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2009年7月25日 (土)

戦史を読む(2)

雨は降り止まない。大雨洪水警報は出っ放しである。
防府市の死者は12名になった。2名行方不明というのだからまだふえそうだ。

昨夜8時過ぎ、突然芳邦さんが野菜を沢山持ってやって来る。家内は風呂に入っているし,私は寝床にいるし驚き慌てる。それでも遠慮の要らない中だからそのまま上がってもらって2時間ばかり歓談する。
雷鳴しきりに轟き外はただならぬ気配だが、家の中は和やかな話で終始、遅くなったと慌てて帰り支度して午後10時雨の夜道を帰って行く。気をつけてと暗闇の中を何度も繰り返して送った。

今朝は南からの横雨がひどく外を眺める事も出来ない。もっとも眺めるに値するものは何もないが。
昼頃やっと雨が止む。しかしまだ先は分からない。

また戦史でも顧みよう。
昭和19年6月29日梅仙ー平江付近に停滞して動けなくなっていた,3個聯隊と3個大隊の自動車集団1200台は結局軍命でそこから崇陽まで引き返して岳州を回り、洞庭湖に沿う二本の道路のうち東側の道(長楽街経由)を一気に長沙へと7月17日全車両無事到着したとある。もっともそれ以前に受けた損害は除いての話ではあるが。
結局200キロの道を1月半かかったわけである。
しかし最後尾を受けたまわる私の隊の陣中日誌には8月2日長沙に到着とあるから、戦史より更に半月遅かったことになる。
(私見だが、聯隊といい大隊といい規模は殆ど同じで部隊長の階級が違うくらいのものであった。私も当初第3聯隊に入隊し,そのままの規模で第69大隊に名称が変わった。1部隊約200輛の編成だった)

訳の分からぬまま、前の車の後に跟随して、いつまにか引き返して岳州を廻ってたらしい。
山から下りてえらく早く走ったなあと思っていたが、そういうことだったのだ。とにかく暗闇の中を走るのだから,明るくても未知の土地、どこがどこだかわかるわけがない。
千輛を超える車がぞろぞろ列を作って狭い道を、夜走るのだぞ,想像してみたまえ。

当時の自動車の性能も悪かったが、自動車隊としての行軍速度は時速10キロ、一日100キロと作戦用務令に定めてある。立派な行動基準である。

ついでに気づいた事を書いておこう。この湘桂作戦でつぎ込んだ自動車は15000輛とある。主力の第11軍だけでも9800輛と戦史に書いてある。1500キロの長い戦線だから、ばらまけば問題ないかもしれないが、どこからどうして運んで来たのだろう。

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