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2007年5月 1日 (火)

さざん会は終か?

5月1日(火)曇
熱はないのだが、咳が依然として止まらない。若いときの様にスキッと快癒するとはいかないようだ。
従って啖もときどきドバッと出る。ティッシュの量が相変わらず多くなる。
終日ほとんど寝て過ごしたが、食欲も少ないしなかなか元気にはなれない。

さざん会の動静はしばらく変わらない。宇部の本間君が結局どうしても出席出来ないと最終決断をしてくる。
幹事の本間君が欠席し、防府の石本、山口の田中、美祢の田辺、宇部の為近の4君も欠席しては、来年のことを頼めるものはいない。
他に呼び掛けは4月末報告で一応行ったが、応ずるものがいるかどうか。
いなければさざん会も今回限りとならざるを得ない。何年も先を期待出来る年齢ではないから。
せめて切りの良い来年まででと期待していたのだが無理かなあ。

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2007年5月 2日 (水)

中学校の同窓会

5月2日(水)曇
昨夜は少し降ったらしいが、今朝はいい天気。
昨夜菊谷君が電話して来て、今度の岩中の同窓会は夫婦同伴で来いという。いろいろへりくつ付けていたが、どうでも最後の同窓会になりそうだから、そのつもりの大会にしたいらしい。
私が山口の同窓会で考えてることと同じだ。その気持ちよくわかる。
賛意を素直に表して家内を同伴することにする。

今朝パソコンをするのにえらく目が見えにくい。最近は目の調節が悪くなって、近くばかり見ていると遠くが暫く見えにくく、車の運転をしているとパソコンをし辛いことはよくあるので、それが高じたと思っているのだが、それにしても少しひどすぎるなあと感じている。
眼鏡を付けても、外しても中間距離(1,2間ぐらい)がぼけてまるではっきりしない。
空に目を向けると青空や雲の浮かび具合はよく見える。これで十分である。変な具合だ。
これも老化の一種か。

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2007年5月 4日 (金)

結婚記念日

5月3日(木)晴
第31回フラワー・フェスチバル始まる、もう永い間見物に出かけたことは無い。母が存命の頃一二度行っただけだからもう何十年もである。
カープの26年振りの優勝パレードは昨日の如く思い出されるのに、その流れのこのお祭りはどうもしっくり来ない。
名前がフェスチバルなんてよその言葉を使ったりしたからかも知れない。

そこでふと思い出したのは今日が私達夫婦の結婚記念日だった。57年目である。とろける様な結婚生活だったとはとても言えないが、ともかくも大した波乱もなく今日まで来た。まあ家内のせいというか、御陰が大きい。
ついぞ私を捨てて帰るなど一度も思ったことはないのではないか。据わりの良さはまさに天下一品であった。
50年目にハワイ旅行を果たし、思わぬ祝福を受けたりしたことがあったが、今は懐かしい想い出である。
これもあまり思い出すことも無く、ことさら行事を計画したことはない。ごく自然にさらりと過ごして来た。
いや過ごしたなどというと意識したことになるが、まるで意識しなかったのがほんとうのことだ。
日本人では当たり前のことで、最近の人の結婚事情や意識はどうも西洋かぶれしたとしか考えられない。
この6月に孫の一人が嫁ぐが、こればかりは私達を真似して欲しいと心から思っている。

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錯覚

5月4日(金)曇
毎日なんの変化も無く暮らしていると、今日がいつだったか分からなくなる。
昨日の日記につづけて、結婚記念日の事を思い出して書いたりしたが、いつのまにやら一日過ぎていた。
迂闊なことである。
昼飯を外で食ったりしたから、調子が狂ったのかも知れない。
3時のおやつで、今日は何曜日だったかしらと家内が問いかけたので、新聞を引き寄せてみて、思いが間違っていたことに気づいた。
あわてて今朝書いた日記そしてブログを修正しなければならなかった。
が、もう間に合わないなと諦めた。
そんなに大したことではない。我々一市井の凡人のことなど。

昼過ぎにデオデオに行きDVDプレーヤーを買って来る。
先日来ビデオカメラに収めた、信州の桜見物など病気を押して、何時間も録画したものを、折角同行し主役を演じてくれた妹たちに見せてやらない手はないと思い立ったからである。
過去には度々ビデオテープにダビングして、くれてやったりしたが、最近はそれをするのが面倒になった。
というより、タイトルを入れたり説明を入れると、撮ったままを見せるより遥かにスマートである。
ついでに音楽まで添えられる現在のパソコンソフトの存在は、やはりDVDかCDでないとその目的は果たせない。
閑に任せて少しづつ手を加え、出来上がったCDやDVDを見せる為には、今格段に安くなった持ち運びに便利なDVDプレーヤーを買うのが先決だと悟ったわけだ。特にCDは安い。1時間程度のビデオにはちょうど良い。見せてやって、プレーヤーを買わせ、CDをくれてやれば一番手っ取り早いわけである。
今日2本仕上げたので早速家内に見てもらう。仕上げは上々だ。

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2007年5月 5日 (土)

鯉登り

5月5日(土)曇
端午の節句の象徴である鯉のぼりも、最近は早くから各所でひとまとめにして、渓流などに引き渡して見せびらかし、なにかこの季節感まで失われそうな感じで、珍しくも何ともない。商業主義というか嫌な風潮になったものだ。

岩中の同窓会に折角夫婦同伴で一泊旅行に出かけるのだから、時間稼ぎにでも亡くなられた恩師が最後の出席をしてくれた、12年前の会合のビデオを披露したいと思って、ビデオカメラから探し出してダビングにかかる。今のと違ってDVカメラでない、普通の8ミリカメラなので、パソコンで簡単に変換というわけに行かない。
一応DVDレコーダーにダビングし、これをDVDにコピーするという段取りになる。従ってコメントなど手は加えられない。ただビデオの方でチャンと日付や時間まで入力してあるので、訳が分からないということはない。

12年振りに恩師の姿を再見し感激するものも出るだろう。喜んで貰えれば好しとしたい。

カープが今日も勝ったという。正に鯉登りである。この季節同じ鯉でも鯉登りしたことがないのがお決まりとなっていた。ほんとうに珍しい。珍事で終わらぬことを切に祈る。

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2007年5月 7日 (月)

難病

5月7日(月)晴
昨夜遅くラジオで藤沢周平の「山桜」を長谷川アナの朗読でやっていた。寝付かれないで最後まで楽しく聞いた。
朗読もうまかったが、作品の筋立てがなによりいい。

今朝早く目覚める。なんだかやれやれといった感じである。休みが長く続くと何か便利が悪くて仕方がない。
ちょっと、郵便局、銀行、市役所へと思いついても今日は駄目だとがっかり。思いついたが吉日のその日暮らしの年寄りには、これが案外わずらわしい。
日頃一生懸命働いている若者たちの、ゴールデンウイークだから我慢しなければと反省する。

4月の花見旅行で疲れが出たか、食あたりか、体調も悪くなったが、例の乾癬がひどく癇症を起こして、寝ても覚めても痒いやら痛いやら何日も続いて参った。奥道後の温泉で熱すぎて刺激したのが原因の様に思えて仕方がない。
この2、3日やっと落ち着きを取り戻した感じである。

昨日ラジオで難病者の全国組織があって、その幹部の方の話が伝えられていた。何気なく聞いていると、乾癬もそのうちに入っている様だった。命に別状ないからと永年医者からなぐさめられ、仕事にも一時期歩けなくなった時以外差し障りは起きなかったので、何とか今日までことさら取り立てないで来たが、自由業の身だったから済んだのだが、勤め人だったらそうは行かなかっただろうと今幸運を抱きしめている。
原因もまだ分からず、的確な治療法もなく、それでいて患者数は世界には凄い数になるらしい。やはり難病と言われればそうなのかもしれない。

20年前急に足が痛くなり、関節がむくみ始めた時は訳が分からず驚き慌てた。外科医さんも注射で一時的に痛みを抑えるだけで、どうにもならなかった。手足の指の関節からどんどん変形して行った。
温泉に入ればと思って店を家内に任せ、1時間以上かかる山間の湯来温泉にも毎日通った。
医者もあちこち変えた。まるで効果がなかった。
市民病院で最近出た特効薬と言われて「チガソン」を連日2度3度と呑んだ。副作用も激しかったが、結果的にこれが変形を止めてくれたのだろう。もちろん曲がったままの指ではあったが、ピアノ弾きではないから大した障害はなかった。8ヶ月経って医者が止めた。
爾来何年に何度かこの薬にはお世話になって、やっと今日まで来た。時々変形が始まるからである。医者の言う通り生涯治癒することの無い病気ということである。毎月一度は医者通いが必要である。保険料も高くなったが、治療費はもっと高い。迷惑千万な老人だが死に関係ない病気というのが癪に障る。
全国にはもっともっと所謂難病患者がいる。私などがしゃしゃり出る幕はないし、出るつもりも無い。今が今まで難病とも思っていなかったしそれでいい。

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2007年5月 8日 (火)

茶会

5月8日(火)晴
近所の名刹洞雲寺の茶会。家内は8時半和装して出かける。滅多に着ない着物を着るのだから、私まで動員されて朝早くから大変だ。
送り届けて直ぐ帰る。何とか間に合ったらしい。夕方までかかるのだから、老体には少し酷ではと思ったりする。好きな道だから仕方がないが。

1月末頃右足がしびれ始めて気になっていた。なかなか治らなくて、死への前兆だなと思ったりした。
ふと今日気がつくと何でもなくなっている。しびれ感は全くない。変だな、こんなことってあるのかなと思う。

考えて見ると老人の身体なんていろんな環境を耐え忍んで来ているのだから、身体そのものが対処法を覚えていて、気長く治癒に持ち込むのかも知れない。長く生きているとこんな体験は凄く多い。もちろん逆の事も起きることはたびたびある。人生の妙というべきか。

というわけでもないが、騒がしい人がいない留守に庭の植え込みを動力カッターで散髪する。いつも通りやりっ放しである。後片付けが大変なのだが、土に還らせばいいというのが私の勝手な理屈でいつも押し通す。
ぶつぶつ言いながらも数日のうちにはきれいになっている。うれしいね。

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2007年5月 9日 (水)

ああ、再会の難きことよ!わが友垣

5月9日(水)晴
家内は案の定昨日の疲れで足腰が痛むらしい。対人折衝で一日気の抜けない労働である。若い者でも疲労が出る筈である。
夕方、本間君と吉屋君から相次いで手紙が届く。本間君は次回の山口を外してどうするか諮ってくれという。
吉屋君は奥さんが危篤状態で出席出来そうにないと断って来る。
それぞれ自身の明日が知れないときだから、運命に甘んずる以外に無い。残念だが仕方がない。
これで会員の出席9名松岡君の奥さんを入れて10名となる。やんぬるかな。
大会まで一月足らずとなった。総勢10名は予定通りだが、此れ以上減らないよう祈るだけだ。

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2007年5月10日 (木)

恩師丸山先生

5月10日(木)曇
低気圧が東へさるから天気はよくなるとの予報で、朝早くから今日の中学校同期の同窓会への準備に余念がない。
例の恩師の最後の姿を写した同窓会のビデオを皆に披露したいと思うからである。
この恩師丸山先生は2年生の時赴任され、卒業までの4年間、終頃には夏休みも返上で徹底的に扱いてくれた数学の先生だった。
何時の同窓会にも気軽に顔を見せてくれた恩師だったが、12年前の同窓会を最後に、その3年後先生は亡くなった。その最後の同窓会のビデオを私が撮影していたのだった。

DVDプレーヤーなど細々したものを揃えると結構煩わしい。
細君を同伴しろとの、世話人の厳命モダし難く、生まれて始めて家内同伴の宿泊込みの同窓会である。
もちろん最初で最後の会合を暗黙に了解しての事ではあるが、その覚悟をするとやはり緊張する。
誰にも話していないことを勝手に断行するのだから、いくら古い仲間といえども気がかりは残る。
午後4時からとなっているが、家を出るのは午後1時を過ぎてはならないだろう。

翌日は郷里を訪れるのだから、妹らを呼び集めて先日の信州の桜を訪ねての記念のビデオや写真を見せることにしている。ビデオは全長一時間以上ある。そんなに簡単なことではない。
しかし家内が姉の権限でこともなげにすらすらと差配してくれる。
Maruyama_sensei

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2007年5月11日 (金)

ビデオ係

5月10日
午後3時一番乗りで会場のホテルに到着。着く前に吉香公園などを散策してから伺ったのにまだ早すぎた。
暫くして世話人の菊谷君が来て、早速彼の怪舌に巻かれる。

最後に到着した初出席の林君を最後に4時半には集合を終わる。暫く久濶話に花が咲き、私が用意したビデオを見てもらう。画面に登場する仲間たちのうち、あれ以来何人もの先生や仲間が亡くなって居り、懐かしむと同時に暗い雰囲気に落ち込む。
終わってすぐ世話人の提唱で名物の7階の露天風呂にみんなで入る。
流石に朽ちなんばかりに老いさらばえて骸骨のごとき、お互いの裸身を見つめあいながら永かりし過去を偲ぶ。

7時少し前開宴。結局出席は東京からの田淵君を筆頭に坂川君夫婦、若重親娘、私ら夫婦、林君、河上君に菊谷君の合計10名、実員7名ということになった。
相変わらずしゃべりまくる菊谷君に引きずられて延々3時間近く、宿のサービスの日本舞踊などあって、他に音曲は無かったがまことに老人らしからぬ騒がしさで10時近くにお開きになった。これも泊まらないで帰宅する若重君親子が席を立ったからやっと終わったという感じであった。

5月11日(金)晴
清々しい朝、早く目覚めて6階の部屋から窓外に俯瞰する錦帯橋の麗姿をカメラに写す。その日の登るに連れて時々刻々変貌する姿は、どれを取り上げても美しい。
おかげで家内が再度入湯した間に疲れて僅かにとろとろとまどろむ。
7時半朝食。互いに来年の成り行き再会を期して別れる。

宿をいでしばらく、家内の発案で懐かしい付近の街中を散策する。遠い親戚の、今は音信も途絶えた勝野の店もそのまま健在だった。
30分も歩いたか、やや疲れて車に戻り予定していた、呉の妹宅を訪ねる。
先に用意した、昨年の紀州・吉野山、今年の信州のさくら見物の旅のビデオをDVDなどにしたのを、私の持参したプレヤーで披露する。テレビはこの2月に買ったという液晶の大型だから画面の迫力はすばらしい。
役者は皆妹ら自身だから、喜んで何度もくりかえし見て時間の経つのを忘れる。
昼の食事は流石に女性たち心得たもので、寿司やら餅やら茶菓の類まで持ち込まれて抜かりは無い。
午后2時私もとうとう扱い疲れて、区切りのついた所で打ち切り帰宅の途につく。

帰宅して2時間ぐっすり眠る。やっと人心地着く。肉体の疲れよりも精神的疲労がひどかった。Classmate
Earlymorning_bridge
Kintaikyo_2

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2007年5月13日 (日)

さざん会近づく

5月13日(日)晴
朝横山君にさざん会の現況報告をする。来年の事が問題になっているのだがというと、来年の事はもう自信がないからと、私の提言にも耳を傾けてくれない。本間君や吉屋君の提言はそのまま大会に一応提議しなければならないだろう。
若いときの様にすらすらとは行かないことはよく理解出来るが、その衝にあたるものはいずれかに結論しなければならない。議論だけでは明日に向えないのである。
議に参加するものがいくら少なくとも、誰かが責任を持って承諾しない以上明日は無いことになる。

9時過ぎに水戸君からメールが届いているのを知る。病気が悪化したのかなと心配しながら読むと、案に相違して治療効果があって、腫瘍が半分以下に小さくなり、腎臓の機能も次第に恢復して来たとのこと、さざん会への出席は定かではないがとまで言う。早速喜びと激励の返事を書き、さざん会に出て来いと返事をする。

午後昼寝を済まして、折からの好天に部屋にじっとして居れず、自ら言い出して庭の松の剪定に取りかかる。
かれこれ2時間もやって、蔓延っていた新芽をあらかた電動カッターで刈り取る。
家内も安堵したのか嬉しそうである。シルバーセンターに頼もうかと友人に相談をもちかけていたりして、少し気にしていた節があったところ、思いがけず老骨が元気を出して片付けてくれたのだから。
しかし日頃何もしないこの老いぼれだから、身体にこたえないことはない。
早速バタンキューということになる。

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2007年5月14日 (月)

ブログの効用

5月14日(月)晴
快晴なのに、家内がお茶に出かけて閑なせいか、睡魔に襲われてどうしようもない。1時間おきに起きたり寝たりする。
その間にかねてブログに掲載した文章を抜粋してプリントするのだが、何個か纏めて印刷しようとすると突然ストップしてパーになる。何度か繰り返されるといやになる。ソフトに気に入られないらしい。ブログのことだから写真が沢山入っている。それがどうやら原因らしいのだが。
途中で思いついて、写真の大きなものをphotoshopで小さくして、全部 .gifを付けて保存、挿入し直して、13個のブログを一つに纏めて印刷する。やっと何時間振りかに成功する。やれやれ。
何故こんなことをするかというと、今度のさざん会の資料とするつもりなのである。
司会者ともなると何か変わった趣向と考え出したわけ。
結果がどう出るか知ったことではないが。

20日には東京の妹が来るので歓迎会を弟のうちでする。その時先年この妹らと旅行した萩、津和野方面のムービーを見せてやろうと、例によってCDにダビングする。当日その時間が取れるかどうかだが。

私の場合日記はブログに保存している様なもので、時々重宝することがある。
最近ちょっとしたことで日記が消えてしまった。はっきりした原因がわからない。
毎日.Macが自動保存してくれてるので、安心していたのだが、そちらから復旧を試みたが駄目、何かそこらの関連でトラブったらしい。数日間の事だからふと思い出してブログから戻せることが分かった。日記に空きが出ずに済んだというわけ。だから最近は日記の欠落は殆ど起きなくなった。
今日など何も話題の無い日だが、これでもブログにしておくと後が助かるという次第。

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2007年5月15日 (火)

五・一五事件

5月15日(火)晴
連日晴という天気だが、うすもやが上空を覆って青空がすっきり覗いているわけではない。
この頃の気候の特徴である。従って沖の島影はまるで見えない。黄砂と見紛うほどである。

一昨日の日曜日は「NHK深夜便のつどい」が市の文化ホールであった。申し込んでいたのだがくじ運の悪い私のこと、抽選外れで断られた。地元優先ということにはならないらしい。
どんな光景だったか、立ち見かなんかで強引に覗いて見ようかとも思ったが、突き飛ばされて腰の骨を折ったりしたら文句の付け様が無いし我慢した。
毎晩熱心に深夜放送になじんでいる私に取っては無念やるかたない。

5月15日といえば、私の年代で一番ショッキングな事件、犬養総理暗殺事件のあった日である。昭和7年だからもう中学生になっていた。何故だかはよくわからなかったが、ともかくも一国の総理大臣が殺される、それも軍人の一団に殺されたのだから驚いた。この事件を契機に226事件も起り、急速に日本の軍国主義化が始まった。
今になってみると暴挙といわざるを得んが、当時は庶民感情では軍に拍手をおくるものが多かった様に思う。
只私は後年軍隊に入り、犬養首相の孫を部下に持ち、中国の戦線で中国国民の犬養木堂の人気の高さに驚き、またその御陰を蒙って宣撫がものすごくうまく行った事実は忘れられない。元総理の孫が部下なのだから私は随分偉いのだろうということになったらしい。
なぜこれほど海外にというよりアジアに人気のあった総理をどうして殺さなければならなかったかは、未熟だったその頃の私に判断のしようがなかった。

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2007年5月16日 (水)

腹が痛い

5月16日(水)曇
家内の買い物のお供で近くの百貨店へ行く。
主目的は孫の結婚式の祝のお金を銀行から引き出し、のし袋を用意し、式の時の扇子を買うのだという。
扇子などそこらあたりにいくつもあるのではというと、式用のが特別にあるのだという。
私も娘らの式に使ったのだろうが、特別なものを用意した覚えは無い。えらく作法が難しくなったんだなと思う。
ついでに中の食堂でチャーハンセットを食べたのだが、あちこち引き回されていうるちに腹が痛くなる。
なにかあたったのかも知れない。
とにかくダウンして家に帰るとそのまま寝込む。
悪夢に驚いて目覚めると、外は雨になっている。なんだか薄ら寒い。体調は戻らない。下痢する様子でもない。
身体全体が痒いからやはり中毒かもしれない。

菊谷君が先日の同窓会のスナップを数枚送って来る。相変わらずこまめなことだ。家内も感心している。
坊主というのは人の牛蒡で法事をしていると嘲るのだが、彼の様に真摯に他人のことにかかわるというのは、受動的でないだけに天性を感ずる。寺や宗教から離れて飛んでいる。見事なものだ。

本間君がまた手紙を呉れ、来年のさざん会について、随分心配になると見えて、下関の浜井君を交えていろいろ協議したようだ。
結論は山口を外して、どうするか協議して欲しいとのことだが、その次にはやるのかは書いてないのでわからない。
それが分かればどこかに引き受けさせることもできるだろう。最後の最後はやはり母校のあった山口にしたいのが、皆の本音ではなかろうか。Old_yamaguti

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2007年5月17日 (木)

孫娘の結婚

5月17日(木)曇
昨夜随分降ったらしい。早暁雷鳴も盛んに轟いていた。
午前6時半東の空が明るい。日射しが窓を透して差し込む。雨雲はどうやら去って行ったらしい。しかし相変わらずの灰色の空が覆って、島影は何一つ見えない。
9時を過ぎると、東や北の空に青空がのぞく。風が少し強い。
午後になると雲が多いがまあまあの天気になる。

孫の結婚式に招待され、出席の返事を出したが、婿の両親は健康状態が悪く出席されないと聞き、家内が心配して電話する。特にお母さんの立ち居が難しくリハビリ中とのことで、お父さんも一人ではと消極的なようだ。お互い明日が知れない年頃だから、何とも言いようはないが、始めての孫の結婚式に病気で出られないとはどちらにとっても残念なことである。
孫の両親にとっても辛いことだろう。
私らに取っては始めての孫の結婚だから、何をおいてもと意気込んでいる所である。
託す相手の顔はしっかり見届けておかないと死ぬにも死ねない。
次の孫たちになると3年5年先の事で、もうこの身がもたないだろう。

私の年齢になると、一年は大変な永さである。第一動くことそのものが、日々違って来る。もちろん良くなるわけは無い。春夏秋冬がまたこたえる。ハワイの様にずーっと同じ様な気候ならシャツ1枚で通せるから楽なのだが、日本ではそうはいかない。変化があって面白いのだがこれが老人には一番悪い。がくんがくんと折り目を立てて崩れて行く。この夏は怖いぞと今緊張して待ち構えているところである。

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2007年5月18日 (金)

パソコンは正直

先程から画面が凄く広くなり、メニューもDOCKも画面外に外れて、ポインターが近寄れば連れなって現れるという状態になってしまった。どうしたことか分からない。何かのボタンの押し違いなんだろう。確かcontorolキーを押し続けるうちなったと思うからそこらあたりを繰り返し操作するが戻らない。
一度中断して寝る。
起きて再度挑戦したが変わらない。
環境設定の故障には間違いないからと一つ一つ項目ごとに調べる。なんどか行き来しているうち、キーボード・マウスの項目で仔細に見ているうち最後の行に”オプション”というのがあって、
”次のキーを押しながらスクロールボールで拡大/縮小”というのがあり、controlにチェックが入っている。これだと思いcontrolキーを押しながらマウスのロールをいじるとあっという間に元通りになる。分かってみればまことにたわいない。昨年マウスをマイティ・マウスにしたことが裏目に出たということ。
やはりパソコンは正直で間違ったちょっとしたキーの打ち回しミスで思わぬ動作をし始める。改めて操作をきちんとやらなければと反省する。

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2007年5月19日 (土)

写真

5月19日(土)曇後晴
朝雨はもう上がっている。ドン雲りで日は射さない。島影はやはり見えない。

明日岩国に行くが、私の昨年のブログ集を弟や妹にやろうかどうしようか迷う。
鞠子は幼き日の事がよく分かって面白かったというが、この弟妹は歳が違い過ぎて、あまり興味が無いのではないかといぶかる。無理押ししても読んでくれねば意味が無い。ゴミにするにはもったいない。結論は一冊だけ持参してみて、要るといえばやることにする。敦美の場合は送れば良い。

午後日が照り始める。
天気さえ良ければ皐月の一日は誠に爽快である。

家内が昨日買って来たアルバムに写真をせっせと貼り込み整理を始める。それを見て私もその気になり、バラバラになっている主に捨てるつもりの写真をもう一度整理して、スクラップブックに貼り込みを始める。順番や誰彼の区別はまるでない、もともと捨てるつもりで外されていたのだからいいのがあるわけがない。しかしあれこれと選んで貼って行くと、その歴史や場所での想い出が沸き上がり、すっかり面白くなって熱中してしまう。
2百枚はあるだろうから、とても今日は終わらないし、スクラップファイルも一冊では足りないだろう。
また一仕事出来たかなと、困った様な楽しい様な不思議な気持ちである。

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2007年5月20日 (日)

東京の妹

5月20日(日)晴
弟の家に行く。途中の駅で広島の妹を収容して、12時頃着く。
最初に用意したビデオを見せる。一休みした後食事をしながら続ける。
久しぶりの東京の妹との再会だから、話題が豊富で尽きない。
まだ年に2度は国内のいろいろな山の登山に参加しているとか。70歳を過ぎての挑戦だから驚く。
もちろん普段の歩行訓練や、重量物を身体に付けての強行訓練などにいそしんでいるのだそうな。
まさに元気一杯で、私の本など読む閑無いよと一蹴される。
おかげで一冊助かった。

デジカメで撮影したこの会食の現場をcard photo printer で即時に印刷してそれぞれに渡す。皆驚き喜ぶ。
歓談尽きず4時間半。
頃合いを見つけて退散する。またの機会を望みながらも、もう最後になるかなとの一抹の悲哀を残しながら別れ行く。Atumi

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2007年5月21日 (月)

昔の善光寺

古い写真を見ていると、もう無くなったかっての同僚たちと一緒に善光寺を訪れたのが出て来る。
背景にある善光寺の建物が、先般参詣したものと変わらないことに気づき、懐かしく54年前の重みを何となしに感ずる。人間の命はつきても、まだ健在なこの古寺、しかしいずれは形あるもの、滅びざるを得ない理をなんとする。

門前町はちらと遠くから覗いただけだったが、こちらはがらりと一変した風情に見えた。
戦争の影響は佛都だけに、表面的には感ぜられない。さすがというべきか。Douryo
Zenkojimonzen

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2007年5月22日 (火)

病院通い

5月22日(火)晴
朝5時に目覚める。眠くないのでそのまま起きる。
病院に行く準備をして、うろうろとパソコンをいじったり、新聞を丹念に読んだりして時間を過ごす。家内も早すぎて食事の支度が出来ない。
やっと7時半になりそれではと家を出る。
わざと道を取り違えたりして行く。それでも早すぎて来客用の新聞を取り上げて、つぎつぎと読むことになる。
診察時間前になり待合室で待つ。担当の先生が少し遅れて走り込む。これではまだ遅くなるなとがっかり。
案の定いつもより14、5分遅く終わる。先生は患部が少しひどくなっている。チガソンをちゃんと呑めという。そういえば昨今は殆ど呑まない。一日おきにというのが、どうやら忘れる原因らしい。
老人には毎日以上の間隔でものごとを続けるのが難しいのである。いや私だけの問題かも知れないが。昨日呑んだか呑まなかったか、忘れてしまい、時には考え込むことになる。

帰宅するや娘のうちにお祝いに出かける。つとめでみんな忙しい家庭なので、なかなか連絡が難しい。やっと今日の午前中ならと待ってもらっているわけだから、何をおいても行かなくてはならない。私の弟妹からのことづけもあるし、やっとその責任を果たす。
本人は勤めに出たままだから、喜びを伝えることも出来ない。
結局本人には結婚式の当日に声を掛けることになりそうだ。

帰りに途中のデパートに寄って昼飯を食い、買い物をして帰る。いつものパターンである。

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2007年5月23日 (水)

明鏡止水

5月23日(水)曇時々晴
朝郵便局に行き、さざん会の最終報告を32名に発送する。未返信の4名には改めて催促する。
八城クリーニング店から洗い張りが出来ているとの連絡があったので、ついでに取りに寄る。
代金¥71000.は馬鹿にならない。

昔明鏡止水という言葉が流行ったことがあったが、午後家内は街の方へ出て行ったし、ひとりでクラシックに耳を傾けていると、心中穏やかすぎて無我無想の境地である。
さざん会も一応取るべき手段は取り尽くしたし、後は会合の日を待つばかりである。
明日からまた天候は悪化に向うというが、明日は明日、今日は今日、人智の及ぶ所ではない。

2、3日前新聞に工兵橋の絵が出ていた。あの橋がまだ残っているとは知らなんだ。
原爆で落ちなかったのであろうか。
あの付近を昔花見に歩いた想い出があるが、まさか残っていたとは。

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2007年5月24日 (木)

仏通寺の松

5月24日(木)曇
ダムの貯水量が減ったと新聞種になっていたが、高知と徳島で取水制限の出たダムが報じられている。もうそんな時期かと驚く。
本格的な渇水期の真夏にはどうなるのだろう。台風はなるべく来て欲しくないし、雨はしっかり降って欲しいし、まったくあまのじゃくな人間の心。

今日の新聞を見ると、三原の仏通寺の臥竜の松が枯れてこの春伐採されたとある。昨年2月に訪れた時は青々として、つばさを広げていたのにと、ため息が出る思い。
そういえば樹下に沢山の人が出入りして、土を踏み固めよくないなとふと思ったことが奇しくも遠因になったかもしれない。あまりにも野放途にされていたようだ。
なんとも残念なことである。
私の子供の頃錦帯橋の袂に槍こかしの松というのがあった。大きなこれまたつばさを広げた様な大きな松だった。何時の頃か枯れて、今はその二世が植わっている。
生あるものは滅びる道理、仕方のないことではあるが、もし心ある対策がとられて、まだまだ長寿が図りうるものならば、そう願いたいものである。

Buttujipine

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2007年5月25日 (金)

老人でも忙しい

5月25日(金)雨
夜来より降り続いている。正に旱天の慈雨である。昨日水がめの事を心配したが、かなり溜まる程降ればいいが。雨脚の太さまで気になる。勝手なものである。

うちの松も最近勢いがないと家内が言う。先般自動カッターで芽を總刈りしたせいかなと心配になる。隣の家の松も勢いがないとも言う。やはり水不足のせいかもしれない。この雨で元気を取り戻して欲しい。

ホテルグランビアから正式の宴会費用見積書が届く。
昼過ぎ横山君が電話をくれる。改めてさざん会の現況を報告しておく。なお会の前に一度逢っておきたいという。承知する。月うちにしないといけないだろう。孫の結婚式が2日だから、東京の娘夫婦がうちに泊まるはずだし、忙しいな。

今月30日12:00にいつものロイヤルホテルで逢うことに電話で打ち合わせする。

夕方早く雨上がる。これではダム満水には到底及ばざるか。

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2007年5月26日 (土)

要らぬ気遣い

5月26日(土)晴
朝千葉県の田島君から電話、どうしても出席出来ない旨の断りの言葉、わざわざ遠い所からすまない。
私の再三の案内に刺激されたのであろう。また昼前には岡山の山田君からこれは出席は間違いないのだが世話になるなあとお礼の電話。何度かの連絡もあながち無駄ではないようだ。

考えて見ると欠席者にまで連絡の必要はなさそうだが、敢えてその詳細をと連絡したことが却って無届けになってるのではと心配している向きもあるようだ。田島君の例の様に。念が入り過ぎたかも知れない。もう終わったことだから仕方がないが、心得るべきことか。
ハガキでなくて書状にして、出欠席を書いたものを入れておけばなんでもなかった。30円損だが。
数が多いとつまらんところでケチな根性を起こす凡夫の情けなさ。

家内は花展に招待されて午後出かける。
晴空ではあるが凄い黄砂の影響で日射しはいくらか弱い。
終日沖合の島影はまるで見えない。

乾癬がやたら痒い。チガソンも効かないのか。痛いよりはましだが、苦しみにあまり変わりはなさそう。掻いた所が出血して衣類を汚す。難病たる所以か、是非もない。

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2007年5月27日 (日)

ブログのコメント

5月27日(日)曇
適当に降ったり照ったり、気温も暑からず寒からず全く良い気候だ。これだから、ほんとに美しい国といえよう。

ブログのコメントが最近多くなった気がする。ほとんどが下らぬもの。この87歳の老人に気づかぬでくれるのか、こちらのブログをよく読んでからしろといったものばかり。
トラックバックと来たら宣伝ばかりで読む気もしない。
書く以上は読んでもらいたいからだが、通信フォーラム時代の、研究心と意欲が感ぜられないのが残念だ。真摯なコメントがまるでなく、こちらは勉強のつもりで書いているのだが、反応の貧しさは情けないばかりだ。

昼飯を食いに出る。日曜日と逢って混んでいる。スーパーに廻ってもこちらもいっぱい。
老人が来てはいけないのだった。あちこちぶっつかって、迷惑をかけてしまった。

夕方広島の娘らがやってくる。婚礼着を取りに来たわけ。いろいろと忙しい。もっとも男はまるでお呼びがない感じなのだが。

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2007年5月28日 (月)

気力萎える

5月28日(月)晴
今朝は夜明けとともに青空が雲間から覗いている。予報通りいい天気になりそうである。
家内が足が痛いとこぼしている。めずらしいことだけに心配だ。あれほどよく歩き回っているのにどこがどうしてそうなるのかわからない。お負けに耳が痛いとも言う。病院に連れて行こうかと声をかける。それには返事がない。年相応にあちこち傷んで来るらしい。

沖の島々が今日ははっきり見えて清々しい。

昼過ぎ畠中君から電話があり、医者の診断で血糖値が異常に高くなり絶対安静を要すると言われ、外出はおろか運動も禁止ということで、さざん会は欠席せざるを得なくなったのでよろしくとのこと。残念だが仕方がない。段々淋しくなる。一番嫌なことが起きた。
夕方には高原君から欠席の通知が入る。こちらは4月17日にハガキを出したのに返信がないと言われて驚いたとある。
どうやらその17日から信州方面に旅行して19日まで留守をしたので、留守中に来た郵便物の中にまぎれて、広告など不要物と一緒にゴミなった虞れが一番強いということになった。
なにせ19日は帰宅したのは12時近く寝たのは翌日に入っていたから、精神状態も散漫だったかも知れない。早速高原君にそのいきさつを書いてお詫びの手紙をしたためる。

何はともあれ。今日は畠中君が一人減り、期待していた高原君も奥さんの具合が悪くて出席出来ないとあって、さざん会の出席者は9名になってしまった。
がっかりして気力いちじるしく萎える。

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2007年5月29日 (火)

スローモーション

5月29日(火)晴後曇
朝9時になるを待って郵便局の本局まで出かける。そこで10時になるを待って今度はデオデオに買い物に行く。
老人だから出来る芸当でのんびりしたものだ。
帰宅すると家内はどこヘいったのかと詰問する。直ぐ近くの郵便局へいったのでは時間がかかり過ぎると思ったらしい。1時間以上かかったのだから無理もない。事故でなくてよかったと思ったか。

乾癬が相変わらず痒い。手足が一番ひどい。チガソンの効果が出てない感じ。量を増やさないと駄目なのか。こうなると松岡農相が羨ましくなる。

明日横山君とさざん会最後の打ち合わせをすることになっている。もう早く早く来いと大会日を呼び寄せている気持ちである。此れ以上一人も減らせたくない。

家内が足を痛がっている。代わりにメモを持ってスーパーに買い物に出かける。あっという間に済ませて帰る。
和服の修理をしている家内が、老眼鏡では針の穴に糸が通せない。今ごろは道具が出来ているので、それを使ってやっているが手間がかかる。ちょいちょい手伝うことになる。近眼の私の方がこちらは便利である。

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2007年5月30日 (水)

九十里にして道半ばか

5月30日(水)曇
昨夜ちょっと降ったか、庭木の葉の上に露が光る。
黒雲が覆った空から今にも降ってきそうでもある。

とうとう降り出した雨の中を、横山君と会う為に出かける。
家内も途中まで一緒に行く。
あらかじめ用意して置いた書類などを彼に提示して承認してもらう。
後は久しぶりの歓談である。耳が遠くなったので声が大きくなり、他のお客に気兼ねしいしいだからひどく辛い。
なにを話しているか筒抜けだなとも思う。
いつもより少し早く切り上げる。それでも駐車場では3時間分の料金を取られる。
帰宅したら雨は止んでたが、家内は先に帰宅していた。

ホテルの田中さんに大会当日の仕事など詳しくメールする。落ちはないと思うのだがどうだろう。
まあ親切なお嬢さんだからうまく対処してくれるだろう。
メールを送った後、受信メールを見ていたら、とうの田中さんから私のブログを見て健康状態を心配してくれて書いたメールが嵌っている。やはり心やさしいお嬢さんのようだ。

水戸君はその後どうしたろう、吉屋君の奥さんはあのままだろうか、畠中君もうなりながら休んでるのだろうか。こんどのさざん会で心配事が急に増えた。
やはり老いては人ごとではない。静かにしておってちょうどよいことがつくづく分かった。

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2007年5月31日 (木)

思いがけない病気

5月31日(木)曇
昨夜は大変だった。どうしたわけかひと寝入りした後、急に吐き気がしてきて、たまらなくなり便所に駆け込む。たいして胃袋にはなさそうなのに、げーげーと吐く。11時33分だった。
やれやれと自分でもわけが分からず、ベッドに帰るとまたすぐ気分が悪くなる。また階下のトイレに走り込む。
もう一度同じことを繰り返して、今度は何も出るものはないのに吐き気が止まらないので、洗面器とタオルも持って上がり、枕辺に置く。
それからは何十遍嘔吐を繰り返したか覚え切れない。
これは一種の胃けいれんかなと思いつつ夢の中をさまよう。
4時頃吐く力に押されて、下の方が怪しくなる。
下痢かなと思いつつ、便所に入る。案の定ダダーと一挙に下る。最後まで出して腹の中が空になったのを確認して、寝床に帰る。
気分的にもさっぱりしたのか、ぐっすり眠る。嘔吐も自然に止んだらしい。
途中から家内が気づいて起きてきてどうしたのかと心配げである。先般彼女自身が同じ状況になったことを思い出して語りながら。
今朝の9時起き出して、喉が渇いたので、かたわらのポットから湯をすこしコップに移して、喉に注ぎ込む。
間もなく強い吐き気に襲われる。たまらず窓を開けてベランダに出て吐く。こんな鮮やかな黄色を見たことがない。恐らく消化液だろう。
ふらふらするので、これはもう医者に行くしかないなと観念する。
10時過ぎいつも行くせいこう胃腸科に車で行く。診断の結果食中毒ではなさそうだ。
原因が何か血液と尿検査をするという。
最後に点滴を1時間半される。その最後には眠ってしまっていた。
医者も原因は検査の結果を見ないと分からないという。明日また来なさいと帰される。
帰宅してからも夜まで眠る。
夕食にお粥をいっぱい。今日最初で最後の食事だった。

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