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2008年11月15日 (土)

陸奥記念館

11月15日(土)晴
気温9度と昨日と変わらず。相変わらずいい天気、食事の時家内が大島に行ってみたいという。久しぶりにおいしい魚を食べに行くかと応ずる。
 「般若姫」をパソコンの検索で探してみたが載っていない。永いこと行っていないから無くなったかも知れないなと思う。生きた魚を料理してくれてうまかった店である。ままよ大橋のたもとだ、行ってみなければしかたがない。

午前十時過ぎ家を出る。玖珂ICまで高速で行き、437号線を一気に東和町の道の駅まで行く。正午少し前だったので食堂で秋あじのセットを食べる。量が少し多すぎたがおいしくほとんど平らげる。刺身をはじめ魚はおいしい。すぐ前の海から穫れるのだから新鮮さが違う。
焼き芋を買い途中の休憩時間にたべる。なまいもとか、みかんとか、地物をなにがしか家内は買い込む。
ついでに殆ど大島の突端伊保田にある陸奥の記念館を久しぶりに訪れる。随分前に訪れたのだから、もうまるで記憶がない。海から引き上げられた物主体に遺品が数多く陳列されている。
連合艦隊の主力艦として活躍し,当時青少年だった私たちのあこがれの的であった。
終戦近い昭和18年原因不明の大爆発を起こしてあえなくこの伊保田沖に沈没し1400名の犠牲者を出したという。

戦前を生きた私でももう遠い存在でしかない。

いつだったか十数年前、第6号潜水艇を呉に行き探したことがあって、探しあぐねて結局海上保安本部で江田島第1術科学校にあることを教えてもらったが、時間がなくてその時は対面できなかった。
その後何年かして私自身は対面するチャンスを二度得た。

明治44年岩国沖で沈没し、市内の新港に記念碑とともに潜水艇も当時飾られていたので、子供の頃馴染みの姿であった。
その後中学生のころ、修学旅行で海軍潜水学校を見学をした際、そこに移設されていることを知った。そして戦後、沈没時の副艇長だった長谷川少尉の甥にあたる人が私の学校と職場の先輩にあたられ、探してくれと頼まれて一緒に訪ね回ったのが,頭書のことだった。長谷川さんはその後対面出来たかどうか知らない。延岡に住んでおられて間もなく亡くなられたのでなんともいえない。

そのとき潜水学校の跡や、そのた町内の関係先など聞き回ったが,潜水艇の存在はおろか、なんのことか皆目話にならない人が如何に多かったか、つくづく時間の経つ恐ろしさを感じさせられたものだった。

陸奥の話もいずれ風化してしまうだろう。環境は随分きれいに整備されているのだが、公園として管理されており、目下これが最善の保全方法と云わざるを得まい。

午後2時帰路につき4時少し前無事帰宅。往復300キロのドライブだった。なお食事所”般若姫”らしいものはどこにもなかった。

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