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2008年7月12日 (土)

思い出した幼児の頃

7月12日(土)晴
いい天気、午後からは曇の予報だが。暑くなるぞー。
朝飯を食べると,眠くなり9時頃までは快適に眠れる。極楽だな!

海の側を走る大島に行って、海水でも浴びて来ようかと家内に言ったががことわられる。
高曇りの空からだが,夏の太陽はものともせずに照りつける。

昨日内藤内科に行って先生に何処も悪くないなと云われて、何となく家族に悪いなという感じに捕われて帰宅した。
生来虚弱だった私が既に母の年齢を超えた。

思えば此の広島の地は、私の幼児の頃病気がちだった身体を憂いて、今は無いが遠路を草津地蔵(草津電車駅を下りて山路を可成り歩いて超え,沢山の参詣客が行き来していたのに今はない,何故だか分からない)に何度もつれて参ってくれた。また八木の里に名医があると聞いて一日がかりで私の手を引いて訪れたりしたことがある。私が5歳の頃だ。
その帰り横川駅で待ち時間が1時間以上あると云って,歩いて途中道案内を乞いながら1時間掛けて己斐駅まで歩いたことがある。「お母さん,今日はよく人に道を聞いたね」と私がいったそうな。母の後年の一口話でよく聞いた。
小学校に入っても1年生は2学期しか行かなかった。頭が痛いと言って行かなかったらしい。

そもそも母の信心深さはこの頃発生したものらしい。神仏を信じ、神仏参りは生涯熱心であった。
家から半里くらいのところに桜地蔵というのがいまでもあるが、生涯毎朝早く欠かさずお参りしていた。
が大してお功徳をいただいたようには思えなかった。弟が5歳で死んだり、後に家を爆撃で失ったり、父が死ぬと息子の不始末で財産を失ったりと、却って不幸が連続して起きた。神仏は決して助けては呉れなかった。その反動で私の不信心が出来上がったのかも知れない。

今となっては私がどうしてこんなに永く生きられたかわからない。
いくらでも命を失う場面に際会したのに。また帰国直前には南京で肺結核のため血を吐いたりしたのに。
不幸、不運には次々襲われた。幸運な人生だったとは思わない。しかし終りよければすべて好しとも思う。曲がりなりに永く生きたなあ!

夕6時、空一面暗く予報通り。

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