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2008年4月15日 (火)

私の音楽愛好歴(1)

4月15日(火)晴
長女立ち会いの元に、家内のヘルニア手術入院の手続きがいろいろの検査の後に契約が行われる。21日の再度別の検査があるらしい。とにかく永い時間待たされるのに参る。
入院日は5月7日、手術は8日になるとか。
三人で近所のレストランで昼飯を食べ、サティに立寄り買い物を済ませて別れる。

さざん会出席1名坂口君。
病院の大きな待合室で2、3時間も待たされて外に出たときの明るさ,凄過ぎて目が回る程である。
今日は全くいい天気だったのだ。

&つれづれの記ー私の音楽愛好歴

私の88年の生涯は確かに気の遠くなる様な永さである。しかし今となってみるとあっという程短く早かった日々だった様な気もする。
記憶の欠落する部分も多い。幼少の頃は勿論ほとんど憶えていない。4歳のとき1ヶ月間太平洋上を航海したことなど,母から私の行状を聞かせられた部分だけが、残されただけで自らの記憶としては何も無い。
5歳の時と思うが,父が家を建てた時、仮普請した家の前で鉋屑などのたき火にあたりながら、親父と大工の高崎棟梁が談笑している場面を何故だかありありと思い出す以外に記憶は残っていない。

幼少時代の記憶は殆ど小学生時代である。とぎれとぎれではあるが、無数にあってとても一度には思い出されない。
二三年の頃から歌が好きになった。原因はわからない。
ただ声が良かったらしく、よく教壇に引き出されて歌わされたことを憶えている。
時には夏など廊下側の窓が引き開けられて,廊下を通る他の学年の生徒などが,覗き込み聞いて拍手を送ってくれたりして、嬉しかった。
四年の時、担任の高木先生は老年で唱歌は出来なかったので,他の組の先生に習っていた。
全校の音楽会の舞台に,ただ一人組を代表して歌わされて、非常に淋しく嫌な思いをしたことをよく憶えている。
この頃までは歌は歌ってもそれほど好きだったのでは無かった気がする。
五、六年は担任が音楽の得意な中川先生だったので、特別に目をかけられ、一番進歩した時代だったろうし、音楽がほんとに好きになった頃だと思っている。勿論毎年の学芸会には引っ張り出されたものだ。

中学校に入っても、広島から通って来られた音楽の先生から,よく指名を受けて教室で独唱させらたものだが、一年生の冬に風邪を引いて声が出なくなり、声変わりしてしまって、高音が出なくなり歌うことを断念せざるを得なかった。

爾来歌うことは一切なくなった。音楽という授業科目も二年生でなくなった。しかし歌そして音楽への愛好の念は中絶することはなかった。

この頃父のすぐ上の伯父がハワイから帰国して来た。目が悪くて治療目的の帰国であった。
その長女が付き添いで一緒に帰っていた。なかなかハイカラな女性で私と同い年だったが、その行動は女性と言って差し支えなかった。音楽好きで、ダンスがうまく、盛んに私を誘って,歌や踊りに引き込んだ。ワルツの曲など外国の音楽を憶えたのもこの頃からである。
しかし一年ぐらいして、彼女の父母仲が悪くなり、彼女は母親と一緒にハワイに帰って行ってしまった。
(つづく)

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