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2009年4月 1日 (水)

花冷えの一日

時間を間違えて5時半起床。
ばたばたして右手の甲を打撲し、小さな怪我をしてしまう。

8時広島総合病院に着く。2診で最初に診察を受ける。尻の乾癬がひどいので赤みがとれる薬に変えてもらう。
近く温泉旅行を控えて、猿のような尻をして入湯するのは気が引けるので。
背中は随分軽くなった由。
この次はは42日目が診療日で時間がありすぎるのでといって、薬量が増やされる。

小雨がちらついたりして、天候はよさそうにはみえない。今日も結局は寒い一日だろう。
家内は手の痛みが取れたと言って俄然元気になる。

音楽ソフトのCD Spin Docterの新しいバージョンを勝ったところ、調子が悪くてわざわざ古い2年前のバージョンのにやり変えて使っていたのだが、ネットで小さな変更が伝えられたので、入手して早速使ってみる.今度は大丈夫だ。誰かが文句をいって直させたのだろう。打てば響くところは、ネットの強みだな。

世の中なんでもあたらしければ良いということではない。悪くなることだって凄く多い。やっぱり個々が気をつけないといけないな。

私個人の受け取る感じなのだが、WindowsがVistaに全面的に移行しかねているのにも、そこらあたりの原因が潜んでいるのではないかと疑ってるところだ。

午前中家内のお供をしてアルパークに出かける。讃岐屋にて好物のわかめうどんを食う。おいしい。最近は課内も味を憶えて同調する。

私は旅行用の空気まくらを買いに行く。家内はいろいろ買い物があって、20分も30分も待たされる。本屋に行き藤沢周平の「小説の周辺」を買い、待ち合わせ場所で腰を下ろして読みふける。
午後2時やっと終わって風の吹きまくるなかを車で家に帰る。
疲れて3時過ぎまで眠る。

腫れたり曇ったり、風の強い荒々しい一日だった。夕方にはとうとう降り始める。

高校野球はとうとう見る暇がなかったが、やはり私の予想通り長崎の清峰と岩手の花巻東がそれぞれ勝って明日の決勝へ進出した。どちらが勝っても初優勝となる。
野球の世界も随分様変わりした。真に全国的になったといってもよい。

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2009年4月 2日 (木)

英語の教育

雲が多い空だが、青空も覗き雨になりそうには無い。気温6度とまあまあ。
この地方も桜は満開であちこちの路地裏でも美しい笑顔を見せている。

11時過ぎ家内は内藤内科にリウマチ関係の検査のためでかける。心電図まで見るというのだから大分大掛かりである。

藤原正彦氏が英語教育を小学校から始めることに反対の意見を産經新聞に発表しておられた。私も同意見である。
もともと外国語は必要に応じて学ぶべきものと私は考えている。
小学生などまだ母国語も理解出来ないものが、おしゃべりが達者になるからといって、幼児教育に英語を入れるなんて無茶な話だ。もちろんその生活環境など英語を必要とする人も沢山居るだろうが、ほん僅かな人だけである。

藤原先生の言われる通りまず日本語を完全に理解することが大切である。その時間を削ってまで,英語を習う必要は全くないと思う。

私もある時期満州に就職するため、中国語をならった。また戦後米軍施設に就職したため英語の勉強をし直した。
もちろん上手にはしゃべれないし、適切な翻訳もできなかった。しかし日本語の理解が適切であれば、時間をかけてでも相手に真意を理解さすことは出来た。文章も書けた。アメリカの会社と文通したこともある。ある時はよく出来ていて、よく理解出来たから心配するなと返事が来たこともある。
日本語がよくわからないで、なんで外国語がわかるのだと私はいいたい。

ついでに言わせてもらえば、日本語の基調は千年以上も前から漢文、漢語である。現在は外来語が沢山混じって来てはいるが、言葉の基本は漢字である。漢字は天地森羅万象を細かく厳格に抽象して中国の聖人と言われる人たちによってつくられた。藤原先生の言葉ではアラビア語と並んで、英語圏の人たちが理解するには、最高に難しい言葉だそうである。
逆なことも言える。時間をかけて、普段使うことの少ない、変換の難しいその英語をわざわざ子供から教えることは、ほんとに時間の無駄というべきだろう。また教師の底上げはもっと難しい仕事になりそうである。
こんな企画は取り下げにしてもらいたい。

甲子園の熱闘も長崎の清峰の1−0の幸運とも言える得点を守りきっての優勝でけりがついた。
勝敗はどちらにころんでもおかしくなかった。両者とも投手力が抜群だった。夏の大会ならこんな具合には行かないだろう。攻撃力のアップが必要だ。

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2009年4月 3日 (金)

知人を老人ホームに見舞う

テレビの天気予報図では、快晴の筈だが、いつもの通り灰色の空が空いっぱいを覆って、太陽さんも顔を出しあぐねていて、とても快晴などとは言えない。

班長の仕事が早速届けられ、回覧準備が忙しい。一覧名簿を作って回覧順を決め、いわゆる回覧板を付けて、順序よく回さねばならない。歩行不自由な人があって、順番を変えてくれとクレームがついたり。
もう少し簡単な筈だったがと、ワープロのキーを叩きながら感ずる。
町内会長さんは、名書家だから、全部筆書きとコピーで昔ながら対処しておられる。私は悪書だからとてもその真似はできない。何十年来何事もワープロとパソコンに頼りきっている。

近所のA夫婦が入って居られる八千代のメリーハウスという老人ホームを見舞いに訪れるため11時頃から出かける。
パソコンで調べても住所が分からず、やっと電話局のオンラインで住所名と電話番号は確認して出かける。
もう十年にもなろうか、ひさしぶりに通る国道54号線だから、その沿線の殷賑ぶりに驚く。
可部のガラスの里というところで昼飯を食べ、根の谷を経て八千代に入る。
根の谷は有名な難所で、河の流れる向きが逆転する場所である。ここ以北は山陰にながれる分岐点の台地がつながっている。

八千代のJAに入って、メリイハウスの場所を教えてもらう。やっと12時過ぎに到着する。
まずこの13階の建物の豪壮さに驚く。並の老人ホームではない。病院も併設され、各回に多数の職員を配置し、入居者ここの動作まで管理しているようだ。もちろん老齢病弱者対象だから、健康なものにはいささか不自由かもしれないが。Aさん夫妻はそれぞれ隣合わせの個室で寝起きしておられた。
一昨年の10月にこのハウスが完成して、12月入所されたということだった。
歓談約2時間、遠路を訪れたこともあってか、大層喜ばれて、話が弾んで止まらなくなったせいもあった。
家内とAさんの奥さんが同年だし、Aさんは終戦時軍隊で佳木斯におられたということで、私が入営当時くらした斐徳とあまり遠くない場所で私も訪れたことがあったから話が合ったせいもあった。

両者とも現在は極めて元気そうで安心して別れる。
帰路は土師ダムを周り、満開の桜を愛でつつ通り過ぎて、千代田ICから中国道に乗り,宮島SAで降りて4時半に帰宅する。久しぶりのドライブだから疲れる。

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2009年4月 4日 (土)

ミサイルの時代はすでに始まっている

朝から雨、気温5度と寒く、早春に立ち返った感じ。

午前中ひまだから、さざん会の全国大会合計34回の各回出席者の一覧表を作成する。
最多出席者はやはり横山君と私の29回である。まあよくも根気よく出席したものである。
どれほどの功徳があったかはわからないが、同期生の動静はやはり一番分かっているのではないかと自負している今日である。それにしても沢山死んでしまった。生き延びているからこその産物ではあるが。

昨日セ、パ両リーグが同時に開幕した。カープは巨人とアウエイで対戦、6-3で打ち勝ち初戦を飾った。
主砲の栗原が4打数3安打、5番シーボルが同点ホームラン、赤松が逆転タイムリー安打など打線がふるった。
パリーグの楽天とともに、今年はひと味違うぞというスタートとなった。

珍しく終日降り続く。気温も12度と上がらず。
外には出たくなかったが、野菜が切れてるというので、しぶしぶ近くのスーパーに出かける。
同じような人が多いと見え、駐車場はいっぱい。仕方が無いので自転車置き場に突っ込む。雨でこちらは少ない。
小さい車はこんな時は便利である。係員も何も言わず許してくれる。
私も手伝ってさっさと済ませて帰る。

北朝鮮のデポドンの打ち上げで我が国の朝野はこぞって大騒動、結局今日はネズミ一匹出す、肩すかしに終わる。
北朝鮮はここらあたりはお得意の芸で、大国米国といえども振り回される。
今あまり本気でぶっつかってもあまりとくをすることはないのでは。

しかし考えてみると、現在世界の戦争の態様は中東の戦いに見られるようにすでにミサイル時代に入っている。
ミサイルという兵器に制限は無い。ピストルを庶民が皆持ってる国が多数あるように、どの国でもミサイルは野放しである。
現実に熾烈な交戦を繰り返している。
航空機も軍艦もいらない時代はすぐそこに来ている。原爆を一旦搭載すれば、やられた国は滅亡する。やったりやられたりすれば、いずれ地球は滅ぶ。

日本はいまだにアメリカ空軍の翼の下に居て安全だとのんびりしてるが、ミサイル数発の先制攻撃で都市も空港も沈黙せざるを得ない。

軍用飛行機はいらないから、ミサイルを沢山準備し、いざ万一というためには原爆も用意だけはしなくてはならないかもしれない。戦いが始まれば、都市機能は大地震と同じように一瞬にしてマヒするだろう。

北朝鮮は全世界に向かって重大な警告を発したわけである。恐るべき偉大な国ではある。

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2009年4月 5日 (日)

私の葬送行進曲

雨は止んでいるが、昨日と同じような朝、ただ気温は12度になっている。見間違えたかなと一瞬思う。

デポドンのことを政府もジャーナリズムも飛翔体などと新語で発表している、噴飯ものである。
なんで変える必要があるんだ。空騒ぎまでして恥ずかしい。
ベトナムもそうだったように、北朝鮮も簡単には大国に屈しない。アジアの国々は皆性根があって我ながら頼もしい。
このぐらいでいいんだとも思っている。
現在はアメリカのスカートの下に潜り込んでいる日本の方が情けない。
大東亜戦争を戦った勇者はほとんど残っていないのだから仕方があるまいが。

昨晩もカープは巨人にホームラン3本を含む5安打で5-3と勝つ。ヒット12本(うちホームラン2本)も打たれながら勝った。巨人ファンは切歯扼腕して悔しがったに違いない。永いペナントレースにはこんなことは間々あるものだ。

チーム力を眺めただけでは、どうしても巨人の方が数段上に見えるのだが、9人でやるということになると、カープの方がいいのかなあ。8回から守備に着いた木村などという選手は初めて聞いた。凄いファインプレーでチームの崩壊を救った。もし二死満塁での坂本の痛烈な当たりをのがしていたり、反転して一塁で刺さなかったなら恐らく再逆転されていただろう。

昼、眠り付けずに、寝転んだまま周平の「小説の周辺」を読んでいると、返照入閭巷 憂来共誰語 古道人行少 秋風動禾黍 という詩が出て来る。
藤沢周平はこの詩が自分を惹き付けるのは、その技巧のない平明な詩の背後に、いまは殆ど滅びてしまった、子供の頃の田園の風景を見るせいかもしれないと言っている。
若き日に溺れる程本を読んだというから、私によく似てるなと思いながらも、私は漢詩は不得意だった反省がある。
彼は終戦の年18歳というから、私より7歳も年下である。兵隊ごっこをやらなかっただけ、私より勉学が進んだのであろう。
この詩は彼が気に入っている以上に、私のこころを惹き付ける。90の老境がさせるわざだろうか。

私は朝から、大分前に作った私の葬式用のバックミュージックを聞き流している。改訂しないといけないかなとふと思ったからである。しかし何時間も聞くともなしに聞いていると、やはり悪くないなと思えて来る。
十数時間は鳴らし続けられるDVDだから、又作り替えるとなるとかなりやっかいである。
まあいいかと決心はつかない。

音楽に苦情はないのだが、冒頭の私のお別れの挨拶が気恥ずかしく、面白くない。
一旦言ってしまえば何でもないのだろうが、こうしてDVDになど残るとなると、むつかしいことになってしまう。
まだしばらくは生きられそうだから、ゆっくり考えるとしよう。

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2009年4月 6日 (月)

オバマ大統領核廃絶宣言

朝気温6度だが、まあまあといったところ。
高曇りで大陽のめぐみはやや遠い。

今日は尻回りの乾癬が痒く朝起きるとすぐまた薬をぬるようである。
良くなったり悪くなったり、忙しい病気である。

昨夜はカープが9回に追いついたところまでは見たのだが、テレビが終わった後は寝てしまったのでわからなかったが、今朝聞くと、とうとう引き分けたという。負けなかっただけでも良い。やはり今年は違いそうだ。リリーフ陣がなかなかよさそうだ。

今月から班長ということで、1日から早速市の回覧が沢山もちかけられる。前任者からの引き継ぎもあったりして忙しい。といっても仕事を担当してくれるのは家内なのだが。私は話を聞いて気をもむだけ。
こういうときは夫婦でも9歳上だから、年長風を吹かして、実務は全部家内にやってもらう。
家内もリウマチを患って痛々しいのだが、知らぬ顔で過ごしている。でも内心手を合わせてはいるんだよ。

高曇りの空から適当に注いでくれる陽光で部屋は結構暖められ、うとうとと春眠をむさぼる。

霞か黄砂か海上は閉ざされて島影一つ見えない。明日あたりまた天候が変わるのかしら。
テポドンは打ち上げは成功したようだ、が、衛星らしきものは残っていないという。当たり前のことだ制御も出来ない衛星を上げたところで何の役にも立たない。打ち上げて予定のところに落ちればもちろん成功の筈だ。
したたかのものだ、北朝鮮は。

オバマ大統領は核廃絶に向かうと全世界に宣言した。最初に使用した責任を感ずるとも言った。使用禁止は勿論、核そのものを製造することも止めるという。本心から実行に踏み出したのなら歓迎出来る。
虐げられて来た民族の子孫だから、よもや虐げて来た民族の肩を持つ愚は取らないだろう。強力な賛成の手を、この被爆国日本から真っ先に上げたい。

窓から見える川土手のさくらが夕日に冴えて美しい。もう満開を過ぎたかやや色彩が薄くなったが。
良い町だ、わが町は。

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2009年4月 7日 (火)

旧友を見舞う

灰色の高曇りの空は相変わらず。気温7度。

食事を早く済ませて、広島に出かける。
私はデオデオに行きCDとDVDを買い、市民病院に土田君を見舞う。
すでに10日前に手術を終わって、お粥を食ってたし元気そうである。
後10日もすれば退院になるだろうとのこと。
奥さんの具合が良くないし、うちに帰ってからが大変だと心配していた。

良い息子さんがいるのだし、杞憂にすぎないと私は思うのだが。

来年のさざん会を市内の荒磯温泉でやろうかとも言い出す。
私に世話しろという。4、5人も集まれば良いというんだが。
死の断崖を見たデスパレートな老人どもは油断がならない。
「おくりびと」の広告を見せて、見たいという。私がすでに見たというと、退院したら見て帰るかなと私の意見を聞く。
葬式は身近な話だから、見て損はないだろうが、あれがアカデミー賞とはと先般感じた所見を披露しておく。
話が長くなって家内との待ち合わせの時間に遅れてしまう。
体調不良の家内のご機嫌は良くない.大急ぎで飛ばして帰る。

満開の桜はまだ続いている。風もなければ桜吹雪もない。
久しぶりの町歩きに疲れたが、快い眠りが待っていた。
折から千の風になっての歌が流れている。

水戸君には早速メールを送っておく。彼のがんも心配だがというより打ちのめされてるかもしれない彼の気持ちが心配だ。

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2009年4月 8日 (水)

老人にも心配事は多い

悪夢のような昨夜のターガース逆転劇。それも飼い犬に噛まれたような、金本の逆転二塁打でさよなら、11-10のスコア。
終わっても寝付かれず午前2時頃になってようやく眠ったらしい。
今朝7時半家内がどうしたのと言って起こしに来る。

悪夢を見た後の頭の重さ。もう夜テレビを見るのはやめようと決心する。
疲れたなあ!

それにしても抑えの永川が悪すぎた、直球は走らず、自慢フォークは全然落ちず、打たれて当たり前だったが5安打されても代えられず、代える監督はとっくに退場させられて居らず最悪のシナリオだった。金本を敬遠する手もあった。4打数4安打4打点の栗原を最後に死球で送った阪神の作戦が見本だ。
WBCで韓国が延長10回イチローと勝負した。敬遠すべきだったと監督は後に悔やんだ。
同じ轍のくりかえしは世に多いということかもしれない。なにごとも結果論でどうしようもない。
7回を終わって10-5だれが勝ちを思わなかっただろう。

昨夜は家内が近所で聞いて来てまた驚く。真向かいの家の梅田さんが昼間倒れて救急車で運ばれたという。健康そうな奥さんなのになんでまた。

春霞漂い、快晴の朝、気温ももう15度。うかれ出たいような陽気だが、先刻のもやもやもあって、行動には出難い。また一寝入りするか。

午後家内は美容院へと言って出て行く。

美恵ちゃんも息子のガンの看病から帰宅しているそうだ。まだ再発の懸念があるよし。若いのに大変だなと思う。
旅行には行くつもりらしいから落ち込んではいないようだ。なんでこの頃身辺にガンの話ばかりだろうと少々薄気味悪い。

午後も霞は消えないが、空からの陽光燦々として暖かい。今春たけなわである。

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2009年4月 9日 (木)

我が家のお花見

連日好天期が続く。朝気温10度。もう大丈夫だろう。
昨夜は野球観戦は早々とあきらめて早く寝たので今朝は快適である。6時半には起き上がって新聞を読んだりごそごそと動き回る。
家の内外を動き回るだけでも、身体の筋肉はほぐれる。軽い運動にはなるだろう。
痛くなる程やっては駄目だ。老人の心得の重点課題だ。食事も5、6分目だが、運動も5、6分目で良い。
卒寿に達してやっと会得したかな。

桜の満開が続いているようだ。丁度満開になった頃から穏やかな天気になったからだろう。この時期雨風は花には禁物だ。
桜土手の花見に行くかなと家内と朝食時の会話。

家内が先般の医師の検診結果を聞き行ったまま昼近くまで帰宅しないので、花見はとうとう午後になる。

先に花見と思っていたのだが、桜土手への道の曲がり角を間違えたばかりに、道を迷い結局先にスーパーで買い物をすませ、26日の広響の定期演奏会の切符を市役所に行って購入した後、桜土手に向かうことになった。

休日でないから、約1キロのこの桜土手の人出は多くないが、花は思った以上に咲き誇り,落花も極めて少ない。正に爛漫といったところだ。
連日の好天候で今年の桜は例年の倍以上の寿命になるだろう。
朝夕眺める眼前の桜並木も、その脇をすり抜けて帰りながら眺めるに、今まさに盛りを謳歌している感じだ。
夫婦ですっかり堪能して帰宅する。
帰宅してからのおやつも今日は格別においしい。

Sakuradote
Bonbori

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2009年4月10日 (金)

マツダ スタジアム開幕戦

今日も快晴がつづく。これも天候異変の一つか。気温10度。着るものが朝から2枚減る。身軽ではしやぎたい気分。
昨夜ははらはらどきどきで、カープー阪神戦を見ていたが、金本にはやはりただで1塁へ行かすのが一番いいようだ。
頭も使わないとなんでもあきまへん。タイガースも気の毒と思ってたずなをゆるめたか。

3戦全勝なんて大変なことなのだが、ベイスターズは一体どうしたんだろう。
まだ先が長いのだから、くよくよすることはないが、ファンは気がもめることだろう。

今日から新球場でカープはドラゴンスと対戦する。旧球場には若い時勤め先がすぐ球場前にあったからよく走り込んだものだが、悲しいかな弱小球団の汚名はそこの会社を去るまではつづいた。

50歳を過ぎた頃からは、仕事の重責につぶされて、カープのことどころではなかった。
新球場にもとの心情は熱いのだが、この年ではなあ。

満員の新球場”マツダ・スタジアム”華々しく開幕したのだが、ちらと脳裏を掠めたカープのこけら落としの球運の悪さ、やはり予想通り大差の負け戦になった。前の球場の時も大差負け,ナイター開きの時も大差負けとどうもいけない。
悪い伝統となってしまった。

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2009年4月11日 (土)

定額給付金ありがたい

市役所から定額給付金申請の通知が来た。手間ひまかけてるだけに抜け目なく振り込み銀行の通帳のコピーまで提出させられる。
今朝早速作成して投函しておく。ありがたいことだ。麻生さんいいこころ掛けだよ。
それにしてもえらく念入りだが、写真付きの証明書がいるとあるが,無い人はどうするのだろう。
家内のはパスポート,私のは運転免許証があるから問題なかったが。
わざと難しくして足を引っ張るのがいるらしい。
これでは詐欺も大変だろうと思うのだが,詐欺をやる奴はまだその上を考えるらしい。

今日もいい天気で結構なのだが、温泉行きの16日頃は予報ではよくないらしい。永く続いたからむりないかなあ。
家内はリウマチが痛むし,不安になって来たと今朝のことこぼしていたが。

卒寿になって、何もかも衰えて来たが、一番こたえるのは目が見辛くなったことである。生来の近眼だから近くは人並み以上に見えていたもんだが、ここのところその近くも,小さい字もはっきりは見えなくなってきた。なまじっかパソコンをやったりするから致命的である。
耳もすこしづつ遠くなっているようだが、音楽を聴くには問題ない。会話も相手も同じだから声が大きくなるだけで差し支えない。
動作もことさら気をつけてゆっくりするようにした。よろけてぶっつかった時の衝撃を少なくするためだ。これだけは心がけてやる以外に無い。

ここ何ヶ月か階段の上り下りに膝に痛みが走ることが全然なくなった。不思議である。
昔からさして苦痛は感じなかったが、それでも階段の踏み立て具合で、きりりと痛みを感じたことが長年続いた。もちろんそんな時は用心して踏んだ。
ところが最近は少々急いで乱暴に上り下りしてもなんでもない。どうしてそうなったのかわからない。
神社やお寺の石段も問題ない。ただしこちらは長いと心臓が大変だが。

娘ら夫婦は岡山へジャズも見に行くという。よく福岡には行くと聞いてたが、岡山は初めてだ。だれがやるのだろう。
私は残念ながらジャズに趣味は無い。まだ良さがわからない。この年でそれだからもう死ぬまで分からないだろうが。
ジャズもクラシックなのがあるが、そちらはまあまあ時折聞く。ガーシュインのものなどは好きである。

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2009年4月12日 (日)

マツダスタジアム開幕3連戦

昨夜はサンフレッチェが柏レイソルを4-1と圧勝し、久しぶりに溜飲を下げた。テレビで伝える他競技場のニュースで山形モンテビデオは又勝って首位に躍り出たという。両者とも今年J2上がり、面白いこともあるものである。
もともとサッカーには意外性があり、それが魅力なのだが、出だし新潟が首位に立つたかと思えば,昨日負けて山形が首位に立った。長丁場だからいずれ実力がものをいうのだろうが、外国からの加入選手も多いから何とも言えない。

一方この日昼間カープは前田健太投手が健闘して,5安打無失点に中日を完封し,新球場マツダスタジアムでの初勝利を飾った。
昨日が誕生日の21歳だそうである。早くも2勝目今年も期待してよさそう。

今日は今度は篠田投手が前田に続いて初めて完封勝利を収めた。打線が3,4回によく集中打し,5点づつもぎとり、10-0と圧勝出来た。広い球場でよく走り回った成果といえよう。

客もよく入り先ずは新球場景気に沸いた3日間だった。
この地方の景気もこれを契機に上昇してくれるといいのだが。

丁度お昼頃大きな雷鳴が轟き、球場も一時夕立に包まれたが,進行に支障無く終了したのは幸運だった。

今日までの好天気も、この夕立で変わる模様で、明日から4、5日曇、雨の日がつづくとの予報でもある。
さくらも散りはじめているので、こちらはもう2、3日の命だろう。

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2009年4月13日 (月)

藤沢周平をまだ読んでる

昨夜は雨の形跡はない。朝の気温は12度を超えているが,高曇りの空に雨雲は見られない。
霞にすっぽり覆われて島影一つ見えない。

3日後にせまった鹿児島行きが心配だ。先方は天候が悪化する気配だ。雨具の準備が一つ増える。

旅行用の手押しバッグを買って来る。リュックサックにもなるポケットの多いバッグだ。
家内は手の痛みが大分激しいらしく,気になる。旅行をやめる気はなさそうだが。

終日ガスが架かった空で雲があるのかどうかわからない。大陽もぼんやり日射しを送って来る。
暑からず寒からずこのくらいならちょうどいい。
ただこのぼんやりした気候はなんとなく気にはなるのだが。

今日楽々園に行ったついでに周平の「一茶」を買って来た。枕元の周平の文庫本をためしに数えてみると,47冊ある。短編を集めた全集の1、2巻を入れると丁度49冊という訳。よく集まったなあと我ながら感心する。
こんなになると、繰り返しめくっても,中味がなんだったかすぐには思い出せない。
もっともくどいほど読んでいる清左衛門殘日録や風の果て、用心棒日月抄の一連の4冊などは別だが。

老人の一日はひまで永いからこんな芸当が出来る。趣味が音楽というのもよかった。いっこうに邪魔にならないから。
しかしなんにせよ先は見えてるのだが、崖っぷちがまだ姿をあらわさない。

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2009年4月14日 (火)

ハーモニカ

朝6時、雨音やかましくベランダを叩いている。気温17度と一瞬ドキッとする暖かさ。部屋の温度は23度となっているので間違いない。南方から雨と熱を送り込んで来たらしい。

予報では終日降り続くなどといってたが,午後にはどうやらあがるらしい。雲はびっしり空いっぱいにはってはいるが、明るさが戻った気配である。

乾癬のかゆみが依然としてつづいてよくない。寝ても覚めてもだからやりきれない。
チガソンもときどき呑む量をふやすのだが効き目は無い。

格別用事がないので旅行支度を早々とすます。それでも先般の石山寺行きのようにめがねを忘れるというようなことが起きる。家内は早速めがねは大丈夫と声をかけて来る。いつも顔に付けてるものでさえ忘れて行くぐらいだから準備のしようが無い、
そういう家内もぼけたぼけたと自嘲の言葉を吐き続ける。

考えてみると人の世話などやはり無理な年齢なのかもしれない。班長を引き受けて心配事が何倍も増えて来た気がする。
この班は二十軒所帯の比較的大きな班だが、班長をちょいちょい辞退する家が出て来て、順番に隣から隣へと交代することが無い。町内会長さんも三班はどうなってるのやら、わけがわからないなっておっしゃる。
今度も死んだり入院したりのうちを飛ばし、もう一つとなりを越してうちにきたのだが、私の方では来年になると何が起るか分からないので,出来る時やらせてもらうかということで承った次第だった。
あと1年まことにあやふやと自信のないことである。

こんな老人ばかりが増えてはやはり国の健全な存立は難しいと思わざるをえない。
少なくとも過剰な福祉は止めるべきだろう。

百年に一度の経済危機に世界中が陥り苦しんでいる。戦争中と同じくもうこれ以上はどうにもならないよと、非情に対処することはできないのだろうか。倒れるものは倒れる,損するものは損する、運が悪かったとあきらめる。
戦争もそうだったが,経済危機も自分の蒔いた種ではないか。

午後3時半気温は23度まで上がる。もう寒くもなんともない。高曇りのままおさまりそうだ。

菜穂子のお祝いのお礼に貰ったハーモニカが送られて来る。早速吹いてみる。やはり肺活量が落ちてるからつづかない。
譜も何も無いから,吹きようが無いがまあ良いか.音だけは少年の頃吹いた音色が重なる。
気持ちだけは若やぐ。

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2009年4月15日 (水)

一茶

朝からいい天気,気温も14度ということなし。
家内は班の町費が集まったといって、出納責任者に届けるのに一昨日から何度も出かけているが不在とかでことにならない。
明日からはこちらがいなくなるので、どうしても今日中に渡したいと出たり入ったりしている。
町内会長に渡しておけばと言うのだが駄目だという。
昨夜も今から行ったらと薦めたのだが,夜はだめだとうべなわない。むつかしいもんだ。

支度は万全のつもりだが、雨にでもなったらなあと、ちょっとこれもしんぱい。
服装は家内が決めた通りにする。

午後風出て吹き込み寒くなる。

「一茶」読み終る。50歳を過ぎて,郷里柏原に帰り,弟から財産半分を半ば強奪するようにして入り込む。
しかし嫁をめとるも次々死に別れ、こどももそれぞれ3人つぎつぎ病気で失い、惨めと言うか,哀れな生涯を3番目の若い妻のそばで終わった.65歳という。俳人として必ずしも現代に通用する程当時はもてなかったらしいが、その軽妙きわまる2万句は偉大な産物といわざるをえない。

昔も今もこうした世俗的な生き方の出来ない才能が、地に埋もれるようにして惨めに生涯を終わっていったのだなあと,小説とはいえ実在の人物を重く受け止めながら、やっと読了する。

2年前自動車旅行で柏原の里を横に見ながら、善光寺方向へ高速道路を下った。かなり遠くの空をガイドさんが指差し説明してくれたが。名前だけ知ってるだけのことだから大した感慨も抱くことは無かった。
自然は何事も無かったように静まり返って、人間の感傷など問題にはしない。

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2009年4月18日 (土)

指宿、霧島温泉旅行

4月16日(木)曇
朝5時起床。早すぎたがまた寝床に入るわけにゆかず、ぼつりぼつりと改めて準備を始める。
家内の調子がもうひとつなので、話し合って先に7時過ぎ、家内と荷物を駅まで届け、いったん車を家に持ち帰り、歩いて改めて駅に向かう。

らくらくと駅に到着、もよりの電車で広島駅に向かい、集合場所で落ち合う。

新幹線で小倉まで、小倉からバス5時間で鹿児島へ、磯庭園を見た後指宿に向かう。
指宿シーサイドホテルに入宿。砂蒸し温泉もあるのだが、乾癬に悪いかも知れぬと思い断念して普通のお湯に入る。
塩分が多いと聞いたが、そのせいかものすごくしみて痛む。
2度目はあきらめる。

客も多く、特に女性客が多いらしく、家内らは洗い場に困ったとこぼしていた。

食事は新鮮なものが多く、おいしかった。

たまたま同じ旅行社の大阪支店の、同じ名目の団体旅行とかち合い、ホテルの案内嬢が間違えてそちらに案内してくれたりして、面食らうことも起きたりした。
磯庭園では集合時間を私が間違えて、添乗員の藤井さんがわざわざ探しに来てくれるなど、とんだ迷惑をかけるという一幕も起きたりした。

弱った心臓がなんども悲鳴を上げる音を聞いた。ダウンするかなと思いながら、ゆるめつ、なだめつ、ついて行った。

もう今回が最後だなといやでも思い知らされた。

4月17日(金)曇
指宿の温泉ホテルを後にして、長崎鼻に向かう。駐車場から1キロ以上歩く。こんなに前回歩いたかなあと思い返す。
霞が深く灯台も開聞岳もぼんやりとしか見えない。

昨日の疲れが思いがけず激しく出て、足腰の具合が悪くなり、記念写真にも加わらず先に車のところまで帰る。
事後旅程を勝手に省略して、知覧でも武家屋敷見学はやめてバスで休む。
やはり歩き回ることは私には無理なようだ。

桜島に渡って、いままでだったらかなり歩かされるところだが、櫻島もかすみに隠されて,山容はまるで見えず、場所を変える値打ちもないので、一休みしたまま、今日の宿霧島観光ホテルに直行する。
小移動が多く、老人には却って酷だったかもしれない。

初めてだった妹らには楽しかったかもしれないが。

ホテルのお湯はあまり込まずのんびり長湯ができて、疲れを癒すことができた。

今日は藤井さんの部屋割りがホテル側と折り合わず、妹らの部屋割りが急遽変更になるなど、妹らには気の毒なことをした。


4月18日(土)曇後晴
予定通り霧島観光ホテルを朝8時半に出発して、えびの高原に向かう。当初は少なかったが、どんどん人が増える。登山目的の若い人が多い。韓国からもバスで来たひとびともいた。目の前に韓国岳が大きくひろがっていて、自分の国の名前がついているのでやって来たのではと,邪推したりする。

鹿が群れを作って現れたり,自然環境はすばらしい。エコミュージアムを見学したりして1時間を過ごす。

次に霧島神宮に参拝する。宮崎神宮の雰囲気だったので聞いてみると、やはり同じ祭神の神話の世界の神々を祀った点同じであった。

国分の黒酢と焼酎工場を見学させられる。私は車の中で寝てしまって,黒酢の方はさぼってしまう。

焼酎工場で昼飯を食い,鹿児島空港から高速道路に入って、5時間かけて小倉まで帰る。人が運転してくれるにしても、5時間は多すぎる。3時間が限度かな。

もうへとへとである。

九州路は何時行っても、自然がすばらしく、人類のふるさとの感じを思い起こさせる。
高速道などという、自然破壊のおそろしい現場を通り過ぎながらも、平然として道路の左右に力強く繁茂する森林を見ると、頑張ってくれと激励し祈りを捧げつつ走らざるを得ない。

小倉からは新幹線で帰路につく。添乗員氏の奔走のお蔭で妹らは一足先に岩国で途中下車して帰宅出来る。
とことん旅行者のためを思って3日間終始努力してくれた。藤井添乗員の真剣さは、いままでの誰にも負けない。
厚く厚く感謝したい。

9時半やっと帰宅。日頃元気な家内も今度ばかりは足が痛いと嘆いている。
はじめて見せた弱気にちょっと心配になる。

Kirisima_sp
Nagasakibana

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2009年4月20日 (月)

旅の疲れ

4月19日(日)晴
一旦午前7時に起き上がったが,疲れがひどく食欲も無く,身体がまだ眠った状態なので,9時まで再度寝るからと家内に言ってベッドに帰る。
9時ちょっと前目覚めて起きる。こんどはなんとなくよく眠った気持ち。
食卓について,家内が作ったサラダにパンとコーヒーでいつもの食事を何事も無くすます。2時間の睡眠がよく効いたようだ。
朝からいい天気で,気温も14度を超えどんどん上昇している感じ。もうセーターはいらない。

家内も手足の痛みに絶えかねて痛み止めを飲んだと言っている。
もう旅行も今度が限界だなと話し合う。家内は私よりうんと若いのだから、痛みがすくなくなれば、まだまだがんばれるはずだが。

午後には体調はすっかり回復する。
長女夫妻が菜穂子のハワイ土産など持ってやってくる。やっと少しはひまになったらしい。
1時間ばかりおしゃべりして帰って行く。

4月20日(月)曇
旅行で金を使って来たので、金を出しに行き帰りに切れている食品を家内に頼まれてスーパーにゆく。
ところがスーパーが開いていない,準備をしている店員さんに聞くと、9時半まで後15分待ってくださいとことわられる。こんなことがあるとなんだか急に気ぜわしくなる。

午後どんより曇って来て雨になりそう。もう仕方が無いな,長く続いたから。
鹿児島の旅から帰って,2日目疲れがひどくなって,身体のあちこちが痛い。家内も同じようなことをいっている。
老体には回復力が乏しいから,日が経つ程残った疲れが身体を苛むらしい。

今日などはほとんど寝て暮らす。自分でも感心する程熟睡する。
家内は気の毒にも町内会の用事があると言って走りまあっている。

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2009年4月21日 (火)

記憶の手段

今朝気温18度驚く,寒暖計を見直したが間違いなし。霧雨降り続く。

土田君より退院の知らせが電話で届く。一応地元の病院で継続診療を受けることになるようだ。
車で帰宅したのだが苦しかったそうだ。

最近に始まったことではないが、物忘れが急速に激しくなるのを感ずる。
パソコンの操作がちょっと古いものになると難しくなって来た。何ヶ月も使ってないソフトは往々にしてどうしたら良いかわからなくなる。何年も使ってないものに至っては新しいのと同じである。
これが結構困るんだなあ。

バージョンアップしたりして,上書きされると古いのが使えなくなるのがある。
古いファイルを読み込むのにしばらく悪戦苦闘しなければならない。
アップルはインテルにOSX10.5になるとき切り替えた。これがくせ者だった。
私はOSX10.5はインストールしたけれど,器械はインテルではない、昔のままである。だからいろいろ制約が起きる。
もう寿命は後幾ばくも無い。いまさらそのために器械をかえる必要も意欲もない。
しかし困ることはやはり困る。

メーカー筋はいろいろうまいことを言って、新しい器械にさせようとしているが、うっかり乗ると随分痛い目に今まであって来た。大事なファイルをどれほど駄目にさせられたか。
ソフトなどというものは、いつでも改廃されるものである。なくなった時に救済は自分で気をつけてやらなければならない。現在はCD,DVDが保存手段として最適に思われるが、それ以前に保存手段だったフロッピーを始めもろもろのメディアは、器械もなければ読み返す手段は無い。たかだか15年のスパンである。

容量の大きなものはコンパクトに記録を残せるから良いと思っていたが,少し違うようだ。
やはり紙にしておくかと、この頃考え始めたところである。
これは皆承知している通りもっともっと大変なことなのだが。

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2009年4月22日 (水)

冬の後始末

終日快晴。日曜大工ならぬ水曜大工(というのはないかな)もひさしぶりにやる。もちろん能率が上がるといったものではないが。
スピーカーの壊しかけたものが,倉庫にごろごろしてたので、ばらして釘など一本一本抜いて,板切れにして行く。
家内はそんなもの取っておかなくても、いっぱい板があるではないかと詰る。
いつものことで反論すると後がこわい。もっぱらだんまりである。

楽々園に買い物に行く。思いつくままいろいろある。

午後一休みしてから朝のつづき。老人のこととて手際よくぱっぱっとはやれない。
急ぐと怪我がこわい。
いつだったか門灯の電線を接続するとき,我が身を傷つけたドライバーの痕が2週間も経った今、やっと絆創膏がとれ、傷跡の肉が皮膚並みに盛り上がった。ちょっとしたことが案外大変なのだ。

私の年配の近隣の仲間がころんで足や腰を痛め,リハビリに精出している人が多い。全く他山の石である。

温泉に行き裸になると,身体中黒痣が点在して恥ずかしい。しかし黒痣ぐらいならよしとしなければと、いつも自答しているこの頃である。

年取ると行動範囲が小さくなる.考えることも身辺のことにつきる。
他人様のことなど情けないけど思い及ばない。
班長などという職責がこんなにも気にかかるのかと不思議なようだ。
いや私は何もしないのだが,家内が一人忙しく立ち回るのが気になるのである。
気になるだけで、なぜだか手も足も出せない。

車庫に積んでいた灯油が、まだ60リットルも残っていた。
ストーブを掃除して片付け,残った灯油も裏の倉庫まで運ばねばならない。
今頃セルフサービスだから自分で入れて来た20リットル入りの灯油3缶、急に暖かい日が続いたから残ってしまった。
結構重いんだなあ。
昔一缶30kg入りのパークレン(比重1.5)を会社に販売させられて,腰を痛め,便秘症に苦しんだことがあったが、あの当時は若かった。楽ではなかったが,トラック一台を二人で片付けたりしたものだ。

今は20リットルでも重荷である。車庫から階段を上がって倉庫まで50メートルはあるだろう。
午前中2缶、午後1缶と分けて運ぶ。老人の智恵かな。
しかし満90歳になる来年はとても無理だ。
ガソリンスタンドのおにいちゃんに20リットルは無理だよ,2,3リットル減したらといわれたが、来年は1缶15リットルという手があるかもしれないな。

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2009年4月23日 (木)

春のうたたね

午前中に内藤内科に行く.別状なし。
心臓の衰え年齢相応にてやむなしとのこと。
布団を持ち上げるとき,右中指の爪ひっかかりて、一部まくれる。僅かな出血あるもさして痛まず。
絆創膏にて患部をつつむ。
爪までかくも脆くなりしか、無念なり。

庭の一角に一際薄紅色の花がこんもりと咲き乱れている。これはなんだと家内に聞くとしゃくなげだという。
あああの石楠花かと読み辛い漢字を思い出す。90歳にしてやっと文字の本体を知る。
90年何をしてきたか、うときことかくのごとし。

来月までに赤十字募金をつながなければならないと家内が言う。仕事や病気で殆どいない家庭を一軒一軒つないで廻らなければならない。居ないうちは何度も足を運ぶ.良い運動にはなるがと情けなそうにつぶやく。

無駄なことをこうして暇に任せて書いているのだが、これでもかなり労力を使うと見える。ちょっと休んで考えているとうとうととしてしまう。若いとき試験勉強した時と同じである。案外ものすごく気持ちよいものである。
折から春暖の内も外も和やかな空気が充満している.昔からうたた寝の望外な喜びを文人たちは詩画に残した。
一つはこの魅力があるからこそ日記付けは止められないのかもしれない。

薬害をむりやり蒙らされた夏みかんが、葉はほとんど落としたが、小さな新芽と一緒にいっせいに黄色い花芽が吹き出している。どうなるかと手に汗握る思いで今日まで過ごしてきたが、植物は強い、思わぬ災難を乗り越えて今年の営みを始めたらしい。
剪定をうまくやれば、去年は4個だった実が倍増すること間違いなしだろう。

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2009年4月24日 (金)

記憶と記録

朝起きる時、いやに今朝は冷たいなと思う。カーテンを開いてみるとガラス戸が一尺ばかりあいていた。
外の気温は11度。部屋の中は18度なのだが。

先般記憶と記録のことを書いたが、紙に残すことの大変さを曖昧にしるした。
現在は紙の種類も多く、加工技術もすぐれているから一概に、記録云々について言うわけにはいかない。
勿論記録専門の用紙もあるだろう。

一介の庶民に過ぎない私などが使う紙と言ったら、概ねスーパーで安売りしている再生紙である。パソコンのプリント用紙から始まって、たまに書く手紙、メモ類までオール再生紙といってよい。
紙そのものの寿命がせいぜい数十年だろうから、記録の前段階の話である。

私がワープロを使い始めた二十数年前に書き残した書簡類など、今は色薄れ判じ難くてどうにもならないものが多い。
特に明治時代までの墨書ならまだ良いが、私たちが使ったペンとインクのものは特に駄目である。
さらにワープロのあの時代にはやった感熱紙なるものは、印刷文字が皆消えて十年も経って、読むことは出来ない。
70年前に母が私に暮れた鉛筆書きの手紙の方がうっすらとでも読めるからまだましな方である。

いつかも日記に書いた、陸奥記念館で読んだいや読もうとした書簡類の損耗ぶりに驚いたことが今も思い出される。
保存ということは言う程簡単ではない。

気をつけて、紙からフロッピーへ、MDへ、CDへ、そして今DVDへと写しかえつないで来た。
いずれもプレーヤーがなければ読むことはできない。しかも大量保存が効くだけに読むとなると凄い程の時間を必要とする。
物、人によったら一生かけても読了不可能となる。
すぐ選択が出来る紙の印刷物すら、マスプロされて個人の力ではどうするすべもない。
僅かに特殊な人が目にとめ、書きとめ、流布されて、世上に新しく再記録されて行くに過ぎない。

無駄なように見えても、この僅かな記録が歴史を形作って行くし、作って来たわけである。
あとのことはもう知らないよとさじを投げる以外に無い。

人気タレントのくさなぎ某が公園で酔いどれて、裸で寝ていて法律違反として逮捕された。たいしたことでもない罪が人気に比例して全国いや韓国まで巻き込んで大評判を呼び、ジャーナリズムの好餌となった。
人間誰でも持ち合わせている動物的本性が、深酒によって露呈されたに過ぎない。タレントいえど普通の人間だ、めくじらたてるにおよばないのでは。人気稼業なんて哀れな物だなあ。

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2009年4月25日 (土)

身体機能も物忘れ

朝かなり強く降り続いている。気温は15度とまあまあだが、昼中にも上がる気配はない。

先般孫のお祝いのお返しに貰ったハーモニカを取り出して、暇つぶしに吹いてみる。
僅かにおぼえているふ”ふるさと”や”あおげば尊し”など吹く。なかなか上手には老けないが、そのうちなんとかすらすらと間違いなく吹けるようになる。戦地で行軍途中テントの中で吹いてたのが、今思うと最後だが、持ち歩いたハーモニカはGマイナーだった。これはCメジャーだから、音が違う。勿論60数年前のことだから、音に関係はないが、吹く曲は自ずから違って来る。

うろ覚えでやるのだから、やはり全然だめだ。
多少本格的に楽譜を買って来るかして練習しなければだめだろう。これとて根気のいることだ。

若いときやったからといって、こんなに時間が経って身体が憶えて筈は無い。
いつだったか暑い日に裸になって近くの海に浸かったことがあったが、そのときふと思って泳げるかな、やってみようかとやりかけたことがある。
が、決心がつかなかった。浸かるだけで止めた。もし泳いでいたら溺れてこの世におさらばしただろう。
自転車などは50歳ぐらいまで乗ったと思う。しかしこれとても今は乗れないな。

多少経験があったからといって、物忘れは知能から反射神経まで行き亘って居るに違いない。

午前中に雨は上がって、どんよりと曇ってはいるが、降りそうには無い。

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2009年4月26日 (日)

第12回広響廿日市定期演奏会

朝気温10度、風やや強く、放射冷却か、島影がいやにはっきりして、ひさしぶりにいきいきとそろい踏み。
ゴールデンウイークが始まり、海外組も10%以上増加する見込みとか、庶民のふところは世上で伝えるほどしまってはいないとように見える。
私もウイークが過ぎたら、給付金を使いに出かけるつもりでいる。せっかくだから目に見える使い方をしなければ意味が無い。
こんなこと生まれて90年初めてだから、心が弾む思いだ。

今日は第12回広響廿日市定期演奏会が例年通りさくらぴあホールで開かれた。
まずプログラムが良かった。特にメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は昔は日本人演奏家などが好んで取り上げていたのでよく聞いたものだが、最近はどうしたわけか、どの演奏会でもプログラムに載らなくなっていた。
演奏者が松山冴花という29歳のヴァイオリニスト、今度初めて聞いた名前だった。
しかし聞いてみてよかったなあ。音色と良い、技巧といい、素晴しいに尽きる。陶然として酔いしれた感じである。
特に第1楽章から休みなしに入った第2楽章の冒頭の、匂うような美しい旋律に始まって、歌いまくるメンデルゾーン特有のメロディーに泣きたくなるような感傷に浸った。
休憩がはいって、ベートーベンの大作交響曲”英雄”、やはりシンフォニーは生でなければ駄目だよと改めて念を押された。
凄さが違う。第2楽章の整斉たる切れ味鋭い大葬送行進曲、格調の高さ、音響の凄さ、まさに魂を奪われてしまった。
これが広響の現在の姿なのだと聞き終わっても感嘆にしびれ、惜しみなく拍手をおくらざるをえなかった。

帰路大混雑の近くのスーパーに立ち寄り買い物をしてそうそうに帰宅。
天候はあまりさえいない日曜日だったが、まあ若者の行楽には一役買えただろう。

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2009年4月27日 (月)

老女の書いた小説と独力で帰国した戦争孤児の話

ふと目覚めた.深夜放送が何度も瑠璃光寺という。聞き耳を立てると、瑠璃光寺に魅せられてというテーマで”こころの時代”をやっている。話主は私と同じ89歳の老作家らしい。名前はよくわからなかったのだが、後で雑誌をしらべると、久木綾子という人だった。声が二十歳ぐらいにしか聞こえない、化け物のような女性である。
話題が興味があったので最後まで聞いた。
私もこの瑠璃光寺の五重塔は何とも言えず好きである。山口に出かけるたびに必ず訪れる。去年も3回訪れた。
一回はホタルを見るために、駐車場を借りた。
各層の屋根の軒先が反って優雅な五重塔である。日本の三名塔の一つだと話の中で言っていた。

それにしても、小説など書いたこともないのに、70歳でこの五重塔に出会って調べ始め、その詳細に興味を持ち、89歳ついに小説に仕上げたという。
この五重塔が6百年前に建てられたという事実から、椎葉村から出て来た大工の棟梁が、丹念に積み木を積み立てるごとく塔を立ち上げ、ある日その積み木の一つに矢立てから取り出した筆でその年月日や時間まで書き込んで、組み込んでいったとする。事実を織り込んだ想像の産物である。(聞きかじりだから正鵠は確言出来ないが、大正4年の大改築の時その書き付けが出て来たとある)

ともかくどんな小説なのか読んでみることにして、Amazonに6時に起きて注文する。動作はのろくても気は早いほうだから。今日中に送ると書いてあったがどうかな。

ついでに思い出したのだが、NHKが土曜ドラマで今放送している”遥かなる絆”は半年ぐらい前、中国新聞書評で見て、牡丹江など懐かしい地域での話だったので興味を持ち、すぐAmazonに原本”あの戦争から遠く離れて”を購入、数日にして熱中読み切った。凄い現実と感じたからだった。

今ドラマ化されて放送されているが、とても主人公の娘である城戸久枝さんの事実譚の迫力は出せてないと感ずる。
私は凄い本だと思っているが、同時代、同地方に生きた老人の単なる感傷にすぎないであろうか。

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2009年4月28日 (火)

酵素洗剤とか

気温8度とまあまあの天気。雲はかなり多いが雨になりそうにはない。
午前中日射しが強くなったところで、庭に出て松の剪定など行う。
心地よい。

門灯が点灯しなくなっていたので調べてみると、グローの寿命が来ていた。さっそく取り替える。今度は大丈夫だ。

午後アルパークに買い物に行く。酵素洗剤が欲しいのだそうだ。
休日の中間日だから客数はすくない。
先日から家内がガスコンロの火を消し忘れて、煮物を焦がしたり、茶瓶まで焦がしたりするので、警報機を付けようかと思ってデオデオに行ってみたが適当なのがない.今日電気ポットの1lt入りで沸くと自動的に消えてくれるのを、店員に勧められて買う。
これならあらかじめ湯を沸かしておかなくていいしというわけ。家内は不服げだったが。
使い勝手は良いか悪いかやってみないと何とも言えない。
私の部屋のは年中電気を付け放しのジャー。これから暑くなると使わないのだが、私が代わりに使ってもいいしと思い切って買った次第。

普段使っている紙切り鋏が切れなくなって何度も研ぐのだがだめ、これもついでに買う。
ドイツ製で少し高かったが、さすがに切れ味は文句ない。最近はビニールなど科学素材が多いので、切れ味が悪いとちっとも切れない。今度は大丈夫だ。

今度北館が出来て、映画館が沢山入ってるらしいが、遅く行ったので覗いてみる暇はなかった。
先月都心まで2度も見に出かけた”おくりびと”も今やってるらしいが、つぎにいいのが来たら、こんどは近くだし楽しみだ。

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2009年4月29日 (水)

歴史ロマンと因縁

昨日と同じような天気。暑くも寒くもない。
行楽に浮かれ出る一日だな。
が、老人はじっとしているのがよい。

昔トンコロリだったか、トンコレラだったかあったが、今度は豚インフレが世界中を震撼させている。
豚はかなり大きな動物だから処置が大変だ。鶏みたいに簡単に頸を絞めるわけにはいかないだろう。
動物愛護団体が騒ぐかもしれないし。

人類の滅亡は原爆か、ウイルスかが原因となると思われるが、まだその時期ではないだろう。人口が今の倍にでもなったら話は別だが。

巨人は広島が苦手になったか。今日も2-0で敗れる。3試合無得点とはどうしたことか。
ホームランばかり狙う選手が多すぎる感じする。やっぱり走ることから始めないと行けないのではと思ったりする。
ああ打てないでは、名監督原辰徳もサインの出しようがない。

今日Amazonから久木綾子著の"見越の塔”を送って来る。すぐ開封して読み始める。360頁もある大冊だから夕方まででやっと半分。まだ面白いかどうかわからない。
深夜放送で語っていたように、随分歩き回って資料を集められたのだなとよくわかった。
新田義貞、脇屋義助の末裔が若狭にいたとは気づかなかった。もともと新田氏は関東の豪族だと思いこんでいたので。
石田三成の子孫が青森県にいると聞いたことがあるが、同じようなものかな。歴史が好きな性分だからそちらの方が気になる。

私のようなどこの馬の骨かわからないようなものでも、何十代も昔の先祖は歴史に顔を出した人かもしれない。
歴史ロマンは面白い筈だ。
作者の履歴を読むと、私より数ヶ月年長だ。とても椎葉なんて山深いところ歩き回る気力は私にはない。えらいなあ。

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2009年4月30日 (木)

植物園内を歩く

朝6時半、気温10度、灰色の空高曇りか。
5時40分、FMラジオをCDの”悲愴”に切り替える。スエーデン放送交響楽団演奏、指揮はミツコ・フランコという、先日のFMからの録音。未だ聞いたことがないような超レントな演奏である。しかも音響の振幅が大きくて、聞き取り難いと思えば凄い大きな音になる。朝早くからこれではと気になる。しかし55分間の演奏面白く、とうとうつられて起きてしまった。

6時40分日射しやや強く射し込む、灰色の空に拘らず上天気か。

昨夜読み続けた”見越の塔”、椎葉と若狭を山口に結びつけ、執念とも思える山口の瑠璃光寺五重塔に行き着く細かい建築技法の敍述、あるいは専門工具の羅列,驚く他はない。90老媼の書く小説だろうか。
西中国一円九州豊前まで勢力範囲にいれて、足利幕府に強圧を与え続けた大内氏の庇護のもと、宇佐八幡などの神社仏閣を造営した仏師たちの知られざる記録を強引に明らかにしたことは大した成果である。

天気がよいので家内の誘いに応じて植物園に行く。目立つような花などはない。それでも園内を逍遙する人は多い。
幼稚園と見られる子供たちの一行、ボランティアに誘導されてる車いすの群れなど好天を利用する人たちが目立つ。

いつもこの頃萌黄に染まった東側の遊歩道の落葉樹の並木の下を行く時に感ずるなんという清々しさ。

最初階段を上るとき少し気分が悪くなった。胸から頭にかけてなにかえぐり悪い。
なんども休みながら歩く。家内も少し心配げである。
いつもよりスピードを落としてゆっくり園内を一周する。おしまいには身体が慣れて来たかスムースに動き始める。

帰路スーパーに立寄り買い物して帰る。家内がうっかり買った卵を置き忘れてくる。
老人はうっかりミスは多い、いちいち驚いてはおられない。

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