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2007年7月 6日 (金)

日本の絵に描いた原爆

7月6日(金)雨後曇
朝8時半家を出て、広島三菱病院に行く。交通大混雑して1時間かかる。
谷川さんの紹介で、家内の手足の痛みを診てもらう為である。
レントゲン検査などして、結果は別状なしいうことだった。湿布程度で治るとのことだった。
帰路アルパークに立ち寄り食事と買い物をして帰宅。

昨日原爆について色々書いたが、8月6日に落とされる前、既に日本でも完成近いとの情報を聞かされていたのだが、米国に先を越され、ぬか喜びに終わったことがあった。
もし日本が早かったら、逆の立場になったかもしれなかった。

即ち原爆については、大戦末期両陣営ともその実現化に腐心していた。
ドイツは間もなくまでいっていた。戦後すぐソ連がその科学者を捕虜にして研究を成就した。
日本も田中館愛橘博士らがもう少しの所まで漕ぎ着けていたらしい。
私は昭和20年1月下旬、湘桂作戦の末期、戦火の治まった桂林に入った所で、軍の情報チラシでそれを見て小躍りしたことがある。
敗勢を挽回するこれこそが神風になると信じたからである。
豈図らんや一足早くアメリカに先を超されてしまった。
翌年帰国するまでは逆に日本がその原爆でやられていたとは思いもしなかった。
神風が間に合わなかったなとがっかりしいていただけだったのに。

自分が死ぬか相手が死ぬか、戦争は残虐とかなんとか、文学的表現で結論づけられるものではない。
何時の時代でも勝った方が勝ちである。たらは禁句である。
世の中はがらっと変わる。
そこが面白いから人は争う。業なものである。

桂林での同じチラシでサイパンの玉砕も報じられていた。後でしらべると既に半年経っていた。
軍も不利な報道は遅く出したようだ。国民も欺いたが、一緒に戦う兵士をも欺いた。だが肝心な敵は欺けなかった。
やはり負けるべくして負けた戦争だった。

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