が安全で早かった。歴戦の勇者も形なしであった。

もう帰心矢のごとく、もくもくと歩くのみだった。暗闇の中を、どこがどことも分からず付いて行くだけで、小休止、大休止と伝令が伝えれば休み、路傍にばたばたと寝転ぶだけであった。

9月2日大きな河のほとりに立ち止まった。汨水であった。
川船で渡り、ここから岳州まで鉄道で運んでくれるということで、河辺に散らばって時間を待っていた。
すぐ近くの廃屋にいた電信隊の隊長が、私を呼んで、今日米の戦争終結の調印を放送しているから聞けと,レシーバーを貸してくれた。アナウンサーは間違いなく無条件降伏と伝えていた。
その瞬間思わず涙が滂沱と頬を伝って落ちるのを感じた。もう駄目だ。俺たちの死に場所はどこになるのだろう。その事しか思い浮かぶものはなかった。呆然として真っ白な頭の中。
二千年の昔楚の屈原があの有名な「漁夫の辞」を残し、主君懐王がとらわれた先、秦に客死して、忠誠空しきをを悟り、石を抱いてこの汨羅の淵に身を投じたと伝えられている故地でもあった。

岳州に着いて、しばらく待命休憩の時間がつづいた。
街の中は住民の復帰で混雑していた。憲兵下士官が大きな袋を引きずっているので,なんだと聞くと、袋の口を開いて中を見せてくれた。袋一杯に乱雑に押し込んだ紙幣、いうまでもなく無価値になった儲備券であった。どこかで焼くしかないとやけくそな口ぶり。
何万枚もあったのではないか。

9月9日列車で咸寧県賀勝橋というところに運ばれる。
この駅の近辺に部隊は民家に分宿して、捕虜生活をつづけることになった。
私の隊は駅から一番遠く3キロも離れた部落の民家の土間の何部屋かにシートを敷いて寝起きする事になった。一部屋に十数名のごろ寝である。隊長も兵隊もなかった。
食事は一日主食のみ300グラムの通達で、毎食メンコ半分のお粥か雑煮だった。

この家の住民も同居しているのだが、多勢に無勢黙って狭い一,二室に窮屈そうにくらしていた。
お上の命令だから致し方はない。

隣の部屋に寝てばかりいる老人が居たので,聞くと食うものがないので死ぬのを待っているのだという。さかんに没法子を口走る。一般住民は国が勝とうが負けようが関係ないのである。

おりしも、その国自体も国民党と共産党が死力を尽くして内戦のまっただ中にあった。

(注)漁夫の辞について、よく聞かれるが、詳しい事は私もよく知らない。
nifty searchで拾ってみると、ちゃんと本文と邦語訳があったのでそのまま載せておく。
漁父辞
屈原既放
游於江潭
行吟澤畔
顔色憔悴
形容枯槁
漁父見而問之
子非三閭太夫與
何故至於斯
屈原曰
與世皆濁
我独清
衆人皆酔
我独醒
是以見放
漁父曰
聖人不凝滞於物
而能與世推移
世人皆濁
何不乱其泥
而揚其波
衆人皆酔
何啜其汁
何故深思高挙
自令放為
屈原曰
吾聞之
新沐者必弾冠
新浴者必振衣
安能以身之察察
受物之紋紋者乎
寧赴湘流
葬於江魚之腹中
安能以晧晧之白
而蒙世俗之塵埃乎
漁父莞爾而笑
鼓(木世=えい)而去/
乃歌曰
滄浪之水清兮
可以濯吾纓
滄浪之水濁兮
可以濯吾足
遂去不復與言

屈原 既に放たれて、
江潭にあそび、
ゆくゆく沢畔に吟ず。
顔色 憔悴し
形容 枯槁せり
漁父見て 之に問うて曰く、
子は三閭太夫にあらずや、
何の故にここに至れる。
屈原曰く
挙世 皆濁り、
我、独り清めり。
衆人、皆酔い
我、独り醒めたり
是(ここ)をもって放たれり。
漁父曰く
聖人は物に凝滞せずして
よく世と推移す。
世人 皆濁らば
世人 其の泥をみだして
其の波を揚げざる。
衆人 皆酔わば、
何ぞ其の汁を啜(すす)らざる
何の故に深思高挙して、
自ら放たれしむるを為すや。
屈原曰く
吾、之を聞く
新たに沐する者は必ず冠を弾き
新たに浴する者は必ず衣を振う と
いずくんぞ能く身の察察たるをもって、
物の紋紋たる者をうけんや。
寧ろ湘流に赴いて
江魚の腹中に葬らるるも、
いずくんぞよく晧晧の白きを以って
世俗の塵埃を蒙らんや
漁父 莞爾として笑い
えいを鼓して去る
乃ち歌って曰く
滄浪の水 清まば、
以って吾が纓(冠の紐)をあらうべし
滄浪の水 濁れば、
以って吾が足をあらうべし
遂に去ってまたともに言わず

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