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2008年5月 1日 (木)

暫定税率復活

5月1日(木)曇
天地の間灰色で埋まる。soramameで調べると、松江が凄い.ソウルよりの黄砂が激しいとある。
午後になっても全然様子が変わらない。
昨日も一昨日も霞と思ったは黄砂の間違いだったようだ。

昼は天霧で天ぷらうどんを食べる。今日のは一段と美味しい。食欲も普通に戻った感じ。
近くのスーパーで買い物を済まして帰る。

今日から又ガソリンが高くなる。庶民とガソリンスタンドが大騒ぎした。馬鹿みたい。
何年も前から分かってることだろうに、政府、国会の奴らは何の為にその席に座っているのか。

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2008年5月 3日 (土)

家内のベッド

5月2日(金)曇
昨日と同じ灰色いっぱいの空。太陽も雲も島も見えない。
朝から昼寝三昧。

午後4時本屋に行き、また藤澤周平を3冊買って来る。
内藤内科に行き、診察を受ける。全般に快方に向かっている。心臓の薬は未だ続ける方が良かろうといわれる。
待ち時間は藤澤を読む。全く退屈しない。

5月3日(土)晴
やっと青空が見える、といっても霞が立ちこめて紺青とはとても行かない。
今朝の新聞を見ると、黄砂は4月中は全然来てないとのことなので、私が黄砂とみたは間違いだったということになる。それにしても霞が連日終日たちこめたというのだろうか。

今の時期は紫外線も非常に強いのだそうだが、霞が濃ければいくらか減殺されるかも知れず強ち悪いことでも無さそうだ。といってもあまり外には出ない私に取っては関係ないことなのだが。

今日は私達夫婦の58回目の結婚記念日である。波瀾万丈の歳月だったが、離婚の危機などというものは全然起きなかった。90%以上は家内の辛抱によるものだが。悲境のどん底で死を考えたこともあったが、別に何の苦もなく乗り越えられた。しかも共に元気で来られた。ともかく目出たいことだ。

井上の娘等3人が来てベッドの購入の手伝いをしてくれる。Findsに行き、家内の選択で契約する。10日に納品して貰うことになる。
入院期間が3日でも何とか間に合いそうだ。
応接間をつぶして、そこにベッド入れることとし、子供等がさっさと片付けてくれる。
ソファや応接机などはゴミとして廃棄処分にすることにする。

広島市内はフェスチバルで大賑わいなのだろうが、こちとらにはもう無縁の存在と化してしまった。

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2008年5月 5日 (月)

広島フラワーフェスチバル

5月4日(日)晴
また霞ふかき朝。昨日広島フラワーフェスチバル第1日は62万人の人出だと言う。各地で連休を利用したこうしたイベントが大流行りである。少し浮かれ過ぎの感じがしないでもないが、まあ一年に一度いいだろう。

昼はまた天霧にうどんを食いに行く。連休のせいかお客が多い。

天気はいいが、家回りの片付けなどで日が暮れる。
後は読書に終始する、

5月5日(月)雨後曇
広島のF.F.は3日のうち雨の日が不思議に1日はある。今の時期は天気が安定出来ないのかも知れない。
昨日までの好天気が一転して夜中から雨になってしまった。

明後日家内が入院するし、食料にちょっと不足があるので、近くのスーパーまで買いに行く。
風が出て、空を吹きはらしてくれる。夕方には夕日が顔を出す。明日はまたいい天気か。

絨毯を二階にしまうのに、二人掛かりでも大変。心臓の衰えを痛感する。
最近は気をつけるのでよろけることはあまりないが、気忙しくするとわからない。
反射神経の劣化が凄い様だ。

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2008年5月 7日 (水)

家内の入院

5月6日(火)晴
連休最後の日といっても我が輩には何等の効用があるわけではない。しかし何だかほっとはする。
あちこち休みの所が多いのは、何が起るか分からない私のようなものとっては、何となく窮屈なのである。
昔の様に老若同居している家庭に取っては、私と全然違って連休は楽しく待ちどうしいものだろうと思う。
若いものに手を引かれてフェスティバルに出かけたりすることになるだろう。

家内にせっつかれて庭の松の手入れをする。といっても生長し過ぎた若芽を切除するだけである。
毎年今ごろするのだが、今年はいつもより生長が著しいようだ。昼前から初めて休み休み作業を続けて、夕方までに半分以上片付く。
体力がなくなってるから凄く疲れる。

5月7日(水)晴
朝6時起床、入院準備をして8時半までに広島総合病院に到着。
長女も来院している。一緒に入院のためのもろもろの説明,指示をうける。また麻酔室に移動して詳細な健康状態などの質問を受ける。
昼前にやっと病室#605に案内される。
担当看護師から食後今日明日の行動や準備について説明を受ける。
午後1時入院の家内を残して、午後5時頃担当医師の手術に関する説明を聞くため再度来院することになる。
待ち時間の永さにほとほと疲れる。

その後病院側から急患が入ったから、手術の説明が午後8時になるとの連絡があり、娘夫婦と孫の3人が聞きに行くことになり7時半改めて出かけてくれる。その間家の大型ゴミの搬出などやってくれ助かる。
もう何もかも若き力でないと駄目だということが実証される。
明日の昼めしは娘が作って来てくれることになる。ありがたいことだ。

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2008年5月 8日 (木)

家内の入院(つづき)

5月8日(木)晴
大型ゴミ特に応接間のソファとテーブル昨晩雅博さん等がゴミ捨て場に出して置いてくれたので、問題なく片付く。

朝千代から午後2時を過ぎてでないと、こちらに着けないと電話して来る。無理に来なくてもいいのにというのだが。
家内がCDを聞きたいから適当に選んで持って来て欲しいという。退屈で困っているのだろうか。
iPod touchと一緒に午後届けるつもり。後で聞けば手術の際に聞くつもりだったらしい。実際は麻酔で直ぐ寝てしまい効く暇などなかった。私が遅く行ったので役に立たなかったが。

正午に長女が弁当を持って現れる。一緒に食事を済ます。
私の部屋もついでに掃除してくれる。

午後2時長女は病院に出かける。私にはまた永いこと待たされるから、後から来いという。

午後3時半手術室に入ると娘からの連絡を受け、直ちに病院に出かける。
病院の入口で長女と東京から直接来た次女にばったり落ち合う。長女が30分ぐらい手術にかかるから、来客控え室で待つ様にいわれているとのことで、そこに行き彼女等のおしゃべりを聞きながらまつ。

4時過ぎ手術が無事終ったと連絡が入り、手術室まで出かけて手術の結果の説明を受ける。
30分ぐらいして、入院室に搬送される。もう麻酔が解けて家内が寝たままいろいろしゃべり始める。
傷跡が少し痛む様だが、痛み止めのくすりのせいでひどくはない。

点滴や酸素吸入の配管が身体に着けられて起き上がったりは勿論できない。
明日になったらそれらが全部外され、すこしぐらい痛いのはがまんしてでも、しっかり歩きなさいといわれているよし。

夜私達はカナダ館で食事を済ませて、7時過ぎ病室に帰り、水を飲ませてその通り具合を確かめて、安堵して別れて帰る。
千代はもちろん我が家に泊まる。

かくて家内入院の巻は一巻の終わりとなる。
2、3日で退隠できるとのこと。まあよかった。

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2008年5月10日 (土)

老人のメール友

5月9日(金)曇
気温が急降下したようだ。といっても冬に逆戻りしたわけではなさそうだ。
せいぜい春先にもどったぐらいかな。

午前十時家を出て、病院に家内を見に行く。
傷跡が少々痛む様だけど元気に歩き回っている。朝飯は普通食をとったとのこと。
しゃべる言葉もいつも通りだから安心する。千代との親子対話が弾んでいるのを目を瞑って、夢物語の様に聞く。

一時間半ばかりいて帰宅する。
手術は金がかかるだろうから、銀行に行き準備する。

Findsからベッドを明日9時〜10時に届けると電話が入る。
退院を明後日にしてもらうつもりだから偶然にもいいタイミングになる。

5月10日(土)雨
9時きっかりにベッドが搬入組み立てられる。20分もすれば終わり。
生憎の雨で作業者には気の毒。

水戸君にココログ昨年版を贈呈発送する。
時々私のブログに目を通してくれてるらしく、コメントがメールになって時々届く。
気に掛けてくれてると思うとやはり嬉しい。
老旧友たちとは年に一遍の年賀のおつきあいぐらいで音信も交遊ももうない。そこへ行くと水戸君は学友一年限りだったが、人生の晩年になってこんなに縁故が深くなった。唯一のパソコン仲間だが、珍しい例だろう。

午前中に家内のところに出かける。元気そうだが傷はやはり痛いらしい。便秘になってるともいう。
せいだして病院の中を歩いているとか、退院は明日にしてもらったという。
午後には長女が見舞いに来ると連絡があったよし。

気温が急激に下がって、家の中が寒い。ストーブはないし次女は風邪気味で可哀想。
しとしとと雨午後に入るも止まず。

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2008年5月11日 (日)

家内の退院

5月11日(日)曇
家内が退院する日だからか、午前5時ぱちっと目が覚める。昨夜は寝付かれず午前1時頃にやっと眠ったと思ったのにもう目が覚める。
しらずしらずに緊張しているのかも知れない。
早速何時頃出かければいいか気になる。
娘等に任せきりにしているのだから出る幕はないのだが。

10時前に出かけて、広島総合病院に行く。家内もケータイでこちらに電話したが出た後だった。荷を片付けたりして家内の退院を手伝う。日曜日なので支払いなどは後日の事となる。
流石に休日の病院は静かな佇まいで、荷物の移動も楽だし、駐車場も閑散としているし、退院するにはもってこいの環境であった。
途中広電に立ち寄り買い物をして帰宅。
火の気の乏しい我が家は寒くて病院帰りにはちょっとつらそうである。
次女が手際よく処置してくれるので安心ではあるが。
まあ大したことにならずに済んだことは幸運といえよう。
病院では同室の患者さんたちの大変なのを見聞きして、この早い退院を喜ばずにはいられない。

昼にやっと我が家に帰って来た家内は食事を終えると、新しいベッドに休むことになった。
病院にいると同じ感覚だから戸惑いはないらしい。
差し当たり寝たままテレビが見えないのが残念な様だ。我が家のはまだアナログのままだから。

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2008年5月12日 (月)

岩中同窓会

5月12日(月)晴
早朝満天の青空雲一つなき快晴。
千代は東京へ帰り、私は岩中同窓会へ一緒の車で10時半家を出る。
娘等のおかげで家内入院のピンチも難なく通り抜けられる。こんなときはやはり女の子がよい。
私は栄養が足りて体重が増えた感じである。

同窓会は若重夫妻を入れて8名の出席。生憎婦人会の会合があって駐車場はいっぱい。仕方がないので河原の駐車場に車を置いて出席する。

こちらは一人ノンアルコールビールでちびちびやる。
幹事の菊谷君がいつもの調子で軍の上層部の悪口を声高にしゃべる。これが始まるともう他の事は聞く耳を持たぬ状況でみんなだんまり。岩国市長も山口県知事もぼろくそ。
さんざん聞かされてうんざりし、一足早く家内の病気を理由に席を立つ。

途中何処にもよらずに帰宅。午後3時にはまだ大分あった。
家内は早い帰宅に驚いている。

夕方千代から無事帰宅の電話。4、5日留守をしたので片付けものが大変だとこぼしている。
忙しい所を遠方からわざわざ来てくれてありがとう。風邪を早く治しなさいよ。
Kintaikyo

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2008年5月14日 (水)

義弟夫婦の来宅

5月13日(火)曇
夜中に雨が降ったらしい。庭は濡れているが、もやった東の空から太陽が顔を出している。なんとかいい天気になるらしい。

家内の腹の痛みは取れて、元気に動き回っている。もう安心だ。重いものを提げるのはよくないと言われているので,今日の生ゴミの廃棄は私がする。

見舞の電話が親戚や近所からつぎつぎ掛かって来て応対に忙しい。

先般のミャンマーを襲ったサイクロンの死者行方不明者6万人以上と伝えられ、昨日は中国四川省でM7.8の大地震発生、死者8700以上と発表される。相次ぐ天災は天候異常と関係があるのかもしれない。
自然界はおとなしく見えるが錯覚に過ぎない。

11時頃Findsに応接テーブルを買いに行く。ちょっとクラシックな国産品を買い20日に送って貰うことになる。
楽々園にまわり食事と買い物を済ます。

午後2時過ぎ急に降り出す。暫くして上がると今度は日が射し始め,狐の嫁入りである。

5月14日(水)晴
今月は医者に縁が深い。今朝早く起きて広島総合病院に行く準備。
7時過ぎ出かける。
乾癬はほとんど跡が無くなって,少しカユミがあちこちと残るだけ,不思議によくなった。
担当の北野医師も上下裸にしてみて不思議そうな顔をしている。薬も半分になった。しかしもう来んでも良いとは言わない。
9時20分には帰宅する。

昨日の同窓会で河上君が加川君は未だ生きているという。家屋敷を売って広島に移っていると,今年年賀状が来たぞとのこと。誰かが去年の同窓会で死んだと言ってたのを聞いた筈だが、老人のしゃべることはやはり頼りにならない。

午後になるとすっかりいい天気になる。芳邦さんが来ることになってるのだが、もう3時を大分過ぎたのだがなかなか来ない。
彼だけはうちへの道をよく知ってる筈なのだが。もっとも彼ももう70近い。物忘れが少しはひどくなったかな。

結局4時半頃夫婦でやって来る。奥さんはうちに来るのが二度目だそうだ。私は覚えが無い。
7時頃までいて帰る。野菜を沢山置いていってくれる。とても老夫婦では食いきれない。早速近所にお裾分けに家内が出かける。

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2008年5月15日 (木)

私の音楽愛好歴−2

5月15日(木)晴
高曇りだがいい天気になりそうだ。
昼前後からすっかりいい天気になって来た。
午後家内から頼まれて,ツツジを選定する。1本だけ大きくなり過ぎたので半分ぐらいの体積にしてくれと言う。
葉を全部切り落として枝もかなり深く切る。これから夏に向うのに葉っぱ一つなくして枯れはしないかと心配である。
大丈夫かなというのだが家内も自信はなさそうだ。枯れてもいいやとつぶやく。
一本剪定して後片付けする。大いに疲れる。一寝入り。

(私の音楽愛好歴−2)
アメリカ音楽の刺激を存分に与えてくれたこの従姉クララがハワイに帰り、もう一人の叔父の娘で2歳年下のベティが手紙をくれたりしたので、両者宛に返事として英文の手紙をしかたなしに苦心して書き始めたりした。
中学2、3年の頃だった。
いとこたちへの手紙は異性へのそれだから、そうした習慣のなかった私にはラブレターじみたこの行為に、内心赤面する思いで気もそぞろだったことをよく憶えている。
当時話題の中心だったものは軽音楽などと言ってたが、楽しさいっぱいのアメリカなどの音楽にすっかり取り付かれてしまった私だった。
間もなく戦争は激しくなり、音信も往来も途絶えることになった。

しかし影響をうけた音楽の数々が一管のハーモ二かと共に戦場を駆け巡った。背嚢の底にひっそりと沈めた愛用のマイナーハーモニカなどを楽譜も何も持たずに、暇を見つけては気の向くまま戦野にこだまさせ続けた。
私一人の戦場にあるを忘れた、いや戦場だからこそ存在するロマンだった気がする。

戦後になるともうあまい世の中ではなくなっていた。
先ず食うこと。せいいっぱい生きて行くことしか無かった。
それから数年、ふと気がつくと、世の中は急転回して音楽は雑然と耳を聾さんばかりに世に充満していた。
ゴミになっていた電気蓄音機を拾って来て、電気技術者の友人に手を取って貰いながら組み立てて、立派に鳴らし始めたこともあった。これに味をしめて何台か真空管アンプなどをつくったりして、次第にクラシック音楽に傾斜して行った。
家庭を持つ前後のかなり永い期間熱中した。時に家庭を忘れることもしばしばで新妻を困らし続けた。

本来クラシックファンというのは熱中の仕方が少し異常と思われるものがあった。場所時間を忘れる性質のものであった。なんら得にもならないことに夢中になって浪費を重ねる態のもので、経済的失敗もこれに起因することが何がしかあったことを認めざるを得ない。

いつか書いたことがあるのだが、職業を転々とした私の生涯のうち、自分の権限の及ぶ範囲内なら、どの職場でも音楽を利用した。所謂background musicというやつである。どうしても自分の好きな音楽だからクラシックということで、顧客には気に入らぬ場合も当然予想された。しかし我意を押し通した。
何十年も続けたのだからそれなりの客も出来た。
スピーカーを手作りで何セットも作って,代わる代わる店で使用していると、めざとく見つけて私がそうした趣味を持っていると思ったのであろう、自宅のオーディオセットを更新したからといって古い大きなスピーカーセットを持って来てくれた人があったりした。このスピーカーは音が気に入って今だに自宅で使っている。

FM放送が盛んになり、容易く音源を録音という手段で入手出来る様になると、ただちに利用した。
もちろん貧乏していたから一々音源そのものを購入するわけに行かなかったからである。
最初はリールからだったが、すぐカセットに替えた。カセットが千本を超えたごろになって、ビデオテープ(デジタル録音)も併用、そしてCD,DVDも千枚を遥かに超えるなど、録音メディアが時代の移り変わりとともに変化した。

録音件数は自分でもいくらあるか見当がつかない。一度も再生しないものも当然あるだろう。まだ何十年も生き続けなければ完了するわけがない。
もちろん最初はカードを作って手間ひま掛けて整理していたが、途中からワープロ、そしてパソコンと整理、検索の楽な機器を利用して今日に至っている。
病膏肓に入っていることはとっくの昔自覚している。

老境に入ってから特に隠居生活は此れ等の音楽の環境の中でぬくぬくと暮らしているといってよい。
幸いにクラシック好きな家内も大いに気に入ってくれていて、私同様自分の部屋で好きな音楽を楽しんでくらしている。

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2008年5月17日 (土)

ぼつぼつやるか

5月16日(金)曇
雨にはならないだろうが、雲の多い空の隙き間に僅かに青空が覗く。天気はよくなるとの予報だが。
ツツジ葉っぱなどで、捨てるゴミが大袋3個もある。これからは私の役目になりそうだ。

朝土田君から電話、病気の具合はどうかと心配して来る。もう治ったからまた頑張るよと返事をしておく。
彼も奥さんの具合が心配らしい。子供等が皆家を離れていて夫婦2人住まいで、いざという時、間に合い難いということだった。

本局に簡保の入院給付金について相談に行く。

5月17日(土)晴
早朝の気温15度、毎日この付近が続いている。申し分無い気候だ。
デオデオに修理が出来たと連絡があったので取りに行く。帰って早速テストしてみると全然直ってはおらない、午後すぐ返却に行く。3500円も取られたのにと大文句。また10日ばかりかかるという。
他の売り場で自動車の中もできる掃除機を買う。小さくても馬力のある交流式を貰う。¥8000.
テストしてみてこれは具合がよい。他の掃除機の部品が使えるので部屋の掃除も出来て都合がよい。
紙袋式だから粉塵が出なくてよい。

昼中は気温が25度になり少し労働をすると汗ばむ。
心臓はやはり弱っている様だ。酷使は出来ない。
家内の腹の傷が治ったら温泉に行こうと私がいう。承諾する。車で2、3カ所廻ってみるか。

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2008年5月19日 (月)

四川大地震

5月18日(日)曇
灰色の空で覆い尽くされて,雨にはなりそうには無いが日の光は拝めない。
何となく蒸し暑くて、日中はやはり24,5度にはなりそうである。

終日変わらぬ天気で、暑くもなく寒くもなく昼中は風も出て涼しい。
四川大地震は日々死者が拡大している。住宅がレンガ構造だから脆くてもともと地震には弱い。コンクリートも手抜きが多かったらしい。断層も3百キロもある桁違いの大きさだったから,流石に大陸での事想像を絶するものの様だ。死者はもう3万2千人を超えた。
新潟と神戸の地震の違いのごとく、大都市の地下で発生すると,被害は想像を絶するものとなる。
都市集中はやはり何とかして防がなくてはならないようだ。
娘をはじめ身内のものが沢山東京や大阪付近にやむを得ず住んでいる。こんなことが起きると心配でたまらないが、どうすることも出来ない。やはり運を天に任せる以外に無いか。

5月19日(月)雨
午前中に雨になる。それもかなり強い雨である。
スーパーに買い物に行き、ついでに昼飯も食べて帰る。
アマゾンに頼んでいた「風の果て」のDVDが送って来ていたので、早速テレビに再生して見る。
相変わらずの感動を呼ぶ。
良いものは良い。岩代太郎の音楽も良い。

家内に録画を頼まれている「太王四神記」も今日が一応最後ということだが、これは私に言わせれば何処が面白いのかわからない。しみじみした情緒などは全然ない。奇想天外のスペクタクルが見せ場でまあ漫画でも見るつもりならいいかもしれない。

家内は恵みの雨といってるが、からからに乾いていた庭木に取っては確かに慈雨のようだ。
午後遅くなって内藤内科に診察を受けに行く。別状なし。心臓の薬は2週間分貰う。
土砂降りの中を帰る。

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2008年5月21日 (水)

気になる遺伝

5月20日(火)晴れたり曇ったり
雨が上がってすがすがしい日和。

9時きっかりにテーブルが運び込まれる。ベッド横が落ち着いた。取りあえずパソコンを置く。

昨日買って来た藤澤周平の小説を読みふける。誰かが書いていたが,藤澤周平はまったく魔物のような作家だなと感じている。同じ様な題材だが,出来上がった話しは皆違っている。その数が凄い。
頭の仕組みがどうなっているんだろうと不思議な感じがする。長編あり短編あり。正に数知れない。
頭の回りに積み重ねた小説本をちょっと数えてみると23冊になっている。
最近は読むのに忙しくて声を出しての朗読はいつの間にか止めている。悠長でやっておれなくなった。
俺はやはり変な人間だなと自嘲する。

昨日夕方通った内藤先生が心不全に近いと前に言ったが、貴方の年齢なら検査で出た数値は通常で悪くもなんでもない。
と前言を翻した様なこといって安心させてくれる。
今思い出してそれなら薬は呑まんでもいいのではと思い返す。薬は今まで通り2週間分くれたのだが。

5月21日(水)晴
相変わらず霞濃い空から日射しはやはり強くなっている。
今朝は12度半の薄ら寒い気温だったが、日が昇に連れ暑くなる。家内は草取りをしばらくやってた様だが間もなく止めて部屋に戻る。新聞を丹念に読むのが仕事である。

メールがいつの間にかたまっている。百通以上もあって読むのが嫌になる。
中に水戸君の「DNAとは」というのが,挾間っている。何事かと読んでみると、彼のお母上は音楽狂といいたいほどだが、彼にはその片鱗も才能が伝わってないそうだ。だからDNAとは何だと疑問が湧いて来たらしい。
是ばかりは私にもよくわからない。ただ子や孫を見ていると、ちょこちょこと極些細な部分が遺伝しているなと思うことがある。遺伝は即次世代へというのではないらしく、縁もゆかりもなく続くのではないが、何代何十代も続いて来たのだから,時に不可思議な露出もあってしかたがないのだろう。

今日は家内が内藤内科に行く。明日は広島総合病院で手術の経過を診てもらう日だからこれまた医者通い。
もう悪縁が付きまとってどうしようもない。

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2008年5月23日 (金)

ビールで乾杯

5月22日(木)曇
高曇り。沖の方はもやで隠れて島一つ見えない。いつものパターンと言えば言える。
午前10時30分家内を広島総合病院に連れて行く。手術跡も診てもらってOKが出る。
もう風呂に入ってもよろしいし、今回で終りにしましょうといわれたよし。
支払いが3万円ちょっとだから安いものだ。

ところが信用金庫の前の駐車場で車同士の接触事故を起こしてしまう。
入口前の開いている所へ車をバックで移動しようとした所、直ぐ前の交差点を廻ってお先に入り込んで来た車とぶっつかってしまった。こちらはペンキが1cmくらい剥がれただけだが,先方は新車でバンバーが少し凹んだという。
結局警察に行き調書取って貰って,取りあえず保険会社と交渉することになる。
21年振りの有償交通事故である。

アルパークまで行き食事。家内の用事を色々済ます。
来客が多くてうんざり。

5月23日(金)曇
昨日と同じような朝模様。気分までぼんやりしそう。
やたら朝から顔がかゆい。カユミ止めを塗るがこたえない。顔ばかり掻いている始末。

朝自動車保険の保険屋さん岡本さんに電話して、昨日の事故処理についてお願いする。
午後3時頃早速自宅に来てくれ、既に先方とは連絡済みということで一切の処理を任す。支払いは全部して置くからということで安心する。
手早い処理に感心する。
例によって1時間以上世間話しをして帰って行く。

5時デオデオに掃除機の蛇腹を買いに行く。予め注文しておいたのが届いたと連絡があったので。
家内は入院見舞のお礼に近所に挨拶回りに出かける。付き合いがなかなか面倒だ。知らん顔というわけには行かない。

原油が135ドルになったという。150ドルは行くと新聞が伝える。軽を使うだけだから大したことは無いと思っていたが、物価全体をどんどん押し上げているのだから、やはり少しは老人にもこたえる。

家内の健康回復を祝ってささやかにビールで乾杯する。ひさしぶりに風呂にも入れると嬉しそうである。
その顔を見てるとこちらも嬉しくなる。温泉にでも連れて行かんといかんな。

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2008年5月24日 (土)

大相撲ー琴欧州優勝

5月24日(土)雨
昨夜来の雨降り続く。
雨の日はいつもポリ袋に入れて配達してくれる新聞が、今日は裸のままだったので、郵便受けのなかでぐっしょりになり、読むことが出来ない。一応バラバラにして乾燥させやっと昼飯時間になって読む。
郵便受けをやり変えんといかんかなあ。

大相撲が終盤になって俄然面白くなった。久しぶりに全勝が出るかと思ったが,琴欧州が考え過ぎてぶざまな立ち会いをして、くせ者の安美錦に敗れる。しかし横綱の二人が相次いで敗れて、今日勝てば文句なしの琴欧州の優勝となるのだが。日本人力士では一人も優勝に絡みそうなのはいない。悲しい。

降るとも見えず降らぬとも見えず、家内の快気祝いの配りもののお手伝いに,指示に従って分かりにくい道を走り歩く。買い物をついでに済ませて、とうとう松浦さんに引き留められ、家内を置いて帰宅する。午後4時なり。

大相撲やはり琴欧州が優勝を決める。父親がブルガリアから観戦に駆け付け大喜びする。欧州人力士の優勝は勿論初めてである。大相撲もこうして柔道に続き世界的になってきて、やはり喜ぶべきことだろうと思えて来る。

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2008年5月25日 (日)

愛車という言葉は私には無い

5月25日(日)曇
夜半まで降り続いたのであろうか、庭木はしとどに濡れている。
今朝の新聞もぐっしょり。すぐには読むわけに行かない。これから梅雨に入るし、カバーを付けないと駄目だなと思う。
天霧の昼飯を食いに行く。
生け花の先生に家内がお別れの挨拶をしたいというので、連れてそちらに廻る。ようやくクラブから離脱を決意してらしい。

午後予定通り日が照り始める。
何十年振りか,自動車の掃除を先般買って来た掃除機で一人でせっせとやる。30分ぐらいで済む。
いつも人にやってもらっていたから,自分でやるとやはり気が済む。
8月には車検があるから、また業者がやってくれることにはなるが。

私には愛車などと言った感覚はない。あくまでも交通手段としての道具に過ぎない。自転車、自動二輪車、普通自動車、軽自動車と形は少しづつ変わりはするが。銘柄、レシプロ、ロータリー、ディーゼル何でもよろしい。68年間何でもこなして来た。
車体が美しいとか,走りが良いとかは別に全然問題にしない。その時その時のこちらの必要に無難に対応出来ればそれで良い。一番永く役立ってくれたのはやはり自動二輪車だった。
だから掃除なんかほとんどしない。余程暇があるか,汚過ぎて気になるかしないとその気になることはない。
その原因は主に軍隊経験によるものだろう。野戦では性能さえよければ外見は汚い程よい。
服装などはわざと汚したものだ。

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2008年5月27日 (火)

山口大学訪問確定

5月26日(月)曇
いつもの様に灰色に霞んで朝景定かならず。
5時半目覚めて掃除機を先ず掛ける。狂人の沙汰か。

午後に入り霞益々甚だし。中天は青天らしく霞めるといえども雲見えず。
陽光初夏を思わす勢にて気温ぐんぐん上昇し、午後2時正に30度になんなんとす。

家内はお茶会の定例会に出席し,皆にお別れを宣言したらしく,正午には帰宅する。

岡本さんにFM1を一瓶分けて貰い,帰宅して顔に塗る。即効はなし。

横山君から電話にて,昨日自宅で転んで腰を痛め,無理して運動したりしたので今日は動けなくなったという。
この調子ではさざん会出席は無理だと言う。尚岡山の山田君も同じ様に歩きにくくなって出席は無理だと言ってたとのこと、形勢ますます不利に傾きつつあるを感ずる。まだ出席者5名確定でこのまま推移するかも知れない。残念ながら老いには勝てない。

5月27日(火)晴
連日同じ様な朝もやの日が続く。
家内がリウマチを痛がるので,ゴミは私が捨てに行く。
草取りもしてもらいたいらしいが,私はしゃがむのは全然出来ない。従って草を抜く態勢がとれない。
家内も草取りには参っているらしい。といってどうしようもない。柄の長いかいかきでも買うて来なくては駄目だろう。

午後広島総合病院に行き、入院証明書貰う。郵便局で入院給付金の交付請求をしておく。

山口大学経済学部長の藤井さんから電話がかかり、大学訪問のこと歓迎するということなので,有り難くお願いもうし上げて置く。6月20日午後3時訪問することを約束する。

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2008年5月28日 (水)

又も”懐かしき地図”のこと

5月28日(水)曇後雨
早朝起きた勢で散歩を兼ねて、5百米先の郵便局まで歩いて土田君宛の手紙を投函に行く。冷たい空気が気持ちよい。

長女の所へ見舞での貰い物を消化してもらうために箱ごと持参する。帰路デオデオに立ち寄りテレビの買い替え相手を物色する。値段のバラツキがひどくて混乱する。決定に至らず。
デジタル化政策のために、未だ数年は寿命がありそうな我が家のテレビも放棄せざるを得なくなる。
果たして庶民の為になると政府は思っているのだろうか。
久しぶりに回転寿司やに行って寿司をたべる。非常に便利で好ましく思っているのだが、今日は少し美味しくなかった。私の体調がまだ完全でないからかもしれない。

帰宅した頃から雨模様になる。やはり予報通り。
夕方からはかなり強くなる。明日も降水確率90%だからどうしようもない。

私のブロッグに対するコメントで次の様なコメントは老いぼれのやる気を高めてくださるありがたいものです。
厚く御礼申し上げます。
尚私のブログの”懐かしい地図”は2006.6.2 ココログsinoman搭載のものですが、よくぞ捜し出してくれました。
私の方が実は驚いて居ります。
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” 懐かしい地図”
コメント

はじめまして。

以前より、戦前絵葉書や図書を収集しているものです。また新京の検索をしており、たどり着きました。
当ブログの貴重な内容、新鮮におどろいております。また、アルコール燃料製造など様々な知らないことがあり、大変勉強になっております。

それにしましても、この新京の地図、おどろきをもって拝見しました。いくつもロータリーがあり、広い公園もあり、実に緻密な計画都市だったのだとおどろいております。
新京が出来る前は、高粱畑がちらほら、しかも雨がふるとぬかるんで、馬車が立ち往生するほどだったとか。それがこれだけの街になるとは、当時のパワーに驚きます。

実は亡父は京城からの引き上げ者で、当時のことを一切話しませんでした。
伯父に聞くと、生きるか死ぬかの思いで引き上げたということでした(伯父は当時、中学に進学していたため、国内に残っていました/父は小学生)。
なので、今思うと、話を聞いておけば良かったと思う反面、辛いことを無理やり聞くのも気が進まず、そのままになってしまいました。

それだけに、貴ブログの様に、当時を詳細に書いてくださるところは、大変、貴重に感じます。
じっくり拝見したく存じます。

また実は満州画像を古本屋などで収集し、こつこつアップしております。
http://www.geocities.jp/ramopcommand/page035.html
その中で、海軍さんのお写真を遺族の方のご提案もありまして、掲載する事が出来ました。
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/071212/yodo01.html
私も、当時に大変なご苦労で任務を勤めた方々の紹介ができ、感慨深く思っております。

お時間ありますときにでもご覧ください。

では今後とも、貴ブログの発展を祈念致します。

投稿 古本屋の常連 | 2008年5月24日 (土) 23時06分
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2008年5月30日 (金)

嫌な雨続く

5月29日(木)曇
夜の間降り続いた雨は朝には上がっている。予報では所により激しく降るとあるので何とも云えない。
今朝は珍しく島影がはっきり見える。といっても空は可成り濃い雲に覆われているのだが。

午後になって一応雨の心配はなくなったが、雲は依然として多く,僅かな隙き間の青空から日が漏れている。
資源ゴミを出す日なので、雑誌や本など纏めて捨てる。台車にいっぱいある。丁度雨が上がってくれてよかった。

5月30日(金)曇時々雨
いつものもやった朝。島影はひとつも見えない。気温20度。
雨がときどきしとしとと降る。

顔が二三日痒くてたまらない。カユミ止めをいろいろ塗ってみるが効果はない。カユミ止めは酸性が強いらしく薄くなった皮膚にしみてひりひり痛む。却って刺激してよくない。
痒いということがこんなに辛いとは思いもしなかった。顔に何秒かに一度手が行き掻くので小さな傷が無数にできる。
ああ嫌だ!

午後土田君から電話、手紙をもらったけど,ファックスも2通入ってたよという。パソコンで送ったファックスの送信完了の印が出なかったから、途中で断絶したのかと思って手紙まで送ったのだったが、私の勘違いであったらしい。
この月末が返信の締め切りだからそれを待って再度詳細連絡をするつもりだからと答え了承してもらう。

来月早々家内と一緒で山口へ一泊旅行をすることを決める。

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2008年5月31日 (土)

最後の自動車の旅?

5月31日(土)曇後晴
朝もやはいつものパターン。気温18.5度。太平洋岸は荒れてるらしいが,内海側は静かなものだ。雨はもうとっくに上がった。
5月の月は随分永かった様な気がする。家内と私にそれぞれ病気が発生しばたばたしたせいかもしれない。
来月はいよいよさざん会、最後の会にどうもなりそうだ。今までの様にすんなりと終らすことが出来るかどうか今回ぐらい心配したことは無い。まだ終ってないのだから心配は続いている。だが体調が回復したのでうんと気が楽になった。なんとかなるだろう。
土田君には知らせてやったのだが、常連中の常連横山君や山田君が欠席は流石に痛い。最も元気だと思っていたのが早くもダウンしたのだから老いると何が起きるか分からない。

家内は運動を兼ねて近くのデパートに出かける。リウマチで足の先が痛むのがやはり気になるらしい。
薬疹で中断していたチガソンを私の判断で昨日から呑み始める。乾癬らしい湿疹が身体のあちこちに出始めたようだから、塗り薬だけでは効かないと判断したからだ。こんどは薬疹は今の所発生を見ない。

家内は5時過ぎには帰宅する。痛み止めを呑んだので痛まなかったという。
夜湯田温泉に電話してホテルを予約する。6月4日夜一泊2食付き@¥13000.車で行き夜蛍狩りの予定。

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