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2009年6月 1日 (月)

宇佐八幡宮参拝

昨日早朝から雅博さんの運転で、宇佐神宮に向かう。7時前に出たからすいすい走り、小倉南ICを降りたのは9時ちょっと過ぎ、宇佐八幡宮には10時半頃到着。
大きな駐車場に車を置いて,参道を進む。伊勢神宮によく似た感じだ。
神域の広さも伊勢に匹敵するのではと感ずる。日曜日とあってか参拝する人は少なくない。
今更信仰の厚さを感ずる。
参道の長さに老人はいささか草臥れる。帰りに宝物殿によって、国宝など拝観する。

正午を過ぎたので,宮前の大きな土産物店兼食堂で昼食を済ます。

初期の目的は終わったので、私の念願だった熊野の磨崖仏に連れて行ってもらう。15年ぶりである。
石段が難物だから、仏の所まで登れるかどうか自信はない。
家内は第1の鳥居の所までは登ったが,それから上の石段を見てダウン。引き返す。
私にも盛んにやめろと声をかけたが、それほど心臓に負担を感じないので続行する。前回のときと違って、石段の左右に手すりがつけられていた。これで大いに助かった。もしなかったら私も途中ダウンしていたろう。

とうとうコツコツ登って、磨崖仏の前に立った。その喜びもちろん筆舌に尽くせない。涙が浮き上がって来るのを感じた。
これで死んでもいいなと自分に言い聞かせた。
何枚も気の済むまで写真を撮り続けた。光線の具合も絶妙だった。
娘も婿もあきれ顔で黙視続けた。言う言葉がなかったのかもしれない。

別れを惜しみながら,下の段に向かった。後になり先になり婿が気遣ってくれる。右に杖,左手はてすりに。足下はしょうしょうふらついて危ないが、先ず気力でカバーする。
3時お参りを終えて、婿らが取ってくれた黒川温泉の宿に向かう。
間道を飛ばし、5時には宿に入る。すぐ婿と一緒に入湯。凄い立派な作りの温泉。すばらしい借景をとりいれた、野天ぶろ。
近年めきめきと評判を高めていることを実証してくれる。

長風呂しすぎて、いささか疲れたが、宿や子供らの心づくしに救われる。
食事を終わるとバタンキュー、ぐっすりで何も気づかず。

翌日の今朝は5時さわやかな目覚め。疲れがとれたかと思ったが,起き上がってみるとさすがに足が痛い。
普段使ってない足だけに、あれだけの酷使。温泉でよくもんだので痙攣が起きずに済みむしろありがたかった。

朝湯を終わって,温泉街を歩いて見学する。やはり足が痛くて長くはあるけない。途中ダウン。
10時出発して,日田に向かう。
婿があらかじめ予約して、この地で著名なうなぎ料理を食わせてくれることになる。
堪能する。

帰路は日田ICから高速道を鳥栖,直方経由で広島へ、最後は宮島SAで夕食をいただいてお別れということになる。
まったく至れり尽くせりのサービスをしてもらう。

Usajinngu
Magaibutu
Kurokawa

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2009年6月 2日 (火)

町内の役目

霞が深く気温も15度と少し低い。
朝8時まで眠る。疲れが一掃は出来ないが幾分楽になる。
子供らはまた勤めがあるから、今日は大変だろう。

家内は月初めとあって、町内会の回覧物の配布や掃除当番などと忙しそうである。そばによりつきかねる有様。

私は温泉の湯がよく乾癬に効いたが、家内には効用が一向になかったらしく、朝から痛い痛いと指を振ってみせる。
温めるのが良くなかったなどと言っている。

午前中は写真のプリントに忙しい。デジカメだからぱちぱち結構撮っている。プリント用紙が切れたので途中でダウン。
先が短い身だから、そのままというわけにはいかないで買いに出る。気ぜわしいことだ。
いつものカレー屋に行き昼飯を食う。
食欲はないので、子供用のカレーを流しこむ。

L班のプリント用紙など買い込む。六千いくらと請求されてちょっと驚く。
本屋でまた藤沢本を1冊買う。最近は少し読書欲も落ちた感じ。

午後になり乾癬がいやに痒い。特に顔の周りが。
昨日,一昨日は忘れたようだったのに、帰って来たらこのざま。
温泉効果というより気のせいかもしれない。

写真を印刷していて驚いたことに、小国町の道の駅の写真が四周の景色を反射して綺麗にとれている。見た目には真っ黒な何ものかと思われた黒光りの物体だったのに。

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2009年6月 4日 (木)

33年ぶり

午前7時現在止んではいるが雨模様、気温18度。
昨夜はDVDアルバムつくりで約8時間かかる。夜中に起きてこんどはそれを試聴始める。終わるのが20時間ぐらいかかるだろう。

朝9時前突然林田さんから電話がかかる。元私の会社に勤めてくれた女性である。
驚いて電話を取ると、懐かしい声が元気よく響く。是非会いたいから今からでも会いに行くという。
ともあれこちらは毎日が日曜日のくらし、いつでも格別障りはない。
よければ今から家を出て,福岡から新幹線で行く。2、3時間みとってもらへばよいという。
OKするとすぐ携帯電話の確認をすませて,広島駅で落ち合うことにする。彼女らしい手ばしっこさである。
11:06ののぞみで、間違いなくあえたのだが、33年ぶりだから殆ど思い出さない。合図をしてやっとこちらを確認してもらう。
私の会社で最も印象に残る仕事をしてくれた人である。そして二度目には大きなお腹をしながら働いてくれた。頼りになる人だった。

来た時は宮島を案内しようと手ぐすね引いていたので,迷わず私の車に乗せて宮島に向かう。宮島は始めてだというのだからうんもすうもない。

12時渡船して、丁度引き潮なのを見て,鳥居へ急ぐ。彼女もデジカメを持参していたので,鳥居近くで撮ったり,海側から社殿を写したり、しながら回廊を逆に一周する。
途中で昼食を,名物のあなごめしで済ます。彼女もおいしいですねと喜ぶ。

帰路は平和公園、原爆ドームを横目に見ながら紙屋町を抜けて広島城の裏側にまわり、彼女の記念撮影の手伝いをしながら広島駅まで送る。

駅頭に降り立つとまた別れ難くなるので,彼女のいうままにタクシー車場に車をつけてさよならする。
時間的に近くなったとはいえ、やはり簡単に会える距離とは思えない。身体は不自由になるばかりである。今生の最後だったかもしれない。しかし会えてうれしかったし、なつかしかった。遠路を会いに来てくれた心根がなによりもうれしい。Hayasida
MiyajimaGojunoto

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2009年6月 5日 (金)

留守番

霧深き朝、気温20度。
昨日の宮島行きがこたえたか身体がだるく,足が腫れぼったくていたい。
林田さんが訪ねてくれた喜びにはしやぎ過ぎたのかもしれない。
しかし孔子も三千年の昔に、有朋自遠方来不亦楽乎と言っている。人生最高の喜びに酔って何が悪かろう。
あと半年で90歳。断末魔のあがきとののしられても悔いはない。

昨日の宮島の人の少なさはどうしたことだろう。インフルエンザとは関係ない筈だが、旅行者そのものが少ない季節か。
外人の姿はやたらと目についたが。
何十回来たか、こんなこと覚えがない。

家内は友達の竹島さんに会うため朝から広島に出かける。
古い友と会って,昔をしのぶ,老人の一番快い瞬間である。心が開き饒舌になる。私も昨日経験した。

記念病院にも予約していたから午後よって来るのであろう。
いい治療法がはやく見つかって欲しい。

昼は熱いご飯に山椒昆布をのせ,冷たくなったお茶をたっぷりかけて、さらさらとかき込む。1分とかからない。
寂しいようでも思いは極楽。

雅博さんが先日の宇佐など行きの写真を沢山ネットを利用して送って来る。
ウインドウズにはいいソフトがあるなあ。

林田さんにお礼の手紙をしたためる。宮島での写真も貼付して明日投函することにする。

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2009年6月 6日 (土)

生涯を閉じる日

又朝の温度は20度。高空に雲多し。
家内胃が弱いのに飲み薬多し。心配。

ソフトバンクに弱いカープ。昨晩ははずれ加減に雷に救われて初勝利。こんなこともたまにはないと。
今日午後行われた同じ試合では今度はソフトバンクが強い所を見せつけて勝つ。同じように雨で7回コールドとなる。

午後4時突如夕立、一瞬シャワーのごとく降る。

腹具合悪し,原因不明。

夕食はお粥に梅干しにしてもらう。やはりおいしい。

風呂から出てベランダにのぞくと、月が,満月の月が東天にかかっている。
まんまるの月、もう何十年も見たことがない。乱視を矯正した眼鏡のおかげである。
これがほんとうの姿なんだ。嬉しさがこみ上げる。ふだん見慣れている人にはこの感激はわからないだろう。

娘らが宇佐八幡宮につれていってくれたし、若き日私の下で働いてくれた松本さんが、矢も楯もたまらず33年ぶり九州からそれのみを目的に会いに来てくれたし、一挙にこの世の勤めが終わった感じ。
もう死んでもいいなとおもえて、いっぺんに気力がなえた。
うまく行くと年内にわが生涯を閉じられるかもしれない。

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2009年6月 7日 (日)

日本Wサッカーアジア予選通過

朝8時、町内の道路掃除。昨日あたり家の都合か早めに済ませた人もあるが、各戸から皆出て来て30分ぐらいで片付く。
側溝や排水溝に溜まった泥土,塵芥は一年に一度だから結構溜まっている。

老骨には屈んで排水溝の升の中を覗き込むことすらつらい。一応役目だけは懸命に果たす。家内は班内の総まとめに大忙しである。若くはないのだがよくやるなあ。

終わった途端目が舞い立ちくらみするやら、情けないことである。
水を3杯飲んでベッドイン。仕事を済まして来た家内が、寝てる私を起こしてスイカを食わす。おいしい。

深夜Wサッカー・アジア予選日本対ウズベキスタン戦を終りまで見て,興奮して眠れなかったのが、なによりこたえた。
しかし危ない試合だったなあ。開始9分際どい先取点はものにしたが、その後はほとんどウズベキスタンに押されっぱなしで、守るのは大変だった。1-0の勝利は幸運だったとしかいいようがない。
パス回しのうまさが日本の特徴だったが、ほとんど彼らの前には通用しなかった。
逆に彼らの再三のチャンスに打った、つめのシュートのあまさが日本守備陣を助けた。
ともあれ、日本は本戦出場資格を得た。今後の精進を望むのみである。

午後おやつを食べた頃からやっと元気を取り戻す。

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2009年6月 9日 (火)

渇水と梅雨

連日同じような天候。
新聞が渇水対策を叫んでいる。土師ダムは水量が9.2%になったとある。
雨の降らんのを喜んでばかりもおれないのだなと気づく。

温暖化現象のせいで、世界的に水危機に陥る可能性があるとも伝えている。
人口当たりからいえば、日本は保有水量は良くない方だともいう。
何の気なしに無駄使いしている毎日がくやまれる。

梅雨入り宣言が出たらしいが、まだ雨は降ってこない。明日あたりになるとテレビでは言っている。
空はどん曇りで、もう降っていてもおかしくないのに。
こんなに降り難いものかなあ、といって土砂降りになっても困るのだが。ままならない。
薄ら寒いいやな天気だ。

体調がよくない。昼もおかゆと朝の食べ残しのパンで済ます。食欲がないというより、のどまで食ったものが戻ってきそうである。神経性のものかな。

土田君から内祝いがとどく。電話してみると元気な声で50日経ったが別状ないからとのことだった。
秋にでもなったら、坂口君が難しいようなら、さざん会を引き受けてもいいよとのこと。安心する。

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2009年6月10日 (水)

思慕

朝5時、雨足がベランダを盛んに叩いている。やはりほんものだ。
昨夜は乾癬のくすりを塗らないまま寝てしまったので、あちこち痒い。起き出して遅まきながら,痒い所にくすりをぬる。
もう何もかも面倒だ。どうないとなれと言った気持ち。

家内は内藤に行く。
横雨が窓を叩く。珍しく良く降る。やはり梅雨の雨か。

アップルが新型モデルやiPhoneの値下げを発表した。最近の値下げ競争について行くつもりなのであろう。
パソコンもいささか飽和気味だからなあ。少々の値下げで追いつくかどうか。

狐が比治山をうろついているという。動物愛護の精神が行き渡って、一番の害敵だった人間がいじめなくなったので、安心してうろうろするのだろう。そういえば先日宮島で参道を狸が鹿と一緒に散歩していた。林田さんが珍しがってパチパチ写真を撮っていた。平和が長く続いたおかげだが、百年も続いたらどうなるだろう。イノシシや猿、熊まで街中に出て来るとやはり困るだろうな。

人を慕うということは、人間感情のどの位置に置かれるべき情愛だろうか。
思い起こせば私も随分恩師や友人などに限りなき思慕を持ち続けている方達が沢山いる。もう殆どがこの世に居ない。しかし私の心の中では生き続けて居られる。

先日の4日突如訪ねてくれた林田さん、2年前の2007.10.24これ又急に私の宅を訪ねて来て訪ねあぐね、とうとう電話で近所の神社で落ち合った林正敏さん、前者は33年ぶり,後者は実に44年ぶりの再会であった。いずれもどうしても一度会いたかったと涙のこぼれる思いの再会だった。これらはいずれも私への思慕を直接ぶっつけたものだった。
死期の予感をたまたま年賀状に記したのが呼び水だったが、ずっと昔28年前には若かりしとき勤務した、職場の後輩たちが開いてくれた謝恩会は、差し迫ったものとはいえなかったが、こんどのあいつぐ二人の行動は違った感情がこもっていた。

私が死んでもこの人たちのこころの隅には、いつまでも私は生き続けるのであろうと思うと、無限の生命を感ぜずには居られない。子や孫そしてこの人たち、私の生命を維持し続けてくれることを思うと、たまらなく愉快である。

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2009年6月12日 (金)

老人の悪戦苦闘

昨日午前11時内藤内科で心臓のエコー検査、結果は悪い所はないとのこと。
即死の可能性は遠のいたかな。

心臓がよくても依然食欲はない。朝昼お粥で済まし,夜はとうとうビールみたいなものを家内と分け呑み,飯は食わず。

昼スーパーでポストを買って来て、門柱の上に取り付け始める。コンクリートだから穴あけが大変。4穴掘って後は明日に回す。
今あるポストは雨漏りがひどくて,新聞などが濡れてしまって渇かすのが大変なので、雨の入りそうにない奴を買った訳。
絶対とはいえないようだが、少しましな奴を。
これだけのことでへとへとになる。何をやっても疲れがひどい。

今朝早速昨日のつづきにとりかかる。外はかんかん照り。
古い接着剤は新品のままなのに、もう固まっていて役に立たない。仕方なく10時の開店を待って買いに行く。
帰宅したら、もう昼で仕事にならない。
暑さを避けるため昼寝をしたりしているともう夕方だ。老人の仕事はまるで銭にはならない。

仕事ついでに門灯も付け直すことにする。臨機応変。しかし何時終わることになるか,判断出来ない。

午後半ばになってやっと作業は終わる。接着剤が固化するのは明日いっぱいはかかるだろう。
完全終了は結局明日の夕方というわけ。

夕方雲深くなり天気変わるやも知れず。雨の影響がなければよいが。

食欲相変わらずなし。お粥で済ます。まあ何も食わないよりはいいだろう。

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2009年6月14日 (日)

厄介者

門灯の配線の継ぎ手のねじ締めが残っていたので、やろうとして道具を運ぶ途中、先般整枝したつつじの枝で手の甲を1cm角に引っ掻かれて皮が剥けてしまう。仕事どころかそちらの手あてが大ごとである。
老人はなにもするなということか、つつじまで通せんぼする。

血だけは派手にほとばしる。心臓はまだまだ確かである。
とにもかくにも3日間に渡る門柱周りの私の仕事がやっと鳧をつける。高くつくなあ。

家内は私が毎日お粥ばかりの食事が続くので、うめぼしがもう無くなったから買ってこなければという。
他のものは何も食わないから、料理の仕様がないとぶつぶついう。
いろいろ迷惑をかけるなあ。やっぱり俺は邪魔な人間だ。

近くのスーパーに行く。日曜日だから普段よりは少し多い。
紀州梅の大きな瓶入りを買う。
後は家内の選択に任せる。
手が痛いから荷は大きくない方がよい。

日本郵政のごたごたは結局事件当時者が居座って,管轄大臣が辞職した。門外漢には何のことか分からない。
国営だろうと民営だろうと郵政族の団結はやはり凄い。

午後5時雷鳴一声とともにぽつぽつと降り始める。

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2009年6月15日 (月)

元気な妹

朝相変わらず霞が深い。島影は殆ど見えない。気温20度。梅雨らしくはない。
左手が使えないので顔も洗うことが出来ない。

近頃健忘症か認知症か、身近いことでも思い出せなくなって来た。この調子ではちかぢかこのブロッグも終わりだなと感じている。記憶がなくなったら、物書きは手足がないと同じである。
乏しい記憶力で砂上楼閣を築いて来たつもりだが、もうそれも夢の又夢となりそうである。
太閤さんは六十何歳でその心境に達したというが、それに比べれば随分ましな話だからよしとしなければなるまい。
ちょっと桁の違う話で比較にはならないが。

鞠子が東京の子や孫に米寿の祝いをしてもらった由。祝福したい。
尾瀬ケ原を歩いてみたいと長年言ってたが,陽子が反対して日光に連れて行ったとか。
元気に任せて好きなこといってるが、米寿では尾瀬を歩き通すことはやはり無理だろう。日光、中禅寺湖あたりを歩き回るのが手頃で悪くなかったと思う。

気息奄々やっと生きている私にくらべ、まだ帰って来て百姓をやるという。どんな身体をしとるんな、お前は。

お粥のせいかだんだん体調が戻って来た。見るのも嫌だったご飯が、別になんでもなくなってきた。
そのうち平常にもどるだろう。

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2009年6月17日 (水)

慕われることの喜び

今朝も霞空、日射しはあるが遠慮気味に地上に届いている。もう夏だぞといった気負いは感ぜられない。
今朝は19度だったが、昼過ぎには30度近くなるかもしれない。

家内が今朝は元気を取り戻す。昨日は37.4度の微熱があったから、インフルかなと心配したが,咳などはなく気分が悪かっただけらしいから、私が心配をかけたせいかもしれない。

私のむかむかする感じは薄れたが、食欲はやはりない。身体を動かさないのだからと家内が言うが,自分でもその通りだと思わない訳ではない。生来怠け者だから目的なしに動き回ることは苦手なのである。

5、6歳の頃から、ちっとは外に出てみろと,母親に追い立てられるようにして、仕方なく近所の年頃の子供と遊んだが、これも向こうが誘いに来たから出かけるので,全く消極的なものだった気がする。
それでも10歳頃には結構ガキ大将にはなったが。

私の性格を変えたのは一にも二にも軍隊であることは間違いない。しかし一時的なものだったらしく戦争が終わるとだんだん元の木阿弥になってしまった。
おとなしく目立たない小動物のような人間それが本来の私である。だから、こそこそと這い回るようなことが好きである。自分ではいじらしいと思っているのだが,世の中ではあまり通用しない。
もちろん社会で重宝がられることはない。ときどき軍隊時代の癖が出て、身の程知らぬことに気張って手を出し手痛い失敗を繰り返したりして来た。一種のとんまな道化師といえなくもない、波乱な人生を演じて90年も永らえた、

それでも人によっては取り柄があったのか、林君、林田さんのごとく、何十年も経って思慕の情を寄せ、実際に行動を起こして訪ねて来る人があったことは、驚きであり,無上に楽しいことであった。人生の厚みをつくづく感ずる。

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2009年6月18日 (木)

風前の灯火か、麻生内閣

前日と同じく沖は霞んで島影一つ見えない。
気温19度と手頃な天気。風が心地よい。

へまばかりと映る麻生内閣、どうやら国民は選挙前から見放したようである。
鳩山兄の声が一段と大きく感ぜられる昨今だが、さてこの人に任したらうまく行くかなと心配の種は麻生以上に大きい。
4年の任期の間に消費税は絶対に上げないなどとくちばしっては、常識はずれで却って眉唾といわざるをえない。
まあ、官僚政治を打破することには賛成だが、富士山みたいな明治以来の不動の組織にたいして、蟷螂の斧みたいにならねばよいが。

麻生がやった、定額給付金にしても官僚は殊更に手続きを面倒にして,即効性をなくし、無益なものにしてしまった。
年金問題なども,一年経っても進展なく、うやむやになりそうである。
日本郵政なんかも、官僚よりもっと頑固なかたまりになりかけて、鳩山も手を焼くのではと広言なんか跳ね返されそうで心配になる。

先日の新聞で見たのだが,岩国民間航空を国の費用で開設するとか。基地反対ののろしを押さえるために政府が先に手を打って来た感じである。市長を含めて市民がもう少し賢く振る舞えば、基地問題を逆手に取って市の発展に役立つ方法が沢山成り立つ筈である。度胸のある政治家が欲しいところだ。
岩国は中国地方きっての空港最適地とかねてから私は思っている。単なる旅行客のためでなく、これからの産業振興に最適の地とすら感じている。

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2009年6月19日 (金)

我が中学同窓会

家内は記念病院に出かける。ここの薬が効果があるらしい。
正午には帰宅する。薬が継続されるのだが,強すぎるのではと心配げである。

昨日は菊谷君に電話して、25日の同窓会出席を通知する。胆石の手術は大丈夫かと聞くと、あんなもの痛くもなんでもないのだから大丈夫よとこともなげに言う。腹を切ったのではないかというと、胃カメラみたいな管を入れて、石を電波で砕くのよと言う。大丈夫だから安心して来いと例の大きな声でどなる。

もう10年以上も同窓会を取り仕切ってくれてる、闊達な幹事である。一時は数人も居た幹事が今はかれ一人を残して皆死んだ。
だから彼が5月に入院するから同窓会は延期するといって来た時には、もうこれで最後かと思っていたのに、一月の間に又やるといい戻して来るのだから恐れいる。

いつも彼の音頭に始まって,宴会中も一時の休みもなく彼の声が響き渡る。そしてしめくくりも彼のどら声で,来年も今日、ここでやるぞと宣言する。来年は卒寿だから皆来いよと付け足すだろう。

お寺の和尚だから説教はうまい。身振り手振りもあざやかである。
そもそもあの男が入院するということ事態がおかしかった。ちょっと医者に行って来たというところだったのだろう。

一番長生きするのはもう間違いないな。
(写真左は今は無き母校の門柱と大銀杏,右は毎日通学に利用した錦帯橋)

Boko
09kintaikyo

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2009年6月20日 (土)

雨よふれふれ

朝の気温22度,まあまあの天気だが雲が深く大陽はみえない。
風が通るので家の中は涼しくて過ごし良い。
上下一枚づつの下着で,部屋の中はそれでよい。

夏になると窓を開け広げるので、毎日かけっ放しにしているCDやDVDの音楽が近所迷惑になっては居ないかと、音量調節が気になる。昼中は構わずにやってるのだが、夜が問題だ。
最近は深夜はイヤーフォンにした。マックのiPod Touchのイヤーフォンを使っているのだが、音質が頗るいい。
もうこの音に惚れ込んでいる。雑音が一切ない。素晴しい音である。

雨になるかもしれないと思ったが夕方になっても曇り空は変わらない。
渇水の危機は去りそうにない。

家内も私も体調は回復したみたいなのだが、こんなにどんどん暑くなるともつかなとやはり心配だ。食欲もすっかり良くなったとは言いきれないので。

午後7時やっと雨が降り始める。元気なく降ってるので振り方が心配だが、ともかく降ってくれと祈る。

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2009年6月22日 (月)

これぞ梅雨

朝6時半、気温23度、今止んでるが降ったり止んだりしていつまた降り出すか分からない。
県北では一時間に50ミリも降るとラジオがいっている。
この分なら水危機はまぬがれるかな。
午前中かなり降ったが、午後には上がる。
そのうち青空もみえて来る。

家内が東京の娘に電話する。皆元気らしい。
年末に私ら夫婦にオペラ「トスカ」への招待を計画しているらしい。JRが無理なら飛行機で来いという。
いけるかなあとやはり不安である。
夏休みには孫たちが来てくれるのだろうから、さしあたりはそちらが一番楽しみである。

家内のリウマチは記念病院のつよい薬で痛みは完全にとれているそうだが、何時再発するかわからない。
わたしの乾癬もかゆみがとれて、現状は全く問題ない。
行けると返事をするには絶好のチャンスだが、年末となるとまたどう変化するか誰にもわからない。
生かしてもらえるかどうかは神様しか知らないことだから。

雨は結局終日降ったり止んだりで明日まで続きそうだ。なにしろ梅雨真っ最中だからな。
時に風が出て降り込んだりするから油断がならない。

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2009年6月23日 (火)

易俗河

雨は昨日でおしまいの模様.気温23度、朝から暑い日射し。
銀行に行って来る。客少なく楽。

今朝は下痢、原因不明。お粥のせいか軟便が続いていたが、とうとう本格的な下痢となった。
どうも元気が出ない。暇があればベッドイン。家内がどうしたかと心配して医者に行けという。
医者で待たされるのもいやだし、医者もお粥を食って下痢というのは困るだろう。
今日はやめとく。明日は広島総合病院に行く日だし。

ここのところ何かをする意欲が極端に低下したことに気づく。
”足を上げ前へ進め”が始まったのかもしれない。

昨日は横浜の松田尚樹さんというひとから、叔父さんが亡くなった”易俗河”のことが知りたいとメールが入っていた。
私の戦争中かすかに記憶に残っているバトルポイントである。
その瞬間は必死で対応したことだろうが、今は甘くこころの隅に何事もなげに浮かんでいるに過ぎない。よくぞ聞いてくれた、思い出したよというところだ。

それにしても”易俗河”の一文字だけをたよりに、私を探し当てるとは、このインターネット検索はどうなってるんだ。
私すら忘れかけている、数年前の投稿文「広東橋日記」の中の文中の一文字に過ぎないのに。

ついでにこちらが驚いたことを書けば、松田さんはgoogle-earthで調べたら、長沙南方の湘江の中州に見えたという。
戦争中重要な渡河点だったから、河の岸辺にあったのは間違いないが、濁流滔々たる河幅1km以上もある大河で、中州など存在しなかったが、60年も経つと地形も変わるだろうから、真偽の程なんとも言いようがない。
私も調べたことがあるが、大きな橋が何本も架かっているし、様相は一変していた。長沙そのものが今は1千万都市らしいから。

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2009年6月24日 (水)

医者通い

少し気になるのか5時前に目覚める。起き辛くて、30分寝床でうとうとする。
iPod Touch の性能がアップしたので、ためしにいじくる。ネット関係はやはり早くて便利。
iPhoneと違ってどこでも使えるというわけには行かないので、ネットは宝の持ち腐れだ。

気温22度、雨はもう上がったらしい。

病院はやはり一番乗り、駐車場も一番出口寄り。
今日から担当の先生が変わった.珍しく女医さんである。やはりやさしく当たりがまるで違う。こちらが戸惑う程。
お名前が亀頭といわれる。心根が卑しいのか知らんが、老人には女先生を呼ぶのがちょっと気恥ずかしい。
丁度病状がよくなっていたので、軽く診察が済む。

昨日ブログを書くとき、目が霞んで見辛く困ったが、今はなんともない。目ももう駄目かなと思ったが不思議である。
運転にも差し支えはなかった。いろいろあるなあ。

秋のような風が吹き渡って涼しく過ごし良い。昼寝にはなんとももったいないくらい。
朝5時の早起きはよかったが、昼寝が前後5時間、何のことか分からない。

今日やっと昼にご飯をいただく。のどをスムースに通って何ともない。どうにか食も欲も普段にかえったらしい。
下痢もしないし、どうなったんだと自分がおかしい。
家内がいうように精神的なものかもしれない。

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2009年6月25日 (木)

岩中同窓会

岩国観光ホテルで開催される中学校の同窓会に出席する。午前10時過ぎに家を出たから、到着は一番早く、揃うには4、50分待たされる。主催者は最後になってのこのこ現れる。

相変わらず昔話がなつかしい。常連も逐次減って行く。今回は常連ばかり6人。
米国帰りの野村が93歳、他は皆90歳前後.野村だけは車いすで移動という状態。口は皆元気である。
今回は戦場体験話が多かった。今田君がニューギニア戦線のワープロ編集の冊子を読んでくれと、私と川上にくれることになる。
ラバウルで終戦を迎えた川上、シンガポールで迎えた今田ともに戦塵を直接浴びた彼らの思いは並みのものではない。

何時まで話してもなかなか話題がつきず、明日がないとの思いも従来よりまして切実、とうとうえんえん5時間近くに及ぶ。
一番先に失礼した私でも、帰宅したのは丁度午後5時,市役所のチャイムがちょうど鳴り始めた。

来年もやろうと菊谷の音頭だったが,今田がさっそくもう無理だとクレイム、うやむやのうちに立ち上がる。
果たして来年はどうなるか、神様だけしか知らないことだ。
元気だった東京の保田が死んだし,常連の若重も、山崎も身体不自由でもう来れない。減るばかりである。

女中の話では先日97歳の日野原先生がこのホテルのロビーで講演された。まだ3年先を目指しているといわれた由。皆さんも元気を出しなさいとハッパをかける。

口で言うは容易いが、なんだか真底までつかれたかんじだ。半分ごめん蒙りたい。

今日の松田さんのメールに添付書類として易俗河の兵站病院の行動履歴が載せられている。
浅川という私の部下を入院させた病院に違いはないだろうが、この開設日程などを見ていると,開設されて間もない時だったらしい。電話もない時代だが,軍広報で部隊本部にいる軍医には通報があったかして、病院の開設を知ってたのだろう。それで私に勧めたのかもしれない。

軍隊では一地に駐留しているときは、傷病者をその部隊で看護治療することは許されるが,一旦行動を開始すれば,傷病兵は皆後方に下げられるのが通例で,つれて行くことはない。

自動車部隊でも、兵糧弾薬燃料,必要兵員は載せて行くが,傷病兵を乗せ得る場所はない。衛生兵(看護兵)付き添いのもと後方の兵站病院、野戦病院に輸送する.死生は当該病院任せである。戦争はしかく非情である。
仮に余剰の場所がトラックの背にあったとしても、落伍者や死傷者を車に積み始めたら,部隊の作戦行動は収拾つかなくなるので,固く禁じられていた。

私の部隊は東京近辺出身の兵隊がほとんどで、凄く人慣れした親切な人間が多く、ときどき上官の目をかすめて落後兵を乗せてやったりしていた。班長に見つかってよく鉄拳制裁を食らっていたものである。もっとも行動を始めたばかりの気合いの載ってる時だけで、そのうち誰もやらなくなるのだが。

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2009年6月26日 (金)

日除けの朝顔棚

朝6時、気温19.5度。ちょっとぶるぶる。昼中には30度をこえるという。
昨日は疲れたなと思っていたが、夕食は全然食わずに早寝したのが効いたのか、今朝は元気である。
同窓会の料理がよかった。最後のユバご飯、イチジクの天ぷらはおいしかったな。
幹事のキクがホテルの社長夫妻に注文をつけたのがよかったとか。
老人は沢山は食えないのだから、おいしいもの、いいものを少しづつ出せばいいとかねがね言ってたらしい。
いつも通り一人でノンアルコールを呑む、腹はもう3分目ぐらいでいいな。

松田さんのメールを終わりまで読んでみると,東広島に10年前住んでいたらしい。大学時代とも書いてあるが、広島大学にでも遊学したのかな。それにしても妙な因縁だな。今は広島市の東西両隣の間柄である。今は私の孫娘も一家で酒蔵の町の近辺のマンションの一室を借りて暮らしている。車なら1時間もかからない現在の近さ。
えらく遠くからのメールだなと始めは思ったものだが、そうでもなかった。

今朝の新聞で自民党の三役交代とか,内閣一部改造とかつたえている。この期に及んでなにをばたばたと思わぬでもない。
肩書きがなによりの選挙資産だからの措置だろうと意地悪く疑ったりする。解散をちらつかせながら結局寿命の尽きるのを待つ腹か。

昼近くなった今も沖合は霞んで宮島さえおぼろにも見えない。天気は良さそうだが日射しも淡い。
風があって部屋の中はまだすずしい。

午後セルフサービスのガソリンスタンドに行き給油したり、牛乳など不足している食べ物を買って帰る。
長年行き馴れたスタンドはもうとっくに無くなり,近くにはもうない。ままならぬことだ。

帰るとまた一休みである。
霞は終日晴れない。

夕方家内の命令で、べランダの手すりに向けて朝顔の網を張る。両方の支柱は古い物干竿である。
うまく出来る、しかし私は汗グッショリ。すぐシャワーを浴びる。
後片付けは家内の役目、よくやるなあ。

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2009年6月28日 (日)

私の戦争の意義

気温23度、宮島はうすぼんやり,最近ははっきり見える日が少なくなりつある。
季節変化以上の変化が深刻に見え始めた昨今である。もう往古に返ることはあるまい。
子供の頃は四国の山々が見えていたのに。
山登りの最大の楽しみは失われつつあるのではと疑う。

雲は多いが,青空が覗き,日射しが強い。今日も暑い日になりそうだ。

年なりの健康だが,ここ数日悪くない。食もまあまあ進む。
同窓会の刺激が役立ったのかもしれない。

今日も松田さんがメールを書いて来ている。熱心である。
いろいろ聞かれるうちにだんだん当時のことが思い出されたりする。
作戦部隊の編制まで問うて来る。よく調べていてたじたじである。
こちらはわしの部隊は31大隊だったか、32大隊だったかなと思ったりするのに。
昔書いたのをひっぱりだしたりする。
ともかくも汗かきながら返事をしたためる。

大陸での肉弾戦はともかくも勝ち続け,弱い軍隊ではなかった。しかし米軍の戦術ははるか上を行っていた。
科学戦に持ち込まれた。遥かに日本は劣っていた。全く抗すべくもなかった。
そして一世紀たたんとして、未だに戦力は米国が世界に一頭地を抜いている。

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2009年6月29日 (月)

ノーベル賞と直観力

ふと目覚める。やけに暑い。午前4時35分、デジタル寒暖計を見ると気温29.9度.湿度50%となっている。
窓を開け広げる。風はそよともない。
突如!ざーっとベランダを叩く音。驟雨、4時45分。
又一寝入りして起きる。静かに雨は降り続いている。
夕方になって雨ますます強く、この分ではこの付近の渇水をある程度満たすのではとうれしくなる。
予報では明日もまだ続くというから、一挙にダムを満杯にしてほしい。

ベランダの雨水が溢れ気味なので、傘をさしながら排水溝のごみをとりのける。
茅屋にも思いがけない仕事が待ち受けていて、うかうか喜んでばかりは居れないようだ。

今日の産経webのオピニオン欄の中にノーベル賞を受賞した人々の「高い創造力は論理や実験の延長線上にはなく、直観にによるものとし、直観力を養うのは知の基盤である教養の深さであり、それは幼少年期の読書量が培う」と指摘したと書いてある。

90年にならんとする生涯において、沢山の自己の事蹟がどんどんと記憶の外に流れ出ているのを感じながらも、基本的な部分はなぜだか小中学生時代に習得した記憶だけが残り続けているのを感ずる。
単なる記憶でなくて、本能的なものに変化しているのかもしれない。

先のオピニオンに指摘した直観力こそがその本能化した記憶ではなかろうか。

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2009年6月30日 (火)

素人時評

昨夜は蒸し暑く寝苦しい夜だった。お蔭で体調がしゃんとしない。降ったり止んだり今朝まで続いている。
食欲もない。朝食は半分にとどめる。午前中休んでなんとか調子が戻る。
午前中ほとんど雨はやんでたが、午後になると又降り始める。
家内は雨の中を買い物に行く。

驚く程良く降る。
さっきまでは喜んでいたのだが、これだけ勢い良く降ってくれると、気圧されてこんどは気持ちが落ち込んで来る。
とうとう暗くなるまで降り続く。
気温はお蔭で23度までしか上がらない。

月末だから何かしめくくりにと思うけど書きたいものが浮かばない。
珍しく2日つづきで激しく降ったりする雨に圧迫された感じでこころまで沈潜化する。
絵にも音にもならない。

麻生内閣もここにきて打つ手がないらしい。
いさぎよく投げ出せばと思うのだが、外野席がうるさくて決心がつき難いらしい。
そこへ行くとじいさんの吉田茂はえらかったぞ。みならえばいい。
やはり、二世三世はひよわいようだ。

党員の頑張り次第だけど、自民、民主引き分けといきそうだな。
政局の混迷はますます深くなる。
日本国危うしとなりそうだ。

くだらぬ素人時評を載せておく。

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