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2008年7月 1日 (火)

人の運命

7月1日(火)晴
珍しく20度を切って19度の朝。島影が鮮やかだから当然湿度は低い。梅雨が明けたかなと思わす程。
雲は可成り多いが太陽はさんさんと照らす。
蒸し暑さが全然ないのがよろしい。
岩国の妹二人が遊びに来るという。昨夜遅く電話して来て家内を驚かす。次の木曜日だと言う。
後家さん二人何を目論んでいるのか。
家内の末の妹が朝電話をかけて来る。どうやら先般の入院見舞らしい。他のものから聞いたのだろう。

アルパークに靴を買いに行く。4、5年履いたろうから裏が摩滅して薄くなりぱくぱくと剥がれそうになった。もう寿命と見てよさそうだ。買い換えることにしたわけ。すぐ適当なのが見つかる。今日は割引週間とあって随分安くなり、八千いくらと家内が言われていた。
食事の時にぱったり家内が知人に会ったりする。広い様でも世間は狭い。
いつもの様に食事と買い物をして帰る。デパートは広いのであちこちする間に草臥れる。一足先に車に帰って寝て待つ。

良い天気になるかと思ったが,午後にはすっかり曇ってしまう。日が射さなくなったから暑くなくてよい。
前線が北上して来ると予報が言ってたがそのせいかもしれない。

並木茂雄さんがブログに寄せてくれた,村上さんの手記正に古諺「人間万事塞翁が馬」を地で行くもので驚く。
いつかこのブログに私が書き載せた友人松田君と同じく災難が結局命を救ってくれた。松田君は重砲のキャタピラで足を折られて除隊となり,部隊が後に南方に転用され,輸送船もろとも海の藻くずと消えたのから免れた。
村上さんは防毒面盗難事故で10日間営倉入りの刑罰を受けたが,転属すべき部隊はやはり南方で殆ど玉砕した。
人間の運命とは実に不思議なものである。村上さんの代わりに行かされたものは逆の運命を辿ったことにはなったが。

去年やはりこのブログに載せた私の学友で同期に同じ部隊に入隊した斎藤君が戦後戦死していたことを知らされて驚いたことがある。私は他部隊に転属したので、彼のその後の消息は知る由もなかったが、戦後戦死したことを知らされて、戦死者が出る様な部隊ではないのにと不思議だったが,誰からか彼も他の部隊に転属させられたと聞いた。
先の村上さんの様に転属先がよくなかったのかもしれない。
一度調べてみたくなった。仲のよい学友だった。よく一緒に勉強し遊んだ。ほっては置けない気持ちである。

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2008年7月 2日 (水)

また斐徳のこと

7月2日(水)雨
明け方になってから降り出したのかもしれない。郵便受けの新聞が少しも濡れていない。ポリ袋に入れてない新聞は雨の日は当分読むことが出来ないのが常習だから。
この分では明日も雨かもしれない。妹等が来るというが心配だ。

永い間咲誇って門脇を賑わしていたくちなしが、極め付きの香りを残しながらも、しおれて茶化した花びらが雨に打たれて見苦しい。役目を終えればさっさと散り落ちてしまえばいいのにと心の中で非人情につぶやく。
何ものも生あるものは,盛りを過ぎると哀れである。

金沢の加藤鏡兒さんに並木軍曹の事を折角だから知っているかどうか問い合わせの手紙を書き投函する。もし並木軍曹が給養係なんかやってたら間違いなく知っているだろうが、さあどうだろう。年賀状には元気そうに書いていたが。達者で居れば何とか返事をくれるだろう。

出たついでに雨の中を、スーパーにたちより牛乳パンなど数点を買い求め急ぎ帰る。
妹等も明日来る予定を雨と見て取りやめと言って来る。

並木茂雄さんにgoogleearthで眺めた斐徳の写真をつけてメールを送る。この4月に亡くなったという亡父の想い出の地ということで、その思いに感動を受けたので私なりの懐かしい気持ちを手紙に書いて送った。
一年振りに空から覗いてみたのだがあまり変わってはいない様だ。ただ農地のひろがりは相変わらず進んでいる様だ。
中国のバイタリティを感ずる。
googleearthもバージョンアップしたので,改めてダウンロードする。立体性が益々良くなったようだ。
わたしの家も見てみたが,光の関係かすこし違って見えた。地域全体の景観はすばらしい。部落全体を眺めるぐらいがちょうど良い。

Picturetonpeide

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2008年7月 3日 (木)

今湘桂作戦を懐う

7月3日(木)曇
予報では雨になるように言われていたが,午後3時今だに降る気配は無い。
どんよりと空は曇り地上は霞んで風は多少吹いてるが蒸し暑い。

ここ毎日並木さんとのメールのやり取りがつづく。うかつにも私は他の中隊が全く別の行動をとっていたとは思っていなかった。このメールの中から新しい事実を確認することが出来た。(日本陸軍が乾坤一擲をかけた湘桂作戦のことである)
もちろん千輛近くの車が道のないところを走り回るのだから、時間、距離の大きくなることは想像するまでもないのだが、同じ部隊の別の中隊が何十キロも別の路線を進んだり,揚子江を上下するのに、汽船、ジャンク、小舟など各種の船舶を動員して、動かしていたのだとは気が廻らなかった。

この戦線に動員された自動車部隊は私の知っているだけでも10は下らない。ということは1万台以上ということになる。その他に各師団の輸送部隊がある。また戦車、重砲など重量級の自動車部隊がある。
事実山上を進んだ我々の部隊と後先になりながらもつれ合って進んだ此れ等の各部隊には困り果てた。当然敵飛行機の好餌にされた。勿論夜間無灯火で走ってでもである。山の上だから懐中電灯一つでも見つけられた。
私の隊には一人もなかったが,資料を頂いた第4中隊には沢山の戦死者が出ている様だ。私の路線を進んだのは第3中隊だったことは憶えているが、他の中隊は別の路線を進んだらしかったことが改めて分かった。
7月20日最初の空襲を受け,沢山の車が山上で火を噴いたが,部隊の兵器掛首座を占めて居った責任上,山の上を何キロも前の方まで歩いて確認を取ったが、第3中隊長以外には会えなかった。その時は部隊の長さがそれほど長大なものだと思っただけだった。他の部隊も混在しているのでどうしようもなかった。無線機器のなかった時代のことである。(何度も戦った戦線だけに敵は道路は全部破壊して地上に残されていなかった)

長沙につくまで、本部も他中隊も連絡が全く取れなかった理由が今にして了解出来た。
少なくとも第4中隊の陣中日誌によると、武昌から冷水舖、新開塘、汨水、新市と洞庭湖畔の平野を進撃したようである。

ほとんど山の頂上を進んだ私の隊は長沙の近くまで部落に突き当たることはなかった。
他の中隊の事は今の所分からない。路線の集った長沙-易俗河間(4~50キロ)は従って敵の餌食になり破壊され放置された車は私の数えただけでも80台を超えた。

60年以上も経ってこの頃の事を語ってもあまり意味がないが、ハンニバルがアルプスを越えてローマに攻め込んだと一緒で,帰ることも補給することも考えない(或は別にあるとして)珍事として歴史に残る。古今この種の人間は数多い。

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2008年7月 4日 (金)

帰心矢のごとし

7月4日(金)晴
予報ががらっと変わってしばらくいい天気がつづくらしい。
梅雨がそんなに早く明けるとも思われないので怪しいものではあるが。

あまり食欲が無いのでうどんを食いに天霧に行く。帰りにスーパーでちょっぴり買い物。
午後はときどき目が舞いそうな暑い日射しが注ぎ込む。
下着一枚で扇風機でしのぶ。四国は梅雨が明けたんだってという。家内がこの夏は暑くなりそうだよと嘆き節。
老人にはたまんないねえ!

暗くなるにつれてまた怪しくなる。

並木さんが見せてくれた入山隊の陣中日誌によれば、いつも最後尾を行く筈だったわが隊が,揚子江遡江の際は1週間も先に武昌に入っている。逆に下るときは,入山隊は10日も早く12日で下り,私の隊は16日もかかっている。軍のいや部隊のやり方はわからないね。久田副官が生きて居る間に聞いておけば良かったと悔いるがもう遅過ぎる。

彼とは生きて行くのに忙しくて会うことは一度もなかった。僅か40キロの所に住んでいたのに。

部隊を動かすことがそんなにやさしいことではないことがよくわかる。
そういえば、私の元いた部隊は武昌から鉄道を利用して上海に出たと言ってたっけ。
大きな国の事だからなんでもありということか。
思い返して見ると,帰心矢の如しで自分のことしか考えなかったなあ。

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2008年7月 5日 (土)

温暖化

7月5日(土)雨
朝5時半、ゴーット突如地鳴りのように降り出した雨に驚き目覚める。跳ね起きて開いてる窓を閉めて廻る。
一瞬梅雨の終わりを告げる雨だなと思う。
10分もしないうちに静かになる。
7時新聞を取りに出る。ぽつりぽつりと落ちてるだけ。
新聞は濡れてない,配達直後かもしれない。
8時FINDの塔屋と天神山それに半分かぶさった10階建てのビルが南方の白い空を背景に影絵となり黒く立ち並ぶ。
島影一つ見えない。今日も予報は当らないな。

並木さんのメールで佐藤七三夫曹長のメモをいただく。「賀勝橋雑話」とある。賀勝橋界隈のわが捕虜たちの動きがよくわかる。中国民衆 との交流も面白かったな。そんなこともあったなと思い出す。
この人はどうしてか名前だけはよく知っている。

サミットが間もなく開かれる。地球温暖化対策が目玉だろうという。
アメリカや中国,インドはあまり本気ではない。温暖化で氷が解け海が広がっても、何も関係ないし却って都合がいいと考えてる節がある。ロシア、カナダは凍土が無くなり、海洋資源開発が出来ると喜んでいる。一番騒いでいるのは水没国である。

邪険な様でも水没国の人間を移住さすことを先ず考えるべきだと思う。人口が増え続けている以上炭酸ガスは増える一方である。人口に対応して植物を植え砂漠を無くすことを世界を挙げて努力する。
しかしいづれ飽和点が来る。人口減少対策は免れ得ないだろう。しんどいことだが生存年齢制限も必要だろう。
姥捨て山の原理が再燃するだろう。温暖化の根源を止めない限り止まることはないと知るべきである。

あと何世紀人類の繁栄が続くだろうか?経済的繁栄を考える限り人類の存続はもう永くない。

今日時々ハガキや年賀状をくれる川崎市在住の戦友三好信雄君(90歳)に並木軍曹の事で照会のハガキを書く。いらんことだが、暇があまってるからこのくらいの事はしないと日が経たない。記憶力が確かなので並木さんのことを憶えているかもしれない。

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2008年7月 6日 (日)

お腹の中にいる曾孫

7月6日(日)曇
雨は降らないが、昨日と同じ朝風景。梅雨去らず。24度。暑くなるどとの予感。

郵便局に行ったついでに,市立図書館に行く。10時かららしく暫く待たされる。結局借りたい本がなく手ぶらで帰る。
午後1時過ぎ雅博さん夫婦が来宅。家内にお中元をくれたらしい。毎年の習わしみたいである。
いくらでも世間話は出て来る。
孫の胎児の目方が2450グラムになったいう。生まれて来る前から計れるのだそうだ。おどろく。
3時にはよる所があると帰って行く。

午後になるとすっかり猛暑。九州、山口県は梅雨明けという。隣市との間に高い壁がある訳ではないので、こちらも限りなく梅雨明けに近いということになる。
雲は多いが熱射は物ともせず地上に降り注ぐ。我が家の寒暖計は只今32度。

子供等は元気そうだが、こちらはやはりうんざりである。
午後3時青空が点々と覗き、沖の島々も一斉に姿を現す。この分ならこの辺りも梅雨明け間近しということか。

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2008年7月 7日 (月)

戦友会

7月7日(月)曇
高曇り、雲間からは暑い日光がこぼれる。島影はいつも通りまるで見えない。曇天としか言いようが無い。
しかし朝早くから今日は暑そうだぞと身構えざるを得ない。

アルパークに出かける。久しぶりにざるそばを食う。買い物を少しして帰る。
温度は33度に跳ね上がる。こう暑いと人出もすくない。

並木さん法事に故郷に帰ったついでに亡父の記録を捜したらしい。熱心だなあ!
何事もこうして熱心な人がいて後世に文物が伝えられるということだ。

ふと昔を思い出して小林六郎さんの奥さんに近くに(同じ千葉県)こういう元部下の人の後継者がいるよと連絡しようと昔来た手紙を捜してみたが、もうあれから12年経っていた。あまりにもと思って止めてしまった。当時80歳といわれてたのだからなあ!
川崎に第4中隊の兵隊だった三好信雄さんが未だ元気で今年も年賀状をくれた(90歳と書いていた)ので、第1中隊の並木茂重軍曹を知ってるかと書いて現在の消息を質し、こちらはハガキにして投函した。

私の隊の兵隊や下士官でちょいちょい手紙をくれた人が何人もいたが2、3年前までに皆亡くなってしまった。
第3中隊長だった恒吉さんも、通信が途切れてからもう10年近くなる。

そういえば各中隊ごとに同窓会みたいなものがあって10年くらい前までは皆会合を開いていたらしいが,自然に消滅してしまった様だ。私の隊の会合も世話人の犬養君が死んでそのままなくなったから未だ早かった。元総理大臣の孫などという大物世話人がいると、亡くなると途端に火が消える状態になる、自然の理だな。
この戦友会は後継者がいないのだから、学校の同窓会の様に永続するというわけには行かない。

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2008年7月 8日 (火)

写真はしっかり眺めたが

7月8日(火)
朝6時、東の空から赤い光が西の山まで奇麗に行き渡っている。
沖合いはいつものように霞の中。
こんなに明るくては寝てもおられない。部屋の中はもう29度。

食事を済ませて,暫く寝る。だんだん毎日の習慣になりそうだ。
今朝の新聞を見ると,大阪道頓堀の「くいだおれ」が閉店するとある。60年というのだからそれほど古い暖簾でもなかったのだなと思う。それでも大阪にたまに行けば気軽に覗いたものだった。わかりやすかったとうことかな。
家内も1,2度行ってる筈だから話題があう。

並木さんが亡父の軍隊時代の写真を見つけたと言って,3枚程コピーして送って来られた。
60年以上の前のことだからどう考えても思い出し難い。
正直にそのように返事を差し上げておく。

ただ逆に私をだったら、お父上も知って居られたであろう。部隊行事に何時も顔を出していたし,ソ連情勢講演も何度かした覚えが有る。
現に第4中隊の三好信雄上等兵はわざわざ私の検査の時する癖まで捉えた話しを書いて送って来たりしている。この正月にも年賀状に趙冰夫妻を長沙まで私がつれて帰ったが、その後どうなっただろうかと心配までして。趙冰夫妻の南京護送の段取りを作ったのは自分と犬養伍長だったという。

憶えているならやはり何か具体的な証拠がないとなあ。

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2008年7月 9日 (水)

宙に消えた2年間の戦場写真記録

7月9日(水)晴
広島総合病院に行く日。家内が3年ばかり前診察を受けた鼻炎が又悪くなったからと一緒に出かける。
私はいつも通りの順番で早く終ったので,家内を置いて先に帰宅する。患者が多いから昼まで掛かるだろう。

外は朝早くからかんかん照り。梅雨はもう終ったのではないかなあ。

12時をちょっと過ぎたところで家内は帰って来る。あまり変わったことはなかったらしいが結局昔ながらの薬を貰って帰る。全然同じ薬を。

並木さんまたまた今度は戦後30年も経って撮られた部隊の記念写真を送ってくれたが、これまたまるで分からない。
歳月は留まることはない。様変わりは人相にも当てはまるようだ。30年も経つと一緒に過ごしたもの同士でも分からない事は多い筈だ。
やむを得んな。

金沢の加藤鏡兒主計中尉からも問い合わせは有り難かったが、私と河田曹長以外はもう憶えていないという。
どうやら憶えている私が異質に属するのかもしれない。

今度の事で思い出したことがある。私は満洲を出発する直前に材料廠長に任ぜられた。
前任の内藤中尉は更迭と同時に満期除隊した。彼はなかなか多芸な人で、日本舞踊の名取りでもあり、日本劇場ダンシングチームの技術指導までしたと聞く。カメラ好きで橘というプロの人に個人的に指導してもらったりされていた。
私もその御蔭でその後終戦を迎えるまで、満洲,支那で取りまくった。そして最後までフィルムや現像の為の薬品什器などを車に乗せて持ち歩いたので、暇を見ては兵隊の助けを借りて現像して、蓄え置き帰国の日を待った。

残念ながら軍命で最後の中国軍の検査の時全部強制提出させられ、日本に持ち帰ることは只の一品も出来なかった。
随分がっかりしたもんだ。その裏返しが私に「私の軍隊生活」を書かさせた動機になったとも言えるだろう。

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2008年7月10日 (木)

iPhone気になる

7月10日(木)晴
朝は適当に涼しい。だが、日中は暑くなりそうだ。
午後になってももやって島影はうすぼんやりしている。いかにも湿度が高そうである。

どこかえ出かけてみようかと思ったが外の気温が結構暑いので止めにする。
熱射病にでもやられたのでは割にあわないから。

昼寝してると左足のつま先が掛け布団に引っかかって様子がおかしい。よく見ると爪が縦に割れている、しかも血がにじんでいる。知らぬ間にどこかでつまづいたらしい。
早速バンドエイドで巻いて,その上をテープでしっかり巻いておく。今晩は風呂は駄目かな。

午後3時頃になると涼しい風が起り,窓から吹き込んで来て南から北へ吹き抜ける。ああ,快なるかな!

明日の午前7時からの発売というのに,ソフトバンクの店の前にはiPhoneを買う客が今朝から並び始めているとか。
どうなることやら。

いい天気になったはいいが、夏蜜柑の木が心配で夕方には水を差す。忘れていると家内が差す。やっぱり気になるんだなあ。この老人共の口に入るかどうか分かりもしないのに。いくらか大きくなった実が大分ついていたがだんだん落ちて、もういくらもない。

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2008年7月11日 (金)

とうとう都心に出かけた

7月11日(金)曇
iPhoneの売り出しフィーバーはやはり凄い。世界的な話題になりそうだ。やっとここに来てアップルの底力が日本でも認識されて来たというべきか。

野次馬根性が少し出て、広島まで出て,iPhoneの店を覗いて見ようかと思う。
空がちょっとあやしい。うすら黒い雲が灰色の雲に重なって動いている。パソコンで此の街の天気予報を見ると、18時が降水量1mmとなったる他は0mmなのだが、窓は南側だけ閉めて出ることにする。

どうやらネットの予報は当っているらしく、午後4時現在1滴も落ちて来ない。広島まで出て中心地を3時間うろうろする。そごうで2時間、デオデオで1時間分の買い物をして,駐車料を只にする。
食事は郵便局の2階で済ます。

やっぱり人が多いなあ!すっかり疲れる。
帰宅してから、扇風機のとりつけ、頭の上に小型の扇風機を取り付ける。けっこう一仕事。
ごそごそしてる間に肘の付近をドアの角でこすって,皮膚がぺろっとめくれてしまう。大して痛くはないが出血がひどくてただならぬ模様。バンドエイド3枚を重ねて防ぐ。また風呂に入れなくなった。
皮膚がくっつくまで最低1週間はかかるからなあ。

デオデオではまさにアップルフィーバー。でかでかとiPodの宣伝が1階の入口から目につく。
iPhoneは目下整理券を渡しているから、12時を過ぎて来いと言われる。いつか又の便にすることにする。

午後4時内藤内科に行く。脈拍数76と診察書に書き組まれる。脈拍回数を減らす薬を飲まされてるのに多いのかもしれない。血圧もいい,不整脈もない、悪い所はないね。ぼつぼつ行こうとのこと。

水戸君からメールをいただく。本間君の妹さん,妙子さんと云われたのか。土産のお礼とお供えまで送ってくれたのか、よく其処まで気がついてやってくれた。面目が立ってうれしいよ。ありがとう。
藤澤本だぶらさない様に気をつけています。
目下文庫本24冊と全集1巻、2巻だけです。
マイ ブログを読んでもらっているし,二重になると面倒なのでメールは書きませんよ。

並木さんも長いメールありがとう。とうとう叔父さんまで巻き込んじゃったようですね。
小林さんもあの世で喜んでいるでしょう。

今日の日記手紙の様な日記の様な変なことになりました。その他多勢のかたお許しください。
(最近は此のブログを覗いてくださる方毎日平均30名、6月にはとうとう45名になりました。多い日には百名を越えます、なんだか恐ろしくなります)

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2008年7月12日 (土)

思い出した幼児の頃

7月12日(土)晴
いい天気、午後からは曇の予報だが。暑くなるぞー。
朝飯を食べると,眠くなり9時頃までは快適に眠れる。極楽だな!

海の側を走る大島に行って、海水でも浴びて来ようかと家内に言ったががことわられる。
高曇りの空からだが,夏の太陽はものともせずに照りつける。

昨日内藤内科に行って先生に何処も悪くないなと云われて、何となく家族に悪いなという感じに捕われて帰宅した。
生来虚弱だった私が既に母の年齢を超えた。

思えば此の広島の地は、私の幼児の頃病気がちだった身体を憂いて、今は無いが遠路を草津地蔵(草津電車駅を下りて山路を可成り歩いて超え,沢山の参詣客が行き来していたのに今はない,何故だか分からない)に何度もつれて参ってくれた。また八木の里に名医があると聞いて一日がかりで私の手を引いて訪れたりしたことがある。私が5歳の頃だ。
その帰り横川駅で待ち時間が1時間以上あると云って,歩いて途中道案内を乞いながら1時間掛けて己斐駅まで歩いたことがある。「お母さん,今日はよく人に道を聞いたね」と私がいったそうな。母の後年の一口話でよく聞いた。
小学校に入っても1年生は2学期しか行かなかった。頭が痛いと言って行かなかったらしい。

そもそも母の信心深さはこの頃発生したものらしい。神仏を信じ、神仏参りは生涯熱心であった。
家から半里くらいのところに桜地蔵というのがいまでもあるが、生涯毎朝早く欠かさずお参りしていた。
が大してお功徳をいただいたようには思えなかった。弟が5歳で死んだり、後に家を爆撃で失ったり、父が死ぬと息子の不始末で財産を失ったりと、却って不幸が連続して起きた。神仏は決して助けては呉れなかった。その反動で私の不信心が出来上がったのかも知れない。

今となっては私がどうしてこんなに永く生きられたかわからない。
いくらでも命を失う場面に際会したのに。また帰国直前には南京で肺結核のため血を吐いたりしたのに。
不幸、不運には次々襲われた。幸運な人生だったとは思わない。しかし終りよければすべて好しとも思う。曲がりなりに永く生きたなあ!

夕6時、空一面暗く予報通り。

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2008年7月14日 (月)

後世への資料となるか

7月13日(日)曇
すごいもや!沖合い何も見えず。
この分ではいずれ何日振りかの雨になるだろう。
もっとも予報では、今日は一滴も降らず,明日午後雨ということにはなってるのだが。

今日から.MacがMobileMeに変更され機能アップするとアップルから通知が入る。
とても使い切れない性能アップだが、iPhoneの発売へ向けてインターネット制覇への野望の一環らしい。

家内が広島のそごうに行くというから、送りがてらに楽々園まで行く。スーパーで食料など買い物を済ませ,電車駅まで行って送り出す。
先日そごうで買って来たものが気に入らないで交換してもらうのだそうだ。よくあることだから別に驚きはしない。
夕方までは帰って来ないだろう。

予報通り12時前後はかんかん照り。
午后2時過ぎ家内帰宅。高曇りながら日射衰えず。

7月14日(月)晴後曇
いい天気の朝。気温25度。昼過ぎ曇って来て沖合いはまた霞む。

先日取り付けた扇風機の風向きがよくない。
気に入らないので発心してまた一仕事。若いときなら30分ぐらいで済むものを、先だっても怪我をしたので用心しながらやる。ついでにスピーカーの位置も少しいじらねばならない。腕力がなくなっているからこれが結構難しい。
箱の四方に取っ手をつけて、横向けに壁に取り付けることになる。人に見せる訳でないからいいかというわけ。
音の具合は一向に変わらないし悪くない。後片付けして、とうとう3時間かかってしまった。
ひとえにモータードリルのおかげ、これでも早く終ることが出来た。

私のブログなど参考にしていただいて、ご尊父の履歴の資料にされ、懇切な礼状をくださった並木さんにお礼のメールを送っておく。少しでも役立ったことがうれしい。

細かいことならまだまだ書き残すことはある筈だ。記憶が確かな限り書き残すつもりだ。今となっては子孫でけでなく後世に役立つ僥倖を願うのみである。

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2008年7月15日 (火)

安物買いの銭失い

7月15日(火)曇
昨晩付け直した扇風機が大きな音を立てて止まった。どうしたのか起きて見ると羽が抜け落ちている。
やれやれ。朝5時半、もう薄明るくはなっている。明けて見るとまことに簡単に軸に差し込んであるだけ。
いじくってるうちに緩んだのかも知れない。説明書にはなんにも書いていない。想像外のことなのかもしれない。
元通りとりつける。しばらく稼働させたが異常はない。変だなあ、

パソコンも変になってては困るからスイッチオン。こちらは何ともない。
もう室内温度30度。今日も暑くなりそうだ。

午前中の昼寝を終って起きると早速CDを掛ける。グリーグのピアノ協奏曲がよい。演奏者リヒテル。ピアノタッチが素晴らしい。何時聞いてもいいなあ。暫く聞き惚れながらこれを書く、

午後4時過ぎ雷鳴しきり、4時半とうとう降り始める。1時間可成り降る。庭木には正に旱天の慈雨。
猛暑も雨の後はすっかり暑気を失って涼しくなる。

夕方扇風機また羽が飛ぶ。どうもこの扇風機はしたに向けると羽が軸から滑り出るらしい。
もともと座敷の水平の場所で使うもので、用法が間違ってたらしい。えらく安いと思ったよ。

夜木元自動車から車検の案内電話が入る。23日にやってもらうことにする、
こんなことでも日記に付けておくと忘れずに済む。何でもないことだが結構忘れるんだなあ。

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2008年7月16日 (水)

鵜飼と錦帯橋

7月16日(水)晴
朝早くから久しぶりに見る青空。紺青とは云えないが,白っぽい青空。空とは面白いね。
太陽が上がると同時にどんどん気温も上がる。6時半24度だったのがもう9時30度。

芳邦さんから父13回忌法事に何人来るかと確認の電話。二人で10時半に行くと答えておく。

2、3日前テレビで錦帯橋が写し出されていた、主題はうがいの話である。夜だけでなく昼も観光客相手にやってみせるのである。鵜は昼夜兼行はひど過ぎると思っているかも知れないが。
私は終始背景の5橋をじっと見ていた。
なんと美しい橋だろう。つい最近世界遺産のうわさも飛び始めた。

昭和の初め、私は橋向うの中学校に入校した。1里の道を雨の日も雪の日も歩いて通った。此の橋を行き帰り必ず渡らなければならない。簡単に、走れば時間に間に合うという訳には行かない。それでも元気な奴は走って渡りきるものもいるにはいた。虚弱だった私にはとても無理だった。短縮不可能な5分間だった。
冬の寒稽古の日など、橋のたもとに来て今日は遅れたと覚悟させられたことが何度かあった。
霜や氷は特にこわかった。厳しい制裁を甘んじて受けなければならなかった。

当時はこんな面倒な橋なければいいのにと思ったものだ。
しかしこんな考えはごく些細な瞬間の感情の変転に過ぎなかった。いつも天下の名橋ここにありと胸をはったものである。
80年近く経つと、今日までの橋の栄枯盛衰を思わずにはいられない。キジア台風で流されて何年間か無くなったこともあった。自分のことの如く残念で情けなかった。

最近は年に何度か、それでも先祖の墓参りよりは数多く訪ねる。此の付近を散策するときのこころのやすらぎは無上のものである。故郷の象徴と言ってよい。Ryusitu007Kintaikyoimg_0986

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2008年7月17日 (木)

老化が進むなあ

7月17日(木)曇
昨日梅雨明け宣言が出る。雨が降り出して梅雨が終るのも妙だが、広い地域を見ての判断だろうから文句をいうつもりはない。

今朝気がつくと右手小指の付け根横に直径3ミリくらいの気泡というか水泡というか、堅く飛び出ている。痛くも痒くもないが何となく不気味である。とりあえず副腎皮質軟膏を塗り付けておく。
大分前にも左手の指の股に出来て痒くて仕方がなかったことがあった。医者に聞いてもわからんだろうからとほっておいたが、こちらはそのうち自然になくなった。
こんどのは一回り大きいが痒くも何ともない。何十年生きても訳のわからんことが起きる。不思議なもんだね。

私の左の腋の下に柔らかいこぶがひとつぶらさがっている。童話のこぶとりじいさんのそれと(あれはほっぺただが)そっくりの形をしている。もっとも大きさはうんと小さく2、3センチというところだ。医者に見せても取れともなんともいってくれない。
根元は糸のように小さくなってぶらさがっているのだが、神経は無さそうだが,血管は通っているらしい。
不思議な生き物の様な気がしてときどき覗いてみたりする。家内もときどき眺めてけったいなといった顔をする。
医者が取ってくれないなら仕方がないから焼き場まで同道する以外にない。

必要でないのにこんなこぶがついているかと思うと、おちんこは永年使わないと年々小さく縮まり、最近では所在がわからないくらい。小便を出す時に実に困る。しっかり捕まえて出さないとズボンの口を濡らしてしまう。
女がする様にしゃがんですると、不思議に今度は小便が出ない。出るは大便ばかり。習性は恐ろしい。
家内は立ち上がる時うっかりすると洩すことがあると云うが,お互い様で顕著に具現化する老化現象に我ながら呆れる今日この頃である。

夕方家内にいわれて先だって倒した桃ノ木を裁断するべく出しゃばると早速ヤブ蚊の大群に集中攻撃される。見る見るうちに赤く腫れ上がって痒くてどうにもならない。早々に退散。老人の出る幕はここにもなさそうだ。

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2008年7月19日 (土)

舅の13回忌

7月18日(金)晴
朝5時半、室内温度30度、昨夜は予報に反して一滴の雨も降らなかった模様。
蒸し暑くてとても寝床に入ってはおられない。
6時半26度,高曇り青天は見えざるも、日射強し。

昨日の右手の気泡跡形もなくなっっている。いや少し跡が赤く堅くなっている。なんだったのだろう。
ドアでこすって剥けたところまだ治らない。
今朝昨日の続きで木の枝の整理をしていたところ転んで2カ所皮膚が擦り剥ける。全く情けない。
こんなに身体の安定が悪くなるとは思わなかった。
自信喪失もいいところだ。用心が足りないことも自覚する必要があるようだ。

明日の法事に行く準備をしなければならない。家内がいろいろ喪服をひっぱりだしてくる。此の暑さにと思うが仕方がない。13回忌だから喪服は要らないのではと思うが、他に着ることがないのだから,使えばいいという。
しかしいかにも暑ぐるしいなあ。
香典袋の準備もいい加減ではいけない。

7月19日(土)晴後雨
朝26度と昨日と全く同じ。
こんな日に法事とはやれんなと思いながらも、此の暑い盛りに逝った舅の痩せさらばえた姿が思い浮かぶ。
実父とは縁の薄かった私だが、この父とは逆に実父との関係を埋めて呉れた以上に随分世話になった。
事業の倒産、一家の破滅など手を差し伸べて危機を救ってくれた。
私の最後の事業が軌道に乗り始めた頃からは、万博大阪大会をはじめ各地をよくつれ歩いて、旧恩を謝すると共に,同じ趣味の旅の空を楽しんだ。いい親父だったし,いい話し相手であった。

1992年3月倒れて腰骨を折るという大怪我になり、90歳を過ぎての怪我だからと手術を躊躇し、そのまま寝たきりの生活となってしまった。あちこちの病院を転々としたがそれが良かったか悪かったか、最後は自宅で子供等数人が代わる代わる世話をして、1996年8月最大の看病人だった母が倒れて入院するにいたり、遂に寿命が尽きたのであった。享年95歳だった。
最後までよく分かりよく話し、終わりは自分の意思で全うしたと思っている。刺身が好きで三度三度食べても飽きなかったが,最後はもう食欲がなくなっていた。

午前11時すぎ予定よりやや遅れてスタート。
光福寺の和尚の読経に声を会わせて経を読み身内のものだけの行事は無事終る。
食事の後2時間ばかり久方ぶりの語らいに賑やかにすぎる。
室木に立ち寄る用事があって、私達がまず3時に席を立つ。
幸雄たちと田丸の新盆の対処について打ち合わせる。
16時雨の中を帰宅。こちらは久しぶりのいい潤いだったようだ。

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2008年7月21日 (月)

猛暑が続く

7月20日(日)晴
今朝も同じ26度。すっかり定着した感じ。
昨日法事のため疲れて、テレビも見る暇はなかったので、今朝の新聞で宮島の管弦祭の盛況を知る。地元とあってももう見物の機会はなかろう。90歳老人の出る幕はない筈だ。
一昨日庭木の間にふらふらとバランスを失って倒れたのは何といっても大きなショックだった。
昨日は運転にも影響がありはしないかと心配だったが、こちらは何の懸念もなかった。

暑くなると身体が楽に動かせるからと思っていたが、暑いということはやはり大変なことだなと思えて来た。すごい消耗が伴うものだと。

午前11時猛暑の中を買い物に出かけたが,流石にスーパーは客足が少ない。
海にでも出かけたのであろうか。

掌の端に水泡が沢山出来る。なんでだろう理解出来ない。ちょっと痒いけど。

大洲市では38.2度まで上がるなど,全国的の猛暑がつづいた。
水の事故も多く全国で14人水死したとのこと。

7月21日(月)曇
また26度の夜明け。
相変わらずの日が続く。
水泡が手のひらのはしに繋がって沢山出来た。
なんのことかよくわからない。何らかの病気の予兆かも知れない。
少し痒いだけでそれ自体は何でもないからいいのだが、家内に話してもわからないという。
医者に行くのは大分先の事だしちょっと困るなあ。
”たそがれ清兵衛”のビデオを見たり、クラシックのDVDを聞いたり漫然と時間を過ごす。
下手に動くと暑くてどうしようもないし。

昼は結びにしてくれる。なんとなしに食いやすい。家内もそうらしいから都合が良い。

暑過ぎて寝心地も悪いし身体を持て余す。クーラーを掛けると少しは調子がいいが、すぐ寒くなり過ぎてまた調子がわるくなる。
昼中の扇風機は風の温度が高過ぎて案配が悪い。難しいもんだ。
やっぱりシャワーが一番いいな。

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2008年7月23日 (水)

又又乾癬悪化

7月22日(火)曇
水泡が大きくなり広がる。腕の傷も腫れて来た。何か関連があるのかもしれない。
せいこう外科に行き治療を受ける。当分毎日通うことになる。やはり化膿の懸念があるらしく、化膿止めをくれる。
水泡はなんのためか分からないと、皮膚科でない医者先生は正直にご回答くださる。

広島県の高校野球は昨年同様広陵と総合技術の優勝争となる。珍しいことではないかな。

終日昨日と同じ轍を踏んだ高曇りの、太陽の顔も見えず蒸し暑い一日となった。

7月23日(水)曇
朝6時すでに部屋の温度32度。
寝床を離れると寝間着を脱いだままの生活になる。しょっちゅう怪我をしているのもこれではしかたがないということか。

車の車検を受けるため購入先の木元自動車に持って行く。先に市役所に行って納税証明書を貰い、木元に行ったのだが早過ぎて店が開いていない。20分ぐらい待たされる。代車を貸してくれたので、それで医者やスーパーや食事にも行く。

持病の乾癬がどうやらぶり返したらしい。手の水泡もその先走りかも知れない。
この暑いのにと腹立たしいが仕方がない。2、3ヶ月いかにも治ったかのごとく思えたのだが、やはりこの病気は決して治らないことを思い知らさせる。
小さな発疹が全身に発生し痒くてたまらない。やはりこの身を滅ぼさなければ治らないか。

広陵対総合技術の決勝戦は凄い点取り合戦となった。5回までに9-2とリードしたのは総合技術だった。創部3年のこの新興チームの上げ潮ぶりには全く驚かされた。しかし伝統に培われた流石の広陵一挙7点を奪って追いつき,総合技術の守備の乱れに乗じて勝ち越し、最後は何度も手にした優勝旗を2年連続して獲得することになった。
しかし大量得点を許すなど投手力の弱さは全国ではとても通用しないだろうし、昨年の準優勝の域にはとても到達出来ないだろう。

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2008年7月24日 (木)

今年の車検

7月24日(木)晴
珍しく青空の天気、白で薄められてはいるが。
日はかんかんと刺す様に照りつける。

木元から再三費用が追加されると言って来る。買ってから10年になる車だからしかたがないか。乗車キロ数はまだ4万に達していないのだが、耐用年数というのがあって、どうもね。
あと何年も生きられるなら,新車と買い換えてもいいのだが、こればかりは賭けのようなものだから、決心次第という訳になる。

後は私が貰うと手を挙げるのがいれば一番いいのだが、期限を付けられてもね。
考えて見ると俺はずるい男だなあ。しゃあんとしろ!
パワーステアリングが狂いかけてるともいって来ているのだが、これは今回でなくてもいいという。やれば12万円かかるよし。
やっぱり後1年の寿命といったところかな。

昨夜夜中に青森岩手にマグニチュ-ド6.8の大地震が発生。先月の場所の少し北になる。
連続しての大地震に全く気の毒としか言いようがない。
神のいたずらは公平ではないからな。
そのうえ大雨になってるらしい。こちらでは猛暑続きで雨の一粒も欲しいのにまったくいじわるだ。

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2008年7月25日 (金)

蝉の鳴き声

7月25日(金)晴
いつものように灰色の空だが,天気は上々らしい。また昼中あついぞおー。
今日車検が終わるらしい。昨日連絡があった由何時かはわからない。

あまり気に留めていなかったが、早朝から蝉の鳴き声が激しい。いつから鳴き始めたのか気がつかなかった。夏の風物詩で書き落とす訳にはいかない。

腕の傷の回りが今朝起きた時には赤く腫れていた。8時現在元通りなんでもなくなっている。
昨日もお医者が傷の回りがえらく腫れてるなあと首をかしげていたが、夜家内も背中の傷の回りがえらく赤くなっているといっていた。抗生物質の薬はちゃんと毎日3回呑んでいるのだから、俺は知らないよ。

車検代金は現金でとのことで、銀行に廻り金を出す。ATMが故障していて30分ぐらい浪費する。
郵便局に廻り孫たちに盆小遣いを送ってやる。
それから木元に行く。支払いをすませ、修理箇所などの説明を聞く。
帰路宮内のビッグに廻り買い物をする。自動車の調子はやはり良い。

今室内温度は34度。上半身裸でパソコんを打っている。外は正に燃えている。
打ち終わると早速シャワーという段取り。

一寝入りして起きると5時半。やや涼しい風が吹き込む。テラスは隣の家の蔭。
宮島は姿を見せてはいるが,沖合いはもやで見えない。いつもこれだから。

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2008年7月26日 (土)

第一曾孫は女子か

7月26日(土)晴
朝早くから日射しが強い。外気温27度、室内32度。息苦しい一日になりそうだ。
出産準備のため雅代は大分前から親元に帰っているらしいが、家内は見舞に行きたいが暑くてどうにもならないという。車が上がって来たし、送迎してやるか。

先に傷の手当に外科に出かける。
大分良くなったがまだ時間がかかるらしい。水が入らぬ様に皮膜を貼ってくれる。

デパートで果物を買って,井上に行く。
雅代は大きなお腹を惜しげもなく出して,初めて母になる喜びに沸き立っている様な明るい顔で迎えてくれる。男には出来ない芸当なのだから、ただ唖然と眺めているしかない。
予定日は来月の16日という。頗る元気そうなのがよい。
女の子と決まった曾孫、まもなく元気な呱々の声が聞かれる。あに楽しからざらんや。

このマンションも最近から1時間¥100.の駐車コーナーを設けてくれたので出かけやすくなった。

午後になると青空が張り出し、珍しく空気が澄んで遠くの島々がはっきり見える。
暑くてもこの方がええ。
防水シールを貼ってくれたので安心して、午後4時2度目のシャワーを浴びる。

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2008年7月27日 (日)

アルゼンチン蟻

7月27日(日)曇
朝、雲も多いが、青空も見える。奇妙な日和だ。水滴があちこちみえるから、小雨でも降ったかも知れない。そういえば、白雲の中に黒雲も点在する。
予報では雷の発生を予告しているから、夕立になるのかもしれない。

この地方名物のアルゼンチン蟻らしく小さいのが部屋の中までうろちょろする。
蒲団の中まで入って来て、ぴくっと刺す。結構痛い。
大急ぎで殺虫剤を取り出し,部屋への侵入口を見つけて一網打尽にする。
取りあえずは片付いたが油断はならない。侵入口を替えて来るかも知れない。
最近は蚊の心配はほとんど無くなったが、毎年梅雨頃から蟻が大変だ。
お負けにここ数年来アルゼンチンまで加わったのだから。

午前十時すっかり雨雲に空は覆われる。しかしなかなか降っては来ない。
家内は曇の合間に庭いじりに精出し汗びっしょり。まだ痛い痛い言っても元気だ。

午後青空になって上々の天気、風も強く吹いてときどき涼しくなる。
全く分けの分からない天気。
5時半青天井の空、夕日が西の空に入って行く。海の彼方には白い入道雲。
午後6時凄い夕凪、そよとも風はない。滲み出る汗、室内温34度。湿度55%。

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2008年7月28日 (月)

歴史と記録

7月28日(月)晴後雨
今日は忙しいぞー。医者2カ所に行かねばならない。この暑いのに。

今ラジオからトーランドットから誰も寝てはならぬをやっている。
歌手はポール・ボッツというイギリスのテノール歌手だそうだ。いいなあ!
先のオリンピックの女子フィギュアで優勝したバックミュージックを思い出す。
現在の世界三大歌手の迫力はないが、3百万枚売れてるというのだから,今絶頂の歌い手なのだろう。

午前十時せいこうに怪我の治療にいってくる。もう少しだと言う。もう風呂にも入れるから心配ない。

ふと思い立って復員直後の日記を読み返す。
「昭和21年6月24日(月)曇時々晴
例の如く爆弾の穴埋め。10日前よりは自分乍ら驚く程馬力が出る。南京で吐いた血の思い出も心の隅には残っているけれど、何だか働く楽しさ、健康さに病気どころではないといった感じだ。
約10ヶ月間の俘虜生活は確かに心身に非常なる影響ー衰弱ーを齎した。後一月も永かったら、病人が多発したであろうのみならず、自分自身も参っていたかも知れないと云った感じが深い。
何事もそうである様に、時間が経つと昔の苦しみが却って楽しく思い出される如く、今度の場合もそうだ。お先真っ暗な場面に逢着した事も二度や三度ではなかったんだが。
岩国駅で別れた旧部下、戦友たちよりも、続々と手紙を頂戴する。返事も機を失せず出す様にしている。確実を期する為、一々貰った手紙にチェックをし乍ら。」

上記の様に沢山の戦友たちからの手紙をいただいたのだが、家を爆撃で失って掘建て小屋の様な小さいうちでの生活で、これらの手紙を保存する場所などなかった。返事を書いた後はすぐ廃棄してしまったらしい。

保存するか記録するかしていたら、随分やくに立つのだろうが、覆水盆に帰らず仕方がない。

午後1時過ぎ突如ザーザーと大きな音を立てて降り始める。あわてて洗濯物を入れる。ちょっと遅かった。夏布団が重くなっている。
10分もすると雷鳴も轟き始める。
3時頃まで小降りになっても雨は続いたので大分降ったのであろう。丁度昼寝の時間だったから詳しくはわからない。3時半には西の空は明るくなり日射しも戻ったが,幾分涼しくなった。

午後4時内藤内科に行く。今日は心電図を撮られる。その結果投薬量が一部減らされる。改善されたということか。先生がさっきの雨は何ミリ降ったかと問うから10ミリぐらいでしょうというと、いや23ミリだという。自宅に雨量計を備えているそうだ。やはり並の先生ではないなと感心する。

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2008年7月29日 (火)

戦場の暑さ

7月29日(火)晴
夏の空とはこんなのを云うのだろう。青空にてんてんと白い雲、そしてかんかんと照る太陽。
海の彼方には入道雲と行きたいのだが、あいにく今日は霞んで海は見えない。

家内が食事を作りたくないと言うから,デパートに行って食って来よういうことになり天満屋に出かける。2時間ばかりうろうろして帰る。客が少なくて老人は助かった。
帰宅して見るとその暑いこと、もう少しデパートで過ごすのだったと苦情も後の祭り。

こんなに暑くなるととかく戦場(湘桂作戦)で敵と戦う以上に日々苦闘したことが思い出される。
もちろん後方部隊だから目前に敵の姿をみることは極めて稀だったが、居るかも知れんと言う予測は絶えずしているわけだから、現実にいなくても、こちらの行動態様は変わらない。
まして現実に空からの攻撃は日に3度以上あるのだから、油断など出来る筈もない。

汗まみれ,垢まみれ、は当然として、湯水に浸かることなど連日出来無いのだから、皮膚病にはまもなくやられた。一番困ったのは水虫だった。とうとう歩けなくなった。
軍医に痛い薬をもらったが、なかなか治りはしない。
靴は履けなくなり、自動車部隊だから出来るだけ地上に降りない様にするほかなかった。
それでも運転する兵隊の御蔭で前進出来たのだから有り難かった。

長沙に着いたらまもなく赤痢にやられ、生死の境を彷徨した。隊長と言う特権があったからこそ、当時最高の治療を受け(グアニジンという特効薬の投与を受けた-新薬だったっらしい)戦病死を免れた。軍医の弁ではすでに危篤状態だったという。
長沙に置いて行かれ、1ヶ月近く部隊に遅れ,敵のB24の大編隊の空爆にあったが、至近弾は受けたが直撃は受けなかった。運がよかったとしか言いようがない。

しかしこんな体験も前線を戦い行く歩兵部隊などに聞かれたら,あざけり笑われることだろう。
死の確率50%以上の部隊はざらにあった。

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2008年7月31日 (木)

夕立が救い

7月30日(水)晴
早朝からガンガンと照りつける。
MacFanの年間購読料を郵便局に行き払い込む。
その足でせいこうへ行き怪我の治療、腕は治ったからよし、背中だけ継続してもらって帰宅。

午後1時突然ざーと来る。昨日と一緒である。
あわてて洗濯物を取り入れる。大粒の雨だからまた間に合わず昨日の蒲団などを濡らしてしまう。
10分ぐらいで上がってなあーんだとほぞを噛む。

午後3時昼寝の丁度目が覚めたとき,大きな雷鳴と共に又ざっと来る。
今度は北風が猛烈に吹き込む。いそいで戸締まりして廻る。
雨は30分ぐらいで終ったが、雷鳴はいつまでも続きとうとう停電まで起る。1時間以上もごろごろやってたが、そのうちぱたっと止む。

この日記も途中で消されてしまう。
4時半近くなってまたかんかん照り始める。
こんな不安定な天気はこの地方では珍しい。予報で聞く限り他所ではよく起きてることらしいが。

扇風機の風が夕立の後俄然涼しくなる。醍醐!

7月31日(木)曇
相変わらず暑い。
午後2時頃夕立来襲。
これだから洗濯ができないとこぼす家内。
夕立の後はまたかんかん照り。

web-mailによれば、ケータイは急に売れなくなったという。
ほんとか嘘かよくわからない。iPhoneがショックを引き起こしたのか。
iPhonehは品切れで後が続かない。
ありうる現象かも知れない。

午後の定期便水道水シャワーを浴びるが30分もたない。
今日は途中夕立があって,1時間足らず晴れ間が途絶えたが、後は夏の日射しが続く。
夏蜜柑がやっと根付いたかなと云う感じ。実の大きさ径3センチぐらいが4個残っている。
冬まで行ってくれればもうけものだが。
夕立の潅水はほんとにありがたい。

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