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2009年7月15日 (水)

初空襲にど肝抜かれる

毎日同じような夏の朝。気温25.5度。
朝一番に千代に電話して、湘桂作戦中の陣中日誌の写しを取得してくれるように依頼する。
詳細はメールで送る。暇だそうだからすぐやってくれるだろう。

昼前突然シャワーのごとく降る。
幾分涼しい。
ぼつぼつ梅雨が明けるのかもしれん。
昼過ぎから雨もやみ,島々がいやにはっきり見え始める。雲は依然として深い、
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私の戦争/中支作戦その4
いくら人馬の死骸を見ようと、戦いの現実は新米の指揮官に分かる訳がない。
しかしその瞬間は突如訪れた。さして高くはないがうねうねと波のようにつづく山の尾根に、無数の自動車が動きがとれずに立ち往生したまま日が暮れんとした、その時だった。尾根すれすれに飛来した敵P-40が2機折り重なるように銃撃を繰り返してさった。
後方、そして前方つぎつぎと自動車が火を吹いた。燃料を積載してたか,車のタンクを貫通したか。

急いで車から退避したがあとの祭りである。始めてだから爆音と同時にぶるぶると身震いした。震えるというのはこれだなと後で実感した。下の方へ逃げた兵隊の中にはなかなか戻って来ず捜索を出す始末。笑い事ではなかった。
しょっぱなの衝撃はやはりひどかった。

遅まきながら友軍機が間もなくやって来て,こともなげに旋回してくれた。

しかし時ならざる時敵機は襲来した。あっという間に来てあっという間に去る。
友軍機の飛来が少なくなり、敵機の跳梁は激しくなるばかり。
ついに昼間行動は中止し,夜間行動に切り替わった。
友軍の飛行場が空襲を受け,我が方全滅したとの情報も入った。
そうなると連日連夜来るのは敵機ばかり、爆音が聞こえれば退避のくりかえしとなる。やられた車が火を噴き積載弾薬に誘爆すれば側も通れない。

山上の無灯火行進というのはやってみた事がないと分からない不安なものである。勿論助手が誘導するのだが,歩いての場合やバンバーに立ってする場合もある。前面ガラスを跳ね上げて,運転手は血眼で前を睨む。何時間はとてもつづかない。
幸い軍隊は交代が原則だから民間の運転とは少し違うのだが。
しかし渋滞するばかりである。

数日間だったか十日以上かかったか、今定かには覚えていないが,尾根の行軍は水を求めるたびに谷底まで下りねばならず、殆どカンパンや乾燥糧抹に頼るだけの空腹に堪えている兵たちの苦労は大変だった。

来る日も来る日も山上をうろつき、敵機の襲来を気にしながらの毎日だっただけに、やっと平地に下り立った日のほっとした思いが今でもありありと残っている。

(写真はいずれも毎日新聞「日本の戦史」より収録)
P40
Gunhensei

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