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2007年12月 1日 (土)

小さな地球

12月1日(土)曇
日の射さないところへ風があるときて戸外は寒い。
師走とくれば冬本番。温暖化現象がつづけば老人には幸いなのだが、そううまく行くかどうか。
家内がさっそく綿入れの半纏を出して来る。これなら温そうだ。

J1の優勝争いは最終節浦和がまさかの横浜FCに敗退し、鹿島に名をなさしめた。勝負にはこんなことが起きるから油断出来ないし面白い。
日本が最終戦でサウジと引き分けたと同じ、紙一重の勝利の女神のウインクである。
浦和ー横浜戦はテレビ観戦したが、終盤の浦和の猛攻はまことに凄かった。がシュートはことごとくゴールを逸れてしまった。

イラクの治安回復が話題になってるようだ。バグダッドにも避難民の復帰が続いていると報道されている。
やっと平和が訪れ始めたかと,自分のことの様に嬉しい。
まだ内戦やその後遺症に悩んでいる国は多いが、リーダーたちがその愚を悟って矛を収めることを願っている。
平和になればどの国でもどれほど豊かになれるか、他を見れば分かる筈である。
教訓は山ほどある。

北朝鮮も軍備ばかりに力を入れないで、門戸を開いて平和国家に衣替えして欲しい。
国民は同一民族の韓国を見ればわかる、すぐれた能力にめぐまれた国民が力を合わせればすぐ先進国に追いつき追い越せる筈だ。拉致者も解放して日本とのわだかまりも払拭してほしい。
小さな地球上でせめぎあうことは、もう未来に亘って意味がないと知るべきである。

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2007年12月 2日 (日)

師走はやはり忙しい

12月2日(日)晴
iDisk のbackupがうまく行かない。同じことを繰り返して,1時間かかっても終わらない。業を煮やしてプランを解消する、個人設定の部を320MBくらいに設定し直して実行する。
Time Machine が仕組まれたので必要ないとも思いながら、これも習慣動作でし続けている訳だ。
大分前になるが、日記が半月ぐらい消滅してしまって参ったことがあって以来、神経質にバックアップする癖がついた。もう最近はほとんどこの世話になることはなくなったのだが。

後刻、 この作業とうとう中止してプランそのものを削除することになる。原因はどうもわからない。

先方から電話で注文を取ったくせに一週間経っても送って来ない,島根のおばさんに家内が電話してみるというので、電話帳をしらべる。相手の名前を失念して捜すに手間取る。
古い電話帳を捜しているうちに先代の領収書が出て来て、それで電話するが今度はいくら待っても出てこない。
午後にでももう一度するかどうか、便利の悪いことよ。
古い付き合いで好意的に買って上げてるのだが、もうこんな付き合いは止めにしなくてはとこぼすこと。
夕方電話が通じたが、白い剣先スルメが注文が多くて品切れになり遅くなった,後3日待ってくれとのことだった。

昼飯は外食に決めて家を出る。買い物も兼ねてスーパーに行く。
日曜日とあって多く混雑する。ひどく疲れる。
帰宅して3時過ぎまで午睡。

夜7時から始まった,オリンピック野球アジア予選で最大のライバル韓国と案の定の大激戦。4時間を超え,1点を争う接戦はやっと上原の締めくくりで三者凡退に退け4-3で勝ち,明日の台湾戦があるが、まず北京行きに一歩近づいた。興奮で暫くは寝付かれないだろう。韓国にはいつも分の悪い勝負をしているので、何が起きるか分からない因縁の勝負、今日も一回にホームランで先取点を取られ、やっぱりとがっかりしたが,直ぐ次の回廣島の4番で日本の4番の新井の2壘打を足がかりに2点奪って逆転したのが大きかった。1点差に追いつかれたが、同点にされることはなかった。

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2007年12月 3日 (月)

野球北京行き決定

12月3日(月)雨
昨夜は大分雨音が喧しかったが,今朝はやんでいるようだ。が雲行きは暗く何時降り出すかわからない。
今日のサンケイのコラムに「防衛省内局に徴兵制を」という一文がある。
防衛省内の不敗振りをかっての徴兵制度にかこつけて、たるみを直せという意味だろうが、その中にもある様に現在の国民全体にも当てはまる論議も底辺にある。

二十歳前後の若者に規律が無いことは、私の様な老人には全くうとましい。俗にいうだらしないということだが、きりっとしたりりしさが感ぜられない。

韓国や北朝鮮などの青年にくらべてみるとよく分かる。彼らには徴兵制という研修すべき国民全体の義務が存在する。
もちろん本旨は国の防衛ということだが、我が国には戦後軍国主義批判にあってなくなった。国もあるのか無いのか分からなくなったのだから、しかたがない。

人間の社会は各人がただ本能のままに自由に生きるのでは成り立たない。
ある程度の社会規範に馴れ、国家的社会的奉仕義務を全員くまなくに強制する制度があっても良いのではと前々から痛感しているのだが、東国原知事が言ったという話は知らなかったが、いいことを言ったのでは。

安倍さんあたりなら、長州人ではあるし発言しそうな雰囲気だったが、早々と退陣したので不発に終わった。かかあ天下の上州人の総理では、ちらとでもこの発想は起らないであろう。

今晩家内に言われている韓国ドラマ「太王四神記」の録画を朝からセットする。ついでに見てやるかとも思ったりする。のぼせている理由が那辺にあるかそちらに興味がある。

家内はお茶に出かけていないが、十時半突然部屋に日射しがさしこむ。驚いて窓から空を見ると西半分はきれいに晴れ上がっている。急に暖かな気分になる。
しかし雲の去来激しく、晴空とは言えぬまま終始する

夜アジア野球の最終戦。台湾の投手に手こずりあげくの果てには、4番バッターに逆転のホームランを打たれて、一旦は1−2と追う立場に追いやられた日本チーム。やはりこれからが真骨頂だった。
7回の表連打で6点奪って再逆転し、8回からは鉄壁のリリーフ陣先ず藤川が3者凡退、最終回の攻撃では4番新井の2ランが出て10-2とし、最後は上原が登場エラーがあったが、結局3人で片付けゲームセット。
とうとう北京行きを決定した。
北京ではしっかり頼むよ,星野ジャパン!

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2007年12月 4日 (火)

野球少年時代

12月4日(火)晴
昨夜の余韻が消えない気持ち。新聞を開いて一面から星野監督の胴上げが目を射て、やはり野球百年の伝統の凄さをしみじみ感ずる。
私にも野球少年の時代があった。発祥の国アメリカについで、スポーツといえば野球だった。相撲は国技ではあっても、体格の小さいものの多い日本人では誰でもやれるというわけにはいかなかった。野球は小人数で小さい草っパラで出来た。
悪ガキの遊びの知り初めとして,年上のものから習ってすぐ加わった。

小学校時代には流行し過ぎて、対外試合が禁止されるというほどになった。
後年名選手を輩出した呉の五番町小学校のごときは、揃いのユニホームで垢抜けした連係プレーなど、もう少年野球の域を抜け出していたのではなかろうか。汽車で2時間も掛けて遠征して来た。私の居たチームなどまるで歯が立たなかった。

底辺の広さではやはり野球だったろう。戦争で敵国のスポーツと軍部に抑圧されて一時下火になったが、戦後すぐ復活して今日の隆盛を取り戻した。今や世界と覇を競う所まで来た。感慨の深さは論を俟たない。

毎度の事ながら、年末になると年賀状をどうしようかと悩む。
家内はどうしても出さなくてはならないところがあるから、十通以上は出すという。
仕方がないから取りあえず百枚年賀はがきを、スーパーの入口の特設売り場で買って来る。
民営になった加減か,サービス品が盛り沢山なのに驚く。

何年か前もう年賀状は出しませんからと挨拶したことがあるのだが、相手から相も変わらず寄越して来るから,返事を出さなくてはいけないし、結局同じことになって企図は挫折した。生きている以上はこの程度の苦労は避ける訳に行かないと思い知った。

さあ、買って来たはいいが、死の崖っぷちに居る身で,空々しくおめでとうなんて言いにくい。
やっとこさ歳を超えるのだから、おめでたいんかも知れない、まあいいか。今年もよろしくは書かないことにしようと決める。としよりらしく簡単に行こう。

Yakyu

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2007年12月 5日 (水)

年賀状

12月5日(水)晴
雲はかなり多いが、日射しの美しい夜明け。庭に立つと木々の匂いがすがすがしい。
気温3度、今冬最低。

家内が少し元気が出てきて、南九州へのツアーに参加しようという。前に出かけたところばかりだが、温泉に入りたいらしい。指宿と霧島が魅力のようだ。まあいいかと了解する。

遅くなるといつもいらいらする年賀状、今年は本屋の店頭にならべてある雑誌をいつかついでの時買ってあったのを、ぱらぱらめくって、気に入ったのがあったので、家内の意見を求めた所,うまい具合に意見一致。

直ぐパソコンに掛けて,印刷まで行く。夕方までには少し残してあらかた終わる。
宛名書きをして投函すればいい所まで行く。一安心。
まだ5日だ。ちょっと早すぎたかな。後26日無事に過ごさないといけない。
まあ宛名だけ自筆で丁寧に書くとするか。

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2007年12月 6日 (木)

母の夢

12月6日(木)晴
夜ハタと戸が開いて誰かが入って来た。枕元から覗きこんだのは、老いた母の顔、なんだ!思わず声が出る。途端に目が覚めた、スイッチをひねって電気をつけたが、なんの気配もない。バロック音楽がおだやかにつけ放しのラジオから流れている。
もう朝の6時だった。なんで今ごろ!覚えになることは何も無い。

朝の気温は1度まで下った。さすがに冷たい。
玄関の小さい蛍光灯が切れたので、デパートに出かけたついでに買ってくる。何年持ってくれたか覚えが無いほど。コンセントに差し込むだけのおもちゃの様な終夜灯だが。

午後FMで懐かしいベートーベンの第9をやっている。指揮がフルトベングラーというのだから、そしてソプラノがシュワルツコップとあってはたまらない。録音しながら静聴する。
学生時代から一番尊敬していた指揮者の一人だった。ウイーン・フィルのワルター、コンセルトヘボウのメンゲルベルグ、ニューヨーク・フィルのトスカニーニとならんで、巨匠と称された。
その音楽に酔いしれたものだった。

モノラルも何のそのの快演でやはり何時聞いてもいいものはいい。昔聞いたのはもちろんシェラック盤十枚ぐらいあったと記憶しているが、(1951年収録とあるからこれはLPかもしれない)技術の進歩で今は素晴らしい再生が可能となった。
今年もこの年末に何度か開かれる曲だろうが、じっくり聞き較べてみたい。

年賀状の宛名書きを昨年届いた賀状を見ながら、中には少し書込みを入れながらゆっくり書き始める。もちろん途中休憩を取りながら。喪中欠礼を貰ったものには、いちいち別内容で寒中見舞いとしてハガキを作成するので、結構手間もかかる。

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2007年12月 7日 (金)

飛行場

12月7日(金)曇後晴
ちょっと暖かい朝、空は一面灰色の空。
やっと昨夜遅く島根の行商のおばさんが送って来たするめなどが配達された。
早速小荷物に仕立て上げて東京の娘の所に送り出す。

午後になるとうす雲の間から日が射し始める。

年賀状作成はぼつぼつやってたのだが、80枚足らずの枚数だから何とか午後には書きあげてしまった。
これで投函するだけだが、まだ早過ぎる。こんなに早く出来たのは始めての事だ。我ながら驚く。まあ、暇だと言うことだね!
これで年末までに急死でもすると、大損なのだが。昨夜は母が誘いに現れたのかも知れないし、ちょっとうす気味悪いな。
来年のさざん会を請け負ったりしているし、簡単に死んだり,病気になったりは出来ないのだが。

珍しく飛行機の爆音が20秒ぐらい響く。ここからは岩国飛行場まで20キロもあるか、なしかの所だが爆音を聞くことは稀である。爆音被害をいうほどのことは起らない。
だから地元の反対はさておき、この町でも市民の反対が多く聞かれることがよくわからない。

自動車にしろ飛行機にしろ、これらを無くしてしまえなど暴論に過ぎない。
昔でも鉄道を通す通さぬで、大議論が発生し、後になって通さなかった後悔話などいくつか聞いたことがある。
特に音響の問題などはいくらでも抑制や拡散ができる。その便利さを将来に亘って放棄してまで反対することの禍根を懸念するものである。

神戸にいつか行った時、沖の宏大な埋め立て地の中に飛行場が出来ていたのをみた。こんな大阪に近接したところに飛行場を造った所で利用するものがあるのだろうかと疑った。
廣島にももともと空港がある。殆ど飛行機は飛ばないが。私の若い頃は福岡に松山にとよく利用したものである。
採算が合わないと皆その便が無くなった。

ただ考えて置かなくてはならないのは、自動車でも電車でもいつまでも便利よく使えるかどうかである。
人間の移動はまだよい。物資の移動はもうどんどん飛行機か船に移りつつある。
大きなもの、多量なものほど陸上を移動さすことは難しくなっているし,必ずそうなる。
折角あるものは、なんとか使うことを将来に亘って考えれば良い。あればあるほどよいのではないか。

爆音などと言ってる場合ではないのではないか、というのが私の言いたいことである。

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2007年12月 8日 (土)

サンフレッチェJ2降格

12月8日(土)晴れたり曇ったり
まあまあの天候で過ごしよい。白菜を例年通り漬けると家内がいうので、近くのスーパーに買いに行く。
安物だから格別美味しい漬け物には出来上がらないのだが、甘くし過ぎるのが2人とも嫌いな方なので、商品として並んでいる漬け物が性に合わないので仕方がない。ほどほどの塩辛さで、唐辛子が利いたのが我が家向きなのだ。ぷんと醗酵臭が出れば最高である。

ところでいつも今日になると思い出すのが,大東亜戦争勃発の日の右往左往である。
軍事演習で丁度富士の裾野で宿営しながら猛訓練を享けてる最中だった。伊豆の修善寺まで行軍して、昼食を取ってる最中のラジオ放送で知らされた。
もうこれで満期除隊も無くなったし、生きて故郷の土が踏めることはないだろうと覚悟しないでは居れなかった。
東京の学校に入って将校教育を受けてる最中で、4月には満洲の部隊に帰参しなければならない。
急遽夜を徹して帰校し、戦時体制に入った。
翌年3月いっぱい予定通り教育は続いたが,部隊に帰参するや否や、転属また転属と対ソ作戦用に編成された新部隊に転任を強いられた。将棋盤の一枚の駒みたいなものである
(この日の行動は私の別のホームページhttp://homepage3.nifty.com/hatukaiti-viefo/の「私の軍隊生活」に詳しく書いている)
ソ連と約30キロのところで湿地を挟んで対峙している、第5軍(山下奉文司令官)隷下の一自動車部隊が私の所属する隊であった。
学校に入隊する前,一般兵として何度も対ソ連専門の訓練を受けていた。
ドイツと同盟しているんだから、火ぶたが切られるのは時間の問題だった。
それなのに米英とまで宣戦するとは。生きられるという予測はまるでなかった。

終戦前年部隊が南支に作戦移動させられ、為に終戦時ソ連に抑留されることは免れた。
一応勝戦の場所にやられたので、死もまぬがれた。こうして臆面も無く90歳近くも生きている。

ともあれ、日本一の富士の山裾に昭和16年12月8日にいて、戦争を迎えたという因縁はわすれることは出来ない。

今日はもう一つ嫌なことが重なった。地元のサンフレッチぇが京都サンガとの入れ替え戦に敗れて、J2に降格したことである。力はあると認められながら、どうしても勝ち点に結ばれない。
これで中国地方にはJ1チームがなくなった。東に偏り過ぎてまことに面白くない。昔の栄光を早く取り戻して欲しいものだ。

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2007年12月 9日 (日)

小鮒つりし彼の川はもうない

12月9日(日)晴
朝7時半、雲一つ見えない快晴の碧空。日が昇るに連れ少しづつもやってくる。
昨日は東京の次女が友達と多摩川に遊びに行ったと、娘が言ったとか。コンクリートずくめの街の中に住めば、自然と言えば多摩川が一番近い。私と15歳の下の妹も、都下に住んでるが、山登りの常連だ。今年はそれでも遠くには行かなかったと言っていた。もう歳だからとは彼女の弁。
コンクリート・ジャングルの東京、人が住む所ではないとかねがね思っているが、皆本心は生きて行くには仕方がないと諦めているのだろう。田舎育ちの妹などは自然回帰の心が強くて当然だが,現代子は馴れで自然を忘れることのないようにしてほしい。

ここらはまあまあ調和がとれて、住み良いと思っているが、故郷の歌に出てくるような姿はもうない。
かなりの人里離れた所でないと経験はできないだろう。しかしそこは恐らく暮らしにくくて一週間と居れないのでは。


日曜日とあって、行楽も良かったかも知れないが、うちで終日ラジオを聞くのも楽しかった。
いい音楽が盛り沢山で、退屈することはなかった。
年賀状ももう音信が途切れがちのものが数人居るので、改めて差し出そうと思っている。
驚くかな!迷惑と思うかな!
さざん会の世話を来年も買って出たついでに元気まで出て来た感じだ。
死に際のもがきだな。

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2007年12月10日 (月)

老いぼれは粗大ゴミ

12月10日(月)曇後晴
朝雲多く,雲間からこぼれる日射しは弱々しかったが、昼前にはうす雲を残して一面に晴れ上がり、陽光がまぶしい。

最近私はベッドに居る時間が永くなり、炊事をする家内が私の起きるのを待つために、時間を持て余している感じである。
だから片付けられるのはまことに早い。時にはまだ食い終わってないのに片付けられたりする。
やっぱり家庭では粗大ゴミに違いないようだ。

年末恒例の家の中の掃除ももっぱら家内の仕事。ときどきお呼びがかかって手伝う。この時の呼び声はかなり手厳しい。まあ我慢するか、日頃何もしていないから、なまじ手を出すと却って邪魔になるようだ。

ムービーなどの大容量のファイルのコピーに時間がかかるのに参る。就中USBはひどい。2.0タイプなのに数時間もかかる。
今日は新聞休みで見るものがないのでまあ好しとしているのだが。
音楽は相変わらずバックに流れている。
午後2時からの世界名曲アルバム百選が流される。中でもアルヴィノーニのアダージョは死の床にある時夢うつつの間に聞ければ、至福の時間となるのだろうがと夢想したりする。

今日あたりは外は7、8度くらいで窓を開けるとさぁーと冷たい空気が流れ込む。石油が高いので我が家でも厚着をして出来る限りストーブは焚かない。窓を開けるのは禁物である。

私達75歳以上の老人の保険料が大分高くなるらしい。一番医者の厄介になってるのだから仕方がないだろう。年金をみんな持って行かれるわけでもないし、勝手に政府が呉れたり取り上げたりするだけだから、持って行く手間はかからないし。

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2007年12月11日 (火)

ヒマラヤの湖

12月11日(火)雨
昨夜から降り続く。9時現在小雨、気温8度。
認知症の73歳の女性が、野良犬にくるまって、一晩野宿し助かったと新聞に出ていた。
犬の有史以前からの人間との付き合いは、馬と違って左程役に立つとは思われないが(それほど好きでないから)、こんな話はやはり良い。
人間そのものの方が人に仇を為すことの多さが、ジャーナリズムを賑わせている様だ。嫌な世の中になったものだ。

午後には雨は止んだがどんよりと曇ったままで何時降り出すかわからない。

地球温暖化の影響でヒマラヤまで解け始めたと聞いて驚く。北極の氷もまもなく2/3になるという。
ヒマラヤが解けると川の水が増えるだけでなく、湖が出来たりそれが決壊して洪水になったり、高い所にあればいいというものでもないらしい。
日本人の遠い先祖がヒマラヤやチベットから来たと言う話を聞かされたことがあるが、昔から生活には不便な所なんだろうな。お負けに洪水まで起っては大変だ。
下手すると日本も海岸がどんどん上がって、立ち退きなど大騒ぎにならないとも限らない。宮島様など間もなく總かさ上げということにでもなって、地元の財政負担はえらいことになるよ。

といって砂漠は増える一方だし、人間も増えるばかりで、皆くらしよい都会へ集中するし、大惨事の起こることが目の前にちらついているのだがどうだろう。戦争よりもっと怖いのと違うか。もっとも恐れおののいていてもどうしようもない、その時は諦めが肝心ではあるが。

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2007年12月12日 (水)

イルミネーション

12月12日(水)曇
定例の広島総合病院に行く。飲み薬は今回は余分が残っているということで全部出されない。
服作用の激しい薬だから何となく安心する。しかし外用薬だけではなかなかよくならないので、その心配もあり様子を見る以外に無い。
外来が非常に多く手間がかかる。
帰宅したら既に家内は娘の所へ電車で出かけていた。
午後にも降りそうな気配だから急いだのだろう。

昼過ぎに帰って来る。正月には娘の所で孫夫婦と一緒に新年宴会に私達を招待するという。
それもよかろう、来年からいよいよ世代交代というわけだ。
朝早く起きた分、昼飯を食べた後が眠い。
1時間ばかり昼寝。寝起きに丁度FMから流れ出るベートーベンのスプリング・ソナタが美しく心地よい。

夜になっても雨にはならず。

クリスマスを前にして、わが部落でもあちこちでイルミネーションが華やかである。
日本もかなり多宗教の国になったのだから、別に不思議ではない。だが省エネを唱えている、都市とか、自治体まで夜を徹して、飾り立てているのはどうなんだろう。凄い違和感を感じてならない。
電気といえども日本では半分以上石油に頼っている。もちろん大量の炭酸ガスを発生している筈だ。
こんなことで地球温暖化の危機を避けることが出来るのだろうか。
商業宣伝に乗せられての所行だろうが、こんなどうでもよいことは止めたらどうかな。

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2007年12月13日 (木)

懐かしい訪れ

12月13日(木)曇
早朝の気温10度と暖かい。最高は13度と予報されてるが、晴れればもう少し上がるかもしれない。
近所の大藤の奥さんが入院されたらしく、藤井さんが昨日見舞の事で相談に見えた。
脳疾患らしい。家内と同い年だから、当然気にしている。早速改めて家内が相談に行く。共同で見舞を班長に託すことにしたという。
来年の3月までは老人の魔の期間である。三生さんも気がかりだ。

9時過ぎには、部屋に日が射し込んで来る。案外早く天気になるかな。
午後になると冷たい風が出て来て寒くなり、雲も多くやはり予報の域を出ないことになる。

新聞の記事に沖縄の小さな島で観光客が財布を盗られたという事件があり、警察に届けたところ、この島には泥棒はいないと高言して、烏の巣を捜して取り戻して来たという話が載っていた。
微笑ましい話である。昔の良き時代には、私の田舎でも皆家を開け広げて外出していた。泥棒が入ることなど誰も予想しなかったものだ。もっとも盗られる心配のいるものも無かった時代ではあったが。

午後4時頃あいおい損保の岡本さんがやってくる。契約の更新のためだが、永年の付き合いだから例の通り長話になる。私に元気だと云うてくれるが、白髪一つない全くの元気そのものの彼は、いまだに大野で知己を語らって農園までやっている。休日の日はそれで結構忙しいらしい。
ふと家内のリウマチの話から、くすりでない酵素系のくすりで彼が治したものがあるからと、詳しい話になりネットで捜しながら話を続ける。
現在使っていてほとんど良くなったそうなので、その内から分けて貰うことにする。

また彼の口からうちの店にも昔よく訪ねてくれたそうべえさんが亡くなったよという。半年くらいまえだという。
人柄の良いひょうひょうとした人物だったが、まだ72歳だったという。
人生にはさほど執着はなかったのだろう。至極突然の最後で、たまたま米国からその妹が帰国していたときだったそうで、まったくどんぴしゃりのタイミングだったようだ。
こんな羨ましい死に方もあるのだな。

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2007年12月14日 (金)

討ち入りの日

12月14日(金)晴
今日は赤穂義士討ち入りの日である。広島は浅野の本家があり、奥方の故郷ということもあって、最近特に関係行事が多くなっている。大石家の子孫も居られると聞く。
私も瑶泉院のお墓に2度お参りしたことがあり、義士堂も拝観した。泉岳寺にも一度参詣したことがある。
私の時代の人間には徳操教育に欠かすことに出来ない存在だった。
戦後はいくつもドラマが造られどれが史実に近いのか全くわからなくなった。変なものである。
もっとも南京事件など、未だ生き証人がいるにもかかわらず、霧に閉ざされた状態なのだから、事実確認はことほどさように難しいということだ。

9時過ぎに灯油を買いに行くついでに、岡本さんの家に電話してEMXを別けて貰いに行く。
家内が三菱病院に行きたいというので連れて行く。帰路アルパークに立ち寄り、食事と買い物を済ます。
病院の診察は格別の変化なしということのようだ。

朝少し雲が多かったが間もなく晴れ上がり、終日変化無し。但し風が冷たく気温は上がらずじまい。

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2007年12月15日 (土)

ドラマ「風の果て」

12月15日(土)晴
朝3度、風はないが冷たい。
昨夜NHKのドラマ「風の果て」の8回分をDVDレコーダーで録画していたのを、ディスク2枚にダビングする。
都合6時間かかる訳だから、夜半を過ぎる。時々うとうととしたが、結構面白くてダビングに付いてほとんど見通す。
藤澤周平の作品そのものもよいが、解説的に分かりやすく造り直された平山洋の脚本がドラマとして申し分無かった。
小説では、その理由を自分で判断せざるを得なかった沢山の部分が氷解された気分で、最終回を見終わってほっとする。「蝉しぐれ」「清左衛門残日録」と同じく心に深く残る名作と言えよう。

騒がしいドラマが多くて、好きになれないテレビだが、やはりこうした落ち着いたものが老人には最も良い。
NHKを誉める訳ではないが、沢山のテレビ局があるのだから、こうした類のものがもっともっとあってもいいのでは。

数日前ヒマラヤの氷が溶け始めたことを書いたが、今日の「産経抄」ではブータンの2500もある氷河湖のうち決壊の恐れがあるのが24とある。決壊すると土石流が津波のように流れ下るという。
平地の話ではない。千米も2千米もある高さから滑り落ちる土石流だから、その被害は想像を絶するであろう。
もう杞憂などと言って居れない。
インドネシアでの地球温暖化会議も流れそうな気配と言う。それでいいのだろうか。

昼前から風が出て来て部屋に吹き込む。やはり冬の天気は暖かいとは言えないようだ。

夕方年賀状をポストまで出しに行く。例年なら別々になってるのだが、口一つだから一般と一緒だ。袋ごと投函したから問題ないだろう。昔は年内に賀状が届いたりしたことがあったが、最近は区分方法がよくなったのだろうから、そんな間違いは無い筈だ。

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2007年12月16日 (日)

梅干し

12月16日(日)曇
朝8時4度。まあまあだ。
朝飯を食いながらテレビを聞いてると、食品などの使用期限偽装問題を盛んに討論している。
結論までは聞かなかったが、今に始まったことかと私は冷ややか。
最も昔は法律などなかったから、少々痛んでいても判別して食っていた。余程嫌な匂いでもすれば、取り除いて良い所だけを食うたものだ。もっとも下痢ぐらいはしたかもしれないが、それだけ身体に耐性ができて当らなくなるものだ。
犬や猫の類いを見てみれば分かる。
梅干しにまで使用期限を設けるなどとは、どうかしているのでは。私の家では十年以上前に私がつくった梅干しが壷に入ったまま残っている。病気になってお粥を食べなければならないときなど一つ二つ出して食う。
最近は造るのが面倒だから、また食う度数が知れてるからスーパーで小さいパック入りを買って来ているので、古いのが残っているというわけだが。昔のはどうしても塩分が多くて普段にはなかなか食いにくい。今市場に出回っているのは減塩し、味まで付けてまことに食いやすい。梅ではなくその付加物が使用期限に絡むのかも知れない。それならそうと云えば良い。肝心な梅こそいい迷惑だ。

近所のスーパーで買い物をして帰り、食後1時間ばかり昼寝。ハイビジョンでヴェトナム戦争時代に広く歌われた反戦歌「花はどこへ行った」のいきさつを綴ったドキュメントは凄く感動的だった。
あのディートリッヒが主役だったことにも驚いた。作ったシーガルをはじめ追加広めて行った数々の著名な作家たち、の探求も面白かった。

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2007年12月17日 (月)

新聞の未来

12月17日(月)曇
夜中から喉が痛い。どうやら風邪にやられたらしい。6時に起き出してうがい薬を探し出してうがいをしてもう一度寝床へ。
8時半起きてもう一度うがい。いくらか治まる。
熱を測ってみると35.8度。問題にならない。
一応食事を終わると、買い置きの風邪薬を定量呑んで又就寝。
家内はお茶の納め会とあって午後1時過ぎ帰宅。私は定刻に食事を済ませて寝ている。
終日寒気はしないから、単なる喉の傷みだけかも知れない。
うがいは繰り返す。
寝飽きたから、例によってクラシックを繰り返し聞く。音源は多いから問題はない。

今日の産経ネットの正論欄に坂村教授の論文が載っている。
新聞界の常識が崩れ去ったというのである。
私は産経ネットの広告がプロバイダーの広告欄で紹介されるやすぐ申し込んだ。何しろ1ヶ月が¥315.では安いものである。普段でも各新聞のホームページには折りにふれよく訪ねた。アメリカのCNNなどもかなりくわしくて参考になった。
しかしホームページは大体目的を決めてかからねば要を得ない。
そこへ行くと、産経のは新聞そのものである。各ページを縮小写真化したもので、いくらでも拡大して読めるし、必要な所はPDF保存し、或は印刷することもできる。目に触れるものは全部であるからまことに簡単である。

こんなことが出来るようになると、新聞の未来はどうなるかというのが教授の提言である。
新聞社の未来、新聞記者の未来、新聞紙の未来、新聞広告の未来、販売店の未来、チラシの未来はどうなるか。
確実にいえることは、新聞という概念がバラバラになること、文字ニュースの読者は存在し続けることとある。
現在の新聞という概念はその枷から自由化され、その自由な未来をどうデザインするか、それは技術ではなく社会だというのが教授の結論だと理解した。そしてその社会再構築に遅れをとる恐れが、日本には多分にあると心配して居られるようである。

影響が甚大過ぎて私にはその未来は推測出来ない。パソコン、ケータイ、iPhone と世の中は端倪出来ぬ方向に大きく舵を取っている。

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2007年12月18日 (火)

半病人

12月18日(火)晴
千切れ雲が盛んに飛んでいるが、一応晴れ空。風が少しつよいかな。
昨日は終日寝込んだおかげで、いくらか風邪は治まったらしい。ミカンを食べると少し喉にしみるが大したことはない。うがいをして食後に風邪薬も呑んでおく。
もともと若い時分から風邪弱いたちなので、いつも冬は用心深い。何十年か前に前の年の12月から翌年の8月まで咳がとれなかったことがあった。親父も肺炎で死んだし、俺もそうなるのではとかねがね思い込んでいるふしもあるにはあるが。
だから特に最近は風邪を貰いやすい病院とか、人混みは極力避けるよういつも努力している。

家内はリウマチでいつもの内科に出かける。くすりがなくなったとか。今朝は手足の痛みもしびれもない。EMXの御蔭かなと笑う。4、5日で利く訳が無い。リウマチはご機嫌次第の病気だから。

横山君から歳暮を貰ったのでお礼の電話をする。彼も2、3日前調子がひどく悪かったという。お互い半病人だから原因、症状根堀聞くほどの事は無い。毎日が生きる苦しみみたいなものだ。運次第と高笑いしてさよなら。
ここ数日乾癬の外見症状は悪くないのだが、やたら痒くて仕方がない。カユミ止めのくすりを増やしたが効き目が無い。
老人性の皮膚乾燥と重なっているのだろう。医者もそう云ってたし。

午後銀行と郵便局に年末資金を引き出しに行く。デオデオにも久しぶりに立ち寄る。人が多い。もうボーナスが出たのかな。チラシでは22日から5日間の歳末売り出しとあったが。もっとも本店まで出かけなくてはならないから大変だ。光センサーの働きで暗くなると白色ダイオードが発行するランプを2個買って来て、玄関と階段に取り付ける。
普通のものより随分省エネになるとか。

今年は家内の病気のせいで、観光旅行は夏以降しなかった。溌剌たるものがだんだん失われて行く。
自然の成り行きか。

風の果てのテーマ・ミュージックが気に入ったのでCDに入れる。

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2007年12月19日 (水)

喉は良くなったが鼻水が

12月19日(水)曇
ETCは目下使用する機会が無い。もう少しで1ヶ月になるが無駄金だったかも知れない。
こんな後悔はいつものことだから、黙して語らない。
戦地で弾丸の中を往来した時でも、四六時中死を意識した訳ではない。むしろ未だ生きているという意識の方が強かった。というより死の意識は無かったと云ってもよかった。現在は丁度その裏返しの様な案配だ。
なにか思いついても、死んだら何にもならない、止めとくかとなる。
ETCは来年のさざん会を引き受けた手前、開催地に何度か足を運ぶことになろうからと、その準備の為だったが、やはり早とちりだったか。半年もまだあるのだから、自分ながらあきれる決断である。

喉の痛みがほとんど完全に取れた。うがいがよかったか、風邪薬が効いたか、終日寝たのがよかったか、熱は始めからなかったので、風邪ではなかったのかもしれない。ともかくもよかった。
下着に、オープンシャツに、ジャケツと毛のチョッキ、その上に綿入れのちゃんちゃんこと完全防備だから、今日などはストーブも何も要らない。
靴下はゴムのはいっていない今はやりのものを、寝ても覚めても履いている。それでも足の先はちょっと冷たいのだが、保温効果は抜群である。これは世の老人にすすめたい。ゴムがないからうっ血する怖れは無い。

昼前にデパートに行き、食事をする。買い物も少々する。
高曇りで終日しゃんとしない天気。夕方には太陽が元気無く顔を出しはしたが。

最近は寝て本を読むことが多くなったのだが、いろいろ工夫しても先ず腕が疲れるし、この頃では左手の指が屢々痙攣を起こし、痛くて仕方がない。何か寝ながらにして読める本の置き台みたいのものはないか、あちこちで捜しているのだが、どこにもない。太い針金かなんかで自分で作れないかなあと考えているところだ。

寒い中で日記をつけていたら、鼻水が出て来た。やはり風邪気味かな。

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2007年12月20日 (木)

点滴のおかげ

12月20日(木)晴
珍しく朝から快晴、気温2度。
風邪らしい気配はなくなった。先手先手と進行阻止の手を打ったのがよかったか。風邪薬も新ルルの小瓶を半分呑んだ。

午前中家内はせっせと家中の掃除をしていたが、午後はさっさと美容院に出かける。永年年末の要領を心得きった達人の趣さえ感ずる。そこへ行くと男は駄目だな、特に老人は、本人がゴミみたいなものだ。

近所の大藤さんの奥さんの病気は、腕が少し不自由なそうだが、リハビリに2、3ヶ月かかるとのこと、出入りの外商の主人が聞いたこと話してくれる。隣組で一応お見舞いはしたのだが。
脳関係の病気は、いつ訪れるか分からないので気持ちがわるい。軽症などというのが一番困る。心臓がストッと止まってバタンと行くのが一番良いのだが、うまく行かないものかなあ。

義弟もあのまま点滴で生きているらしい。妹も毎日病院通いで、ぶつぶつ言いながら暮らしているらしい。
点滴と云えば、甥坊で2年ぐらい自覚なしで生きているのもいる。医学もここまで行ってるのかと驚く。
私はこんな救命だけの治療はして欲しくないと思い続けているのだが、天のおぼしめしだからしかたがないと家内はいう。
広島大学からまた献体の抽選が外れたからと通知が届く。まだ死ねそうにないからそれは構わないが。
なんでもくじで当たることの無い私だから驚きはしない。

日が暮れるまでほとんど雲は見当たらない。珍しい快晴の一日だった。

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2007年12月21日 (金)

義弟死去

12月21日(金)曇
今朝4時心配していた、三生さんが永年の闘病も叶わず亡くなった。同い年だが2、3ヶ月後輩の筈だ。
温和な良い性格の持ち主で、私とは話がよく合い、凡そ生涯で意見衝突を来したことは一度も無かった。

戦後勤務の関係で暫く私の郷里の家で、同じ軒下に暮らしたことも数ヶ月だったかあった。
間もなく新任地広島の官舎に移ることになったが、それ以来私も広島に移ったりしたので、訪ねることも、街頭でぶっつかることも多かった。

仕事の事でお願いに職場に御邪魔したことも再三あった。親切だから協力は惜しまずやってくれた。
目をやられて、仕事をやめ、爾来永い間不自由を忍んで、病院と自宅を往復する様な生活で半生を送ることになってしまった。20年以上にも及ぶ介護生活だから、妹も随分苦労したようだ。
しかし亡くなってみれば、妹の張りつめた気力が急に萎えて、元気な姿が見えなくなることが一番心配だ。
息子も娘も皆立派になって、父をすでに超えている。これから孝行してもらって本当に楽しい終局の人生となって欲しい。

彼も私も遅かれ早かれ決まった生涯だ。悔やんでも仕方がない。日本人の平均寿命を遥かに超えたのだから文句のつけようもない。私は死んだら喜んで貰いたいと常々子や孫に云ってるのだが、彼も同じことを思っているに違いない。むしろやれやれやっと楽になれると喜んで逝ったのでは。

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2007年12月22日 (土)

お経

12月22日(土)雨
昨夕から引き続いての雨。旱天が続いたので植物には救世の思いだろう。
田丸のお通夜は午後6時からローゼアホールで行われるということで、婿が迎えに来るからと電話がある。
やはり老人に夜運転は不安なのであろう。
もう自分が思うほど人は信用してくれない。

ETCとATMを間違えてブログに書いていると、千代からコメントが入っている。すぐ直したが何の気なしに簡単な間違いをしでかす。これも歳のせいだ。

家内はせっせと葬式などの衣類改めをして、私にあれこれと指図する。

身の回りから抜け落ちるがごとく、順番通り死んで行く。
もうかなり遠くまで見回しても私の上はいないようだ。三生さんは同年でも少し下だ。順番を狂わせてくれた。
願わくば順番通り逝かしてくれ天の神よ。

午後4時婿が運転して家まで連れに来る。式場は新築らしい葬祭館で設備が美しい。
時間的には早過ぎて、7時からの枕務めまで随分待たされる。
私にはこんな形式がどうも気に食わん。が他人のすることだから仕方がない。

久しぶりに遠くから現れた親族に私としてはもう最後の顔合わせとなることだろう。それを思うとはっと目がうるむのを自覚する。

御経勤めが終わって、食事が出る。滅多に会えないと思うと今度は思わず饒舌が出る。
ブログやユーチュウブなどの言葉が出ると、コンピューターのシステムエンジニヤーをやってる姪の子供が、席を変わって私の前に現れたりする。

8時婿がさぬきうどんに案内する。満腹になって家に帰る。降り止まぬ雨の中を、婿には気の毒だった。

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2007年12月23日 (日)

義弟に奪われた天皇誕生日

12月23日(日)曇
朝9時に家を出て、田丸の斎場に赴く。
予定通り10時から、浄土宗の葬儀で行われる。
昔のような煩雑さはない。
今日は奇しくも彼の母親が29年前に死去した日であった。
午後にはお骨拾いも行われ、完全に彼は冥途へと立ち去った。
白骨と化した、焼却台上を眺めながら、人間の落ち着き場所がやはりここだったと,却って安堵する思い。

私としては血肉を分けた妹のことが一番気になる。数十年の間目の不自由な夫をよく助けてやってきたもんだ。
随分前、私のうちから出勤した1年足らずだったか、夜盲症の夫を迎えに駅まで迎えに通ったことを覚えている。
老いて自分の身を持て余す様になってからは、その介護の疲れから不満の声も聞こえることが多くなったが、黙々と運命のままに農事に、家事に一生懸命に努力する彼女の姿は,並の女ではなかった。男勝りと呼ぶにふさわしかった。

今介護の苦労から解き放たれ、独り身の淋しさ、苦しさはあるだろうが、今後は後短き余生とはいえ、幸福なゆとりと自由さを享受してほしい。いつでも積極的な明るい彼女だから、こちらの思いはまさに杞憂というべきかもしれないが。

しかし今度の彼の死は、東京からやってきた甥、姪そしてその子たちもう2度と会えないだろう身内を見ながら、昨日今日の不思議な楽しさを思いかえさずにはいられない。

暮れるに早い冬至直下の日、結局義弟に奪われた一日となった。

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2007年12月24日 (月)

我が家のクリイヴ

12月24日(月)曇
昨日の天皇誕生日の振替休日。
気温も6度とまあまあの天気。
昨日の気苦労もあったか、朝から気力が出ない。血圧を測ると115の73だ。低過ぎる。
朝から録画の『風の果て」をまた見る。昨日長女もあれはよかったといっていた。
勿論全部ではない、”春雷”と”出世”の巻だ。一番いいところだろう。
養子に入って最初の食事の場面、あれは気に入った。給仕する下女の手を断って、お代わりを突然新妻に要求した婿の茶碗を慌てて引き取って飯盛りをする義父、予期しない展開が昔の養子の地位をよく表現して面白い。

夕方近く雲深くなり気温下がる。
近くのスーパーに買い出しに家内と出かける。リウマチが痛いとこぼしている。
こんな天気の日はよくないらしい。
クリスマスイヴだから、テキでも作ろうかと家内がいうが、食いたくないと断る。
最近は味覚が衰えて、何を食べてもうまいと思えない。ただしかし、むしゃむしゃと何でもよくたべるなあと、自分ながら感心しているのだが。

鼻水がよく出るので、風邪と見てくすりを呑んで寝る。

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2007年12月25日 (火)

風の果てのテーマ音楽

12月25日(火)曇
高気圧が日本海を覆っていて天気は良い筈だが、この辺は南方からの低気圧とぶっつかって、雲が多くよい天気とはいえない。強くはないが風も吹いている。
昼を過ぎると,満天雲が払われて陽光燦々と照りつける。
冬の最中の太陽の光を満身浴びる喜びほど素晴らしいものは無い。
昨日だったか北欧フィンランドのクリスマス風景をテレビで放映していたが、太陽は出るとすぐ没してしまい、白夜が残るだけでのクリスマスイヴ、感興は起っても,人工の照明だけでは、どれだけの人間が享受出来るのだろう。
常夏の国では逆に太陽の恩恵を忘れ去って、冬の日の幻想を思い浮かべることもできないだろう。

しかし午後2時にもなると早くも白い筋雲が出て来て,間もなく空一面くもってくる。やはり冬空は淋しい。

夕食は久しぶりに何時買ったのか有り合わせの葡萄酒にヒレカツの馳走。もう晩酌の味を忘れているので,少しでもこたえる。家内もほろ酔いの感じだ。

こうしてささやかにクリスマスも歳末も我が家を通り過ぎて行く。
風の果てのテーマが相変わらずくりかえしバックに。

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2007年12月26日 (水)

夜行列車

12月26日(水)晴
朝8時、気温は相変わらずの6度だが、空にはほとんど雲が見えない。
正午になっても、陽光はがんがんと部屋に射し込む、さすがに暑くて辟易する。
裸になって乾癬のくすりを塗り込むのも気持ちがよい。冬にはこんなことは滅多にあるものではない。

今日の新聞を見ると、夜行列車が減って来年の3月改正時刻表からは何本かの夜行列車が無くなるという。
私の若い時分は京大阪や東京行きは文句なしに夜行列車だった。東京は勿論20時間以上かかるのだから当然だが、大阪でも買い物目的だったら夜行を利用しなければどうしようもなかった。

鈍行でのんびりなんては時代にそぐわないというわけだ。
私達の世代にはなんとも有り難い,楽しい旅になったのだが、今ごろは修学旅行なんてのは代わりにバス旅行になってるようだ。どっちにしても夜の間に目的地に近づく為には夜走ってもらうほかはない。

JRも夜の時間帯を遊ばすわけには行かないだろうが、夜行を廃止してどうするつもりだろうか。貨物だけをしっかり走らすというのかもしれないが、その貨物も船や自動車に分捕られていると聞くのだが。
私案だが、格安の寝台列車仕立ての遠距離ツァーなど企画してもらったらどうだろう。例えば中国、九州から東北、北海道へ、又その逆と云う様な。

終日快晴のまま暮れて行く。冬の一日としてはこれも又珍しい。
沢山洗濯をした家内も嬉しそう。痛い痛いとこぼしながらも、歳末の家内外の掃除をどんどん進めて行く。
永年の習慣とはいえ、えらいもんだな。
終始傍観者の俺は全然無視されて一声もかからない。

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2007年12月27日 (木)

私の基本風景

12月27日(木)晴
2日連続して快晴の朝、気温やや下がり4度。
私は15日に,家内は25日にそれぞれ年賀状を投函して、年明けをさあこいと待ち構えた心境だが、家内は歳末の買い物が残っているだけに、気が高ぶって落ち着きがない。
妹の所へは賀状が届くことになったが、忌中が5日遅れたので仕方がない。

午後になると灰色のうす雲が空を覆って、日光が弱くなる。
他の人のブログを時々拾い読みしたりするのだが、雲の好きな人も居て、すてきな描写や写真を載せていたりする。私はそこまではいかないが、目の前がいつも空に向って広がっているので、雲というより空を見るのは避けようがない。時期により遠く四国の空ではないかと感じたりする。悠遠さに心を打たれる。
目前の宮島はいやでも私の頭の中の基本風景である。まさにこびりついている。

富士山を朝に晩に見て暮らす人々や,日本アルプスの白雪連山を眺め暮らす人たちの素敵さ,幸福さを思い描くことがよくあるのだが、これはその人生の巡り合わせがなければどうしようもない。
風景の素晴らしさは劣っていても,永年住み慣れてみると小さな小山でも兄弟か友達のように懐かしく、声を掛けてみたくなる。

先日死んだ義弟は永年盲目同然で暮らしていたのだが、生前の頭によぎる自然風景がどんなもんであったか、とうとう聞く機会を持たなかった。ただ、自分の思いのなかの人生に繋がって来た風景が動画の如くひしめいて唯一これというものは無いに違いないとは感ずる。

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2007年12月28日 (金)

年金は戦争中つくられた

12月28日(金)雨
昨夜来の雨がかなり激しく降り続く。広電楽々園に買い物に行き食事もそこで済ます。
雨ますます強く他へは廻ることを中止して帰宅。正月支度は別の日にすることにして。

岩国市長が議会解散をせずに自らの辞職と再選による民意を問う作戦に出た。対抗馬が居ないと見ての巧妙な作戦である。再選されれば議会解散をするか、その結果が又同じ様になればねじれ現象は又続くわけで、岩国市の動向は決まらなくなる。
民主政治の欠陥がいみじくも大きく露呈しそうである。
国の議会もそうである。二院制でなければなんでもないことでも、複雑にしてしまう。
選挙にて問われるテーマは一つではない。政党は一つ信任されても,全部信任されたと勘違いする。

それにしても、社会保険制度の欠陥問題は大きかった。そもそもその制度実行の際の国民全部に強制する方法に無理があった。収入に応じて保険料を課すということ自体不安定要素だった。失業保険は良いとして,厚生年金は選択制とすべきではなかったか。もしくは一律に全国民皆保険とすべきではなかったか。
軍備増強の(即ち戦費調達の)手段として考えられた方式を、そのまま戦後に継続したことに無理が在った。
敗戦とその後の混乱がこの制度の混乱に拍車をかけたと見ている。

私などは戦後普通の職場についたので、混乱はなかったが、世上を見るに均一に厚生年金や国民年金の制度を確立するのは明らかに困難に思われた。特に零細な企業が多く経済界は混沌としていた。
何十年も経った今これを解決することは不可能といえる。私はむしろ国民の協力意志欠除が原因で責任は国民にあると思っている。

こんなことを政争の具にされ、退陣に追い込まれた安倍内閣は不運であったとしかいいようがない。
国民の判断は時に可笑しく,馬鹿げた方向をとる。内容をしってるようで、案外わかってないのである。
大東亜戦争にまっしぐらに突き進んだ風にならないことを祈るのみである。

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2007年12月29日 (土)

天皇杯サッカー

12月29日(土)曇
早朝気温11度と跳ね上がる。空は灰色につぶれているが、おぼろ太陽が影の如く映えている。
今日は各地で交通渋滞がつづくのだろう。
我が家では、誰も訪れはない予定なので、しずかに年末年始を暮らせそうだ。
ただ3日に長女の家に招かれてはいるが。

朝湯沸かし器からの湯配管の付け根からぽたぽたと湯が漏り始めた。早速ガス会社に電話して来て見てもらう。
パッキンが痛んでいるとのこと。取り替えは来年になるという。仕方がない。

午後一時からサッカーの天皇杯準決勝が行われ、サンフレッチェとアントラーズが元日の決勝に駒を進めた。
アントラーズはJIの優勝チームだし、二冠を獲得してもおかしくないが、サンフレッチェはJ2に降格したばかりで,全くのフロックと云っていい。しかしその勝負振りは新鋭2人の活躍があったりして、チームのカラーを塗り替えた感じがある。ひょっとすると元日もおかしなことになるかもしれない。
若いということはやはり馬鹿に出来ない。柏木の90分間のタフな動きは並ではない。ただ警告累計の為に元日には出場出来ないとのことでまことに残念である。
(写真は中国新聞よりコピー)

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2007年12月30日 (日)

産業の環境破壊

12月30日(日)曇後晴
朝雪そして間もなく霙に変わる。風も出て寒い。気温2度。
昨日芳邦さんが例によって野菜を沢山届けてくれる。いつもいつも親切なことだ。今朝早速長女のところへお裾分けをしに行く。帰路スーパーで正月用品を人並みに沢山買って帰る。

午後には雲が晴れてよい天気になる。風が冷たくて気温はさほど上がらないが。
日射しが部屋いっぱいに入り込みおかげで過ごしよい。
2時過ぎまでいつもの様に午睡。
4時頃には太陽は雲間に隠れ、冬空が戻る。暖かさは消える。
スーパーでも凄い人出だったが,道路を行き交う車も並ではない。
やはり歳末は争えない。

長女の婿は担当が予算関係らしく,日曜も祭日もなく夜遅くまで頑張っているらしい。
今日も朝から出かけていなかった。
皆が歳末や正月といって、休日を楽しんでいるわけではないことが、よくわかった。
毎日が日曜日の老人は人並みにものを云う資格はないな。

昔の武家社会では,隠居制度があって、家督を後継者に譲るということがあった。家内外の一切の支配代表権を相続者が握るわけである。現代に通用する制度では到底あり得ないが、一理あるなとは感ずる。

福田総理は年末の慌ただしい中を中国を訪問した。一応歓迎は受けたけれど実質的成果はなにもなかったようだ。
貿易の最大対象国だから挨拶をしたぐらいのことだ。
中国は間もなく日本を抜いて世界二位に、そしてアメリカもいずれ凌駕するすることになりそうである。
その上に蒙古砂塵と共に大挙押し寄せる環境破壊の波に抗し得ることは先ず不可能に近い。
人類とか平和とか、もうその次元を超えつつあるのではなかろうか。

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2007年12月31日 (月)

大晦日

12月31日(月)曇時々雪
朝8時積雪3cm,なお少量ながら降り続いている。気温1度。地上の雪はどんどん解けて見えない。

とうとう今年最後の日となった。我が家も元日早々の三社参りから始まったのだったが、孫たちは皆その目的を果たして,幸運に恵まれたが、孫の一人が結婚したり、家内の叔母、私の義弟が死去したり、いろいろ幸不幸錯綜した年になった。

昨年大阪でさざん会の開催を引き受け、年初早々からバタバタとかけずり回って準備し,6月一応その任を果たしたのだが、4月には信州方面まで桜を見に行き、8月までに四国に三回観光に出かけたりした。その影響が出たかどうか年の後半は体調不良に悩まされた。家内も同様にリウマチに苦しんだので、楽しいことはほとんど無かった。
来年もまたさざん会の世話を土田君と一緒にすることになってしまって、求めて苦労をすることになったが、成り行き上仕方がなかった。まあ馴れた仕事だからなんとかなるだろう、生きていなければならないということでもあるし。

時折降り続いていた雪も、雲間から顔を出した太陽に勢を失って小雨になる。
もう何処にも出る気はしない。といって夜中の紅白を見る気は全然ない。代わりに私には沢山のCDやDVDがある。
例年の様に寝ながら迎える元旦である。
目下の所体調は万全と云える。
無事平成20年まで寿命が伸びることはもう間違いない。後二十日ばかりで米寿を迎える。思っても見なかったことだ。

午後2時ちょっと出て来るよと言って家内が出て行った。まだ気力が残っている様だ。
午後3時天候急変し、猛吹雪になる。積もることはないだろうが、ぬかることは間違いない。出かけた家内が心配。
30分ぐらいで猛吹雪は穏やかになる。家内はその後うまく帰宅する。やれやれ。

午後8時7chで恒例の第9が始まる。快い響きに任せることにする。

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