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2009年1月19日 (月)

私の妹

灰色いっぱいの大空の東中天に太陽が金色に光っている。晴か曇か今のところ定かではない。
8時の気温4度、暖かい方。
湿度が高いのか、南方の海上はもやって何も見えない。湿度計は二つ並んでぶら下がっているが、デジタルが38%、アナログが57%と表示され、どちらを信じていいかわからない。

昨夜の雨も今朝は上がったらしいから、妹のうちにでかけることにする、
先日夏みかんを取りにこいと電話があったからだ。例年沢山なるのだが、今年は200個ぐらいなったそうだ。
11時頃つく。妹と家内のおしゃべりが延々と続く。出る幕がない私は聞くともなく聞かされる。

そのうち隙間が出来たので、昨年死んだ吉川君のことを、出征前のある日吉川君が馬にまたがって家にやって来たのを覚えているかと聞いた。覚えてないという。出征のとき彼と一緒で駅頭に幟旗をたてて市民が見送ってくれたのだが、そのときのことはと聞くとそれも記憶にないという。その上あの時は母と喧嘩して、兄の私なんか兵隊に行って死んでしまえと思っていたとひどいことをいう。

どうやら幼い時から母は私をえこひいきしていて、ことさらに妹の自分にじゃけんにあたったと思っているらしい。逆に私は親父が妹にえこひいきすると思っていた時期があった。
だから内心では兄妹の間は仲良くはなかったようであった。なにしろ80年前の話だから実証が出来る話ではない。

昔はよくある話だったようだ。毛利元就は3本の矢の例を引いて兄弟の不和を戒めたとあるが、お家騒動の事実は枚挙にいとまがない。我が家では男と女だったから、喧嘩沙汰になることはなかった。
しかし母と妹は永く怨念がつづいたらしく、後年よく母が私のうちに来て泊まったりしたとき、悪口を言ってこぼしていたことを憶えている。よほど性格が合わなかったのだろう。
とかく同性は仲が悪いことが多いといわれるがその典型だったかもしれない。

正午を過ぎていつまでもおしゃべりが尽きない。しびれを切らして、飯を食いに行こうと私が怒鳴る。
いったんこれで打ち切られて、広島駅構内のうどん屋に行き、うどんを食べはじめる。
おしゃべりが再開される。
とうとう店の最後の客になってしまった。

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