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2009年7月 9日 (木)

チチハルの大草原を思い出す

昨日は降り続いた雨に風まで吹いて、窓も開けられず蒸し風呂にいるような一日だった。
しかし時節柄この程度の暑さでクーラーはもったいないから、下着だけで終日過ごした。
もちろんどこにも出掛ける気など起らない。
しかし家内が内藤内科に夕方出掛けるというので、やむなく車で送る。
帰りは汗だくになって帰って来る。

今朝相変わらず気温25度と熱帯夜か。雨はなんとか上がっているが雲多し。

しっかり小説を読んだり、ブログを書いたりいつも通り長生きの業だ。そういえば最近テレビは殆ど見ない。夜は深夜便とDVD音楽、昼はCDかDVD音楽である。静かすぎるのも嫌だから自然こうなる。
私も内藤で薬を変えてもらった効果かもしれないが、食欲はまあまあ出て来たようだが、今度は立ちくらみが多くなったような気がする。
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私の戦争/任官その1
 昭和17年12月23日本部付きに転補、兵器情報掛将校を命ぜられた。
任務上本部と材料廠に机を置いての仕事となり、行ったり来たりと結構忙しい役割であった。

兵器とは自動車部隊だから第1種兵器自動車に関することが、先ず第一で、二にも三にも自動車関連ということになる。
材料廠は第69大隊のときにも経験していることだから、仕事の内容は熟知していたので驚くことはなかった。

情報関係はむしろ面白い仕事として関心を持ち,特にソ連関係が主になるので、自分としては特別に熱心に取り組んだつもりであった。上級機関から送られて来る極秘情報を読み,記録し,部隊長(板倉少佐)に報告し、一般に布達するという手順である。
何より嬉しかったのは満州新聞など数種の新聞が遅ればせながらも、毎日一番に読むことが出来るということであった。

何日もかかって来る手紙や、たまに届けられる慰問袋の中の包み紙の新聞で見る内地の状況でも,情報の乏しいこの地では全く貴重であった。職務上人に先駆けて知れるということは無上の喜びであった。

新京に住んでいた当時、放送劇団に入り、放送局で森繁久彌アナウンサーの指導を受けたりしたのだが、その森繁さんが黒龍江のルポルタージュで表彰されたとの満州新聞の記事を見たのもこの頃だった。懐かしかったなあ。

時には部隊全員の前でソ連情報など講演させられたりしたが、拡声装置のないころのことだから、千人の兵隊を相手に大変だったことを覚えている。

またこんなこともあった。初年兵の頃、初恋の女性からの手紙で内容が女々しいといって、班長にビンタを取られるやら,木銃でたたきつけられるやらして、同郷出身の郵便掛かりの二年兵から気の毒がられ、もう返事は出すな、来た手紙も送り返すからと言われてその通りお願いしたことがあった。あれ以来もう2年近く、音信は途絶えたままになっていた。明日の我が身がしれぬ今、音信自由の立場にはなったが再開する気にはもうなれなかった。(彼女には40年も後の1981年3月26日に”生きていたのか”と電話で懐かしい声で、なじられたことがある)

任官と同時に営外に官舎を与えられ、小林副官と同居することになった。もちろん当番兵が私用は何もかもしてくれるので、楽な生活ではあった。
ただ各部隊交代勤務の衞戍地巡察の週番勤務は難儀であった。24時間中自分で設定した時間に3回水道ポンプ場、東部境界橋梁の分哨を巡回しなければならなかった。全部で約8キロあった。昼間は何でもないが夜間が大変だった.特に零下20度以下の暗夜はさすがにこたえた。

3月軍命で、チチハルの第6部隊にガス教育を受けるため出張することになった。
幸いに私の出身部隊第69大隊の同期生述本少尉が一緒ということで、心強い出張だった。
26日斐徳を出発し、牡丹江で一泊して脇少尉と会食し、ハルビンでは満州電業のハルビン支店に勤務している戸倉寛一君のアパートに泊めていただいたりして、チチハルに着いたのは30日であった。

4月1日から教育が始まり、1ヶ月間みっちり鍛えられ、ガスの怖さを身にしみて感じさせられた。
道なき草原を荷框にいっぱいの将校たちを乗せたトラックが横倒しになったりして、けが人が出たり始めから風雲急な教育であった。
最後の夜を徹しての大草原での模擬遭遇戦は大変だった。あまりの過酷さに、拂曉の突撃白兵戦にはへばって倒れてしまった。
睡眠不足と過労で意識が朦朧とし、朝食の配布のときうっかり他の隊の食事をとってしまった。後で怒られたりしてひどく恥をかいた。
赤弾の試射をしてみせたりしたが、風下に現地人の部落があるにも拘らずぶっ放したりして、無茶なことをするなあと怒りを覚えたりした。
敵も味方も同じ被害を蒙るこの兵器は、いくら戦争といえども使われない様祈るばかりだった。(眼鏡着用のものは防毒面の私用が難しく特に苦労した)

チチハルでのある休日述本君と一緒にある書店に入った所同級生の坂口武君にばったり邂逅した。彼は250キロ南方の貨物廠に勤務していて、遊びにチチハルまで出て来たということだった。
彼は現在も元気で我々同窓のため尽力してくれている。

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