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2008年8月15日 (金)

無条件降伏

8月15日(金)曇
灰色の雲に閉ざされて、朝の気温は珍しく25度と涼しい。

昭和20年の今日、私達はまだ敗戦を知らなかった。
広西省全県と湖南省祁陽間の南嶺山脈中を夜間行軍で、うねうねと武漢に向けて前進中だった。
確かに軍命は前進だったが、内心は撤退だなと敗軍の事実をうすうす察知してはいた。
相変わらず夜間の移動だけで、日中は車は樹間に突っ込み、樹木の間に吊るした蚊帳の中で寝転んで、眠るともなく寝転んでいた。私は携行していたハーモニカを吹いた。兵たちは静かにハモった。遠く故国の空に思いを寄せた。

そして明日も続いた。いやに飛行機の爆音が聞こえないなと気づいた。敵はもう空襲を止めていたのだった。
17日、杞陽郊外の山茶花樹林の中に車を秘匿した昼中、部隊本部から各隊長集合の伝達があった。そして敗戦、いや停戦になったから、軍命通り武漢に向けて昼夜兼行で速やかに前進すべしとの命令が布達された。
部隊長から云われた通り、停戦とばかり思っていたので、途中の敵と干戈を交えることにもなった。

私が無条件降伏を知ったのは、9月2日汨羅の通信隊で其処の兵隊から聞いてみろと渡されたレシーバーで、ミズーリ艦上でマッカーサーに対して、重光外相が降伏文書に署名した報道を聞いたときだった。

家を直撃で爆破され、翌日の今日は敗戦の詔勅を聞いた母のこころがどうだったか、未だにそのことを思うと心が痛む。父は出征前に既に亡くなっていて、銃後を一人で守り続けた母にとっては重過ぎる試練だったと思う。
もちろん私は帰国するまでは何一つ知る由はなかった。

知る知らぬに拘らず、私達一家の運命を激変させた大事件であった。

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