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2008年3月 1日 (土)

薬の副作用

3月1日(土)晴
気温7度、庭先に出ると空気が生暖かい。やっと春だ。
気にするからかも知れないが、体調はも一つはっきりしない。

昨日医者で食欲の事を何度も聞かれたが、永年腹7分目を心がけてるし、胃腸がおかしいと感じたことはほとんどない。今は茶碗7分目が原則だから、食い過ぎることはほとんどない。だから医者に食欲はと聞かれてもこたえに窮する。排泄の方も全く問題ない。入るのが少ないから出るのも少ない。

若い時特に兵隊のときは随分無茶をしたけれども、戦後は食料不足で食い過ぎなどとんでもないである。
老境に入ってからは、病気で苦しむことが嫌だから、そこはいつも考えていた。欲望を適当に抑制することは習い性となった。長生きが出来るということは、畢竟そういうことなのだろう。

午後頭痛がして、気分が悪くなる。
医者のくれた薬の副作用かなと思って、ネットで薬効などを調べてみるとやはり頭痛、めまい、嘔吐などという副作用があるように書いてある。この調子だと指示通りには呑めないなと思う。発疹も副作用のうちにある。
発疹はもう全身にくまなく出来ているから痒くてどうにもならない。
七転八倒の苦しみに近い。

乾癬の主薬のチガソンも頭痛、掻痒などの副作用が書いてある。まさに相乗効果が出ているのだからたまったものではない。医者には予めチガソンなどの使用している薬名を届けているし、薬局にも届けているのだが無視されたのだろう。頭痛も寝る時間になっても変わらない。

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2008年3月 2日 (日)

友、ガン克服か

3月2日(日)晴
ゼロックス・スーパー・カップでJ2降格の広島がサッカーの王者鹿島を破って優勝した。試合は鹿島の優勢で終始したが、荒れゲームで退場者が相次いだり、警告11枚と多かったことが、広島を助けた。怨念というか執念がカップを奪い取った感じであった。一軍復帰をどうでも一年で達成するというのだから、幸先はよかった。

気温2度といつもの夜明けだったが、好天に恵まれてどんどん暖かくなって行く。予報は12度だったが、それを超えるかも知れない。
部屋の中から外をガラス越しに見渡しながら、勝手な空想をめぐらしての天気判断だから、大気中での実感はわからない。しかし霞が少々かかってはいるが、午前中の気配は申し分無い。

体調は今ひとつすぐれない。頭も重い。痒いのは相変わらずだ。

午後は霞か黄砂か、空をすっぽり包んで日の影が見え難くなる。いい天気とは言い難い。

テレビで琵琶湖マラソンを見る。相変わらずアフリカ勢が強い。男子はオリンピックの期待は出来そうにない。

今朝早朝3時14分痒くて眠れないので、起き出してパソコンに向う。
ネットに入ると、水戸君のメールが入っている。気になっていたガンが、
「昨日4回目のpet検査を受けた結果が出ました 再発 転移の心配はないので当分のあいだ現状維持で推移するものとおもはれるとゆうことでした 1年で1巻の終わりとおもつていたので望外の喜びです」とある。
悪運に感謝とあるが、冗談のつもりだろうし、喜びの深さを感ずる。
もちろん6月の”さざん会”にはしゅっせきと末尾に書いてある。
山口グランドホテルでの再会には、闘病のいきさつがとくとくと披露されることだろう。

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2008年3月 3日 (月)

火災報知器

3月3日(月)曇
気温4度,黄砂が空を覆って、太陽も銀色に輝いてはいるが、透過困難と見えて部屋は一向に暖まらない。
島影は何一つ見えない。
朝鮮では黄砂そのものが降って来ているそうで、マスクしないと呼吸器を痛めると報道されている。
ここらは洗濯物が汚れるところまでは行かないのだろうが。

家内はお茶。
消防署員が火災予防報知器のことで来宅。市の条例で設備を義務づけられた由で、丁寧な説明がある。
最近老人宅での火災発生が多いとかで、うちなど差し当たり一番危ない家庭とふまれたか。
元気な様でも忘れっぽくなった自覚はあるので、素直に聞く。
ホームセンターで売っているというのだから早速買いに行かなければならない。

昨夜は二度目の入浴の後、浴室から出ようとした所急に気分が悪くなり、食ったものをほとんど吐いてしまう。
食後1時間半はたっていたのだが、消化力まで鈍ってきたのかな。おかげで今朝はお腹がすいて食事がおいしかった。
さすが昨日の今日だから、風呂へ二度入るのは止めておく。

黄砂はとうとう1日中すっぽり町を包み、沖の眺めは灰色一色のまま暮れて行った。

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2008年3月 4日 (火)

心臓が弱った

3月4日(火)曇時々雨
黄砂去り止まず、島影淡し。太陽の姿なし。
気温5度とやや春めく。

早朝4時半目覚め、映画ビデオのダビングを行う。家内の為の韓国ドラマ『太王四神記」のダビングも併せ実施。

10時内藤内科に行く。検査結果が出て、先生が懇切に説明してくれる。肝臓、腎臓、血管、コレステロール値皆二重丸と申し分無い。ただ心臓が弱っていて、標準値50以下なるに105ある。これが原因で足のむくみが出ているのだろう。というわけで血流を良くする薬をもらって呑むことになる。まあ気休めみたいなものだが。

ともあれ、心臓停止による死亡率が一番高いということで、家族などに迷惑を掛ける率が少ないということは慶賀に堪えない。妻にも早速突然息が切れることがあるかも知れないから、普段から覚悟しておくよう改めて念を押しておく。
ここに来て怪我が一番怖い。痛いし、直ぐ死ねないし、下手すると永い間入院すことにもなりかねない。車は確率が高いので、心配の種になって来た。

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2008年3月 5日 (水)

蒙古の風

3月5日(水)晴
雲は多いがまあまあの天気。どこかえ行きたいが二人の意見が合わない。
身体の痒いのが、気持ちをいらだたせて、落ち着いた考えが出ない。

昨日の医者の先生の言で、足のむくみをとるために、足を心臓の位置より高くして寝ろといわれる。しかもお寺の和尚が読経する時使う座布団2枚を敷くぐらいでないと駄目だという。そんな大きな座布団はうちにはないので、ふつうのでやってみると、直ぐ崩れたり、横寝などすると特にいけない。眠ってしまうと何をするか分からない私だから尚更である。簡単におっしゃましたが、実現不可能に思えますが如何に。

中国新聞の「天風録」というコラムに、私がいつも気にしている黄砂のことが詳細に論じられていた。

『黄砂    '08/3/4
ビルも山並みも、すっぽり黄色いもやに包まれている。広島市の平和記念公園でも、つやつやしたツバキの葉に触れると、指先にうっすら汚れが付いた。きのう、西日本各地に今年初めて飛来した黄砂の仕業だ▲中国からモンゴルに広がるゴビ、タクラマカン砂漠や黄土地帯で巻き上げられた砂塵(さじん)が、偏西風で運ばれ、地上に降り注ぐ。冬と春がせめぎ合うこの季節は、砂嵐を起こす低気圧が発達しやすい。あまりうれしくない「春の便り」でもある▲それにしても、昨今は異常に多い。広島地方気象台のデータを見ても、二〇〇〇年から昨年までを平均した年間観測日数は十六日余り。年ごとの変動はあるにせよ、一九九〇ー九九年の二倍という数字は、やはり気になる▲黄砂の原因として見逃せない中国の砂漠化。草地の荒廃や森林伐採に加え、地球温暖化も絡んでいるらしい。黄砂防止の点から注目を集めているのが、鳥取大名誉教授だった故遠山正瑛さんらの緑化の取り組みだ▲中国・内モンゴル自治区の砂漠で、遠山さんら日本人ボランティアと住民が協力し、十五年間で三百万本以上のポプラを植林した。写真で見ると、見違えるような緑の森になっている▲「できるところからする」が遠山さんの口癖だったという。五月中旬には現地で、歩みを振り返る日中サミットが開かれる。地元の市人民政府のほか、日本側からは鳥取県や鳥取大も加わる。よみがえった森から、どんな便りが届くだろうか。』

昨日はまだこの付近の上空にも残っていたと思うが、今朝はもうすっかり飛び去ってその気配はない.御蔭で宮島始め能美、黒神などくっきりと美しい。
天然の春霞はこの頃はいつものことだが、黄砂がかかるともうどちらがどうかは素人の私にはわからない。
どちらにしろ、うっとうしいものである。

夕方になって、内藤内科から心臓のエコーを見たいから月曜日朝10時10分に来てくれと電話がかかる。丁寧なことである。心臓が止まれば即死だから、薬を出す以上その動きをちゃんと見ておきたいのだろう。

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2008年3月 6日 (木)

乾癬悪化

3月6日(木)晴
今日は朝から身体が痒くてたまらない。原因はもちろん乾癬が一番目だが、最近は薬疹らしい現象も生じて、訳が分からなくなっている。
そもそも乾癬というのが原因不明の病気だと言うことがどうにもならない。
その字からして嫌な病気だが、おできか、ばい菌かというと違う。酵素の一種かというとこれも違う。
私の聞き知ってる所からいうと、どうやらリウマチの様な自己免疫体の仕業らしい。自己免疫体が主として皮膚に向って攻撃し破壊することを指すらしい。
私もそもそもは頭のふけから始まった。痒くていけないから掻くとぼろぼろ落ちる。これが異常に多いので近くの皮膚科に行き診てもらった。乾癬だろうということだった。
そのうち9月のある日、ベッドから起き上がると、足が痛くて立ち上がれない。足首が異常に腫れて凄く傷む。
外科に駆け込み治療してもらったり、温泉にも毎日の様にかよったりしたが悪くなるばかりで一向によくならない。
市民病院で診てもらって、関節症性乾癬だとわかる。今から約20年前の話である。
関節症の方はなんとか食い止められたが、乾癬は広がる一方であちこち医者にかかったが、どこでも直せないまま今日に至っている。元大学教授の皮膚専門の先生にも診てもらったが,原因が未だ分からない病気だから直す方法はないとも言われた。今では全身に症状が廻って、風呂に入ると正に赤鬼である。
表皮が無くなって,真皮層がむき出しになってるのだから、毛細血管のせいで赤身丸出しである。風呂に入るときは気が遠くなるほどしみて痛い。湯温になれると気持ちが凄くよくなる。この変わり様が何とも云えずよい。
ここのところ何日か温泉のつもりで、1日2回入ったりしているのだが、今日先程入って出て来た所、衣類を着るとひりひり、ちくちく痛くて痒くてたまらない。
毛足のきつい衣類だと、赤身の皮膚に刺激を与え過ぎるらしい。綿でもナイロンでも毛でも駄目だ。取りつく島が無い。
のたうち回って死ぬのかなと今思い定めているところである。幸いに心臓が弱くなっているということだし、早くダウン出来ていいかもしれない。

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2008年3月 7日 (金)

京都の伝統

3月7日(金)曇
沖合霞こく島影はまるでみえない。高曇りだが日影は容易には見られそうにない。気温は5度近くもう春色歴然。
ただ家内も私も体調今一つすぐれず、家中に陽色はみえない。

家内の親しい友達がいずれも体調を壊して,医者にかかったり,入院したりしていると,朝食話題豊富でにぎやか。
もう彼女等も皆満80歳、無理からぬ所か。

本と食物を買いにでる、その間に家内はせいこう胃腸科に検査結果を聞きに行く。
検査結果は別状ない由、安心。

天気は相変わらずで寒いまま、今日という日が終る。

今日のサンケイで京都で共産党が元気なわけというコラムがある。渡来人の平等主義の伝統かとえらく難しい由来を述べて居られる。そもそも京都に都が出来る前から渡来人が秦氏などという名前で集落を構成していたらしい。
その子孫が種族的伝統を今に伝えているのだそうだ。私にはよくわからないが共産党の考えに似ているのだろうな。

私は単純に私の郷土の先輩河上肇が京大で説いた当時新鋭な理論だったマルクス思想が傾聴され、受け継がれたと思っていたので、千年以上もつづく精神的伝統が根強く伝わって居たなどとはつゆ知らなかった。
しかし今でも郷党では河上先生への崇慕の念は消えては居ない。もっとも若い世代には通用しないことかもしれないが。
こんな議論が出て来るということは,世相が急転回している証拠かも知れない。世紀遅れの老人などお呼びでないのだろうか。

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2008年3月 8日 (土)

人ごとではないんだが

3月8日(土)晴
春霞は相変わらずだが,大空には雲一つ見えない。
昼前で掛けて天霧にうどんを食べに行く。楽々園に廻っていろいろ買い物をする。
好天気と休日が重なって車も多く人も多い。
用件だけ済ましてさっさと帰宅。それでも1時半だった。

10時過ぎから、北から雲が張り出して来て幾分天気は悪くなる。といっても太陽が隠されてしまう様な状態ではない。
ここの所朝はやくからムクドリが沢山庭に来ている。何を食べるのか知らんが実がなる様なものは無い筈だが。
私が窓から顔を出すとキイキイとけたたましい声を出して、一瞬の間に飛び去ってしまう。
例年今ごろ沢山やって来て、糞をまきちらして洗濯物などを汚してくれる困り者である。
特にその鳴き声には瞬間ドキンとこちらが驚かされる。

今日も身体が痒い。昼寝もし辛い。あちこち掻くから傷だらけになる。
この冬に入ってからこんな状態が続く様になったと思っている。
薬のせいか、食事のせいか、その両方か、ともかく体力の衰えがつけ込まれた感じである。
なんと因果なことか。

昨夜3時52分の地震はすぐ目の前の海の底50キロが震源とか、私は驚いて飛び起きたが家内は全然気づかなかったらしい。もっとも一度揺れただけだったから、初動に気づかねばわからないだろう。余震はなかった。
何年か前の芸予地震のときは、大揺れに身を任せ、棚から落ちてくるものを呆然と見つめていただけだったが、時間の長さといい、揺れの大きさといい桁違いである。この程度でよく目が覚めたなと思っている。最近は少し眠りが浅くなっているのかもしれない。

竹島さんの病気は圧迫骨折というのだそうだ。ギブスをしたまま動けない由。独身所帯だから退院しても大変だなと思う。独身貴族だと家内は羨んでいたが、こうなるとそうも言って居られない。それこそ介護保険、介護人のお世話が必要となるだろう。人の辛さを見て我が身を戒めるときが来た様だ。

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2008年3月 9日 (日)

スポーツ花盛りだが

3月9日(日)曇
昨日と同じ様な高曇りの、四方霞で煙って、良くなるか悪くなるか見当の経たない朝の天気。
昨夜は家内も眠れなかったと言ってたが、私も10回ぐらい起きたのではないか。寒からず暑からず、といってベッドの中がむしむしして寝苦しく、火照った身体を時折さますのに忙しかった。
この頃にしては湿度がいやに高かったのかも知れない。それに相変わらず身体が痒いのだから。

午後には下り坂との予報だから、喜んで行楽にでかけられる休日とはならなさそうだ。
こちらは人の休むときは邪魔をしない主義だから、どうだろうと一向かまわないが、日向ボッコができないとちょっと辛いな。

新聞でもテレビでも、最近の話題は日本人大リーガーの活躍予想に絞られた感じである。
彼らのひたすらの精進が報いられるわけだからそれはそれでいいのだが、セリーグのお荷物に成り下がったカープや二軍リーグに落とされたサンフレッチェなどは、地元紙ではなんとかお付き合いしてもらっているが、中央紙では片隅にも載っていない。もう忘れられた存在といっていい。
人気商売だから、人気がないと成り立たない。楽天などとくらべてみると明らかに経営のやりかたが違う様だ。
新球場も出来るのだから、一か八か思い切った施策をとれる指導者はいないのか。

午後は女子マラソンに始まって、J1サッカー、そして大相撲とテレビに釘付け。
マラソンは高橋が痛ましかった。初マラソンの選手が上位を占めるなど、若い人が後から後から出て来ることは頼もしくて嬉しい。
サンフレッチェが予想通り1勝をあげた。なにはともあれ、ほっとする。
大相撲は2時間たっぷり見たが、大関陣のふがいなさにがっかりする。次の横綱も蒙古人に取られそうで、国技の名称を変更しなければならなくなるのではと心配である。

午後にはいつの間にか外は雨になっていた。

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2008年3月10日 (月)

日本語の命は漢字だよ

3月10日(月)曇
朝気温は9度とえらく上がっている。もうこれでは寒いなどとは言って居られない。
まだ雨のしずくが上の方からぽたっと落ちて来る。
雲は多いが予報では午後にはよくなるとのこと。永く続いた冬も終だな。

昨夜もなかなか寝付かれず夜中に起きてパソコんをいじったり。一頃の寝太郎だった私とは自分でも分からん変身である。余生がなくなったから、せめてものいとうしみかもしれない。

予報通り午後にはすっかりいい天気になり、気温もどんどん上昇する。窓際など31度にもなり、部屋の温度も27度と暑くてどうにもならないので、肌着一枚になって身体を干すことにする。

マラソンの日本オリンピック代表が決まった。オリンピックの花であるし特に女子は3連覇が期待されるし、注目の的であった。結果をみると理想的な選考が出来たといった所か。地元の中国電力の選手が2名選ばれて、鼻が高い気持ちだが、せめてメタル一個はほしいところ。

今日の新聞コラムに「漢字が言語力育成の鍵」というのがあって、今の子供は漢字を音声符号と捉えていて、そのことによる間違いが多いとあった。そんなことが起きてるのかとびっくりした。
日本では漢字の基礎がなくては、政治も経済も哲学もなりたたない。その上で外国語を理解し会話しその真意を通じ合う。だのに今はどんな教育をしているのだろう、理解が出来ない気持ちだ。

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2008年3月11日 (火)

奇遇

3月11日(火)晴
朝9時内藤内科に受診に出かける。足の腫れはすっかり治まったので、心臓の薬はぐっと減らしてもらう。
医者から帰宅してすぐ県立美術館の日展百年記念展示会を見に行く。
先に館内のレストランで昼食を済ませ、美術品観覧の前に縮景園の梅の花を鑑賞する。
もう終に近い花びらだから、芳しさは落ちるが、花の好きな家内には堪え難い喜びがあるらしい。
梅花園を隈無く廻って、美術館に戻り展示物を鑑賞する。

私でも知ってる様な著名な絵画も数点ある。1時間ぐらい見て、近くの逓信病院に最近入院した家内の友達の見舞に出かける。
車いすかなにかの生活だと思っていたが,案に相違して病室で歩き回っている。コルセットをはめているから窮屈なのだがと言ってたが、今は痛みがないのでと元気そうであった。
ちょうど岩国から見舞に来ていた,私の元同級生で十年前ガンでなくなった外科医の看護婦さんにお目にかかる.40年振りである。よく無理をいったもので、友達同様の口をきいたりしていた看護婦さんなのでいささかびっくりする。
現在も80にしてなお他の病院の看護婦をしているそうだが、友達のところで友達が死ぬまで、42年も働いたそうで、昔の事,私の仲間の事など皆覚えていて、見舞の話をすっかり横取りしてしまった。
更に言えば彼女は竹島さんとは看護婦の同期生なんだという。
全くの奇遇で随分時間を取ってしまったが、世のなかにはこんなこともあるのだなあ。

帰路スーパーに立ち寄り少し買い物をして、すっかり疲れて帰る。

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2008年3月12日 (水)

病気いろいろ

3月12日(水)晴
快晴の小春日和。まさにいうことなし。
先日開業したスマートIC(宮島SA)を覗いてみる。ETC専用入口がSAの直ぐ隣に立派に出来ている。
暫くいたが利用者は未だしの感じ。地元の人たちの了知がまだまだなのだろう.市役所からのチラシも入ってはいたが。
ETCの割引も始まったし,折角買ったのだから利用すべからずである。
この付近は9時〜17時まで3割引となるという。

家内は内科の定期診断に出かける。リウマチが依然としてはっきりしない。
明日は外科の薬を貰いに行かなくてはと言っている。元気な様でもまともではないな。

私も昔結核をやったことがある。先日内科でレントゲンを撮ってみて,医者が結核の跡がかすかに残っているといわれた。60年も前のことだが、そんなものかなあ。

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2008年3月13日 (木)

黄砂問題は小さくないよ

3月13日(木)曇
黄砂日和らしい。太陽は銀色に光って見えるが、ここまでは届かない。直ぐ眼前の家並みも砂塵に霞んでいる。
北京オリンピックも黄砂を理由に不参加を唱える選手が出て来たりして話題をさらっている。中国政府も頭の痛いことであろう。

朝から8度と気温はすっかり春のものだが、この砂塵の中をどこかにでも出かけようと言う気はしない。
それでも外出好きな家内はアルパークに出かける。送ることはことわられた。気ぜわしくて邪魔になるらしい。

身体が痒くて寝ても起きてもじっとしておれない。

日銀総裁の後継者問題がはっきりしない。いや何故か知らぬが自民党が推薦する人だから駄目だと決めつけているようだ。理由は財務省出身だからということにはなってるが。政治家のよくやる依怙贔屓を気にしているのだろうか。反対することこそ偏見ではないだろうか。
大体総裁候補との質疑を国民の前に隠して決議するなどおかしい。
居なくてはならないポストだから、総理と同じく衆議院決議優先とするか、両院議員の合同投票とするかして、決定してほしい。

いずれ憲法改正が審議されることになるだろうが,参議院を無くして,一院制にしたらどうだろう。
念が入り過ぎて真の民主主義政治とはなり難い様に思われてならない。

円高がついに100円を割った。外国旅行をするには都合がよいのだが、もうその元気は無い。しかし原油が安く買えることは適時適切でしばらくこのまま続いて欲しい様にも思われる。

中国産の食料輸入が激減しているらしいが、情報過多の時代だけにちょっとした拙さが引き起こす影響は今後の世相にとっての大きなファクターであることを感銘したことだろう。
黄砂なども小さな問題では無くなる筈だ。

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2008年3月14日 (金)

ガソリン値下がるか?

3月14日(金)雨後曇後晴
午前中は降り続く。銀行の書き換えなどで家内のお供をする.一度では済まないで午後にも出かけなくてはならなくなる。
午後4時頃やっと太陽が顔を出す。
腹具合が悪く夜中の1時頃から始まって、夕方までには5回便所に行く。下痢の症状ではないのだが,1回では終了しない感じなのである。
相変わらず全身が痒いので,5時風呂を仕立てて入る。何とかさっぱりした感じになる。
思うにこれらは特定の病気というのではなく,老の末期的現象と言うものだろう。
もう茶碗半分の飯でも多過ぎる。医者の先生はたんびに食欲はあるかと聞くが、ないといえば嘘になるが腹が減るというのとは違う様だ。ただ飯ばかり食ってるわけではないし、お菜の都合ではこちらが食い過ぎを誘ったりするので難しい。
最近はちょっとしたものでもアレルギー反応を起こすらしく、毎日の様に皮膚がぴりぴりしている様で、痒さの中にはこの感じが半分をしめている。

タイミングの良い円高かもしれない。思い切って暫定税を中止し、25円値下げを黙認したら。

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2008年3月15日 (土)

母の命日

3月15日(土)晴
快晴。
母の命日ということが昨日から分かっていたので,墓参りをする準備を起きると直ぐ始める。
家内も行くというから10時頃出発することにする。
母が22年前享年89歳でなくなった。私が今年数えの89歳である。私はもう満88歳を過ぎているから、実質少し長生きしていることになる。母は6月生まれだったから滿88歳には3月ほど足りなかった。
脳梗塞で倒れて8年経過し,既に最後の2年ばかりは殆ど意識無く、ただ生かされているだけの状態であった。
意識のまだはっきりしていた当時には、凄い執念で生きる為の努力を重ねていた。何年かのうちにそれも空しい努力だと分かって来た.いや本人にはその自覚は無かったと思う。それだけに側から見ている私達にはどれほど哀れであったか,残酷であったか、死後もずっと付きまとった後悔の念であった。

母の死を思い返しつつも、その若き日の激闘振りを顧みざるを得ない。
いつも母は並の人間ではないと感じていた。並の人間では到底到達出来ない、まして私などは真似すら難しいと諦めていた、
夜は9時10時まで畑にいる。朝は3時4時には起き出して宮参りをする,帰ると直ぐ仕事である。
食事は実に簡単で早かった。当然お祭りなど特別な日以外は肉魚類はほとんどなかった。
それでよく90歳近くまで生きたものである。
私などは何もしないで同じ年まで生きているのだが,生きるということは格別値打ちのあることではないことがよくわかる。

墓にぬかずきながら,不幸を詫びながらも,御蔭で同じ年まで生きられたが、もう後は要らないから、側に呼んで欲しいと御願いする。死後を信じていない私だから矛盾した話だが,信心深かった母の思いに縋って願ったまでである。

標高百米もない山の斜面に江戸の昔から開かれた墓地の中腹まで、もう杖なしには上れない。いま丁度心臓の薬を呑んでいるのでその効果を試すつもりで上って来たが、もうとてもいけない。これが最後だとつぶやく。

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2008年3月16日 (日)

臥竜の梅

3月16日(日)晴
霞立つ春の山野を遥かに望む今日の空.昨日のそれに同じ。
不思議に昨日の岩国行きの疲れは無い。
早く起き過ぎたと家内はこぼす。天気がよいと目覚めも早くなる。しかたがない。

昨日は帰りの高速の出口を宮島SAのスマートICにした。ただ出口は別に問題は無いが、そこからの連絡道路は結構煩わしい。家内は後の座席からぶつぶつ不満の声をもらす。
思いつきでこしらえたスマートICだろうから、それから先のことまではどうでもといったところか。

昨日は岩国に来たついでに吉香公園を散策する。紅葉谷に廻って洞泉寺の臥竜梅を見る。古色豊かに満開を過ぎては居るが美しい。
紅葉谷の苔の美しさを家内が頻りに感嘆の声を発する。そういわれれば,樹下に影の如く敷き詰めた毛氈にも似たこけの姿はこぼれ日に冴えて美しい。


昼飯は私の指名で,吉香の”吉香御膳”にする。いつもながら岩国寿司と鮎の甘露煮がおいしい。岩国流のおおひらもいい味だ。

昨日は訪れた両者とも主人の顔がなかった。いずれも百姓に出かけたよしでしかも弁当持参と来た。働き盛りの老人と言うべきか。

午後とひを直す。雨の日にいつも漏っているので何かゴミでも詰まっているかと思っていたが,はしごを掛けて覗いてみると,詰まっては居ない。ただ上から来るとひの口が下の受け枡にきっちりはまっていなかった。

午後2時窓辺の温度計は27度をさしている。暖かさ気持ちよさ、口では言えぬ。
ベッドに寝転んで起きるのが惜しい。

先だって逓信病院で竹島さんを見舞いに来ていた,友人の医院の42年間(開業から死亡まで)看護婦を勤めていた人の名前を家内が改めて竹島さんに聞いてくれた。斎藤さんというのだそうだ。
私達友人仲間では”中岡の看護婦”で通っていた彼女が斎藤さんであったとは、何十年も知らないでうち過ごして来ていた。
思えば不思議なことである。

Plum_garyu
Momijidani

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2008年3月17日 (月)

私のココログを本にする

3月17日(月)晴
昨日と全く同じ様な日。
家内はお茶。
私は心臓のエコーの検診がある。今朝も早く医院から念押しに電話がかかる。4,50分前に出かける。
検査の結果はどこも悪くない。心臓肥大も無ければ,狭心症もない。
16ミリの開閉圧力で5リットルも血液を送り出していて,問題はないと医者はつぶやく。
塩分の摂取を少なくせよ、無理な運動をしなければ安心してよいとのこと。
心臓が今更強くなることはないは当たり前の事だが、どうやら無理をしなければまだ働いてくれるらしい。
これも運命と諦める他は無い。

ココログの昨年分を纏めて一冊の本にすることにした。大分前から決めて注文していたと勘違いし、出版社に催促してところ、注文日時が期限切れなので無効だといってきた。改めて注文を今日出して置く。
先方の見積もりと当方の注文日時との間隔がそんなに短いとは思っていなかったのが失敗の原因。
今度は見積もりが今日来たので即日注文しておいたから大丈夫だろう。
約400ページになるらしい。

自分史関係の書籍は数名の友人から10冊ばかり贈呈を受けているので、文才も何も無い私が真似をして刊行するわけだが、もうお返しする人は1名だけになり、後は皆お先にあの世へ旅立ってしまった。
その人となりを偲ぶにもっともふさわしいのだが、最後まで興味を持って読み切るのは案外難しい。
やはり人は人ということか。

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2008年3月18日 (火)

物忘れ

3月18日(火)晴後曇
明日の広島総合病院行きを準備しているとき、診察券が何処を捜しても出てこない。
どうやら他の医者へ行ったりして、バッグの中をいじくり回している間にどこかに落としたらしい。
明日のことなので、ともかく広島総合病院に出かけて,紛失品届け出があったかどうか、なければ再発行してもらうことにして出かける。家内も隣のサティに買い物があるからと一緒に行く。

診察券は結局再発行してもらう。
サティは売り出しかなにかで,物凄い人出。家内もものが全般的に安いといって買いまくる。
思わぬ買い物になって昼を大分過ぎて帰宅する。

晴れてた空はすっかり雲に覆われて、雨にでもなりそうな気配である。
気温は暖かいのでどうっていうことはないのだが。

この分では桜の開花も早まることだろう。すでに一度予想が早まっているのだが。
去年,一昨年の様な吉野山や富士の裾野まで桜を見に行く元気はもうない。
ともあれ心臓が未だ持つと医者にいわれたのが大きい。近所の花見だけはじっくり見納めて死にたい。
来月早々から、中学やさざん会と同窓会もあるし、なんだか気ぜわしくなるかも知れない。

東京の娘が主人から後押しされて、何の手伝いか知らないが、春休み期間中に手伝いにくるからと家内に云った由。
家内は手伝ってもらうことは何も無いが,季節替えの時期だから衣類の整理でもやってもらうかなと嬉しそうである。
日頃遠く離れて暮らしている仲だから、無理して来なくてもいいのにと言いながら,顔が見たいと声無き声が聞こえて来る。

お隣の中国が相変わらず騒がしい。人種が多いし,国は広いし、格差は広がるばかりだし、よい策はない。

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2008年3月20日 (木)

私の薬疹

3月19日(水)雨
久しぶりに夜来の雨。
もう何十年も株式市場に縁のない私だが、それでも日米の金融市場が今大混乱をしているようだし、どうなるのかいささか心配だ。私などが心配してももちろんどうにもならないが。
日銀総裁は後任が民主党の否認によりとうとう今日も決まりそうも無い。
ねじれ現象が生む最大の政治の頓挫か。一応議会解散、総選挙と衆議院の民意を問う以外道がなさそうだが、すんなり民主党が勝てばよいが,自民党が勝った場合現状は変わらない。5年も6年もいや時には十数年もねじれが続きそうだ。
私がかねていってる様に一院制でないと解決出来ないことになりそうである。

朝5時起床。6時過ぎまでベッドでじっと待つ。窓の外の雨の音を聞きながら。
起き出すと,病院行きの支度を始める。
時間がありすぎるので、ゆっくりゆっくり、
7時20分家を出る。皮膚科のロビーでは勿論一番。持参した新聞を隅から隅まで読む。

内藤内科を訪ねたことを話し、全身の発疹を薬疹ではないかといわれたので、ここで頂いた飲み薬は2月末から全部やめた。現状はこの通りだと裸になる。跡がうっすらと残っているのを見て,先生もさすがに驚く。
薬をやめたらこうなったんですねえ!としばし感嘆の声。

引き続き飲み薬は止めることにし,塗り薬だけになる。若い先生をやり込めた感じになったこと最後にお詫びをしながら辞去する。雨はますます強くなる。

3月20日(木)曇
春霞は深く、海上遠く視界を覆って、いつもの朝景色。
今日はどんな天気になるのやら。

昨夜は古い溝口健二の映画の数々をダビングしながら見続ける。どれも女性が弱い様で強い。
泥にまみれ、垢にまみれて生きて行く、土壇場に立たされた女性たちの生き様をしつこく描く。
祇園の姉妹、噂の女、大阪物語等々。
私自身の実感が、その上を納得しながら滑り行く。

3月20日は68年前、私が満洲の会社に入社した日だが、昨今も学校を卒業するもの、会社に入社するもの、新しい職業につくものと、今一番慌ただしく、その日を過ごしている人が多いことだろう。
今取り出してどんな風だったか、記憶は思いだしようもない。ただただ先輩や係員の説明を必死に聞き覚えるだけの緊張した一日だっただろう。

やはり薬疹は事実の様で、今日あたりは発疹の跡は殆ど消えて、カユミもうんと少なくなった。
内科の心臓の薬は呑んでいるが、皮膚科の呑み薬はもう止めて20日以上になる。

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2008年3月22日 (土)

学生歌

3月21日(金)晴
雲一つ見えない大空。部屋に飛び込む日の光は夏に近い.手足を裸のままだとやけどしそうなほど。
家内は庭の草取りが忙しいらしい。ただ手首の痛いのは取れていないそうだが。

昨日はさくらぴあに行き、広響の演奏会の切符を2枚買って帰る。4月27日なのだが、ほとんど残っていなかった。音楽愛好家が近年随分増えたらしい。
ショパンのピアノ協奏曲第1番、ベートーベンの運命がメインだが、ピアニストは片山啓介という新人。果たしてどうだか。
指揮の円光寺雅彦も珍しい来演である。

随分前にFM放送から録音したCDに「エーリッヒ・クンツドイツ学生歌を歌う」というのがある。アルバムの中から偶然出て来たので、掛けてみる。なつかしい!

昔学生時代授業間の休憩時或は昼休みの食事後などに、自然発生的によくみんなで歌を合唱した。
クンツの歌うがごとき歌とは趣が違っているが、流行歌、外国映画主題歌、童謡など種類は多岐にわたったと思う。
最新の外国映画主題曲などは誰かが憶えて来ると、皆その回りに集ってわいわい言いながら習ったものである。
いまでもよく憶えているものに、「イタリアの庭」「コロラドの月」「モンテカルロの一夜」などがある。
古いものではリリアン・ハーベイの「たった一度」新しいものでは李香蘭の「何日君再来」などがあった。どれも原歌詞をうろ覚えだが憶えていたりする。

支那事変真っ最中だったが、どこ吹く風の学生時代だった。

3月22日(土)晴
霞濃き高曇りの夜明けだが、今日もいい天気になりそうだ。
カユミが随分うすくなって、よくやすむ。発疹の跡もほとんど消えて来た。
老人のことだから、皮膚の乾燥が原因と思われるあちこちのカユミは仕方がない。
ひょっとすると毎晩の入浴がかえって身体の脂肪をとりすぎるのかもしれないが。
時にはこのまま狂い死にするのではと思ったりしたが、この分なら狂うことはなさそうだ。

昼前から出かけて、アルパークに行く。買い物をしたり食事をする。
結局見て回るだけで草臥れて帰ることになる。
家内も歩くと足が痛いとぶつぶつ言いながらついてくる。私も昔変形した足指の曲がった部分が靴の先とすれていたい。先にいわれると言い難く我慢して歩く。広いといっても同じ店の中だ。何キロも歩いたわけではないのに。
老人はかくのごとくたわいない。百歩でも歩ければよいとしなければ。

地元のサンフレッチェが3連勝と調子が良い。しかも無失点だ。もちろん単独トップ。
このまま突っ走ってJ1復帰を果たしてくれ。

午後天気は予想に反して曇り空。太陽はすっぽり隠されてしまう。

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2008年3月24日 (月)

春酣

3月23日(日)曇後雨
気温はもう春のもので各地で花便りが聞かれ始めた。
春雨らしくしとしとと庭木が静かに濡れている。
あちこちの旅行会社の案内がつぎつぎと沢山送られて来る。ほとんどが花見を折り込んだツァーである。
魅力的な計画も多い。家内はリウマチの心配で気乗りしない。田丸の妹を誘って二人で行って来いなどといわれると、途端に行く気がなくなる。
今年はもう駄目だろう。旅行はやはり足でかせぐのだから、歩くのが思うに任せなくなったらおしまいだ。

高校野球はやはりドラマ以上にドラマティックだ。9回の表に2本のホームランで2-2と追いついた下関商業が延長10回何でもないセンターフライをぽとりと落球して履正社高校にサヨナラ負けを喫してしまった。
泣きじゃくるセンターがまことに哀れであった。
甲子園の神様は気まぐれで何をしでかすか分からない。

サンフレッチェは水戸にリードされロスタイムにやっと同点にしたけれど、危なかったし残念だった。
勝ち点10で已然首位に留まってはいるが。

3月24日(月)曇
雨は夜の間に上がったらしい。
昼前には雲が切れて太陽が覗く。
湿疹はほとんど無くなったのに身体が痒い。下手に掻いたりすると余計に痒くなり広がる。
老人性のものであることは紛れもない。
ぽかぽか陽気が原因になってるのかもしれない。

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2008年3月26日 (水)

甲子園の神様

3月25日(火)曇
例によって完全な春霞に覆われた朝の空。島影は何一つ見えない。
この地方の夏の夕凪は昔から有名だが、この春霞も内海名物になりそうである。至極穏やかな風景で、人を無気力に誘い込みそうである。
27日に東京の娘が、親の姿を見にやってくるという。こちらはそれほど気にしてもらわなくてもいいのにと思っているのだが、母親の方が心配なのだろう。

あちこち開花だよりが伝えられ、いつもなら何処かえ見物に申し込む所だが、その気にならない。体調が満全でないからといえば言える。そこらを娘がいち早く察したのかも知れない。

3月26日(水)晴後曇
僅かに宮島がぼんやり浮かんでいるが、相変わらずの霞空。
黄金色に輝く太陽の姿からやがて霞が晴れて、今日はいい天気になる予感がする。
昨日広島もさくらが咲いたと報道される.例年より4、5日早かったらしい。今年の当初予想は29日だったから、4日早まったということだ。

昼前になって、雲が沢山沸き出で気温上がらず。予感は早くも狂う。
午後2時急に横殴りの雨。
風が出て天気悪化。
そのうち雲間から日がこぼれはじめる。

山口の華陵高校という始めて聞く高校が逆に著名な伝統校慶応高校に1-0で勝った。甲子園の神様はやはり面白い。
21世紀枠出場といういわばお負けの出場で勝ち進んだのだから、宝くじに当たった様なものだ。
毎年優勝候補校が出る神奈川県の代表慶応にせりかったのだから立派なものだ。それにしても慶応は油断が過ぎたとしか考えられない。選手全員におごりの心がなかったか。
最近は常葉菊川とか佐賀北とか甲子園の神様のお好みのチームの優勝がつづく。
決して力をゆるめたらいけない。

3戦目の沖縄尚学と聖光学院戦も、初回沖縄が挙げた1点を守りきって、1-0で勝利した。これも神様の気まぐれらしい.

夕方にはやっと雲が途切れて、青空が大きくなる。しかし風が出て来たから明日はどうなるかなんとも言えない。

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2008年3月27日 (木)

山下清の想い出

3月27日(木)
朝の気温3度,やや冷たい。
予報では午後悪化するとの御託宣。例によって霞はひどい。
娘が夕方来るというので、蒲団を2、3日前から干したり入れたり、部屋を念入りに掃除したり,トイレもきれいに片付けたり家内は大忙しである。

甲子園では相変わらず神様の意向で予想が覆り放し。北大津が横浜に圧勝し,宇治山田が安房に逆転サヨナラ勝ちを納める。
いやはやプロも素人も予測は当らなかったのでは。

2、3日前ハイビジョンで山下清のドキュメントをやっていた。もう亡くなってから37、8年経つ。
1959年2月21日から3月1日まで、私達が経営していた百貨店の催しとして山下清展を開催した。もちろん山下本人を招いての作品展示会だった。
連日凄い人気で入場者は97101人と当時の市の人口に匹敵した。
私は企画担当役員だったので正に担当者そのもので、毎日朝から夕方まで彼と行動を殆ど共にした。
一日数回展示場に出てサイン会などする以外は用事がないので、錦帯橋など彼が興味を引く所へつれていったりした。

放送のテレビでは出なかったが、我々を指差して、例えば社長を兵隊の位では何かと問う、大将だと答えると、専務を指して何かと問う,中将と答える。私を指してお前は何かと問うので少将と答える。これで十分納得出来るらしい。回りを取り囲んでいるもの全部を一々それだから、叶わない。新聞記者など居たりして,とんちんかんな答えになると、爆笑の渦になる始末だった。にこりともしないのだから余計に可笑しかった。

とつとつとしゃべる言葉はおかしいが、記憶の確かさが随所に出て来た、これは馬鹿ではないぞと緊張したりした。
スケッチを始めても実に丹念に書く。熱中すると語りかけても全然通じない。やはり絵の天才だなと感服した。Yamasita2
Yamasita5
Yamasita9
Yamasita6

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2008年3月29日 (土)

娘の親孝行

3月28日(金)曇
昨夕7時頃千代駅から歩いて到着。減量に心がけてるということでタクシーに乗らず歩いて来たとのこと。
新幹線の途中で、宇都宮在勤中親交のあった神戸の友人に会って来たとのこと、旧交をちゃっかり温めてくるところなど、やはり世代が若い。

今朝はよく眠れて8時頃起床.娘が二度も部屋を覗いたらしい。身体の具合でも悪くなったかと思ったという。そんなに急に何でもない時悪くはならないだろう。

昼飯を外で3人で食うことになり,酔心に出かけて釜飯を食う。もう何年振りかというほど久しぶり。美味しいけど残念ながら私には全部は腹に納まらない。
食品を数点買って私はお先に帰宅。後は親子のながいながいショッピングが始まるわけ。

連日甲子園で新進,古豪入り交じって球趣酣だが、特に最近は校名に馴染みのない学校がずっと多くなったことを感じる。これが結構強くて優勝につながることも少なくない。もう老いぼれが訳も分からず,つべこべいっても始まらないなと反省しきりである。

天気は善くも悪くもならずそのまま日が暮れる。
春の甲子園にしては珍しく毎日接戦が続く。とうとう今日は平安と鹿児島工業が延長15回3-3のまま譲らず,引き分け再試合ということになる。
テレビ観戦者としては,手助けも出来ずいらいらしどうしだったが。

3月29日(土)曇
ガソリン税などの暫定法がとうとう期限切れ必至で来月から25円ばかり、やすくなるらしいが、末端のガソリンスタンドは4月1日から実施するもの、しばらく様子をみるものと、価格の乱れが予想されている。
政府は税収不足による来年予算の実行が困難なるを早くも訴えている。
何にせよ、なるようにしかならないのだから、金が払えない所は後回しにして実行する以外に無い。庶民の家計と同じだ。
それとも高利をかりてでも無理押して国民に尻拭いをさせるかだが。

千代を連れて植物園に行く。桜には少し早く、僅かに避寒桜が盛りになっていたが本数が少なくて見栄えはしない。後旬日もすれば花も人も賑わうことだろう。
そのほか見るべきものなし。

3時を過ぎて娘の帰郷の為の切符の購入を手伝って車で駅まで出かける.明日はもう帰るのだそうだ。

Chiyo

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2008年3月31日 (月)

光ファイバー

3月30日(日)雨
夜来の雨降り続く。
甲子園では雨の中を、一昨日引き分けになった平安と鹿児島工業の再試合が8時半敢行される。1-0で今度は平安が辛うじて勝つ。
両者ともよく戦った。

千代雨の中を帰って行く。新幹線11:40と言ってたから、夕方5時過ぎには帰り着くことだろう。
短い時間だったが、元気な顔を見せてくれただけで、死に目に合わせたと安心する。

土田君から電話、さざん会案内文は適当に私に書いてくれという。4月初旬をめどに作成することにする。

終日よく降った雨。最近珍しい。明日は天気になるとの予報だが,北から寒気が襲来するとも。

胃の調子がよくない。食道が詰まった感じでお茶を飲んでも通りがよくない感じ。御蔭で食欲もなく、夕食は少し食べ残す。
7時頃千代から無事帰宅したと電話が入る。

3月31日(月)晴
今日も春霞。
この界隈にも光ファイバーの配線が多くなった感じで、その工事車をよく見かける。
私のうちは2003年だからもう5年前になる.5月26日に工事終了してBフレッツと@niftyフォンを使用し始めている。この付近では一番早かった方だ。取り付けに来たNTTの係員がそう語ってくれたので、間違いない。爾来何等の故障も起きずに、なにげなく使っている。
凡そ公共の施設でこれほど無難に使っているものを知らない。そういえば電気、ガス、水道、下水、等々事故が少なくなったなあ。有り難いご時世だ。
ただ電話だけは便利が良過ぎて、邪魔な電話多くなって困っている。中には悪質なのがあるそうだから油断ならない。

家内は胃腸科に行き診察の結果総合病院に紹介を受け巣日中に受診することになる。簡単な手術を受けることになるかもしれない。

雲間から時折日がこぼれる。しかし気温はあまり上がらずうすら寒い。ちょっとの間ではひなたぼっこもできない。

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