« あかちゃんが可愛い | トップページ | 自然界はままならぬ »

2008年10月 6日 (月)

義理人情は無くなったか

10月5日(日)曇
今にも降り出しそうな朝からの空模様。気温18度。
午前十時、少し遠くの品数の多いスーパー・ビッグに買い物に行く。とうとう雨降り出す。

午後は過去のビデオテープを引っ張り出して,十数年前面白かった印象が残っている、早坂暁作の「花へんろ」第2章というのを抜き出してみる。
大正の中期から昭和の初期に掛けてのものがたりである。私の生まれる前後の事だから、なんとなく思い出される情景に近い。

へんろは私自身経験がないので、細かいことは言う資格はないが、身じかな人々から良く話しを聞いているので、理解出来ないことではない。
私も四国のお寺にはかなりの数お参りさせてもらってはいるし。

題名からも分かる通り、主人公の若妻の出産から始まって,泣き声のでない子供の事が心配で,八十八カ所の巡礼に出かけるところから始まっている。後半は水野広徳の日米戦争予言と日本敗戦予告を交えての実話らしいエピソードが伏線となってドラマが展開する。

日本も混沌としていた時分のことだから、こんなこともあったかもしれないと半分眉唾でみる。役者がそろって達者なので面白いドラマにはなっている。全部見終わると5時間ぐらいかかる。
ぐったりする。今晩も良く眠れるだろう。
旅行疲れが手足の関節に出て来てあちこち痛い。いつものことだが2、3日遅れて痛みが出て来るのはふしぎだ。

10月6日(月)曇
靄はないが雲の多い天気、今日一日は保つだろう。沖の島影はぴっしりと連なっている。

十四、五年前TVから録画した「花へんろ」シリーズをここ二三日見ている。
また横になりながら読んでいる藤澤周平の小説の乱読が、この一年ぐらい続いている毎日の私の習慣である。

どちらにしても昔から続いた庶民の義理人情の世界が縦横の道徳的規範として貫かれているのを感ずる。
もちろん作者の意図する所だろうが、実際の生活にでも、戦前までは美しく存在していた。

戦後民主主義を謳歌しながらも、義理人情は敝履のごとく捨てられた気がする。
行き過ぎたと思った反省がボランティアなどと舶来語で一部蘇りつつあるが、各地の新しい団地社会、高層ビル社会にとても根付く道徳規範とはなり得ない。

取り返しのつかない大きな損失をしているのではなかろうか。
今盛んに蔓延しつつある諸悪の根源はここにあるのでは。
人ごとのごとく言うけれど、私自身世の風習に押し流されて何事もできない。いやむしろ悪いのは私自身かも知れない。

そして個の権利ばかりを主張する,今の人の世の誤った民主主義を思わざるを得ない。
国の法律も,ジャーナリズムも、どうしてこの増長する個の権利意識に逆らえずに同調し,寧ろ賛美するのであろうか。

|

« あかちゃんが可愛い | トップページ | 自然界はままならぬ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/42705621

この記事へのトラックバック一覧です: 義理人情は無くなったか:

« あかちゃんが可愛い | トップページ | 自然界はままならぬ »