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2008年4月 2日 (水)

妻入院か

4月1日(火)曇後晴
せいこう外科の紹介状をもらったので、広島総合病院に家内を連れて行く。前回は紹介状が無かったので,診察を断られたが今回は受け入れられた。
しかし9時半に行き,12時まで待たされる。
結局23日に手術することになる。但し長女の承諾が無いと駄目だと言われ、長女に連絡を取って,一緒に病院に出かけなければならないことになった。長女も責任ある職場をもっているのだから、これは簡単ではない。
私の承諾だけでは駄目だとはどういうことだ。どんな法律が出来てるというんだ。
あきれてものも言えない。
当然予定通り事が運ぶかどうかなんともいえない。困ったものだ。

4月2日(水)曇
家内の入院問題など起きて,花どころではなくなった。23日には手術をするということになりそうだ。立会人に長女が出ることになった。勿論事前に医師に会って正式の承諾書もつくることになりそうだ。面倒なことになるものだ。

27日には広響の演奏会があり、切符をすでに購入しているのだが、無駄になりそうだ。19日には親戚の法事に招かれているのだが、これはどうにか叶いそうだ。
ともかく忙しくままならぬ四月になりそうだ。

朝から濃い霞の掛かった空は午後になっても晴れない。宮島がわずかにうっすらと影絵のごとき姿をみせているだけだ。太陽の光はぼんやりとも感じない。終日これで終るのか。
老人の世界はゆったりと暇沢山に見えるけれど,その実手足がいたい、身体が痒い,胃腸が変だ、気分がはっきりしないなどと、自身をなめずり廻して忙しく,気もそぞろにくらしているのである。
無我の境地になどとてもなれるものではない。

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2008年4月 3日 (木)

子供の頃

4月3日(木)晴れたり曇ったり
一応雨の心配はないけど、すっきりしたいい天気だというにはあたらない。
春の暖かさは紛れもないが,風が時折寒気を誘う。動きを忘れた老人には体温を維持する発熱体は無いに等しい。だからちょっとした風の吹き回しでも至極身体にこたえる。
生暖かい空気はやたらカユミを誘って,四六時中気になってたまらない。贅沢な苦労だが、老人なりに寸時もいやな思いなしには過ごせない。

セリーグは各チーム5試合やった所で,明暗がはっきりしすぎている。巨人5連敗、カープ4連敗1引分と優勝候補が最下位を争っている。長い歴史の中では再々ある出来事である。リーグが面白くなったなとヤジっぽく手を打つ。
来月のセパ対決はもっと面白いぞ,楽天が凄いから。日本リーグはヤクルト対楽天になって欲しいな。湧くぞ!

私の子供の頃は今日は神武天皇祭という休日で、毎年決まって裏山(えんげしといった)で何といったか単純に山上がりといったか、ピクニックみたいなことが行われた。子供は朝早くから場所取りに出かける。親は弁当を作って,年寄りや女の子などを引き連れてゆっくり上って来る。ガキ共は弁当をパクツイタリ、山の斜面を走り回ったり,終日賑やかに春を楽しんだものだった。親共はおしゃべりに夢中になるか歌舞音曲を楽しむか、けっこうそれなりに楽しんでいたようだった。
少子化ではもうこんなことは起らない。

今日も家内は別の医者に出かけて行った。リウマチはもう治ったと言われたらしい。

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2008年4月 4日 (金)

食道がん

4月4日(金)曇
10時内藤内科に行く。胃の調子がよくないのでレントゲン検査までして診てもらう。何も悪くないと言われる。
心臓薬の副作用が強い気がすると言って一緒に呑む消化剤を出してもらう。
昼過ぎまで時間がかかる。何はともあれ食道のつまりは、その反応がひどすぎるということだった。
いろいろ症状を訴えるから先生も迷っているのかも知れない。しかし胸の閉塞感は食道が詰まっているとしかいいようがない。ガンを先生は期待したらしく、癌も何も無いよ、スムースに流れているとレントゲンを操作しながら先生がいう。
どちみち永くない命だから、この先生に原因を見つけて欲しかったのだが,手柄を立てさせてあげられなかった。

沖縄尚学と聖望学園の決勝戦は9-0とあっけなく沖縄の快勝に終る。聖望の投手陣が疲れからか球威がなく沖縄勢に3壘打4本を含む15安打を喫して、為す所無く敗れてしまった。
接戦続きの今回のセンバツは決勝だけが別メニューに終った。

午後9時風呂から上がって,喉が渇いたのでお茶を飲む。やはり胃の入口付近が詰まって苦しい.穴がどうしても狭くなっている感じ。ひょっとしたら食道が平らになってひっついたのかな。レントゲンで見えないのだからそういうことになる。

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2008年4月 5日 (土)

後期高齢者保険料

4月5日(土)曇
高曇り、かなり暑い雲、日射し見えず。
沖の島影はうっすら散見出来る。
今度の薬の処方はいいらしい。胃の副作用は治まって起きない。昨夜のようなことは起きなくなった。
家内は神経のせいだと言うがそれも少しはあるかもしれない。
身体全体のカユミはなんとなく取れない。ひりついている感じである。

ここ数日食欲があまりない。昨日は何度もお粥にしてもらった。
昨日のレントゲン検査で使ったバリウムを排せつするため医者が呉れた下剤は凄く強くて、一時間もすると、腹がにがり始め、夕方までに5回もトイレに行く始末。昨日のうちに全部排出したらしく、今朝は何も出ない。
すっきり腹の掃除ができてよかったのかもしれない。

昨日後期高齢者保険料の金額通知が来る。私のが19万円、家内のが4万円、合計23万円が年金から差し引かれるという。これに介護保険が二人で又12万円以上掛かって来るのだろうから、老人は始めから病気をしているようなものだ。
年金の2割も取られるのでないからまあ我慢するしか無いが。

家内が入院したら、俺はどうすればいいんだろうと心配しないでもないんだが、早速長女や孫が交代で食う方の世話はしてくれるらしい。ありがたいことだ。やはりほっておけないということだろう。
仕事の合間を縫って遠くからやってきて世話してくれるというのだが、どういうやりくりを考えているのだろう,大変なことだが。

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2008年4月 6日 (日)

同窓会が気がかり

4月6日(日)曇後晴
予報で伝える様な天気ではなさそうである。灰色の雲が全天を覆って昨日と同じ様に太陽の姿は拝めそうには無い。
気温は朝8度。最高18度くらいに行くらしい。

今朝はパン半切れにしたのだが、これが食道を通り抜け難い。牛乳を注ぐと逆流して口に戻って来る。
パンの固まりが滞って気管を圧迫するのか苦しくてしかたがない。とうとう途中で止める。
昨日はなんでもなかったのにどうしてだろう。
日々体調が変わるので自分でもわけがわからない。こうして息が絶えるのであろうなとは想像できないでもないが。
身体がよく肥えて栄養は足りているのだから、少々食わなくても大したことにはならないとは思っている。

昼寝から目覚めてみると、長女夫婦が来ている。家内の様子を見に来たのであろうが、私の体調不良も普通でないので驚いている。

この分ではさざん会が順調に開かれるかどうか心配になって来た。
横山君も電話して来て、同じ様なことを言って、同窓会なんかもう無理だろうよ、参加するものはいないのではという。
食事が喉を通らなくなれば、食うのが仕事みたいな会合が出来るわけが無い。主人公がこれではと暗澹たる思いに取り付かれてしまう。もう少し待って土田君に連絡をとることにしよう。

午後には天候も予報通りになって、日射しがきつくなる。

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2008年4月 7日 (月)

私のメタボリック

4月7日(月)雨
夜来の雨午前中には上がる。どんよりした空はいつまでも続きそうだ。

家内はとうとうお茶に出ない。
呉の法事には私の欠席を連絡したという。
健康を損ねるとまともな付き合いは段々出来なくなる。
朝の食事はやはり喉の通りがよくない。昨日ほどひどくはないのだが。
2、3日前から手足のむくみが又ひどくなる。
家内は内藤に行き薬を貰って来いとしきりにいう。

さざん会の案内を作成することに今日も躊躇している。この体調では無理かなという思いが頭から去らない。
まだ死にはしないから、案内状は書けばいいのにと家内はこともなげに薦める。
もっとも食事が喉を通らないのでは出席は無理かも知れないがとも。

昼もお粥にしてもらったが、おかずの鯛の煮付けなどは半分しか食えない。
この分では体重はだんだん減って,メタボリックは解消するかもしれない。

夕食はうどん、さぬきうどんで美味しい。なんとなく喉を通り抜ける。
雨は降ったりやんだりで一日が終る。

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2008年4月 8日 (火)

お粥

4月8日(火)曇
朝気温12度、昨日までは7,8度で推移していたので驚く。沖合いの島々は普段の姿に見ることができる。
花は何処も満開らしく、どこにも出かけられないこの身が悲しい。
今日は朝からお粥。やはり喉こしがよく、苦労は何も無い。
昼もお粥。どうやらこれでおちつきそうだ。

さざん会の案内状を印刷し始める。10日には発信したい。参加者は勿論多くを期待はしないが30名全員に送る予定。月岡君のように電話で早々と不参加を表明して来てるのもいるが。

部屋の中は5時半現在27度、凄い暖かさなのだが老人の身にはさほど感じない様で、今まで通り半纏まで背負ってパソコンに励んでいる。
今日あたり嬉しいことにカユミをほとんど気づかない程で気分が楽だ。
ただおやつのせんべいは悪かった.胸が焼けてしかたがない。

Hanabira

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2008年4月 9日 (水)

お花見

4月9日(水)曇
午後は雨になるとの予報。
なるほど雲が濃く陽光は見えない。
10時過ぎ桜土手に家内と花見としゃれる。百人以上の人々の散策が見られ,土手下の花の下では例によって宴を張る団体が数多く見える。30人ぐらいのバーベキューの匂いをまき散らしている団体のいる。
1キロはあるだろう土手を端から端まで逍遙して,名残惜しく立ち去る。

楽々園まで来てうどんを食べ、簡単に買い物を済ませて帰宅。大いに疲れる。
1時間以上昼寝して,起こされてみるとかなり激しい雨になっている。
丁度タイミングいい花見だった。
今生の最後の花見かも知れない。おりから満開の見納めにふさわしい桜だった。


今日ネットでNHK-IDの登録をする。すぐ折り返し利用OKのメールが届く。早い早い!

Sakuradote
Sakura

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2008年4月10日 (木)

ねんきん特別便

4月10日(木)雨後曇
さざん会案内状など印刷終わり、会員当てに発送する、29通。

社会保険庁から私の年金記録のコピーを送って来る。職務上いつも私が社会保険事務に関係していたので,今更調べたところで誤りはない。家内のは未だ来ていないが、結婚前に勤務した1年ぐらいのことが、記録から抜けてる筈だから、これは追加訂正することになりそうだ。勤め先が火災で全焼したので年金証書など記録はないし、どれだけの期間該当したか本人には分かりっこ無い。

さざん会の事務を続けていたら突然気分が悪くなる。こんなことで会の世話ができるのかとちょっと不安になる。
15分ぐらいで治ったからよかった。もう無理はできんな。6月まで早く済んでくれ。

今日はお粥を三度食う。もちろん茶碗一杯8分目だ。そのせいか体調が割と良い。減量にもなることだろう。

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2008年4月11日 (金)

広島城

4月11日(金)晴
朝気温13度。随分暖かい。霞は相変わらず。宮島は辛うじて見える。
岩国の民間空港が2年後には実現しそうだ。この方が良い。
先般中国から帰るのに、天候不良で関西空港まで連れて行かれた。降ろしても呉れずエコノミーで3時間椅子ずけ。
岩国ならこんなことは先ず無い。

昼前に急に広島城の桜を見に行こうと家内がいうから、一先ずパセラの駐車場に車を入れて食事を済ませ、お城まで歩く。まばらな観光客の中をぶらぶら行く。
桜はほとんど散って葉ばかり。

護国神社では明日から何か行事があるらしく、準備がなされている。
そのうち家内が足が痛いと言い出し城までは行けずに引き返す。
そのまま帰宅。バタンキュー。老骨はたわいない。

Castle
Eucaly

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2008年4月12日 (土)

家内の年金記録

4月12日(土)晴後曇
昨夜敷き蒲団を三つ折りにして足元において、その上に足を上げて寝る。横になって寝る癖のある私には,左右に身体を動かす度に目覚めが強くなって、なかなか寝付かれない。
昼寝で睡眠がたっているせいもあって、1時頃にやっと本格的に眠ったらしい。

今朝起きてみると,足首のむくれは奇麗にとれてしまって、昔の足の通りである。
こんなに早く一晩くらいで治るものだろうか。狐につままれた気持ちである。
ともあれ家内が今日内藤に行くよう昨夜のこと薦めていたのだが、その必要はなくなったようだ。

藤澤周平の「凶刃」を読み続けてとうとう読了。作品の質は少し落ちるかのといった私の感想。

今朝は顔がやけに痒い。なんでだろう。眉毛、びん、顎回り。そして頬。

社会保険庁から家内あてに記録コピーが来る。家内のは私と結婚する前勤めていた記録が入っていないので書き足すことになる。結婚数ヶ月前火事で会社が全焼し、自然退職となった次第だから失業保険だけは貰ったが,他の記録類は消滅したままになっていたらしい。

夕方土田君から電話、さざん会通知あれで良いと通報がある。
ホテルにも念のため連絡しておく。

昨日のメールに水戸君から2通はいっている。病気をえらく心配してくれている。
事実は事実として、現実に生きているかぎりは、やるべきことを止めるわけには行かない。
日記は自分の正確な記録だから、事実や考えをそのまま記録する以外に無い。

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2008年4月14日 (月)

さざん会返信第一号

4月13日(日)曇後雨
朝の気温は13度,生暖かくて灰色の空から何時降り出してもおかしくない。
土田君が手持ち無沙汰で困っているのではないかといってたが、それほどでもないと返事した、考えて見るとそんなことになっているようでもある。身体の具合に気を取られているから気忙しくなるが、それを除くと退屈な毎日になる。

水戸君がもうさざん会の世話どころではなかろう、身体の事を考えて下りてしまえという。用事があれば手を貸すよという。大阪からではそう簡単には行かない。ガンが癒えたからといって、えらく元気が出て来たもんだ。

4月14日(月)曇
サンフレッチェが已然好調にF2のトップを走っている。この気迫がどうして昨年F1で発揮出来なかったか残念である。
ビッグアーチに応援に出かけようかと思うのだが、天候がなかなかうまくなくて行けない。もっともこのロートルがおると端が迷惑するかもしれないかな。

横山君から電話がかかる。病気はどんなかという。2、3日前には奥さんから同じ様な電話を貰ったばかりだが、いっぺん見舞に行きたいなどという。家内が大分悪い様にいつか電話したらしい。打ち消すのに大変である。
横山君あんたのガンの疑いはどうなってるのというと、あれは便通の薬の違いによって善い悪いがあって、どうもガンではないらしいので検査を受けるのを中止したという。

高い所に雲は点々とあるが、強い日ざしで久しぶりにいい天気になりそうである。
午後には青空にもお目にかかれる。

喉のつまり,胸の重苦しさいずれも取れた様で、食事がうんと楽になった。どうしてか自分では分からない。
変わったことは何もしてないのに。
心臓の薬を毎日呑んでいるのだが、呑み始めて悪くなった様に思うが、そのまま呑み続けて今度はよくなって行く。
どうしても訳が分からない。
医者のいう通りにしているので、よくなるのかもしれないし、お陀仏までゆくかもしれない。

庭の桃が満開でここのところ毎朝楽しませてくれる。

さざん会の返信4通、為近,高原、志治、田島いずれも欠席。

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2008年4月15日 (火)

私の音楽愛好歴(1)

4月15日(火)晴
長女立ち会いの元に、家内のヘルニア手術入院の手続きがいろいろの検査の後に契約が行われる。21日の再度別の検査があるらしい。とにかく永い時間待たされるのに参る。
入院日は5月7日、手術は8日になるとか。
三人で近所のレストランで昼飯を食べ、サティに立寄り買い物を済ませて別れる。

さざん会出席1名坂口君。
病院の大きな待合室で2、3時間も待たされて外に出たときの明るさ,凄過ぎて目が回る程である。
今日は全くいい天気だったのだ。

&つれづれの記ー私の音楽愛好歴

私の88年の生涯は確かに気の遠くなる様な永さである。しかし今となってみるとあっという程短く早かった日々だった様な気もする。
記憶の欠落する部分も多い。幼少の頃は勿論ほとんど憶えていない。4歳のとき1ヶ月間太平洋上を航海したことなど,母から私の行状を聞かせられた部分だけが、残されただけで自らの記憶としては何も無い。
5歳の時と思うが,父が家を建てた時、仮普請した家の前で鉋屑などのたき火にあたりながら、親父と大工の高崎棟梁が談笑している場面を何故だかありありと思い出す以外に記憶は残っていない。

幼少時代の記憶は殆ど小学生時代である。とぎれとぎれではあるが、無数にあってとても一度には思い出されない。
二三年の頃から歌が好きになった。原因はわからない。
ただ声が良かったらしく、よく教壇に引き出されて歌わされたことを憶えている。
時には夏など廊下側の窓が引き開けられて,廊下を通る他の学年の生徒などが,覗き込み聞いて拍手を送ってくれたりして、嬉しかった。
四年の時、担任の高木先生は老年で唱歌は出来なかったので,他の組の先生に習っていた。
全校の音楽会の舞台に,ただ一人組を代表して歌わされて、非常に淋しく嫌な思いをしたことをよく憶えている。
この頃までは歌は歌ってもそれほど好きだったのでは無かった気がする。
五、六年は担任が音楽の得意な中川先生だったので、特別に目をかけられ、一番進歩した時代だったろうし、音楽がほんとに好きになった頃だと思っている。勿論毎年の学芸会には引っ張り出されたものだ。

中学校に入っても、広島から通って来られた音楽の先生から,よく指名を受けて教室で独唱させらたものだが、一年生の冬に風邪を引いて声が出なくなり、声変わりしてしまって、高音が出なくなり歌うことを断念せざるを得なかった。

爾来歌うことは一切なくなった。音楽という授業科目も二年生でなくなった。しかし歌そして音楽への愛好の念は中絶することはなかった。

この頃父のすぐ上の伯父がハワイから帰国して来た。目が悪くて治療目的の帰国であった。
その長女が付き添いで一緒に帰っていた。なかなかハイカラな女性で私と同い年だったが、その行動は女性と言って差し支えなかった。音楽好きで、ダンスがうまく、盛んに私を誘って,歌や踊りに引き込んだ。ワルツの曲など外国の音楽を憶えたのもこの頃からである。
しかし一年ぐらいして、彼女の父母仲が悪くなり、彼女は母親と一緒にハワイに帰って行ってしまった。
(つづく)

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2008年4月16日 (水)

なたねつゆ

4月16日(水)雨
朝6時過ぎに起きて,広島総合病院に出かける。皮膚科の定期診療日である。
もちろん一番乗りだが、後期高齢者保険に保険証書が変わったのでその手続きに廻される。.20分ぐらいかかる。

9時33分やっと終って病院を出る。診察の結果はもちろん問題は無い。塗り薬だけ貰って帰る。
帰りには雨はほとんど止んでいる。

午後に至って尚降り止まない。なたねつゆという奴か。

小食がいいのか、体調はほとんど回復した。減量してメタボリックを解消しなくてはならない。今にして起居動作が難しい原因に思い至る。心臓が弱った今、もう運動は散歩とて容易ではないし癒す手段とはいえない。
横山君は自転車ペタルふみを一日百回こなすという。薦められてはいるが、とても私にはむりだ。
天命を静かに待つ以外に法はない。
自分のことはもうどうでもよい。家内の方がうんと心配だ。

さざん会出席水戸君、欠席畠中、月岡、橋本、寺井の諸君。

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2008年4月18日 (金)

夫婦交々医者通い

4月17日(木)雨
まぎれもない菜種梅雨。昨日、今日とほとんど小止み無く降り続く。
朝から食欲もなく、昼はとうとう食事を抜く。
家内は医者に行けというが,木曜日で午後は休診。
薬を飲むと却って具合が悪くなりどうも信用出来ない。ほとんど指定通り呑んでいるのだが,悪くなる分でも良くなる感じは無い。まあわけがわからないといった気分の毎日だ。

それよりも家内のヘルニアが時々傷むというのが気がかりで仕方がない。5月7日の入院で間に合うのだろうかと。

二人とも今はダウン状態である。
食事の量も目に見えて減っている。
雨で外出ストップは我々には却って好都合。

4月18日(金)晴
朝雲は多いが青空が見え陽光も早くから輝いている。やっと雨雲が東へ去ったか。
ラジオは東海地方で大雨が降っていると伝える。

26日の聖火リレーは長野市で行われることになっているが、スタート地点を善光寺境内としないでくれと信徒から異議が出ているらしい。警備も各地の反対騒動に鑑み警戒を厳重にするらしい。
平和ということは口で言うほど簡単ではない。考えて見るとオリンピックといえども平和的な行事ではない。事実は模擬戦みたいなものだからだ。武器を使わないことが戦いと違うだけだ。

内藤内科に行く。風邪具合を診てもらう。胃の具合は先生が紹介状をつくるから広島総合病院で診てもらう様にという。
手に負えないとの感じ。薬は別のものに取り替えてもらう。昼と夜と二度呑んだ所では,つまりもなく胸やけもしない。こんどの薬の方がよさそうだ。
月曜日に広島総合病院に行かなくてもよければいいのだが。

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2008年4月21日 (月)

便秘との永い格闘

4月19日(土)曇時々晴
家内は昼前のJRで呉の法事に出かける。博和さんの13回忌だそうだ。
私は今朝はのどの通りが又悪く、日替わりメニューでいささかまごつく。
昨日から薬が大分変わってはいるけど、そのせいかも。

午後5時過ぎ家内が帰って来て駅に迎えに出る.少し遅くなりタクシーで帰りかけている所を家内が発見して後帰りする。やはり大分疲れたらしい。

4月20日(日)晴
朝から尾籠な話しだが、食後すぐ便所に屈んだのだが、便意は強いのだがなかなか出ない。口まで来ているのだが,脱出出来ない。一度は諦めて水洗して立ち上がったのだが、どうしてもしたくてたまらないので,又屈む。
もうすぐという所でやはり落ちない。仕方がないので手の指を使ってさぐる。粘っこい便が指先にたっぷりつく。
なんどもぬぐっては、とうとう手作業で取り除く。肛門の中に指先に触れる堅いものがある。排泄物か肉体の一部かわからない。これがどうやら邪魔してるらしい。
これ以上どうにもならないので奇麗に水洗して切り上げる。

しかし奥にはまだ大きな塊がいくつかあるらしい。家内に浣腸器を何個か買ってこらして,実験的に実施する。
結果的にはこれが悪かったらしい。周期的な排せつの痙攣が止まらなくなった。
とうとう肛門が開いたままになったらしい。液状便が自然的に排出して来る。下着はくそまみれである。
夜中までつづく。風呂に入って洗ったりしたが、解決にはならない。
午前4時の痙攣のときを利用して何とか4個の塊状の便を排出する。
痙攣の時力を入れ過ぎると気が遠くなり気絶しそうになったりする。すっかりへとへとになる。

4月21日(月)曇
家内に強引に広島総合病院に行かされ、消化器系統の診察を受けさせられる。
取りあえず血液診断をうけ、明日10時半消化器の診断を受けることになる。

昨日は終日七転八倒して、他の事には目にも耳にも気が行かず、あっという間に過ぎ去ったのだが、今朝の新聞を見ると,記事多彩新鮮な驚きを今更感ずる。
総理が選挙演説に来て、岩国民間空港の再開に約束を与え、カープは巨人に勝ち越し,サンフレッチェは格下の甲府に惜敗する。
また宮島のさくらが半数以上生育障害にかかっていると関係者を心配させている。
ほっておくと枯死するというのだから穏やかではない。なんとか助けてほしい。

昨夜の疲れで今日はほとんど寝て過ごすことになる。
日記は遅れ気味で精彩はない。
体調が悪くなると、ブログへの関心は薄くなる。風に揺らぐ灯のごとき生命の残照だが、ペンを置くときが正に訪れんとしている。

夕方食事中に突然腹が痛くなり,便意が強くなる.慌てて便所に駆け込む。
今朝ほど呑んだ下剤が効き始めたらしい。一挙にくだる。
一応腹がからっぽになって、すっきりしたが、昨夜からの長い格闘の末だから肛門周囲が痛い。

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2008年4月22日 (火)

胃カメラ検査

4月22日(火)晴
朝食事を抜いて、10時半から広島総合病院の胃カメラ検査を受けに行く。
生まれて始めて自分の消化器の大半を見ることが出来た。ひだは沢山あるけどなめらかなひふに驚く。乾癬のおかげで見る影も無い外観にくらべて内蔵の美しさはどうだろう。見ほれると同時にありがとうと感謝の念が沸き上がる。
結果はなんら異状なし。内藤医師のレントゲン検査と同じ診断である。
午後もう一度内藤医師に報告に上がる。広島総合病院の浅本医師からの手紙が添えられているので。
結局私の神経のせいだといわれてしまう。
現実には何度も食道がつまるのだから、これも原因不明の病気かな。

今月は家内も私も医者の們を出たり入ったりで過ぎて行く様だ。
これでは政府も後期高齢者保険を考え出す筈である。しかしそれにしてもこんなに縁故が深くなるとは思いもしなかった。
つびの死に場所は病院だろうから,余命の少ないこの身,仕方のないことか。

医者には言ってないが、まだ便秘の後遺症で少し困っている。老人になると至る所の器官が老化して機能不良になるらしい。肛門まできちっと閉まらないで液を洩す。思いもしなかった。下着が度々よごれて、交換が激しくなるので家内も困って来たようだ。

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2008年4月23日 (水)

病気になると忙しい

4月23日(水)曇後雨
今日はまた天気が悪くなるようである。朝から高曇りで日射しは見えない。
昨日さざん会出席の通知を頂いた土田好治君に改めて経過報告を出して置く。もう少し早くと思っていたが、医者通いが多くてそこまで手が回りかねた。予定通りことが運ばないのは世の常の事どうしようもない。

世話人が欠席はよもやあるまいが、念のため早々と意思表示をして安心させてくれたのだろう。

ここの所寝ている時間が多いので、文庫本の読みあさりがつづく。就中藤澤周平ものは何冊も枕の上の棚に並んでいる。なんどもなんども繰り返して読む。結構面白く楽しい。俗世間にいながら、俗世間を超越して妄想を加えながら読む。

水戸君がまたまた激励のメールを送って来る。死線を越えて行けとの共鳴か。

午後から本格的な雨になる。家内が内藤内科に行くというので、自動車で送迎する。午後4時に出かけたので客足はすくなかったのだが、血液検査があったりして少し永くかかる。

先日の呉の法事に欠席したので、芳邦さんからどんなのかと電話が入る。見舞に来たいなどという。そんな心配までしなくていいと家内は断りに大わらわ。
田丸の妹は家内の見舞に行くからと、何時入院するのか、何日入院するのかとしつこく聞いて来る。
滅多に病気をしなかった私達だけに、弟妹たちへの波紋が大きい様だ。私の葬式はやるなと言い渡してあるのだが、果たして実行してくれるだろうかと心配になる。

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2008年4月24日 (木)

プルサーマル原発

4月24日(木)曇
雲多く、天気の回復は遅くなりそうだ。
体調は大分回復した。腹は軟便でまだ治りきっていない感じ。
心臓が弱るということは、あらゆる機能に影響があるのだろうから、意識も散漫になり、物忘れもひどくなったようだ。日常の動作にも緊張がない。何もかも億劫だ。

午後霞んだ空から遮られた太陽光が弱々しく地上に降りて来る。
今ごろになると赤道が随分北上したと見え、部屋の中には50cmも射し込んで来ない。

大間原発が世界で初めてプルサーマル専用の発電を始めるらしい。資源の乏しい日本の切羽詰まった切札である。
非常に危険な選択らしいが、日本の全智を絞って成功させて欲しい。

チベット問題の反感から北京オリンピックに幾らか悪影響が出るかも知れない。聖火リレーも平和の式典にしては異常である。ここ十数年急激に経済大国に浮上した中国に対するねたみがあるらしい。
かって日本がくらったのと同じくりかえしである。
中国国民も19、20世紀には国を失いかけた。よくぞ盛り返したといいたい。
黄色人種は今こそその虐げられた恨みをはらさなくてはならない。
頑張れ中国!チベットも抑圧しているとは思われない。台湾にしても、新彊にしても自然に人民の意思で落ち着く所へ落ち着くのではないか。中国の民は決して狭量では無い。

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2008年4月26日 (土)

体調好転

4月25日(金)晴
弘前の桜が満開という。テレビで放映されるその風景は見事である。一度5月の季節が過ぎた時期に一度訪れたことがあり、城だけでもと思ったがとうとう通過だけに終ったことがあった。もっともあの時は見せ物は津軽三味線だったが。
楽々園に行き昼飯を食べる。ハンバーグを食べたがうまくなくて1/3残す。
本屋に行きまた藤澤周平もの2冊買う。
帰宅すると早速読み始める。
「武士の一分」の原作の小品も早速読む。原作もなかなか良い。

枕を新しいのに取りかえる。
紙おむつも一度使ってみようかと思って聞いてみたが売っていなかった。

ガソリンも買っておかねばと思ったのだが、今日はスタンドに寄らなかった。

4月26日(土)曇
相変わらずの春霞で今朝も島影は見えない。
体調はほとんど回復した。家内のは行きつ戻りつの感じではっきりしない。ただ気力がしっかりしているから、心配はいらないようだ。
GWは若者の祭典みたいなものだから、老人の出る幕はない。ひっそりと英気を養おう。

横山君からどうかと電話、体調が目下の所好転したので、さざん会に出席するつもりだという。それなら5人になると返事をする。もう常連でもだんだん減って来ている。一人でも出席が増えればそれでいい。

午後4時頃小百合夫婦が明日の広響の招待券を戻しに来てくれる。
家内が入院するので駄目になったと思っていたが、入院日が連休明けになったので明日は何でもなくなったわけ。
娘等には悪いことをしたことになった。素直に親孝行のお礼を言っておく。
明日は婿の両親の世話があるらしく、公私ともに連休とて楽ではないようだ。

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2008年4月28日 (月)

広響定期演奏会

4月27日(日)晴後曇
広響の定期演奏会を聞きに行く。
演目が良いせいで駐車場も早くから満員。会場もどんどん詰まってあっという間に満員になる。こんなことは初めてである。
前半のメインはショパンのピアノ協奏曲第1番。もちろん私の大好きな曲である。ピアニストは外山啓介という現在東京芸大修士課程在学中とあって、24歳の新鋭だが、初めて聞く名前である。第73回日本音楽コンクール第1位の経歴の持ち主だから知る人は知ってるのだろう。
外遊の経験もあるし、国内の大オーケストラとの共演も数多くあるし、実際の演奏の素晴らしさは聴衆の感動を呼び、アンコールの拍手は鳴り止まなかった。
後半はベートーベンの運命という名曲。楽団員も手慣れた曲だろうから、朗々とした演奏に乱れは無い。
これまた素晴らしい演奏に拍手は鳴り止まない。
結局どちらも一曲づつアンコールがついて演奏会が終わる。
聴衆としてもすっかり満足した数時間であった。

4月28日(月)曇
朝から眠い。一時間ばかり昼寝。
午後買い物のついでにガソリンを補給する。都心と違ってスタンドに列なんかつくってはいない。私一人。
暫定税期限切れの御蔭で¥400.ほど儲かった。阿呆らしい。

最近顔が腫れぼったくて痒くてならない。どうしたわけかわからない。もっとも顔だけでなく気をつけてみると身体全体が何となく痒い。だからふと気づくと手があちこちと皮膚ののぞいているところを掻いている。
老人性のものらしい。

午後5時、雲深く夕闇の感じすらあり。
予報では明日晴という。信じ難し。

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2008年4月29日 (火)

呼称は変えられぬ

4月29日(火)晴
春霞で青空も島影もまるで見えないが、太陽の日射しが地上に明るく照り注いでいる。
唱和天皇生誕の日である。
昨日東京の松岡君がさざん会欠席の返信。来年は東京の番だが、常連が来てくれないとどうなるかなと心配だ。

よその事はわからないが、わたしのうちでは兄弟姉妹甥姪そして子孫は未だに幼名で呼んでいる。もちろん普通の”さん”、”ちゃん”付けも時にはあるが。
70歳のじい、ばあをよっちゃん、かっちゃん、みーちゃん、しーちゃんだからちょっとおかしい。
一緒に旅をすることも多いのだが、どこへいっても大きな声でそれで通す。恥ずかしくも何ともないから仕方がない。
こちらは長男、長女だから誰からもお兄さん、おねえさんと呼ばれて、当然と構えている。
もう半世紀通用しているから今更改め様は無い。
弟妹たちにとっても、もう固有名詞として、からだに染み付いているのではないだろうか。

家内の誘いで植物園に行く。広場で音楽イベントなどがあり、来客が多い。
暫くエリザベート音楽大学の生徒の演奏を聞く。
私の心臓はかなり良くなった感じで、息苦しさは随分減ったが、家内のヘルニヤはやはり少し痛むらしい。
軽く公園の山歩きを済ませて帰路につく。Chulip
Kogiku
Popins

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2008年4月30日 (水)

家内の入院支度

4月30日(水)晴
相変わらず霞がすごく、青空も島影も見えない。天候は良いのか悪いのか判じ難い。
午後になっても状況は変わらない。陽光は霞を通り抜けて地上に弱く映えている。
部屋の温度は29度。吹き込む風が僅かに涼しく、蒸し暑さは感じられない。

家内は午前中裏の庭の草取りをしたらしく、昼飯を食った後腹が痛むとじっとしている。
草の生長が早いのでじっとしておれないという。
しゃがみ仕事は単純な様だが、もっとも辛い仕事で特に腹具合が悪くてはすべきではないのだが、私の忠告など受け付ける女ではないのだからしかたがない。

入院の支度は一人でどんどん進めている。私の手など貸してくれとも言わない。
もう終っているのではないか、まだ一週間先のことだのに。
娘がベッドを買えといってたが、どうするのか何も言わない。

岩中の同期生会の案内が来る。早速菊谷君に電話で1名出席すると返事をしておく。
日時は5月12日12:00。場所はいつも通り。

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