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2008年12月 1日 (月)

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12月1日(月)晴
朝の気温2度、快晴、ほとんど雲見えず。

午後にはいるも天候変わらず、日本晴の空続き、射し込む日足は次の間に入り込む。

昨日婿がくれたDVDでネットから取り込んだというドラマ”蝉しぐれ”を見る。
テレビと何ら遜色はない。往時を思い起こして懐かしい。小説も良いがドラマもよい。映画もあったがこちらの方が好きだ。

外出する用事はなかったが、うちにいても申し分ない心地よさ。
11日に老人会があると出席を誘われたらしいが、浜田さんが行けばと家内はつれを条件に行く気で居る。ともかく、まあ元気なのはよろしい。

サッカーのJ2は山形が第2位で来シーズンのJ1入りを決めた。行き深い田舎のチームが入ることは意義がある。
中四国からももう一チームくらい欲しいのだがこればかりは思うようにはならない。関東、東海に集中しているのは特に気に食わない。
来年は広島、山形に大いに頑張って貰おう。すぐまた下に落ちてくるようなことがないよう祈る気持ちだ。

プロ野球の方は、優勝はもうどこでもよいという気持ちに最近はなってきた。
郷土愛が昔ほどはない。カープも金本や新井がさっさと未練気もなく去って行った。ファンなんか知らないよ、報酬が少なくてはね、だ。
巨人なんか,生え抜きは殆ど居ない。金で釣った選手ばかりである。
こんなことで、ファンが愛着を持ち続ける筈がない。

一時は日本人の6割が巨人ファンと云われた時代があった。今はもうその半分にも足りないだろう。
金で一本釣りして優勝すれば良いだけでは、ファンはついてゆかれない。

私も昔は巨人ファンだった。しかし国鉄から金田を釣り、パリーグから張本を抱き込んで,巨人の体質が嫌になった。
年々嫌いになって、今はアンチ巨人一辺倒である。
強さに憧れる青少年ファンに支えられて、老人の一人や二人問題ではないだろう。しかしこのやり方が最善とはとても思えない。

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2008年12月 2日 (火)

ベルリン.フィルの思い出

12月2日(火)晴
今日もよい天気のようだ。朝の気温3度無風。

書棚を整理していると、真っ黒い厚表紙の小冊子が転がり出て来た。よく見ると”ベルリナー フィルハーモニックス オルケステル”と読める。
1957と銀文字が入っている。ベルリン・フィル日本初公演のプログラムである。
本の間に広島公演の入場券が挟まっている。昭和32年11月13日公会堂となっている。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の表示もある。
座席は"階下し33”

なつかしい。
日記帳を繰ってみると、この頃は先輩たちと百貨店建設を目論み奔走していた時でこの日も午前中設計者と打ち合わせをしたばかりの午後のひとときを割いて好きな音楽,しかも初来日というベルリンフィルの演奏会、なにを置いても馳せ参じたわけだったにちがいない。日記ではごく簡単に”広島公会堂でベルリンフィルハーモニーの演奏会(指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン)を聴く”とあるだけだが、丹念に日記を書く暇がなかったのだろう。
今思い起こしても、忙しい最中だったから。
ブラームスの交響曲第2番を曲調通り眠そうに目をつむってタクトを振るカラヤンの姿が浮かんでくる。

このプログラムの後記に昨年春ウイーン・フィルが来日し,今度はベルリン・フィルと2大オーケストラの来日だが、ウイーンは52人のメンバーだったが,今度は105人のフルメンバーだというドイツ政府支援の壮挙と記してある。
山田耕筰のドイツ音楽の『眞もの」を見いだせとの檄文も載っている。
もうあれから50年経っている。
戦後復興をかけて、国を挙げての期待の深さを感じた。

家内は昼前から友人の竹島さんと会うと云って広島に出かける。
今日もいい天気のまま日が暮れる。

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2008年12月 3日 (水)

幼なじみの親友吉川君死す

12月3日(水)曇
灰色の雲が幾条にもかかって、天候は悪い方に向かいそうだ。
気温8度と暖かい。
昨夕来たのか,吉川康三君の息子克樹君から喪中遠慮のはがきがポストに入っている。7月に永眠したとある。
いつも元気で病気知らずと思っていたのに、どうして死んだのだろう。
同年兵で一緒に麻里布駅で歓呼の声に送られて行った口である。
4人一緒だったが、とうとう私一人になってしまった。

特に彼は小学校以来の同級だったし、戦後事業に窮していたころ経済的に援助してやった覚えがある。家内も彼が律儀にきちんきちんと返してくれたと好感を持って話す事がよくあった。友人の中でも最も家内の信頼厚い男だった。
爾来年賀の往来はきらさず続いた。

いつ頃か奥さんを亡くし、大分ながくやもめ暮らしが続いたようだった。
それでも子供さんの出来がよく、幸福そうにくらしていて、屈託するところはなかった。時折飄然と私の店を訪ねてくれたりした。

1999年の7月31日には近くの佐方SAから電話して来て、会いたくなったから今ここに居る,来てくれという。驚いて訪ねると、私がかって隣の部隊の将校をしていたとき、彼を官舎に招いてご馳走してやったことがあった。そのとき私のアルバムから抜き取った私の写真などやいろいろなものを返してくれた。
その時の話では、彼の長兄が面会に斐徳に来た時、私が官舎に泊めてやったとのこと、私は全然記憶にないのだが、宿泊できるところのない土地だけに、他に行く所はなくそうしたのかも知れない
彼のトラックの運転台で1時間以上も話をして別れた事があった。

ときどき身軽に顔を見せたりして、愉快な男だった。
私が初年兵から見習士官まで居た自動車第3聯隊の戦友がよく戦友会に誘ってくれ、その間の情報はいつも彼から知らされていたものだった。
そういえば、入隊の数日前馬に乗って私の家を訪れ家族を驚かせたことがあった。まさに神出鬼没の男だったが、もうこの世に居なくなっていたとは,全く残念至極である。

もちろんご子息には何分のお悔やみ状を送っておくつもりである。

午後昼寝から覚めてみるといい天気になっている。
郵便局に行くついでにスーパーによる。

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2008年12月 4日 (木)

声も使わないと駄目になるとは

12月4日(木)晴
霞に包まれているが,日射しはまぶしい。
朝の気温は8度と予報通り。暖かい。昼間の気温も18度と予想している。

90年近くも生きると、毎日の筋書きが朝起きた途端に見えてくる。
特にもう仕事も何もない老人には当然と云えば当然だが。
日記にしても前日に同じでも済みそうだ。

しかしこうして毎日書いていると、ひとりよがりで、まことに面白みがないであろうと思われる事が不思議に、次々と夢見しているごとく現れる。
何もかも忘れて馬鹿になっては生きてる甲斐もないから、まともに生きるために書いているようなもんである。

昨夜もテレビで声を出さないでいると,声帯が開きっ放しになって、自分の唾液が気管に入って窒息死することがあるとか云っていた。
声を出す訓練を毎日”あー”というだけで良いから朝夕2度やれと先生がおっしゃっていた。
書く事もそうだが、声でも力でも使わないと駄目になる、もっともな話である。

元気でいさえするば、係累がいることはいいもんだ。
先日も田丸の法事の時,弟が兄さんが元気で居る限り12年は大丈夫だからと安心してるよという。年が12年違うから,私が生きている以上自分も生きられるだろうからというわけである。

向こうがどう思おうと勝手だが、気休めに役立っているという事もすてたもんでもない。妹二人もそんな気で居るのかも知れないな。やけに元気がいい。

午後に入ると雲が濃くなり、雨の気配を感ずる。
予報通り夜には雨になるだろう。

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2008年12月 5日 (金)

名医は流行るが,患者はつらい

12月5日(金)曇
昨夜はかなり降ったらしいが、今朝は上がっている。昼頃やっと日の光は見え始めたが、いい天気にはなりそうにない。

音楽の録音したのが大分たまって、邪魔になりそうなのでCDにする事にして今朝から取りかかったが、ソフトの調子が少しおかしい。
本体のOSをバージョンアップしたので、調子が合わないらしい。
ネットを探してメーカーを呼び出し、こちらもバージョンアップする。
どうやら2007始め頃のバージョンのままになっていたらしく、何度かアップしていた感じである。
こちらを直せば何もかもうまく行く。正直なものである。

いくらも進捗しないうちに昼になってしまう。
若いときと違って,よく忘れているし,判断は鈍いし、もう機械について行けない感じになった。こちらも年貢のおさめ時らしい。

家内に云われて内藤内科に行く日に気づく。あわてて3時過ぎ出かける。
急患がまた入っているらしく、控え室は座る場所がない程、やっとおばさんの間を少し寄ってもらって座る。

先んだってと同じく、やはり急患があって、その治療をしながらだから時間がかかって済みませんと看護婦さんが挨拶される。やれやれ。
また2時間かかる。先生一人だから、看護婦は十数人いてもどうしようもない。流行るということは名医の証だろうが、待たされる身は辛いなあ。
外に出たら小雨はちらつくし,真っ暗になっている。

インフルエンザの注射をしなさいよと先生はおっしゃったが、待つだけでいやになりやめとく。

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2008年12月 6日 (土)

初雪

12月6日(土)
朝7時半気温1度、8時半今冬初めて雪が舞い落ち始める。
空はどんより曇って太陽の姿は僅かに黄金の輪を作るだけ。寒くなるぞと気を引き締める。

小雪は思い出したようにいつまでも舞落ちる。
お日様も思い出したように窓から光を投げかけてくれる。
毎日が休日だから、こんな日には好んで外出する馬鹿でもない。
ごろごろと寝たり起きたり、良い身分だなあ!

3時にネットを覗いてみると、サンフレッチェは徳島に3-0と圧勝して,100点挙げて有終の美を飾った。思っても見ない快挙である。
キャプテンの佐藤は今日も得点し,28点とダントツの活躍ぶりである。

J1での飛躍も約束されたようなものだ。出来たら優勝争いにも加わってもらいたいくらいだ。手始めに天皇杯を制してもらいたい。
騎虎の勢いという事がある。油断めさるな、もろもろの相手チームよ。

窓の外を見ると,雪のような白雲が南の空に山並みのごとく立ち上がっている。明日はまたいい天気が戻るのか。

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2008年12月 7日 (日)

摂氏0度

12月7日(日)曇
今朝はとうとう0度になった。容器にたまった水がうっすら氷を張っている。庭に水まき用に張り巡らした水道管の破裂をすぐ心配する。
破裂さすと後がおおごとになる。何度も苦杯をなめた経験を思い起こす。

もう何年も前になるが,車庫への水道パイプが破裂して、隣家から電話で注意された事があり、大慌てしたことすらある。噴水のごとく吹き上げる水は時に他人に被害を与えたりするからである。

天気予報はこの頃になると特に気をつける。-2度は危険信号である。

タイのデモ騒ぎは一応沈静化した風だが、政権を巡っての紛争は続いているらしい。かって観光に赴いたこともあり、親日的空気の濃厚な国民の中でこころよい旅行を楽しんだ思い出が残っている。
昔から親日的で、日本が国際連盟を脱退するときなど、日本に味方したのはタイだけだった。
それだけにいつまでも続く政情不安は心配である。国民の不幸を見たくない。
となりのミャンマーもそうである。
本来どちらも豊かに暮らせる国だから、いたずらに外部から刺激を与えずにそっとしてあげたい。

あまぎりで外食、帰りにスーパーで買い物。
午後雲厚くなり日射し消えて寒い。

午睡を終えて、いつもどおりささやかなおやつ。
階下に降りると,冷気にぞっとする。
我が家でも二階の私の部屋と下のダイニングとでは寒暖の差がありすぎる。
家族が少ないという事はこんな不便もあるということだ。

土田君から思いがけず電話がかかる。明るい声で話す、元気らしい。

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2008年12月 8日 (月)

今日は私の記念日でもある

12月8日(月)晴
朝の気温は昨日と同じ0度、さわやかな夜明けなのだが、夕方には雨になるという。
今日の日記の日時を記入すると同時に、すぐ大東亜戦争の勃発,真珠湾の奇襲を思い出す。忘れる事は出来ない。
富士の姿を拝みながらの演習の最中の出来事だから、あまりにも舞台が整いすぎている。
正確には伊豆修善寺のとあるレストランのラジオで知った。飯ごう昼飯の最中だった。
もうこれで自分の生涯は尽きるだろうと身震いしながら感じた。
豈図らんや米寿を通り過ぎるにいたるとは!

今朝の食も進み家内が驚く。家内の食後のリンゴも私の胃袋に収まる。
この分では後ひと月の来年も大丈夫だろう。
家内が云う通り息を吹き返した感じである。

午前十時にはうす雲が張って来て日射しも弱くなる。
予報通り進行するらしい。

今日の新聞を見ると,麻生総理の人気が小沢の下になったらしい。政府の指示も25%にダウンして、民主党の26%にかわされたようだ。
もう解散はありえない。任期満了まで行くしかないと総理は思っているのだろうが,国民はやはり不幸だなあ。
このせからしい時代に4年とか6年とか長過ぎるよ。せめて3年ぐらいにしたらどうだろう。
明治維新のときは忙しかったなあ。あれほど忙しくなくたって良いけど。
やはり3年だな。

民主党もガーガー云うだけでは,政権についてもすぐ瓦解するということになるよ。しっかり論議をまとめて立派な政治が行えるようでないと。
共産党,民社党と手を携えているようでは、まるで纏まった議論にならないだろう。

正午もうびっしり雲が空を覆い尽くした。
午後2時過ぎには雨が降り始める。

吉川克樹さんから手紙をいただく。康三君は5月大腿骨を骨折して2ヶ月後に亡くなったと書いてある。腰骨を折るという事は死につながるという話はよく聞くがやはりそうだったのかと理解する。

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2008年12月 9日 (火)

心友

12月9日(火)雨後曇
昨日来の雨が時折小さく降り続いている。
従ってはだえを刺す冷たさはない。室温も14度とまあまあ。
早朝から元気にパソコンをいじる。

吉川康三君のことが昨夜からしきりに思い出されて今朝も何となく気になる。
幽冥の地から我を呼んでいるのか。

彼が住んでいた住所名あてにgoo-mapで調べる。
もう他人が住んでいるかも知れないが、ひょっとして娘さん(と云ってももう60ぐらいだろうが)が管理していて、会えていろいろ聞けるかもしれないと思ったりする。

何しろ小学生の頃からごく最近まで付き合った、因縁浅からぬ友人だから、他の友人とは深さが違う。

私の幼児からは、原爆で死んだ”おっちゃん”、小学生以後ではこの吉川君,この二人は無垢の心で付き合い,私を慕ってくれた。
父母弟妹に似た無償の情愛が忘れられない。

彼らは同じように本人の感情の赴くところ、いつも突然私の眼前に姿を現した。同じように会いたくなったのでと口走った。

おっちゃんは本を買いに、活動写真に、後には宮島登山に,広島遊郭にと誘ったりしたが、吉川君は格別用事はなく、ただ時には手に入ったからといって、へんな珍しい金属容器を持て来たり,同年兵会の土産だといってお菓子や写真類を届けたりしてくれた。思い出したように昔お世話になったからと云って酒を送って来たりした。急に電話をかけて来て,会いたいからここまできている、出て来んかという。正に神出鬼没の行動だった。
面白く、顔も動作も明るい男だったが、もう今はヴァーチュアルの世界でしか現れる事はなくなった。

やはり心友と別れるのは寂しい。

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2008年12月10日 (水)

ソニーよ、お前までもか

12月10日(水)晴
ソニーよお前もか。社員16000人削減とある。
大企業に仕上げた宝石社員を有無をいわせず社外に放り出す。許されることか。
私の一番好きな会社だったソニー、私には裏切られた思い、正に大ショックである。
世界中が不況なのだからという心の救いはあるが、この先この国はどうなるのだろう。

この年末に職を失う何万人とその家族のことを思うと,年金でどこ吹く風と暮らせる私には堪えられない。

この苦境を救えるのは政治家だけだ。政争は棚上げして、ともかくもこの国民の苦難と不安をなんとかしろと絶叫する。
失業者だけにでも何年間の臨時救済年金支給など考えられないか。
見殺しは絶対にいけない。善政とはこうした時にある言葉だ。

昼前に出かけて外食、そして買い物いつものパターン。
郵便局で年賀はがきを求め,銀行で金を引き出し、一度出ると用事は結構ある。
DIYなどで、趣味のかいもの。
本屋で例の文庫本1冊。

今日は外もうんざりする程のあたたかさ。
広い駐車場の一角でひなたぼっこまでできる。
夕方になってもますます快晴。

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2008年12月11日 (木)

年賀状

12月11日(木)曇
部屋に戻りかけると,家内が「今日はあれじゃろう」という。あれではわからない。後を待ったが出てこないので、階段を上がる。何を言いかけたのかと考えたが結局わからない。

時折日が射したりするのだが,概して今日は暖かくない。
布団の中がどうしてもよくなる。
起きてる時は年賀状をつくる。
文面はこんなことにした。
「元日は死出の旅路の一里塚と言った人がいる
この次の年には九十歳になる
古来九の坂は越え難いと言われる
この写真がお別れの姿になるかもしれないので、敢えて老醜を曝します」
として先般石山寺の金堂で撮った写真を小さく入れた。
めでたくもあり、めでたくもなしの心境は私も一休さんも変わらない。

学友の中にはもう年賀状は出さないよと宣告したものもおる。
心を偽る所行はやはり止めた方がいいかな。ただめでたさに関わらずお互いに現在の動静は知りたいしなあ。

最近乾癬が随分軽くなった。どこも痒くない.発疹も少なくなった。
どうやらチガソンのお蔭らしい。ネットで調べてみると、ビタミンAの誘導体でビタミンAを強化したものと書いてある。副作用も強いらしいが、老体だから少しぐらい早く死んでももうかまわない。
嫌な思いをしないほうがいいというわけだ。

隣の部屋のレースカーテンを取り付けておいてくれと,おやつの後で言われる。いつの間にか取り外して洗濯したらしい。
なかなかやるなあ。

川崎に居た同年兵の三好信雄君が亡くなった。桂林で南京に行きたいという広西大学教授の趙先生を私の隊につれて来た男である。敗戦後先生とは長沙で別れたがその後どうなったか、つい数ヶ月前まで心配して手紙をくれてたが、漢奸として殺されていなければいいが、60年も経って知るすべはない。

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2008年12月12日 (金)

わかっちゃいるけど止められない

12月12日(金)晴
午前7時現在、ひどい濃霧、視界500米。気温4度。
昨夜は布団の温度調節に失敗し汗をかく。真夜中に起きだして布団を冷やしたり,下着を替えたり大騒動。
調節器の目盛りが1段階上がっていただけなのだが。

午前9時を過ぎても,宮島を始め島影一つ見えない。
太陽は霧を通して光り輝いている。今日の好天気は間違いない。

デオデオの売り出しが始まり、いろいろ買いたいものがあるので、昼前車で出かける。真っ先にコンプマートに行き、広告に出ているミニノートはどこにあるのかと入り口に居る女性に聞く。あれは2階ですがさっきまで行列ができていましたから売り切れたかも知れませんよ、まあご案内しましょうとつれて行く。売り場に行くとまだ残っていた。早速担当者に扱いを習いテストしてもらう。私のブログなども呼び出してもらう。

この程度なら簡単に使えそうだ。もっともOSはWindows XPらしいが。
貰うことにする。¥19000.だからおもちゃのようなものだ。

本店にも行ったりして、石油ストーヴ、ホットカーペットなど寒さ対策用のしなものなど数点を買って帰る。
電話ファックスも調子が悪くなっていたので,新しいのに替える。

帰宅すると家内が障子の張り替えをしている。手伝わねばならず、買って来たものをちゃんと設備せねばならず大忙し。夜になってなんとか片付く。

死んだ後捨てるものが多くなって困ると、家内は口癖にいうのだが、生きている限り便利のいいほうがいいしなあ。無駄かなと思いつつもやはり手が出る。わかっちゃいるけど止められない。困ったものだ。

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2008年12月13日 (土)

献体当選

12月13日(土)
今朝も気温4度、寒くはない。早朝はよく晴れているのだが、さて日中はどうなるだろう。

昼食は天霧に行き親子丼を食べる。相変わらず客が多くて混む。
最近食欲が旺盛なので残すことはない。

午後になるとだんだん天候が悪くなる。
やはり予報通り雨になるのかもしれない。
家内らが7年前イタリアに旅行した際のムービーを家内がテレビで見ている。
次女が撮影したものである。まあ最初から最後まで丹念に撮っている。
自分の観光する時間はなかったのではと驚く。
私は本腰を入れてみたことはなかったので,改めてイタリアの名所の素晴らしさに感心する。
音楽で有名な”ローマの松”のえんえんと続く並木には驚く。
写真もバスの車窓からよく撮っている。
最初の方の雪のシベリアにも感心する。やはり凄いなあ。
ヴァチカン宮殿は聞きしに勝る。
サンタルチアは名程はない,笑っちゃう。

その他珍しいものばかりでほっておけず、改めてDVDにダビングし直すことにした3時間たっぷりあるので大変だ。
暇に任せて見ることにしよう。

夕方広島大学から,献体の申し込みを受け付けたからと会員証などを送ってくる。三百名の中から当選したのだそうだ。申し込んでから3年目である。
志願者が多いことを改めて感ずる。
死後でも少しはお役に立てそうである。
世の中に迷惑バカリかけて来て少しは罪滅ぼしになるのだろうか。

実際に使われるのは死後二年ぐらい後になるらしいから、自分の墓に納まるのは大分先になりそうだ。
といっても別にどうってことはない。ぬけがらに何らの未練はない。
家族のものも私の遺志を尊重してくれることを望むだけだ。

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2008年12月14日 (日)

広島のさざん会

12月14日(日)晴
朝起きるといい天気,気温はそれでも6度ある。
早速横山君に電話して今日例のところで忘年会をしないかと誘う。
昨夜電話して元気なことを承知していたし、忘年会の約束もしていたので、善は急げという訳である。
リーガロイヤルホテルのレストランでいつも会合しているので、そこで正午に会うことにする。

乾癬もここのところすっかり良くなってまことに快適な気分である。
この好機を利用しない手はない。
顧みると最近は特に躁鬱の交代が激しい。いつ又鬱に転化するか知れたものではない。

午前十時半広島に向かう。デオデオに行きLANケーブルなどを買う。
11:40からホテルのフロントで友の来るのを待つ。
車が混んでいたと言って少し遅れて来る。

6階のなにわ亭でいつも通り食事。数ヶ月ぶりなので話が弾む。
特に横山君は食うものを食わずに語り続ける。私が半分食った頃にもまだ手を付けず,おちょこに時々口を付けながら話す。

私は気になるので食事を指差しながら早く食えと叫ぶ。あまり食欲がないのかと聞くといいやという。
とうとう私が食い終わってもいくらも手を付けない。いささかあきれる。

食事を終わった私は彼の話を聞きながら、手元を見つめる。
1合の酒もなかなか飲み終わらない。
ぐだぐだと老人同士の話はしまりなく続く。
相客は皆帰って誰もいない.時間を聞くと3時。これはしまった。
料理のまだ残っている彼を促して席を立つ。
杖をたよりに揺れ動きながら歩む彼の歩調に合わせて、ありがとうございましたの声を聞きながらやっと勘定台にたどり着く。

彼はホテルからタクシーで帰る。私は市営駐車場に回り車に戻って帰路につく。久しぶりだからかなり疲れる。特に休日の街は人も車も雑踏して見ているだけでも混乱しそうであった。
しかし運転台に座ればこちらのものだ。

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2008年12月15日 (月)

生活の格差

12月15日 (月)晴
真夜中に目覚めて、仕方なくDVDに保存してたビデオを眠くなるまで見る。
お蔭で起きるのが遅くなり7時半を過ぎる。

連日暖かい.予報では今日も天気は良いらしい。ちぎれ雲がかなり多く行き来はしてるいるが。

昨日は横山君がいろいろ聞くので献体のことをしゃべったが、最後にはどうしても俺にはその心境が理解出来ないなどと反論していた。
家柄の良い、豪族の末裔だけあって、精神的支柱が、あるいは構造が違うらしい。

彼が後に整備した彼の先祖代々を祀る墓地には、先祖の履歴が事細かに記され、私のような庶民のものと扱いが違っているのを、昔見たことがある。あれだなと今思い当たる。

現世はこれらの旧家に取ってまことに住み辛い世の中らしい。
一族のあるうちでは、城壁に囲まれ、その上に大きな誰も使わない屋敷が存在し、老夫婦では全く管理しきれない。
人力もなければ費用の捻出も出来ない。哀れなものだと嘆く。
とても献体などという気持ちにはなれないし、想像もつかないという。

中国好きな彼は、中国人の友人をたくさん持っている。
1990年の秋には、日中友好教会の会員である彼の誘いで初めて上海方面を訪問したことがある。いろいろなレセプションにもこちらはチンプンカンプンだが、彼ら会員はこもごも立ってスピーチをするなど、場違いな空気にすっかり舞い上がった経験がある。

彼は既に6回同地を訪れているといってたが、私は二度と彼に追随することはなかった。中には天候悪化し途中から引き返したこともあると言ってたから、まともに行けばまだ回数は増えたであろう。

日本に留学して、今は彼の地で有力な地位を占めている友人もいて、その学生時代には彼の家に泊めたりしたこともあるようである。
彼らは皆景勝の地に別荘など構え、何度か今度は逆に招待を受けているらしい。

彼自身莫大な資産の管理に日夜苦悩しているようだが、なんにもない私にはその心境は解るわけがない。一方的にぐちる彼の話は私には夢物語にも似て、一応わからないでもないが、実感が伴わず理解してやることはとうとう出来なかった。

来年の大阪のさざん会の予測話も出たが、年々減耗する会員とあっては、今年実績を維持することすら難しいのではという話になる。
横山君も行きたいけど無理だろうと悲観的である。

家内は小百合と一緒に曾孫を見に西条に出かける.11時のライナーに乗るために五日市駅まで車で送る。
5時過ぎにJRで帰る、駅まで迎える。

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2008年12月16日 (火)

しはすだなあ!

12月16日(火)晴
雲一つ見えない夜明け、朝霧に匂うような地平線。
7時25分、今正に日の出の瞬間、東天が美しい。

景気後退はもうどうしようもなく歳末を暗くしている。
新年を喜べない人が激増するだろうことは悲しい。

FM放送が良い音楽をやってるので録音する。終わるとすぐCD化する。
ソフトをバージョンアップしたのでそのテストも兼ねている。
1枚のCDが3分少々で出来上がるのだから、手早くなったもんだ。
プレーヤーにかけて音を聞きながらいまこの日記をつけている。
何もかも快適でいいようがなく楽しい。

夕方妹から母校の寄付をどうするかと尋ねてくる。年金でほそぼそ暮らしているのに寄付でもないだろう。出さないと言っておく。

又三生さんの遺骨を京都の知恩院におさめるため京都に行くという。
ついでに比叡山にも登るつもりだが、歩くところが長過ぎてはかなわないがどうかとう。車で上がればなんでもないよと言っておく。
21日に息子と一緒に行く予定らしい。

横山君がまた歳暮を送って来たので一応お礼を言ったが、もう来年からはこんな儀礼的なことはしないようにすることで話がつく。
この歳になるとデパートの雑踏の中をもまれたり、待たされたりはかなわない。

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2008年12月17日 (水)

N響定期が楽しい

12月17日(水)晴
よい天気が続く。気温3度、まあまあの寒さ。

今年は庭のゆずがたくさん熟れたので、鞠子と小百合の両家に分けてやることにする。どちらも欲しいということなので、昼前に車で届ける。
妹は一緒に昼飯を食いに行こうというので、駅ビルまで行き、かき料理の店でカキフライ定食を食べる。
最近は駅ビルなど訪れたことがないので、様子がまるでわからない。
もっぱら妹が先導する。田舎者に成り下がったなあと実感する。

妹は紙屋町に出るといってたが、もう疲れたからといってとりやめる。
送って彼女の家を回って帰宅する。
今度はこちらが疲れる番で、帰るとバタンキューである。

気を使わねばならない街なかの運転はやはり楽ではない。
歳暮のお返しの用事も考えていたのだが取りやめる。

夜NHK響の定期演奏会が始まる。ひさしぶりにデュトワがタクトをふるう。
曲もチャイコフスキーの交響曲第5番など申し分ない。
9時まで劇場に入ったつもりでたっぷり楽しむ。
黙って演奏を追いながら音の一つ一つを楽しむ.最高の悦楽である。

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2008年12月18日 (木)

OPECも原油減産

12月18日(木)晴
今朝もよい天気、気温4度。
かすんだ空だが、雲らしいものはみえない。太陽は東天高く輝いている。
暖かい一日になりそうだ。

午前十時快晴の空、一瞬の休みもなく日光が部屋の隅々まで射し込んでくる。暖かいというよりは暑い感じである。極楽々々と思わず声が出る。

米初の金利ゼロと大きく新聞紙面を飾る。ドル一時87円台とある。
アメリカ依存の日本経済の打撃思うべしである。
国を挙げて一家心中とならなければよいが。
一人いい調子で浮かれていても、これでは何にもならない。

OPECは生産調整をして石油価格の維持に懸命だが、ここらあたりは素人の私には解り辛い。
自動車も急に何割も売れなくなったとはどういうことか、これ又わからない。
やはり世界は大きいし、広いということか。

昼前頃から急に天候が悪化し、曇ったり晴れたりの空模様に変わってしまったが、まあまあの状態で推移してくれる。

チガソンのせいか口がよく渇く。お茶を飲んでは紛らわすので小便がよく出る。因果応報見たいなもので、こちらはわかりよい。

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2008年12月19日 (金)

住まいが替われば気分も変わる

12月19日(金)晴
ラフマニノフの交響曲第2番の重々しい音楽が流れる中を目覚める。
依然好天気は続く.気温2度無風。日本晴れといってよい。

毎朝二階からの階段を下り上りする足取りに違和感はない。
その日の健康状態を私なりに確かめる思いがある。
昨夜寝る前の血圧は135-64だった。家内は135-75だから殆ど同じである。
これまた申し分ない。家内の手料理が健康に100%役立っていることを痛感する。

よほど異変が起きない限りもう今年は大丈夫だろう。
同い年の義弟は一年前の今頃亡くなったのだが。

先般来東京の孫たちの就学の悩みについて考えることがあった。転勤族はそれに伴う転校という事態は避けられない。何度も蒔き直しを強いられる子供は不幸だと思っていた。

孫たちもそんな風に思っているようであった。しかし思い返して自分の過去を顧みると、そうしたことが不幸とは言い切れないのではと思い始めた。転校の都度違った友を得、違った体験をする、悪いことだろうか。
その事を表現は違うかもしれないが、悩める孫にメールを送ってたしなめた。

私自身を振り返ると、生活の根拠いわゆる住まいはめまぐるしく変わった。軍隊生活は戦場を含むと何千キロに亘ったが、これを1ヶ所と数えても、メキシコに生まれ、3歳で日本に帰国し、17歳で進学のため転居、学生生活は3ヶ所、満州に就職新京に在住、戦後も職を求め、またその都合もあったりして、そして最後につびの住まいを建築するまで6回も移っている。

煩わしいことではあった。しかしそれを殊更苦痛と感ずる事はなかった。
今となっては楽しい体験だったかもしれない。

人生にはいろいろな運命が待ち構えている。対応の仕方で幸にも不幸にも、善にも悪にもなる。要はにんにんの心構えということか。

昼歳暮のお返しをしに近所のデパートに行き、食事も済ます。

午後私の部屋の配置換えを思い立ちこつこつと始める。
物の置き場所化した古い机を除けて、部屋を広くし絨毯を敷く事にした。
机だけは家内に手伝ってもらって外に出す。いずれ壊して処分するつもりである。
取りあえずは引き出しにたくさん入っている書類などを整理しなければ取りかかれない。

夕方には絨毯を少しカットして部屋に敷き込み一段落する。

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2008年12月20日 (土)

部屋の大掃除

12月20日(土)晴
今朝は雲それも白雲が多く青空も見えるので、天気は悪くはなさそうだ。
気温4度。

乗りかかった船で、倉庫代わりに使っている隣の部屋の整理を始める。
というより、私の机を片付けるために大掃除になったというわけ。
一応倉庫の中の雑物を整理しなければ納まらないからし方がない。
家内も手伝ってくれて夕方までにはあらかた終わる。
例によって使えないもの、いらないものがぞくぞく出てくる。
よくもまあ貯めておいたものである。
ゴミ捨て日にはまた大変だ。

途中で息が上がって、しばしば座り込みながらも、なんとか初志を貫徹する。
最後はもうへとへとだから、今夜はよく眠れる事だろう。

朝の好天気はいつの間にか静かに終わり、夕日が西空を赤く染めている。
暖かい日で良かったなあ。
窓を全部明け広げて、拡散するホコリを外に追い出せたのが何よりよかった。
偶然絶好の掃除日となった。

サンフレッチェはレイソルに2-3で延長戦の末破れて、元日の国立競技場に連続して臨む事が出来なかった。主力3選手の欠場がやはり大きかった。

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2008年12月21日 (日)

小山実稚恵のピアノリサイタル

12月21日(日)雨
朝から降るとも降らぬとも解らぬ位の小雨が軒ばを濡らす。
気温はなんと10度。冬はどこかへ去った感じ。
私の部屋の中は何にもしないでも17度。頭の健康にはちょうどよい。

午後は小山実稚恵のピアノリサイタルをさくらぴあホールに聞きに行く。小ホールだから完全にいっぱい。ベートーベンのテンペスト、そして後半のショパンのいろいろな曲,聞きごたえがあった。
彼女程になると譜面は見ないのが当たり前かもしれないが、全曲暗譜演奏でよどみがなかった。
アンコールの3番目などは、左手一本での5分間ぐらいの演奏だったが誰の曲かは知らない。
ベテランらしい味の濃い演奏といってよいだろう。
ピアノの音がこれほど大きくすごいとは思わなかった。ホールのせい、演奏家の力倆のせいといえようか。
十分堪能して帰る。

夜田賀の義弟が雨の中をやってくる。
魚を釣ったからといって、わざわざ遠い道をやってくる。
好意はたまらなくうれしいが、道のわかり難いわたしのうち、家内は心配して門を出たり入ったり、食事もとうとう一時間遅れる。
相変わらず元気な顔で現れる。
たくさん魚を持て来てくれたが、料理して焼いて食う時間はない。
有り合わせの料理で馳走し共に食らう。

8時半雨の中を帰って行く。

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2008年12月22日 (月)

海の幸山の幸

12月22日(月)曇
雨はもう上がった感じだが、霧が濃く立ちこめて、地上も海面も定かでない。
気温7度、寒くもないが暖かくはなりそうにない。

義弟が昨夜野菜もたくさん持て来てくれたので、家内はその整理に忙しい。
口に入れるまでには随分手間のかかるものであることを、そばで眺めながら心ひそかに大変だなと感ずる。

午後2時午睡から目覚めてみると、空はよく晴れて日光がさんさんとそそぎこんでいる。
外気は少し風があって暖かいとは言えないが、それでも気温は15度と上昇している。

横山君から歳暮の謝礼の電話がかかる。もう止めようやと言ったのになんで呉れたのだと怒る。来年からそうしようと言ったはずだ、今回はあんたがしたからお返しだといいわけする。
億万長者と張り合うつもりはないが、負の交際はしたくない。

義弟のくれた大きな鯛が焼かれて昼の食事に出る。おいしいが一匹は食いきれない。半分残す。
たくさんくれたので、明日野菜と一緒に娘に取りに来らすという。
話も聞いたが、この付近の漁場には随分魚が生息しているらしい。岩場に腰を据えて釣り糸を垂れる、醍醐味は今はしろうとの喜びで玄人の物ではないらしい。
やはり日本は良い国だ。

午後4時黒、白、灰色の雲去来して、時に小雨を散らし、時に太陽が顔を出す。食料の買い出しに家内と行く。あわただし。内藤内科に行くつもりだったが、気が向かずとりやめる。

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2008年12月23日 (火)

天皇誕生日

12月23日(火)曇
昨日と同じように、雲が多く、せっかくの天皇誕生日でも、時に時雨れたり、時に太陽が雲間から覗いたり、はっきりしない薄ら寒い天気。

整理した古机を分解する。引き出しの部分は、書類整理用に使う事にする。
ごそごそすれば結構身体は暖かい。
耳の奥の鈍痛がやや気がかり。

昨日から探していた、パソコン用の眼鏡がベッドの布団の隙間から出て来る。なんでこんなところに?認知症が近くなったかな。

夕方近く長女夫妻がやってくる。来年の正月にはまた呼んでくれるそうだ。

暗くなるにつれどんどん気温がさがる。
天皇さんも体調不良を伝えられながらも、お立ち台で国民の祝賀に答えられている。
ご苦労な事だ。

国を預かる麻生総理も元気でよくつとめていると思う。並の身体ではもたないだろうなと思う事が最近特に多くなった。
老いという事は大変なことだとやっと気づいたからだ。

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2008年12月24日 (水)

医療負担

12月24日(水)曇
朝6時起床して、病院行きの準備。
気温1度。冷たい。8時10分前には広島総合病院に着く。

塗り薬はうんと減らして、チガソンの薬効にまかされることになる。
乾癬は決して直ったのではない、症状が軽くなっただけだと年押しされる。
チガソンはきちんと継続するように止めれば元の木阿弥だといわんばかり。

家内の年賀状の作成のお手伝いが余分仕事。もう億劫になって通りいっぺんなものになってしまう。

午後4時内藤内科に出かける。変化は見られないが、来年1月には心臓、2月には腎臓の検査をするからと予告される。
数値的に診断を要するらしい。

私の年賀状今日投函する。

朝に晩に医者通いしてみるといかに老人の数が多いか気づかざるを得ない。
医者不足も、厚生予算不足も皆このせいである。
応分の負担を老人が強いられても、仕方がないのではないか、つけを若い者にまわすのはやはり考えものではないか、実感せざるを得ない。

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2008年12月25日 (木)

戦争はなお遠くなりにけり

12月25日(木)曇後雨
気温8度とどちらかと言えばあたたかな朝。千切れ雲が乱れ飛ぶ不安定な空。
年内の用事が終わって、今年はもう終わった感じ。

家内が内藤内科に行くというのでつれて行く。帰りにガソリンスタンドにガソリンと灯油を買いによる。
オートサービスの店だからガソリンは1l=¥104と先月より¥11.安くなっている。灯油も60ltで¥800.も安い。ちょっとの間にえらく値下がりしたもんだ。
操作ももう慣れて店員さんはいらない。
近くにこんなのがあると楽だな。

小雨だがしきりに降って寒い。
雨雲ははっきりは見えない。妙な天気である。

掃除する用事はまだ沢山あるのだが、寒いから外に出るのがいやだからやーめたとこまめな家内でも言う。
朝起きた時より寒くなったのかも知れない。

西洋ではクリスマス、日本では大正天皇祭と子供の頃にはどちらもおめでたい祭日だった。そして冬休みの第一日だった時代があったが、何もかも変わったな。
戦争も遠い昔になってしまった。今更何だったかと問われても答えようがない。全体を知る者は一人も居ないのだから、本でも読んでもらうしかない。
残された写真を眺めて、ごく豆粒程の情報を察知するしかない。
戦争に参加した私でも大海を漂う小舟でしかなかったし、戦争を知っているなどとおこがましくていえない。

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2008年12月26日 (金)

Asusとは

12月26日(金)晴
朝気温2度、快晴。
昨夜は凍結を心配して戸外の水道の元栓を締めたが、零下に下がる事はなかった。ここ1、2ヶ月は油断がならない。

廿日市市は宮島口渡船場付近の改装を計画しているという。
私たち地元の者でもわかり難い。すっきりさせて欲しい。

昼前になると雲が発生して暗くなる。

Asusはエイサスとでも読むのかと思っていたら、今日そのホームページに入ってみて、アスースと読む事を知った。台湾の会社だと書いてあった。
全然知らなかったのは私だけらしい。随分沢山つくって廉価販売をしているらしく、意気軒昂の気配を知った。
ウインドウズに馴れていないので、操作は遅々として進まないが、インターネットさえ入れれば良いと思って扱ってるので、あまり支障を来す事はない。

Macのノートは便利だったが、壊れてしまったので、その代わりと思って使うつもりだが今のところそのチャンスがない。

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2008年12月27日 (土)

ブログのスタイル

12月27日(土)晴
気温-0.5度、今冬初めて零下へ。
家内が買ったビデオデッキの調子がおかしい。チャンネル設定が出来ないし録画が出来ない。修理するしかないようだ。
昨夜から今朝にかけてとうとう無駄な時間を費やす。

晴子が宇都宮の友達を昨日訪ねて行ったらしい。成人式を宇都宮でするとか、そんなことが出来るのか。

午後買い物に楽々園に出かける。机を整理したのはいいのだが、中身を入れる引き出しが足りないので、キャスター付きの引き出しを買う事になった。
十段の、高さが一米ちょっとある。
しばらくはなんとかなりそうだ。
すきっとさしたいのだが、なかなか思うようにはいかないものだ。

年末とあってどこもかしこも騒がしい。よっぽど止めて帰ろうかと思ったが、なんとか用事はすんだ。
もう正月まで大丈夫だろう。

日記をブログ化することがいいのかといつも悩んでいるのだが、良い悪いは別として、マンネリ化は避けられない。
読む人読まされる人皆ぼつぼつ飽きて来たのではと思う。
書く方も当然飽きるし、変わった事を書こうとすると無理になる。面白い題材がそんなにある筈がない。
ともかく来年からは日記というスタイルは止めたい。
当初の気持ちに戻って、随想という形式をとりたい。
自縄自縛はとにかくいやだ。

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2008年12月28日 (日)

高濃縮ウラン

12月28日(日)晴
3日前に飲んだ下剤が効きすぎたのか下痢がとまらかくなった。
昼過ぎにまたトイレに入る。
全体に体調が下向気味なのかもしれない。

自分では一足早く今年が終わった感じだ。
藤沢文庫本を昨日買って来たが不思議に面白くない。20頁程読んで投げ出した。

DVDにダビングした黒沢の”夢”がえらく気になる。
核爆発のシーンはいやだな。こんな状況が起きるのかしら。
今日の新聞で日本にある高濃縮ウラニウムをこっそりと米国に引き上げているとある。テロを心配しての行動らしい。

何をしても自由な国日本に勝手に使わすのは危険だと判断したのだろう。
同盟国日本とさかんに持ち上げていたが、今のような政府ではたよりにはならないと思い出した事はよくわかる。日本人自身もそう思っているに違いないし。
考えてみると、原子力発電所に頼らなくてはならない日本では、核爆発の危険は絶える事はない。
テロ行為に対しても大丈夫なのだろうか。

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2008年12月29日 (月)

初日の出

12月29日(月)晴れたり曇ったり
よく晴れてたかと思うとあっという間に一面雲に覆われたり、またかんかん日が射し始めたりまことに判じ難い日和である。
早朝の気温は5度といやに暖かかったので、予報通り西からの低気圧で雨になるのかと思ったがそうでもないらしい。

今日の新聞に元日の日の出を拝む人が、三山(弥山,黄金山、野呂山)合わせて6千人と出ていた。妙な計算をするのだなあと感心する。
歴年のデータが保存され生かされているのだろうが、こんなところは地方新聞のお得意芸といったところだろう。

弥山には1941年の初日の出を拝んだ経験があるので言わせてもらうが、大晦日の夜の9時頃から真っ暗な道を約2時間かけて頂上に登ったのだが、頂上すぐ近くの石段で足首を捻挫してひどいめにあった。簡単な事ではなかった。

今は途中に明かりや標識など出来てるだろうが、それでも先年豪雨で流されて道が荒れてると言われていた。頂上でなく途中で捻挫するなんてこともありうる。心して登ってもらいたいものだ。
他の山は車で行けるから、楽ではあるが事故を気をつけなくてはいけない。
弥山も今は行列してロープウエイを利用する者が多数だろうが、待ち時間が大変で、苦労する事は同じようなものだろう。

いつも天気が良いとは限らないので、6千人の幸運を祈っておこう。

午後3時現在薄い雲の間から日が漏れて、テラスの気温は16度になっている。まあ暖かい方だ。

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2008年12月30日 (火)

私の元旦準備

12月30日(火)曇
朝気温7度と高い。雲間から時折こぼれ日が射すがよい天気にはなりそうにはない。
後ろの極楽寺山には黒雲がかかっている。
飛行機も低空を行くらしく爆音が鳴り響く。
年の暮れも後一日、夜の明けるのも遅いが、起き上がるのも遅くなる。食事を終わって一息ついた所でもう9時。

風が強く冷たい。
家内のお供をして、正月用品の買い出しに楽々園に出かける。
最初少し衣類を買い求める。
次いで正月用品、しめ縄から始まって例年通り、年が明ければすぐゴミになる物ばかり。

私は藤沢文庫本を又一冊。夜長を過ごすには致し方ない。
書棚から”新広島城下”という本を見つけ出して正月用に用意する。古い本で何度か読み返しているのだが、こんな時に読むにはうってつけの良い本である。
”日本外史”ももちろん良いのだが今回は外す。

頼山陽伝をつまみぐいしているので、いささか食傷気味というわけ。
見述さんの頼山陽が評判だが、新聞で丹念に読ましてもらったので、これもしばらくお預け。
寿命があれば、いつかまた読みふける事になるだろう。

本を読むのも、メールやブログを書くのも、日記を付けるのも、最近は思った以上時間がかかっている。若い時の何倍もだろう。
頭の回転の鈍さも驚く程ひどい。体力の衰えと一緒だ、どうしようもない。

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2008年12月31日 (水)

人類の業苦は続く

12月31日(水)曇
空いっぱいの灰色の雲、気温2度、いい天気になりそうにはない。
もちろん忙しく立ち回れそうにはない。

紅白は毎年見ない、で専らクラシック音楽で年越しをする。今年もそうなるだろう。若い者程賑やかなふんいきで年末を過ごす気にならないから。

株に投資した人は大変だったなあ。下落率42%と報じられている。
こんな心配はしないですむのは、やはり幸福というべきか。

今年もイスラエルとパレスチナとの戦争が続いたまま越年する。
くすぶっている火種はまだまだ各地に存在する。人類の業苦である。

時々日が照ったりすることがあっても、雲の往来はいつまでも続いてこのまま暮れて行きそうだ。
相変わらず感傷多き年の暮れではある。
回顧する一年はほとんどいつも後悔と反省にぬりこまれる。

世の中を見ても麻生総理が百年に一度の経済恐慌と口癖のように国会答弁している、経済恐慌が進行中で、回復の兆しは見えてこない。生存の危機を感じている人も少なくないのではないか。
来年はなんとかなって欲しいと天に祈っているものである。
原因が過剰な金融渦流に元ずくものだけに、世界を巻き込んでいて、復元しあるいは新たな好景気を生む方策は容易には見えてこない。

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