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2008年9月 1日 (月)

月替わり雑感

9月1日(月)晴
井上に宮参り用の産着を持って行く。彩寧が目を覚まして手足を活発に動かしている.元気な子のようだ。
持参したデジカメでまた4、5枚パチパチ撮る。
丁度1時間いてアルパークに立ち寄って食事をすませ、少々食料を買って帰宅。
今日はどうしたことか客も車も呆れる程少ない。
夏休みが終わり、一斉に学校や仕事が始まるからデパートでぶらぶら出来ないということかも知れない。

昼中はかんかん照りで真夏と変わらない。
防災の日のせいか、時ならぬ時にサイレンがなり、拡声器が訳の分からぬことをしゃべっている。

昼寝をして起きると,空はまた曇っている。
蒸し暑くて秋にはほど遠い感じだ。

午後のFMではクラシックカフェと称してスペイン関係の音楽を賑やかにやっている。
趣味はドイツ系なのだが、こうして聞いているとスペインのものも悪くない。無条件に明るい。

毎日くだらぬ日記を書く。これでも少しは頭を使うと見えて口が淋しくなる。冷蔵庫のアイスクリームの蓋を開けてスプーンで二口三口と舐める。卑しげな光景だ。昔の童話にあった雀のお宿のじいさん、いやあれはばあさんだったかな。クリームでなくのりだったが。
間食をするせいか、三度の食事が進まない。家内の小言が絶えない。

家内パソコンのキーの打ち方を練習し始める。

夜こおろぎが忍びやかに鳴く。

夜9時半福田首相政権を投げ出した。もう総選挙しかない。
民主党政権になるだろうが、四苦八苦の議会運営は一緒だろうよ。

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2008年9月 3日 (水)

美術館のパリ展

9月2日(火)曇
朝気温25度、蒸し暑い。

政局が昏迷の度を深めそうだ。総選挙をやっても民主党単独過半数はとても望めそうにはない。
協力党は共産党や社民党は無理だろう。今度はこちらが公明党に頭を下げるか。
それでも参議院が絶対優勢なんだから、政権を維持することはなんとか出来るだろう。
自民が分裂するかも知れない。そんなに考えが違うのでないから離合集散は当然しばしば起きるだろう。
それとももう一度小泉純一郎に登場願うか。

世界主要国の下院議長会議が広島の平和公園の会議場で開かれ,原爆資料館などを見学し,強い感銘を受けられた模様で結構なことだった。核廃絶を力説した方もいたそうだ。
当然なことだがこうした行事は広島は率先して実現して欲しい。
核爆弾を所有することがお荷物だと、各国首脳がほんとに思う様になって欲しい。

9月3日(水)晴
朝気温24度とまだ暑い。カンカン照っている。
6〜8月の猛暑日は32日もあった由、例年は2日くらいと云うのだから話しにならない。
老人の寿命は大いに縮まったことだろう。時にはいいことかもしれないが。

9月ともなると、やはり太陽が少し南に下がったとみえ、部屋に射し込む日脚が,中の方に永くなる。未だ暑いからこまりものである。

家内が市立美術館のパリ展を見たいというので一緒に出かける。
随分観客が多いので驚く。女性が7,8割といったところか。
家内も何年か前ツアーで出かけた曾游の地だけに、懐かしい絵も少なからずあるらしい。熱心に見て時間がかかる。
私は例の調子で,説明のコメントは読まずにサーッと他の客の頭の上から絵の上をすべりながら,通り抜ける。
私はそれほど興味はないんだなあ。
椅子の上に置いてある,展示会のカタログをぺらぺらと捲って眺めながら,家内の終るのを出口で待つ。

終って本館のもほとんど見終わる。大いに疲れる。

丁度お昼になったのでパッセラの7階で、インドカレーにナンを食う。結構おいしい。が2割方残す、若い者と同じ量は無理だ。
2時頃帰宅して、すぐベッドイン。
4時過ぎ起きる。暑気幾らかおさまる。

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2008年9月 4日 (木)

遅過ぎた玉音放送

9月4日(木)晴
朝窓から入る風凉し。快晴なれば日中の暑気は免れ得ざるか。

家内は午前中に内藤内科に行って来る.格別の変化はなかった様だ。
帰りの坂道が大変だったと,食事中汗を拭きながらぐちっている。

午後からはかんかん照りの猛暑。家の中に居れば涼しい風が時折吹き込んで皮膚を慰んでくれる。
老人にはこうして気候との戦いがすべてのようだ。

福田首相はどうも国民の人気を気にして投げ出したようだ。気の小さいことだ。
こんな総理を見たことがない。二世などというものは他の人に悪いけど、やはり根性が足りないな。

中国やロシアなどは指導者になりさえすれば、独裁者に近い働きをする。人気など自分で作り上げる。
反対は強権で押さえ抜く。政治の基盤が違うからそうなるのだろうが、日本の様なていたらくでは恐らく顰笑を買ってるに違いない。ひいては国の侮蔑につながるというわけだ。
経済的損失より影響する所が大きいと言わざるを得ない。

昨日のテレビで終戦の玉音放送の顛末を縷々やってたが、8月9日長崎の原爆,ソ連の参戦、御前会議で降伏を決意させながら,無条件にこだわって一週間も時期を逸してしまった。
一日数十万人の犠牲を積み重ねて行った。
私などは14日に家を失って戦後浪々の身になって塗炭の苦しみを味わった。馬鹿げた決断の優柔不断さによるものである。

現在は戦争のごとき惨禍を招く政治の重みはないが、世界の人々の侮蔑を買う損失は小さくない。
代議諸公はその重みを真剣に感じてもらわねば困る。

夕方妹が他の用事で電話をかけて来て、お兄さんはぼけとるんじゃないだろうねという。親父が三男だとブログに書いてるが四男だよと言う。いつもの様に自信たっぷりにもの申すのでたじたじである。
私は親父からも母からも三男と聞いている。小さい時からの記憶だから疑ったことはない。
証拠らしいものはどこにもないからどうしようもない。
1953.4.26に叔父の清がハワイから単身帰国し、7.29まで滞在し、6月に義叔父の重田さん、従兄弟の三郎とでこの叔父を連れて道後温泉と金刀比羅宮に旅行したことがある。彼が親父の兄か弟か聞きもしなかったが、一番下の叔父だと思い込んでいた。まさか今になって異議が出るとは思わなかった。ぼけ呼ばわりはひどすぎると内心ぷんぷんである。
妹も記憶力が確かな方だから,この結末は見ものだな。

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2008年9月 5日 (金)

エタイの知れないもの

9月5日(金)晴
今朝午前2時目が覚めて眠れなくなり,4時近くまで起きて深夜放送を聞く。
そのせいか朝食の後眠くなり2時間ばかり眠る。

SDメモリーがどれも8割方空きが残っているので、3個を1個にインストールして2個を空にする。
1GBというのは思っていた以上に大容量なのに気づく。いい加減に使っていたので反省する。
台湾製は安いので簡単に1GBのSDを入手していたのだが、さてお買い得だったかどうかはわからない。
デジカメで使うだけなら大容量は必要ないな。今は4GBなんてのがあるがもてあますのでは、少なくともロートルの私には不必要だ。
まだMICROが2GBあるが、もう旅行にも行けそうにない昨今では宝の持ち腐れかも知れない。

最近のパソコンはHDの容量が増えて、GBからTBに移りかけている。こちらみたいに精々音楽も長い方のクラシックを楽しむぐらいの者には、100GBもあれば充分だが,世の中そうは行かないらしい。
パソコンも一体型で十分である。15年間一体型以外は使ったことがない。
最初はKBだったかな。いやMBになってたかもしれない。メディアはフロッピー全盛で結構重宝したものだった。
ワープロに毛の生えたもので充分だった。
正に日進月歩だった。

いまだに昔と同じことを繰り返しているのだから、器械の進歩とは無縁となりつつある。
それでもOSだけは最新のものを追っかけている.便利さだけは享受したいから。

もう間もなくこの世におサラバするのだが、どんなことになるのかなあ。想像するだけでも楽しみにはなる昨今である。飛び込んで来るメールの多さはどうだ。とても全部に目を通す訳には行かない。

新聞でも放送でもただ同然でいくらでも手に入る。甥坊が某通信社の支局長をしているが、もうけには全然ならないとこぼしていた。メディア事業でも儲かって仕方がない企業も何社かあるが、あぶくみたいなものだろうか,私にはわからない。
ケータイなどもエタイの知れない事業の一つだろう。

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2008年9月 7日 (日)

武漢大学と黄鶴楼

9月6日(土)曇
朝雲と霧濃し。風もなく蒸し暑し。
彩寧が生まれて1ヶ月になる。よく呑みよく泣くらしいから健康状態は良好だ。
今度住まいを東広島に変えたらしいから、今日あたり新居を見に行くらしい。引っ越しは婿さんが既に済ませているから、見に行くだけでいい。

午前10時半歩行練習のため植物園に出かける。折から日射が強く大丈夫かなと危惧しながら。
入園するとすぐ氷の入ったジュースなどを呑み、さらにお茶のボトルを提げて歩く。
まず涼しい所からと山に登る。大きな樹木が茂っていて,場所によっては風が通り抜けて涼しい。
12時になったのでレストランに入り,うなぎ飯を食う。おいしい。
午後本館に入り今夜行われるイベントの目玉夜香木や月下美人を見て廻って帰路につく。

途中スーパーにて食料を仕入れ,帰宅。結構疲れる。
3時までぐっすり眠る。
夜パラリンピックが始まる。

9月7日(日)曇
昨夜は雨の予定だったが全然降らずじまい。
昨日からの蒸し暑さが続く。朝早く対バーレーン戦サッカーの模様が伝えられる。押し込まれたまま時間切れで救われる。勝つには勝ったが終盤5分間が相変わらず弱い体質は体力の差か。

11時半小雨がぱらぱらと1,2分間ちらつく。その後カーッと日射しがきつい。

ぼんやりと庭先から沖の海を眺めていると、唐突にも若き日の思い出が蘇って来る。ぶり返した暑気が正常な記憶を包み隠したのかも知れない。
昭和19年4月5日、所属する独立自動車第31大隊は東安省斐徳を去って、中国に入り南京を経由して、4月26日湖北省武昌に到着した。第一次湘桂作戦が始まるまでは、別に用事もないので近郊の名所黄鶴楼や武漢大学を車で訪ね歩いた。まだ中国の本物をしらない時分だったから、その美しさに驚嘆した。1ヶ月くらい駐留したので、なんども訪れて飽きなかった。宿舎になった民屋にさそりが出没したり、電圧が違うため電気器具が使えなくて、夜は不自由さに往生したり、いろいろの思い出があるが、それらを忘れさせて充分な名所の豪華さであった。

湖辺に立ち上がる竜宮城の趣のある武漢大学は、なぜ、どうしてと目をこすりつつも、その実在を認めざるを得なかった。

黄鶴楼に登れば、長江を挟んで漢口の市街は丸見えだったが,不思議に出かけて見ようと云う気にはならなかった。
生来都会の喧噪は嫌いだったから。

家内の友人から夜電話が掛かり、長い話しになる。なにか友人間でぼけが始まってるらしい。
家内は私にまで其の話を伝えたいらしい。話しが終ると私にその話のお鉢が廻って来る。叶わんから二階に逃げる。

それにしても近所といい、友人といいぼけ話が急に多くなった感じだ。
やっぱり温暖化による天候異変に関係があるのかもしれないな。Kanshi01sn
Kanshi01p
(wikipediより)

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2008年9月 8日 (月)

靖国神社

9月8日(月)晴
快晴の夜明け.今日も暑くなりそう。

家内が押し入れの蒲団類を出して日乾する。

今日のサンケイwebに載った石原都知事の「靖国再考」のコラムにうなずく。
事実戦場でいつ訪れるか知れない死を前にして、私達は愛する家族の安否を先ず思った。そして万一死ぬることになっても靖国神社には会いに来てくれるだろう、そしてよくやったと言ってくれるだろうと思って、こころの踏ん切りをつけた、
何事もお国のためだ、愛する家族のためだとの心情の元に、生はあきらめていた。

私も親戚に戦死者を持つ、それ以上に軍隊の時の部下に5名の戦死者を持っている。
弔うとなれば、靖国神社以外にない。天皇も総理大臣も参らない神社に誰がしたと言わざるを得ない。
石原慎太郎ならずとも再考を願いたいものである。こんどの大戦だけでも300万人の戦死者が出ているし,その関係者が居る筈なんだから。

夜、空がよく晴れて半月が中天にかかる。すぐ側に金星も光り輝く。久しく見なかった光景である。 Img_1058

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2008年9月 9日 (火)

読書が一番

9月9日(火)晴
読売旅行の近江石山寺と比叡山延暦寺歴訪の一泊旅行に参加することにして、料金の4万2千円を郵便局から振り込む。岩国の美恵子、克子も参加することになっている。
源氏物語生誕の地ということで記念の行事などあるらしい。
琵琶湖畔の雄山荘という露天風呂付き客室で著名な宿に泊まるらしい。
月末の29日30日とあって30日は京都で自由行動になるようだ。
久しぶりの自動車の長旅でちょっと心配。

広電で買い物をして帰る。例によって藤澤周平の小説2冊購入、とうとう30冊目になる。
今真珠湾奇襲の空軍総隊長淵田中佐の自叙伝を読んでる最中だが、こちらは一気にというわけには行かないので、気楽なのを挿入するつもりで。

朝から風が強く、暫くは東の窓から吹き込む風に震えた。
午後にはまた30度を超す暑さに戻る。身体がとまどってしまう。

午後4時内藤内科に行く。薬が切れたので。客は私一人、すぐ呼び込まれる。
今日は7ヶ月目だからといって血液検査のための血液を採られる。
格別変化は認められないといわれる。血圧も104に65とのこと。
なんだか低過ぎるようだ。先生も不思議な顔をする。

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2008年9月10日 (水)

大型ゴミ

9月10日(水)晴
朝7時半家を出て,広島総合病院に行く。皮膚科の待合室はガランドー。
窓口も開いてない。診察券を投入して,階下に新聞を読みに下りる。
8時になったので控え室に戻る。5,6人になっている。
8時半診察室のドアが開かれる。1診と3診の先生は急ぎ足で入られる。
私の担当の2診の先生は未だ来ない。予約患者の呼び出しがどんどん始まっても、こちらはお呼びがない。そのうち20分経つ。やっと先生が走り込んで来る。
その後がいけない。2診の呼び出しが1番目も2番目も私ではない。
頭に来た私は受付に怒鳴り込む。受付嬢たちは顔を見合わせて、そんな筈はないというようなことをつぶやく。窓口が暗く、あんたらが来てない時に受け付け籠に入れておいたのではないか。どうなってるんだときびしく追究する。

その後すぐ呼ばれる。先生にも通じたか,早々に詫びの言葉がある。
終わった後再度カードを貰うときみんなが頭を下げてくれる。今度から気をつけますと口を揃える。まあいいか、釈然として、1階の会計に向う。
しかし結局この日は丁度3時間かかった。

昼間はやはり30度を超えて蒸し暑い。
明日の大型ゴミを捨てる日にコピー機を一台捨てることにする。10年ぐらい使ってるから愛着はあるが、もう機能低下はまぬがれない。
2年ぐらい前に買ったのが一台あるから,最近は使用料も減ったし問題はない。
家内は座布団,クッション類を捨てるというので、細分化するのに結構手間がかかる。
生きて行く為には結構思いがけない手間が必要なのだなあ。

壁掛けの扇風機も一台もう40年使っていて去年から首振りが利かなくなっていたので、これも捨てることにする。火事にでもなったらと気になって。

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2008年9月11日 (木)

同時テロ

9月11日(木)晴
連日好天気が続く。朝晩が涼しくなって過ごしよいので、好天気という文字がぴったりである。
しかし今日は実はショッキングな日であった。8年前のニューヨークの同時テロである。
当時インターネット上にでかでかと報道写真が載り,テレビでも何度となくいろいろな生々しい報道がつぎつぎと流された、
ショックを通り越して唖然とした。
アフガニスタン,イラクと戦争が後に続いた。物凄い沢山の人間が殺された。そしてまだ続いている。
人間という動物はほんとに業な動物だなあ。宗教家でなくてもそのぐらいは感ずる。
Pic3
Pic4
改めてその写真集をディスクから引っ張り出して見る。凄い眺めだなあ。
原爆もひどい,戦争もひどい、これもやっぱりひどい。
(写真は当時読売新聞に載ったもののコピーである)

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2008年9月12日 (金)

わが界隈

9月12日(金)曇
灰色の雲覆い,霞連なりて沖合い何も見えず。
正午を越えるも変わらず。
午前中家内一人近所のデパートまで買い物に出づ。

正午を過ぎて帰宅し、汗かきたるとて盛んに暑さを呼号す。家までの勾配7百が老体にこたえるなり。

裏の上野氏の数匹の小犬ども、鳴き声かまびすし。何故なるか当方には分からず。
隣の植野氏は菊育苗のためか庭一面をビニールにて覆い、何物も見えず。ただ風にはためきて異音を発す。

その先2軒は他所にて療養し,或は先般入院先にて死去されたれば、絶えておとなう人の声を聞かねば,静かなること林のごとし。
ただ前方2軒は若き人ばかりなれば、朝夕物音激しかるも、昼に至りてはこそとも沙汰あらず。

昨日大型ゴミの収集日なれば、料金必要な2件はさておき、ノートパソコン1台は電気店に持ち込めとの達しがあるやに聞きしが、ついでにと思いて捨つ。
やや気になれば今朝ゴミ捨て場に行き見るに影も形もなし。収集されたるか,はたまた商売人拾い去りたるにや。

天候の変化間違いなしと思いしが夜に入るも悪化せず、夕日も落ちず、月中天に残れるも、雲遮りて宵闇深し。

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2008年9月13日 (土)

マーラーの交響曲第5番

9月13日(土)曇
夜半にかなりの雨が降るも、朝にはきれいに上がって何事もなかった風情。
新聞受けにも水たまり無く新聞は無事。
気温23度とやや高め。

午後家内の苦言モダし難く、空き箱の整理に掛かる。殆どがパソコン関係なり。
資源ゴミとして出すには、やはりルールがあるようだ。
4時20分沛然と降り始める。風を伴っているので窓も閉めずばならない。
遠雷も轟き始める。間もなく頭上に来る。雨益々激し。
庭木喜ぶ。察して心楽し。

テレビで百歳の翁パソコンを使うを見る。三味を習い,端唄を吟ず。刺激を受けること甚だし。

夜に入り雨降り続く。
先島列島を襲っている台風13号が早くも影響を及ぼしているのか。

夕方食事時から始まって、N響の定期演奏会がFM放送で始まる。
マーラーの中で一番好きな交響曲第5番である。79歳のハンス・ドレヴァンツという私の知らない指揮者である。甘い性格に育ったせいか、好きな作曲家はマーラーまでである。
神経をかき乱す様な音響を発する作曲家は苦手である。

第1,第2楽章は例によって大音響で、ステージいっぱいの楽団員によるフル演奏だから凄い筈である。
良いのは第3楽章の中程の静寂極まる大平原の中を時折管楽器が奏でる地球の鼓動にも似た音響が走る、目に映ずる様な光景である。
好きなのは第4楽章のハープと弦楽器が織り交ぜながら演ずる長大な美しいメロディである。
マーラーらしい美しさではあるが、くどいと思う人もあるかもしれない。ショパンなどの反対の極にあるメロディだろう。
1時間19分もある長大な曲だが、終始飽かせない素晴らしい演奏だった。畢竟この曲の構成によるものだろうが、マーラーはやはり大好きな作曲家だ。
すっかり堪能した。CDは他にエッシェンバッハ(ウイーン・フィル、フィラデルフィア管の2枚)オラモ、ラトルと4枚あるが、いずれこのドレヴァンツのものもCDにすることになるだろう。

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2008年9月14日 (日)

金主席重体騒ぎ

9月14日(日)曇
昨夜は前半大分降ったらしいが,長続きはしなかったらしい。
我が家は水はけがよいから、形跡は何ほども残っていない。郵便受けの新聞も少し湿った程度。
例によって朝靄がすっぽりと前景を隠す。

午前中食料調達にスーパーへ。
午後雲がちぎれて日が射し始める。
もう秋は争えない。空気自体が爽やかである。
眠るも快適,起きるも快適。

北朝鮮の金主席重体説が此処数日新聞やメディアを賑わしている。
交代の許されないお国だけにどうなるだろうかと興味津々といったところ。
流石に韓国が一番騒動しているようだ。中国は鳴りを潜めている感じ。各国の態様がおもしろい。

拉致問題も核問題も益々遠のくな。年内は何もかもお休みとなるだろう。
しかし人民の飢餓問題は冬に向って大丈夫なのかいな。石油の高くなったのはどの国も同じだし。

サンフレッチェの勢はもう止まらない。今日も2位の山形を4-0と大差で一蹴した。
今年も天皇杯で頑張って欲しい。J1昇格は間違いない所だから。

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2008年9月15日 (月)

老人は果たして祝日の対象になるか

9月15日(月)曇
老人の日だそうだ。県内に百歳以上が1165人いるそうな。驚いたことだ。
70歳以上が22%だという。老人の日なんてもうやめてもらいたい。
祝日の価値などないのでは。

私など心臓がよれよれになっていたから,もう駄目だと覚悟したのだが、心臓でも治療でよくなるのだそうだ。一刻の休みもなく動いているのだから、ぼつぼつ寿命だろうと思っていたら,最近薬のおかげかあまり感じなくなって来た。良くなる訳はないと思うのだが,先生に聞くと大分良くなったと言う。そんなことってあるのだろうか。

薬のおかげで長生きしてもしかたがないのだが、困ったことになったものだ。
働く能力はまるでないのに、ただ心臓だけが動いてくれてもなあ。
他の余分な病気は嫌だが、心臓が自然に止まるのは願ったり叶ったりと思っていたのに。
薬をやめてみるか。時々ずるはしてるのだが。
ただ足や手が腫れてきて、腐ると言われてはこれもうれしくないし、従兄弟が腐った足首から先を切られて苦しんで死んだ前例もあるしなあ。

午前9時猛然と降り始める。家内は老人会の会合にこの雨の中を出かける。威勢のいいことである。まもなく八十だが意識が若いんだから。
12時にはおこわと紅白まんじゅうを貰って帰って来る。雨はもう止んでいる。
子供の歌や踊りなどで楽しませてくれたのだそうだ。市長の挨拶もあった由。あちこちの会場を掛け持ちしたのだろうが,ご苦労なことだ。

テレビ報道で自殺者が全国で連続3万人を超えたと言う。
過去に前途有望な甥坊が二人も二十歳前後で自殺して,(一人は未だに何年も植物人間になって息をしている)未だに私達を悲しませてくれている。
まったく人ごとではない。
肝心なこちらもこれから老いさらばえて行く。前途を見失ったらどうするか自信はない。
近親のいつまでも嘆く姿を見ていると、其処まで決心することは難しい。
長生きすることが果たして祝い事と言えるのだろうか。

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2008年9月16日 (火)

孫のグリーティングカード

9月16日(火)晴
沖合いは朝もやっているが,珍しく上空は青空一面で白い雲が点々と浮かんでいる。
良い天気になりそうな気配である。
台風は始め西北に向いてたものが台湾の北で東南の方向へ真反対に向きを変え,沖縄に向っている由。当てにならない台風だ。大型と言うから心配だ。

東京の孫二人から連名でグリーティングカードが私のメールボックスに入っている。
音楽や絵付きのしゃれたものである。
姉の方は進路に不安があるのかもしれなくて、大学の勉強に悩んでいる風である。
この時期誰しも確たる成算があるわけがない。自分も人も悩んでいるのである。
しかし世の中どの道をいっても、結局は自分の思う方向に進路が向く筈である。というより与えられた分野の中で見出して行くことになるのである。

私は運命的なものと思って来た。蟷螂の斧みたいな自分の力なんてとても宿命には逆らえない。
親も兄弟もどうしようもない。自分で選択し,覚悟を決めて飛び込む以外に道はないと知るべきである。

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2008年9月17日 (水)

やっと自分の墓地掃除

9月17日(水)曇
台風13号は東に向きを変えて,沖縄に向った。九州から四国,中国といつものパターンらしい。嫌だけどどうにもならない。
今日あたり前触れよろしく,今にも雨になりそうな雲行きである。

私が初年兵で入隊した自動車第3聯隊をgoogleで検索してみると、昭和14年5月に満州国公主嶺で編成されたようになっている。私が入隊したのは東安省斐徳にあった同聯隊に昭和16年1月だったから、すでに2年兵、3年兵が戦友として,神様の如く隊内に存在していた。
私自身は昭和17年11月に独立自動車第31大隊へ転属させられたから、縁は薄いのだが、同年兵の大多数は関特演以後独立自動車第69大隊に編成替えして居残り,その主力として終戦を迎えた。奇しくも同じ中南支の戦線で戦った。
だから同部隊の中隊長クラス及び下士官幹部は皆私の同年兵である。
戦後もしばしば再会することになった。終戦時は武漢に司令部があった第6方面軍の直轄部隊として編成表に記録されている。

ただ同部隊のものでネット上に記録を公表しているものは皆無らしく、なんらの記録も残されていない。
そこへ行くと独立自動車第31大隊については、私の投稿した「私の軍隊生活」をはじめ実に沢山の記録がネットに搭載されていて、googleで検索すればいくらでも出て来る。
もっとも私のものが過半数といってよいかもしれない。長生きした功徳というべきだろう。
誇るべき戦績などは全然ない,平凡な一日本軍の行動記録である。
私は大多数の軍隊は日の当たらない所で黙々として,その任務に従って行動し時に敵と戦った。
それが戦争の実態だと認識している。

昼前私の墓の草取りに家内と二人で行き20分ぐらいで綺麗にする.両隣の墓地が草ぼうぼうで見栄えがしないので、一応勝手に鎌で苅り倒しておく。
買ってから20年以上経つのに死人が出ない家が多い様だ。この列は特に多く半分空いている。
墓が建ってても空墓も多い。長寿社会が如実に示されている。

帰りはビッグで食事と買い物。2時過ぎ帰宅。間でちらちらと降ったがそれっきり。

夜暗くなって本格的な雨となる。やはり台風の影響らしい。

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2008年9月18日 (木)

満洲鉱山株式会社

9月18日(木)曇
台風13号の影響か空一面の雲で,いつ降り出してもおかしくはない。
しかし昨夜はまるで雨の形跡はない。
この地区だけ取り残された感じで,九州、四国、関東などの大雨が不思議な思いだ。
風はそよともない。

昨日の朝呑んだ下剤の影響で,今朝早朝5時半腹がしぶり、下げる。
寝たり起きたりだけの日常だから、運動は全く不足、食欲はまるでない。
従って排せつもうまく行く筈がない。
一歩一歩死への行進が早まった感じだ。
立ちくらみも激しくなった。

物置にしている部屋の整理を始めた。何日も前から家内が着手したのだが、なかなか進捗しない。原因は要るもの要らないものの区別が家内には出来ないものが多いからである。
とうとう私の出番となった。
ずっと前から気にはなってたのだが、なかなか着手出来なかったものである。
家内は暴き散らして、そこら中、足の踏み場もないようにしているので、台公出ずんばあらずとなったわけ。
二人だけの家だから、そのままでも一向に構わないのだからぼつぼつやることにする。

昭和15年の新聞スクラップ帳が2冊出て来た。私が新入社員のときである。
中を覗いているううちに面白くなって、とうとう作業中断ということになる。
懐かしい記事ばかりで、読むのに忙しい。
中に私が入った会社満洲鉱山のことが数カ所も出て来る。現在でもそうだが、満洲は鉱物資源の宝庫と言われて来た。日本政府がそこに目を付けたことは揺るがない事実である。

スクラップに載っている我が社の開発計画によると、金、銅、鉛、アンチモニーの4種類が第1期の俎上に載せられている。当初だからか金が圧倒的多い。
別の記事で含有量1000分の732という3キログラムの金塊が出て来たと言って、社長が
星野国務院長官に見せている写真が載っている。時価1万円だそうだ。
その金が出たチャピコー鉱山についての連載記事も出ている。何処にもありそうな伝承がつけられている。

ぼつぼつ内地並にコメの配給制度がはじまったり、ダンスホールが営業禁止になったり、ドイツ軍がパリを陥落させたりと大戦前夜の騒がしい時節だった。残らず丹念に満洲新聞の記事をスクラップしている。
日記の如く継続は出来なかったが、万事好奇心の塊だった私の若き一日の所産だった。

Img603 Img605

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2008年9月19日 (金)

台風一過

9月19日(金)曇
台風13号は種子島から足摺岬南方そして海上を東に進んでいる。
こちらに急に北上する気配はなさそう。
早朝5時20分雨がテラスを叩く。8時には全く止んでいる。風もない。
今年の様に9月になってもこちらには一度も来ないことは珍しい。有り難いことだが。

家内は午前中に出かけて、銀山町の東広島記念病院のリウマチクリニックに行く。午後3時を過ぎて帰って来る。格別の事はなかったらしい。あちこちのデパートを廻って帰宅した由。

台風は四国沖を通り過ぎて,紀州沖に掛かっている。雨風は三重県と東海地方がひどいらしい。
上陸はどうやらしないらしい。
少しでも被害は少ない方が良い。

小百合は友達と済州島に今日出かけたらしいが、うまく台風にぶっつからんでよかった。

午後には日が照り始め,暑さがぶり返す。今年ほど長い夏は少ないのでは。
つくつくほおしもいつもより少ない感じがする。

物置の整理が私の分だけ終る。大分捨てるべきものが発生する。大型ゴミは来月の9日まで待たなくてはいけない。まあいいか。

昭和15年の新聞スクラップを見ると、同年の9月末の満州国の人口が約4千万人、国都新京の人口が48万9千人とある。私は新京の人口は30万とばかり思い込んでいて人にもよく話したもんだが違っていた。現在の長春の人口が先般訪れたとき7百万と聞いたから、60年以上も経つとそれは仕方がないなと思った。並の国都建設計画ではなかったから当然だと感じていた。

夕方近く青空が広がり、白い千切れ雲が漂う。台風一過の素晴らしさが感じられる。
人間共が作り出す煙やすす、そして砂漠の砂,一切を吹き飛ばして太洋に叩き込んでくれる台風の御蔭の様である。やはり必要悪というべきだろうか。

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2008年9月20日 (土)

童話劇「踊る孤島」

9月20日(土)晴れたり曇ったり
爽やかな朝、と思いきや昼を過ぎるとぐんぐん気温が上がり、33度にまでなり、真夏の気候に逆戻りである。天の神はおもしろがって老体を苛んでくれてるようだ。

送られて来た学校の会報を見ると,本間君の死んだ直ぐ次の月4月20日には月岡君が死んでる様だ。
私に2月21日東京の自宅から電話して来て,世話になるが同窓会には行けないからといってたが、あれが今生の永別の声だったかと,細々と続いた交遊ではあったが、縁の深さを感ずる。

又又昭和15年のスクラップからだが、森繁久弥さんから懇切な指導をいただいた、新京放送劇団のラジオ放送番組表がところどころに切り抜かれている。
5月から11月まで5回程載っている。私はその他大勢の組だから、その全部に顔を出した覚えはないが、中にははっきり題名を記憶しているのがある。ただ日満交換放送で匪賊討伐を主題にしたドラマが切り抜かれてない。私が一兵士として出演して,台詞を間違えた覚えのある劇で,一番印象に残っているものである。
それに子供に見せるドラマで”踊る孤島”という劇を満鉄社員クラブで上演した広告が切り抜きされて載っている。記念写真の、一番端で槍を構えている黒ん坊が私である。
若き日にはいろいろやったんだなあと感慨は深い。
生涯の一記録としてブログに載せることにした。

Sinkyogekidan
(新京放送劇団全員の写真、一番後列左端が森繁久弥氏、私はその列の反対の端から3番目)


Odoru_koto
Odorukoto

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2008年9月21日 (日)

夕立

9月21日(日)雨
朝7時過ぎ食事中に突然雷鳴とともに激しい雨となる。急いで窓を閉める。
8時頃まで約1時間頭上を雷鳴が駆け巡る。停電も2度。いずれも自動的に復旧。

パソコンはsleepにしていたのだが、停電ショックで接続部が外れたのかつかない。
しかたがないから、配線を全部外して、綺麗に掃除し、改めて配線をし直す。
今度は何事もなかったかのように、点灯する。
格別back upを利用することもなかった。

真夜中にもゴロゴロやってたのだが、電気は落として寝ていたのでそのときは何でもなかった。
タイミングが悪いとこういうこともあるという教訓。

午前11時ゆるやかな雨降り止まず。前線が九州中部から関東に掛けて縦断しているから,南方からの湿気が吹き込み、北方からは寒気が下っていて不安定な天候になっていると、天気予報の御託宣。仕方がないな。
しかしなかなか雨が降らなかったこの地方、恵みの雨と違うか。ゆっくり休もうや。
昼なお暗く時計を見ざれば、早朝なるや,夕暮れなるや知らず。

小百合夫婦が午後やって来る。旅行バッグを借りて行く。済州島には28日に出かけるのだそうだ。私の聞き違いだった。
雅博さんからビデオからDVDへのダビングを4本頼まれる。
夜になってから取りかかる。
老人には格好の仕事だ。

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2008年9月22日 (月)

老人の仕事

9月22日(月)晴
昨夜はダビングを午前2時までかかってやる。やり終わってからふと前回ステレオで録音してなかったとの話しを思い出し,出来上がったものをテストしてみるといずれもモノラルに仕上がっている。がっかりして投げ出したまま眠る。
今朝6時前に起きて、ビデオデッキの出口を掃除する。古い器械だし最近使ってなかったから、ここが悪いということは直感で分かった。
案の定テストしてみると今度はステレオで録音している。
再度ダビングにかかる。

朝気温20度ひさしぶり。快晴。昼には又暑くなりそう。
台風13号は関東沖を東に去って,昨日あたり熱帯低気圧になって消滅する。

又又昭和15年(1940)の新聞スクラップ記事の一つだが、戦時色濃くなった時だからかもしれないが、”お名刺拝見”という若い勤め人の素行調べの記事が載っている。人権の喧しい現代では何事かとギョットされる向きもありそうだが、面白い。
わが満洲鉱山は暇人が多かったか、いの一番に数字までつけて載せられている。不名誉なことだ?
しかし今考えて見ると、のんびりした無益な競争などない楽しい時代だったなあ。
だから、学窓を出て初めての社会経験だった8ヶ月が私の記憶の中に巨大に巣くっている。
そしてよくぞ当時の新聞記事を未来を予見した如く取っておいたものだ。

内地では統制がどんどん厳しくなっていいたが、満州国でもそれに習わざるを得なかったのだ。
その手始めといってよかった。Img617

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2008年9月23日 (火)

彼岸のおはぎ

9月23日(火)晴後曇
騎虎の勢いを駆るという言葉があるが、正にその言葉通り雅博さんの頼まれを終えた器械の設定を利用して、兼ねて計画していたドラマ「蝉しぐれ」のビデオテープーDVD-Rダビングを果たす。何しろ4時間を超す大作だから夜遅くまでかかる。
毎晩だから夜昼逆転の生活になる。

器械というものは使い過ぎても摩耗するし,使わなくては錆び付くし難しいものである。昔といっても70代前半まで現役で働いていたころ、専ら小廻りのきく単車を常用したものだが、自動車に跳ねられて入院することなどあり、徐々に四つ車使用に変更し、単車に乗る機会が減った。
その挙げ句単車が錆び付いて、故障が続き出しとうとう廃車というところに行き着いたことがあった。
事業も縮小し,資本金の関係で会社を法令解散させられるということもあって、隠居生活に入ると言う事情とも重なったのだが。

ビデオデッキもこの勢で復活するといいのだが、まだカセットの出し入れに手を副えなければならない不具合もあってもう寿命かも知れない。
もう1台家内が使っているのがあるので、差し当たりは問題ないが、何しろテープが1000個を超える程あるのだから、デッキがなければテープも持ち腐れだし困ったものだ。
もちろんこれはと思うものは随時DVDで取り直しているのだが、これを機会に変換にも精出さなければいけないだろう。
老人の特権で時間は幸い有り余っているから。

自民党総裁選挙は予想通り麻生太郎の圧倒的勝利に終った。幹事長は細田博之(島根県一区選出)だ。選挙を戦うには最良の布陣といえるだろう。
民主党も小沢一郎では、昔を知る私達老年者には、貞操観念のない策士としての彼に国政を任す気はしないのだが、今の国民が果たして彼を許すかどうか私には分からない。再来月にも総選挙かと言われているが、やはり麻生率いる自民の辛勝というところではないか。となるとねじれが益々ひどくなり日本の前途暗澹として来るが、ここでひさしぶりに神風でも吹くかどうか。

今朝はやっと19度と20台を切ってひやーとする出だしだったが,10時にはもう暑くなる。
午後雲が張り出してきてカンカン照りはまぬがれる。
家内がぼたもちを買って来ておやつに食わす。秋の彼岸だからおはぎだと言う。そうか春の彼岸ならボタン餅か。古くからの言い習わしに今更のごとく合点する。
母親が死ぬる前数年寝たきりの身で、いつも三ツ矢サイダーとカンロあめを欲しがった。私も嗜好が母親そっくりになって、この二つがいつも身辺から離れない。家内が笑うがしかたがない。サイダーを呑んでおはぎでは胃袋が途端に満腹になって苦しい。

そういえば美しい月夜が数日続いたなあ。ちらっと見るだけで無風流な私にはゆっくり楽しむ余裕はなかった。

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2008年9月24日 (水)

ダビング始めたらとまらない

9月24日(水)曇
昨朝は19度だったが,今朝はまた23度と逆戻り。温暖化現象はつづく。
朝5時に目が覚めたのでDVDに入れてあった北野武の「座頭市」を見る。やたら真っ赤な血煙が立つやくざ映画。こんなのどこがいいのだろう。
ちょっと評判だったからいつか予約録画したらしい。嫌いだな。
飯食ってから又9時半まで眠る。
老人閑居して不善ををなすというべきか。

終日ドラマ「清左衛門残日録」のDVDダビングに精出す。15年前にビデオに収録したものだが、先般来藤澤周平の小説を読み返し、その気になったものである。仲代達矢、南果歩、財津一郎、かたせ梨乃と配役がすばらしかったなあ。ダビングしながら、やっぱり残すべき名作だとすっかり感銘する。
全15編を一応HDDに録画し終わるのに,夜遅くまで掛かる。面白いから無我夢中で見ながら続けたが、さすがに15編も一日で見終わるとつかれてぐったり。1編50分だから正味13、4時間掛かったわけ。
これをDVDにダビングするのが、また同じ時間かかるのだから大変だ。
おれも辛抱強いなあ。

家内は医者に出かけたり,買い物に出かけたり、元気に歩き回っている。旅行の準備のつもりだろう。

サンフレッチェは昨日も勝って、独走でJ1昇格を決める。あとまだ7試合残してだから凄い。

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2008年9月26日 (金)

小泉元総理次回選挙に立候補しない

9月25日(木)曇
昨日に引き続いて、DVDダビングに明け暮れる。数が多いと順番を正確に繋がねばならず、結構面倒なものだ。
いくらでも時間がかかる。
そのうえ、やはり一つ抜けていたりして取り込みをし直さねばならない。

近くのデパートへ家内のお供をさせられる。

一日中日の目を見ることなく,曇り空に終始する。

9月26日(金)曇
低気圧が居坐っているのか連日同じ曇天がつづく。
清左衛門残日録のDVD化が終る。連日時間がかかったので、久しぶりに一仕事終えた感じだ。

未だ2、3日あるというのに、家内は早くも旅行支度にあれこれと気使いしている。服装はなにしようかとか、もちものはどれにするかとか。
ほぼ一年振りだから仕方はないが。健康を害して、どこにも出かけなくなって丸一年経った訳だ。
いそいそとした感じと大丈夫かなという感じが入り交じる。

麻生内閣が成立して、総理の初仕事はニューヨークでの国連演説。
小泉元総理は今度の選挙には立候補しないと宣言して,物議を醸している。私も驚く。政治活動はするというのだから、細川元総理とは行き方が違うが、次の参議院にでも出馬したら面白いのでは。
政局から完全に外れてしまうのは惜しい気がするがどうだろう。西郷さんみたいに叛乱部隊でも引き連れて来る気かな。

午後2時過ぎやっと厚い雲間から日がこぼれる。
くしゃみが出る程涼しい一日だが、たまに明るい空がのぞくとそれはそれでほっとする。

夕方6時冷たい風が北の窓から吹き込んで来る。ちょっと寒い。窓を閉める。どうやら寒気がとどいたらしい。
急な変わり様に驚く。
読売旅行社から早々と確認電話が入る。こちらは天気が気になる。

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2008年9月28日 (日)

広島勢頑張る

9月27日(土)曇
小百合が旅行を終って,雅博さんと一緒に家に来る。
土産話をきく。玄界灘に浮かぶ島だけに、日本語が良く通ずるらしく楽しい観光だった様だ。映画施設の規模の大きさに驚いたようだ。島とはいえ今は飛行機の往来だから楽なものだ。友人の二人で韓流ブームに乗せられての旅行のようだが、遂に此処まで来たかとの思いだ。

今朝の気温は15度で少し寒かったが,昼過ぎには30度近くになり相変わらず暑い。昨日から長袖のシャツにしたがちょうど良い。

9月28日(日)曇
今朝は16度。どうやらこの辺に定着しそうだ。正に秋のど真ん中だからそれでよい。
台風15号がまた14号に似たコースを走っている。シーズンだから仕方がないが、今年は一度も本土上陸がないという。ほんまかいな?
どのオリンピックも終って日本は前回の半分ぐらいの成績に終ったらしい。世界のレベルがぐんと上がったという。一番人気だった野球がメダルに届かないではねえ。
その野球で地元のカープが頑張っている。今日現在3位をドラゴンズと分け合っている。今日の市民球場でのヤクルト戦が球場とのお別れ試合だそうだ。連日別れを惜しむ満員のファンで賑わっているとか。もう十年も足を運べないでいるこのオールドファンにも、熱気は惻々と伝わって来る。
永遠なれ!カープよ!

広島の妹から電話で、阿蘇へ旅行して来たのだが、火口に水が溜まって噴煙が出てなかったが、火山Picture_4_2活動を止めたのだろうか、お兄さんなら知ってるだろうからと聞いて来る。初耳なので驚いAso2_viewcgiて、待てよパソコンで調べて見るからと言って,電話をそのままにしてネットで阿蘇山を呼び出す。
中岳火口の固定カメラでの1分おきの写真が写し出される。なるほど最近の雨の影響だろうか大きな湖が出来ているが、噴煙はその直ぐ上の方の壁から勢い良く吹き出している。とても見えないなんてものではない。
そのことを伝えると、最近目が悪くなったから見えなかったのかも知れないと言う。写真が欲しいから撮って送ってくれとも言う。
疑ってるなと思ったから、2分おきにその写真をコピーしプリントして、すぐ5枚ほど封筒に入れて郵送する。

いつだったか富士山の定点観測の映像写真をネットで見たことがあったが、今では各地の名所などでそうした現在の映像の見せてくれるのが沢山あるようだ。有り難い御代になったものだ。

天気予報は明日の雨を報じている。嬉しくないがこればかりは仕方がない。
広島市民球場満員のカープファンの熱気に感動する。スタンドが全員が差し上げる真っ赤なボードに赤く染まる。始めてみるこの光景に頬が濡れる。そして6-3でヤクルトを下して最終戦を飾った。

サンフレッチェもセレッソを3-2で破り、J2の優勝を決めた。

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2008年9月30日 (火)

我ぼける

9月29日(月)雨
5時目覚め,5時半起床、旅行準備を始める。
雨はちょろちょろぐらいで大したことではない。
予定通り7時10分家を出る。2百米もいったところで眼鏡をかけてないことに気づく。
ありゃ、これでは折角の見物にはならないぞ、しまったと思う。坂道を走る体力も気力ももうない。
すぐあきらめる。どうせ雨で外界の景色はみえないだろうからと。
しかしこのぼけがこの時だけに終らなかった。
目が見え難いと言うことがぼけに拍車をかけた。最初の石山寺で寺の見物は何とか無事済んだのだが、源氏物語記念展示会の方は連れの家内や妹らを見失い、ままよ行ってしまえと一人で参観を隅から隅まで済ましてしまう。カメラとムービーに夢中になっている私は彼らを構ってはいられない。
あとで何処へ行ったんだと家内の大苦情を食らう。

目が見えないから少し距離が離れると、誰が誰やらわからない。仕方がないことでもあった。

宿にはいってからが大変だった。琵琶湖西岸の雄琴にある雄山荘という大きなホテルに泊まったのだが、これが物凄い難物だった。
先ず温泉に行く経路が、エレベーターを上がったり下がったり、別棟への段差のある通路を曲がったり降りたり、うまく迷う様に出来ているのだ。
もちろん最初に各室にその説明の為の女性が現れて懇切に教えてくれたのだが、頭の固くなったこの老体にはっきり認識出来よう筈がない。

案の定行きも還りも迷い放しで、居合わせた人誰構わず聞きながら行くわけ、中には嘘を教えてくれたりして、混乱に輪をかける。
一度は室についている露天風呂に入ったが、これはくみ上げたままのお湯らしく、加熱してないので寒くて震え上がる。
朝風呂はまた温泉にたどり着いて、なんとか目的を果たしたが、還りは又迷う。親切なおばさんがいて途中まではなんとかうまく行く。しかし最後は迷っていったりきたり。

あとで聞けば家内も妹らも皆同じ様に迷い歩いたらしい。
生まれて初めてこんな不思議な宿に泊まった。半分は目が見えないので正確に記憶出来なかったのかも知れなかった。

9月30日(火)雨
朝から降り止まず。比叡山延暦寺は持参したカッパを来て根本中堂などを見学する。山は完全に霧に覆われて寺塔の姿は定かではない。ましてや人の姿おやである。
近江や京都の景観も霧にすっぽり包まれて想像すら出来ない。
もちろん杉などの大木が視界を遮り、霧なくとも下界とは隔絶された世界かも知れないが。
雨は激しくなったり,急に止んだりする。そうそうに山に別れを告げ,北白川口から丸太町そして御所に隣接した萩の名所梨木神社に詣でる。
三条実美を祭るとのことだが、誠に質素なお宮である。しかし参道に生い茂る萩は花の盛りを過ぎて、私達には残念な思いをさせたが、無数にぶら下がる短冊がその盛りを示唆してくれる。

清水寺下の市営駐車場に入った観光バスから、3時間の自由行動を言い渡される。
私達4人は衆議一決、清水寺から,高台寺巡りを決める。曾游の経験から、十分その余裕があると私が認めたからである。
清水寺は1時間足らずで周回を果たし、中の茶店で腹ごなしも終える。
ところが高台寺への途中で,雨がひどくなり,剰え妹らが買い物に時間を取られ,大幅な時間ロスが生じたと私の思い過ぎがあった。
私は傘を買うとそれをさしてさっさと高台寺への道を急いだ。
ところが目のはっきりしない錯覚のせいか聖徳太子の宝塔といわれる五重塔を高台寺の五重塔と勘違いし、これを見終わると直ぐ先に高台寺がある筈との先入観で坂道をまっすぐ降りてしまった。手前の二年坂の石段を下りて行かなくてはいけなかったのだった。
当然後を追って来た家内や妹らは私を見失ってしまった。私はもちろん人に尋ねたりして大回りしながらも正門にたどり着いたのだが、短絡して二年坂を追った来た家内らは霊山坂の方の門から入ってしまった。

通りへ出たり入ったりしながら待っていた私は、これは行き違ったなと思い、長居をすると時間超過を来すかもしれないと心配し、二年坂を通ってひょっとしたら行き当たるかも知れないと思いながら駐車場まで還った。
結果は私一人1時間半前に車に還り、私の挙動を心配した家内が高台寺の切符を買いながら,私を追って引き返し30分遅れて車に還ってきた。
妹ら二人は念願の初めての高台寺観覧を成就したという結末にはなった。
家内も私もすでに訪れた経験があったので、すんなりとあきらめがついたわけではあったが。
どうもこんども私のめがね忘れが遠因のぼけによるものらしい。

最近物忘れがひどくて、食事を済ませているのに、又食事をと言ったり、今度の旅のごとく毎日肌身離さず持っているめがねを忘れるなど、病と呼ぶべきかどうかは医者に聞かないと分からないが、ただ事では無い気がする。
人の名前などのど忘れは特にはげしくて会話にも困るくらいだ。
もう私の人生はどうやら終った同然らしい。

家内らに助けられて,今回の観光旅行はなんとか終わりはしたのだが。雨は最後までつきまとってくれた。

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