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2008年11月22日 (土)

一人の残留孤児ものがたり

11月22日(土)晴
朝気温4度、雲一つ見えず快晴。島影やや霞む。

私の人生は振り返ってみると、暦とぴったり重なり合って非常に記憶しやすい。
といっても日本暦ではなくて、どうしたわけかキリスト暦である。
1920メキシコで出生、1940学校卒業、満州鉱山入社,社会へ第一歩、翌年徴兵入隊、1945終戦、浪人、1950結婚、1955川下に住居移転、1960寿屋倒産、翌年大進産業へ就職
1965ジャパン・ドライクリーニングセンター開業、1969日本キーサービス開業、
1970大阪万博2回見学、1975長女基町児童館へ就職、1986実母死去、1990南圭母子来宅、1995阪神大震災、南の母死去、1996日本キーサービス法令解散、田賀の父死去、2000ハワイ旅行、町内会長就任、と云った具合である。
0か5で刻むと、経歴が読みやすく、思い出すのに便利である。

私と長寿を競い合っていた義弟の三生さんが一昨年の暮れに亡くなった。米寿に今ひとつ足りなかった。明後日3回忌の法事があり、招かれている。
ふと彼との交遊を思い出し、過去を数えている間に前記の暦を繰り出すに至った。

私の年齢を数えながら,昭和の歴史を振り返るとまざまざとその実情がよみがえってくる。

昨日Amazonに頼んだ二つの書籍が一緒に宅急便で送られてくる。早いなあ!
一つは既に読んでいるので、片一方の大宅文学賞の「あの千から遠くは慣れて」を読み始める。460頁の厚い本である。数日かかりそうだ。
作者の父は満州国軍の将校だったその父に4歳のときに出入りしていた満州人に預けられたのが初めだった。ソ連軍の侵入にあって逃げる途中家族とは別れ別れになり、つぎつぎと人手に渡ってしまったことは、他の中国残留孤児の運命と変わるところはない。
大学へは日本人という理由で行けなかったが、高校まではトップクラスの成績で、十分どこででも生きて行ける能力の持ち主だったようだ。

目下途中までだから、後はお楽しみだが、凄く丁寧に細かく書かれていて、こんな詳しい伝記は少ないのではと思うくらいだ。
作家が実の父のことを、本人の口から,資料から,その上留学して現地取材したのだから、申し分ない実証性である。

ゆっくり読まして貰うつもりだが、大宅賞に輝いた実績に文句のつけようはあるはずもない。こんな作品はまだまだ欲しい。ついでにシベリア残酷物語なども。Img0092

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