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2008年2月 2日 (土)

死してわかる友の価値

2月2日(土)曇
どんより曇り空。旭の影も見えない。当然島影も。ただ前の宮島は霞んでは居るが、ほぼ輪郭を現している。
法事が12時というのだから、すこし気ぜわしい。遠方から来るものは大変だな。

11時丁度家を出る。廿日市ICから高速に入り、岩国ICに抜け、東に少し戻りお寺を捜す。行き過ぎたらしく家内の注意に応じて後帰り、国道からすぐ右に急な坂道を上に上がる。百メーターも行くと寺の正面。車はそこに置かさせてもらう。
東京などからの連中はすでに着いていた。
12時定刻に御経が始まったが、お寺の広い金堂のこと空調機は働いているのだが、さっぱり利かない。零下の気温の中での法要だからたまったものではない。
寒くてとてもオーバーは脱げない。若い人たちはそれでも我慢してオーバーを抱えて、かしこまっている。

そもそも設備も無いお寺で法要をするなど無理なことだと思っていた。
妹は暖房設備はあるからと言われて、通常の設備だろうと思っていたらしかった。
食事もなんとか出来るとふんだふしがある。
肝心な和尚が病気で寝たきりだし、葬儀も特別に捜してもらって近くにすむ坊主にしてもらったらしかった。
とうとう小1時間の行事が終わって、納骨。墓地はすぐとなりだから移動は簡単だが外はかなりの雨。
御経の間にお参りを済ませて、又寒いお堂にもどりそこでのお斎。
およばれも車で来たものが多くて、アルコールは禁物。暖かいものはお茶だけ。
流石に老骨にはこたえた。

早く終ってもらいたくてイライラし通しだったが、結構久しぶりに親族の会合。
積もる話が多くてなかなか終らない。
こらえかねて、先に席を立つ。とうとう寺側の好意のコーヒーもそこそこに帰り支度。雨の中をイの一番に車で走り下りる。そんなにいそがなくてもの家内の声にも、もう聞く耳を持たなかった。
終ったのが丁度2時、帰宅したのは3時少し前だった。

食事が済んで、片付けしているとき、思いがけず哲郎に向って、わしが死んだらお前は来なくていいよと言葉が口から飛び出していた。唐突だから哲郎はたまげたらしい。
絶句して声は出ない。私自身もしゃべってしまって驚いた。へんなこと言ってしまったな
と。
私はかねてから葬式はやらないといってる。坊主とか神主とか必要な葬式はやらない。
だからこんな無理でもなんでも法事をするなどという事はやらない。従って死んだときは遠くの方から弔いに来てもらわなくていいよという、前提の言葉が落ちたままだった。

老いぼれとうとう頭に来たなと思ったに違いない。一人合点がますますひどくなる今日この頃である。

隣にすわっていた三生君の従兄弟の三宅さんが、若き日に三生さんと慣れ親しんだ経緯をとつとつと語って皆に聞かせていた。死してなお、忘れ去るに堪えられない思いが込められていた。
多感な青年時期をほとんど一緒に過ごし、後を追って同じ学校に進学してまで、生涯を掛けたこの人。その人に及ぼす影響の深さは友を除いていないとまで思う。
三生さんもそれだけの影響力を持った人間だったのだ。えらいなあ!

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