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2007年12月 8日 (土)

サンフレッチェJ2降格

12月8日(土)晴れたり曇ったり
まあまあの天候で過ごしよい。白菜を例年通り漬けると家内がいうので、近くのスーパーに買いに行く。
安物だから格別美味しい漬け物には出来上がらないのだが、甘くし過ぎるのが2人とも嫌いな方なので、商品として並んでいる漬け物が性に合わないので仕方がない。ほどほどの塩辛さで、唐辛子が利いたのが我が家向きなのだ。ぷんと醗酵臭が出れば最高である。

ところでいつも今日になると思い出すのが,大東亜戦争勃発の日の右往左往である。
軍事演習で丁度富士の裾野で宿営しながら猛訓練を享けてる最中だった。伊豆の修善寺まで行軍して、昼食を取ってる最中のラジオ放送で知らされた。
もうこれで満期除隊も無くなったし、生きて故郷の土が踏めることはないだろうと覚悟しないでは居れなかった。
東京の学校に入って将校教育を受けてる最中で、4月には満洲の部隊に帰参しなければならない。
急遽夜を徹して帰校し、戦時体制に入った。
翌年3月いっぱい予定通り教育は続いたが,部隊に帰参するや否や、転属また転属と対ソ作戦用に編成された新部隊に転任を強いられた。将棋盤の一枚の駒みたいなものである
(この日の行動は私の別のホームページhttp://homepage3.nifty.com/hatukaiti-viefo/の「私の軍隊生活」に詳しく書いている)
ソ連と約30キロのところで湿地を挟んで対峙している、第5軍(山下奉文司令官)隷下の一自動車部隊が私の所属する隊であった。
学校に入隊する前,一般兵として何度も対ソ連専門の訓練を受けていた。
ドイツと同盟しているんだから、火ぶたが切られるのは時間の問題だった。
それなのに米英とまで宣戦するとは。生きられるという予測はまるでなかった。

終戦前年部隊が南支に作戦移動させられ、為に終戦時ソ連に抑留されることは免れた。
一応勝戦の場所にやられたので、死もまぬがれた。こうして臆面も無く90歳近くも生きている。

ともあれ、日本一の富士の山裾に昭和16年12月8日にいて、戦争を迎えたという因縁はわすれることは出来ない。

今日はもう一つ嫌なことが重なった。地元のサンフレッチぇが京都サンガとの入れ替え戦に敗れて、J2に降格したことである。力はあると認められながら、どうしても勝ち点に結ばれない。
これで中国地方にはJ1チームがなくなった。東に偏り過ぎてまことに面白くない。昔の栄光を早く取り戻して欲しいものだ。

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