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2009年5月 1日 (金)

死の順番

朝の気温12度、高曇りの空から強い光芒が降り注ぐ。
大陽もうんと高度が上がって、もう真上から照りつけてる感じすらする。

豚インフルが危険度を更に上げて5になったという。
アメリカで乳児が一人死んだが,メキシコ以外には死者は少ないようだ。
なんでも大騒ぎしたいのがジャーナリズムの常で、かってのスペイン風邪のように何千万などというのは例外だが,何百人で全世界がこぞるというのは行き過ぎだろう。
年寄りが大いに死んでくれると助かるのだが,年寄りはやみくもに出歩かないから駄目だなあ。
世の中あんがいうまく出来ていないもんだ。

高速道千円の効果は何割増ぐらいで済んでるが、このGWがやはり正念場だろう。
もう事故も玉突き事故というのが近くで起きているそうだが、事故を起こしてはなんにもならない。
急がずとも早く行けるのが高速道だ。
私もうずうずしているのだが、腕を撫すだけで皆がすましたあとでとのんびり構えているところ。
最近は一番安全なのは高速道と思っているから,普通道路は近くのスーパーに行くぐらいでほとんど利用していない。いわゆる走るのは高速道路だけだ。最低でも50キロというのがよい。

昨日は植物園に車で行ったが、これは糞詰まりの道をそろそろ動いただけで,走ったうちにははいらない。

午後3時気温は25度を超えている。窓を開けてあるから適当に涼しい風が吹き込みいいあんばいである。5月になったし老人には住み辛いことは何もない。
なんとはなしにありがとうございますと,天に向かってお礼を言上したくなる。

家内も昼日中に髪を洗っている。暖かいからこそ出来る芸だろう。

昨日は菊谷君が同窓会延期をいってくる。胆石で入院手術したからという。
元気そうでも油断は出来ない。だんだんこうしたことが起きて来る。先般退院した土田君の予後は大丈夫かしら、みいちゃんとこのしょうちゃんのガンの結果はどうなったのかしらと次々起る病気の話も、長生きしたから心配させられる話、順番通りはやくおさらばしないといけないなあ。

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2009年5月 2日 (土)

交通ラッシュ

霧深く、天候ははっきりしない.気温13度。風はない。
予報では明日から悪くなるとのことだが。
GWはまさに佳境、交通機関、高速道路みな大変だ。渋滞20キロ、30キロはザラで、50キロというのがあったな。

庭の夏みかんなどみかん類は沢山つぼみがついた,日に日にふくらんでいる。
ところがグミは葉はよく茂っているが、つぼみ一つ見えない。植物園のグミは花盛りだったのに。
植物のことはよくわからない。
石楠花は家内がいつの間にか花を取りのけてしまっている。その方が木のためになるという。

庭先と言えど外に出ることは滅多にない私だが、こう陽気が良くては出ずにはおられない。
松は剪定がききすぎて関間だらけになり、日よけにもならないと家内がこぼしている。
自分がシルバーにさせたことだから、苦情はお門違いなのだが。

マツダ球場は今日も大入り、カープも頑張って9-2とヤクルトに圧勝、今期初めての対ヤクルト1勝をものにする。
球場の評判もアメリカ大リーグ並みとの評判もあってよさそう。老骨にむち打って死ぬまでに一度訪問申し上げたいものだ。

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2009年5月 3日 (日)

憲法記念日即結婚記念日

霧と灰色の空、毎日変わらない。朝6時40分気温15度。春たけなわだ。いやもう晩春か。日本にはいろいろ季節の言葉が多い。
今年などは2月の中頃から始まって今月いっぱい春が続くのか。長い春、やはり温暖化の影響。

朝食のとき家内が「今日が59回目の記念日よね」とぽそっとつぶやく。
そうか憲法記念日が制定されてすぐの翌々年に、我々の結婚記念日にもなった。
生涯の記念日にふさわしいからとこの日に結婚した。今頃のような仰々しいものでなく,我が茅屋に嫁として入って来ただけの、台所の隣の三畳の間でささやかに杯を交わした。披露宴も六畳の間で親族双方4、5人づつの配給食だけのまことに質素なものだった。神前でも仏前でもない。
誓うものは何もない。新婚旅行も何もない。それでも59年続いた。

もし来年の今日生きていれば,正に60年になる。素直に喜んでいいのだろうか。

終戦の前日、B29の大編隊が我が家を含む一帯に五百キロ爆弾をもういらないよとばかりゴミを捨てるようにして落として立ち去った。
壊滅した家の廃材を継ぎ合わせて,母親が一人でバラックを建て、一年経って戦地から帰還した私が転がり込んだ。
4年後気の進まぬ私に半ば強引に母は嫁を押し付けた。
思っても見なかったといっていいのでは。感慨も何も語るすべはない。

そして今日まで生々流転を重ねながら延々59年続いた。
(写真は今はなき我等の結婚式場になったバラックの家)
My_old_house

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2009年5月 5日 (火)

故郷のうた

時々雨がぱらつく。気温も15度くらいから,正午には26度になる。正に初夏の気候。
家の中に居ても,外に出ても実に過ごし良い。
やはり年中一番いい季節と言っていいようだ。

連休を利用して,郷里に帰る人が圧倒的に多い。今日あたりは逆ラッシュだ。
高速道千円が拍車をかけた。

テレビでふるさとの歌をやっている。
”いかにおわす父母”という言葉が流れる。はてなそんな歌詞があったかなと思い返す。
検索してWikipediaをみると、歌詞と音色が流れ出す。
>>兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷<<

ウサギを追ったことはないが,小鮒はバケツで追っかけた。
”志を果たして,何時の日にか帰らん”とは思いもよらなかった。敗戦と放浪の苦難の時間が長く続いた。
生きて行くのがやっとだった。

それでもこの歌を聴くと、ああ昔はよかったと、幼少の頃を思わずにはいられない。
父は出征前に死に、母は戦後の辛酸をともに舐め尽くした。もう今となっては友がきもほとんどいない。
それでも山水は青く清く残っていて、たゆみがない。

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2009年5月 6日 (水)

死の予兆

雨は上がっているが,霧が立ちこめて、島影は定かにない。気温16度。
昨夜AVOXでDVDのアメリカ映画”依頼人”というのを見ていると突然胸が痛くなる。例の狭心症の発作かもしれない。しばらくじっとしている。5、6分で治まる。

心臓の薬は呑み続けているのだが、効果がなくなって来るのかもしれない。

昼前からスーパーに出かける。鍬の柄が折れたので,柄だけ買い求める。
帰宅してから付け替えて試しうちをする。南天の切り株を除去してみる。随分固く難儀したがなんとか除去出来る。
小さい庭でも長柄の桑ぐらいは必要である。

大いに疲れて2時間ぐらい眠る。

昨日は婿らが松などを綺麗にしてくれたし、つつじも花は少ないが葉ぞろいがうつくしい。
家内がトマトを今日3株買って来たので、それも庭の一角に育てるつもりらしい。賑やかなことである。

菊谷君が同窓会の延期を言って来たり,坂口君はさざん会のことを未だにうんともすんともいわないし、何となく身辺寒々として,死の予兆らしきものが漂うこの頃である。
今朝のように突然胸が痛んだりすると、いよいよ来たかと観念しても仕方がない。
心と身体はやはり別物なんだなと思うが,その通りだろう。

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2009年5月 7日 (木)

小さな冒険

別に大した用事があるわけではないが、先般の鹿児島行きの写真などもあるし,岩国へ行こうと家内がいうので出かけることにする。
10時過ぎ家を出る。高速に入ったが今日はまるで閑古鳥。なんのことなく岩国へ、まず吉香公園に入り,広い公園を歩き回る。新芽が吹き出して、黄緑の大木のすばらしいこと。松など針葉樹の殆どない公園だから,今の季節が一番賑々しい。
桜が散っても、背景の城山といい、特異な樹木で覆われた公園は全国でも少ないのではなかろうか。

いつも行くレストランで食事を済ませ、いもうとの家を訪ねることにする。
家内が最近出来た岩国道路の八幡下の橋を渡ってみたいと言うので、平田まで行き、入り口と思える交差点からこの道路に入る。沢山の分かれ道があるので分からないまま入って西岩国駅の前に出る。早すぎたのでもう一度前のところまで引き返し、次の交差点まで行く。こんどは無事おぼえのある楠の下を通り抜けて橋を渡ることが出来た。

妹のうちへ着いたがあいにく留守、しかたがないのでもう一人の妹カッちゃんに電話する。うちにおいでよといわれる。

車を回して彼女のうちにゆく。私は2度目だが、大きな立派なうちだ。昔私が幼年時代村長さんだった人の土地の一部を買って建てたのだそうだ。
今日留守だった妹の舅さんは確かその村長時代収入役をしていた筈だ。妙な因縁だなと驚く。

丁度長男の新太郎君が東京から帰っていて挨拶する。立派な青年だ。早く嫁を貰えよと家内が口に出す。
1時間ぐらいおしゃべりして、写真を渡した後そうそうに引き上げる。
帰りも高速道はがらがら。すいすいと帰宅。料金もまだ3割引だった。

馴れない冒険をしたせいか凄く疲れる。3時頃帰宅して一度ちょっと起きたが6時までぐっすり眠る。

Img_1351
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2009年5月 9日 (土)

空港の便

朝6時気温14度、相変わらず霞のかかった空だが、青空も覗き天気はよさそうだ。
昨夜は早くから寝床に入ったので、今朝は何となく早起きになる。
天気が良いと空気もすがすがしい。窓を開けると冷気が更に心地よい。

今日の新聞の小さな記事だけど、何年前か被害にあったから忘れられないのだが、広島空港の濃霧対策の着陸誘導装置が性能アップしたらしい。満州へ旅行した帰りに、着陸出来ないで関西空港まで行って、3時間待機させられたことがあるあの時は行きも長春まで2時間雨で遅れた。もともとあんな山の中に作ったりして、霧のことはしろうとの私でも分かっていた。年間75便も欠航していたという。航空便には故障はつきものだから、やかましく言うものは居ない。
3時間空港の端でじーっとしたまま、ちょっと休憩に下ろすこともしない。大連からの2時間と併せて5時間だからたまらなかった。
こんどは幾分でもよくなるのだろう。

岩国空港の併用が望ましいね。昔から天候の良さには定評のある地域だから、霧で関西まで飛んで行くなど考えられない。早く民間空港にもして欲しい。
愛宕山をつぶして、もう一本滑走路をつければよい。政府に反対ばかりしないで、逆に振り回すぐらいの辣腕政治家はいないものか。

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2009年5月10日 (日)

日記を書物にする

昨年、一昨年の日記の印刷をする。パソコンに保存したままの方が検索が楽だし、使い勝手は問題なくよいのだが、本を読むようにめくり読みする面白みはない。また何となく日記帳という感覚は書物にしないとだめである。
だからパソコンで日記を書き始めた分も一応皆プリント・アウトして、書棚に並んでいる。
ただ思った程開いて読んだ記憶はない。その点では無駄働きに近い。
ただ、親族の誰かが、私に興味を持って読んでくれる分には一番都合がよさそうだ。

必要を感じてなかったから2年分溜まっていた。今朝まで気がつかなかった。
朝8時から初めて、本にするまで3時間かかった。最近はブロッグも日記の書き写しがほとんどなので、量が膨大になった。日記というより下らぬ創作めいたものが入るからだ。

私の場合日記は必要なことを記録して残すという主目的があった。だから感想などはときどき書き込むといったていどだった。ブロッグにするにはそれでは人に読んでもらえない。そこが違っている。何倍も長くなる。
時にあほらしくなったりする。
だが勢いに任せて書いていると、結構面白くなってやめられなくなってしまった。

本にしてみると随分厚い。ずっしり重い。A4版でノギス(我が家にはこういう道具もある)で計ると、昨年のは厚さ30ミリ、一昨年のは21ミリある。
ページ数は数えられないほどというのが正しい。いろいろなテキストを使っているから、文字の大きさも行幅もまちまちだし、写真も沢山入っているし、一律に何頁というのは却っておかしい。
思いつきで気に入ったテキストを使ったりするのでこんなことになってしまった。

家内は今朝から赤十字募金の集金に班内を歩き始める。午後3時のおやつの時間には後1軒を残して全部終わったという。手早いのにおどろく。あっぱれなもんだ。
世間話も随分仕入れて来て聞かせてもらう。なんだか近所のことがよくわかった気がして来る。
こういう智恵は男にはないな。

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2009年5月11日 (月)

鳥の社会も国際化

今日は予報では雨だったのではと思うが、実は朝からいい天気である。ただ霞は相変わらず深いが。
気温は朝7時には16度と暖かいを通り越している。

食後しばらく又寝転んでうとうとする。いくらでも眠れそうな感じ。恐らく体力の衰えからくるものだろう。
一枚一枚着るものをはがして、今は襦袢とシャツの2枚である。楽になったなあ。
街に出ると半袖の人も多いが、私にはまだ無理だ。

豚インフルから始まって、いつのまにか新型インフルに紙面が変わって来た新聞だが、とうとう日本にもやってきて4人目という。世界中では30ヶ国4391人確認と出ている。戦争のような騒ぎである。

うっかりしてたが、もう暦の上では夏になっているらしい。道理で昨日は33度を超えた所があちこちあったようだ。
うちから丁度20キロ真北の加計では33度になったとある。山あいだから熱がこもったのであろう。

雀の声がしきりに聞こえる。最近あまり聞かなくなったと思っていたが、今日は沢山集まってチュチュッと甲高くさわがしい。何事か起きたのかもしれない。最近はでんじゃくなど渡り鳥や大形種に気圧されて、姿を見ることがうんと減ってたが。
烏と雀は在来種の双璧でもっとも馴染み深い鳥だが、人類の国際化に伴って鳥の社会も国際化が著しいのだろう。
そういえば、烏の姿もここの所あまり見ない。山にえさが多い時期だけにそちらでのんびり暮らしているのだろうか。

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2009年5月12日 (火)

小沢また辞意

空の具合といい、気温といい昨日と全く同じ。真上から西空に向かっては紺碧の空。雨の気配は全くない。
この近所には鯉のぼりを建てているうちは1軒も見えないが、この紺青の空に向かって鯉の数匹も泳がせたい気持ちである。

小沢一郎が民主党首を辞任するという。オオカミ少年みたいに何度もやると、皆眉につばをつけて聞くから反応は無いに等しい。これで民主党の勢いはがた落ちだなあ。
やはりリーダーは清新溌剌でなければだめだ。薄汚れた若年寄みたいなのは現代向きではない。
ふさわしいのがいくらでもいるではないか、捲土重来を期してもらいたい。
国民の大多数は自民政治に飽き飽きしている。後一押しだ。

プーチンがやってきた。期待値ゼロ。何をしに来たかよくわからない。シベリヤ抑留のお詫びでもして行け。

昼前から外食をかねて買い物に広電楽々園にゆく。
本屋に行き、周平の文庫本2冊を買い求める。先に池波正太郎の真田太平記を1巻買って読んだが面白くないので続きをやめて、周平にした。

午後3時雲が深くなる。焼け付くような初夏の日射しも閉ざされる。
風も適当にあって涼しく気持ちよい。

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2009年5月14日 (木)

馬、牛が好き

昼テレビを見ていると、北海道の牧場風景が出て来る。
子馬が三十何頭も生まれたといって、親子の草を食む光景が映し出される。

ふっと若き日に思いがすべる。軍隊に居たとき、見習士官になって3ヶ月もした頃、乗馬教育を受けさせられたあげく輓馬部隊に2ヶ月ばかり転属させられたことがあった。
自動車と全く勝手が違うので随分戸惑ったものだが、信越出身の兵員の部隊だったから、非常に親切に人間的な接触をもたれたので、懐かしく思い出される部隊生活だった。

こちらは小隊長として、ただ乗せてもらうだけの役割で、馬の身体を拭いたり、掃除したりするのでないから、申し訳ない程楽な身分だった。可愛いポニーにまたがって揺れ動くだけの毎日だった。
当然気持ちまで優しくなって馬とたわむれた。

自動車部隊では鉄拳制裁が乱れ飛ぶ毎日だったから、兵隊同士の関係もぎすぎすしていたが、この隊ではそんな空気は皆無だった。兵隊同士の間に沢山の支那馬が介在していた。人馬の間には暴力はまるで無縁のものだった。
馬格も牧場の子馬に近かったから、一見可愛さが先に立つぐらいで、毎日の接触は楽しいものであった。

森林伐採の演習最中に軍司令部命令で又自動車部隊に転属させられたので、極楽生活はほん一瞬で終わったが、馬という生き物がいるだけで世の中が変わると言っていい程、しみじみとした人間的実感をいだいたものだった。

先般も近くのスーパーの屋上でポニーを扱う人に乗馬クラブに入らないかと誘われた。馬に親しげに近寄った私が、経験者だと見て取ったのであろう。
私には今は縁こそないが、牛馬には底知れない親しみがある。犬猫以上だろう。

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2009年5月16日 (土)

死の警告

昨日は長女が電話で月末に宇佐八幡につれて行くが都合はいいかといって来る。ありがとうと気遣いにお礼をいっておく。
近いうちに車で出かけようかなと思っていた所だから、運んでもらえれば助かる。

今朝は霧が深い、どうやら雨になるらしい。長く降らなかったから降って欲しいと家内はいう。
朝食事のとき、宇佐に行くのなら、日出へ行ってみたいと家内がいう、私は熊野の磨崖仏をもう一度見たいなと思う。
雅博さんも忙しくなりそうだ。

明日からの薬がなくなったので、内藤内科に出かける。車もいっぱい、待合室も満員で入る余地はない。土曜日は半日なのでこうなるらしい。あきらめて診察は延期して帰宅する。
おりからしとしとと降り始める。
珍しく寒い。家内も私もセーターを一枚重ねることになる。

夕方よろけた拍子に腕頸を机にぶっつけて擦りむいてしまった。また風呂に入り難くなる。
自業自得だからどうしようもない。
最近は雑誌のグラビア紙で手の皮が切れたりする。鋭利な剃刀の切り口になっている。
弾力性がなくなったのかなあ。
死が真近いよとの警告とは承知しているのだが、じわじわと知らせてくれるんだなあ。

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2009年5月17日 (日)

歴史は繰り替えす

今にも雨になりそうな空模様。7時気温は20度となっている。やはりもう夏だな。
8時とうとう降り始める。どうやら本格的らしい。庭木は喜んでいるだろう。

神戸の学校で新型インフルが広がり始めた。学校の多くが休校を決めたりおおごとである。
さざん会も今回は取りやめてもらわないといけないかもと思ったりする。坂口君も心痛していることだろう。

かゆい手足をかきながら、水戸君や土田君のその後を憶う。横山君はせんだって元気そうな電話をくれたから、大丈夫だろうが、現に苦闘をつづけている彼らの心情を思うとつらい。
インフルエンザで近寄れないなどとなるとますます困る。早急には片付かないかもしれない。

民主党首に鳩山由紀夫が決まった。祖父が鳩山一郎である。麻生首相の祖父は吉田茂、奇しくも戦後を背負って立った二人のライバル首相だった。歴史が繰り返すことになる。

午後3時雨音は止んでいる。が天気に変化はみえない。

昭和51年吹き込みのフルトベングラー指揮のベートーベンの第九を聞きながら今書いている。モノーラルだから音に微妙な美しさはない。ただ昔感じたような豪壮さは感じられる。ソプラノは例のシュワルツコップである。
私が学生自分に聞いたのはシェラック盤で9枚か10枚あったのではなかったかな。しかも裏表ひっくり返しながら、針も取り替え、ハンドルを回しながら聞いたもんだ。
とてもこんな音ではなかった筈だ。
歌手はエーデルマンといい、シュワルツコップといいやはり素晴しい。

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2009年5月18日 (月)

デパートは嫌い

午前中に内藤内科に行く。土曜日に行って満員で帰って来たので、薬が昨日は一日切れていた。
今日の昼から早速呑むことになる。来月は心臓の音波検査をやるという。
走ったり山登りはもう出来ないから仕方がないな。
長生きというのは結局こういうことなのだと大分分かって来た。無理に走ったり、山登りしたりしたら、大分前にくたばっていただろう。

天気が良いので浮かれ出るような気持ちで、デパートに行く家内を送ってついてゆく。
家内の買い物にうんざりしながらついていたが、ふと思いついて、深夜放送を聞くのにときどきその時間に起きられなくて残念に思うことが多いので、音の大きいという小型の目覚まし時計を買う。

9割は女客の中で、女物の商品の中を付いて歩くと、うとましげに店員にも客にもみられそうでいやなものだ。

お医者さんてな職業は懇切丁寧なのがいいのかもしれないが、先刻承知していることを毎度くどくどいわれると、腹立たしくなって来る。今日は時間帯が昼前で空いてたのか知れないが、いささかうんざり。
広島総合病院の先生はどこかへ転勤するといって、私に挨拶があったが、これはいい。しかしどこへ転勤するのかなあと要らぬお節介をいいたくなる。これはこっちが悪い。
やはり変な動物なんだな人間は。

近所のおおとうさんが先月お見舞いにいったお礼を言いに揃ってこられる。1ヶ月ばかり自宅療養するとのこと。
老人ホームはやはり退屈らしい。
人間たれでも住み慣れたところが一番良い。私もどうかこのうちでストッと死にたい。
これが最後の最高の願いなのだがなあ。

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2009年5月19日 (火)

辛い思い出は懐かしい

午前7時、霞濃く天地の間灰色に埋まる。気温16度。
薄くもを通り抜けて日射しがまぶしい。今年は全然実がならないと思っていたグミに一個大きな実がぶら下がっている。
気に入らないことがあったのだろうが、もの言わぬグミの木何とも察しがつかない。
葉は茂り過ぎる程茂り、上空に向いて大きな枝を4、5本のばしている。掘っておくと高くなり過ぎるがといささか心配である。

新型インフルが日本でもあちこち有菌者が増え始めて、騒然となってきた。弱毒だそうで死者は出てないが、発生が急激で国連も驚いているらしい。外出はもう禁物のようである。

昼食後ベッドに横になるとぐっすり寝込んでしまう。訳の分からぬ夢を見る。
誰も知ったものの居らぬ、水がどんどん増えて来る海辺らしいところに行き着いて、途方に暮れてる図である。

ラジオからメキシコの歌が流れている。フランシスコ・アライサの歌声である。
”つばめ”は何時聞いても懐かしい。89年前私が彼の地で呱々の声を上げたとき、もう歌われてたのであろうか。郷愁を感じて仕方がない。”うるわしのメキシコ”も情感がこもっていていい。

私が生まれた当時は、メキシコはようやく平和を取り戻した頃だったらしい。日本と言えば3年経って帰国してから、関東大震災の影響があったりして、変事や政変がつづき、支那事変が発生、困難の続いた時代だった。
親たちはこの両国にまたがって、辛酸をなめ尽くした。
それでも心のどこかにメキシコの匂いが残っているの感ずるのはどうしてだろうか。

今NHKのドラマでやっている、”遥かなる絆”にしてもそうだと思う。辛かった思いは永遠に残るし、悪いとばかりはいいきれないし、ただ懐かしい思い出になるばかりだ。

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2009年5月20日 (水)

バラ見物

明日からは雨という。ならば今日はいい天気だからバラを見に行くかと、植物園に出かけることになる。
11時頃家を出る。車で来た人が多い。
どこか幼稚園児が50名ばかり先生に引率されて来ている。まだ4、5歳というところか可愛い。頗るお行儀が良い。
しばらく彼らの行動に見とれる。

目的のバラ園に直行。今真っ盛りで、さすがに多品種を一堂に見せてくれる。
これを目的の人が多いと見え、園内は賑やか、シャッター音もやかましい程。
たっぷり時間をとって、ゆっくり見て回る。
めぼしい花を一応写真で列挙しよう。


Red_rose
White_rose
Pink_rose
Rose_gate1
Rose_gate2
Ellow_rose
Small_rose
Children

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2009年5月21日 (木)

古い歌聞きたい

雲も霧も深い。気温18度。
今日明日は天気予報はよくない。

先日深夜放送でやってた、ジョセフィン・ベーカーの歌”かわいいトンキン娘”は東京娘と違うのかなと、ふと思ったりして、録音を聞き返す。やはり当時仏領だったベトナムのトンキン地方の娘を歌ったのだろう。まあどうでもいいことだが。
私よりほんちょっと前の世代の歌手だが、えらく可愛い声である。アメリカ出身だが、パリの踊り子として有名だった。私が小さい頃、踊り子としての黒い肌の彼女の写真を見たことがある。7、80年前の話だよ。

午後2時前ぼつりぼつりと雨落ち始める。気温25度、とあまり上がらない。

人間皆花が好きなんだなと思う、私ら夫婦も、春先から梅、桜、バラと追っかけて来た。こんどは菖蒲と決めている。つつじは我が家のそれがうまくなかったので、追っかける時期を失った。

東京の娘が晴子と二人でハワイに来月始めに遊びに行くという。
若いからさぞ遊び甲斐があることだろう。
ハワイならインフルの心配はないかな。

メキシコのインフルは勢いは止まったらしいが、死者はやはりぼつぼつでているようだ。
スペイン風邪のように死者何十万とまでは行かないからいいが。
ヴィールスなんてのは、そもそも生物の元素だが、これがどんどん組み合わせを変えて新しいヴィールスになる。これも一種の進化なのであろうか。

深夜放送が目が覚めたときだけでなく、積極的に聞きたい番組を聞くために、タイマー時計を先日買って来たのだが、案外難しいことがだんだん分かって来た。ぐっすり眠るときがやはりあると見えて、ベルが鳴ると起きるのだが、すぐ止めてまたそのまま眠ってしまうようだ。起きても役に立たない場合が2度続いた。
自然現象だからどうにもならないかな。

東海林太郎の歌声なんかは、今は深夜放送でなければ聞かれないと思っているが、中学生のとき弁士の説明を聞きながら見た”野崎小唄”や後に流行った”お夏清十郎”などの歌舞伎ものの東海林太郎の歌は懐かしく好きだ。
「清十郎殺すなら、お夏も殺せ」なんて言う科白は、今歌えば問題化するかもしれないが。

最近の歌のようにはでな付属物は一切ない平凡な歌だけだが、それが凄い情緒が感ぜられるのだが、どうしたわけだろう。聞くものの側に原因があるのだろうか。

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2009年5月22日 (金)

めがね

早朝日の光が見えたが、8時には一面の曇り空で明るさは乏しい。雨は明け方治まったらしいがまだわからない。

毎朝聞こえて来るNHK-FMのクラシック音楽が楽しみだ。今朝はクレメンティのものをやっている。最近は作者か、演奏者かテーマをしぼっていて特集しているらしい。
民放と違い、大衆におもねらない、きりっとした方針を貫いているらしいことに共感を感ずる。
特に夜の番組はテーマがはっきりしていていいが、残念ながら夜は他の用事が多くて、聞いて居れないことが多い。どうしてもというのは、なんとかして録音しているのだが、今週なんか海外で活躍して居る日本人指揮者の演奏特集などがあり、非常にありがたい。

最近乱視がひどくなったので、眼鏡を新調しようとかねてから思っていたが、今日郵便局に出かけて、交差点で信号待ちしていたとき、タナカメガネの看板が目に入ったので、とっさに思いついて店に入る。

今着用している眼鏡はここの本店で30年も前に作ったものである。
ここなら設備がいいから的確に検査してくれる筈だと思っていたから躊躇しなかった。
一時間ぐらいで検査を終わり、注文して帰る。相変わらず親切で行き届いている。

終日雲が多くて点々と青空が見えるのだが、あいにく大陽が顔をのぞかすことはない。
おうとうさんが土産にくれた饅頭二箱、毎日頂いているが、おやつだけでは食いきらない。
二人でふうふう言いながら、文句の一つもこぼしながら食べる。

今話題のNHKドラマ”遥かなる絆”の原作ー”戦争から遠く離れて”を読みながら、戦後の苦しさを思いやる。なんと幸福な苦情だろうと思いながら。
小説と対比しながらドラマをみると、もう少し何とかならないともどかしい面もあるが、他国の介在していることだからこれ以上の表現は無理かもしれない。小説をじっくり読み込めばわかる、娘の城戸久枝のすばらしい労大作といっていい。

このドラマの所在地牡丹江は私が友人を訪ねて飲み歩いた頃は、人口はせいぜい5、6万人だったろうか、今は地域が広まっているだろうが8百万を超えているという。もちろん同日に論ずる訳に行かない。
懐かしいのはムータンジャンの名前だけだ。

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2009年5月23日 (土)

老人の手習い

高曇りの空、しかし朝日が美しい。気温はやはり16度。今日は暑くなりそうだぞ。

先日買って来て読んだ本の著者久木綾子さんは80歳でパソコン教室に行きパソコンを学んで、”見越しの塔”を書き上げたと言って居られたが、やっぱりやればできるんだね、同窓会の席でいつもそれをいうんだが、水戸君以外について来るものが居ない。
勉学心旺盛なやからばかりなのだが、かたから機械類はいやだという文化系特有の機械音痴がたたっているらしい。

老いて来ると話し相手が何より欲しい。同年輩となるとさらによい。同期生ならいうことはないのだが。
久木さんは小説を書くだけに使って、メールアドレスはもっているが、来るメールは一切見ないことにしているそうだ。当然自分勝手に使えばよいことで、干渉するにあたらないが、おしいなあ、そこまでいったなら利用しない手はなさそうだのだが。
同年輩の俺だから敢えてお節介やきを言いたい。

私も毎日何十通もメールが届いている。しかし約9割は無視削除している。
しかし長い年月には貴重なメールをたまに見ず知らずの人から頂き、役立つことがある。
世の中はこうして成り立っていると思っている。完全に無視するのはもったいない。

午後にはかんかん照りになる。もう夏に間違いない。

パソコンなどは遊びと一緒で、好きになるか、ちょっとした根気の問題だ。
私の年代になると、ほとんど満ち足りた生活に堪能しているからダメなんだな。

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2009年5月24日 (日)

FM放送が楽しい

うす雲に覆われてはいるが、いい天気になりそうだ。6時40分気温は20度。
昨夜は蒸し暑くて寝付かれず、0時頃30分ばかり起き上がって、パソコンをいじったりする。最近は夜中にパソコンをいじることはほっとんどなかった。ネットにつながり難かったが、案外この時間帯は混んでるのかなあ。
今朝のこの時間帯は何でもない。

昼近くなっても雲深く日射しはない。沖合の島影も殆ど見えない。宮島も影が薄い。
家内は庭仕事に忙しそうである。またリウマチの痛みが出なければ良いが。
私は乾癬の腕のかゆみが相変わらず激しい。自然に手が行って掻いている。

日曜日はFMが昼中ほとんどクラシック一辺倒である。今日は特にヤルヴィやムーティの指揮でポピュラーな名曲ばかりやっていて楽しい。ベッドインして終日聞き暮らす。申し訳ない程いい身分である。
音響もフルティッモで近所迷惑かもしれないが、普段からお詫びを度々言ってるから許してくれるだろう。
ムーティの演奏するチャイコフスキーの交響曲第5番は朝6時からのBS103でも朝飯を食いながら聞いたので2度目である。NHKもサービス過剰な程でファンにはなんとも嬉しい限りである。
時折めくじらをたてるやからがいて、困り者ではあるが。
こうして拍手を送っている老人がいることを忘れないで欲しい。NHK以外にはないのだから仕方がない。

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2009年5月25日 (月)

インフルで観光産業があぶない

珍しく青天井、雲は南の隅に追いやられている。気温17度。
庭に出るとひんやりと気持ちよい。

午後田中メガネに眼鏡を貰いに行く。ついでに銀行とデオデオをまわる。新しい眼鏡はさすがシャープに見えるが、斜面を歩くとなんだか揺らいで怖い。なれのせいだろう。
銀行通帳を見ると5月1日付で¥40000.の給付金がちゃんと入っている。取られるばかりのお役所から初めて貰った訳だが、貰ってみるとあまり有り難みがわかない。こっそり預金入金というのがよくないね。

早速買うものはないかとデオデオに立ち寄ったが、もう買いたいものはないね。
先に九州に旅行したからいいか。
まあ眼鏡が4万円以上したから、これでもいいわけ。ご要望に御応えしましたよ。

かってさざん会をやったことのある有馬温泉が、新型インフルのお蔭でキャンセルが相次ぎ20億円の損害だそうだ。
思いもよらない損害よなあ、御気の毒に。
こちらの宮島にも影響があるとかいってたよ。東京の孫は去年でよかったなあ。
京都は心配が大変らしい。

観光だけでもつというのは、そもそも無理なのでは。時代の趨勢もあるし。
ここ数年一番気になってるのは、稲荷さんの門前町だ。
狐の神さんが生来好きで豊川、伏見、最上、津和野、祐徳と有名な稲荷さんは残らず何度も御参りしているのだが、ずいぶんとどこも寂れかたがひどい。助けてもらいたいくらい。津和野は他の名所もあるから、まあまあかもしれないが。
信仰だけでは、若者は呼べないのでは。老人は歩けなくなるし。

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2009年5月26日 (火)

北朝鮮また原爆実験

天地の間、もやって定かではない。
北朝鮮が核実験を又やった。核爆弾はもうどこの国でも作る気さへあれば出来ることを実証している。
大国の独占の時代は終わっているとすべきであろう。一斉に廃棄し所有を禁止するか、自由にするかどちらかだろう。
使用制限なんか宛に出来ない。
国連にその力があるかどうか。

ただ北朝鮮が原爆とミサイルで緒戦に勝ったとしても、どうなるものでもないことに気づけば自ずから、行くべき方角が決まって来るのではとそれを待つのがいいのでは。インフルと同じく過剰反応は禁物だ。
戦う遺志も能力もない日本は黙って見守る以外にない。

イラクが核爆弾容疑でアメリカに戦争を強要された。核施設はなかった。この米国信用の失墜は大きかった。
北朝鮮もイランも実際に使用する前に戦争に巻き込まれることはないだろう。
日本と違って身の程を知っている北が実際使用に踏み切ることはないだろう。
大国3国を相手に虚々実々の外交は大したものだといわざるをえない。日本も耳のあかでも煎じて呑んだらどうか。

今日は終日しゃんとしない天気で暮れて行きそうだ。風がいやに冷たい。北朝鮮の空気でも運ばれてきているのかな。

考えてみると私自身眼鏡屋で矯正視力が0.7ぎりぎりで、来年早々の運転免許試験に合格するかどうか分からないと言われた。車に乗れないとわかると、大変困ることになりそうだ。大げさに言えば生きてる甲斐がないことになる。
一番心配の種が降って沸いた。

家内の姪のまりちゃんが結婚したそうだ。いいところへかたづいたので、親父さんが大喜びで、婿さんを連れ歩いているとのこと。女ばかりの家庭だからなあ、その気持ち分かるよ。

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2009年5月27日 (水)

もう頭にはなにも入らない

朝6時40分、灰色の空深く、気温も17度。
昼前になって遠くのスーパービッグに買い物にでかける。車も人も凄い量。値段が安くてなんでもある。
皆考えることは一緒。
肩が抜ける程買って帰る。飯もと思ったが人が多すぎるので、すしなど買って帰宅してから食べる。
私は二階の売り場に上がって手早くプリント用紙などPC用品を買いそろえる。
さて他にと考えるが、こう品物が多くては思いつかない。

今にも降り出すのではと思っていたがとうとう夕方になっても降る気配はない。
いじけた天気だねえ。

昼飯を食ってから一寝入り。
目が覚めてから小説を読みふける。最近は送って来るパソコンの月刊誌も読んでも読んでも頭に入らない。取るのを止めようかと思ったりするのだが、長年の習慣でぱさっと決断ができない。むだなことだが。
小説も頭に入るというようなものではない。さらーっと目を通しては、またいつか読む。
こちらは憶えると本が増えてもったいない。

腹の調子がちょっとよくない。年寄りのくせにいろんなものを食い過ぎるせいだろう。
体重も増えはしないがいっこうに減る気配はない。

肉体が先か精神が先か、どんな着き方をするか見物だなと思っている。

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2009年5月28日 (木)

からかい雨

今朝は6時10分早くも20度を少し超えている。いやに明るく暖かいから自然に目覚めも早くなる。
まだ起きたくないのに、なんとなく起き上がってしまう。
スリープしているパソコンを起こして、昨夜のプロ野球はどうなったかなと覗く。

雑誌の記事を見て知ったDeskCoverというフリーウエアソフトをダウンロードして使わさせてもらう。
デスクトップの見分けが凄く良くなった。これなら派手な写真を使っても大丈夫だ。作者さんありがとう。

正午から雨の予報だが、ほんとかいなと思われる程の朝の天気。高曇りだけど日射しはやわらかで申し分ない。
おやつを過ぎても降らない。どんよりした空をベランダに出て眺める。
途端にぽとぽとと落ち始める。もう午後4時を少し回っている。
からかってるのかな。

家内の年上の友達がまた転んで怪我をしたという。一緒にお茶やお花をやってた先輩だ。
あの頃からよく怪我をしていた人だからうっかり茶飲み話になる。致命的にならねばよいが、今日来た食料配達の兄さんの速達である。

雨は夜になっても降らない。

カープは昨夜勝って、交流戦では一つ勝ち越しになる。真ん中へんをひょろひょろ走ってるけど、どうも爆発力がないなあ。どうしても上位に食い込めない。投手はけっこういい線をいってるのだが。
どこのチームもそうだが、助っ人の外人がまことに当てにならないので、監督も苦労しているようだ。

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2009年5月29日 (金)

70年目に車と決別か

ザーっと大きな音、雨だと目覚める。
6時半カーテンを開いて外をみると、青空いっぱいに又驚く。雲一つ見えない。
いや頭を巡らして、中天をみると高空に白く薄い雲が点々と漂う。
気温20度、まだ暑くなりそうだぞ。

今日の新聞を見ると、一面の左最下段に警察庁広告が政府広報として掲載されている。
75歳以上は記憶力判断力の予備講習を受けなければならないとある。当然のことだから仕方がない。
前回模擬運転で随分力が落ちたなと感じていたのでそちらの方が心配ではあるが、まあ何よりも矯正視力がすれすれで当日の環境次第でどう転ぶか分からない気がする。
落ちたら丁度70年の運転履歴に終止符が打たれることになる。年貢のおさめ時かもしれないな。

早朝にははっきり見えていた大なさみ島が煙って来た。海上は全般的に霞んでいる。
かんかん照りの日射しはもう夏のものだ。まださわやかなのが良い。
最近は眩しいのも運転のさまたげに大いになってきた。免許の更新も晴の日は避けた方がいいかもしれない。もっともまだ半年先のことだが。
若い時には思ったこともない苦労があるらしい。

私から車を除いたら、人生が全く変わったものになっていただろう。昭和17年一度輓馬部隊に転勤を命ぜられ、2ヶ月後にまた別の自動車部隊に転勤させられた。これで車との付き合いが終わって馬との人生かと覚悟したことがあった。軽く仕方ないと受け止めたが、もしそのまま続いたら、どんな人生になったことだろう。

同じ時期、牡丹江の輓馬部隊に転勤した呉の友人は、そのまま復帰することなく馬と暮らした。戦死はしなかったが戦後早く死んだ。
何度か出張の折り訪ねたが、よく飲み歩いただけで苦しい話は聞かなかったが、楽しい記憶は残っていない。

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2009年5月30日 (土)

仇討ちなんて今面白いか

朝6時雲多く、気温20度。
ラジオが枕元で歌舞伎役者の声で、曽我兄弟の仇討ちをめんめんと語っている。
幼時雑誌かなんかで読んだり、年寄りから物語を聞いたりした覚えはあるが、詳しく知らされたことはなかった。こんなに詳しく聞くのは初めてで、ついに最後まで聞いてしまった。
十郎、五郎が5人兄弟の中の二人などということは始めて知った。

苦節18年、他人の曽我に預けられても、その志を捨てることなく兄弟で父河津祐泰の仇敵工藤祐経を富士の巻き狩りの夜、陣屋に襲って仇討ちを遂げる。私にはどうにも不可解に思えたこの物語だが、歌舞伎や浄瑠璃で西暦1600年代から1700年代にかけて何度も改訂され、今日の姿で保存,継承されているらしい。重要な演目として知らぬ所で記憶されつづけたわけだ。

赤穂義士の仇討ち即ち忠臣蔵は事実以上に歌舞伎などの伝承があって、まさに別格だが、もう一つの仇討ち伊賀上野越えは、もう庶民の記憶からはなくなってるだろう。
芸能というものは不思議な効用を持つものだなあと朝っぱらから起きもせやらで感心したりする。
もっとも伊豆の地元の人たちには馴染みの話だろうが。

朝から雨になるかなと思わせながらも、なかなか降ってはこない。
午後になり雲はだんだん深くなって行く。ただ少し高い。日射しは依然朝からない。

明日の宇佐行きが少し心配になる。せっかくの娘たちの好意だが、うまく行けばいいが。
ベランダの温度は29度に達しているが、風があるので涼しくて気持ちがよい。

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