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2009年1月 1日 (木)

元日の朝

元旦、いい天気になった。
初日の出を無事拝めた人たちがさぞ多かったことだろう。
人ごとでなくうれしい。

白雲が数多く飛んでいて、時に日を遮るが、まずまずの好天気といってよい。
朝の気温は-1度とあって、今冬最低になったが、風もないし外出には絶好の元日といって良さそうだ。

大晦日は9時過ぎに終わったN響の第9でテレビとお別れしすぐ眠る。
午前2時深夜放送のタイマーで起こされるが、無視して間もなく本格的な眠りにつく。
起床はいつも通り7時半。

雑煮は小さい餅二つ、ちょうどよい。屠蘇も杯2杯で終わり。
老人の家庭は華やかなものはなにもない。

昨夜の風呂を止めて朝風呂、時にはさっぱりしていいもんだ。

天皇杯サッカーの決勝戦、見応えがあったなあ!ガンバは今はのりに乗っている。勝ち運というものはやはり不思議だ。必死に粘ったレイソルも惜しいところで決勝点を奪われた。勝ち運があれば、はやばやと逆の目が出たかもしれなかった。

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2009年1月 2日 (金)

昔の正月休みの遊び

近くの氏神様にお参りする。参詣者が少なくてよい。
その足でデパートに出かける。回転すしを食べる。正月とあって、普段より種類が豊富でおいしい。
満足する。

昨日は札幌からいつもの通り山崎君の声を聞く。元気そうだ。
今は油絵に熱中してるという。4度出かけたフィンランドの写真をもとに、写生画を書いてるんだそうだ。
日本人をとても好いてくれるので、フィンランドが大好きになったという。
ピアニストの舘野泉さんの事も話してくれた。随分あちらでも人気があるのだそうだ。
今市内は雪で真っ白だともいってた。こちらの話を聞いて驚いても居た。
もう会う事はむりだろう。電話があるということはやはり素晴しい。
戦友で戦後も親しく付き合ったほん数名の中のひとりだから。

私の日記で手元に残っている日記の一番古いのは昭和13年から14年にかけての日記帳である。
昭和14年の今日1月2日の日記は次の文句から始まっている。
ーーー昨日は殆ど一日中かるた取り・とらんぷ遊戯に終始した。
 帰郷する前までは愈々とらんぷに凝った様になってるって、寝ても覚めてもとらんぷばか
りいじっていたのであるが、俺の生来の性質からもう飽きそうな状態にはいりつつある。
とらんぷはやはり西洋人の遊びだ。やはり賭博を本位にしたものだけに、どことなくその
臭味が漂い又賭けてやらないと面白味の出て来ない見たいである。それに比較するとやは
り百人一首はどこか品がある。その読む所取る所、平安の雅趣が偲ばれて、深遠なる魅力
に釣り込まれる。一試合が大分永くかかるので緊張感が段々切実となって来て、興奮が極
まり、息苦しくなる程である。そこにかるたの生命があり、これをやるものの興味が存す
る。そして各々の歌を一つづつ覚えるのも興が深い。いなこれを覚えてしまうことは至難
の技であり、余程頭が良いか、遊戯外に立って専門的にやるかでなければまあ不可能といっ
てよい。遊戯に必要な読むのに順応して行く位は誰にでも出来ることである。此所にも又
かるたに対する興味が集まる所以のものである。ーーーー

なんとなく幼稚な言い方で、釈然としない文章だが、まだ十七、八だからこんなものだろう。
それにしても、トランプやカルタが盛んだったのかなあ。思い出さない。
テレビもラジオもない時代だから仕方がないか。

母親などは、黒豆みたいな黒い実(むくのみといってたかな?)をつかって、土間の穴に投げ入れる遊びを皆でわいわい言いながらしていた事を覚えている。羽子つきとか凧揚げなどはあまりしていなかった。ほかの地方とは違っていたかもしれない。もちろん正月休み間のことではあるが。
今も昔も雪がそんなに降る地方ではないので、雪にまつわる遊びは少ない。

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2009年1月 3日 (土)

正月、老人の心得

娘の所に招待されて、ご馳走をいただく。
孫たちや、婿さんそして婚約者もそろって賑やかである。
曾孫のアーちゃんが緊張したのか眠ってくれず、入り替わり立ち代わりあやすのにてんやわんやだ。
私ももちろんだが、皆誰しもこうした時代があったことを思い起こさせてくれた。

アルコールが多少でも入るので、娘らに迷惑をかけてはと電車で出かけたのだが、帰りは結局飲まない雅博さんに送ってもらって、迷惑をかけてしまった。
帰宅してすぐ昼寝を1時間。

夜はNHKニューイヤー・オペラ・コンサートをテレビでしっかり見る。
顔ぶれが随分変わった。新人歌手もなかなか力強く大したものだ。
欧米のオペラ本場で活躍しているものが多く、そのための顔ぶれの変化というのがあたっているかもしれない。

元来お正月というのは、若者のためにあるようなもので、年を重ねるごとに成長して行く若者を寿ぐための行事といってよい。死を間近に控えた老人は本来お呼びではない。
だからとくに私のようなとびきりの老人に出る幕があってはならない。
静かに寝室でテレビくらいを楽しみ暮らすのが一番良い。
かりそめにも若者の邪魔をしてはならない。

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2009年1月 4日 (日)

我が家の雑音

薄く霞んでは居るがいい天気だ、気温は0度。
昨夜はよく眠れたので快適な気分。

午前中はひなたぼっこしながらCD音楽を聴く。好きな音楽を混在させたCDだから、取りとめはない。
流行歌あり、小唄あり、軍歌あり、クラシックあり、ムード音楽ありで自分では結構楽しみながら気分転換出来る。
クラシックも全曲は入れない。殆ど楽章以下にカットしている。
10枚ばかりそろえているから、時に取り出しては聴く。
他人から見れば単なる雑音に過ぎないだろう。催眠剤代わりに使う事も多い。

試みに1枚抜いてみると、1スポーツ行進曲、2ブラームス/弦楽六重奏曲第1楽章、3君よ知るや南の国/シュターデ、4新雪/灰田勝彦、5ベートーベン/大公トリオ第1楽章より、6魅せられて/近藤嘉彦(P)、7谷間の灯/東海林太郎、8シルクロードのテーマ/喜多郎、9何日君再来/李香蘭、10マイ・ウエイ/ポール、モーリア、11我が良き友よ/釜やつひろし、12チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番第1楽章より、13モン・パリ/アリベール、14祈り舟/双葉あき子、15海道を行く/姫神、16ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番第1楽章より、17It's not for me to say/Jane Morgan、18ヴィオレッタに捧げし歌/ハウゼ、19マリネロ/ミルバ
となる。皆この調子である。案外これが面白いんだなあ。
つくるとなると結構時間がかかる。まず探すのが大変だ。テープ1100本、CD1000枚などの中からだから。

午後になると急に雲が張り出して来て、日が陰る。
圭さんから電話で年賀の挨拶をいただく。今年は自宅で新年を迎えたとの事。子供が皆大きくなったからなあ。
親の言う通りにはなかなかならない。しかたのないことだ。
まあ皆息災なのはいい。

そばに居た家内がなぜ代わってくれないの、気が利かないねえ、お礼をいったりするのにと言う。そういえばリンゴのお礼を言うのを忘れていた。
電話は忙しいからいやだ。
ブログは見ているらしいから、書いておけばわかってくれるだろう。

ニューギニアで大地震があったとのこと、津波が心配でテレビが注意を叫んでいる。
地球は休みなく動いている。何が起るか解らない。

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2009年1月 5日 (月)

変わるふるさと

灰色の雲で覆われて、雨の気配は見えないが、いい天気になりそうにもない.気温は4度.まあ普通だろう。

正月だからこそ、思いがそこに行くのだろうが、ふるさとのことが気になる。
帰巣本能というのだろうか。
幼少時代から同じところに住んでいた同級の親友が昨年死んだ。今はふるさとも隣町になった.同じ距離でも合併合併で境を接することになってしまったからだ。

米軍の最新鋭戦闘機の移転問題で今ふるさとの市民の動向は揺れに揺れている。兄弟姉妹を始め、沢山の親類縁者が住んでいるだけにうかつにものが言える状態ではない。

隣の私の町の市長は代々猛反対を貫いている。市内に厳島を抱えているから、飛行機が落ちて壊されては困るからだろうか。間に挟まっている大竹市や和木町は賛成しているというのに、どうもよくわからない。

ふるさとといっても、現実の場所は変わりすぎて思い起こす何も無いに等しい。
久しく登ってみたいと思い続けていた「えんげし」と呼ぶ百米そこそこの裏山も、もうこの年では登る気力も体力もない。今残っている幼少時走り回った唯一の山野なのだが。

万葉集に歌われた数々の詩に残されたふるさとのたたずまいは、もちろん私の生まれた時には消え失せていた。そして今そのふるさとも同じ轍を踏んでいる。一寸の光陰軽んずべからず、時を残す手だてはどこにもない。

家内の要求でビッグに出かける.途中速谷神社にお参りする。車も人もいっぱい。さすが1700年の歴史を持つお宮だけのことはある。
ビッグは元旦明けとあってそれほど客は多くなかった。

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2009年1月 6日 (火)

夫婦生活60年

気温3度、太陽が早くから輝くいい朝だ。
ショパンの美しい曲が流れて、さわやかな何とも言いようのない気分である。

今朝の新聞で初日の出を拝んだもの、近郊三山で3千人と伝えている。昨年暮れの予想では6千人となっていたが、半分になっている。それでも減った訳ではなくて予想が間違ってたらしい。前年比8百人増と書いてあり、矛盾した記事である。そもそも6千人なる予想記事がおかしかった。
もっとも新聞もほんとのことバカリ書くとは限らない。人のすることだものね。

家内はどこかへ出かけるよう言ってたが、気が変わって止めたらしい。
だんだん人ごみの中が嫌になる年齢だ。
風はないようにうちからは見えるが、外に立つと結構吹いてるらしく寒いという。
顔を付き合わせておやつをいただく。
六十年近くも夫婦暮らしをしていると、無駄口はいらなくなる。ただ同じ話が何度も出て来たりするが。

年明けになって書いたらしい年賀状が一昨日8っつ、昨日4つという風に届けられる。
私の写真を見て元気そうだねというのが何人もいる。わたしはそんなに元気そうにしてはいないのだが、そんなに見えるのかなと思ったりする。
四六時中死神と話し暮らしているこの身だが、他人はそうはとらないらしい。
山崎君のように、よく旅行するんだなあと旅先の写真と直感して話しかけて来るものもいる。

旅行好きな私でも昨年は駄目だった。取り分け家内のリウマチが痛かった。
この年になると一人旅は出来ない.考えただけでも億劫になる。

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2009年1月 7日 (水)

夢か幻か草津の地蔵さん

家内がアルパークに行くというので付き合わされる。
私は電車でそこから草津まで行き、八幡宮にお参りする。暇人だから年賀参りの続きのつもりである。
厳島神社と同じ時期に出来たお宮らしく歴史は古い。
神武天皇が東征の途次軍船を浮かべた湊だと言われる、”いくさつ”が訛って草津になったという。
当時広島は太田川の河口の砂州であり、今日をしのぶよすがはなかった。
由緒ある物の本に見える話で見て来たようなうそではない。

80年も前に母に手を引かれ、草津の地を訪れたことがあった。
小学校の1年の2学期を病気で休学させられた。何の病気かはよくわからない。ただ病弱だったと親は言っていた。健康な子にしようと,腐心していた母は、ある日草津の地蔵さんが霊験あらたかだと聞いて私を連れて参った。宮島駅から電車に乗り,草津で降りて山道を歩いた。片道1里もあったろうか、行き交う人もかなり居た。お参りを済ませてもと来た道を引き返したことまでは覚えている。
しかしその後80年この地蔵さんの存在を誰に尋ねてもわからない。
広島に長年住んでいる友人までが、その存在を否定する。

今となっては夢か現かさだかではない。しかし山道をとぼとぼ歩いた感触、行き交う人の流れ、草津駅という記憶は未だに夢とは思われない。
この八幡様を間違えたかと今日訪ねたのだが、駅から2百米の道のり,まっすぐに登る193段の石段、まるで違う。
草津駅からの山道をお宮の境内の高さから探り見たが,思い出の山道は見当たらなかった。
やはり夢だったのだろうか。

弱った心臓のせいか,へとへとに疲れる。やっと家内と決めた落ち合う場所まで帰る。
自動車はいい、私には無くてはならぬ。
帰宅してすぐ眠る。

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Kusatuhatiman

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2009年1月 8日 (木)

軍津(いくさつ)も歴史の一齣

昨夜は疲れがひどく、ぐっすり眠って夜1度しか目覚めなかった。
今朝は足が痛い.特に膝付近にダメージが大きいようだ。何度も休憩しながら登ったのだが,急な石段だったからこたえたのであろう。

歴史年表を開いてみると,草津八幡宮は推古天皇の御宇西暦600年の始め頃海路の守護神として祭祀されたらしく、厳島神社と同じ時期らしい。遥か古き時代のことである。
広島市内の護国神社は元旦3ヶ日に60万人の参詣客があったらしいが、こちらはいくらの参拝があったのだろうか。昨日は昼過ぎの時間帯であったせいでもあろうか、私たった一人でお宮の内外には人っ子一人見えなかった。受付もなにも閉じら、本殿もビニールで囲われていたままであった。

西暦660年代には,白村江の戦いで唐軍に大敗した記録が残っている程で、朝鮮との交流も盛んで,従って瀬戸内海のこの付近の海上交通の繁栄ぶりが偲ばれる。
が、60年前の大東亜戦争すら、昔のことと記憶の外に押しやられつつある現在、千年以上も前の殷盛がいかなるものだったか想像もできない。

珊瑚虫が礁を築き島を造る,小さな蟻が穴を穿ち,塚を造る。人間は山を壊し,野を拓き姿も質も変えてしまった。時の刻むにつらなって生物が何をかなした結果である。
時こそ偉大なりといわねばならない。

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2009年1月 9日 (金)

地図の話

毎月月末で閉めて,ブログを印刷して保存しているのだが、ふとその印刷物を見ると、プロバイダが参考にと思ってやってくれてるこのブログに対する検索アクセスの文字フレーズの順位が載っている。
1位が”新京地図”とある。先月も3,5、7位にランクされている。随分前のブログに載せたのだが、これはある人の努力で現在は"google earth"に正式に掲載されることになって現在使われている。
誰が検索するのか知る由もないが、今になっても興味があるのかなあ。

私が1941年1月徴兵で入隊した自動車第3聯隊があった、斐徳(地図ではPeide)も探し当てることが出来る。
市街の大きさから見ると,10,000人は下らないのではと思われる。当時は兵隊以外は誰もいなかったのに。
もっとも駅前に百人以上の飲食業者などの民間人がいたかな。
70年も経つと随分変わるものだなあ。3年前新京に行ってみて驚いたばかりだから、今更驚くにあたらないが。上空2百米から眺められるのだから,その方が驚きだ。
第6軍司令部のあった東安(現在のMishan)まで,道路を行けば10km以上あったろうが、冬期は周りの湿地帯が全部凍結するので、車ならまっすぐ走って10分もかからなかった。

午後すぐ近くのスーパーに行く。
ご馳走に堪能したのだろうか客足が少ない。早く給付金をばらまかないと間に合わないぞ。

午後になると気温が下がり気味。滅多に雪の降らなくなった昨今だが、この分ではおっつけ降り始めるかもわからないな.春3月まで後50日,間違いなく何度か雪になるだろうが、もう目を楽しませる以外の何ものでもない。若き日の心の弾みが懐かしい。
孫に昔プレゼントしてもらった毛糸の頭巾を探し出してかぶる。やはり暖かい、水戸黄門だけのものではない。

Pic1

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2009年1月10日 (土)

サッカー王国復活か

霧がやや深く気温3度.天候ははっきりしない。粉雪がちらほら舞ったりする。
気象庁の予報によると,今日中に中国地方に降る雪の量は60cmと発表されている。
殆どが日本海側だろうが、ちらほらぐらいはおこぼれがこちらにも届くかもしれない。

高校サッカーの準決勝が埼玉スタジアムで行われた。第一試合は壮烈な点取り合戦の末鹿児島城西高校が前橋育英高校を逆転して5-3で先ず決勝進出を決める。
第二試合は広島皆実高校が1-0で鹿島学園に競り勝ち広島県勢として四十年ぶりの決勝進出を決めた。
どちらの試合も高校生らしく溌剌とした試合をして感動させてくれた。ラフプレイのない純真な良いプレイであった。

久しぶりの広島サッカーの復活と言えよう。私の若い頃は広島一中が強く,戦後は東洋工業が何度も連覇するなど,サッカーと言えば広島だった時期が永く続いた。
J2でサンフレッチェがダントツ優勝、今度皆実が優勝でもすると復活が夢でなくなるのだが。
祈りたい。

夕方近く青空が広範囲にひろがり、雪の恐れは遠のいた感じである。
しかし寒風が冷たく外に出る気にはならない。

サッカーを何時間も見て興奮したのか耳鳴りがひどい。夕食時まで眠る。

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2009年1月11日 (日)

府県対抗女子駅伝

前触れのあった大雪も,中国山地沿いに終夜降り続いたらしく,深夜放送では3時20分に三次地方で警報解除されたとの報道があった。こちらでは雪のかけらも見えない。
庄原付近では1m近くも積ったと新聞が伝えている。スキー愛好者は大喜びであろう。
今朝の気温0度、雲もやや厚みを増し、みぞれでも降り始めるかもしれない。

現在午後5時を20分ばかり過ぎている。風はやや強く黒い雲が飛び交ってはいるが、とうとう雨にはならない。
京都で行われた女子駅伝も見て疲れたので寝たらこの時間になってしまった。
京都の中学生が強かったなあ。
3秒遅れでたすきを貰ったのに,50秒も3kmで水をあけてアンカーに渡し5年連続優勝を盤石にしてしまった。
殊勲第一といってよい。
3位になった兵庫もオリンピック選手小林の走りは凄かった。29人も抜いて一人で3位まで押し上げた。
もう一人こんなのがいてほしかったなあ。

住所が変わったといって,未だに年末に出した年賀状が戻って来たりする。
簡単には外に出られないのに、やっかいなことだ。
改めて賀状をつくるのは3分もかからないが、投函しに行くのは今日はもうだめだ。

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2009年1月12日 (月)

孫の成人式

うっすらと雪化粧。裏山の話だが。
あるかなきか門の上に雪のつぶてがちらほらみえる。気温1度。寒さは冬本番。

私自身は無駄飯を食って生きてる身だから、可能な限り人類の不利益になることはやめようとはふだんから思い続けている。
昨日も今日もそれ以前もこの冬で一番気をつけていることは石油の節約である。ほとんど一日中火をつけない。
ひなたぼっこに努めるか、寝床に入るかする。もちろん大した効用のないコンディショナーはいつの年も冬には試験的に1、2度つけてみるくらいのものだ。
電気を使うことも間接的に原油を使うのだから、これも節約しなければ意味がない。
気温が零下に下る日が続けば仕方ないかもしれないが、現在程度の温度では支障がない。

幼少の頃を振り返ってみると,如何に現在の生活が贅沢か,我ながら腹立たしい思いである。
冬の暖房は火鉢一つである。北国のような掘りごたつとかストーブの如きものはない。
学校でも,背中もみかかけっこぐらいだ。風邪でも引かない限り,寒さを恐れたことはない。
もっとも自然現象でほとんどの子らがしもやけ、あかぎれの類は手足にもってはいたが。ほっとけば治った。

18歳のとき、3月まだ雪の残る中国山脈を越えて,出雲大社参拝を自転車で敢行したことがある。
山脈のど真ん中に頓原温泉という小さな部落があった。丁度昼時だったので,とある一軒の温泉宿をおとのうて、昼飯を注文した。
部屋に通されると、真ん中にこんもりと布団が敷かれている。もじもじしていると、女中さんが足を布団に入れろという。おそるおそる布団をめくって足を入れると、ぼーっと暖かい。櫓の下は穴が掘ってあり,足を下ろすとコタツが置いてあった。櫓コタツいうものだった。
18歳になって初めて違った暖の取り方を知ったのだった。

午後郵便局などへ用事があって出かけた後帰宅して,高校サッカー選手権の模様をテレビで見る。
結構良い試合をして,終盤までおいつ追われつで手に汗を握らせられたが,勝利の女神は遂に皆実高校に手を差し伸べた。3-2と最多得点力を誇る鹿児島城西高校を終了間際に突き放し下した。
山陽高校以来41年ぶりということである。
健闘を祝すと同時にいい死に土産が出来た思いである。

東京の孫が宇都宮まで出かけて成人式に出席したという。そんなことが出来るのかと感心する。
考えてみると,彼女ら姉妹は親の転勤につれて何回も移住し、故郷がどこかという感覚はないかもしれない。
一番思い出の深い,又友人の多い宇都宮を選んだことは正解だろう。東京の高校生活はほん一年ぐらいのもんだったし、親しい友人が出来る訳がない。
こうしたまともな成人式を持てない若者がこの頃多いのだろうなと今更のごとく反省をさせられる。

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2009年1月13日 (火)

休日ボケ

昨日と同じような天気と思っていたが,午後にはすっかり晴れ上がって上々の天気。
午前中プリンターのインクの一つが欠乏していたので,ちょっと買いに出る。
娘らにやる写真を印刷して、献体の資料と一緒に長女宅に届けに行く。

孫が丁度来ていて,曾孫の顔を拝める。
大きな声を出すので驚く。父親似らしいという。声楽家にでもしたいような、質量とも素晴しい声である。
家内と娘が近所のスーパーに買い物に出た間,昼寝をすべく横になったが、曾孫の声に驚かされて眠る所ではない。
4時帰宅。
昼飯がほとんど食えなかったので腹が減る。饅頭一つ食う。

三連休の後だけにどこも暇のようだ。
正月に4連休して次の週は3連休、13日で7日休んで仕事になるのか。
これでまともに給料を払うことが出来る筈があるまい。
一応楽が出来るか知らんが、ああ向いたつばで自分に降り掛かって来ることを覚悟しなければならない。

悪い世の中になったものだ。どの政党も休みを減らすというものはない。国民にへつらい過ぎる。
民主主義の一番悪いところだ。休みを減らすぞと叫ぶ勇気のあるやつはいないのか。

十年先には大借金国の貧乏大国になること間違いあるまい。
私はもういないだろうから、難を免れそうだが、子や孫は大変だな。

アメリカも日本も次は民主党の天下となりそうだが、難しい舵取りになることは必死だ。
オバマ、小沢どちらも頼りないなあ。文句を言うのはどちらもうまいのだが、統率力は果たしてどうか。

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2009年1月14日 (水)

店員の躾

連日零下1度以下の温度が続いて冷たい朝がつづく。水道管が心配で気をつけて見るのだが今のところ別状ない。今朝はよく晴れて太陽の光が明るく我が家にも照り注ぐ。

体調が少し下り坂かもしれない。食欲があまりない。死ぬる直前の記録になるかもしれないので、つまらぬことでもこうして書いておく。漱石も死期が近づいて,簡単な病状日記を付けていたのを,昔読んだ記憶がある。
人間は必ず一度は経験しなければならないことだから,参考になる場合もあるだろう。

始皇帝は不老不死の薬を求めて、このヤマトの国まで使者を派遣したといわれる。具体的な記録に残して置けば後世大いに参考になったであろうに。伝説ぐらいでは神話と一緒でおとぎ話に過ぎない。

午後になると空は雲に閉ざされる。風も出て寒い。

13年前に買った電気洗濯機が僅かづつではあるが水漏れし始めた。デオデオに言って来てみてもらう。
1時間ぐらい丁寧に見てもらったがはっきりしない。一応パッキンのねじめをしてもらって様子を見ることになる。それよりも水道栓のゆるみが気になるから見てもらえといわれる。これは壁を壊したり大変だ。
洗濯機の尻に首を突っ込んでしゃがみ込んで、修理に熱中している若い人を見ているとうらやましくなる。
身体を二重三重に折り曲げて、こんな芸当はもう老人にはできない。
結果が出ないからと金も取らないでかえって行く。お礼にコーヒーでもと家内が用意したが、先に予約が控えているからと早々に立ち去る。

一月ぐらい前買った家内のビデオデッキの映りが悪いのでこれはこちらで調べてみたところ,アンテナ配線が間違っていたことが解る。7千円の安物デッキでBSアンテナの取り付け口がないのに、BS線をVHFのアンテナ取り付け口につないでいたせいだった。
BSはテレビから逆配線することにして,片付く。
これもあと僅かの命なのだが。

今日は家内の方の分野でいろいろ忙しい。

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2009年1月15日 (木)

寒波を恐れず

今朝もマイナス1度。空はよく晴れている。雪がちらほら軒先に見える。明るい日光のもと間もなく消える。

そのうち雲が張り出して来て、そらの動きが激しくなる。日向ボッコもままならない。

iWorkがバージョンアップされ09になる、とりあえず試験版を使ってみることにする。まもなく万事完了(ワンラ)になることが解っているのだが,期日指定とまでは行ってないので仕方がない。

Asusのノートをネットだけにしぼって使っているのだが、案外表示が確かでいい。小さくても私のパソコンより文字がはっきりして,目の弱い老人向けにはいい。ブラウザはSafariに切り替えた。別に何でもないようだ。却ってデフォルトのExplorerより反応が早くて使いやすい。長年の馴れもあるのかもしれないが。
ポケットに入るから、持ち運びには頗る便利だ。老人のおもちゃだな。
それにしても¥19000.は安い。

朝に晩に眺め暮らす、宮島と黒神島が嶺のシルエットがよく似ていることに最近気づいた。黒神が少し遠くにあるからシルエットを縮小した感じである。

「心頭を滅却すれば火も又涼し」という言葉があるが、私が今頃つくづく時に感嘆の叫びをあげるのは,「心頭を滅却すれば、寒波も恐れず」ということである。
パソコンに熱中している時はもう寒さなんか全然感じない、ことを実感し始めた。

今冬に入ってからストーブを使わないと決心した。寒さガリの私だから永くは駄目だろうなと思っていたのだが,辛抱強く今に至っている。
そのかわり風邪を引いては何にもならないから,着るものは惜しみなく着込んでいる。時に増減はするが、まず寒さを感じない程度まで着る。靴下も履く。靴下も最近はゴムで締め付けないものを売っている。それを使うからうっ血しない。まだマフラーまではしてないが、いざとなるとこれも2、3本用意している。
頭は禿げていて寒いので最近毛の頭巾をかぶり始めた。
軍隊時代零下30度の戸外で長時間勤務した経験がこの際ものをいう。
以上である。
私の格言がおわかりかな。

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2009年1月16日 (金)

心配なこと

気温ー2度。今冬最低。昨夜第六感が働いて、夜9時の天気予報を聞いたとき、明日の最低気温はー1度と報じられたが,ー2度ぐらいになるのではと不思議に予感がしたので,庭と駐車場のカランを開けて廻った。もちろん元栓は閉めたが、余分な水は排出された。
今朝は予感が当たってー2度になったが、なんでもなかった。我が家ではー2度は鬼門である。十年以上前には何度か水道管が破裂してひどい目にあった。

ー3度以下にもなると、炊事場や洗面所、風呂まで危なくなる。どこが破損するかはわからない。
一度は炊事場の床下が水浸しになったことがある。カランを少し開けて漏るようにしておかなければならない。若かった頃は自分で修理が出来たが、今起きたら大変だ。自分の手には負えない。先日の洗濯機と同じだ。

こんなことを書いてるうちに思い出したのだが、最近はベッドから起き上がるのが難しくなった。
スッと上半身から起き上がることはもう随分前から出来ないのだが、最近は何かを捕まえないと半身が持ち上がらない。下半身を横滑らしして片足を床に下ろし,それからおもむろに布団を跳ね上げて上半身を起こすのだが、それが最近難しくなった。布団が重いせいもある。
老衰して死の直前には当然寝たきりになるか,起き上がれなくなるかだろうが、その段階にかかりつつあるなと思い知る。

今日も昼頃から雲が張り始め,寒くなって来る。
家内は医者に行ったついでに,スーパーに立ち寄ったと言って昼をいくらか過ぎて帰宅する。
時間はどうでもいいのだが、痛い手をかばいながら買い物をするのが気になる。
最近はほとんど私が車で一緒に買い出しに行くようにしているから、手が痛い足が痛いと口癖のようにいう家内のやり方が気に入らない。
もっともけんかは得意でないので何にもいわないがストレスになりそうだ。

最近死んだ友人の夢など見て気になる。大体夢なんてほとんど訳の分からない人間どもが出て来て,訳の分からぬことが起きることが多く,特定の人物像が現れることは稀である。
昨年死んだ吉川君が突然現れた。昨年は本間君、三好君、清木君とつぎつぎ死んだので,死が身近くなりすぎたせいかもしれない。

着々と心の準備は出来てるつもりだが、身の回りの雑物の整理は何にもしてないに等しい。
家内や子供がぶつぶつ言いそうなのが目に見えているのだが、こちらはいっこうに決心がつきかねている。
やはり心中支えになるものは捨てたくないのだな、結局まだ死にたくないということだろう。
煩悩の浅ましさ,唾棄したくなる。

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2009年1月17日 (土)

税金と給付

気温1度。霧が深い、島影は殆ど見えない。新聞に昼間でも見えると伝えていた金星も、このスモッグではどうしようもない。
いつからやるのか知らないが,高速道が千円で乗り放題と報道されている。麻生内閣はいろいろ思い切ったことを言い放題だが,実行がなかなかだから当てに出来ない。

実現すれば、東京へも車で行けるのだが,この歳ではもう駄目だな。
子供らに来てもらうのにはいいな。そちらを大いに期待しよう。
JRやバス会社に影響が出そうだが、そちらからの反対でまだ何とも言えないな。

アメリカで飛行機がバードショックでハドソン川に不時着陸し、155人全員が無事救助されたという。
よほど運が良かったか、機長の処置が良かったか、ともかくすばらしい快挙だ。
遠い国の出来事だが、関係なくうれしい。
バードショックなど聞き慣れない話だが、日本でも随分発生してるんだとのこと、殆ど報道されることもないし、それほど危険なことではないのだろうが、飛行機によく乗る人は気になるだろうな。
鳥も空は自分のものと思っているだろうし、人間の保護もあって、随分増えているらしいから。

午後には完全に曇ってしまう。家内はどこかへ出て行く。
霧は依然として深いまま。

定額給付金も民主党が反対してなかなか実行まで行きそうにない。
呉れるものなら黙って貰っておけばいいものを、乞食のような気分になって、沽券にかかわるというのだろうか。
減税なら手を叩くが、給付は駄目だというやつは税金を払う資格があるもののいうことだ。
消費税は所得税や資産税を払う資格がなくても、払わされるのだよ。給付金ぐらいもらってもいいのでは、5%は現在でも国民全部が払ってるのだから。

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2009年1月18日 (日)

府県対抗男子駅伝

灰色の空。気温は3度。府県対抗男子駅伝が始まる午後には雨になるとの予報だが、その気配が濃厚とは言えない。九州の天候次第だ。好条件で戦わしてやりたい。少年選手も居るのだから。

午後0時半予定通り平和公園前をスタートした府県対抗男子駅伝は、高校生に高レベルの選手を揃えた長野県の圧勝に終わった。二位以下を争った、栃木、福島、埼玉の予期しない活躍は面白かった。
逆に前評判の高かった兵庫県が後半期待はずれだったのが残念。
地元広島は戦力にむらがあり3区5区の重要区間で水をあけられ、最後の走者岡本の区間賞も無意味になってしまった。結局、ずるずる順位を下げるばかりで、テレビに姿を現すこともなかった。
素材不足か、指導者不足か、大いに奮起して欲しい。
女子の京都のように開催県としての自覚をもってもらいたいものだ。

テレビに熱中したせいか、また耳鳴りがひどくなり、一休みすることになる。
駅伝が終わる頃から雨になる。タイミングはちょうど良かった。目覚めるとまもなく夜。
なんとなく力が抜けた感じ。

途中で気づいたことだが、NHKのオンラインで表示されるデータ速報のすばらしさには驚嘆させられる。
ほとんどトップばかりにカメラアイが行ってる間にどんどんドラマが展開される。
こちらの方が感じ方としては面白いのではと思ったりする。
コンピューターってやはりすごいなあ。

CMによる中断がないのもいい。この件は先の高校サッカー選手権の民放の放送も中断がなくてよかった。
やろうと思えば出来るんだなとその時感じたのだが。
映画とかドラマとか、バラエティ番組とか、CMがいくらあっても構わない番組もあるのだから、スポーツのごとき一瞬の油断も出来ない番組にはそれなりの考慮が必要だと思う。

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2009年1月19日 (月)

私の妹

灰色いっぱいの大空の東中天に太陽が金色に光っている。晴か曇か今のところ定かではない。
8時の気温4度、暖かい方。
湿度が高いのか、南方の海上はもやって何も見えない。湿度計は二つ並んでぶら下がっているが、デジタルが38%、アナログが57%と表示され、どちらを信じていいかわからない。

昨夜の雨も今朝は上がったらしいから、妹のうちにでかけることにする、
先日夏みかんを取りにこいと電話があったからだ。例年沢山なるのだが、今年は200個ぐらいなったそうだ。
11時頃つく。妹と家内のおしゃべりが延々と続く。出る幕がない私は聞くともなく聞かされる。

そのうち隙間が出来たので、昨年死んだ吉川君のことを、出征前のある日吉川君が馬にまたがって家にやって来たのを覚えているかと聞いた。覚えてないという。出征のとき彼と一緒で駅頭に幟旗をたてて市民が見送ってくれたのだが、そのときのことはと聞くとそれも記憶にないという。その上あの時は母と喧嘩して、兄の私なんか兵隊に行って死んでしまえと思っていたとひどいことをいう。

どうやら幼い時から母は私をえこひいきしていて、ことさらに妹の自分にじゃけんにあたったと思っているらしい。逆に私は親父が妹にえこひいきすると思っていた時期があった。
だから内心では兄妹の間は仲良くはなかったようであった。なにしろ80年前の話だから実証が出来る話ではない。

昔はよくある話だったようだ。毛利元就は3本の矢の例を引いて兄弟の不和を戒めたとあるが、お家騒動の事実は枚挙にいとまがない。我が家では男と女だったから、喧嘩沙汰になることはなかった。
しかし母と妹は永く怨念がつづいたらしく、後年よく母が私のうちに来て泊まったりしたとき、悪口を言ってこぼしていたことを憶えている。よほど性格が合わなかったのだろう。
とかく同性は仲が悪いことが多いといわれるがその典型だったかもしれない。

正午を過ぎていつまでもおしゃべりが尽きない。しびれを切らして、飯を食いに行こうと私が怒鳴る。
いったんこれで打ち切られて、広島駅構内のうどん屋に行き、うどんを食べはじめる。
おしゃべりが再開される。
とうとう店の最後の客になってしまった。

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2009年1月20日 (火)

健康の秘訣は食事か

昨日と全く同じような夜明け、灰色につつまれて天候も定かにはわからない。
若かりし頃の冷たく澄み切った夜明けの青空はもう二度と見ることはあるまい。
ましてや四国の棚引く雲の上にかすかに抜き出た高い峰峰は望むべくもない。
いずれもこの地方特有の冬の風物詩だったが。

午後遅くなって内藤内科に出かける。血液検査と尿の検査がある。
いずれも別状なしとのこと。風邪には気をつけるようにと注意される。
一応マスクはつけて行ったのだが。

医師に検査の結果が申し分ないように言われると、いい気持ちではあるが、何故こうなるのかと不思議な気もする。生来決して丈夫な体質ではない.母親には幼少の頃からひどく心配をかけた。とても人並みには生きて行けないだろうと、自他ともに感じていた。

転機があったとすれば、軍隊が何を置いても先ず考えられる。自分の健康など全然顧みるいとまはなかった。連日任務を思い、全力をあげて取り組んだ。最後は栄養失調になり、胸をやられて血を吐いた。
戦後も事業を失敗し、人にだまされたりして財産を失い、食うや食わずの生活を余儀なくされた。
健康管理が立派に出来る訳がなかった。

病身ではあったが、本質的には良い遺伝子を継承したことになる。
乾癬という自己免疫性の不治の病をもってはいるが、死に関係する病気ではない。むしろ免疫力が強すぎるのだから、生き抜くためには役立っているかもしれない。
不思議な巡り合わせをつくづく感ずる。

もう一つ重要なファクター、適切な食事ということがある。結婚以来60年間妻のつくる食事を摂って来た。
この貢献は計り知れない。
古来言われて来た通り、暴飲暴食を慎み、無理のない食物を平均的に、しかも腹八分におさめてきたことが、最高の要因だったに違いない。
何より健全な夫婦生活まもなく60年とならんとしていることで裏付けられる。
やっぱり家内のおかげだな。

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2009年1月21日 (水)

米寿老人でも雑用はこなす

広島総合病院に行く。雨になりそうなので傘を持って行く。7時半に家を出たので早すぎた。大分待つ。
幸い薬局まで早く済んだので9時過ぎには帰宅する。
インフルエンザが流行しているので気になる。特に病院は危ないので、今日のように早く片付くとまあ安心。
霧が深くて10時になっても天猶暗しである。

昼前になって今度は家内が内藤に行く。血液検査があったりして、1時近くなって帰宅する。
それから食事ということでふだんより大分ずれる。

午後になっても雨にはならない。霧はますます濃くなる。暗く寒い一日になってしまう。
昼寝には都合がいいので、寝たり起きたりで過ぎて行く。

オバマ大統領の就任式。全世界の注視の中での初めての黒人大統領。思っただけでもたいへんだなあと感ずる。
とうとう実現してしまった。デモクラシーといっても、まだまだ差別が手厳しい。
ちょっとしたミスが命取りになる可能性は十分ある。
はらはらして見ているのが、ほんとの気持ちでは。

午後3時やっと雨になる。気温8度。暖を摂らずに居ると手足が冷えて、パソコンいじりも楽でなくなる。千代が言うように我慢してまで燃料節約をつづけるのは、ひとまず置くとするか。風邪をひいてもつまらないし。

病院に行っただけで何もない日だなと思っていたら、またオーディオ機器の配線替えという仕事が発生した。いろいろあるもんだ。
洗濯機はあれから漏らなくなったし、やらなければならないことはテキパキやることだなと思い返す。

しかしパソコン関係と家庭電気関係の配線が入り乱れて、使っている本人でも一旦し直すとなると並み大抵なことでは納まらない。
婿のところなど電波配線にしているが、これとても配線がなくなるわけではないだろうから、五十歩百歩と思っているのだがどうだろう。

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2009年1月22日 (木)

happy birthday

夜少し雨が降ったらしいが、痕跡が残るだけで雲間から薄日がさしている。快晴とは行かないようだ。
気温3度とまあまあ。
まだまだ寒い日が月末頃にありそうな予報。
朝8時に浄化槽の点検に来る。早くから何事と家内も声を荒くしている。しかし挨拶が丁寧で、今後もよろしくと声を残して去る。若い学生アルバイトの感じだと云う。
1分ぐらいいて、¥3500.とられる。銭の値打ちがないなあ。

今思い出した、今日が私の誕生日だった.満89歳になる。
プロバイダーの@niftyから例年通り、おめでとうのメールが入っている。
_________________________
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┏☆┓
┣╋┫      お誕生日おめでとうございます
┗┻┛    ~バースデーカードをお送りしました~
                     From アット・ニフティ
                          スタッフ一同
.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:

(私の名前)様

いつもアット・ニフティをご利用いただきありがとうございます。
今日は (私の名前) 様 のお誕生日ですね! おめでとうございます。
日ごろの感謝をこめて、スタッフ一同よりバースデーカードをお届けします。

________________________________


以上のような大げさなものである。老人はいささかたじたじとなる。

薄日は午後になっても続いている。終日霧は晴れそうにはないが、雨にもならない。
じーっとして、こたつに入っているとスースーして寒い。思い切ってスーパーに買い物に出かける。
ちょっと動き回っただけで、寒さから解放される。やっぱり人間は動物だな。

http://www.nifty.com/happy_birthday/
Pic_1

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2009年1月23日 (金)

怖い寒気襲来か

曇り空が続いて、一向によくはならない。夕方に向かって気温が下がるとの予報。

家内がつけている我が家の家計簿といっても、支出をレシート通りに市販の家計簿に書き連ねたものに過ぎないが、もう何十年も続いているから,貴重な記録とはなっているのだが、例年私が締めをする。
家内は事務の経験がないから,科目分けとか財務表といったことはわからない。
長年事務畑で働いて来た私の当然の役割である。
1、2日で片がつくのだが,寒いので休み休みということになる。

記録の不思議なことは、いつも感ずるのだが,食費がほとんど変わらないことである.そこへゆくと税金とか社会保険料とか、むりやりとられるお上の御用金の増えることが急に目に付きだしたこともある。
いづれ国民が騒ぎ出すどと予感すらする。

小さな政府と以前から政治家はよく口にるが、議会も一院制にしたらどうかと思う。地方もうんと議員数を減らすとか。
長生きしている私にも責任があることだから、言い辛いことだが、さしあたり負担する一方の若い人に申し訳が立たない思いでいっぱいである。

明日の朝はマイナス2度以下になりそうな予報で、早速水道管の凍結予防をして廻る。

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2009年1月24日 (土)

家計のやりくり

予報通り寒波が夜の間に大雪を降らしたらしく、朝起きると我が家の庭面にも2、3cmの雪が静かに積っている。久しぶりに見る雪化粧である。

温暖化の影響もあってか近年積雪の大きなのは見たことがない。零下に下る寒さも少ない.今日はマイナス1.8度といったところか。やはり珍しい。
日本海の寒気を中国山脈が適当に防いでくれるのだろう。ありがたいことだ。
老体でも安楽に暮らせる暖かさだ。

夕方には雪は融ける。
風が冷たくて今晩も油断はできない。
食料がなくなっているので,買い物に近くのスーパーまで行く。
やはり車も人も少ない。寒いのはだれも嫌らしい。

昨日から取りかかっていた家計簿の計算は午後には終わって、いつもどおりプリントアウトして家内の批判をあおぐ。食費はかろうじて前年並み、光熱費、税金など皆アップ、医薬費は急上昇、所得税の控除対象になりそうだが、領収書を皆捨てているから,申告出来ない。
旅行がほとんど出来なかったので,これは激減した。従って初めて収入の範囲に支出が納まった。
十年来初めてのことである。

人の手を借りなくてはならなくなって来たので,住居費はだんだん増えて来た。来年以降ますます増えることだろう。仕方のないことだ。貧乏人の家庭だから知れてはいるが。

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2009年1月25日 (日)

モンゴル勢同士の千秋楽

気温今冬初めての-3度。放射冷却だろうか、雲一つない青天井。
午前9時、気温上昇につれ、もやって空は乳白に濁り始まる。しかし日射しは依然強い。

昨日は夏みかんの皮むきをして,マーマレードを家内がつくる。
今朝試食してみたが穏やかな甘みと酸味でおいしい。みかん8個でつくったから凄い量になる。
当分我が家の朝食は安泰だ。ちなみに我が家の朝食は何十年もジャム・トーストにコーヒーと牛乳である。

今朝は食後寿屋倒産前後の我が家の困窮ぶりに付いて,家内の回顧談が出る。
一文無しの生活で、僅かな失業保険をあてにして、現在の不況に良く似たくらしをひとりでしのいで来た彼女のくりごとである。
今となってはなんであんな幼稚な企業もくろみをしたのだろうと人生経験の甘かったおのれが恥ずかしい。
身一つの戦争帰還、空爆による我が家資産の崩壊、国家経済の破産混迷の影響をもろに浴びた一青年の戸惑いだったのだろう。

あれから半世紀、外から見れば平穏無事、幸福な暮らしをしてきたと思っている。子も孫も順調に育って言うことはない。死を目前にして、この姿は何ものにも替えられない喜びである。

昼近く射し込む日の光で部屋の温度は急上昇、うとうとするには凄く都合が良い。
家内が菜穂子の祝いを持参すべく小百合に電話したが,菜穂子はなにか国家試験を受けるので出かけていないから、いつでもいいよと言われて、先に延ばすことにしたと私に告げに来て、仮寝を覚めさせられる。

そのうち大きな雲が西の空からやってきて、太陽の邪魔を始める。
前方の家々の北側の屋根に点々と残雪がまだ見える。家内が言うように、外の空気はまだ冷たいのかもしれない。
上空は風がかなり強いらしく、雲はあっという間に東へ飛び去って行く。次から次へ去来が激しい。

大相撲千秋楽横綱同士の争いになった.勝負そのものは先手必勝の淡白なものになってしまったが、取り組みに入る前の緊張が凄かった.勝負の醍醐味というべきだろう。14礁1敗同士となった優勝決定戦は朝青龍の23回目優勝、白鵬の連勝はならなかった。

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2009年1月26日 (月)

世界大相撲

気温0度。雲間から日射しが漏れているが、昨日のようなぬくもりは無理だろう。

今日は旧暦では元日になるらしい。中国では春節といい、日本と同じように長期休日が続くとか。
交通機関を利用して帰省する人など、1ヶ月間約23億2千万人とか。大きな国だなあ、度肝を抜かれる数字ではある。

昨日大相撲の初場所が終わった。両横綱が元気だったのが人気を呼び、満員御礼が続いて,企業不振のとばっちりを食らうことがなかったことは先ずはおめでたい。
しかしこれで本来の大相撲だろうかと,首をかしげたくなるおもいがしないでもない。
幕内41力士のうち外人14名、しかも三役11名中5名が外人。両横綱はモンゴルとあっては、もう日本大相撲とは言えない。
アメリカのメジャーリーグのように、ワールド・大相撲というべきかもしれない。
いっそ門戸を開放して「世界大相撲」と看板を書き改めたらどうだろう。世界的人気スポーツとなるかもしれない。
柔道という前例があるのだし。

私の音楽の聴き方は,ミュージック・ホールで聴く以外はほとんどバック・グラウンドで流し聴く音楽で,聞くともなく,聞かぬともなく聞く聴き方である。職場でも自宅でも関係ない。
何かを必ず平行してやっている。従ってあまりに良い音楽過ぎて、そちらに五感を奪われては困るのである。
だから最近はテープやCDでは演奏時間がせいぜい1〜2時間程度なので、差し替えが面倒になってきた。

この考えにぴったりの録音方法があることは昨年あたりから気づいていて,実行していたのだが、いよいよ死が近づいて,眠る時間が増えつつあるので、本格的に取り込むつもりになった。
主なソースはもちろんNHKFMである。いいものがあればCDまるごともいいかもしれない。
可能時間の50時間は長過ぎるので,半分の25時間ぐらいが丁度よさそうである。

午後には徐々に雲が張り出して空を埋め尽くし,いつ雨になってもおかしくなくなる。
小さい4畳半の我が房子もこれでは暖がきかない。
電気膝掛けで足をカバーしてパソコンに向かう始末。
折から我が家のスピーカーは第9の歓喜の大合唱を流して励ましてくれる。

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2009年1月27日 (火)

百姓の真似

-1℃、灰色の空。午前8時半今日の天候はまだ決め難い。
ベートーベンの田園がのどかにラジオから流れて来る。
昔はこの時間帯は出勤するなり,開店準備するなり忙しく立ち働いて,音楽に耳を傾ける余裕は乏しかった。
FM放送がいつ始まったか憶えていないが、この時間帯はテーマは変わってもいつもクラシックだった。
だから通勤の車の中ならもちろん何もかも忘れる無我の境地に誘ってくれたものだ。
開店準備が終わった時なら,客待ちの静まったこころでソファに埋まって聞くともなく耳をそばだてた。

我が家は夫婦そろって熱烈なクラシック・ファンである。だから音楽に関する諍いは一切起らない。
地元で行われる音楽会などは,打てば響くで、うちそろって出席する。
数年前婿のすすめで広響の会員だったこともあった。夜間の外出が困難になって何年目かに退会したが。
年に一回の広響の定期やたまにやって来る地元でのN響の演奏会は逃すことはない。

地元大学の教授をしておられる,ピアニストの横山幸雄さんは彼が9歳のときか、ラヂオの作曲部門で登場してからのファンで、聞き逃さないように努めている。
縁故もなにもないのだが、彼が創った曲が子供には過ぎた良い曲だったので気に入り,爾来ショパンコンクール入賞や、FM放送などで活躍,作品も盛んに発表されていて、刮目して見ている存在である。
呉や他の町,区の公民館などでの公演は老体でもう行かれないので,残念ながら遠慮しているが。

午後2時半広電楽々園に行く。先ほど食った我が家の夏みかんの実が思った以上甘かったので、これは肥料をやってうまく育てなければと欲が出て来たからである。妹が鶏糞をやれば良いと言ってたのを思い出して,鶏糞を買う目的が第一である。
15キロ入りが¥98.だった。これでおいしくなればほんとに儲け物である。
明日木の周りを掘り耕して,肥料を埋め込んでおけばいいだろう。どのくらいの量をやるかは、やってみなくてはわからない。百姓の子に生まれたが,百姓に育っていないので。
まあなんとかなるだろう。

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2009年1月29日 (木)

神の声

気温4度、ぐっとあたたかい。雲いっぱいで太陽は見えない。

夏みかんの木の周りを掘ってると,家内がやれやれ水仙が皆駄目になると声を上げる。そこは水仙の球根があるじゃろうという。なるほどころころと芽吹いた球根が転がり出る。
やったことは仕方がないから掘り続けて,一面に鶏糞を蒔く。
次は気をつけてそろそろと他のところを掘ってまた蒔く。

一仕事終えると身体が暖かくなる。やはりじっとして震えているよりはこのほうがいい。

午後にはいい案配に雨になる。おしめり程度だから、こやしがよく廻っていいだろうと満足する。

それにしても、今年の夏みかんも,近所で貰ったはっさくも皆甘みがあっておいしい。去年の天気がよかったからかもしれない。昔は家内のさとでも橙の木があって、酸いくて5、6月にならないとくえなかったと言うが、品種改良されてこの時期でも甘夏柑などといって甘い夏みかんが食べられる。
昔の橙はもうなくなったのではと,遥か遠くの萩の城下町のなかに沢山植えられていた風景を思い浮かべる。

みかん類だけでなく、リンゴ、梨、ぶどうなど皆おいしくなって、昔の味を知ってるものには考えられない程贅沢な思いにさせられる。人間の力って底が知れない。

そうはいっても、今度の世界的経済不況などは、贅沢のし放題の人類に対する神の警告いや罰かもしれない。
自動車にしろ,航空機にしろ神から見れば,贅沢極まるのりものに違いない。
人類はもう少し謙虚に自然のめぐみをそのまま享受すべきものなのだ。
ここらで止めとかんかと神の声がする。

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2009年1月30日 (金)

マツダ球場の人気

朝の気温なんと9度。低気圧が南の熱を運んできたらしい。
すっぽりと雨と霧に包まれて,地上は変に落ち着いている。

インドネシアから101人の介護人がやってきた。広島県にも一人三次の老人ホームに入られたらしい。
いよいよ私たちも、外人さんの身の回りのお世話にならないといけなくなるわけだ。
そのうち、生まれるときから、棺桶に入るときまで、厄介になる時が来るかもしれない。

広島新球場の人気が高いらしい。といっても何だということだが,予約席販売が売れに売れているという。
よくわからない現象だが,その原因はカープの人気が上がっているというならうれしい。

降るとも降らぬともわからぬほど小さい雨が昼頃外に出てみると止んでいる。
もやは相変わらず四周を包んで,風景を隠してくれる。山村にいると変わりはない。

所得税の申告をパソコンで出来ると宣伝しているので,ネットに入ってみたが,説明書きが多すぎて却って面倒である。毎年同じことを書いてるので,届けに行くのが煩わしいくらいのもので、やはり従来通りにするのがよいようだ。

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2009年1月31日 (土)

不況克服はひとごとではない

白雲連なる空、気温0度。
米GDP3.8%減(10-12)と17年ぶりの落ち込み。世界不況はまだまだつづく。
大企業もどんどん人員削減を打ち出している。
より安くより良いものを作れば売れる時代は遠のきつつある。買う力がなくなれば、何も動かない。
金融恐慌のおかげで、購買力は地に落ちた。こんなことは誰の智恵にもなかったようだ。

各国政府は一致して,国民の購買力を高める努力をしなければ,早急な景気回復は困難であろう。
国が無くならない限り政府は存在する.赤字まみれでも存在する.アイスランドのように。
公債の裏付けがある限り,金融して国民を生き返らさねばならない。無茶をいうようだが、定額給付金は一人10万円以上でないと景気浮揚にはつながらないのでは。

多数は力なりという言葉がある。こんな時こそ全国民の一致した努力が必要になる。バラバラでは何も力が出ない。皆がその気になれば必ず不況は克服出来ると信じている。

雨になるかもしれんと思っていたが、なんとか太陽も時折覗いてそのまま暮れんんとしている。
永く感じた1月も世情不安のまま終わり,繰り越した。

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