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2008年9月 4日 (木)

遅過ぎた玉音放送

9月4日(木)晴
朝窓から入る風凉し。快晴なれば日中の暑気は免れ得ざるか。

家内は午前中に内藤内科に行って来る.格別の変化はなかった様だ。
帰りの坂道が大変だったと,食事中汗を拭きながらぐちっている。

午後からはかんかん照りの猛暑。家の中に居れば涼しい風が時折吹き込んで皮膚を慰んでくれる。
老人にはこうして気候との戦いがすべてのようだ。

福田首相はどうも国民の人気を気にして投げ出したようだ。気の小さいことだ。
こんな総理を見たことがない。二世などというものは他の人に悪いけど、やはり根性が足りないな。

中国やロシアなどは指導者になりさえすれば、独裁者に近い働きをする。人気など自分で作り上げる。
反対は強権で押さえ抜く。政治の基盤が違うからそうなるのだろうが、日本の様なていたらくでは恐らく顰笑を買ってるに違いない。ひいては国の侮蔑につながるというわけだ。
経済的損失より影響する所が大きいと言わざるを得ない。

昨日のテレビで終戦の玉音放送の顛末を縷々やってたが、8月9日長崎の原爆,ソ連の参戦、御前会議で降伏を決意させながら,無条件にこだわって一週間も時期を逸してしまった。
一日数十万人の犠牲を積み重ねて行った。
私などは14日に家を失って戦後浪々の身になって塗炭の苦しみを味わった。馬鹿げた決断の優柔不断さによるものである。

現在は戦争のごとき惨禍を招く政治の重みはないが、世界の人々の侮蔑を買う損失は小さくない。
代議諸公はその重みを真剣に感じてもらわねば困る。

夕方妹が他の用事で電話をかけて来て、お兄さんはぼけとるんじゃないだろうねという。親父が三男だとブログに書いてるが四男だよと言う。いつもの様に自信たっぷりにもの申すのでたじたじである。
私は親父からも母からも三男と聞いている。小さい時からの記憶だから疑ったことはない。
証拠らしいものはどこにもないからどうしようもない。
1953.4.26に叔父の清がハワイから単身帰国し、7.29まで滞在し、6月に義叔父の重田さん、従兄弟の三郎とでこの叔父を連れて道後温泉と金刀比羅宮に旅行したことがある。彼が親父の兄か弟か聞きもしなかったが、一番下の叔父だと思い込んでいた。まさか今になって異議が出るとは思わなかった。ぼけ呼ばわりはひどすぎると内心ぷんぷんである。
妹も記憶力が確かな方だから,この結末は見ものだな。

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