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2009年6月10日 (水)

思慕

朝5時、雨足がベランダを盛んに叩いている。やはりほんものだ。
昨夜は乾癬のくすりを塗らないまま寝てしまったので、あちこち痒い。起き出して遅まきながら,痒い所にくすりをぬる。
もう何もかも面倒だ。どうないとなれと言った気持ち。

家内は内藤に行く。
横雨が窓を叩く。珍しく良く降る。やはり梅雨の雨か。

アップルが新型モデルやiPhoneの値下げを発表した。最近の値下げ競争について行くつもりなのであろう。
パソコンもいささか飽和気味だからなあ。少々の値下げで追いつくかどうか。

狐が比治山をうろついているという。動物愛護の精神が行き渡って、一番の害敵だった人間がいじめなくなったので、安心してうろうろするのだろう。そういえば先日宮島で参道を狸が鹿と一緒に散歩していた。林田さんが珍しがってパチパチ写真を撮っていた。平和が長く続いたおかげだが、百年も続いたらどうなるだろう。イノシシや猿、熊まで街中に出て来るとやはり困るだろうな。

人を慕うということは、人間感情のどの位置に置かれるべき情愛だろうか。
思い起こせば私も随分恩師や友人などに限りなき思慕を持ち続けている方達が沢山いる。もう殆どがこの世に居ない。しかし私の心の中では生き続けて居られる。

先日の4日突如訪ねてくれた林田さん、2年前の2007.10.24これ又急に私の宅を訪ねて来て訪ねあぐね、とうとう電話で近所の神社で落ち合った林正敏さん、前者は33年ぶり,後者は実に44年ぶりの再会であった。いずれもどうしても一度会いたかったと涙のこぼれる思いの再会だった。これらはいずれも私への思慕を直接ぶっつけたものだった。
死期の予感をたまたま年賀状に記したのが呼び水だったが、ずっと昔28年前には若かりしとき勤務した、職場の後輩たちが開いてくれた謝恩会は、差し迫ったものとはいえなかったが、こんどのあいつぐ二人の行動は違った感情がこもっていた。

私が死んでもこの人たちのこころの隅には、いつまでも私は生き続けるのであろうと思うと、無限の生命を感ぜずには居られない。子や孫そしてこの人たち、私の生命を維持し続けてくれることを思うと、たまらなく愉快である。

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