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2008年8月19日 (火)

彩寧

8月19日(火)雨
朝早くから遠雷が轟いていたが、雨はその前からしとしととおとなしく降りそぼっていた。
昨日墓参を済ましておいてよかったなとほっとする。

一昨日書いた蚊帳の話しから、いろいろ思い出したことがある。
戦場での偶発した一エピソードとして紹介したい。
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軍は沖縄が落ちたりして故国が急務と考えたのだろう、7月全軍の転進を指令して来た。
7月下旬私の部隊(独立自動車第31大隊)も逐次桂林を撤収、武漢に向けて夜間行軍で前進を開始した。
出発直前、広西大学教授の趙冰氏夫妻が南京政府の周仏海に会いに行きたいので、行ける所まで連れて行って欲しいと頼まれたと、部下の犬養兵長から依頼された。日本兵と同じ待遇でよければよいと快諾した。
この当時の詳しい状況については直接折衝に当った三好信雄上等兵から2006年1月長い御手紙を頂いている。要点をここに記すと「趙冰夫妻は桂林陥落時逃げ遅れて大学の近くに住んでいたが、生活困難になり、南京政府の要人たちが親友なので頼って行きたいと良峰郷警備隊(隊長犬養兵長)に許可を願い出た。教授は50歳シカゴ大学出、婦人は香港生まれで名門大学出の32歳ということだった。三好上等兵が担当し片言の英語でいろいろ尋問した」という。

夫妻には私の指揮官車に同乗させた。もちろん寝起きも食事も一緒だった。教授は訛がひどくて私の支那語では通じなかった。香港育ちの夫人は流石に英語が堪能で、私もいろいろ尋ねたがほとんど彼女の通訳で話すことが出来た。

そこで問題の蚊帳が登場する訳である。蚊帳の様なものが中国にも本来ないことはない。寝台の四方に虫除けに古来から使われている。ただ日本の様に部屋一杯になるようなものはない。
趙冰夫妻も最初は驚いた風だった。欧米式に夫妻だけの孤立した部屋で過ごす方達には、大きな蚊帳の中で十人も雑魚寝する習慣はなかった。隅の方で抱き合っていたかどうかは知らないが、目立たぬ様にじーっとして居られた様だ。
いつもの調子で私がハーモニカを持ち出して吹いても、嫌がらず傾聴してくれたと思っている。

7月23日から8月22日までの一ヶ月の同行だった。
この間8月17日には南岳という街で友軍の警備隊が敵襲を受け包囲攻撃を受けているのに際会し、急遽逆包囲して一挙に駆逐して友軍を助け出し、その本隊まで送ったことがあったが、教授夫妻も思いがけぬ戦闘で驚いたらしかった。
22日長沙に着いて、武装解除の事を知らされ、同行は不可能と判断しここで別れた。
その後どうなったか知る由もないが、後日部下の話しでは夫人が馬に乗せられて、街の中を引っ張られて行ったのを目撃したというのを聞いたことが有る。

後日捕虜として約一年収容されていた間に、私達周辺で宦官狩りと称して沢山の中国人が捉えられ、公衆の面前で惨殺されたが、その中に入っていなければと祈った。しかし後のことはまるで分からない。

(尚趙冰氏については、公開されてる歴史資料「語り継ぐ戦争の記憶、昭和の声」や私のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hatukaiti-viefo/
の中の「私の軍隊生活」の中に記載しているが、香港大学教授となっているのは、広西大学教授の誤りです)
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ふと気がつくと蝉の声がまるで聞こえなくなった。季節が間違いなく移り変わっているのだろう。
涼しさがまるで違う。燃える様な暑さはどこに行ったのだろう。
あちこちで豪雨が多発していて、警報が盛んに発令されている。
当地はなぜかどこ吹く風である。ありがたい事だ。

曾孫の名前がわかったよと家内が告げに二階の私の所へ知らせに来る。電話で尋ねたらしい、「彩寧」という。
難しい名前だなあ。北京オリンピック開催中だし、中国風にしたのかな。
ともあれ滅多にない名前だから間違われることは無さそうだ。

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