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2008年12月 3日 (水)

幼なじみの親友吉川君死す

12月3日(水)曇
灰色の雲が幾条にもかかって、天候は悪い方に向かいそうだ。
気温8度と暖かい。
昨夕来たのか,吉川康三君の息子克樹君から喪中遠慮のはがきがポストに入っている。7月に永眠したとある。
いつも元気で病気知らずと思っていたのに、どうして死んだのだろう。
同年兵で一緒に麻里布駅で歓呼の声に送られて行った口である。
4人一緒だったが、とうとう私一人になってしまった。

特に彼は小学校以来の同級だったし、戦後事業に窮していたころ経済的に援助してやった覚えがある。家内も彼が律儀にきちんきちんと返してくれたと好感を持って話す事がよくあった。友人の中でも最も家内の信頼厚い男だった。
爾来年賀の往来はきらさず続いた。

いつ頃か奥さんを亡くし、大分ながくやもめ暮らしが続いたようだった。
それでも子供さんの出来がよく、幸福そうにくらしていて、屈託するところはなかった。時折飄然と私の店を訪ねてくれたりした。

1999年の7月31日には近くの佐方SAから電話して来て、会いたくなったから今ここに居る,来てくれという。驚いて訪ねると、私がかって隣の部隊の将校をしていたとき、彼を官舎に招いてご馳走してやったことがあった。そのとき私のアルバムから抜き取った私の写真などやいろいろなものを返してくれた。
その時の話では、彼の長兄が面会に斐徳に来た時、私が官舎に泊めてやったとのこと、私は全然記憶にないのだが、宿泊できるところのない土地だけに、他に行く所はなくそうしたのかも知れない
彼のトラックの運転台で1時間以上も話をして別れた事があった。

ときどき身軽に顔を見せたりして、愉快な男だった。
私が初年兵から見習士官まで居た自動車第3聯隊の戦友がよく戦友会に誘ってくれ、その間の情報はいつも彼から知らされていたものだった。
そういえば、入隊の数日前馬に乗って私の家を訪れ家族を驚かせたことがあった。まさに神出鬼没の男だったが、もうこの世に居なくなっていたとは,全く残念至極である。

もちろんご子息には何分のお悔やみ状を送っておくつもりである。

午後昼寝から覚めてみるといい天気になっている。
郵便局に行くついでにスーパーによる。

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