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2008年2月14日 (木)

万事塞翁が馬

2月14日(木)晴
相変わらずの好天気で毎朝始まる。気温はマイナス0.8ぐらいか。
手足が少し冷たい。霞がかかっているので,日射しがやや弱く,部屋の温度は上がりづらい。
足首の痛みも,左肘の傷も随分よくなった。昨日も病院に行くのにちゃんと杖は携行した。
転ぶのが一番困る。自覚なしに突然起るので油断がならない。畢竟反射神経の衰えが原因だからなす術ない。
妹から主人が年末に亡くなり,年賀状を沢山受け取っていたので、欠礼の理由を挨拶状にしたため、印刷して欲しいと頼んで来たので、原稿を元にハガキに十数枚印刷して送り返す。
出たついでに家内と一緒に天霧で外食して帰る。

ここのところ不思議に午後になると雲が出て天気が悪くなる。
今日もさほどひどくはないが、日が隠れて薄ら寒い。老体には僅かな事がこたえて、元気が出てみたりなくなったりで、着るものもとっかえひっかえ自然と忙しくなる。

終戦の翌年の今日2月14日(1946)には、捕虜収容所から奥地百キロの崇陽付近の道路河川改修をするよう軍命令を受け、1ヶ中隊を編成して隊長となり、二日がかりで行軍して現場に赴き工事にあたった。
なにしろ経験した事のない仕事をやらされるのだから、うまくやれるわけがない。食料もろくに無い当時のことだから、力も出ない。
部下の中の要領のいいやつに任して、毎日ぶらぶらと魚つりにいそしむ始末だった。
何よりぼつぼつ国への帰還命令が出るかと思っていたのに,逆に奥地の方へ復旧作業に行かされるなど思っても見なかったショックは大きかった。やる気が起きるわけが無かった。
何もする事の無い捕虜収容所の約8ヶ月間のうちでも、この将来への希望を失いかねない復旧作業命令こそは最も大きな精神的打撃だったことを未だに忘れない。

この作業期間中の4月18日になって漸く帰国命令が届けられた。欣喜雀躍振りはもちろん凄かった。しかし帰国といっても上海まででも1500kmもある道のりをどうするのか、運を天に任すしかなかった。私達は結局小舟で揚子江を半月掛けて下ったのだが、後に聞いた話では鉄道であちこち廻り回って上海に出て来たのもあったようだ。

この頃既に栄養失調で胸をやられていたのだが、発病は南京に上陸して喀血してわかった。
後半年もこの勤務が続いていたら、彼の地で命を落としていたかもしれない。
この日の前日道程の途中で前部隊長だった生田目少佐に偶然再会し、えらく歓待、激励をうけた。私を非常に可愛がってくれた部隊長だった。福島県出身だったから、遠くて戦後もなんの消息を聞くよすがは無かった。
しかし運命の不思議さには今だに驚くことが多い。
いつだったか八王子の友人がいつも運命の岐路に立った時,幸運の道に転がり込んだと言っていたが、別の道に行かされた同僚が皆不運に泣かされ,或は命を失ったと実例を挙げて私に手紙を送ってくれたことがあったが、90年も生きるとそれだけで幸運のあかしだろうか。

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