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2007年9月 1日 (土)

又ガス欠

9月1日(土)曇
昨日から急に涼しくなる。裸では一寸寒い。昨夜もタオルケット一枚では寒くて、夜中に起きてもう一枚掛け足す。
寒暖計を見たら30度だったのだが、扇風機が余分だったらしく止めて寝る。もっとも扉や窓は開け放しだが。

クーラーは風呂から出た時以外は使わない主義だから、その代わり扇風機は3台あって適宜使い分ける。
クーラーは部屋が4畳半だから効き過ぎて永くは使っておれない。

ともかく9月に入った。余命がいくらかなどとふと考えると少し淋しい。思考などというものは案外気温に左右されるもんだなと改めて驚く。
癌で苦しんでる水戸君のその後はどうかなと思ったりする。
みんな駆け足でこの世を去って行く。歳の少ない奴まで先に行ってくれては困る。順番通り行くのが良い。

家内がいつも掛り付けの外科医に薬を貰いに行く。リウマチの事を話すとうちではわからないと云われた由、外科医ではリウマチは専門外と知って驚く。そういえば三菱病院で外科(リウマチ)とわざわざ別記してあったっけ。
おかげで家内の行く医者が増えて付合う私も忙しい。

夕方近くのスーパーに買い出しに行く。うっかり一番交通量の多い交差点でガス欠となり、動かなくなってしまう。
二人で車を押して路端につけて、後の車の通路を開き、下車して2百米ぐらい先のガソリンスタンドまで歩いてガソリンを買いに行く。容器に3lt入れて貸してもらい、あとで容器を返しに行き満タンにしてもらってお礼のつもり。
大分前に経験したことなのであわてることはなかった。
それにしても最近乗車する回数がうんと減ったので、ガソリンが少なくなってたのは2、3日前から気づいていたのだが、うっかり忘れてしまった。

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2007年9月 2日 (日)

さざん会の終か

9月2日(日)曇
千代から朝早く電話。

昨夜高樹のぶ子のNHK深夜放送対談がほぼ1時間放送された。サイヤという言葉が再三出るのでなんのことかと思って、彼女が言う通りそのウエブサイト"http://blog.goo.ne.jp/websia"に入ってみると、説明欄がちゃんとあった。soaked in Asia という彼女のモットーの頭文字を繋ぎ合わせた言葉だそうだ。教えてくれなければわからない。
そのプロフィルから防府高校出身で34歳の時芥川賞を獲得、現在九州大学教授、芥川賞選考委員の傍ら沢山の著述があることがわかる。
わたしは悲しいかなその作品を一つも読んでいないし、今晩の放送を聞いてはじめてアジアの作家と手をつないで、文学を通じて国際活動をめざしているという作家であることがわかった。
時間があれば少しでもその作品に接したいと思った。そのウェブサイトにはブログを始めエッセイ、ショートノーベ
ルなど満載されているので簡単である。現在60歳とのこと。
対談の中でアジア各国の作家は小説を書いただけではなかなか食って行けないのだとも云っている。日本みたいな国はないのだそうだ。
またアジアの国々はほとんど列強の支配下から文化活動が始まっている。自ずから作家の視点が変わって来る。
その点で日本と根本的に異なる文学となっている。それを理解し、取り上げ新たな発信を世界に向けたいとの抱負が伺えた。

午後3時半横山君から電話、下関の浜井君から電話で、目が悪くなり入院することになった由で、来年のさざん会の件でいろいろ相談したが、いずれも都合が悪く開催は無理だとの結論にたっしたとのことで、来年は中止することになったからよろしくとのことであった。さざん会も今年の33回で幕を閉じることになったわけである。

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2007年9月 3日 (月)

避けられた日本分割

9月3日(月)曇
7時過ぎ太陽が雲間から顔を出し金色に輝く。また暑くなるかも知れない。

朝家内は定例のお茶の会に出かけて行く。立ち居が難しくなったので,脱会すると何度か言いながらなかなかいざとなると言い出しかねているらしい。春信州の小布施に行った時買った、名物の栗羊羹を保存缶から缶切りで私に開けさせて、ラップに包んで持って行った。皆に食わす為に。
リウマチで苦しんでいる家内に何も遠慮することは無いはっきり言ってやめろよと言うのだが、永年の経緯もありさほど簡単には行かないらしい。無類のお人好しだから人が困ることは言い出しにくいのだ。会の人数が少なく、新加入者が昨今全然ないそうだから。

昼になってもうす雲は消えない。おかげでカンカン照りは免れる。

涼しくなったせいもあってか、チガソンを毎日呑んでるからか、乾癬が薄くなってほとんど影をひそめてきた。
痒いのも朝に晩に、医者が新しく出してくれた薬を飲んでいるのでうんと軽くなった。ほとんど気づかないくらいである。おかげで私は気分がいい。どこぞへ車を走らせたいのだが、家内の機嫌がよろしくなくて、一向に旅になど歓心がない。もう少し秋が深まらなければなんともならないかなと諦めては居るのだが。

午後になって日射しが強くなる。風が適当にあるので部屋にいるかぎりさほど暑がる必要は無い。
郵便局に用事があって外出する。
出たついでにマルシェでアイスキャンデーなど買って帰る。

今日の産經新聞に石原慎太郎のコラムが載っている。終戦の時期が原爆で早まって、日本の米ソによる分割を免れてよかったと云っている。同感である。しかし欲を言えばもう少し早く降伏の決断があれば、原爆も免れたであろうし、満洲在留邦人百万の惨憺たる撤退も起きなかった。
ともあれ現実には原爆により決断を迫られたその結果、ドイツや朝鮮の如き分割の苦難と同胞あい鬩ぎあう地獄は避けられた。そのことが確かに今日の平和な日本を導き出したことに異論を唱えるものはいないだろう。
原爆や在満邦人の犠牲が現在の国民を救ったのである。

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2007年9月 4日 (火)

自民党と民主党のどちらを選ぶ

9月4日(火)
カユミ止めの薬を昨夜遅く呑んだせいか朝眠くて起きにくい。

遠藤農水相が組合長をしていた農業共済組合の補助金を人数を水増して、不正受給していたという前科がバレて、辞職に追い込まれた。大臣就任以前に承知していながら、厚顔にも大臣に就任するなど、内閣や国会議員の信用を傷つけるも甚だしい行為である。
農相関係は何ヶ月も経たないうちに、3人目である。
安倍首相は責任を取って総辞職すべきである。こんな泥棒みたいな大臣を揃えて国政を運用するというのだろうか。
次の国会で行き詰まることは目に見えている。
今が解散民意を問い、場合によっては民主党に政権を明け渡すべきチャンスではないか。
永い間自民党の人材豊富を信じて応援して来たが、もう愛想が尽きた。政治腐敗がその極に達した。
民主党なら大丈夫という保証はないが、しばらくは新鮮な真っ当な政治をするのではあるまいか。

細川内閣誕生の時私は大いに期待したのだが、あっという間にガラガラと崩れてしまった。何が悪かったか私にはよく分からなかった。ただ雑多な寄せ集まりで足並みが揃わなかったようだった。
今の民主党も似た様なもので、足並みが問題だが、くせ者小沢の手腕で何とかまとまるのではと思う。
ただこの小沢の政局運営は見事だが、果たして国際の場でどうかは、やってみないと誰にも分からない。
それでも今の日本は頼るものはいない。もって暝すべきか。

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2007年9月 5日 (水)

新しい廣島球場

9月5日(水)晴
連日同じ様な天気がつづく。台風9号の影響はない。ただ残暑が続くのは案外台風が連れて来ているのかも知れない。

廣島の新球場の建設業者がやっと確定した。五洋建設、増岡組などの共同企業体が請け負い、58億5千万円かかるという。再来年春完成予定。増岡組は現市民球場も施工に携わったと聞いている。
もう此の歳では球場まで赴くことは無理だが、繁栄を心から祈りたい。

家内が昼は外食にしようというから、お好み焼きを食いに行く。ボリュームが大きすぎて半分残す。老人には無理だな。
牛馬の如く食欲旺盛でないと、見ただけでうんざりする。
梨やリンゴを半分づつかじっているぐらいがちょうど良い。

今日の真昼の熱気は物凄い。下手すると熱中症にかかるので、水をがぶがぶ飲む。
家内は応接間のクーラーの下で溜まった新聞を熱心に読んでいる。2、3日前だったか、昔縁故があった手品師の松旭斎広子が亡くなってたよと家内が死亡欄から見つけて云う。時々便利の良いことがある。

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2007年9月 6日 (木)

台風9号

9月6日(木)晴
愛風9号が関東地方に向ったせいで、こちらはカンカン照り、部屋の中にいても日射しが部屋の奥深く差し込むのでいたたまれない。

またまた鴨下だの大臣の虚偽報告がニュースを賑わしている。大臣になった為に暴露したのだろうが、大臣にならない奴でもいい加減な報告をだしているものが沢山いるのではと思わせる。
こんな下の下の人間共に国政を任せていて、美しい国になるのだろうか。

日朝交渉はやはり予想通り何等の成果もなかった。国交正常化が非常な得策であると言う状況にならない限り、本気で交渉に乗って来ることはないだろう。
また国を解放して、国際化せざるを得ない状況に追い込まれるまでは無理な気がする。
気長くそれを待つのが一番良いのでは。

台風は夜関東に上陸することが確実になった。お気の毒様です

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2007年9月 7日 (金)

住宅街のようなお墓

9月7日(金)晴
台風9号は小田原付近に上陸して、現在関東を縦断している。
大雨の影響で河川が増水して、多摩川も危険水位をこえ、世田谷に避難命令が出たらしい。
娘らは隣の街に住んでるので、嫌な気持ちだろうが、マンションの五階だから避難にはあたらないだろう。
孫らの通学が困るかな。今の所何の連絡も無い。
昨夕突風が何度か後の窓から入って来て驚かされたが、36.9度の記録的最高温度は台風のフェーン現象によるものだとある。日本が小さいのか台風が大きいのか、どちらにしてもえらいものだ。

高樹のぶ子のブログを読んでると、”住宅街のようなお墓”というのがあった。なんでもマニラの華僑のお墓だそうだが、ガードマンのゲートがあり、そこを通り抜けた一角に、死後も生前同様の生活が出来る様に設備した家が建ち並び、それが墓なのだそうだ。
”死は、ちょっとした区切りであって断絶ではない。生の延長に死があるとすれば、死者はより身近な存在です”
秦の始皇帝の兵馬俑につづく、死者への意識らしい。
現在も続いているこの信仰に驚く。
私は死と同時に無になるとの信念を永年に亘って持ち続けている。したがって死後まで霊などというものが存在する信仰は持っていない。たった数時間であるが、交通事故に遭って意識を失ったときの経験が私の信念の根拠になっている。
こんな華僑のとてつもない信仰は驚きである。

三菱病院に家内の診察のお供して、帰路市民病院に井上のお母さんを見舞う。少しやせられたかなと思ったが元気そうである。手術のあとが痛々しい。ちょうど妹さん二人が見舞の来られていて話が弾む。
人間はそれぞれいろいろな道のりを経て生涯を終えて行くものである。あらためてその一日を感ずる。

午後3時半突如ばらばらと降って来る。暑い日射しの中を、正に狐の嫁入りか。5分も経たないで終わる。
午後6時台風は青森から日本海へ出たが、速度が50キロというのだから、間もなく北海道に達するだろう。

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2007年9月 8日 (土)

冷蔵庫の中

9月8日(土)晴
朝始めて秋らしい爽やかな風が吹き通る。
薄曇りの空に太陽は照り輝いている。外に出るとやはり暑い。
昨一日かゆみどめを呑まなかったせいか身体のあちこちが痒い。あまり効かない薬のようで疑いながら呑んでるのでそのせいかもしれない。

今朝方のラジオで冷蔵庫に腐ったものや期限切れのものを入れてる家庭が殆どだという話をしていた。
我が家もその部類かも知れない。買いに出るのが面倒といいながら、不必要なものまで沢山買って来る癖がある。
そのくせ3日にあげず買いに出かけている。家内は片付けなければといいいいしながら、整理もしているがまた買って来る。
だから冷蔵庫の中はなかなか空きがない。だからといって覗いてみても不要だと取り除くものは僅かしか無い。
今日明日使用するものだけというは安く実行は先ず不可能なようだ。

午後買い物に行く。あいもかわらず殆どが食料。また食い残すのが目に見えてるのだが。

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2007年9月 9日 (日)

日米同盟解消

9月9日(日)晴
安倍首相がどうやらインド洋での給油継続を国際公約とし、その成否を進退の決め手にする決意らしい。
そんな値打ちがあるかどうかは、私ごときに分かりかねるが、日本が遠くから出張してやらなくても、何処の国でも出来るのではと思うが、経済的な負担が多過ぎるとでもいうのだろうか。
さしあたり米国の負担が増加し、協力国が一つ減ることが痛いのだろう。同盟国の名が泣くということにもなる。
根源はこの同盟国にあるのだろうから、普天間基地も岩国基地もついでに片がつくから、日米条約を廃棄したらどうだろう。
後は民主党に任せたら良い。できるかな。
戦後ももう60年を過ぎた。戦後直ぐの恩恵もぼつぼつ忘れてもいいだろう。60年と云えば還暦である。恩恵を受けた世代はもう隠居したかあの世に行った。
新しい時代の世代が日本の明日を決めていい筈だ。先ず同盟国の解消から始めるのがいいのでは。

今日の中国新聞にその編集長山城氏の名入りの提言で、”麦・大豆の増産へ転換の時”というのがある。
なかなか面白い。民主党のマニフェストで打ち出した戸別所得補償額一兆円とある。思い切って実行したらどうか。農家の再生、地方の格差是正に繋がるのでは。一石何鳥にもなりそうだ。

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2007年9月11日 (火)

ねじれ国会開幕

9月10日(月)晴
家内はもう終に近づいたお茶の例会に出かける。みんながとても親切にしてくれると別れ難いらしいが。

今朝は起き抜けにゾクゾクとする程ひんやりしている。急速に秋が接近して来たようである。もう秋も半ばだから当たり前の話だが、地球温暖化著しい今だから、今までが変調だったのだ。

家内がテレビを聞きながら、何をしゃべっているのかわからないとよく云う様になった。80歳に近いのだからしかたがない。
あれだけ熱心に見ているのにこれだから、私の様にたまにしか見ないものには、特に若者の歌などはまるで何を歌っているのか分からない。また映画でも早くから外国映画は字幕が苦手であまり見ていないし、日本映画もだんだん分かりにくくなった。何もかも最近は字幕をつけ始めたがこれがまた読むのが大変だ。老齢のせいで仕方がないなと思っている。
ドラマなどは殆ど見ない。ニュースだけは何とか理解出来るから、まあこれでいいだろう。

スーパーにまた買い物。よく食べるもんだなあ。生ものは毎日買わなければ仕方がないよと家内の弁。
でも、刺身だけは夏は嫌だな。

千代が近くの大学の購買部に週3日、夕方の3時間のバイトに出ることにした由。毎日遊んで居るのもよくないからと決心して、今日早速出勤したそうだ。家内も若いんだからそのくらいした方がよいと賛成のようである。

9月11日(火)晴
全国的に雨が多いというのに、ここ廣島はほとんど雨が降らない。面白い現象だ。
今日も涼しくていい天気。昼には暑くなるというが。

新聞なんてノウテンキなもので、安倍首相の国会演説を評して”捨て身戦術、危険な賭け”といったり、次の総理は”麻生太郎”とパーセンテージをはじいたりしている。考えて見ると、新聞は人の揚げ足をとったり、良いことは書かずに、悪いことばかり誇張して吹聴することが凄く多い様な気がする。これに結構ひっぱられて愚民がぎゃあぎゃあ騒ぐ。そしていつの間にかそれが世論というものになったりして、政治がむりやりひん曲げられる。おかしな世の中になったものだ。いや昔からそうだったかな。

任命した大臣が会計をごまかしていたといって、首相の任命責任などといって難癖をつける。下手に身上を調査して洗いだすと、個人の人権を無視したとして騒ぐ。こんなこと誰が考えても本人が名乗る以外に方法はない。
悪いとすれば当人だけだ。首相がもし悪いというのなら、そんな人間を選挙した国民も悪い。新聞記者もその一人だ。
民主党お前もどうかしてるぞ。てめえのところからもこの次、出さない様に気をつけることだ。

家内が内藤内科に行く。いくらか良くなったというと、そんなに早くは良くならないよと先生がいったとか。
喜んで良いか悪いか、家内も困った顔つきで帰宅する。

午後5時教会の鐘(教会はないので何処の鐘かな)が突然大きくなり出す。はてなと一瞬思ったが同時テロの日だったとすぐ気がついた。何処が鳴らす警鐘か、まあいいか、ありがとう。

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2007年9月12日 (水)

安倍首相退陣

9月12日(水)晴
申し訳ない程良い日がつづく。
深夜放送でニューヨークからの放送を中断してどこやらの大雨洪水警報が報ぜられたりする。外を覗くと星が輝き別状ない。場所を聞き間違えたらしい。

安倍首相が辞任を発表した。参議院選挙の大敗で、政策特にテロ特措法の継続の目途が立たないと判断したのが主因のようだ。
党内の求心力も低下し、仮に衆議院の再決となっても2/3を獲得出来るかわからないし、11月1日までに可決することは困難であると思ったのだろう。テロ特措法に深入りし過ぎたのが命取りと云える。
小沢との党首会談も単なる話し合いで決められる性質のものではないことは分かり切ってる問題だ。

やはり若い安倍の経験の浅さがもろに露出した感じである。そこへゆくと、小沢の対応ぶりは正に徳川家康そっくりである。
関ヶ原で勝った、次は大阪城陥落、こちらは遥かに楽だろう。かりに通常選挙までのびたとしても。
”鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス”である。

只問題は自衛隊をひっこめて後をどうするかである。それこそ日米同盟破棄まで行くか。原油を含めて、経済環境はどうなるか、
お後が大変なことになりそうだ。

夜オリンピック予選のサッカーでカタールに1-0で勝ち、グループ1位になった。まだ3試合あるのだから、喜ぶのは早いが。

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2007年9月13日 (木)

安倍首相のメール

9月13日(木)晴
安倍総理からのメールが入っていた。辞任の弁である。以下に記す。
____________________________
こんにちは、安倍晋三です。
内閣総理大臣の職を辞することを決意いたしました。
 7月29日の参議院選挙の結果は、大変厳しいものでしたが、改革を止めてはいけない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならない、との思いから続投の決意をし、これまで全力で取り組んできました。

 また、先般のAPEC首脳会議が開催されたシドニーにおいて、テロとの闘い、国際社会から期待されている、高い評価をされている活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない、と申し上げました。

 国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思いで、活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。

 テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくりについても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべきと考えてまいりました。

 そのために、私は何をすべきか。

 局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると考えました。

 改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけですが、今の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければならない。そう判断するにいたりました。

 新たな総理のもとでテロとの闘いを継続していく。それを目指すべきではないだろうか。今月末の国連総会へも、新しい総理が行くことがむしろ局面を変えていくためにはよいのではないか、と考えました。

 決断が先に延びることで困難が大きくなる、決断はなるべく早く行わなければならない、と判断いたしました。

 無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。

 約1年間、メルマガの読者のみなさん、国民のみなさん、ありがとうございました。

 この間にいただいた、みなさんの忌憚のないご意見、心温まる激励を、私は決して忘れません。

 私は官邸を去りますが、改革、そしてテロとの闘いは続きます。これからも、みなさんのご支援をお願いします。(晋)
______________________________
昨日の与謝野官房長官の談話でもあったが、病気が高じたということもある。並の神経ではやっておられない劇職である。
当然覚悟してかかったのだろうが、少し巡り合わせが早すぎた。親父さんは遅すぎて寿命に間に合わなかった。
人気のバロメータが随分激しく上下した。任命した大臣どもの不始末が皆自分の責任として押し付けられた。
評論家の田原氏が云う様に、年金の問題なんかは小泉内閣で露呈してもよかった。小泉内閣が大騒ぎになったはずだ。
運が悪かったと云えばそれまでだが、やはり一片のワカザムライである。他人に押し付ける老かいさはまるでなかった。
同情するものは多い。しかし総理は同情されたのでは勤まらない。
最終的には、功業も不名誉も総理するものに帰結する。もって暝すべきか。

快晴で昼中は暑くて夏と変わらない。ただ陰に入るとぐっと涼しい。やはり秋だ。
午後5時。鐘の音が響く。9月11日から毎日鳴る。同時テロの警鐘かと思ったがそうではなく、単なる時鐘を市役所あたりがならしているらしい。
もっとも同時テロはアメリカの問題。原爆記念日の時鐘は日本の問題。よその国の事で鐘をつく訳はない筈だな。
とかく勘違いが多くなる。老いぼけのせいか。

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2007年9月14日 (金)

パン焼き

9月14日(金)曇
やっとかんかん照りは終わりそうだ。
取り残された様に雨が降らなかったこの地方にもどうやら台風11号の伴う雨雲が届きそうな気配だ。

庭の植木たちは一息ついてくれるだろう。夫婦とも老体で僅かな散水にも苦労しているわけだから。
やはり天然の恵みが一番ありがたい。

世界遺産になった大森銀山に行ってみるかと、相談しているのだがどうやら昔通った街中は自動車は入れないらしい。
公営の駐車場からは2、3キロあって、シャトルバスで行くのだそうだ。老人にはなかなか難しくなった。
羅漢寺や代官所跡などは以前見ているので格別どうでもよいのだが、龍源寺間歩が入れるとかで出来れば見たい気もする。
若いものの様に機敏に歩き回れないのだから、邪魔になるだけで下手をすると転んで怪我でもすると大変である。
止めとくかということになった。

午後になるといつも通り蒸し暑くなる。瀬戸の夕凪で只今全国一の暑さらしい。

午後4時時々日が射したりして、家内も変な天気だねと不服げにつぶやいている。
明日のパンがもうないので、買いに出ようと思ったが、たいぎなので古いパン焼き機でパンを焼くことにする。
先だっては粉が古かったか配合が悪かったか、普段の2/3ぐらいの大きさに出来上がった。
今回もう一度そこらを念押しして取りかかる。粉はやはり古いのを寄せ集める。
四時間後今日はなんとかまともなパンが出来る。

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2007年9月15日 (土)

自民党の後継は?

9月15日(土)雨後曇
朝9時前しとしととやはり雨になった。希望がかなってうれしい。
台風11号も東シナ海を北上するらしいから、東へ向きを変えなければすぐやってくることはないだろう。

安倍首相の退陣の顛末が今話題の種だが、敗軍の將は古来兵を弁ぜずが当然。しかし敗者に対する一方的に鞭打つ世論が多いのに呆れる。誰にも功罪があるが、罪一点張りの一点の救いもない。
内閣は家庭ではない。親が子を見る如くその素行までわかるわけがない。すべて形の上での信頼に基づき成り立っている。
3人5人と部下に不行き届きがあったとしても、それを全部首相の責任呼ばわりするのはどうだろうか。
すべてその政治力量をかっての選択だろうから、政治上の失敗ならいざしらず個人的失策で総理に責めが及ぶのはすこしひどすぎるのではないか。

敢えていうならば、国家の議会だから議員は個人の欠陥について揚げ足取りばかりに終始しないで、もう少し国のため、国民のための議論をしてもらいたい。政策の論争ならいくら時間がかかってもいいが、個人攻撃ばかりはいただけない。それこそ税金の無駄使いだ。ミーちゃんハーちゃん受けするスキャンダル探しばかりで、議員も記者も見苦しい。

みのもんたが安倍同情論をブッタといって、みのもんたに攻撃の矢が集中している。
勝ち馬に乗る、しかも我勝ちに乗らんとする多くの評論家の態度はどこか軽薄で納得出来ない。
賛成も反対もあってよろしい。その論理にうなづけるものがあれば、敢えてその議論も受け入れる度量が欲しい。
私はみのもんたの意見を改めてもっともだと是認する。

空はいつの間にか晴れ間が覗いて、雨も止む。
何時も通りスーパーに買い物に出かける。車で行くのだからいつも買い過ぎる程荷が多い。特に重い牛乳、ジュースなど水物は多くなる。果物も先ず欠かさない。力の衰えた老人にはやはり車は欠かせない。
週に一度配達のお兄さんが来てくれてるが、貰うものは米や酢醤油ぐらいのものであまり喜ばれるお客にはなれない。

自民党の後継は結局福田、麻生の争いとなった。十年、二十年前に時計が逆回転した様で、若いものには気に入らないだろう。
小泉の様な既存の権力政治をぶちこわす様な元気のいい若者が出て来て欲しい。

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2007年9月16日 (日)

ウイーン・フィル

9月16日(日)曇
嵐の前の静けさか、そよとも風のない蒸し暑い朝。最近珍しく不快な夜明けである。
10分か20分かザーと降って直ぐ止む。

午前中NHKハイビジョンで放送された、ゲルギエフの指揮したウイーン.フィルの演奏会を聞く。最初のラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をブロンフマンのピアノ、ほんとに息も切らさずに激しく弾き切る。驚く。聴衆も同じ気持ちだったと見え、アンコールが6度7度と止まない。アンコール2曲を演奏したが、2曲目にはコンサートマスターから促されて、ショパンの革命を鍵盤を叩きつける様にして弾き始める。なにか怒りがこめられてかに見えた。私もあんなにアンコールしなくてもと同情して見ていた。
マナーが良いのか悪いのか、聴衆にそれを感じた。
最後のチャイコフスキーの交響曲第4番を演奏し終わってのアンコールは、お得意のポルカを2曲、楽員ともどもニコニコ顔の演奏で、その対照が何とも云えずすがすがしく楽しかった。

午后2時半とうとう本降りになって来た。今度は南風を伴って。
台風11号が朝鮮半島に上陸したので、南風と雨は益々ひどくなる。今晩は油断がならないな。

福田と麻生の街頭演説が始まった。どちらも個性が出て面白い。福田は穏健派だが麻生はやはり硬派か。
私としては麻生に軍配を挙げたいのだがどうなることか。

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2007年9月17日 (月)

老人の日

9月17日(月)雨
老人の日だと云う。何時そうなったのか知らない。
クダナライ休日だ。だから大雨になる。天もよく知っている。
家内は敬老会があるとかで、この雨の中を律儀に出かける。
老人は毎日が休日だから、休みの日は要らないというと、敬老の日だという。若い者の休みの日だと。
敬老とは少なくとも老人の存在を有り難いと思っているわけだが、本当だろうか。
60歳以下の世論調査をしてみたらどうか。有り難いと思うものが50%いるだろうか。

台風11号が朝鮮を北上した所で消滅したが、なんと次の台風12号がまた沖縄を襲い始めたらしい。昔から台風シーズンと云われたくらいだから仕方がない。実りの秋に稲や果実が災厄を受けるのがなんとも勿体なくて残念だ。

雨は昼前には収まる。大降りしないのは有り難い。

今日の報道によれば、65歳以上の老人が国民の22%とある。そのうちなんと80歳以上が700万を超えたという。
私の経験からいうと、75歳までは労働可能だから、無駄飯を食う人口は1千万ということか。国がもたなくなるわけだ。

老人と死ということで、ふと旧友宮口君のことを思い出した。しまった!6月に3回忌があった筈だ。年初から心がけていたのだが、例のさざん会の世話に追われてすっかり忘れてしまった。その挙げ句ダウンしてつい最近まで健康が回復しなかったので、我が身のことでいっぱいで人ごとではなかった。いいわけしてももうどうしようもない。
改めて彼の冥福を遠く京都のの空に向って祈る以外にない。霊の存在を信じない私だから、彼の姿は私の心の中に住み着き、折に触れて私を刺激する。それでいいのだとも思う。

夕方近くまた本降りとなる。

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2007年9月18日 (火)

特攻

9月18日(火)晴
昨夜から神坂次郎の”特攻ー若者たちへのレクイエム”を息もつかさず読む。
皇国を救わん一心にて敵艦に突っ込んで行った若者たちの記録を彼我の資料を丹念に22年に亘ってあさっての労作は素晴らしい。
現在イラクで盛んに行われている自爆テロの原型になったことには、いささか忸怩たるものがあるが、当時皇国の不敗を信じて戦って来た私には、その心情もわかるし、このような若者たちが数多くいたことを誇らずにはおれない。
老人施設で朽ち果てるまで生きて、寿命を全うするのも一生、これら若者の火花のごとく散華するのも同じ一生。
永い様でもたかが百年、人間の死のありかたのいずれが異議深く美しいだろう。
無駄飯を食い、社会や人のためになることもなく、ただ永く存在しただけの私、深く反省せざるを得ない。

部屋の中の温度が33度となり、扇風機の風で却って汗ばむ。
スーパーに出かける。家に居るよりは涼しくてよい。食料以外にもあちこち歩き回って色々買う。

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2007年9月19日 (水)

冷房

9月19日(水)晴
朝25度、もう暑い。
月例の病院行き。7時半家を出る。受付1番乗り。
湿疹とカユミについて、若い先生いろいろ考えてくれる。
9時20分帰宅。丁度家内がマッサージに出かけるのと門ですれ違う。
日射しが強いので送ろうかと声を掛けたがいいよという。日傘を傾けて歩いて行く。

午室内温度は34度。ベッドも暖まってそのままでは汗になる。
冷蔵庫から、氷を取り出してタオルにくるみ、氷枕で昼休み。何とか1時間午睡。
先般深夜放送でどこかの婦人がおっしゃってた、スーパーで貰った氷を保存して氷枕にするとよいという助言を早速引用したわけ。
もっともこの話は寝るときでなく起きてる時に頭の回りに巻き付けるというのだから、私の場合と応用動作が違っては居るが。
氷も従って私のは平らな奴ばかりでないと困る。

流石に秋だから午後4時になると、涼しい風が部屋を通り抜け過ごしやすくなる。
夜とうとうクーラーのお世話にならずに眠れることになった。それでも室内温度は30度だから、扇風機は掛け放しではあるが。

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2007年9月20日 (木)

戦場と運命

9月20日(木)晴
今日も昨日以上の猛暑になるという。
早朝東の空からさんさんと輝く日の出。これは正に予報通りだなと怖い思い。
昼を過ぎると雲が出て適当に日を遮ってくれる。

長女が先般腰掛け式の電気マッサージ機を置いて帰った。腰に少し違和感があるので、試しに使ってみる。
20分のところを半分の10分にしてみる。まあ効いたかどうかはわからないが、気持ちがいいことは事実だ。
20分もやると案外効くかも知れないなと思う。

4時を過ぎると涼しい風が出て来る。夕凪になる少し前のこの地方特有の気候だ。
住み良い場所で、気に入っている我が家だが、あと何時までかと思うと、心残りの様な気がしないでもない。

先日からくりかえし読んでいる特攻兵たちの本だが、同じ戦争に従事した私は幸運にも実に楽な戦場だった。
これらの若者たちが、親兄弟など振り捨てて、お国の為と死地に突っ込んで行った心情は、やはり悲痛である。
死を恐れない気持ちは私にもよく分かるのだが、明日だ今日だという心境と何時かは死が待っているという気持ちとは切迫感に凄い差がありそうだ。そして皆優秀な人材ばかりだ。惜しみてもあまりある消耗だった。
彼らがこんな過酷な戦場に動員されて、このような国の犠牲になっているとは、まるで思いもしなかった。
廃墟となった故国に還ってみて、始めて実感し実状を知った。

直ぐ身近にも特攻生き残りの青年が居た。誇りも何もなく、ひたすら無口に平凡に生きていた。地獄を見ただけに語りたくはなかったのだろう。戦争の話からはいつも逃げていた。最近盛んに往時の事が話題になり始めたが、彼はもう20年も前にこの世を去っている。最後は写真店の暗室にこもりきりで、その不健康が災いして結核になりあっけなく世を去った。
結果的には彼も死処を得なかった一人かも知れない。

しかし楽な戦場だった私の中支の戦場でも、疾患の為名もなく野辺に打ち捨てられて死んで行った沢山の兵士を見ているだけに、華々しさに格段の違いのある特攻兵士たちは、こうして顕彰されつつあることだけでもよしとしなければならないだろう。

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2007年9月21日 (金)

瀬戸の夕凪

9月21日(金)曇
昨日同様暑くなるとの予報だが、朝起きると空の大半は雲が覆っている。カンカン照るよりは老人には良い。

昔からよく云う様に、”遠くにありて憶う親”とあるが、うちでもなんだかそうらしく家内が朝飯の時ぽつりという。
東京の娘が昨日の朝電話したが出なかったどうしたのかと夜かけてくる。どうやら家内はマッサージに出かけて留守だったが、私は居た筈だ。昼寝していて気がつかなかったのかも知れない。十何年ぶりかのアルバイトで忙しく疲れるとのこと。こまごました話をくわしく聞かせてくれる由。
近くの廣島の娘はこちらから聞かなくては何にもない。先日見舞った姑さんの退院ができたかどうか聞きたいのだが、忙しそうで聞くに聞けないとこぼす。

午前9時半やはり強い日射しが部屋に差し込んで来る。急いでカーテンを引く。やっぱり暑いなー。

家内が朝顔に大きな芋虫がついているから見ろという。おおかた蝶々の幼虫だろうが大きいなあと呆れた様に眺める。
その内蛾になるだろうほっとけよということになる。

夕方瀬戸の夕凪真骨頂。蒸し暑さ正に最高。部屋の温度は32度。止めどなく汗ばむ。

Imomusi

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2007年9月22日 (土)

麻生太郎及ばざるか

9月22日(土)曇後雨
早朝5時過ぎ突如大きな雨音、驚いて目覚め開けていたガラス戸を急いで閉めて廻る。
2、3分もすれば止む。もう眠れない、うとうとしながら夜明けを待つ。

午前中家内はお茶に行く。今日は小学生のお茶作法指導があるとか。

新聞報道では自民党総裁選挙は福田が議員、地方代表とも優勢で、圧勝するだろうという。大派閥が雪崩を打って福田についたのでは仕方がないだろう。
民主党との党の性格の差ももこれではっきりし、国民の目からもよく見えて、次の衆議院選挙戦もそこらあたりが焦点になるかもしれない。

朝の間、雲が深くからっとした空でないだけに、かんかん照りではなく、いくらか過ごしよい。
今朝からどうしたわけか腰が痛い。とりあえずサロンパスのお世話になる。
なかなか効かないので午後痛み止めを呑んでやっと楽になる。

昼前からとうとうかんかん照りになる。秋などというものではない、真夏といっても可笑しくない。
田丸の義弟がまた入院したので、保証人になるよう頼まれ、郵便局が休みなので本局に行き保証書類を速達で返送しておく。

夕方雨になり暑気やややわらぐ。

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2007年9月23日 (日)

福田の勝利と日本の今後

9月23日(日)曇
自民党の総裁選挙、330対197で福田が勝つことは勝ったが、麻生が200票近く取ったことは驚きである。
党員選挙だったらどうなったかわらないほどだ。
問題はこれからだが、民主党がテロ特措法反対の振り上げた手に屈服して、国際政治から手を引くことができるかどうか。
強行突破して総選挙に持ち込むかどうかいずれにしても大変だ。国民の支持がなければおぼつかない。
一年も立たないうちに国民の考えが180度変わるとも思えないのだがどうだろう。
仮に総選挙しても2/3以上の当選をうることは先ず不可能である。参議院の否決は確定しているのだから、強行突破は現段階においてしか方法はないことになる。
安倍でも、福田でも、麻生でも結局は同じではないのか。

ときどき雨になったが、ひどくはならずに曇空で一日終わる。蒸し暑さは前日に変わらない。
痛み止めがよく効いて、腰の痛みは全然ない。
少し下痢したが何が悪かったのだろう。思い当たらない。

最近老人のパソコン使用者が増えているのだそうだ。
至極当然の成り行きだと思っている。
パソコンそのものが凄く取り扱い容易になっている。更にもっとも魅惑的なインターネット利用は、今の機械はスイッチを入れれば自ずから接続出来る様に皆なっている。なんらの苦労もいらない。
私が始めた十数年前とは全然違う。凄い機械の成長ぶりだ。
触れ合う人ごとに言いふらして来たのだが、私の回りにもようやく効果がいくらかあったらしい。

今つらつら思うことは、思い切って政権交代したらどうだろう。
未だ私の期待している民主党ではないが、仮にテロ特措法を廃止して、日米関係を白紙に近くすれば、沖縄や岩国の基地の問題も解決つき、経済は大打撃を蒙るかも知れないが、アジアに帰属することはできるだろう。
大東亜戦争開始当時の理念に帰れるかもしれない。いやおとなしく東洋の一国として平和に徹するのがよい。
国民全体の意志がそうなら、何処の国もこれを妨げる訳に行かない。

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2007年9月24日 (月)

懐かしき旧友の来訪

9月24日(月)曇
朝珍しく三次の林君から電話がかかり、何の用件か知らないが午後家に来るという。なにしろ何十年振りかだろうから驚く。
午前中早速買い物を済ます。

丁度正午ころ電話が林君からかかる。早くついて今佐方の山根さんのところまで来てるのだがという。私の町内ではないのでわからない。
法輪幼稚園を捜して来てくれれば私がそこまで行くからと電話を切る。
町内地図を電話帳と対比して家内と二人で捜す。
同じ2丁目に山根というのがあったので、確認のため彼のケータイへ電話したのだが今度は彼が出ない。
ともかくそこまで行ってみようと、車の所まで出ようとするとまた電話。
迷い迷って今度は八幡神社のところに来ているという。
うちから大分距離があるが、そこに居れば迎えに行くから動かないで待っていろと伝え、早速支度して車で出かける。
考えて見ると40年振りの再会である。すっかり姿格好が変わって、昔の面影はまるでない。
昔が懐かしくて私に逢いたくて仕方がないので逢いに来たのだと云う。奥さんと一緒の車である。

昼なので食事に誘う。部落の入口にあるとんかつの店に誘導する。
67歳になり、3人の子供が皆独立して、夫婦2人で元気に暮らしているという。
カーナビに頼って来たのだが、うちの部落は行き止まりが多いので、うまく行かなかったらしい。

40年前、彼はまだ二十歳代、私の担当部門に入って来た。高校を出て直ぐ大阪の建設会社に就職したが、仕事が気に入らないで一旦郷里の三次に帰っていた。
当時私の会社が新しくウレタンフォームの卸販売を開始していたので、その募集に応じて、いいかなと思って再就職したわけだった。
背の高い、立派な体格の、動作の機敏な好青年だった。始めて商売というものを実践させられただけに、学ぶことが多かったらしい。手取り足取り指導したことが、その後の彼に大いに役立ったという。
私が独立して別の仕事を始めて後、彼もそこを止めた。しかし何度か私を訪ねてくれた。私に愛着を感じていたらしい。
今67歳というから、私より20歳若い。郷里の実兄を助けて、大きく事業を拡大し、現在は地元のりっぱな実業家になっているようだ。

爾来何十年、毎年年賀状だけに付き合いが続いていたのだが、なんらかの動機があって、急に思いつき逢いに来たらしい。
元気で居られてよかったと何度も何度も彼は口走った。
そういえば、彼の口から尋ねられた彼の同僚だった、今井君も河野君ももうこの世に居ない。有吉君は消息不明だ。
ついこの間だったと思ったが、40年は流石に遠い。
よくぞ訪ねてくれた、ありがとう。ひさしぶりに懐かしさに身の震える思いをかみしめることが出来た。

3時半頃から雨が激しくなる。林君は無事帰ったかなと気がかり。

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2007年9月25日 (火)

福田二世内閣誕生

9月25日(火)晴
快晴の空から暑い日射しが照り込む。
朝一番に林君にお礼とお詫びの手紙を書いて送る。ついでに家に連れて帰り家内にも引き合わせ、折角40年ぶりに遠くから訪ねてくれたこの友人と懇談すべきだった。彼らの神妙な挨拶につられて別れてしまったが、また逢う機会がおとづれるかどうか。
なんとなく世捨て人の感覚がこの身に満ちて、小さな煩わしさをも避ける本能が反射的にこの行動をとらしたのだろう。

林君から贈られた三次ピオーネを半分長女の所にお裾分けしに行く。
帰りにアルパークに寄って帰る。

家内は午後内藤内科に出かける。

秋風らしい涼しい風が窓から吹き込む。やっと一息付ける感じ。
気候のせいか、薬のせいか乾癬が大分穏やかになって痒さも時に忘れる。

福田内閣が夜になってやっと実現した。始めての親子総理の子の方だから仮に二世としておく。安倍内閣の継承人事だから、政策も変わらないのかも知れない。
だがこれといったはっきりしたビジョンも打ち出されない。忍者見たいな内閣だから、小沢も民主党もどうしてよいやら、とまどいを見せている。これが福田の作戦なら面白いのだが。

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2007年9月26日 (水)

思いがけない来訪

9月26日(水)晴
午前中福田康夫内閣が正式発足。
家内は己斐までマッサージに出かける。

林君に手紙の第2弾を書いて送る。
彼と私の巡り会いが何時頃だったか気になるので、過去の写真や日記帳でしらべる。
44年前の昭和38年の会社の慰安旅行に同行している。スナップが2、3枚残っている。
日記では昭和38年の日記に彼の業務行動が沢山載っているが、10月14日には退職している。18日に送別会をしたことまで書いている。入社した日はわからないが、前年の12月8日に私と彼ともう一名が販売店回りに同行出張していることが記録されている。その年の2月の会社の職制には名前が載っていないし、業務記録もないので秋頃入社したのかも知れない。
これから見ると僅か一年間私の下で仕事をしたことになっているのだが、想い出としてはもう少し強く記憶に残っている。
こまめによく仕事をしてくれ、お得意さんからうちに譲ってくれとまで云われたくらい有能ではあったが、考えてみると私の色々携わった仕事の中で、こんなに短時間なのに此れ程印象が強く残っている男を知らない。
彼も高校を出て間もない頃、私に付き従って仕事をおぼえたことを感謝し、記憶し、40年も経って忘れずに謝意を表しに現れるなどということは始めての経験である。

古い職場で一緒に過ごした者たちが、謝恩を兼ねて集ってくれたりしたことは何度かあるし、また何十年も年賀状をくれつづけて、消息を知らせてくれてる者もあるが、わざわざ遠方から途を迷いながら突然訪ねてくれるなどとは、こちらが驚きあわててしまった。今改めて対応が間違っていたのではと危惧の念にさいなまれている。
丁度過去の記録と写真を見つけたのでコピーしたりして、送ってやると同時に再度お詫びともう一度の来訪を願って書いた訳である。
Kaikespring
In_daisenji
The_daisenji

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2007年9月27日 (木)

子供の元気を貰う

9月27日(木)晴
朝ぐっと涼しくなった。外の寒暖計は20度になっている。昼中は30度くらいにはなるのかもしれないが、まあいいだろう。
家内がひさしぶりに植物園に行こうかと言う。
10時過ぎ支度して出かける。いくらか家内の脚の運びが難しそうに見えたが馴れるにしたがって普通になる。
暑い盛りなので、日陰を捜して歩く。まだこれといって目立つ花はない。
熊野小学校の全校生徒らしく、何百人もの子供が高学年の生徒が班長として、全員ゼッケンをつけて各班ごとに整然と行動している。子供たちの元気な姿、いいもんだなあ!
一緒に歩き回り声かけられたり、また掛けたり、久しぶりに子供を身近に感じた。
賑やかであっても全然邪魔にはならない。見るものがあまりないのが気の毒だった。
昼前に食堂に入って食事をして直ぐ帰宅。結構良い運動になる。

先日下関の浜井君から入院するので来年のさざん会の世話は出来ないといってきたことを、今日の土田君への手紙で書いて知らせる。代わりにそちらで考えてくれぬかとも書いた。
鳳陽誌上にさざん会の報告が載せられたこと、後輩のエッセイに土田君、中司君、先輩市木さんの事が書いてあったので、その感想をこめて、思いつきで土田君に書いた手紙にそえて。
県会議長までやった彼には、こんな世話は何でもないと思うのだが、同じ誌上に石見支部の会合の写真にも中央に座っているし。
来年は彼にやってもらう以外にないだろう。
出来たら他の者にも連絡を取って皆でお願いすることにしよう。
Kumanosyo
Banana
Img_0820

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2007年9月28日 (金)

市長候補

9月28日(金)晴
午後には天気が崩れる予報だが、朝は爽快な空気が部屋に流れ込んで来る。
沖合の島影が霞んで見えないところを見ると矢張り午後には変わるのかも知れない。

昨日も千代から電話、いくらかバイトに馴れたらしく案外楽にこなせるらしい。子供たちがそれなりに責任を自覚してうちの中のきりもりをするだろうからいいことだ。だれしも一歩一歩大人への道のりがある。

家内は午後遅く市長候補の演説会に招待を受けてるから行かねばならないという。
未だ暑さが残る中を元気なことだ。律儀な所がほんとに取り柄だ。

私も今どこも痛くないし、年齢にふさわしくないのだが、昨日朝下剤を飲んだのが昨夜から効いて来て、何度も便所に通う。
午後になってやっと落ち着く。やはり自分で思ってる以上に老衰が進んでいるのかも知れない。

雨になるどころか午後遅くなっても雲間から日がこぼれ、青空も大きく覗いている。
日没になっても晴れ間が大きく広がりとても雨になるとは思われない。予報はどうやらあたらなかったかな。

家内は演説会から帰って来て、こんどは緊縮財政になるそうなと結果報告を私にしてくれる。細かい数字の事はよくわからないともいう。

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2007年9月29日 (土)

ミャンマー

9月29日(土)曇
朝外に出た途端ぞくぞくとする。気温21度。肌着一枚ではやはり寒い。
雨の予報はとうとう1滴も降らずじまい。空はどん曇りだが、今日は雨になるかも知れないな。

家内は今朝も医者通い。リュウマチはやはり簡単ではない。今朝も指が少し痛いらしい。
痛いと云われてもこちらはどうしようもない。

福田総理も早くも政治資金報告に誤りがあったとかで訂正などという。政治家どもの勘定書はいったいどうなっているのか。
どれもこれもろくな奴はいないのでは。

ミャンマーで僧侶の反政府デモなどと騒動になっているが、報道のためデモに入って行動した日本人が射殺された。
永年の軍部独裁がうまく行ってないらしい。燃料の値上がりが引き金らしい。そこへ行くと同じ燃料不足でも北朝鮮は値上げしないのだろうかおとなしい。食料も何もかも乏しいから馴れっこなのかもしれない。
北国の人はとにかく辛抱強い。

今日の天風録という新聞コラムに茅葺き屋根の事が書いてある。昔は部落全体でかやを収集保存し、屋根の吹き替えにはそれを持ち出して共同作業で済ませるとある。私のごく小さい時うすうすその現場を見た覚えがあるが、部落の共同意識の強さは自ずから醸成され、その意識がなかったら部落は崩壊し存続出来なった。
その素材として子供は育てられた。
国を思う意識はこの部落共同体から始まっている。現在いくらかけ声を掛けて愛国を説いても通じないその根が違っていることを感ずる。

とうとう夜になるまで雨は降らない。

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2007年9月30日 (日)

飛雲

9月30日(日)曇
1滴、2滴は落ちたかも知れないが、本格的な雨にはとうとうならなかった。
朝露ははっぱに残っているが、雨の形跡は何処にも見えない。
気温はやっと19度に下がっている。
今日一日になって、9月が秋であることが証明された感じ。

壱番館にかつ定食を食いに行く。日曜日とあって混む。
スーパーも混む。写真のプリント用紙を買って来て、溜まっているデジカメの写真を印刷する。
最近の印刷紙は以前のものよりデジカメに合っている感じで奇麗に仕上がる。

今年の9月は夏の延長がつづき、連日30度以上の暑さにへばった。
私もであるが、老人には凄いダメージになった気がする。早く死ねのゴーサインであったのかもしれない。
もう何も役に立たないのだから、自然の力で葬り去られるのが一番理にかなっている。
静かにその日を待望しよう。今喜多郎の「飛雲」を聞きながら書く。

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