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2008年11月 1日 (土)

天気が良いと在宅がつらい

11月1日(土)晴
朝の気温は昨日と変わらず11度だが、天高くさわやかな秋の一日となりそう。
食事の時庄原に行かんかと家内がさそったが、3連休の初日、老人は遠慮した方が良さそうなので返事を留保する。

朝予想したままの好天気がつづく。
行楽地は賑やかだろうなとちょっと悔しい思いだが今更しかたがない。
射し込んでくる日光に部屋の温度は30度を超えて暑い。
体がほてって、やたら痒い。

午後先般来仮つけのままにしてあった門灯を、本付けにしようととりかかる。
門柱にねじ釘を打ち込み、接着剤で固定したところで一段落。
接着剤がうまく固定してくれれば、門灯を取り付ければよい。
やり直しになるかどうか接着剤次第。しろうとのやることだから必ず成功するとは限らない。

家内は出かけたくてうずうずしてたのだろう、外出してくるよといいながら、行く先は告げずにそばを通り抜けてゆく。

お茶を飲む時間もだいぶ遅くなる。
夕方日が落ちると気温もぐっと落ちる。秋らしくてよい。
食事を終わってからはすぐ眠くなり、寒さもこたえてきて起きておられない。

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2008年11月 2日 (日)

プロとアマの違い

11月2日(日)曇
朝鞠子から法事は開花亭でやるからといってくる。
観光ホテルは予約出来なかったらしい。

接着剤がよく固まったので、門灯は無事取り付けを終われる。
門灯の角度がもう一つ気に入らぬのだが仕方がない。

昨夜も顔の湿疹が痒くて寝付かれない。今朝顔を見るとあちこち赤く腫れ上がっている。見られた物ではない。女だったら大変だろうな。
それでなくても見てくれの悪い老人のこと、つまらぬ心配をかけそうだから、もう娑婆に顔出ししない方がよいようだ。

雨にはなりそうにないが、空一面灰色に覆われて、日も射さず、はしやぎたいような天候ではない。がしかし暑からず寒からず、かえって行楽にはいいかもしれない。
雨はとうとう降らずに終わる。
明日も似たような日になるらしい。

国士舘大学と鹿島アントラーズのサッカーの試合をテレビ観戦。鹿島の出来も悪かったかも知れないが、国士舘のすばらしさに感嘆する。運動量といい技術といいプロに劣るところは見当たらなかった。不運なゴールエリア内のフリーキックで同点にされたが、あれも微妙な判定の結果で、どうとも言えないように思われた。
あれがなければ国士舘が勝ったことになり、凄い番狂わせだと大騒ぎになるところだった。
最後のPK戦で3対0と最短時間で片付けられたように、個々人の能力差は歴然としていたが、チームとなると話は別だということがよくわかった。
余韻嫋々いつまでも心に残るいい試合だった。

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2008年11月 3日 (月)

源氏物語

11月3日(月)曇
凄くもやって天神山の向こうはもう見えない。予報は午後には晴れるなどといってたが、今の気温は15度。
昔は明治節はいつも晴天と言い習わしていたもんだが、文化の日になってからはそんな言い習わしは聞かなくなった。
私のように生まれてから何十年も”アジアの東日出ずる所、ひじりの君の現れまして”と歌い慣れて来た者には、今更文化もないもんだと抵抗を感ずる。ただ紀元節と違って粗末にされないところはよい。

午後になっても一向に予報通り空は晴れてこない。日の目を見ないまま夜の帳が降りてくる。ままあることだから驚くことはない。

先に千年の昔紫式部が書いたという場所、石山寺を訪れたが、今日はテレビで瀬戸内晴美の長時間出演にかかる源氏物語の解説を聞く。
題名はいやになるほど聞かされて来た源氏物語だが、小説そのものは一度も読んだことはない。原文はもちろんだが、あまた文学者、小説家の翻訳もである。
今ここにすじがきをながながと解説してもらい、作者の意図や当時の宮廷模様、そして現代に通ずる男女交情の真理が瀬戸内晴美よって解き明かされる。
この年になってやっとその偉大さにふれたかなと満足する。

その後千住明作曲の詩編交響曲「源氏物語」を大友直人指揮の京都市交響楽団の演奏で聞く。ほぼ1時間10分の大曲である。
詩編というだけあって、山あり谷ありの変容の美しさ、面白さは感じられない。
どちらかっと言うとわかり難かった。口ずさみたくなるようなメロディはない。歌われる歌曲も優れた感動をもたらすものでもない。
せっかくなので録画しておいたから、もう一度か二度ゆっくり鑑賞したい気持ちである。

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2008年11月 4日 (火)

岩国城

11月4日(火)晴
連日もやったまま夜が明ける。赤い太陽が東の空を上がってくる。1時間もすると雲間を抜けて金色に変わる。
今日は暑くなるかな。
目覚めるとスグから顔のかゆみが気になる。一番に顔を洗う。
鏡に映る我が顔を見て情けなくなる。赤くあちこち腫れ上がって正に猿面冠者だ。
遠い先祖はやはり猿じゃったんだなあと今更思う。

長年使っているテキストソフトのJeditがX2へのバージョンアップをいうてくる。
早速そのホームページに入りUPする。指示通り入力する。終わるとライセンスキーは折り返しアプリに入力される。あっという間である。便利はよくなったが、商売上手になったなあと感心する。
誘導尋問にかかったような感じだ。

顔は洗ったまま何も塗らない。タオルを湿らしておき時々顔を拭う。さっぱりして気持ちがよい。かゆみはなかなか取れないが。

昼前になって家内が岩国へ行こうと言い出す。写真を妹らに届けるのと古い板くずを芳邦さんに焼却してもらうよう頼んだので、車に積めるだけ積み込んで持ってゆくというのだ。電話で話がついたからすぐにでも行こうという。
大竹ICで降りてスーパーで食事を済ませ、美恵ちゃんのところに回る。
他の妹らにはここから配ってもらうことにする。

芳邦さんは柿をもぐため人を雇って数人で作業をしていた。
持参した板を畑の端に下ろす。芳邦さんは早速すでに取り込んである柿をたくさんくれる。渋柿だから、干し柿にするのがいいだろうという。一仕事できる。すでに熟してグニャグニャになったのも数個くれる。こちらは帰宅してすぐ賞味する。樹上で熟したのはさすがにおいしい。

吉香公園に回る。ひさしぶりに今日は天気が良いから城山に登ることにする。
もちろん歩いては無理だからロープウエイを利用する。城までの残り300米は歩く。修学旅行生や一般客も多い。ロープも回数をふやしてくれたので、便利が良かった。
折からの夕日に冴えて錦帯橋を含む景色はすばらしい。

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2008年11月 5日 (水)

ダニのせいか?

11月5日(水)晴
朝気温9度。遂に今秋初めて10度を割る。
相変わらず朝から顔がかゆい。最近は顔ばかり気にしている毎日である。手もどうかすると無意識に間断なく顔に触っている。
午後になるとまた曇ってくる。

photoshopの調子がおかしい。再インストールするが変わらない。

私がかゆがるのはダニのせいではないかと娘に言われたとかで、布団から枕まで一切合切洗濯するやら虫干しするやら、マイチェンバーは大騒動。
昼寝も布団も毛布もない寝台に転げるだけ、でも1時間ぐらいは射し込む日光が暖かかったからぐっすり眠る。

デオデオに行く用事があったのだが、億劫になって取りやめる。
いろいろ気の散ることが起きたりして。
家内は柿の皮むきに忙しく、ゆうがたまでには精出して片付ける。ひと月もすればおいしい干し柿が食べられることだろう

私は渋抜き方法をgoogleで習って、有り合わせの古いジンが一瓶残っていたからそれを使ってポリ袋に5個程いれて合わせることにした。

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2008年11月 6日 (木)

奥田元宋美術館

11月6日(木)曇
連日秋の空ではなくて春の空ではと見紛う。一面霞がかかって島影一つ見えない。
瀬戸内海特有の現象というべきなのだろうか。
最近発生した現象とも思えるのだから、やはり温暖化現象の一環か。

家内の思いつきで備北丘陵公園に出かける。
平成17年完成というのだから、もちろん私は初めてである。家内は行く前2度行ったことがあるというので、変だなと思っていたらどうやら三次の風土記の丘と勘違いしたらしく、彼女も今回が初めてだった。

国営の名前が入っているだけに、そんじょそこらの公園とは桁が違う。道路といい駐車設備といいすばらしい整備ぶりである。真ん中に大きな池があって,多種にわたる樹木も多く景色といい,自然環境は全く申し分ない。折から晩秋の装いもぼつぼつ深まる気配で、月末に向かうと行楽に拍車がかかるのは目に見えている。
たまたま今日はウイークデイだったから、私が止めた第5駐車場は百台くらいのスペースに私の車ただ1台という閑散ぶりだったが、この広さは休日であっても楽々車を置けて、存分に自然を楽しめるのではと感心した。
家内はトイレの明るさ清潔さに感嘆の声を惜しまなかった。さすが国営だなと。

入り口で係の女性から今日は何もイベントがありませんからと釘をさされたが,敢えて入場した。走行練習や車庫入れ訓練には願ってもない練習が出来るが料金は¥1200.ばかりで安いとはいえない。30分ばかり走って公園の外に出る。

家内が奥田元宋美術館を見たいというから、国道を三次に向けてさらに走る。
こちらは文化勲章作家奥田元宋の絵画を中心に,奥さんの小由女さんの人形が約半分を占める。今日は特別展として蒙古の美術品が数多く出展されていた。
眼もない,関心も薄い私には猫に小判だったが,家内にはかなりのインパクトを与えたらしかった。

女性客がほとんどだった。男性は私のようなのが多いのだろう。
終わるとまっすぐ高速道で帰宅する。4時前には到着、ほぼ6時間のドライブだった。三次付近でちらと日の射すときがあったが、終始薄ら寒い曇り空で、まぶしくなかったことはよかった。

昨日は米国の大統領選挙で黒人のオバマが圧倒的な勝利をおさめ,次期大統領が決まった。もちろん歴史上初めての黒人大統領である。
私の父がメキシコで苦闘していた当時、黄禍論で東洋人が差別され,排日法で日本人が排除されるなど、格段の苦しみを嘗めた。日米戦争の遠因とも言われている。
黒人は言わずもがなである。ほとんどが奴隷の先祖を持つ。家畜以下に長年扱われた時代を経て来たわけである。ここ4、50年の間の人類の考え方の変わりようまったく今昔の感に堪えない。

広島の新市民球場は命名権を販売するということで,マツダが名乗りをあげ5カ年15億円で決定した。”Mazda Zoom-Zoomスタジアム広島”という球場名だそうだ。
マツダは広島人なら知らぬものはない。カープの今日あるを最も手助けした企業であることに異議を唱えるものはなかろう。万事よろしくお願いしたい。


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2008年11月 7日 (金)

晩秋の疲れ

11月7日(金)雨
夜来の雨が少しではあるが続いている、気温も従って17度と暖かい。
昨夜はぐっすり眠れたのでさほど疲れは感じていない。
昨夜はチガソンを1錠飲んで寝た。そのせいかかゆみも若干薄らいだ感じ。
今朝も1錠飲む。しばらく続けてみるつもり。

午前中1時間ばかり眠る。11時現在雨は上がっているが、灰色のもやがそこら中立ちこめて,また降るのか晴れるのか決めかねた感じ。

人の名前がさっぱり出てこない。それあれよ、あれあれっと誠に騒がしい夫婦の会話。たまに食卓でかわす会話はまことにしまりがない。
それでも平和に日は過ぎてゆく。

昼前近くのマルシェに行く。五千円も買ったと家内は驚いたように言う。

食事を済ますとまた午睡。今度は1時間を越える。よく眠れることだ。

起きだして見やる空は、いかにも降り出しそうだがとうとう夕方まで降ってはこない。

天高く馬肥ゆる秋はあくまでも中秋までの喜びで,晩秋に向かえばもう装いも寂しく,寒い冬の訪れを待つわびしさだけか。
死を待つだけの老人には、むしろ初冬のこぼれ日の射すささやかなぬくもりが救いのようでもある。

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2008年11月 8日 (土)

バラマキ大賛成

11月8日(土)雨
ほんわずかだけど降り続いている。
紅葉便りがしきりにテレビ画面からつたえられる。ほとんど曾遊の地ばかりでなつかしい。特に閑谷学校や雪舟ゆかりの宝福寺のもみじなどは画面で見てもすばらしい。

もう遠方への行楽は避けて,今年は宮島辺りで終わりにしたい。時期は下旬かな。

いつになるのか、麻生総理の公約でひとり2万円づつくれるらしい。貰ったらすぐその倍も使って,産業振興に役立てたい。年内がいいな。
現在の不景気は生半可な措置では立て直し不可能とみる。
金利を0にしても経済は動かぬのだから、ばらまく以外にないではないか。
戦争の大消耗を考えれば安いもんだ。

小雨もいつの間にか止んでとうとうそのまま夕方まで続く。
どんよりと寒々とした晩秋に似た一日で終わる。

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2008年11月 9日 (日)

よわいも晩秋

11月9日(日)曇
気温11度、まあこんなものか。
あいかわらずすっきりしない夜明けである。8時になっても薄暗く,目が覚めるのも遅くなり家内に起こされる。

最も快適な気候である筈だが、老人にはさっぱりその恩恵は感ぜられない。寒いばかりである。電気ストーヴを入れる。贅沢なことだ。
冬になったらどうなることやら。

若い者たちと一緒に暮らしていたら、いちいち怒られていなければならなかっただろうが、老人二人幸いにまだ元気なので救われる。死ぬまでこの調子で居たい。

日曜の朝とあってか,FMで古いフーベルマンのバイオリン演奏を1時間以上もやっている。独特の演奏スタイルと説明されていたが、私にはよくわからない。ハイフェッツなら少しはわかるかも知れないが。
指揮者でもトスカニーニ,フルトベングラー、ワルターあたりはそれぞれがはっきり違っていた。昔は今以上に個性が強かったようだ。

今朝の産経webnewsを見ると第一面に凄い松明の写真が見える。最初は何かわからず説明を読むと,福島県須賀川市五老山の松明あかしという400年も続いている行事だそうである。
13万5千人の大観衆の前で炊かれた由。初めて聞く行事なのでいささか驚いた。

Taimatsu

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2008年11月10日 (月)

満80歳の誕生祝い

11月10日(月)曇
待ちこがれていた太陽が雲間から銀色に輝いている。
気温9度。背中にカイロをいれる。

朝早く日通の宅配便が8日発注した"Photoshop Elements 6"を届けてくれる。
早速開封してインストールを始める。説明書通り古い分は全部廃棄して新規にインストールする。1時間もして起動したが、古いバージョンのものと同じく,すぐ終了してしまう。
メーカーにその実状を書いて通知するとともに、OS側のバクとも感じ、そちらの改善をはかることにする。いちおうシステム以下のbackupを始める。30GB以上あるから夜までもかかりそうである。

午後2時、テレビのスイッチを入れる。丁度漢詩の朗読の声が流れる。広瀬修子アナのなじみの声である。漢詩は紀元前四百年、楚の屈原が提言を入れられず,国の滅亡を悲しんで長詩を詠じ、絶望して汨羅の淵に身を投ずるその最後の詩である。
朗読とともに背景には洞庭湖の湖畔、現在の汨羅の満々たる水辺風景が映される。
思い掛けない再会に、凝然と目を奪われる。

日本がミズーリ艦上で屈辱の降伏調印をした日昭和20年9月2日私はここにいた、日本を思い,屈原の無念を想起し私は涙した。(私は徒歩で前線から撤退途次、通信隊の無線電信をたまたまこの地この湖畔で傍受することができたのである)

歳月はよどみなく過ぎてゆく。時に思いもせぬ故知に向かい合う、不思議なことだ。
単なる偶然といえようか。

おやつの時間には家内が「今日は私の誕生日だよ」三島の歯医者さんがおめでとうのはがきをくれたよという。
この歯医者さんはいつも忘れずに誕生祝いをくれる。私の歯の表彰を受けたときも勝手に申請して賞をもらって届けてくれた。親切な商売熱心な先生である。
もうこの年では誕生祝いはおかしいのではと思うことしきりなのだが。

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2008年11月11日 (火)

給付金イヤ、消費税イヤ、ではどうする

11月11日(火)晴れたり曇ったり
荒い黒雲が東西に縦長に何条も流れている。
今朝の気温は8度と低い。太陽も時折雲の間を抜けて日射しを地上に注いでいるが,熱に力があるとは思われない。

家内のお供をして買い物に行く。ついでにそのスーパーでうどんなど食べる。
午前中にOSをMacOSX10.5.5にインストールを終わり,バージョンアップも済ます。
帰宅してから、Photoshop Element 6を使ってみる。問題ない。
やっと安心。OSXが10.4の段階では働けなかったのであろう。
一応機能的には最先端を行っている訳だが、速度がかなり遅くなった。重い感じである。やっぱりインテルにしないとだめかなあ。
癪なことだが、老いぼれにはこのぐらいの機械でちょうど良いのかもしれない。

付属のBoot Campをインストールすれば、Windowsが使えるというのだからたいしたものだ。げにPCの世界は恐ろしいくらいだ。年寄りは当惑するばかりである。

Photoshopも凄い機能アップしたらしい。いろいろ使ってみたくなる。

おやつをいただいていると,家内が15,6年前に撮ったビデオを映して見ている。
孫たちがまだ赤ちゃん時代である。元気がいい。
丁度テレビで”花の乱”をやってた時で、娘らが当時住んでた京都田辺の一休祭りを映している。孫の一人が小坊主姿で行列に加わったりしている。奥田瑛二が”花の乱”の扮装のまま出演している。凄い人出でさすがに京都を控えた場所だけに違うなと思う。
その光景はその夜のテレビニュースで早速放送されたらしく、ついでに録画されている。そのニュースに子供らが写っているのもご愛嬌である。
娘が後日編集して送ってくれたものらしい。

ついでの話だが、先日惜しまれて撤去された道頓堀”くいだおれ”の人形が、かに道楽などと一緒に、このビデオの後の方に映されている。おもろいなあ!

麻生首相は給付金支給問題で人気を落としているらしい。反対が58%という。
なんでや。国民のみなさんの気持ちがよくわからんなあ。3年先の消費税アップがいやだというのか。

このまま不景気が続けば,消費税でなくても税金か借金かは間違いなく増えるのだが。

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2008年11月12日 (水)

ブルーレイは必要ない

11月12日(水)
朝6時目覚めてパソコンに向う。東天白むといえど、視界暗黒なり。
タイガーよりやはりレパードよく適合しあるか、本パソコン現在頗る好調なり。
先月なるか突如アップル純ソフトのみ凝結したるは何故なりしぞ。
蓋し,この好調の陰にあるものやや懸念なり。

ともかくも2ヶ月前に復活を果たしたるところなるも、偶然の所産に似て、釈然たるあたわず。

最近皮膚の血管がもろくなったらしく、腕などに特に内出血の跡が凄い。嫌な気分だ。副腎皮質ホルモン多用の影響だろうか。皮膚が薄くなるとは聞いているが,内出血まではどうか。一番考えられるのは痒いから掻くのが原因ということ。寝てるときなど無意識に掻くのかも知れない。

午前9時快晴になる。日光が会釈なくmy roomに躍り込み暑いくらいに温度急上昇。

デオデオ廿日市店が新宮に移転オープンすると案内をいただいたので出かけてみる。
今までの店より何倍も大きな店で,駐車場も大きく凄いラッシュ。
今日は内見会形式で、本格的には14日かららしい。ともかく支店でこんなに大きいのには驚く。
切れかけていたDVD-Rを買って帰る。
デジタル放送を録画するにはCPRM対応のDVD−Rでないと駄目なことを知った。
先般非対応のものを50枚も買ってひどい目にあったので、こんどは店員に云って選ばさせた。

店員は対応のものは1時間も録画出来ませんよと注意してくれたが、そんなことがあるもんかと,反論はせずに黙って買う。ブルーレイを買わそうと思ってかそちらの宣伝をしきりにする。十数万もかかるものをそう容易く買えるかと内心反発しながら。DVDでも仕方によっては4時間録画出来るのに、ブルーレイは10時間以上録画出来る、長すぎる。だまされないよーだ。

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2008年11月13日 (木)

今年9回目の植物園行き

11月13日(木)晴
快晴の日が続く。

藤沢小説の耽読も病膏肓に入ったところだが、長岡節の生涯を書いた「白き瓶」で急ブレーキがかかった。なんとも面白くない。
藤沢周平の小説はやはり作り話が優れているように思う。人はいざ知らず私個人そういう性癖があるのかもしれない。清川八郎、雲井竜雄、直江兼続など実在の人物を書いたものは皆面白くなかった。退屈した。
長岡節もこれもどうかなと買う以前から敬遠気味だったのだが、他にないものだから仕方なく買って来たのだったが、どうにも面白くない。とうとう飛ばし読みして最後までは来た。
好みの問題だから、あげつらうのがおかしいのだが、「清左衛門殘日録」「風の果て」「蝉しぐれ」「用心棒もの4編」などもう再読10回を下らないだろう。

家内が植物園に行こうという。
昼前一緒に出かける。先だってより一際紅葉している。
天気のいい割には人は少ない。ほとんどが中年以上の女性である。
空気清澄、すぐ近くにこんないい場所はない。最近は我が家の庭園のような気持ちで毎月のように徘徊している。(今年今回が9度目)
レストランは気の毒な程客が少なかったが、お礼を言って立ち去る。
完全に大回りを一周したのでいささか疲れる。2時間ぐらい歩いたかな。

ここのところ録りためたビデオテープ千巻の中から、好みを選んでDVDにダビングを始めた。
当初から数えると245本になった。
結構時間がかかるから、睡眠時間は減り気味。
好きな読書も減り気味である。
もう目も薄くなった。死での旅路のよき伴侶というべきか。

Papaiya
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2008年11月14日 (金)

私の医者先生も大変

11月14日(金)晴
快晴がつづく。先週続いた曇り空が嘘のよう。

午前中昨夜BSから取り込んだ「旅情」をDVDにダビングする。
テープには大分前に録画したのがあるのだが、DVDにするには直接デジタル録画の方がいいからと思ったからである。何よりベニスの風景が美しい。
かねてから、家内からその美しさを何度も聞かされていたので、まだ見ぬ私にも言葉として心に描かれていた。
ダビングしながら眺める。映画そのものもキャサリン・ヘップバーンの名演が光る。
後世に残して十分役立つ名画の記録が出来上がった。

午後家内にも見せる。家内はベニスでは雨に降られて大変だったらしい。この映画のようには行かなかったようだ。
途中で医者に行くため私は席を立つ。いつでも見られるからなんの心配もない。

3時半内藤内科に出かける。外来がいっぱいで、しかも重患があったりして待たされる。薬局で薬を貰ったのが丁度5時半、暗くなった夜道を帰る。
はやる医者は一人で毎日これでは大変だろう。看護士さんは10人以上居るようだからなんとか普通は問題ないようだが,今日は皆緊張した動作ぶりだった。

最近医者の数が話題を招いている。
老人の増えたことが医者不足を招いた原因であることは間違いないだろう。
長寿社会の悪影響ははかりしれない。
増えすぎた野のネズミが集団入水自殺するように、人類も同じ轍を踏むことにならねばいいが。

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2008年11月15日 (土)

陸奥記念館

11月15日(土)晴
気温9度と昨日と変わらず。相変わらずいい天気、食事の時家内が大島に行ってみたいという。久しぶりにおいしい魚を食べに行くかと応ずる。
 「般若姫」をパソコンの検索で探してみたが載っていない。永いこと行っていないから無くなったかも知れないなと思う。生きた魚を料理してくれてうまかった店である。ままよ大橋のたもとだ、行ってみなければしかたがない。

午前十時過ぎ家を出る。玖珂ICまで高速で行き、437号線を一気に東和町の道の駅まで行く。正午少し前だったので食堂で秋あじのセットを食べる。量が少し多すぎたがおいしくほとんど平らげる。刺身をはじめ魚はおいしい。すぐ前の海から穫れるのだから新鮮さが違う。
焼き芋を買い途中の休憩時間にたべる。なまいもとか、みかんとか、地物をなにがしか家内は買い込む。
ついでに殆ど大島の突端伊保田にある陸奥の記念館を久しぶりに訪れる。随分前に訪れたのだから、もうまるで記憶がない。海から引き上げられた物主体に遺品が数多く陳列されている。
連合艦隊の主力艦として活躍し,当時青少年だった私たちのあこがれの的であった。
終戦近い昭和18年原因不明の大爆発を起こしてあえなくこの伊保田沖に沈没し1400名の犠牲者を出したという。

戦前を生きた私でももう遠い存在でしかない。

いつだったか十数年前、第6号潜水艇を呉に行き探したことがあって、探しあぐねて結局海上保安本部で江田島第1術科学校にあることを教えてもらったが、時間がなくてその時は対面できなかった。
その後何年かして私自身は対面するチャンスを二度得た。

明治44年岩国沖で沈没し、市内の新港に記念碑とともに潜水艇も当時飾られていたので、子供の頃馴染みの姿であった。
その後中学生のころ、修学旅行で海軍潜水学校を見学をした際、そこに移設されていることを知った。そして戦後、沈没時の副艇長だった長谷川少尉の甥にあたる人が私の学校と職場の先輩にあたられ、探してくれと頼まれて一緒に訪ね回ったのが,頭書のことだった。長谷川さんはその後対面出来たかどうか知らない。延岡に住んでおられて間もなく亡くなられたのでなんともいえない。

そのとき潜水学校の跡や、そのた町内の関係先など聞き回ったが,潜水艇の存在はおろか、なんのことか皆目話にならない人が如何に多かったか、つくづく時間の経つ恐ろしさを感じさせられたものだった。

陸奥の話もいずれ風化してしまうだろう。環境は随分きれいに整備されているのだが、公園として管理されており、目下これが最善の保全方法と云わざるを得まい。

午後2時帰路につき4時少し前無事帰宅。往復300キロのドライブだった。なお食事所”般若姫”らしいものはどこにもなかった。

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2008年11月16日 (日)

興奮すること

11月16日(日)
今午前0時48分である。布団が重くて寝苦しくとうとう起きだしてしまった。
昼間自動車を運転して,大島の端まで行った興奮が治まらないのだろうか。
疲れて眠れそうなものだが眠くない。

昨日訪れた陸奥記念館でしみじみ感じたことがある。
墨書されたもの,印刷されたものはまだまだ内容が読み取れるのだが、ペン書きしたものなどは字が薄れて見えなくなったものが多い。老人の私たちの目にはなんとも読み辛い。このまま自然に消えてゆくのだろうか。しかももう間もなく。

遺品の数々にしても変色し,褪色し、あるいは錆びていずれは解けてしまうのではと思われる。悲しいことである。やはり生命のはかなさであろうか。

来月中頃知覧に行く予定にしている。もちろん特別攻撃隊に加わった戦友たちの遺品を拝観するつもりである。
1996年11月にやはり家内と二人旅行した時、観光バスを利用して参観したことがある。涙にくしゃくしゃになって数々の遺書が読め辛かった。
あの遺品も字が薄れたり,紙や布が褪色したりしているのではと、行く前から心配になる。

百年,千年と残すつもりなら、公開することは避けなくては駄目だ。
今は何でも精巧な模造品が出来る時代である。金はかかるかも知れないがなんとか努力して模造品の展示にして欲しい。模造技術の永久継承につながるかもしれない。

原爆遺産など特にその必要がある。

天気が良かったおかげで、島々が美しくすばらしい眺めであった。
今この時刻、外はしょぼしょぼ雨が降っているが、実にいいタイミングで出かけたものである。

もう書き始めて大方1時間になる。深夜放送は生命とはなにかという話をしている。野獣社会を防がねばならないなどと物騒な話も断片的に出て来ている。
一刻のよどみもなく時は過ぎてゆく。早く眠くならないかなあ!

午前2時過ぎた頃,疲れてやっと眠くなり布団に潜り込む。後は知らない。
6時の時報で目を覚ます。
謡曲を聞きながら,床を離れる。
雨は止んでいる、9時過ぎにはぎらぎらと太陽も中天にかかる。
今日も結局いい天気かな。

新聞を見ると,ゲリラも自由の代償かというのがある。西東大教授の論説である。
自由であろうが,統制であろうが、ゲリラは反対闘争の手段として当然のごとく使われる。ゲリラの根絶をといっても、何でも生み出す自由主義の世の中では、ゲリラも一つの代償だと云うのである。どうにもならないという訳である。
人類は二律背反の淵に立たされ絶望と苦悩に撃ちひしがれる。今に始まったことではない。

午後は東京マラソンを見て,バドミントン日本女子決勝、テニス日本男子決勝と相次いでテレビ観戦、そして日が暮れる。照ったり曇ったり訳の分からない一日だった。

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2008年11月17日 (月)

住めば都

11月17日(月)曇
そこら一面もやって,天神山から向こうはもう見えない。曇か晴かもわからない。太陽の所在も不明。現在午前8時の天気である。

ここに新しく家を建て、移って来て33年以上になる。当時からすると町の様子も随分変わった。
すぐ前の道路を挟んで8軒の家のうち3軒は空き屋になった。もう減る分でも増える余地はない。住めば都で,いずれ生を終えるのはここだと覚悟はしている。
このうちから娘たちは嫁いでいったし、生涯最も永くくらしたうちだから、もう身体の一部みたいなものだ。
人並みに町内会長までやらしてもらったのだから絆は浅くない。

道路の南側は皆若い人ばかりだが、北側は一軒は亡くなり,一軒は老人ホーム入りと空き屋になり、この次はどうやら我が家が順番になるらしい。

昼前に買い物に行く。午後になってやっと日が射しはじめる。

腹の調子が少し悪い。古い缶詰がわるかったかな。下剤を飲む。
夕方には大量排便して治まる。

久しぶりにパンを焼く。パン焼き機が錆び付いてはいけないので。しかしいざやるとなると、配合手順をきれいに忘れてしまって手間取る。

夕方南から信州リンゴ一箱を送ってくる。
もう年を取ったし,勤務も変わったりしたから,リザーブを止めたのだろうと勝手に思っていたのだが、今年も継続していて先日日帰りで取り入れに行ったらしい。
同時に家内は80を祝ってのプレゼントを貰って大喜びである。 
娘や孫から丁寧な喜びの手紙も添えている。やさしいいい子たちばかりで幸福この上ない。

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2008年11月18日 (火)

孫へのメール、久しぶり

11月18日(火)曇
普通なら快適な気候なのだろうが,老いの身には僅かな寒さでもこたえる。
何よりも朝太陽の姿が見えないのが一番の不安要素。
今日も黒くも灰色入り交じったかなり厚い雲に空は覆われて太陽が顔を出す隙間はない。

9時前になってやっと日が届き始める。空の一角に青空がわずかに見える。
折からFMがサンサーンスのバイオリン協奏曲第3番の甘美なメロディーを流している。空と一緒に心を明るくしてくれる。

晴子や千代から手紙をもらったので、晴子には少し激励の意味を込めて長文のメールを送る。どのように受け取ってくれるか、人にはわからないが少しでも役立てばいいが。ただ前向きに決意を固めたようなのでうれしく安心だ。

午後北風が強くなり,寒さがつのる。部屋の温度も19度。
最高気温も16,7度くらいではないか。

家内は午前中せいこう外科で血液検査を受けたらしいが、結果は2、3日先とのこと。

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2008年11月19日 (水)

医師の判断と体験

11月19日(水)曇後晴
朝気温3度、広島総合病院に出かける。

担当医師と相談してチガソンを1ヶ月間毎日1カプセル飲むことにする。
かゆみ止めは全部中止する。先生とは意見が違うのだが、私の意思で。
私が勝手に薬の効果を早合点して変更したりすると、先生から注意される。
反応の早い薬は悠長なことは云っておれないので、所詮一ヶ月の間隔で考える医師とは意見が合わない。
私も15年以上同じ病気で通っているのだから、症状で多少の判断はつくつもり。

午後3時過ぎには雲も切れていい天気になる。
射し込む日光が心地よい。ときどきうたた寝したり。

さくらぴあに行き、事務所で12月21日の小山美智恵のピアノリサイタルの入場券を買う。一番後方の席になった。

鹿児島行きは克っちゃんの心臓の具合が悪くなり、人数がそろわないので取りやめにする。年を取るとだんだん健康をそろえることが難しくなるようだ。
私ら夫婦は二度目の旅だから、むしろ初めての妹らのことを考えてのことだったから仕方がない。

今日新しく広島総合病院でくれた、二種を調合した顔用の塗り薬は今までのと違って,刺激がなく,かゆみも生じない。良いか悪いかは数日たってみないとわからないが、なんだか今度はいけそうである。
今朝担当医師と論争になって数日ぐらいで結果が出る訳はないと、云われたが,一律にそう断ずるのは良くないのではと改めて思う。

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2008年11月20日 (木)

原爆の記憶を残す

11月20日(木)晴
今朝はとうとう0度になった。昨朝は福岡でも雪が降った由。
暑いと云ったり、寒いと云ったり勝手な男。天気も物好きだな。
北の国では大雪になったそうだ。温暖化はどうなってるんだ。

家内がゴミ置き場で近所の谷川さんに会い,話をしているうち、その姉さんが最近本を出したので読んでくれと渡されたといって、持ち帰って私に見せてくれた。
「あの日を、わたしは忘れない」という題がついている。
ヒロシマ原爆の絵日記との副題も。厚手の用紙40頁ぐらいの絵入りの冊子だが、原爆の惨状が手書き漫画つきで書き込まれている。焼け焦がれた電車の窓に真っ黒になった棒が並んでぶら下がっている、よく見ると人間の手が炭化したものらしいとか、病院の庭のソテツの燃えた後に,広島二中の生徒が制服のまま材木のように放射状に置かれていたなどというのは、実感にあふれて身震いを感ずる。
早速買っておくようにと家内に頼む。後世に残す努力は何人も怠ってはいけない。口伝だけではどうにもならないから。

午後雲多くなり,日射しも弱まる。
5時過ぎには夕日が赤く,間もなく暗くなる。

ビデオに撮っておいたサッカーの日本−カタール戦を見る。
良い時間帯に思い通りの得点をあげ、危なげなく3−0で勝つ。得意の連携がうまく機能しているようだ。

家内は寒い中を一人で買い物に出る。元気はよいようだ。

Dont_forget

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2008年11月21日 (金)

孫の結婚日取り決まる

11月21日(金)曇り後晴
寒さが治まって今朝は5度。明後日お寺の本堂である田丸の法要はこの分ならなんとかなりそうだ。毎朝老人二人つぶやく声は寒い寒いばかり。
来月鹿児島行きも断念したし、もう寒さには克てない。

ガソリン補給と灯油購入に今まで行き着けていたガソリンスタンド廃業したので,どこへ行くか思案する。結局国道まで出たところにある自動給油の店に行くことにする。案の定案外手間がかかる。やり方が一度では覚え難い。
店員を捜して応援を頼んでやっと終わる。灯油とガソリンは別々だからなおややこしい。
灯油も¥80.で一頃の倍の値段。節約しないといかんな。

家内はパーマ屋さんに出かけて留守。
4時半頃帰宅する。

菜穂子の結婚式が3月8日に決まったらしい。
別に仲人を介してというような話は聞いていないので,本人同士の意向でそうなったのであろう。
大学まで行き、大学病院の看護師を経験し,今また市の保健師をつとめているくらいだから、それなりの社会経験もあり、人を見る目も出来上がっているのだろう。
親たちも全然異論なくまとまったらしいから申し分ない。
よろこんで招待に応ずるつもりである。

今度広島総合病院で出してくれた,顔のくすりは全く良く効いた。痛みもカユミも完全にとれて凄く楽になった。まだ手足のカユミが残っているがこちらは別の薬なので使う訳にはゆかない。

大宅賞に選ばれた「あの戦争から遠く離れて−私につながる歴史の旅」を読みたくなったのでAmazonに注文する、ついでに昨日読んだ「あの日を、わたしは忘れない」を追加注文する。

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2008年11月22日 (土)

一人の残留孤児ものがたり

11月22日(土)晴
朝気温4度、雲一つ見えず快晴。島影やや霞む。

私の人生は振り返ってみると、暦とぴったり重なり合って非常に記憶しやすい。
といっても日本暦ではなくて、どうしたわけかキリスト暦である。
1920メキシコで出生、1940学校卒業、満州鉱山入社,社会へ第一歩、翌年徴兵入隊、1945終戦、浪人、1950結婚、1955川下に住居移転、1960寿屋倒産、翌年大進産業へ就職
1965ジャパン・ドライクリーニングセンター開業、1969日本キーサービス開業、
1970大阪万博2回見学、1975長女基町児童館へ就職、1986実母死去、1990南圭母子来宅、1995阪神大震災、南の母死去、1996日本キーサービス法令解散、田賀の父死去、2000ハワイ旅行、町内会長就任、と云った具合である。
0か5で刻むと、経歴が読みやすく、思い出すのに便利である。

私と長寿を競い合っていた義弟の三生さんが一昨年の暮れに亡くなった。米寿に今ひとつ足りなかった。明後日3回忌の法事があり、招かれている。
ふと彼との交遊を思い出し、過去を数えている間に前記の暦を繰り出すに至った。

私の年齢を数えながら,昭和の歴史を振り返るとまざまざとその実情がよみがえってくる。

昨日Amazonに頼んだ二つの書籍が一緒に宅急便で送られてくる。早いなあ!
一つは既に読んでいるので、片一方の大宅文学賞の「あの千から遠くは慣れて」を読み始める。460頁の厚い本である。数日かかりそうだ。
作者の父は満州国軍の将校だったその父に4歳のときに出入りしていた満州人に預けられたのが初めだった。ソ連軍の侵入にあって逃げる途中家族とは別れ別れになり、つぎつぎと人手に渡ってしまったことは、他の中国残留孤児の運命と変わるところはない。
大学へは日本人という理由で行けなかったが、高校まではトップクラスの成績で、十分どこででも生きて行ける能力の持ち主だったようだ。

目下途中までだから、後はお楽しみだが、凄く丁寧に細かく書かれていて、こんな詳しい伝記は少ないのではと思うくらいだ。
作家が実の父のことを、本人の口から,資料から,その上留学して現地取材したのだから、申し分ない実証性である。

ゆっくり読まして貰うつもりだが、大宅賞に輝いた実績に文句のつけようはあるはずもない。こんな作品はまだまだ欲しい。ついでにシベリア残酷物語なども。Img0092

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2008年11月23日 (日)

岩国バイパス終日大渋滞

11月23日(日)晴
今朝食事のとき、家内が田丸の法事に着るものをいろいろ指図する。
三回忌だからと私が云うと,何をぼけたことを言う,一周忌じゃあないかと。
あれっ、そうだったか、去年亡くなったのだったかと呆然と気づく。
これは完全なぼけ症状だなと自覚する。
だんだんおかしな日記になってゆくぞと自戒する。
やはりこの分では永くないらしいな。

年寄りはあわてず、さわがず、ゆっくりやらなければいけない。
車で10時に家を出られれば良い。

10時過ぎ家を出て,岩国に向かう。バイパスに入った途端凄い車のラッシュ。
どうやら宮島方向に向いているらしい。もみじ目当ての行楽の車だろうか。
高速に入れば別になんのことはない。ただ3連休並みの車の数だ。
岩国ICから1キロぐらいのところのお寺だから、法要は無事滞りなく終わる。
招かれたのは故人の子供、孫、兄弟そしていとこの三宅さん夫婦までである。
あわせて13人だった。
食事は横山の開花亭に案内される。およそ2時間飲みかつ食い語り合う。
下戸が多く,運転するものはノンアルコールやお茶で済まし、ビールは2,3本も出たか。それでも結構賑やかに推移する。
3時辞去して高速を帰ったが,廿日市ICまた渋滞2キロ。帰宅したのは4時を回っていた。

やみくもに眠くて一時間昼寝。

テレビのスイッチを入れる。案の定大相撲は白鵬と安馬の優勝決定戦。固唾をのんで見守る。年期の入った横綱白鵬ががんばる安馬を首を押さえて投げ飛ばし,3場所連勝の優勝を果たした。

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2008年11月24日 (月)

ボケと食欲

11月24日(月)雨
昨日とうって変わって朝から雨。遊びの疲れをいやすにはもってこいだろう。
昼の疲れの上,夜中に「壬生義士伝」をテレビで見たのですっかり疲れて朝8時になって家内に起こされる。
興味のあるテレビには人並み以上にはまり込んで見るので、思ったより疲れるらしい。

早朝から降り続いているらしく、明けても天の下さらっと闇がぬぐいされるわけにはいかない。
午前十時の今もまだ夜明けが続いている感じ。
天神山から向こうはいつもながら霧に包まれて定かではない。

昨日の法事にもてきぱきと事を運ぶ甥や姪らの動作を眺めながら、もう老人の出る幕はどこにもないなと確認する。なんとなしに祖先伝来のしきたりがゆるぎなく受け継がれている感じで、なんとなしに安心する。

雨小やみなく降り続く。午後3時夕闇迫った気配、スーパーよりの帰り道点灯せざれば危険なる趣。

最近不思議に食欲がある。いらいらが減ったせいかも知れない。
久しぶりにビフテキが食いたくなり,家内にテキ肉一パック買わす。アメリカ牛だからうまくはないかな。食い物の反対はよくするが、注文などした事がない私だからちょっと驚いたかも。

夜に入ってやっと雨止む。

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2008年11月25日 (火)

宮島へ紅葉狩り

11月25日(火)晴
朝霧に包まれてはいるが、まとまった雲は見えず,日光は銀白色に輝いて好天気になりそうである。
家内が朝食のとき宮島にもみじを見に行こうという。異論はない、うなづく。
水族館が今月いっぱいで閉鎖し,再会まで3年かかるというからとも。

10時ちょっと過ぎでかける。
修学旅行生が多く,船はいっぱいで混雑。
昨夜の雨で砂利道の参道はまだ乾ききらず歩き辛い。

先に水族館と家内がいうので、神社の背後を迂回して、直接向かう。
ここも小中学生でいっぱい。
目玉の魚などがいないので、なんだか寂しい。そういえばラッコもいなかったなあ。
ペンギンは一種類だけ自家繁殖をつづけているそうで、何十匹の大群で賑やかである。
アシカショーを見て1時間足らずで外に出る。
近くの国民宿舎『杜の宿」であなごめしを食う。

ここから山沿いの散歩道を紅葉谷に向かう。人多し。
最初の上り坂を普通の勢いで登り始めた途端、キューっと胸が痛くなる。
あわてて立ち止まり胸を押さえる。これはいかん、むりできないなとスピードダウン。
道々紅葉はさかりで美しい。しかしうかれてはおれない。
慎重に歩を運ぶ。
緊張したせいかのどや口がからから、いきぐるしくなる。
家内があちこち飲みものをさがしてくれるが、山道ではどこにもない。
家内一人回り道して昭和天皇のお立ちどころまで上り、そこの茶店で,甘酒とジュースを買って降りてくる。感謝感謝。

あちこち紅葉した箇所ではカメラマンが雲集して居て,割り込む気力はない。
あらぬ場所から拝み写す。
比較的楽な道を探しながらやっと紅葉谷にたどり着く。
紅葉橋を中心に数枚撮る。
残された道を、押され合いながらやっとフェリー乗り場までくる。午後2時だった。
3時前に帰宅、すぐ仮眠。
4時きついけいれんが両足に来て目が覚める。痛くて一時は歩けなくなる。
あの程度の歩きで、このけいれんはひどすぎる。老人はなにもかもだめ、ああなさけない。

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2008年11月26日 (水)

過去がかくして蘇る

11月26日(水)晴
霧は深いが雲は見えない。今日もいい天気か。
昨夜はけいれんを恐れて,風呂でよく足をマッサージしたおかげか、深夜に驚かされる事もなく朝予定通り起きられる。

足も格別の事はない。
昨日は2里ぐらい歩いた事になりそうだ。明日ぐらいまたひずみが出てきそうだ。

麻生首相はとうとう年内解散はしないつもりらしい。
粘り腰というか、不思議な感覚の持ち主のようだ。海外ばかり飛び歩いて、解散はまだまだの一点張り。吉田茂の血を受けただけあって予測出来ないワンマンぶり。
すかしを食うばかりの民主だけでなく、自民も選挙事務所を開いたり閉じたり右往左往。といって世情の人気は下り気味。ふんぎりはますますつけ難いぞ。

快晴の空から降り注ぐ日光が私の部屋の隅々まで射し込み,暑くて一枚一枚皮を剥ぐように下着を脱ぎ捨てなければならない。最近は滅多にない経験だ。

今読み耽っている”あの戦争から遠く離れて”は私に満州時代を身近に呼び寄せてくれる。
作者の城戸久枝が長春の吉林大学へ留学したころの第2部が特に私の関心を呼ぶ。
私が住んでいた居た頃の新京(長春)は人口30万と云われた、彼女の留学した1996年頃には600万と書いてある。牡丹江でさえ268万人とある。私は牡丹江にも行った(当時10万そこそこだった)、ハルビンにも,チチハルにも、この伝記に出てくる地名のいちいちが懐かしい曾遊の地である。(更に長春は3年前ツアーで訪れその殷賑さに驚いた,ガイドさんは7百万の人口と云っていた。もちろん私の勤め先だったニッケビルもそのまま残っていた)

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2008年11月27日 (木)

戦争孤児チョンフー

11月27日(木)晴
灰色に霞んではいるが、雲らしいものは見えず穏やかないい天気になりそうだ。
予報では、昼過ぎから雨になるとは云ってたが、どうかしら。

朝起きてすぐは膝に違和感が残っている。痛いという程ではないから階段もぼつぼつ降りる。2、3度上り下りするともう大丈夫だ。
宮島をもう2キロも多く回ってたらダウンしてただろう。

島根のおばさんが,電話とは違って少し高値につけて、するめを送ってくる。家内が昨日からぐずぐずいつまでも文句を言っている。いつもこれだから、馬鹿にしてるというわけ。何十年にもなる親の代からの付き合いだが、あらっぽい商売にいつも泣かされる。それでも続いているのだから不思議だ。ただ品質が良いと云う事だけが続いている理由。

10時を過ぎると一転して薄墨の雲が張り出して来てやはり予報通り怪しい天気になってくる。

近くのデパートに買い物と食事に出かける。帰路今度はスーパーに立ちより食料を買う。
あわせて2時間かかる。まだ雨は降らない。
最寄りの郵便局から『ステラ」1年分の購読料を払い込む。週刊誌だから読んだり読まだったりで、若干無駄な雑誌,家内は止めとけというのだが、それでも時々見ておきたい事があったりして止められない。

筋書きがわかり難いドラマなどやはりステラがあると都合が良いのである。
家内が急に足先が痛くなって歩けないという。なんとか我慢してスーパーの中を歩いて回ったが、これも宮島の後遺症らしい。

15時半近く,午睡から目覚めておやつを食べに下に降りる。戸外を見ると雨がしとしとと樹木を濡らしている。やはり予報通りだったか。

“あの戦争から遠く離れて”を読み終る。さすが大宅賞受賞作品だ。執念のごとく戦争孤児の父親の足跡を追求して余すところがない。
しかも28歳で自分のルーツがわかり,帰国した後もその残した養父母とのつながりや居住地牡丹江の親類縁者との交流の深さやこの作者親子のかかわりの親しさには驚かされる。
父親が早くから日本人を意識し,迫害を恐れず自ら名乗り、どうどうと孤立無援の中を帰国の努力を続けた気力に頭がさがる。

4歳の日本人孤児が戦争の混乱でこの地に残される。たまたま子を二度も病気で失って,弧寂を嘆いていた中国人夫婦に拾われる。我が子同様慈しみ育てられる。成人して28歳日本の実の両親の存在を知り,帰国を希望して帰る。そして今度はその娘と一緒に養父母のもとへ帰って来た。娘は中国に留学ししばしば祖母縁者と交流しその死までつづいたという60年間にわたる物語が今牡丹江周辺の話題となった。
人間の善意は民族や国境を越えている。こころにいつまでも残る話である。

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2008年11月28日 (金)

未来世界が怖い

11月28日(金)晴
日本晴れ(今は無くなった言葉かな)の好天気。朝の気温は7度と秋の気候。
実にすがすがしい夜明けだ。
しかし2時間もするとたくさん雲が出て来て、またぞろ冬に戻りそう。

インドのムンバイのテロ、タイの首都バンコックの反政府行動とアジアの国々は今騒がしい。ムンバイでは百人以上が殺され日本の若き営業戦士も巻き添えを食った。
修羅の世界は人間といえども虫けらに等しい。

ソマリア沖の海賊もここに来て各報道機関に取り上げられ始めた。随分前から気になっていたのだが、日本としては一番手の出し難い戦争手段に属する問題。
ガソリン配給というような単純な問題ではない。海外での武力行使そのものである。
どうしたらよいか批判は多いが,対策のないジャーナリズム。
日本は石油の大半をこの地方に依存している。
日本が経済大国を維持して行けるのも,これら石油のお蔭だ。国家の死命を制せられて,70年前には国運を賭して戦争に立ち上がった。

安易に流れている国民のエネルギー消費について、官民あげて考えなければならないときに来ている。遠くない未来に考えが向いていないのではないか。
自動車に依存して来た経済大国もアメリカ同様、もう頂上を下り始めた事を自覚すべきである。

夕方近く南へリンゴのお礼や子供らの誕生祝いなど送るため外出、かたがた家内を内藤内科に送る。小雨がちょろちょろ降り始める。やはり安定しない天気になってしまった。それでも夕日はちゃんとお別れよと赤い光を送ってくる。
途中のスーパーでみかんと柿を少し買って帰る。
最近果物づいて一日3度3度何かないと済まなくなった。
少しぜいたくだな。

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2008年11月29日 (土)

寂しいところだから何万個の電球をつける

11月29日(土)曇
気温は昨日と同じでも,小雨模様の朝。
青空がのぞきながらも雨雲がずーっと広がっている。どんな一日になるのかしら。

テレビを見ると,各地でイルミネーションばやりである。
なんとなくクリスマスに追従している感じである。
おかしな日本人!人の事は云えないが、宗教儀式ということは忘れている、いやそんなのどうでもよいよ、と、大多数が思っている。
相変わらず不思議な国民である。

私は夜も明るくなり、宣伝効果もあっていいかなと思いながらも、無駄なエネルギー消費になりはしないか、電力のもとは大半石油だから,温暖化を助長していないかと心配する。フランスのごとく電力の殆どが原子力発電だから、いくら巴里を飾りまくってもかまわないというのと違うのでは。

国はシーオーツーの減量化に悩んでいる。世界から押し付けられた義務でもある。
国民の向いてる方向が違うのでは。

午後雨は上がったが,風が強い。すきま風が吹き込んで寒い。
サッシの隙間をするどく抜けて部屋に飛び込んでくる。
テレビアンテナがかなり揺れてるからやはり強い風だ。

晴れ間に窓のレースカーテンを家内が洗ってくれ,夕方早く元通り取り付ける。めずらしく手早い動作だ。ありがた

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2008年11月30日 (日)

待てば海路は日和だよ

11月30日(日)曇
雲が多いが晴れ間も見える。さわやかな朝だ。
気温6度。風もない、まあまあだ。

晴子が昨夜家内に電話をくれて、私にもよろしくといってたとか、メールを読んだらしい。返事がかけないがよろしくと云ったらしい。元気を出してくれればありがたい。
のんきな性格だと思っていたが、やはり悩み多き年頃、東京だから雑音も世界一多いだろうしなあ。

自分の向かうべき方向が定まらない,悩みの根本原因はこれだ。しかし急ぐ事はない。昔からせいては事を為損じるという。
そのうち良い話が一つや二つ転がり込んでくるもんだ。
待てば海路の日和だと行きたいね。

井上の夫婦が突然やってくる。菜穂子の話がうまく進んでいるらしい。先方の両親ともあって、固めも済み、ひとまず安堵しているようだ。
夕方まで居て四方山話を済まして帰って行く。
娘も少し太ったか,明るい顔がますます元気を増したように見えた。
もう何の苦労もなさそうで、うらやましいくらいだ

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