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2008年8月 5日 (火)

宣撫工作

8月5日(火)曇
相変わらずの灰色一色の空、やたら蒸し暑い。
蝉の声は朝早くから賑々しい。

久しぶりにカレーの店に行き、カツカレーを食べる。今日は珍しく食が進んだ。ただしご飯はやはり小飯をさらに半分残した。胃の腑が小さくなって入らない。

本屋に行きまた周平の「決闘の辻」を買って来て読み始めた。27冊目の文庫本である。

最近どうかすると本が読み辛くなってきた。目そのものが老化しているらしい。近づけてもとおざけても、ぼけて見えなくなることがしばしばある。もう終わりが近いな。
車を買い換えることは止めることにした。今の車を乗り潰すことにする。
今32000キロ乗ってるばかりで、調子が最高に良い。贅沢なことをしてはいかんと反省したわけ。

外出して帰って、すぐ裸になり水を浴びる。水道水が丁度適温でシャワーにもってこいである。

先日武内太郎さんという衛生曹長のことで私のブログがちょっと賑やかになった。
その時私はうちの隊で蔭の役割ではあったが、実によくやってくれた河原衛生兵長のことで、いろいろ思い出したことがある。
私の隊は部隊本部と掛け持ちで軍医が一人、専属衛生兵一人という構成になっていた。
従って通常の薬剤投与、入院手続き、健康診断などは皆衛生兵の仕事だった。
河原兵長はそのほかに住民の宣撫を請け負って、伝令の池本兵長と組んで盛んに住民の宣撫活動をしていた。
住民から崇め親しまれたことはいうまでもない。武内さんもそうだったように、直接住民と接して、病状を聞き、施療を施すのだから喜ばれないことはない。ひどいのになると虎に肩から背中に掛けて食いつかれて大怪我をした住民が担ぎ込まれて治療したことまであった。時には人気化して門前市をなすこともあった。別に料金を取ることはないが、彼らが自ら気をきかせて、野菜果物など有り合わせのもので礼をしてくれるぐらいのものだった。

彼河原は無口だが、まことに誠実な男だったから、実直にこなして温和に住民と接し実績を積み上げた。外交は池本兵長、内政は河原と両輪で積極的に活動した。私の隊の宣撫が非常にうまくいって、隣の花石県の県長の使節が数名やって来て自分の方も宣撫して欲しいと頼みに来たことがあったほどだ。

身じかな所で勤務していたので、私が赤痢を患ったときなど、真剣に看病して私を救ってくれたのに、戦後は別れて以後その消息を遂に聞くことはなかった。心残りの一つである。

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