« 元日の朝 | トップページ | 正月、老人の心得 »

2009年1月 2日 (金)

昔の正月休みの遊び

近くの氏神様にお参りする。参詣者が少なくてよい。
その足でデパートに出かける。回転すしを食べる。正月とあって、普段より種類が豊富でおいしい。
満足する。

昨日は札幌からいつもの通り山崎君の声を聞く。元気そうだ。
今は油絵に熱中してるという。4度出かけたフィンランドの写真をもとに、写生画を書いてるんだそうだ。
日本人をとても好いてくれるので、フィンランドが大好きになったという。
ピアニストの舘野泉さんの事も話してくれた。随分あちらでも人気があるのだそうだ。
今市内は雪で真っ白だともいってた。こちらの話を聞いて驚いても居た。
もう会う事はむりだろう。電話があるということはやはり素晴しい。
戦友で戦後も親しく付き合ったほん数名の中のひとりだから。

私の日記で手元に残っている日記の一番古いのは昭和13年から14年にかけての日記帳である。
昭和14年の今日1月2日の日記は次の文句から始まっている。
ーーー昨日は殆ど一日中かるた取り・とらんぷ遊戯に終始した。
 帰郷する前までは愈々とらんぷに凝った様になってるって、寝ても覚めてもとらんぷばか
りいじっていたのであるが、俺の生来の性質からもう飽きそうな状態にはいりつつある。
とらんぷはやはり西洋人の遊びだ。やはり賭博を本位にしたものだけに、どことなくその
臭味が漂い又賭けてやらないと面白味の出て来ない見たいである。それに比較するとやは
り百人一首はどこか品がある。その読む所取る所、平安の雅趣が偲ばれて、深遠なる魅力
に釣り込まれる。一試合が大分永くかかるので緊張感が段々切実となって来て、興奮が極
まり、息苦しくなる程である。そこにかるたの生命があり、これをやるものの興味が存す
る。そして各々の歌を一つづつ覚えるのも興が深い。いなこれを覚えてしまうことは至難
の技であり、余程頭が良いか、遊戯外に立って専門的にやるかでなければまあ不可能といっ
てよい。遊戯に必要な読むのに順応して行く位は誰にでも出来ることである。此所にも又
かるたに対する興味が集まる所以のものである。ーーーー

なんとなく幼稚な言い方で、釈然としない文章だが、まだ十七、八だからこんなものだろう。
それにしても、トランプやカルタが盛んだったのかなあ。思い出さない。
テレビもラジオもない時代だから仕方がないか。

母親などは、黒豆みたいな黒い実(むくのみといってたかな?)をつかって、土間の穴に投げ入れる遊びを皆でわいわい言いながらしていた事を覚えている。羽子つきとか凧揚げなどはあまりしていなかった。ほかの地方とは違っていたかもしれない。もちろん正月休み間のことではあるが。
今も昔も雪がそんなに降る地方ではないので、雪にまつわる遊びは少ない。

|

« 元日の朝 | トップページ | 正月、老人の心得 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/43614444

この記事へのトラックバック一覧です: 昔の正月休みの遊び:

« 元日の朝 | トップページ | 正月、老人の心得 »