« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月 1日 (日)

温暖化は地球崩壊への第1歩

6月1日(日)晴後曇
早朝から日射しが強い。雲も少なくないが青空が広く見える。
さざん会の返信は後7名届いていないのだが、途中経過報告と督促をかねてハガキを作るつもりだ。

朝ホテル松政から予約確認の電話が入る。

温暖化の影響がこんなに早く来るのだろうか。それともメディアが挙って誇張して伝えているのだろうか。
地震、台風(いや超低気圧と呼ぶべきか)などは順番に自然発生していて,影響ではないというべきか。
私には分からない。
しかし人類がこの地球を破壊している現状はこの小さな一個人にもはっきり見える。
日本国だけを見ても私の生涯80年間の前後比較してその変化の激しさを感ずる。
この1世紀それは地球崩壊促進の第1ページではないだろうか。
地球温暖化の対策は却って地球崩壊への促進に繋がるのではあるまいか。
前にも進まれず後へも引けず正に進退窮まった状態ではないのか。

今たまたま”篤姫”をテレビドラマでやっている。ぼんくら将軍は続くは、ペリーは来るはで進退窮まった徳川幕府の末期的症状が現在の地球温暖化対策と似ているのでは思ったりする。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月 2日 (月)

ガソリン代うなぎ登り

6月2日(月)雨
気温18度、つゆ空のようなドン雲りの空から午前8時ぽつりぽつりと降り始める。
今日はもう天候回復は難しそう。
家内は朝食抜きで血液検査のためせいこう外科に行く。午後には広島総合病院にも行く予定だし相変わらず医者通いで忙しい。

今朝の中国新聞に壬生の花田植えの写真が説明入りで載っている。何十年か前に子供等を連れて見に行ったことがある。懐かしい画面だ。観衆6千人とある。観衆も10倍なら、田植えに従事している早乙女等も随分増えている。
壬生付近も良い町になってるから無理もないと合点する。

広電楽々園に行き、蜂がベランダの穴に巣をつくっているのを塞ぐ為のパテぃを買って来る。夜暗くなってから塞ぐ。
とうとう終日雨は止まない。大したふりではないが。
雨の中をうろうろするのは良いものではない。
夕方ガソリン補給に行き付けのスタンドに行く。@¥174.  一月に1回だからまあいいか。

夜中村俊輔の入った日本チーム、らくらくとオマーンを3−0で下す。危なげなし。

(写真は中国新聞より)Tn20080602001401

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 3日 (火)

懐かしい山都訪問

6月3日(火)雨
朝6時、小雨続く。
さざん会の中間報告をはがきで会友29名に郵送する。山大訪問のことも記載して。
正午には雲間から日が射し始める。どうやら一応雨は上がったらしい。

明日の山口行きは濡れて行かずに済むらしい。大して見る所も無いのだが、温泉に浸かることと故遊地を見納めたいとの思いだけだ。温泉宿も敢えて一番古い松政にした。学生時代タオル片手に蛙の鳴き声やかましい、田圃道を歩いて通った所謂湯田温泉の温泉会社だったところだ。広い庭園といってもさほど風流なものではないが、しばし逍遙して湯上がりのほてった身体を冷やしたものだ。今もその風情を残しているかな。もっとも戦後間もなく2度程訪れているが,その当時は昔のままだったと思う。

今日はまた乾癬の影響らしく顔のカユミが凄い。目の回りから頬にかけて赤く腫れている。
よかれと塗るものすべてがよくないようだ。従って水洗いも度々やるのだが。

夕方俄然寒くなる。家の中でもシャツ姿ではたまらないので,上着などをひっかける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 5日 (木)

山口のホタル

6月4日(水)曇
雲は多いが、そのうち晴れそうな雲行き。
山口行きまずは立ち上がり上々。
ご飯が余っているというから,ムスビを作ってもらうことにする。

10時半頃出発、下松SAで休憩し食事を済ます。
山口常栄寺を手始めに瑠璃光寺に廻る。ついでに夜ホタルを見に来る為の駐車場を下見する。格好の場所が見つかる。
ホテル松政についたのは2時半。
3時から入浴。6時の夕食まで休憩。ゆっくり昼寝する。私は快調なのだが、家内は足の先や腰が痛いという。

夕食後一ノ坂川の上流に蛍狩り。6時半に着いたので早過ぎて、ホタルの見物客も見えない。
ただ一人車いすの手足不自由な男性が小さな橋の真ん中でカメラを抱えて待っている。
ホタルですかと問いかける。気さくな男性で快くこちらの質問に応じてくれる。昨日も来たのだがかなりいるので、写真の場所を確保するため早くからやってきたのだという。
上流から下流へ移動しながら待つこと2時間、やっと9時近くなって点滅が始まる。飛ぶのは未だ少ない。
せいぜい30匹か40匹程度、地元の人の話しでは未だ少し早いのではという。

最近は地元の小学生の努力で増やしているのだと言う。護岸工事が進んだ今日では減衰は仕方のないことだと言われる。私の学生の頃の物凄い合戦ぶりに較べると話しにはならないが、数が少ないだけに貴重さが感じられる。

家内は夜中に一度翌朝一度入浴する。いくらか具合がよくなったかというとまあねとあいまい。
今度の旅の目的が温泉とホタルだからそれでよい。

6月5日(木)曇
雲間から時々強い日差しが漏れる。
山口ICから鹿野ICに廻って、漢陽寺を訪れる。何十年振りか2度目である。
改修されたと見え随分奇麗になっている。
訪れるものは他にはいない。

向陽ダムのほとりを南下して、周南市に入り、東行して八代から熊毛ICに廻り、高速道路に乗る。
12時半帰宅。
早速昼寝。

横山君から相変わらず動けなくなったと電話。回復は難しいかも知れない。
丁度電話が調子がわるくてご無礼する。
電話局に電話して修理してもらうことになる。

午後4時電話局来宅。簡単に直してくれる。私の明らかなミス、電話機の背後の接続をどうした訳か間違えたらしい。滅多にいじるところではないのに。わざわざ出かけてもらったりしてまことに申し訳なかった。
老のうっかりミスというわけ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月 7日 (土)

ホタル

6月6日(金)曇
顔のカユミがひどくて朝5時目覚めるともう眠れない。眠たくなればいつでも眠れるので別に気にはならない。
ただ昨日の如く自動車を何時間も運転するということになると問題はある。休憩をたっぷりとることを考えなくてはならない。

朝から灰色の空が続いているが,日射しはそれを突き抜けて照りつけ結構暑くなる。

テレビで一ノ坂川のホタルを写し出していたが、人出3万人とか乱舞するゲンジボタルの写真などは私らの全然見知らぬ風景、何時の事かと驚く。

旅行疲れか終日身体がだるく、食欲も出ない。
腹には発疹が出来て痒くてならない。

内藤内科に行く。心臓の具合が良くなったが、薬は依然呑む方が良いと言われる。
暑からず寒からずまことに好日であった。

 
6月7日(土)曇
昨日と同じ様な朝。
午後2時半福永君から電話、体調依然として悪く、さざん会には到底出られない、皆によろしく伝えてくれとのこと。残念だが仕方がない。

CDから流れ出るシベリウスのシンフォニー第2番を聴く。18、9歳頃こうした名曲に涙したものだが、涙は出なくとも良いものは良い。今聞いているのはプロムシュテット指揮N響の演奏だが、流石にN響得意のレパートリーだけに凄く良い。N響草創期近衛秀麿が指揮して音楽ファンを熱狂さしたと聞いている。とうとうコンポーネントを替えて同じものを二度三度と聞く。ホールで聞くと同じ気持ちになりながら。
(写真左 一ノ坂川、右 漢陽寺庭)
Ichinosakagawa
Garden_of_kanyouji

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 8日 (日)

心臓病が治る

6月8日(日)曇
同じ様な朝がつづく。
6時起床して、カラオケセットをいじくる。といってもD1配線を接続するだけ。テレビ画面操作に切り替えられる。
ついでDVDアルバムから曲(勿論クラシック)のはじめを選んで後はランダム方式。20時間ほったらかし。

パソコンをONしてネット入り。早朝の私のお決まりの道楽が始まる。

午後メールで山口グランドホテル吉松氏宛にさざん会確定人数を連絡しお願いしておく。
水戸君からさざん会出席と山大訪問不参加のメールが来る。定期診断を10日に受けるらしいが大丈夫だと自信ありそう。
私も心臓の具合がまるでよくなった。此の歳になってもよくなることがあるのだろうか。
老化してるものが元に戻ることはないだろうからちょっと不思議だ。
私の場合は階段を一日数十回上下しているから心臓の調子は自然にわかる。

去年はさざん会の返信ハガキ非回答者に催促状を出したが、今年は止めておく。
ハガキを投函しに行くことも出来ない者がいるのだから、無理強いは気の毒だ。
目下非回答者6人いるがもうあきらめた。

昨夜サッカーのアジア予選オマーンに大苦戦。前半早々と簡単にゴールを決められ、40度に及ぶ猛暑の中で大丈夫かなと随分心配する。
ゴールエリア内のファウルで同点には出来たが、その後すぐ今度はこちらのファウル、ゴールキーパーの好守備に助けられはしたが、最後は両方ともへとへとでシュートに力なくやっと引分に持ち込む。
40度などというのは運動する気温ではない。好試合が望めるわけがない。もう少し遅いナイターにするか、早朝にするとか工夫出来ないものか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 9日 (月)

菖蒲の日

6月9日(月)曇時々晴
10時半岩国に出かける。見舞をいただいたお返しに。
岩国ICで下りて吉香公園に向う。菖蒲を見る為にである。
普通の日にしては客が多く、菖蒲の著名度が高まっている感じがする。手入れが行き届いているのでよく揃っていて美しい。
桜と違って規模も小さくこんなに人気を誘うものではないと思っていたのは私の間違いだった。
食事も此処で済ませて妹たちのうちにお邪魔する。
家内がすっかり元気になったので皆喜んでくれる、
午後3時帰路につく。国道は車が混んで時間がかかる。
1時間かかって帰宅,大いに疲れる。
   ________________________
私の音楽愛好歴その3
音楽、音楽と言っても、最小限ラジオから始まって所謂チューナー、アンプ、スピーカーなどのコンポーネントがないと始まらない。
長女が嫁ぎ行く時、二つは要らないからと残して行った彼女のヤマハのコンポが整った形としては最初だろう。
録音機も重要な要素だが、先に書いた様に日本初一般向け発売の赤井のリール式レコーダーから始まって、時流にしつこく付きまとって行った。
スピーカーも最小費用で最大効果を狙って自作することが多かった。長い期間だからどれほど作っては壊ししたか数え切れない。

それともう一つ重要なファクターになることだが、そもそも私を取り巻く環境が私の音楽志向に対して理解し共鳴してくれたということがある。
父母兄弟にしても音楽にさして関心があったわけではないが、反対阻止の行動をとることはなかった。

ざっと辿ると以上の様なことになるのだが、そもそも私の履歴書なるものはそう簡単なものではない。
まず職業とは言えないかも知れないが、一番重要な軍隊を履歴から外す訳には行かない。
76歳で完全に仕事から引退するまでに、携わった仕事は小さいものまで入れれば10種類以上になる。友人の会社に出入りしたことをその都度数えるともっと多くなる。

軍隊までは自由意思を失った人間だった。従って音楽に投じた情熱などは隠されたスパイスみたいなもので、人生にほとんど何等の影響も無い。
戦後の社会は個人主義、自由主義の時代だから、他からの干渉は少なく、当然私の思い通り音楽の収集、利用、そして生活時間に組み込まれた。

経済的に利益を齎すものではないだけに、恐らく測り知れない量のロスを知らぬ間に齎したであろう。
生来利欲に鈍な性格だから、仕事の上でも私生活上でも別になんの意味をもつものではなかった。
当然何をやっても経済優先の事業において役立ち,事業を成功に導く動機になることは無かった。

こうして見て来ると、身体の垢みたいに、身過ぎ世過ぎの中で生まれたかすにすぎないが、私の家の各部屋を画然と占拠している音楽メディアの棚、引き出し、書庫などをみると、長い生存の証として強ちゴミ呼ばわりするには大き過ぎる存在だろう。
ただ私が生涯を終えた時、子や孫が処理に頭を痛めることがあれば、それは私の素志では無くまことに残念である。
私が幼児のとき山県さんなどから、本を漁り読んだことを思い浮かべゴミとしてただ廃棄するのでなく、得られるものを探し出して、適切な処理方法を考え出して欲しいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月10日 (火)

人間最後は儚い

6月10日(火)曇
高曇りだが空の一角から覗いた青空に強い日射しが光る。

あいおい損保から先月22日の車の接触事故で相手に与えた損害の賠償額を支払ったから示談が成立し、賠償責任は終結した旨の正式の書状を貰った。
直角に近い街角の信金の駐車場に一つ空いていた場所に車を入れようとバックしていた私の車の直ぐ後に角を廻って入って来て私が入れようとした場所に入る寸前に私の車に気づいて止まり,警報機を鳴らしたが(私は気づかなかった)、すでにバックを続けていた私が車を止めるのが一瞬遅れて、軽く接触してしまった。
あいおい保険の岡本さんは先方は止まっていたのにこちらがぶっつけたのだからこちらが悪いとこともなげに言う。
予期せぬ方向から相手が入って来たのだから、7、3ぐらいではないかと賠償責任を申し立てたのだが、だめだという。
結局岡本さんがさっさと書類をつくり、先方と話し合って¥75621.の賠償額を全額保険金で始末をつけてしまった。こちらには何等の支出もないのだから、まあそれでいいのだが、何となく釈然としない。駐車場を横取りされた上に賠償金とは。まあいいか運が悪かっただけだから、相手は未だ若い奥さんか娘さんかだし、気を揉ませても悪いしと持ち前の人の良さが顔を出す。
岡本さんは年寄りは人並みより判断が遅れるし,視野が狭くなって見えなかったのでしょうと,一方的に100%私が悪いと決めつけてくれる。無念だ!

昨日は岩国吉香公園の1米足らずの石垣を手を添えて下りたのだが、転んでしまい肩や肘を打って傷つけてしまう。
肘は直ぐ家内が持ち合わせのカットバンで応急手当てしたが,肩はほっていたので夜風呂に入るとしみて痛い。
皮が剥けているそうな。
若いときならヒョイと飛び降りて何でもないのだが、88歳ではだめだったこれまた残念至極。
今朝はその時尻餅をついてころんだので、尻を打撲したらしく痛む。ベッドからも起き上がりにくい。余波がいろいろ起きる。
家内は回り道して小道を行けば何でもないのに、無理するからだといつまでもぶりぶり言っている。わかったよ。

昨日は東京秋葉原で7人を刺し殺し,10人にけがさした25歳の狂気の男が現れた。
平均人口日本一と思われる秋葉原に車で乗り入れたり,刃物を振り回したり、怖い世の中になったものだ。
戦争なら始めから覚悟してかかるから防ぎ様もあるだろうが、こんなのはどうしようもない。人間なんてろくでもない生物だとつくづく嫌になる。

吉屋君から電話、山大には行かない。3時半頃新山口に着く,ホテルで待つという。何年振りかで会える。楽しみだ。
本間君が3月25日急性心筋梗塞で無くなったと、姪御さんの平川由野さんからハガキを頂戴、早速パソコンで電話番号を探し出し電話する。由野さんの母親即ち本間君の妹さんが応答してくれる。本間君の後継者がいないので,位牌は平川さんが持ち帰っているという。
そこで山大を訪問したついでに焼香に伺いたいと申し出てOKを貰う。
土田君にも連絡して承諾してもらう。
人間て最後は儚いものだなと痛感。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月11日 (水)

庭の桃ノ木除去

6月11日(水)曇
朝7時半広島総合病院に定期診断に出かける。格別異状なし。混合塗り薬を3割増貰う。
その留守中宇部の為近君から本間君の訃報を伝えて来る。

気温22度と朝から蒸し暑し。
昼当地方の梅雨入り宣言、とうとう出たかと、庭の桃ノ木を切り倒す。春から物凄いゆだれで木の側に寄り付きがならんと嘆いていた所だったのでこれ幸いという訳。
大きな穴が出来た所に,3年前に買って来た夏蜜柑の苗を移植しようという計画。素人のやることだからうまくゆくかどうか。雨が降り出して大急ぎで切り倒した木や枝葉を片付ける。植えるのはお湿りがたっぷりあった後ということにする。

根を掘り起こすのはかなり重労働だったが,心臓にはまるきり影響なし。やはり大分良くなったぞと自信。
汗は随分かいてすぐシャワーのお世話になる。快適!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月12日 (木)

首相の問責

6月12日(木)晴れたり曇ったり
サンフッレチェの連勝がつづく。J1への復帰をめざしての気力の充実が,イレブン全員に漲っているのだろう。苦手甲府も問題にしなかった。広島の両輪カープも気力を出して欲しい。往年の黄金時代を知っているものには余りにも淋しい現実である。

参議院で首相の問責決議が可決せられた。韓国では米牛肉問題で政府がもう反発を食らって,人気が10%台に下っている。分かる様でどうもそこまでとよくわからない。
国民にとってなんの利益があるかということである。
反対の為のジャーナリズムに躍らされてるのではないだろうか。

原爆の後遺症問題も騒ぎ過ぎではないか。電力は4割も原子力のお世話になっていながら電気を使うことは止めようという運動があるなど聞いたことが無い。電力の元である原油にしろ石炭にしろ温暖化の張本ではないのか、国民の勝手が良過ぎる、いやこれとてもジャーナリズムの作り上げた曲げられた幻想ではないのか。

もう外はかんかん照りの暑さ。家に戻ると涼しい風が通り抜けてくれてほっとする。我が家はいいな!

スーパーの前で大きな黒い帽子をかぶった派手な衣装のスマートな女性がニコニコしながら挨拶する。はてな誰。よくみると家内の友達の松浦さん、いつも和服姿なのに今日は洋装,あまりの変身振りに驚く。最近元気になってきれいだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月14日 (土)

一つの終焉

6月13日(金)晴
かんかん照りで予定していた夏蜜柑の移植は取りやめ。
梅雨入り宣言が出るとよくこんなことになる。天候もけっこうあまのじゃくだ。
この天気は4、5日続くらしい。
仕方がないので、掘った穴に水をそそいで溜める。が姑息的な手段では駄目かな。
一応土を戻して雨が降ったら又ほり直すしか無いだろう。
日曜日まで晴れるらしいから,来週だな。

6月14日(土)曇
雨にはならないが,むし暑く動くと汗になる。
さざん会の大会に向けての資料の印刷などで一日暮れる。
細かい所はメールでホテルとやり取りして,書込みをする。なんとか当日の次第も出来上がる。
なにせ出席者5名だから簡単である。最近は喫煙、禁煙が喧しいのでホテル側からもそれを言ってくる。
電話で問い合わせた結果全員禁煙者だったので、禁煙ルームを改めて割り当ててもらう。
出席者全員と予め電話が出来たので,皆元気に出てくれることがよくわかった。
本間君の死は残念だが,他は元気で楽しみだ。
もうこれが最後の機会になるだろう。会うことはもちろん友の事を思い出し語ることも最後となるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月15日 (日)

親友を見舞う

6月15日(日)曇後雨
朝8時、横山君を見舞に出かける。ラッシュの時間も日曜日だから車が少なく30分もかからない。
家の中でも杖をついて歩いている。若干歩幅が小さく本人の弁ではよちよち歩きだという。声を聞く限り一向に病気らしくは見えない。未だ意気軒昂で死神が取り付く恐れは無さそうである。
さざん会に行けないことを終始残念がる。立派な庭を障子を上げてガラス越しに見ながら1時間半話す。
帰路もすいすい帰れる。11時頃だった。家内は老人会の総会に出席,昼飯は呼ばれて帰って来る。
会員数もだんだん減って今74名とか。死ぬだけでなくいろいろ施設に入ったりして抜けるらしい。それでも99歳が二人いる。

午后2時郵便局に行き、さざん会の会議次第など印刷したものを出席者にだしてくる。
雨になる。時々強くなる。気温もじょじょに下がる。

昨日の岩手・宮城地震は震度6強だから流石に破壊力が凄い。だが山岳地帯の地震だから人的被害は驚く程少ない。
四川が7万人だが、こちらは10人以下で済みそう。
しかしやっぱり怖いものの筆頭は地震ということになるか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月16日 (月)

夏蜜柑の移植

6月16日(月)曇時々晴
午前中に夏蜜柑の移植を済ます。なんとかあまり根を痛めずに出来た様に思う。後水管理はしつこいほどやる。

ココログのコメントをくれた千葉の並木さんに礼状と詳しい経緯など書いて送る。折り返し細々した話しなど書いて来る。思わぬメールのやりとりが開始される。
メールを呉れた並木さんの尊父は今年の4月に亡くなられたというから惜しかったなという気がするが、しかたがない。
同じ部隊にいたということが繋ぐえにしである。同じ部隊で見知らぬ人からというのでは3番目である。
このメールの中から懐かしい元同僚だった第一中隊長の小林六郎さんの名前が出て来て、簡単には聞き流せないメールとなりつつある。もう随分前に亡くなった人だが、東京で苦闘していた当時食料を助けてもらったことなど,戦後まで続いた交友は忘れることは出来ない。

考えて見ると同世代でコンピューターをいじくってるものは数少ない。大阪の水戸君が只一人である。
同窓会などで盛んに勧めるのだが,乗って来ない。始めからあきらめている。数年前までは確かに難しかった。
マニアルそのものの言葉の意味を知るだけでつまづいているようだ。
が今はアップル流が一般的になって子供でも簡単に扱える様になった。必要なのはちょっとしたやる気だけだ。

80歳の私の家内も最近はパソコンに触れる機会が多くなった。私のブログなどいつも見てるらしい。
この町内でも、老人会会員でやってる人が増えた感じがする。私の影響だといえば自惚れになるが。
老人こそ最もパソコンに適している。時間の余裕がたっぷりある。家にいる機会が多い。常識など智識が豊富である。
目は適さない人が多いがこれは簡単に矯正が効く。

昔は私は一日10時間以上パソコンに付きっきりだったことがある。今はその半分にも足りないが,もう体力が無いので仕方がない。疲労に負けて眠くなる。これには勝てない。

話しは飛ぶが、アップルは大したもんだ。とうとうiPhoneが日本に上陸するらしい。ソフトバンクがお先棒をかつぐという。若い人はいいなあ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月17日 (火)

魚の目

6月17日(火)曇
相変わらずの雲の多い空だが、それでも合間からのぞく太陽が淡い光を投げかけて部屋の中は朝早くから明るい。
5時半にはいやでも起こされる。夏は自然に食事の時間が7時半ぐらいになって,少し早まっているのだが、それでも起きてからの間がありすぎる。最近はこの時間が一番身体を持て余す時間帯となっている。

昨夜の家内の話しでは、先般の老人会にオブザーバー出席した警察官が、この地区は最近一番盗難事故が多いといったという。夜間巡回はしてくれてるのだそうだが。近くの家内のお茶友達の宅にもある日泥棒が深夜侵入したという。長い間そんな話しは聞いたことがなかったのにといささか不安である。盗られるものは何も無いが、予め伝える方法はないから、どう思うかは相手の問題である。
随分昔娘たちがいる頃は痴漢が話題の一番だったが、今度はこちらを狙う泥棒というわけ。抵抗力なんか全然ないから,いう通りにせざるを得ないが、嫌なもんだな。我が家なんかいつでもいくらでも侵入出来る様になってるからたまらない。防犯ベルでも沢山つけるかという茶飲み話しに落ち着く。

買い物に出て帰りに天霧で食事して帰る。
雨になる予報だったがとても雨になる気配はない。庭の移植が心配だというと家内は大丈夫だという。
山口にはJRで行くというとそれが良いとこちらは反対しない。70分しか掛からないのだから、やはりうんと楽だものな。
家内の足の指に出来た魚の目を細めのヤスリで取ってやる。くすぐったくなった所で止める。簡単だ。痛くはなくなるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月18日 (水)

日中ガス田協力

6月18日(水)曇
夜中に雨が降ったのであろう,庭木はぐっしょりと濡れそぼっている。これで移植は成功するだろうとほっとする。
余命少ない人間があれこれ思慮した所で後どうなるかわからないのに。
その内雨が降ったり止んだりする。

家内のリウマチがまだ悪いらしく足が痛むという。内藤まで車で連れて行く。
結局雨はほとんど降らず,雲も深くて日も射さず。やっぱり梅雨の空。

家内の血液検査などの結果は悪くないとの診断、一応ほっとする。
夕方土田君確認の電話をくれる。出席者5人に変更なき旨告げる。

体調が良くなったせいか読書が進む。といっても新刊を買い漁るていものではない。
買いため,読み溜めたそこらの本を片ッパシから飛ばし読みするわけである。結構面白いし,時間が経つのが早い。
時に大声で朗読しながら、子供に帰った思いを感じつつ、なかなかいいもんである。

日中ガス田の協力開発協定が成立した。つまらぬ国境争いにならなければと願っていたが何よりも嬉しい。
中国でも韓国でもそして北朝鮮すらも争うべきではないと心から思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月19日 (木)

34回目の同窓会

6月19日(木)雨
朝から本格的に雨が降り止まない。梅雨本番といったところか。被災地が気の毒だ。

カープに待望の新人ピッチャーが現れた。8回に初ヒットされるまでノーヒットノーランというのがよい。
前田健投手背番号18は長谷川以来のエースナンバーである。大いに期待したい。

明日のさざん会に備えて準備は早々と終っている。忘れない様に明日持って出ることである。旅支度もあってやっぱり気になる。自分が信用し切れないことが一番悪い。
なんでもかんでも載せて行ける自家用車で行くのが一番よいのだが、JRで行くことに決めたので仕方がない。

さざん会も明日ので34回目である。所謂大会と称して全国の同級生に呼びかけての同窓会が34回目である。その他に地方地方で会合を屢々持っているので同窓会の回数と言ったら凄い数になる。
昭和15年という大東亜戦争が始まる直前に卒業して、ほとんど間を置くことなく軍隊に徴収され,国家の興亡をかけて、各地で転戦し5年後なんとか死を免れたものばかりが、友情を継続し合った集いであった。意義も深かったが絆も強かった。
私自身今回を入れて出席29回である。倒産して会費を工面するのに困ったことも有り,東京であるときなどは旅費がかかるので、出席をその都度取りやめたことなど、人知れぬ苦労をしながら出席したことは懐かしい想い出である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月21日 (土)

第34回さざん会

6月20日(金)曇
昼前から又雨の予報、思い切って車で出かけることにする。
傘を提げ、資料や旅行道具を担いでは叶わんので。天気がよければJRも快適でよいのだが。
二日がかりなら車もそんなにきつくはないだろう。

9時半出発。出たときは降っていなかったが、玖珂SAに一服した頃から,猛烈な降りになり、2、30米先は見えなくなる程の土砂降り。前の車だけでなく後の車の追突も怖く、ライトなど全部付けて、速度は50キロ以下に落とす。
少し緩くなったりひどくなったりを繰り返しながら何とか佐波川SAまで来る。
間もなく山口南ICに来て、高速道を下りる。2号線を小郡に入り無事山口グランドホテルに到着。11時半であった。
新山口駅構内の食堂で昼飯を食い、ホテルの担当者吉松氏に会う。
山大に行く予定だった土田君は雨のため列車が三谷でストップし,代行バスで来るので大幅遅れ、坂口君も遅い列車で来て間に合わず、結局訪問したのは私一人だった。

山大では藤井学部長が出迎えてくれ、懇切丁寧に新装なった東亜経済研究所や商品館を自ら案内してくださる。
こんな立派なものが学生時代からあったのかなと驚く、資料的にいったら本場中国にも殆ど無さそうなものから、商品館の陶器なども下手な博物館が顔負けする程のものが数多く納められ,短時間に見歩くのは勿体ないくらいのものばかりであった。ほんとに思いがけない有り難い見学をさせて頂くことが出来た。

亡くなった本間君の位牌を拝むため平川さんのお宅にお邪魔する。大学の近くで数分の所にあったが、折からの大雨で道路が冠水したりして大変だった。短時間大急ぎでお参りすることができた。平川さんは本間君の実妹で待っていてくださって、時間に余裕が無かったので早々においとましたけれど、土産まで準備して居られたのはほんとに恐縮だった。

土田君がJR事故のため少し遅れたが予定通り会員5名で開会する。流石に出席した諸君は皆元気でよく呑み且つ食らう。
立派な料理だったので皆満足したようだ。取り合えず本間君の死ということもあって,その話題から吉屋君の奥さんの死と繋がって、奥さんを大事にしなければだめだよ、みたいな話しになり,免れ得ない老の宿命に話しが及んで尽きない。
老人の長談義となった所を見すまし、定刻も過ぎた所で動議を発し、来年坂口君が幹事を引き受け開催準備してくれることで衆議一決本大会を閉じた。今回初めてA組主導の大会となった。

6月21日(土)雨
昨日程ひどくはないが降ったり止んだりの一日になった。
会が終っても去り難く、朝食のあと1時間半くらい外に誰もいない会場で話しがつづく。土田、吉屋君は先に帰ったが、残り3人でホテルの食堂をしめくくる。9時半やっと神輿をあげる。
小雨の中を高速道路に向う。来たときと同じ様にゆっくりと休憩しながら帰る。
最近は1時簡以上の連続運転は危険である。普段の生活慣れで居眠りしやすくなる。また食後はいけない。
ほとんど退避場所の無い高速道は眠くなったからちょっと脇に逸れてという具合には行かない。頭をたたきたたき走らねばならない。二重に疲れる。
今日のところはまあ無事に帰れた。

帰っても日記を書いたり、さざん会の後始末をしたり、しごとが結構残っているので2,3日は落ち着かない。
あちこちお礼を言わなければいけない所も今回はあるし。
ともかく大役をこなし、何時人生を終っても良いかなとがっくり来そうでもある。
そして坂口君が引き受けてくれたので、35回目を来年につなげたのが一番良かった。

午後4時からの昼寝ぐっすりと、翌日と勘違いする程深く眠る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

何でも後始末がいるんだ

6月22日(日)曇後晴
昨夜は午前2時過ぎ便所に起きたが、後はぐっすり死んだ様になって眠ったらしい。小便をする夢を見てびっくりして飛び起きたのが7時15分だった。起きてしばらく膀胱が痛んだ。はちきれんばかりになって、しばらくは小便も却って出ない程だった。人間の生理なんてまったく微妙なんだなあ。

起きて朝飯を食ってもまだ頭がはっきりしない。またすぐ床に入ってうとうとして9時半再度起床。
起き上がっても身体のバランスがおかしい。よろけて机の角にぶちあたったりする。
心身とも疲れきっていたらしい。常態ではなさそうだ。

ヨハンナ・マルツィのバイオリン演奏が聞こえて来る。モノーラルの演奏だが美しい、1955のLPという。
じっくりFMからの流れを聞いている間に自然にいつもの感じを取り戻す。

外は雨が音も無くテラスを濡らしている。沖合いは例の通り真っ白に霞んでいる。
まださざん会の報告を書く気にはならない。

午後になって突然夕立が襲って来る。間もなく上がって逆にカンカン照りに変わる。

さざん会に欠席した会員に改めて結果報告(会員の消息集、年次別出席者明細表を作成)を兼ね来年の大会への参加案内状を作成する。
結構夕方まで掛かる。発送は明日になるだろう。鳳陽会への報告も同文で一緒にするつもり。

藤井学部長や平川さんへのお礼も今晩か明日ゆっくり考えて作成することになりそうだ。

アジアサッカー予選バーレーンにやっと勝ってグループ1位を決める。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

又又消費税談義

6月23日(月)晴
久しぶりに青空が広がるいい天気。風があって爽やかだが日光をまともに受けると流石に暑い。
10時半郵便局に行き、さざん会の報告書を全員に送る。藤井学部長と平川さんには礼状を認めて発送する。
11時過ぎ歯医者に行く。今朝明け方3時急に目覚める。無理な歯ぎしりをしたのか、口がしびれて痛い。
歯を動かしてみたが,動くのは無い。でも朝飯を食う時ひどく痛い。
電話したら11時半に来いと言われて、郵便局の帰りによった訳。医者に行った時にはなんでもない、不思議?。
レントゲン取ったり大変だったが、化膿も何もないから暫く様子を見ようという。
結局摩滅のひどい前歯3本の穴埋めと被せをすることになる。老人だから格好は仕方がない。

ともかくさざん会の後片付けが終ったのでほっとする。
昨年は終った日にダウンして,後始末に散々苦労したが,今回は何でも無かった。しかし疲れたなあ!
身体がよく知っている。睡眠の深さは異常で死んだと同じ感じだった。

家内を連れてどこか温泉に行って来なければと早速算段をしているところだ。

家内のお供で買い物に出る。広電まで行く。店が多く何でも間に合うので好きだ。でも今日は本以外に何も無かった。
消費税がいよいよ上がるらしいが、買い難くなるだろうなあ!。
1割と言えば計算は楽だが、すっと上手にだまし取られたような気がするのでは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月24日 (火)

結婚は1回でいいか

Tosoko 6月24日(火)曇
今朝は宮島は割とはっきり見えるが、他の島々は皆目霞の底。
疲れは未だ残っているのか,7時近くまで目覚めぬ。食事も従っておいしくない。

藤澤周平の小説には時雨のついた題名のものがいろいろあるが、昨日は”山桜”が映画化決定と帯封が掛かったのが目に付き、それに釣られて「時雨みち」を買って来て早速読む。さらったした良い短編だ。これだけでは映画にはなり難いだろうから、「武士の一分」などと同じくまた他の短編と混ぜ合わせたものになるのだろうが。
昔は男女交際というのはなかったのだろうから、15歳くらいから嫁に行ったし,出戻りは普通にあったし、2度3度結婚することが多かった様だ。この小説の女主人公も3度目に良い婿に会えそうな気配で終っている。
私の様に初婚のまま58年も一緒に暮らすというのは珍しいことだし,昔はなかっただろうな。

足の運動に植物園に行こうと言う家内に押し出されて10時過ぎ出かけることになる。
花に見頃のものがないだけに園内は閑散そのもの。日本庭園のあじさいだけは満開だったが目立つものでないだけに、寄り付くものはほん僅か。バラ園は小ぶりのものばかり点々と残っている始末。
レストランも休業日とあって、スナックでうどんを食べることになる。ゲートをくぐって外に出た所で12時、いままでで一番早い帰宅だった。

午後4時内藤内科に行き定期診断を受ける。心電図を取られたが少し不整脈があるが治療の対象にはならないとおっしゃる。その他異状なし。今まで通りの薬服用続行。

Ajisai_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月25日 (水)

個人の電話帳

6月25日(水)曇
沖合いは霞んで何も見えない。気温22度。

朝から良い音楽だなと聞くともなく聞いている。先程までベートーベンの大公,今はブラームスのバイオリン・ソナタ第1番聞き流すには惜しいのだが、CDに保存するのはぼつぼつ止めねばと思っている。子や孫が後始末に困ることが目に見えて来たせいである。
今書いているこの日記も電子の無駄,紙の無駄かも知れない。いやだなあ!なにも出来なくなる。
死んだ後の事まで知るか、とふてくされることがやはり必要だな。

昨夕は土田君からはやばやと礼の電話がかかる。お釣りがいるほどの感謝の言葉だ。
横山君、山田君と次々電話がかかる。さざん会報告の届いた反響見たいなものだ。来年は元気で会いたい。

人間やはり死に時があるようだ。父のごとく私の社会への巣立ちを待つことなくあっという間に死んで、いつまでも私の心の中に幻の如く住み込んで、もうちょっといて欲しかったと思わす。母の如く若き日は猛獣の如く立派だったが死の前10年間はどうにもならなかった。お互いともに生存に疲れ果てていい思いは何がしも残っていない。
そこへ行くと、こんな老いぼれにまで来た私はどうしようもない家族のいや社会のお荷物にしかならない。
無駄な長生きだったなあ!神の摂理だから仕方がないが。一発あの弾を食らっていたらの瞬間は何度もあったのだが。
私の場合は神に見放されたというのが正しいようだ。

山口の本間君。青年のごとき風貌,軽快な挙動、その彼がこの3月さっと消え去った。あんなことがあるのかと今だに思う。位牌横に飾られた写真には死の影は何処にも見られない。いつも見慣れた元気な彼の姿だった。
心筋梗塞という死に方だったらしい。実際には死んだ場面は誰も見てないし,奥さんも惚けていて分からなかったらしく介護保健師が屍体を見つけたとのことで、孤独の死同様で詳細はわからない。
私も心筋梗塞が死ぬるのに都合がいいなと思っていたのだが、最近心臓がだんだんよくなっているらしいので困ったなあと思っている。

朝芳邦さんから電話で来月19日午前11時から父の13回忌の法事をするからと言って来る。もうそんなになったかなと、時の早さを今更に感ずる。永かった不自由な闘病生活をしみじみ想起する。元気だった義父の不幸な晩年が痛ましい。

家内が町内の亡くなったうちに電話しようと電話帳を捜すがどれにも載っていない。よく調べてみると個人名の電話帳は必要な人にしか配布しないと書いてある。仕方がないので電話局に電話して持て来てもらうことにする。2、3日かかるらしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月26日 (木)

命は一つしか無い

6月26日(木)曇
昨夜ほんちょっと降ったらしい。濡れ跡が見える。

サンフレッチェが2位に10ポイント差を付けて独走に入った。当然と言えば当然なのだが、昨年どうしてもJ2転落を免れ得なかったことを考えると,油断はならない。蜘蛛の巣に引っ掛かった様なことになることが世の中には間々ある。
といってもこれが努力すれば突破出来るものでもない。自然の成り行きみたいなものだから,自然に任せる以外にない。

霧はあいかわらず深いが,島はおぼろげながら見える。黒い雲も点々と浮遊している。太陽はすっかり隠されて光の洩れることもない。
おかげで夏の盛りの気配はない。

家内は数日前亡くなった三軒となりの福原さんの御悔やみにやっと成功する。私と同い年の婆さんである。別の町内の息子さんが居られるうちまで伺ってその長男さんに伴われて,仏壇のあるこちらの町内のおうちに帰り御参り出来たそうだ。家族葬で済まされたのだが、葬祭業者にたのんでやってもらって、結構よかったとのことだった。我が家の参考になったらしい。
普段さして付き合いの無い近所などつどうことがないので、小人数でも身内で遠慮なく御弔いなどが出来てよかった由。

夕方下関の浜井君からさざん会のことでお礼の電話がかかる。病院を出て自宅療養している由、手はいくらかよくなったが足が不自由だそうだ。
坂口君からはハガキで先日の礼を言って来る。最高の元気もんだから来年はうまく運んでくれることだろう。

自殺者が三万人を超えたという。生きて行くことは確かに難しい。私自身何度か其の危機に曝されたからわからないでもない。
幸い宗教を信じないから,死んだらなにもないと思ってどうしても自分では死ねなかった。ただ弾に当って死んだり、殺されたりするのは仕方のないことだと覚悟はしていた。
まだ死んで新しい世界に生き返れると信じているものが僅かだがいるのだろうな。ただ死にたいと思っているものは勿体ないとしかいいようがない。命は一つしか無いのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月28日 (土)

三文の徳

6月27日(金)晴
雲は多いが,青空もいつもより沢山覗いている。いい天気になるのだろう。朝から日射しは強い。
梅雨前線がずーっと南下したせいらしい。

11時半三島歯科に行く。前歯2本かぶせてもらって修理終わり。前歯がきらつくが仕方がない。
松岡君から礼状届く。体調不良は年齢相応、もう仕方がないという。

買い物にスーパーに行く。二階の百円ショップに何気なく入る。我が家の箸立ての底のねじが効かず抜けていつも箸がばらける。瀬戸物の箸立てと竹製のがある。竹のは軽くて机の上で転びそうだ。瀬戸物にする。
家内が百円ショップには百円の物しか無い。何十年も使う物をそんな安い物では駄目だと言う。自分はいつまで経っても買って来ないではないか。文句をいうなと胸の内。
もう買って来たのだから仕方がない。戻しに行けるか。

6月28日(土)曇後雨
昨日も今日も6時前に目が覚める。昨日はそのまま起き出して新聞を取りに行くと未だ来てない。
家内にそれを言うと時間が早過ぎるのよという。アレッと時計を見るとまだ6時10分前。外が明る過ぎて間違えた!
今朝はドン曇だから、間違えはしないが目が覚めた。もう眠れないのでこうして日記をつけている。

最近は碌なことも書けない。大分耄碌が進んで記憶が定かでなくなりつつある。今日の事を今日直ぐ忘れそうで気になり、そこで今日の事を書き留めることが多くなる。勢面白くも何ともない。若い時には5年10年先の事ばかり空想したものだが。夢を書いたころがやはり張りがあってよかった。

午前9時頃にはしとしとと降り始める。梅雨はゆるぎない、

昨日は交流戦を2つの勝ち越しで終ったカープは本来戦に戻って巨人を新人前田健太投手がよく押さえ6-1と初戦を飾った。金に飽かして他チームからかき集めたホームラン打者チームのふがいなさにははらわたが煮えくり返るとともにざまーみろである。
この雨で第2選が流れなければよいが。

果たして広島-巨人戦は雨の中大接戦となる。大観衆を入れて止めるに止められない状況。テレビは途中で中止になるし商業放送の汚点をさらす。やむを得ずこのブログは独断で引分とする。
(後で聞くとやはり7回で中止し引分だった)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月29日 (日)

広島についてない

6月29日(日)曇
昨夜随分降ったらしい。庭木はどれもぐしょぐしょ。前方の街並も直ぐ後の極楽寺山もすっぽりと霞に閉ざされて何も見えない。今は止んでるが何時再び降り出してもおかしくはない。

昨夜は夜遅く「風の果て」の後編をDVDでじっくり見直す。3時間見続けたのでいささか疲れた。
後で昼寝しておかないと疲れが残りそうだ。

9時17分前沛然と降り始め,軒端を叩く。ビートルズのイエスタデイというイントロが聞こえる。エスタデーイと歌声だけが響く。伴奏は聞こえない、いやギター音がほんちょっぴり!イエスタデイはこんな歌だったかなー!

家内が持病の鼻炎が悪いというので薬局に行く。局の先生の説明と家内のおしゃべりとでえんえんと長話。
疲れて車に帰り昼寝。
帰宅してからも食後すぐまた昼寝。結局3時間ぐらい眠っただろうか。
3時過ぎには日が照り始めている。青空はまだまだ少ないが。

サンフレッチェは当面の的モンテヴィデオに1−2で地元で敗れる。
カープも終盤突き放されて巨人に1-6で敗れた。広島に付きの無い日だ。こんな日もある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月30日 (月)

漢字はすごい

6月30日(月)曇
珍しく南の空がすっきりとあざやかである。曇っては居るが霞が去って島々の姿がはっきりと見える。
青空は何処にもないからはっきり晴れるとも言えない。
梅雨の去るのも遠からずというのか。

水戸君からメールが来ている。平川さんの住所を教えてくれというから早速メールで回答する。土産の礼状でも書いてくれるなら有り難い。
同じメールで「ときどき見慣れぬ漢字がでてくるのも 又 いとうれし かも」とある。

もう何年も前から、投稿した私のエッセーなどに対して読めない漢字、意味が分からない漢字があるとコメントが発せられることがよくある。何気なく使っているのだが、どうも死語に類するものらしく、特に国定の漢字に馴れた若者たちには分かりにくいらしい。

私達の若い時には例えば”ひげ”という漢字でも髭鬚髯といって、ひげの生えている場所によって漢字が違うと,漢文の先生に懇々と教えてもらった。たった一度だけだったかも知れないが,吸収力の強かった若き日の頭にはしっかりと記憶されていた。あごひげなら鬚を、ほほひげなら髯を書かなければ間違いである。しかく漢字というのは正確な表現を求めている。
私なりに教えられた通り表現する癖がついて、其の言葉に変わる現代語が見つからない場合仕方なく使っている様な気がする。

思い起こしてみると、中学の教科書の中でも、漱石の”草枕”よりは、鏡花の”歌行嶝”、樗牛の”滝口入道”などの美文の方が好きであった。特に声に出して読むときの快感は何よりも勝っていた。これが文学というものと思い込んでいた。
中学の後期になって、文章表現よりも思想内容が大切と言われる様になって急速に文学への情熱を失った覚えがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »