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2009年6月25日 (木)

岩中同窓会

岩国観光ホテルで開催される中学校の同窓会に出席する。午前10時過ぎに家を出たから、到着は一番早く、揃うには4、50分待たされる。主催者は最後になってのこのこ現れる。

相変わらず昔話がなつかしい。常連も逐次減って行く。今回は常連ばかり6人。
米国帰りの野村が93歳、他は皆90歳前後.野村だけは車いすで移動という状態。口は皆元気である。
今回は戦場体験話が多かった。今田君がニューギニア戦線のワープロ編集の冊子を読んでくれと、私と川上にくれることになる。
ラバウルで終戦を迎えた川上、シンガポールで迎えた今田ともに戦塵を直接浴びた彼らの思いは並みのものではない。

何時まで話してもなかなか話題がつきず、明日がないとの思いも従来よりまして切実、とうとうえんえん5時間近くに及ぶ。
一番先に失礼した私でも、帰宅したのは丁度午後5時,市役所のチャイムがちょうど鳴り始めた。

来年もやろうと菊谷の音頭だったが,今田がさっそくもう無理だとクレイム、うやむやのうちに立ち上がる。
果たして来年はどうなるか、神様だけしか知らないことだ。
元気だった東京の保田が死んだし,常連の若重も、山崎も身体不自由でもう来れない。減るばかりである。

女中の話では先日97歳の日野原先生がこのホテルのロビーで講演された。まだ3年先を目指しているといわれた由。皆さんも元気を出しなさいとハッパをかける。

口で言うは容易いが、なんだか真底までつかれたかんじだ。半分ごめん蒙りたい。

今日の松田さんのメールに添付書類として易俗河の兵站病院の行動履歴が載せられている。
浅川という私の部下を入院させた病院に違いはないだろうが、この開設日程などを見ていると,開設されて間もない時だったらしい。電話もない時代だが,軍広報で部隊本部にいる軍医には通報があったかして、病院の開設を知ってたのだろう。それで私に勧めたのかもしれない。

軍隊では一地に駐留しているときは、傷病者をその部隊で看護治療することは許されるが,一旦行動を開始すれば,傷病兵は皆後方に下げられるのが通例で,つれて行くことはない。

自動車部隊でも、兵糧弾薬燃料,必要兵員は載せて行くが,傷病兵を乗せ得る場所はない。衛生兵(看護兵)付き添いのもと後方の兵站病院、野戦病院に輸送する.死生は当該病院任せである。戦争はしかく非情である。
仮に余剰の場所がトラックの背にあったとしても、落伍者や死傷者を車に積み始めたら,部隊の作戦行動は収拾つかなくなるので,固く禁じられていた。

私の部隊は東京近辺出身の兵隊がほとんどで、凄く人慣れした親切な人間が多く、ときどき上官の目をかすめて落後兵を乗せてやったりしていた。班長に見つかってよく鉄拳制裁を食らっていたものである。もっとも行動を始めたばかりの気合いの載ってる時だけで、そのうち誰もやらなくなるのだが。

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