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2009年2月 1日 (日)

地理検索の妙

雲はやや多いが、晴れ間も多く,雨にはなりそうにはない。気温5度弱。

ここのところ乾癬がまた悪化しそうだ。というよりチガソンの効きが悪くなったような気がする。
変なところが腫れて来たり,痒くなったりする。毎年春先になると症状が出るのではあるが,少し早すぎる。
逆にチガソンの副作用はあるのかないのか自覚出来ない。

沖合20キロの大黒神島が今日は割とはっきり見える。日射しも徐々に強くなって来た。

昼前井上に出かける。雅代も来ている。彩寧が寝ている。まるまると太ってかわいい。
雅博さんは呉である駅伝に出場したとかで不在。
駅伝に走れると聞いておどろく。おじいさん選手ではないか。

午後3時昼寝から覚めてみると,日射しがうんと強くなって部屋に射し込んでいる。
いつの間にかよく晴れたらしい。

最近バージョンアップしたcd spin doctor(音楽取り込みソフト)の調子がよくない。
波形表示が出ないので、録音が難しい。仕方がないので別のソフトSound itsを使う。こちらは少しのろまだがやむを得ん。
アップしさえすればよくなるもんでもない。コンピューターってくせ者だ。

老いのせいか気が短くなって、こんなの一番いらつく。どなりつけるのだが、相手が機械ではなあ。

最近国土地理院の地図が随分見やすくなった。拡大縮小が実に手軽で,色合いも老人には判別しやすくてよい。
地図を見るのが小さい時からの趣味で,細かい地形が紙面で読めるのはこれを置いてない。
自動車にはナビゲーターがついて、勝手に道路案内してくれるが、これでは地形の面白さはわからない。
これも基礎には国土地理院の地図があるのだろうが。

google-earthで上空から覗き込み,地上では地形図をなめまわす。私の至福の時間帯である。

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2009年2月 2日 (月)

造花で飾る植物園

霧は深いがよい天気になりそう。気温1度。
宮島は霞み黒神も能美も見えない。
家内は朝食のとき早速今日はどこかへ出かけようと言う。
腹の調子がもう一つの私は即座には返事が出ない。

新聞は一面見出しでパナソニック赤字3000億、外需企業総崩れなどと3月期の見通しを書き立てている。
庶民の不安は高まるいっぽうである。
こんな時にヒットラーが現れて,ドイツ国民の人気をさらい,世界戦争に持ち込んだったがなあと思い起こす。
今は乞食の居ない良き時代だが、それでも失業者は急増しつつある。
なには置いても食わしてやらねばならない。国も県も市も借金してでも助けてやれといいたい。
この危機をうまく処理しきった国が世界に生き残れるのだ。

午前11時とうとう植物園に連れ出される。何もないがらんとした園内,春に備えて作業する人が沢山いる。来客はほん僅か数えるほどもいない。
それでもレストランが開いてたので入ってラーメンを食う。こんなじゃレストランも赤字だろうと余計な心配をする。

一旦帰宅してからガソリンスタンドに行き、ガソリン補給と灯油60ltを購入する。締めて¥6000.我が家の1月分の燃料代である。

外出して汗をかいたりしたのが悪かったか盛んに鼻水が出る。風邪の前兆かな。

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2009年2月 3日 (火)

老人の夜更かし

今にも降り出しそうな空。沖は霞んで何も見えない。もう9時半になるというのにお日様の存在も確認できない。
気温5度。もう春の気候。
昨夜は黒沢映画「天国と地獄」、洋画「卒業」と二本立て続けに見たので眠い。どちらも面白かった。
見出したら真剣に見るたちなので,凄く疲れる。

正午午睡から目覚めてみると,外は本格的な雨になっている。なんだか部屋の中までしっとりと薄ら寒い。

今日は節分らしい。最近のカレンダーには旧暦に関することがあまり書いてないので,立春とか節分とかはわからない。テレビの豆まきを見て初めて知る始末。古き日本は遠く去りにけりだな。

今年になってから収録した音楽の気に入ったものをアルバムにする。17時間ちょっとある。

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2009年2月 4日 (水)

苦言

水戸君からメールが入っている。ローマ字書きだから一瞬外国からかと驚いた。
私が婿が渡米したときローマ字書きでメールを送ったことがあったし、甥坊がサンジェーゴに居る時もそうした経験があったからだ。
どうやらパソコンの不具合が原因とわかったが。

しかしガンが転移したとあるのが気になる。手のうちようがないらしいし、うつつもりもないようだ。
90歳だから年に不足はないし、がっかりするなと励ましのメールを送る。好きな酒はやめるなと煽っておく。
転移場所次第で何年も生きられる。死を予告してもらったわけで都合がいいのではと勝手に思ったりする。

ことしのさざん会は大阪の番だから、出席するつもりだし、元気な顔をして会いたいと言っておく。
この世のお別れの時期はもう一緒のようなもんだ。
私の年代は戦争で死生をともにしたものが何百万人もいる。この年齢にして、死生をともに出来るのも因縁が深いというべきだ。

すこしずけずけ言い過ぎたかなとも思うが、事実不足を言う齢ではもうない。
私も頭が痒い,背中が痒い,尻が痒い、他人にはわからない,寝てもさめても地獄の責め苦にあってるようなもので、生きてるのが苦痛なのはがんも一緒だ。かんべんしてくれ。

楽々園に行き昼飯を食い買い物をする。ダイキで油かすなど肥料を買う。急に園芸をする気になったので家内が驚いただろう。自分でも驚いているくらいだ。

CDを鳴らすと、いきなりミルバのだみ声がマリネロとどなる。勢いがいい、何を歌っているのだろう。
およそ音楽とは、まるで主観的なもので、言葉通り音を楽しめばいい。何をいってるか、勝手に想像するのも楽しむ一つだ。

昨日節分のテレビが出ていたから,今日は立春なのだろう.暖かくて春酣の感じ。
しかし着てるものはまだ脱げないな。窓を開けると入って来る風は冷たいもの。

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2009年2月 5日 (木)

濃霧

濃霧、気温2度。
昨日の植物園園内一周の歩行訓練、さしたる効果認められず。
DVDアルバム試聴す。昨日より17時間,さすがに長い。深夜なれば音量は最低限。自動的に2周目にかかる。
機械のためを思って止める。
音質も悪くない。

午前十時、霧を突き抜けて届く日の光はさすがに冬の時と違う。
11時を過ぎても濃霧は続き,天神山の向こうは何も見えない。
昼には雨の気配濃厚になって来たので洗濯物もしまう。
3時近くまで午睡。まだ降っては居ない。気温11度。
身体のかゆみがとれない。特に頭の痒さは殺人的だ。

濃霧は相変わらず、終日これだとこれも珍現象。
雲仙に行ったとき,10m先も見えない霧の中を下ったことがあったが,あれはもう少し先の4月頃だったか,運転が怖かったなあ。あの時は雲仙特有の現象らしく,下山するとなんでもなかった。

毎日毎日御託を並べて過ごす.家内もひところより運動量が落ちた感じ。顔を会わすと昔話が機を失せず出て来る。
聞いても聞かなくても、役に立つというようなものではない。

午後3時急に視界が明るくなる、どうしたのかなとテラスに出てみる。西の空の雲が切れて僅かに青空がのぞき、やがてかーっと太陽が顔を出し、また隠れたりする。
とうとう夜になっても降らない。

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2009年2月 6日 (金)

乗馬の思い出

今朝も灰色に覆われた空だが、強い日の光が部屋の中ほどまで射し込み、暖かい日になるなと予感さす。
8時の気温6度。

昨夜も「赤ひげ」と「ハリーとトント」を遅くまでテレビ鑑賞。
後者は午前1時からだからさすがに疲れて途中で断念。
おかげで今朝は睡眠不足。まあ昼寝が出来るから心配はないがね。

どちらも良い映画だね。NHKさんは相変わらずやるねえと思わずつぶやく。いつみてもいいものはいい。
赤ひげはもう何回見たことだろう。もちろん生の映画も見たし。録画もしているし。
まだひよっこだった加山雄三がなかなか好演しているのに感服する。成長が目に見えてるところがいい。今度の収穫かもしれない。3時間を越えたのにも驚いた。こんなに長かったかなあ。

それにしても春夏秋冬霧の多いところだなあと35年間も住んでいるこの地の風光を今更のごとく振り返る。
長野県のような山ばかりのなかに閉ざされたのでなく、山は低く海は静かで、どこに霧の要因があるのだろう。
最近やっと気づいたくらいだから、やはり地球温暖化の影響だろうか。
昔は隣の郷里の地と同じ内海に面して、雨の日以外は霧の深さを感じたことなどなかった気がする。

今日も日は照って明るいが、宮島の山々はかすかにしかみえない。むろん海は区別のしようがない。

家内が近くのデパートに行こうというのでついてゆく。いやつれてゆく。
彼女の尻に付いて、上下の階を経巡る。ときには近くのいすで待たされること十数分。
昼になったので回転寿しを食いに行く。今日はネタがよくておいしかった。

デパートの通路に人だかりがしているのでよってみると、白いポニーがつながれている。子供なら乗れるらしい。昔輜重隊にいたときを思い出して、係員に問われるともなく言葉を交わす。毛の深い支那馬で編成されていた輓馬部隊だったが、小隊長だから行軍なんかではいつも乗せられていた。大きい日本馬と違って乗り心地がまるで違ったが、乗り降りが楽で面白かった。約1ヶ月の在任期間だったが懐かしく思い出さされた。
終いに係員に乗馬クラブに入るよう誘われる、90歳というのは他に居ないから新聞に載るでしょうという。落ちて骨でも折ったら最期だから止めておく。

帰りはスーパーで食物を買って帰宅。運動にはならないが退屈はしのげた。
一日かかって、「赤ひげ」と「ハリーとトント」をそれぞれ1枚のDVDにダビングする。

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2009年2月 7日 (土)

Wikipediaはいいな

気温1度、体感温度は5度ぐらいの感じ。部屋の温度は11.5度だから。
灰色の空は連日あいかわらず。

水戸君からまたメールが届く。ガンが5ヶ所に転移したと詳細に書いて来る。もう放射線治療も広範囲だから出来ないし、抗がん剤もむしろ死を早める危険が大きいので、何もしないことにしたとある。
致命的な場所でないので、静かに進行を見守るという。痛くないというのが良い。
私でもそうするだろう。

少しでも長命を果たし、今年のさざん会にはぜひ元気な顔で会いたいとまたメールを送る。
彼はパソコンの出来る唯一の同級生である。その意味でもまだまだ文通を楽しみたい。

家内が「たそがれ清兵衛」を見たいというので、DVDに撮ってあるのをセットする。
水戸君も「隠し剣鷹の爪」を録画したという。連鎖反応か。

時々ASUSを取り出しては練習するのだが、テキストも何もなしでいじるのだから、簡単なことでも楽ではない。
主にネットから探し出して見るのが仕事。
マックと違って操作の段階が多くて憶えるのが大変だ。まあ急ぐことがある訳でないから構わないが。

今一番楽だなあと思っているのは、辞書を引く手間がいらないことだ。全部パソコンで間に合う。新規な用語類でも簡単に辞書機能ではっきりする。辞書にない言葉がほとんどわかることは老人には誠にありがたい。
Wikipediaなんていうのは、誰が考えたか素晴しい辞書機能だ。

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2009年2月 8日 (日)

所得税申告

気温2度、春めいた朝の陽光。春霞ここ数日同じ。ここ付近に停滞して動かざるか。

所得税の申告書の作成を午前中いっぱいかかって仕上げる。
年金生活者でも結構税金がかかるのに驚く。まあそのぐらいでなければまともな暮らしは出来ないのかもしれないが。
社会保険料、介護保険料夫婦二人で40万円は大きい。
掛かりの多さにいささかあきれる。

今日は午後からひどく身体が痒い。4日ばかりチガソンの服用を休んでいるので、影響しているのかもしれない。
呑んでも効かないし、困ったものだ。
誰に言ったところでわかることではないし、我慢するしかない。
ちょうど幸いに部屋の中が暖かいので裸になって薬を塗りたくる。冷たいのも心地よい。

濃霧は今日も終日海上を埋め尽くし、島影一つ見えない。
典型的な春景色というべきか。

新聞を見ると、Google earthのストリートビューがプライバシーの侵害になると問題になってるらしい。
そんなものかなあと関係ありそうにもない身では不可思議である。どこがどうだというのだろうか、知りたい。

高知県で沖から持ち込まれた麻薬が大量発見されたという。こんなのストリートビューで探せばいいのではとその効用こそありがたいのでは。ーー舐めてみないとわからないから駄目だと。

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2009年2月 9日 (月)

失業救済は政府がやれ

霞空、気温1.3度。
テレビの位置が遠くなりというより、目や耳が老化して見たり聞いたりし難くなって、朝から苦情が起きる。
あいてるテレビを食堂に移動さすかという議論にはアンテナ配線の穴を壁にあけるのは嫌だと家内がいう。
アンテナがなければ映らないから無理な話だ。
大きなテレビにしようかと話が発展する。金がかかるし、場所を大きくとってじゃまになるしなあ、思案投げ首に落ち着く。

先般買った寝室用のデジタルテレビ26が現在遊んでいる。なんとももったいないのである。
家内のために長女がベッドを心配してくれたついでに、買ったテレビだが、肝心な家内が畳の上が良いと言って、ベッドに寝ないのでこの始末になってしまった。

午後独断でテレビの移動を決めて、配線をやりかえる。壁に穴をあけないで。
ケーブルの古いのをひっぱりだして使うので、調整が手間取ったが、なんとか完成する。台にコロもつけて移動しやすいようにする。
向きが簡単に変えられるのでどちらからでも見られる。まあよかった。
まだ新品だから何もかもきれいで上等だ。

午後2時過ぎから家内はどこかへ出て行く。足の痛みが大分取れたみたいで元気が出たようだ。
年取るとやはり元気なのが一番よい。

議会のやり取りをみるが、どうも実りがないようだ。野党は解散ばかりの主張だが,勝ったらこうするのだというところまで言ってもらいたい。この百年に一度の危機が救えるのか、よくわからない。自信もなさそうだ。
政権が変われば人が変わるから,自然に違う政治になることぐらいは、議員でも国民でもわかる。
変わっただけでは,困るのは国民である。今のままなら無駄な金を使い、無意味な騒動を起こしてもらいたくない。

金融機関の救済に何兆円も政府は出した。失業救済に政府は何兆円も出せないのか。無利息長期返済でもよいではないか。南アジヤの国でやって成功したのがあると聞いたが。

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2009年2月10日 (火)

日本は民主国家に向いていない

8時気温4度、9時陽光燦々。灰色の空だが雲らしきは見えず。天神山以南はもやって何も見えざることいつも通り。

金融恐慌とか,デフレとかいいながらも、物価高は相変わらず続いておかしいなと思っていたが,今日の新聞を見るとスーパーが軒並み食料、日用品の2割以上の値下げに踏み切った店が相次いでいる。
当然の成り行きだろう。原油高に便乗して値上げが続いたのだが、国民はすぐ消費節約で答えた。
みんながやれば大きい。スーパーももうけ過ぎを悟ったらしい。
安物をあさる主婦パワーはいつの時代も健在である。

正常に戻れば,国民経済は自ずから正常に戻る。企業が活況を取り戻せば雇用も復活するだろう。
政府はその間の潤滑油の運用を間違えないことだ。
定額給付金の実行が半年経っても出来ない。これでは効果は半減以下だ。
同じ民主国家でも米国とは決定の速度が遅すぎる。なんでもかでものろのろと牛歩戦術をとる日本国会は、老人といえども腹立たしい。小政府化はまず国会からやれといいたい。
昭和初頭の政界たらい回しが軍部台頭を招いたことを思い出す。

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2009年2月11日 (水)

自動車運転歴69年

昔の言葉で今日は紀元節だが、敗戦で皇統は維持されたが、国は外国の統治下に入ったので,一時的にしろ国が滅亡したことになって、紀元があいまいになってしまった。

そもそも神武天皇の建国そのものが,伝説であってはっきりしない上、壬申の乱や南北朝など、継続にも曖昧な点があって、科学的根拠を信奉する人民には受け入れ難くなってしまった。西暦などもその典型であって,世界の過半数はその始まりを信用しないのだが、なくすると被害が甚大だから信用したふりをしている。

まあ事実はともかく、宗教的信仰と同じく、数多くの人が信ずればそれでよく、少数派はついてゆくしかない。
民主主義の世の中だから当然である。
しかし、この事は嘘だったり,間違いだったりしているのだから、何時かは訂正されなくてはならないだろう。
どんな形で,訂正が行われるかみものである。
私の生きてるうちは無理だが、いっぺん地上が裂けるようなことでも起きると、いやでも変わるだろう。

午後も照ったり曇ったりするが,暖かで過ごしよい。
家内はどこかへ出て行く。足腰の鍛錬と心得てせっせと歩く。私と正反対である。
過去を振り返ってみても,一里の道を毎日通学した少年時代,兵隊として5年間過ごした戦争時代、これ以外に殊更に継続して歩き回ったことは私の記憶にない。だから疲労が溜まってなくて、足腰が丈夫なのだと私は思っている。

もっとも幼年時代に野球、学生時代に卓球を毎日やった経験はある。
しかしこれらは足腰鍛錬というより,精神力の陶冶に役立ったと思っている。生来気の弱い精神薄弱の子だったから。
だから技術優秀というところには到底近づけなかった。

今年は満89歳,数えの90歳である。足腰はどこも悪くない。ただ走るのは駄目だが,心臓がもう弱って薬を飲んでるくらいだから。自動車の運転は兵隊のとき最新鋭の自動車部隊に取られたお蔭で,爾来69年間乗り続けている。
歩くよりよほど得意である。

家から出る時は先ず歩く事はない。スーパーでも郵便局,お医者でも車で行く。
その都度、軍隊のお蔭だとあり難く思っている。

余談だが、私の運転教育はこちこちに凍結した山野から始まった、1941年1月満州の零下30度の気候風土の中で始まった。
足場がよくないと、まっすぐ走ってくれない。うっかりすると横滑りして窪地にはまってしまって脱出出来ない。坂発進では、後退して谷底に転落しそうになる。何度も何度も殴られながら、命がけの練習をした。
横滑りして車が横転するなどは今の人は知らないだろう。

東京の世田谷の学校に入学した半年間は、渋谷、代々木の都心を走らされた。物珍しく楽しい運転だった。
野戦に戻って、武漢から桂林、柳州まで数千キロを往復した。大部分は道なき道、あるいは山頂を伝って夜間ばかり走った。もちろん無灯火である。
老いて尚走る道は、ご存知の通り前を見るだけで足下を見る必要はない。楽すぎて話にならない。

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2009年2月12日 (木)

黄砂降りまくる

新聞テレビがいっせいに黄砂の第1陣が昨日広島地方にやって来たと報じた。
今朝もすぐ目の前の家から霞んで見える。500mの先の町並みはもうおぼろで形がはっきりしない。
昨年より1ヶ月早い黄砂だそうだ。

元はと言えば朔北の砂嵐が原因だろうから、ゴビやタクラマカンの砂漠近辺の人々は大変だろうな。
こんな目に遭いながら何千年もシルクロードと言われ続けて、繁栄を謳歌して来たのだから,悠久という年月の偉大さを思わずにはいられない。

内藤内科で頸動脈検査をしてもらう。結果は後日になる。十年か二十年前に,右頭脳が痛んで気持ち悪くなる事が何度かあったが、ここ数年何にも起らない。この検査でなにか原因らしいものがわかるかもしれないと思ったりする。

午後ビッグまで出かけて,食料などかなりの量買い込んで来る。安くて何でもあるんだそうである。
この地区はここ十数年間に発展した地域である。近所に山を切り開いて団地を沢山作った市の政策が実ったというべきかもしれない。私の墓もこの地域の外れにある。市営墓地が出来てすぐ応募して買ったのだが、もう三十年になる。
墓地を買ったから長生きしたのか、天の神様のきまぐれは誰にもわからない。

今日中には黄砂も納まるだろうと,予報はのたまっていたが、夕方ひどくなる分でもよくなる気配はない。
千の風ではないが、何千里を吹き捲くって、届きつつある砂塵が1日や2日で納まると思うのは,考えがすこし甘いのではないか。Img_1207kousa
Img_1208kousa

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2009年2月13日 (金)

砂漠とのつながり

気温9度と4月の気候,雨になりそうな気配。
黄砂はまだそのまま空に漂っている.雨で洗い流してもらわないと奇麗な空にはなりそうにない。

それにしても毎年今頃からずっと初夏になる頃まで黄砂は絶えず訪れて来る。
ゴビの砂漠から2500キロ、タクラマカンから5000キロ、よくもまあ飛んで来るものである。
漢の武帝といえば、2000年前に中国を統一し,西方の国々と通商を確立した人だが、その武帝の命を受け、大月氏国など西域諸国を13年間も経巡りシルクロードの基礎を築いたと言われる張騫の時代は緑したたる原野だったのだろうか。現在のような不毛の大地では到底偉大な西域諸国の存立はあり得なかったと思われるのだが。

九州から山口にかけて強風が吹いているらしい。ここはそよ風くらい。雨は午後になってしょぼしょぼ降り始める。
気温はせいぜい16度といったところか。気をつけていないからわからない。
日が射さないからとても暖かいなどとは言えない。部屋の中も18度だもの。

13日の金曜日だから、縁起の悪い日らしいし、おとなしくビデオを見ながらベッドの中で殆どを過ごす。

自民党がどうやら内紛を起こしているようだ。逆落としに追い打ちがかかってきた。
我が家では家内が心配しているのだが、もう駄目だね。
アメリカでもオバマが苦闘している感じ。やっぱり世界不況の打撃は深刻だ。
今までは大抵戦争で区切りがついたのだが、今回はそうも行きそうにない。

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2009年2月14日 (土)

世界と宇宙

昨夜の雨はしょぼしょぼだったと見え,又風もほとんどなかったらしく、沖合の黄砂はそのまま居座った感じである。
昨日は春大一番が吹き荒れたと報道されたが,幸運にもここらは風音一つ聞かれなかった。
空の中にもぽつんと盆地みたいなものができるのであろうか。
8時の気温はなんと13度を超えている。晩春の気候である。
冬着がずしっと嵩張っておぞましい。

午前9時過ぎ太陽の光が灰色の雲を抜けて,突如明るみを増す。すっぽりと灰色に,霧とも黄砂ともわからず覆われた空だが、どうやら天気は回復に向かっているらしい。

小沢民主党党首は来日するクリントン国務長官とは会わないという。よっぽど外交に自信がないらしい。これで国の舵取りを任されるのであろうか。政権奪取が間近いというのに、アメリカにも,中国にも出かけるでもなく,国内の農村を廻るという。一票が何より大事という訳である。
視野の小ささが気になるところである。
明治維新の岩倉、木戸、大久保なんかは偉かったなあ。政府がどう変わるかわからない時に1年半も留守にして欧米を見て回った。
新国家建設には,外国を見る事が一番大事と一致して感じていたのである。

午前11時庭先の温度は23度になる。もう暑いくらい。

米露の衛星同士がぶっつかったらしい。どっちももう使っていない星だから,支障は起きないが、破片が飛び散って他の衛星の邪魔するかもしれないと言う。そのうちシャトルの邪魔になるかもしれない。邪魔ぐらいで済めば良いが事故でも起こすともう世界が沸騰して大変な騒ぎになるかもしれない。

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2009年2月15日 (日)

梅の花

霞は依然として残ってはいるが、陽光燦々として快晴。
絶好の梅花シーズンだが近所にはさしたる名園はない。まあ縮景園だが梅は僅かに2、30本。梅見だけではもったいない。
チチヤスももうだめだ。光まで行けば梅2000本の冠梅園があるのだが、ちょっと遠すぎる。2、3時間でというわけにはいかない。

日曜日だから老人の出歩く日ではないし,日向ボッコでも楽しむかとソファでうとうとする。

10時半突然家内が梅を見にチチヤスに行こうと誘いに来る。
隣の家の紅梅が見事に咲いているのを見て心を動かされたという。
チチヤスぐらいなら大丈夫だろうと,思い切って立ち上がる。

宮島や牡蠣祭りに向かう車の列につけながら、それでも11時過ぎにはチチヤスパークに入る。
やはり休日とあって車も人も多い。
満開の梅花はさすがに見事である。いいにおいをまき散らしている。

今年はいくらか整備されてプールや小型遊戯車用ロードなどが出来て走り回っている。
だんだん昔のような遊園地になるのかもしれない。

四月の気候といってよいほどの陽気に浮かされて歩き回る。昼に近づくにつれどんどん来客も増える。
帰りにうっかり車の置き場所を見失い,夫婦で探しまわる。もうろく近しでいささかあわてる。
夢ではよく見るのだが,現実に車を探しまわるなど初めての経験をした。

帰路途中でビッグに立寄り食事と買い物をする。こんどはすいすいと楽に走れる。Img_1210ume

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2009年2月16日 (月)

日向ぼっこの楽しみ

気温6度と予想よりよい。
今朝は宮島も普通に見えて春霞の影響は少ない。久しぶりである。
今週の予報はシベリアからの寒気が下って来て寒くなるというが、現在のところ梅花とともに春の訪れはくつがえしようもない。

昨夜テレビで満開の縮景園の梅の花を伝えていた。106本の梅の木という報道に耳を疑った。どこにそんなにあるの。園内各所に散らばったものを併せてかもしれない。せいぜい2,30本と思って昨日もこのブログに書いたのだったが間違っていれば訂正謝罪しなければならない。もちろん美しい事に変わりはない。

ここ数日の暖かさに慌てて咲き乱れたという感じである。梅といえども生き物である。人並みにあわてることもあるのだろう。
ほとんどつぼみを残さずに一気に満開している。

午前中税務署に行き所得申告をすます。帰路デオデオにてアンテナコードを30mと部品を買う。ついでにASUSの無線Lanについて担当者にいろいろ教えてもらう。

午後天気好転して、すばらしい晴空となる。
折からFMより流れ出る、ショパンの名曲の数々を聞きながらうとうとする。無上の悦楽。

寒さから解き放たれると誰しも浮き立つ心になると見え,家内も元気を出し旅行の支度を始める。
妹らを誘い,昨年秋に挫折した鹿児島、宮崎行きを旅行社に相談し,4月中旬に決行する事に決めたらしい。
私はやさしい妹らに引っ張られて行くだけで、別に悔いはない。
温泉に入るのが楽しみだそうだからまあいいだろう。

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2009年2月17日 (火)

政治家の醜態

朝8時気温1度、牡丹雪がちらほら舞落ちている。樹木の葉の上には2、3cm積っているものもある。
数日暖かかったので,寒気が身にしみる。

予約していた会社から、水回りの配管の通水具合の点検に早朝8時前来てくれる。20分ぐらいで終わる.別状なく昨年同様問題はなかった。

昼頃雪は上がり,日が照り始める。依然として雲は多く,寒さに変わりはない。

クリントン国務長官が日本を訪問する。オバマ政権からの初めての使者である。もちろん友好目的と思われる。
中川金融相がU7後の記者会見での不始末の責任を取って辞任を発表する。民主党の攻撃の先手を取ったつもりだろう。
恥ずかしい事だ。
もうちょっとましな政治家はいないのか。最近二世,三世政治家が続出しているが、甘っちょろいところはここらに原因がありそうだ。
革命的な騒動でもおきないと、腹の据わった政治家は現れないかもしれない。

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2009年2月18日 (水)

どたばた喜劇

灰色に覆われていた空も、日が上がるにつれいい天気になる。寒さは昨日と同じ。
昨夜深夜放送で録音したナナ・ムスクーリの歌唱集をデジタルにダビングする。
透明な声が気に入ったので。

家内は昼前に先般買った衣装を変えてもらうといってデパートに出かける。
昼食はお蔭で一時間遅くなる。
しかしぽかぽか陽気で昼寝はたっぷりすることができた。

夕方になって家内が内藤内科に行くのを送って、スーパーで買い物をする。
もう寒いという程ではない。
車の往来が激しくなったのを感ずる.春めいて来たせいか。

5時半まだ夕焼けが西の空に残っている。大分日が長くなったのかな。それにしても今日は終日いい天気だった。

麻生内閣はもうじたばたしないで、いさぎよく挂冠しなさい。じたばたするから酒に酔ったりするんだ。
民主党も頼りないけど仕方ないね。ただ毅然として平和を守って欲しいね。北朝鮮から仕掛けられても我慢するんだね。付き合って得する事は何もない国だから。

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2009年2月19日 (木)

春雨

朝目覚め遅し。7時45分。
天地の間灰色一色。宮島弥山山容定かならず。気温3度。ひんやりと春間近しといったところか。

内閣支持13%。もはや回復不可能というべきか。ブルータスお前もか、小泉元総理も造反した。再度挂冠を促したい。
禅譲でなく、男らしく議会解散と行きたい。
サハリン会談、自他とも無関心。この期に及んで何とする。

携帯からでもメールはもちろん、ホームページ、ブログと自由にこなせるのはよいが、悪用が激しくて今問題になりつつある。
フォーラム時代はこんな心配はまったくなく、私などは実名で盛んに投稿したものである.皆親切に適切なアドバイスがうれしく、楽しかった。どれだけパソコンの勉強になったことだろう。
私はパソコンがなんとかこなせるようになったのは、フォーラムでの研鑽のおかげといってよい。

なんでこんなに同じ人間が悪くなったのであろうか。おれおれ詐欺など、悪意がまかり通って、せっかくの文明がもたらした便利極まるもろもろの手段が、安心して使えない。ほんとに情けない。

午後雨にはならないが、ますます寒くなり、外には出難くなる。日の光はまるで閉ざされ、沖合の霧は一段と深くなった。
冬が盛り返したというところだろう。

午後3時午睡から目覚めてみると、外はしとしとと音もなく春雨が庭を濡らしている。
夕闇の訪れとともに、死の底にあるかのごとく、静まり返った部落のたたずまいがぼんやりと眼前に映る。

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2009年2月20日 (金)

人口超大国の動向

昨夜はよく降ったが、今朝は上がっている.気温も5度とまあまあ。
霧が深くて沖の島影は全く見えない。昼頃には晴れると予報は云ってたがさあどうだろう。

昼前後ときどき太陽が顔を出す。それでも少しはほっとする。

今日の新聞を読むと、湾岸諸国も金融恐慌と原油の値下がりでえらく経済低調に陥ったらしい。
人減らしは日米だけではないわけだ。労働者の大供給国インドには職を失った大量の人たちが帰って来て、労働市場を溢れさし.インドのGDPの3%を超える送金が絶える事になり、経済を悪化さしているという。

中国でも失業者が増加し、政治不安にまで発展しそうな勢いという。
何しろ両国を合わせれば、世界人口の3分の一を超えようかというのだから、両国の動向は重要だ。

世界不況はこれではおいそれと回復に向かいはしないだろう。麻生がやっても小沢がやってもどうにもならないのではないかな。

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2009年2月21日 (土)

死ぬ直前電話して来た旧友

連日深い朝霧の夜明けが続く。気温1度。早朝から太陽がまぶしい。
2月ももう下旬に入った。飛ぶように過ぎる。陽春を待つ思いがそうさせるのか。

去年の今日の日記に東京の月岡君が電話をくれたとある。思えばその丁度2ヶ月後の4月20日に彼はこの世を去っている。
死の予感などまるでない元気な声であった。
その日記の一部を再掲する。同じ学年同じクラスでの故友である。

>>昨夕思いがけず東京の月岡君から電話が入る。学生時代以来の声だから、もう70年にもなる懐かしい声だ。彼もいつも世話になるばかりだからせめて君の声が聞きたくなったのだと云う。
さざん会の世話をしていることを言ってるのだが、もう身体は曲がってしまったし,外出できるような状態ではないから、いつも案内をいただいても参加することは不可能だとのこと。
日立という大会社に身を投じ、退いても系列の会社を経営し、申し分無い生活を送っているようだが、同窓との付き合いまでは手が回らなかったらしい。くやしさを滲ませての口ぶりだったが、世の中そんなに甘くないし、なにもかもに手が届く様なものではない。
しかし東京のど真ん中で何不自由無く暮らしてゆけるとは、最高の幸福人生ではあるまいか。
私の蔭の声であるが、学生時代下宿した古い暖簾の呉服屋さんの娘さんと結婚し,それが運を呼び込んだのか、大会社に就職してとんとん拍子に出世し、自分の自由になる会社を作って思うままに手腕が振るえたとあって、これ以上の人生はあるまい。
私などまさにその正反対の道を歩いて来なければならなかった。運の違いが大き過ぎて話にならない。

大きな声でよくべらべらとしゃべったが、どこが悪いのかと疑いたくなる様な調子だった。
永年自信満々に業務を取り仕切って来て、習い性となり、学生時代の姿から遠く抜け去った現在の彼を、言外にはっきり感じ取ることが出来た。
悪くいえば、同窓会なんて子供らしいことには興味が無いよということでは、過去33回の同窓会に一度も出てこないのだから。<<

沢山の友人の中で彼のように死の直前に思い出して声をかけてくれたものは他に居ない。しかも70年ぶりにである。
逢いに来てくれてその年に亡くなったのは二人居る。東京の田島さんと沖縄の仲吉さんだ。二人とも満州鉱山時代の同僚であり先輩だ。長い人生にはこんなこともあるんだなと思う。偶然というにはあまりにも因縁めいている。

あれからもう一年になる。年金が私より年額60万円多い事を誇らしげに言ってたが、何十年も社長暮らしをしていたのだから勝てる訳がない。死ぬまで運の良い奴だった。

日本アカデミー賞というのがあって、「おくりびと」という映画が10部門の大賞を独占したとある。
私は悲しいかなこの賞がどんな権威を持っているのか知らない。アメリカの真似かなと思っているに過ぎない。
最近は映画館に行き映画をみることは絶えてない.従って映画に付いて語る資格も知識もない。
だから深くは語る事を避けるが、家内から茶飲み話に出て来たので引き出し役に廻った。
納棺師の物語らしいが、私ら老人には縁が深いから見てこないといけないのではと、思いがけない事になってしまった。

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2009年2月23日 (月)

老残無残

昨夜はかなり降ったらしい。しかし今朝は上がって沖の島影も割とはっきり見える。気温8度、ようやく春の気分。
今週は曇天がつづく天気予報になっている。春先は例年こんなものだ。

よく眠れたというべきか、目覚めが遅れて8時前、家内が起こしに上がって来る。夜中の4時10分に一度起きたのだが、ベッドに戻ったまま4時間眠った訳。老衰が進むとこんなこともしばしば起きる。昼も夜も寝たり起きたりで時間は計りかねるが、一日の半分以上眠っている事は間違いない。

棚引くような雲、かなり分厚いのか日の光芒はどこにもみえない。寒い一日になるかもしれない。

チガソンがよく効いて、最近はかゆみは殆ど感じない。完治することはないが、忘れておられるのはありがたい。
水戸君はその後どうだろう。うつに陥らなければいいがと気になる。老人に前途はない。古き良き時代を顧みるのが一番健康によいのではと思ったりする。

昨年の事でも家内が友人と宮島に出かけて帽子を落として帰った。電話で渡船場に尋ねてみつかり去年の今日貰いに出かけた。些細な事でも、平和な一日の気のまぎれる出来事にはちがいない。

小さな旅は思いつきでいい。十年来そうしてきた。申し込みを要するツァーなどは、簡単にはいかないが、無理をしなくて済むのがよい。楽しみはゆとりの中からでないと生まれない。
その小さなたびもこのところ殆ど姿を消した。だいいちその気にならない。老殘無残ということか。

少年老いやすく、学なり難しという聖人の言葉があった。学はそれを志してもなかなか成るとは思われないが、90年の齢を重ねると、自然に積み重なった学の重みを自覚せざるを得ない。

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2009年2月24日 (火)

第6号潜水艇

昨夜はかなり降ったらしいが、今朝方はぽつりぽつりと思い出したように降っている。
濃霧が立ちこめて天神山の向こうはもう何も見えない。

枕元に置いてある書物の中に藤本仁という人の書いた「佐久間艇長の遺書と現代」という本がある。
相変わらず暖房機を使わない部屋が寒くて、ベッドから離れがたいので、寝たまま思わず手にする。
佐久間艇長というと必ず少年の頃を思い出す。郷土の盆踊りの音頭のテーマには必ず上る。
桜咲く春4月、沈没した海のすぐ前の浜辺にある記念碑の前で盛大なお祭りがあって、皆参詣する、私も毎年約3キロの道を通ったものだ。

ある日私の同じ名前の一級下の子が、小舟で私を誘って遥か海上まで釣りに出た事があった。
実際はもっと沖だったのだろうが、この辺で6号潜水艇が沈んだらしいぞと、誘ってくれた友がささやく。
このとき竿を下ろせばすぐ食いつく小魚に驚くとともに、何か変な巡り合わせを感じて不気味な思いをした事があった。

後年満州の会社に就職し、学校の8年先輩だった、長谷川さんという人に随分世話になった。この先輩が戦後のあるとき突然私を
訪ねて、6号潜水艇を見たいから案内してくれないかと頼まれた。
中学生当時、海軍潜水学校の一角に飾られていて、中に入ってみたりした経験があったので、早速OKして、一緒に潜水学校があった場所を尋ねた。跡地には造船所があったが、誰に聞いても知らない。戦後20年ぐらい経っていて、米軍の接収にあったりしたので無理もなかった。

呉の記念公園の場所にも見当たらない。結局鎮守府まで行き探してもらったところ、江田島の術科学校の校庭にあることがわかったが、時間がなくてこのときはとうとう見る事は出来なかった。
その後私自身は2度江田島を訪れて拝観したが、長谷川さんは遠いところからなかなか訪れる機会はなく惜しくも亡くなられてしまった、
因に長谷川さんの叔父さんはこの潜水艇の副長長谷川中尉で兵学校卒業席次2位恩賜組の秀才だった、佐久間艇長とともに従容として死に付いた乗組員15名の一人であった。

佐久間艇長の遺書は夏目漱石も激賞したとある通り、後世軍人の鏡ともいわれており、なかんずく長谷川中尉以下整然と持ち場に付いたまま死んでおり、当時同じく沈没事故を起こして死んだイギリス海軍軍人の死に様と比較され、世界を驚かせたという。

思い出すまま綴ったのだが、少年の頃遊んだ海も海岸も今は簡単に寄り付けるところではない。西は米軍基地と成り、工場群が海沿いを埋めつくし、岩国港に連なる。埋め立てが進んでむかしの海岸線はどこにあるのか、私には皆目判じが付かない。
五百年前にはまだ万葉の麻里布の浦々を残し、千年昔には白砂青松の美景が人々に歌い継がれた。

第6号潜水艇の遺跡も間もなく記憶の底から消え去るに違いない。艇が沈んだのが丁度百年前、その海の底が見えたと思った頃から八十年、遠くなりにけるかもだ。

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2009年2月25日 (水)

岩国空港

病院へ行く日とあって5時には目覚める。明かりをつけ、ビデオを見たりしながら夜明けをまつ。
支度を済ますと7時半には家を出る。
今朝の気温は5度、小雨程度で寒くはない。
8時半一番先に呼び出される。尻に腫れ物が出来たので治療してもらう.それ以外は別状なし。
9時半には帰宅、すぐ再度就寝。昼近く目覚める。日射しがまぶしく部屋に照り込んでいる。
雲が多く、快晴とはいえない。

大学入試が始まったらしい。受験生47万人とか。
来年は東京の末の孫の番だが、勉強が進んでるかしらと心配だ。
内心期待してるのだが、期待し過ぎると重荷になるだろうし、まだ一年あるけど、親たちの気苦労の方が大変だ。

私はいつも不思議に思っていることがある。羽田を止めて、成田に無理算段して国際空港を作った。いまだに反対するものがいて完成していない。広島空港を止めて、山の中に新広島空港を作った。利用者は空港まで行くのに疲れ果てる。
どちらも元の空港をなぜ拡張出来なかったか。どちらも広い海面を前にして。海の中でも関西空港は出来たではないか。
政治家という人種はどこかおかしい。

岩国基地の民間利用が問題になっている。愛宕山開発が尻切れとんぼで始末がつかない。
これもおかしい。半分以上も山を残すようなことをしないで,全部海に投入し飛行場をもっと大きくし,基地も大きくすると同時に飛行場もちゃんとしたのを作ったらどうか。ぐずぐず言ってたのでは始まらない、要は決断と実行である。

今日の広島も千田知事の決断で宇品築港が成って,初めて海面を利用する大広島の形が整ったと聞いている。

戦争はもうやらんといってるではないか。基地があっても戦争をやらなければ、別に問題はない。
空港があれば便利で得だ。理屈通りでないのか。

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2009年2月26日 (木)

今頃の映画館

青年将校たちが昭和維新と叫んだくらいだから、軍部の若手の中では革命気取りで居たかもしれない。
昭和11年2月26日に起きた226事件の日である。私はまだ16歳だった。当時中央でも地方でも政治的な殺傷事件は相次いで殺伐な風潮しきりだったから,又かとも思ったが大変だぞ-と血の逆流する感じだったのではと思ったりする。
10歳ごろ父に頼んで朝日新聞を取ってもらい,熱心に読みふけっていた時代だから、青春の血を沸かせない筈はないと思う。

しかし現実には何の思い出も残っていない。
ただ世の中は滔々と支那事変,大東亜戦争と戦争へ戦争へと流れ込んで行った。私たち世代はうんもすーもなく、引きずられて行ったというのが実感だ。個人的にも時代の流れに沿って、満州に就職し,関東軍に入り,爆撃にて家を失い,命永らえたが流転の人生を送らざるを得なかった。
渓流を流れ下る一葉の枯葉のごときものか。

折から現在の世相は不況のど真ん中。何百何千の離職者たちの将来に頭を痛める日本政府や国民だが,今朝のテレビ報道にあるように中国の農工離職者は何万何十万といわれる。
街に溢れる映像を見ただけでもただ事とは思われない。桁違いの国の桁違いな驚きだ。

家内が「おくりびと」を見に行きたいというので、それでは俺もという気になり,広島に出かける。途中のデパートにたちより昼飯を食ってから行く。
スカラ座に着いてみると観客は一人も居ない.受付まで上がって聞くと、今日のはもう済んだという。昼前から1回限りの上映だと言う。そんなことってあるのかよー。今朝の新聞では満員だとか,行列が出来たなどと書いてあったのに。
何年ぶりかに映画館を訪れたのに、世間は冷たいなあ。
エレベーターで下りて、ビルの一階の出入り口を見ると、やはり「おくりびと」は一回限りと表示がしてあった。

もう騒がしい街中をうろうろする事はごめんだ。家内がそごうで買い物する間1時間ソレイユのロータリーの冷たい腰掛けで待つ。

帰宅するとすぐ暖かいベッドに潜り込み1時間半ぐっすり眠る。

226bill

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2009年2月28日 (土)

別離にもいろいろ

久しぶりに朝からいい天気,気温は4度とまあまあ。
日の出がまぶしかったが,間もなく雲が張り出して来て何とも言えない天気になってしまう。

朝から部屋の中のちょっとした模様替えをする。気分転換みたいなものだ。

昼までには空一面に雲が張り、黒い雨雲までも混じって来る。
布団などの日乾ももうだめだ。
菜穂子の挙式の日も近づき、なんとなく気忙しい。

最近は乾癬でのかゆみが少し遠のいた感じで楽である。しかしこたつに入っていると突然左足がかゆくなる。あわてて薬を塗る。
NHKのテレビで広島交響楽団の演奏会が始まる。
最期のベートーベンの運命は至極簡明に淡々たる演奏で却って感銘が深い。今まで沢山の演奏を聴いて来て、あれこれ意味付けをして聞いたのがあほらしくなって来た。これでいいんだなと思ったりする。

鞠子からの手紙を見ていると陽子の字がおかしい。何となく違う。それを言うと家内がおかしくないよ私もこう書くよと言う。
変だなあと指でなぞってみる。やはり違う。横一が足りない。これヨウではなくてエキではないかと私が気がついて言う。
家内が漢和辞書を取り出して調べる.エキという字はなかったがヨウは確かに横一が日の下にある。私の言う通りである。
ヨウと読む字はへんが違っても横一が必ずある。無ければエキである。土へんはジョウとエキで意味まで違う。鞠子も娘の字を間違えて書いている事になる。
古い人間でもこうである。若者が間違うのも無理はない。


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