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2009年4月 2日 (木)

英語の教育

雲が多い空だが、青空も覗き雨になりそうには無い。気温6度とまあまあ。
この地方も桜は満開であちこちの路地裏でも美しい笑顔を見せている。

11時過ぎ家内は内藤内科にリウマチ関係の検査のためでかける。心電図まで見るというのだから大分大掛かりである。

藤原正彦氏が英語教育を小学校から始めることに反対の意見を産經新聞に発表しておられた。私も同意見である。
もともと外国語は必要に応じて学ぶべきものと私は考えている。
小学生などまだ母国語も理解出来ないものが、おしゃべりが達者になるからといって、幼児教育に英語を入れるなんて無茶な話だ。もちろんその生活環境など英語を必要とする人も沢山居るだろうが、ほん僅かな人だけである。

藤原先生の言われる通りまず日本語を完全に理解することが大切である。その時間を削ってまで,英語を習う必要は全くないと思う。

私もある時期満州に就職するため、中国語をならった。また戦後米軍施設に就職したため英語の勉強をし直した。
もちろん上手にはしゃべれないし、適切な翻訳もできなかった。しかし日本語の理解が適切であれば、時間をかけてでも相手に真意を理解さすことは出来た。文章も書けた。アメリカの会社と文通したこともある。ある時はよく出来ていて、よく理解出来たから心配するなと返事が来たこともある。
日本語がよくわからないで、なんで外国語がわかるのだと私はいいたい。

ついでに言わせてもらえば、日本語の基調は千年以上も前から漢文、漢語である。現在は外来語が沢山混じって来てはいるが、言葉の基本は漢字である。漢字は天地森羅万象を細かく厳格に抽象して中国の聖人と言われる人たちによってつくられた。藤原先生の言葉ではアラビア語と並んで、英語圏の人たちが理解するには、最高に難しい言葉だそうである。
逆なことも言える。時間をかけて、普段使うことの少ない、変換の難しいその英語をわざわざ子供から教えることは、ほんとに時間の無駄というべきだろう。また教師の底上げはもっと難しい仕事になりそうである。
こんな企画は取り下げにしてもらいたい。

甲子園の熱闘も長崎の清峰の1−0の幸運とも言える得点を守りきっての優勝でけりがついた。
勝敗はどちらにころんでもおかしくなかった。両者とも投手力が抜群だった。夏の大会ならこんな具合には行かないだろう。攻撃力のアップが必要だ。

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