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2007年4月 1日 (日)

黄砂と桜

4月1日(日)曇
曇天とも、黄砂とも知れない霞で天猶暗い状況である。
桜祭で朝早くから慣れない和服を着付けた家内を8時集合の会場に送りつける。
桜土手の花は一晩のうちにもう満開に近い。

帰宅してから早速さざん会の月末報告書の作成に取りかかる。
昨日までに丁度20名から、返信が届く。当地区幹事の私達2名を入れて出席者9名となっている。
一応全員に宛てて報告書をつくるので結構手間がかかる。
明日郵便局に出かけて投函するつもりだ。

黄砂はここらばかりかと思ったら東北地方まで降っていると聞いて驚く。
直ぐ直下の中国の人たちは随分ひどい目に遭ってるらしいが、自分たちだけだと思ってもらっては困る。
何とか対策を立ててもらいたいものだ

午後デオデオから交換品が入ったから取りに来るよう電話があったので、ついでに郵便局に行き今朝作ったさざん会の月末報告書を会員に別納郵便で郵送する。Cherrytree
Cherry

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2007年4月 2日 (月)

黄砂

4月2日(月)黄砂激し
朝から凄い黄砂で近くの街並や山まで霞んでいる。
あわてて窓を固く閉める。
桜がどうのこうのと呑気なことは言って居れない気持ち。韓国では交通まで支障を来しているというが、凄いことになったものだ。やはり地球は一緒なんだなとよく分かる。

午後一時頃田辺君が電話して来て、退院して間もないし、まだ通院を要するので出られないといってくる。
いつの山口大会だったか、大会の翌日自分の車で小郡の駅まで親切にも送ってくれたことがあった。
学生時代は組も違っていたしあまり知らなかった彼だが、どこかで親愛の情を抱いてくれていたのか、私のさざん会に尽くす労を謝してくれて、直接電話で伝えたいのでとのことであった。
有り難いことで、元気の付く励ましであった。

甲子園は帝京が大垣日大高校に4-5とまさかの敗退、わからないものだ。
決勝進出は間違いないと踏んだ監督が投手を休ませたことが間違いのもとだった。1回先手を取りながらその裏直ぐ逆転されリードを許したのを遂に追い切れなかった。
明日は菊川と大垣の始めての決勝、連投の投手同士のいずれの気力が粘り勝つか正に見ものといえよう。
高校野球はおもしろいなあ!

Kousa
Kousa2

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2007年4月 4日 (水)

野球が面白い

プロバイダーのメンテ休みで二日分を書き込むことになる。
4月3日(火)曇
昨晩寝付かれないまま思いに耽っているうちに、昼の美祢からの田辺君の電話を思い出した。
大会欠席を生の声で伝えたいのでということだった。欠席する以上最後の会合となるかも知れないとの心情から、せめて肉声でという彼の心情からだったことが痛い程よくわかった。
さほど親しくしたことのない彼でも、最後となると思いは皆同じなのである。

一番先に欠席を云って来た山口の田中君、そしてニ度も手紙を呉れた宇部の本間君とこの田辺君の山口の三人が皆欠席となると、来年予定されている山口の大会は確認出来なくなる。
他地区に依頼するか、中止するかしかない。

10名内外の最近の出席状況が、一年経てば5名になる怖れも充分ある。それでも開催出来るだろうか。
どうやら今年が最後だとの決意を固めなければならないようだ。

今日はどうやら黄砂は収まったかに見える。それでも春霞で沖の島影は薄い。
午後田辺君からさざん会欠席のハガキが届く。

地元のさくらぴあで"NHK深夜便のつどい"が5月13日に開かれるので参加申込をする。
ついでに次女の所へ先日の米寿祝のお礼と写真類を郵送する。

甲子園の決勝は思いかけないチーム同士が、打ち合いの大接戦を繰り返し、最後は逆転なれしている常葉菊川が最後に逆転して、そのまま逃げ切り初優勝を成し遂げた。連戦に若者でも疲れが目立って、面白い試合だったという以外に無い。

4月4日(水)曇
風が強く外気は冷たい。満開の桜も人も戸惑う。花見に行く気にはとてもなれない。

テレビでマリナーズとアスレチックスの試合を見る。イチローは矢張り素晴らしい選手だなと今更感心する。
タイムリーにしても難しそうな低めにカーブをこともなげに左中間に打ち返してランナーを帰し、或は思い切りライトオーバーの一打で一挙にサードそして次打者のセンターフライでホームへなど、彼ならでの試合運びに陶然となる。
今年はイチローデビュー当時のマリナーが蘇るかも知れない。
70年も昔には、アスレチックスやカージナルスは私の好きな球団で、たまに伝えられて来る野球ニュースをわくわくしながら読んだものだが、今は日本人の居る球団がやはり気になる。

孫娘の一人がが4月2日から臨時でここの市役所の保健の仕事をしているという。
3月いっぱいで昼夜別なくこき使ってくれた病院を止めたのだが、間もおかないで再就職したのでは、失業保険を貰う間もないではと家内と笑い話。
今度は我が家の2階が空いてるから、こちらへ引っ越してもらったらと私がけしかける。
もちろん本人の意向次第だから話してみないとわからない。
老夫婦だけの淋しい家だから、明るい彼女が来てくれるとどれだけ頼もしいかと心ふくれる思いなのだが。

午后2時雲は南方に去り快晴となる。さんさんたる陽光に思いがけなく私の部屋はサウナの感じ。
夕方には北から雲がどんどんせり出して来て、やはり元の木阿弥。

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2007年4月 5日 (木)

足の痛み

4月5日(木)曇後晴
風はかなり強いが、雲が流されて午後には晴れて来る。
外の空気は依然として冷たい。
昨日ちょっとしたことで左足のアキレス腱付近の筋肉を痛め、ビッコを引くことになる。
サロンパスを張ったり、お湯に入ってもんだりしたが治らない。
家内が公園に行かないかと言ってたが止める。
痛みがひどくなると、後々困るのは私である。
薬屋で痛み止めと滋養剤を呑ましてくれたが、早急に効くものとも思われない。
二階への上り下りもつらい。結局ねてばかりということになる。

学生時代、ハンドボールをやっていて膝関節を捻挫して、松葉杖で通学したこと、兵隊の時戦場で、水虫になり化膿して歩けなくなったこと、クリーニングをやってたころ関節症性乾癬にかかり、松葉杖をついてあるいたこと、そして今度と足の故障は運動をする必要の無いものでも、やはり日常生活に苦労する。
ピリッといったようだったから、腱を損傷したのかも知れない。
しばらくは駄目だと観念する。

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2007年4月 6日 (金)

お抱え運転手

4月6日(金)曇
気温は変わらないが風が収まってまあまあの天気。
足の状況はいくらかよくなったようだ。まだ足先を踏み立てるとアキレス腱あたりがぴりっとくる。落ちついた歩き方をしないとまた悪くなる怖れがある。
我が家は階段など段差が多くて老人向きではないので、昔札幌の山崎君が来てみてくれた時、これは段差が多いから敷居に併せて床の高さを調整する方が良いと忠告してくれたことがあるが、そのまま今日まで放置して来た。そのとがが今来たようだ。

昼前に家内の用事で広島中区まで行く。都心をぐるぐる廻りながら家内の所用の終わるを待って車に乗せ、シャレオの駐車場まで行く。
近くのレストランで食事を済ませ、帰路につく。割引券があったので、駐車料はただ。
この程度の事でももう億劫で嫌になる。
家内は平和公園のさくらが見たかったらしいが、私が足が痛いので拒否してそのまま帰宅。

午後段々厚い雲に覆われて、日も射さず寒くなる。しきりに鼻水が出る。
開け広げて昼寝したので少し風邪を引いたのかも知れない。
先日深夜放送でやったポール・モーリアの音楽のタイマー録音したのを、改めて聞きながらパソコンに保存する。
いつかCDにするかもしれない。

岩中同窓会出席の返事を菊谷君にハガキで出して置く。

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2007年4月 7日 (土)

私の妹

4月7日(土)曇後晴
朝妹から夏蜜柑を取りに来る様電話がかかる。
いくらか足が楽になる。
11時頃妹の家に行き、夏蜜柑を一箱貰っていっしょに中心部に食事をしに出る。
食事中は元気のよい妹のおしゃべりに圧倒される。
終わってからデパートで別れて帰宅する。快い春の外気と街のあちこちを彩る満開のさくらに見とれながら。
そしていつもの様に3時過ぎまで昼寝。

夕方土田君が奥さんが病気で手が離せないので、日帰りで出席すると言って来る。
それに寺井君が健在だから案内状を出してくれと要請があったので早速現状を述べてお詫び旁案内状を差し上げる。
My_sister

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2007年4月 9日 (月)

政治家も人気

4月9日(月)晴
昨夜は何だか眠くて、選挙結果を見ること無く寝てしまった。
さざん会の名簿から脱落していた寺井君は記憶に無いと思っていたが、学生時代は三浦君と言ってたことが分かった。
土田君の示唆で改めて案内状をだしたが、詫び状など付けて案内したことで、一仕事終わった気持ちが思わぬ安堵感を齎したらしい。日時にまだ余裕があってよかった。

広島の秋葉市長と東京都知事の石原慎太郎の当選確実は開票が1枚も出ないうちに決まってしまったから、寝る前に分かったが、他は今朝になって知った。
一番関心のあった地元の県議選で投票した松井氏が結局落選した。市長の息子に追い落とされた。
山下市長の政治力には叶わなかったようだ。私達の投票は無駄になった。
この地区は市の境界線から50米離れた言わば辺境の地で、何事も施策が後回しされ冷や飯を食っている場所だけに、一人くらい代表が欲しかったのだが仕方がない。益々置き去りにされることだろう。
2、3年前から、JRの駅まで快速は素通りすることになってしまった。辺境ということはあくまでも見捨てられる宿命になってるらしい。

今の時代は明治、大正の政党の時代ではない。昭和の時代には軍部に切って捨てられた。
国民の大半は政党に無関心である。マスメディアによって、より個人への関心が高まっている。何よりも個人個人の人気度を主体にしなければうまく行かない。そこらへの徹底が欠けている政治家は結局脱落せざるを得ない。
さして過去の実績もない、しかし拉致問題への執着の凄い安倍総理の如きはその典型と言わざるを得ない。
今度の参議院などはその性格上特にそうであるし、そうあるべきである。

人気ということで、老人の私が思ってることを一つ言えば、誰も言わなかった高杉晋作の一人挙兵の如きものである。
坂本龍馬の薩長連合もそうである。命がけで突出しなければ人気は出ないと思うべきである。Sinsaku

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2007年4月10日 (火)

悪質メール、電話

4月10日(火)晴
7時前に目覚めて、何となく起き出して、ふと今日は病院行きの日だったと思い出した。
それからが忙しかった。
先生が3月末で交代したし、曜日が木曜から火曜に変えられたし、一番に予約してあるので、のっけから遅れるわけに行かない。
駐車場が沢山空いていたので、楽に入れてよかった。
いつも通り8時半の診察開始にらくらく間に合った。
診察時間はいつも5分と掛からない。新しい先生でも変わらなかった。
それでも薬局に廻って帰宅したら9時半は過ぎていた。

先々回から6週間ごとになったから、次は5月も末になる。
予約制になっても患者の多さはどうだろう。内科などは凄い人数で、横目で見ながらこれは大変なことだなと心配になる。老人が増えるということは、こういう結末になるということだ。
医学が進歩するということは良いことか悪いことか、我ながら凄く疑問が沸く。
暗澹たる気持ちで駐車場を後にする。

東京の娘との電話で孫たちがそれぞれ進学校に元気で通ってるらしい。問題は乗り物のラッシュのようだ。
やはり東京は凄い様が違うからな。無理しない様に安全第一で行って欲しい。

我が家はナンバーディスプレイをつけて、番号表示が出ないものは全部断っている。一頃は断る電話が多かったが、最近はあまり無い。然し珍しく今日はかかったが、カットされたら二度はかからなかった。

メールなども関係のないメールは全部始めから削除する。時々間違って削除して再度送って貰うことも年には数回あるが、まあ悪質なものにはひっかかったことはない。
若い時随分ひどい目に何度もあったから、経験の有り難さがよく分かる。

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2007年4月11日 (水)

もう見ることの出来ない住処

4月11日(水)晴
青空の筈だが、空一面灰色。また黄砂かも知れない。
ここのところ毎年春になるとこんな空で朝が来る。太陽の姿は見えないが、光は東天を染めて銀色に輝いてはいる。
夕方になっても島影は殆ど見えない。

午前中東京の娘に金比羅参りなどのムービーのCDビデオを郵送しておく。孫らが見たがっていたということだったから。孫らが自分で撮影した所があったから、それが気になるのだろう。

現在は取りのけられて跡形も無いのだが、昔私達が住んでいた学校の寮の数々の生活写真などが、昭和42年に発行されたその65年史という本に掲載されている。見ているうちに懐かしくなって来たので、ピックアップしてその一部をスキャンした。
今度のさざん会の大会に参考資料として提出することにする。一瞬の想い出につながるかどうか。

思うにこの世の万物は人、世代の都合によってどんどん改変される。昔を懐かしむ私達がいくら力んでもどうしようもない。幸い今は写真やムービーなどで記録として残し、必要に応じ再現して見ることが出来る。
その志ある人はやはりすべからく先人の知恵に学ぶべきである。どれほど後世の人に幸を齎すか測り知れない。
先般も伝えられた、イギリスの地方博物館に人知れずしまわれていた「歌麿」の数百枚の版画のごとく、今や全世界の人に容易に寸分違わぬ映像として見られることなどその最たるものである。

夕方つい先日追加案内した寺井君が体調不良で欠席、為近君も一旦は出席に丸を付けたのだが、体調が思わしくないので迷惑を掛けるのではと、思い直して出席を取り消し、欠席に丸を付けて送って来る。
Hoyoryo
Hoyoryo2

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2007年4月12日 (木)

植物園のさくら

4月12日(木)晴
いつもの通り足の運動をかねて、植物園にさくらを見に行く。
ソメイヨシノはもう大分散って若葉が覗いていたが、さすがは植物園琉球八重咲きなど、まだまだ爛漫として見応え十分である。特に園内に点在する濃艶な紫のつつじがこれこそ早くも満開でみごとに全園を彩っていた。
観客は多くないが、弁当持参で桜下で車座になり、ささやかな宴する姿も点々と見られた。
私らも園内の食堂で腹ごしらえしたあと一回りして出る。Popy
Cherry1
Tutuji

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2007年4月14日 (土)

食い過ぎ

4月14日(土)晴
腹具合の悪かったのは、食事を減らしたりして元の体調に戻る。

風がある関係か、黄砂現象が見られる、あまりひどくはないが。
さざん会の返信ハガキをスキャンしたものを印刷する。33人分づつだから半日かかる。
今日はさざん会に動きなし。

午後2時長女夫婦が来宅。その長女の結婚式のことなど、準備やら話やら2時間ぐらいあっという間に過ぎる。
この町にに就職した次女の勤めの事もいろいろ話す。
うちへ引っ越したらというが、却って時間がかかるからだめだという。
それなら私の車を使えば良いというのだが、オートマでないと駄目だという。なんなら買い替えようかというのだが、今度は私がうまく使えるかが心配だという。
やはり本人抜きの話だから、すぐには決まらないことではあるが。

娘が気を聞かしておこわを置いて行ったのだが、家内がすっかり忘れてスーパーで寿司を買って来る。
先日食い過ぎで参ったばかりなので、結局寿司は明日廻しになったが、傷まねば良いがと今度はその方が心配。

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2007年4月15日 (日)

母親の式服

4月15日(日)曇
西から大きな雨雲がやって来るという予報だから、もう仕方がない。
明後日にはいくらかでも恢復を願うしか無い。

家内が昨日はやばやと裏の上野さんに駅まで6時前に送って貰う様頼んだそうだ。これなら雨でも心配ない。

家内は朝食時結婚式の式服の話を夢中にしゃべる。亡くなった母親の形見になった式服から、60年も昔に私の所へ嫁ぐときの式服の由来など何度も聞いた話までまたくりかえす。
男には無縁とも思える話で面白くも何ともない。
長女もどうでもいいらしいのだが、相手のあることだから一概に自分の考えを押し通すわけに行かないと悟ったようだ。
嫁がせる娘の相手がかなりの旧家らしいから、いざとなるとやはり困るんだな。
昨日はかなり家内の意見を拝聴したらしい。

夕方私の腹具合があまりよくない。旅行を控えて少し心配。

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2007年4月16日 (月)

旅と雨

4月16日(月)雨
朝起きるとすぐ明日行く伊那地方の天候が気になり、パソコンで調べる。
静岡や山梨などは雨か曇になっているのに、南信地方は雨から晴になっている。
変だなと思ったが、何しろ三千米級の高山の谷間にあるところだから独特の天気になるのだろう。

昼までの郵便で神村君が欠席を云って来る。残り4名で、後2名出席が欲しいのだが無理かな。

腹具合がなんだか微妙、花見旅行が気に掛かる。まさか死出の旅路ということはあるまいが。
雨は降ったり止んだりで、終日うっとうしいまま。
それでも足りないものがあったりして、買い物に出る。さすがに車は少ない。
思いがけず寒いといけないと家内は冬物を追加する。
この時期の旅は何度も痛い目にあってるから、用心深くなるのは仕方がない。

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2007年4月19日 (木)

高遠の桜と富士山

もう明日になろうかという時間にやっと帰宅。
家内は流石にダウン気味。
私は不思議に元気、だが明日になったら分からない。
妹たちも口だけは元気だったが、これまた明日の事は分からない。
取りあえず無事に帰れたことだけ報告しよう。

今度の旅行の最高の成果は高遠の桜、その逆は富士のお山の回りをを2日がかりでうろついたが、遂にそのお顔を拝むことは出来なかったことだ。Takato1
Takato3
Lake_kawaguti

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2007年4月20日 (金)

桜を訪ねて

4月17日(火)雨
朝4時に起き支度をする。
新聞販売所にも電話して断っておく。
6時前に上野さんのタクシーで駅まで行く。
広島駅で暫く待つ。添乗員さんは既に待っていたので登録する。
予定通り7:11レールスターに乗車、新大阪からバスで吹田から高速に入り、一路高遠に向う。
生憎の曇空と時折の雨模様に眺めは良くない。
伊那ICを下りて、高遠城趾公園に向う。
満開のさくらとあって、観光客は多い。ただ平日なのでこれでも少ない方らしい。
高遠桜(正式には小彼岸桜というらしい)といって、ソメイヨシノより花が小ぶりで赤みが濃くて見栄えがある。完全な満開でよくぞ今日にあわせたなと感心する。
全山真っ盛りで人並みをくぐり抜けて逍遙する。
約1時間の観光だったが、とても足りない感じで、去り難い気持ちのまま後にする。何しろこの付近一帯に咲き乱れ、その数2〜3千本ともいわれる。とても有名な所らしく大阪ナンバーのバスも何台か見かけた。
絵島監禁屋敷にも興味があったのだが、尋ねる時間がなかった。

また高速道路に戻り、中央高速から岡谷ジャンクションを経て、一路長野自動車道を妙高高原まで行く。
高速道脇にも並木が続いていた。

今夜の泊まりは妙高パインバレーというスキー客宿らしい。高原のど真ん中に大きな建物が数軒屹立していた。
今年は雪が降らずに難渋したようだ。サービスも最低だが仕方がない。
しかし温泉にはゆっくりのんびり浸かる。

4月18日(水)曇後雨
青空の覗く夜明け。妙高山が朝日に映えて昨日の景色とは一転して美しい。

昨日今日と冬のぶり返しの気温のせいで山の襞はいく本も白く光って、妙高の名そのものを実感する。
8時半宿を出て、小布施に向う。一部を下ろして、オプションで善光寺に向う。1954年8月以来だから、53年振りである。当時の記憶はもうおぼろで定かではない。僅かに当時の写真で伺えるばかりで、そうだったかなと思う以外に無い。

本堂の直ぐ西の駐車場から入って、護摩殿にて寺の僧侶からいろいろと詳細な説明を聞く。併せて悩みのある人はその旨を用紙に書き込みお布施を出して祈祷してもらうことになる。妹の一人は息子の良縁を願って祈祷してもらったらしい。
一時間ぐらい彷徨する。不信心者の私は一介のカメラマンとなってあちこち撮りまくる。
ムービーとデジカメを両手に結構忙しい。

午後近くの須坂というところの臥竜公園に連れて行かれる。しだれ桜主体の池の周辺にこれまた満開ですばらしい眺めである。観客も多く圧倒される。
規模はそれほどでもないが、なかなかのもので遠方から来た私達にもそれなりに値打ちを感ずる。

高速道を岡谷から中央に入り、諏訪湖SAで休憩。雨のけぶる中の湖面も一昨年来たときとは変わって、それなりの風情を感ずる。夢中で写真を撮ってるうちに集合時間に遅れてしまった。

甲府で下りて、今テレビドラマで人気の風林火山の主人公武田信玄を祭る武田神社に参拝する。
かなりの雨の中、傘をささずにカメラマンをやったので、濡れそぼつ。今度は一番早く車に還る。

ぶどう畑の真ん中に突然吹き出したという石和温泉のホテル石庭に入る。うねうねと二度とは来れそうにない交通不便な温泉地である。お湯はたっぷりだから、身体を休めるには文句はなかったが。

山梨に入っても雨が降り続き、富士どころかこの国自慢の山々は雲の中で何も見えない。

4月19日(木)曇
朝から甲州名物の水晶やワインの工場を案内される。旅行会社と営業上タイアップしたことが歴然としているので、私の様な貧乏人には凡そ無縁である。車の中で待つ。それでもワイン工場では試飲をさせてもらって卑しいところを発揮する。
ここで馬刺の薫製というのを一つ買う。馬刺が有名とは知らなかった。熊本だけではなかったか。

昨夜雪が降ったとかで、近くの山は真っ白。御陰で雲が吹き払われて所々青空が見える。
この分では富士山もと思ったが、裾野のしたの方がちょっぴり覗くだけで偉容はまるで伺えない。雪で真っ白の河口湖畔を周回し、西湖、精進湖北岸を通過しながらその時をまったが、ついに顔を出すことは無かった。
それでも八ヶ岳SAでは八ヶ岳や甲斐駒ケ岳の偉容をじっくり眺めることが出来、半分の満足を得ることが出来た。

河口湖畔には山梨ではほとんど見られなかった桜が満開で雪と同居する珍しい光景に出くわすことになった。
カメラに収まる雪と桜の写真は後日話題をまく種になるかも知れない。

増穂から高速に入り、後は来た道をまっしぐらに大阪まで帰る。9時新大阪から新幹線で帰宅ということになった。
大阪駅では折角買って来た土産のワインの瓶を割ってパーにしたり、2時間の待ち時間にすっかり参った。

正に疲労困憊といったところで入浴をすませて寝たのは午前一時を回っていた。
家内が肩が痛いとこぼしていたので薬を飲んだり絆創膏を張ったり大変である。
お土産などの荷物の負担でなったのか、原因はよくわからない。
Takato2_1
Myoukomt
Zenkoji

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2007年4月21日 (土)

旅の苦楽

今度の旅行は流石に老骨にはいささかこたえた。
新幹線の往復8百キロはまあ良いとして、バスの千五百キロはいくら道路が良くても、固くなった骨格にダメージを与えないわけには行かない。
家内は結局左の肩から手にかけての痛みに耐えかねて、医者の世話になる始末。私は幸い長時間睡眠で概ね恢復出来たが、尻の筋肉はいまだに痛い。

期待した富士の姿はとうとう拝観出来なかったが、暖冬にめげず桜の開花はぴたり的中して、各地で満開の大歓迎を受けることが出来た。
特に狙って出かけた高遠城趾公園の桜は正に圧巻と云ってよかった。
昨年の吉野も凄かったが、規模は劣っても美しさは群を抜くものと絶賛出来る。器量の良さはソメイヨシノを凌ぐと云ってよかろう。

須坂の臥竜公園のしだれ桜も美しかった。池の水に映えた光景はまさに一幅の絵になる風情である。

富士を見られなかったが、50%以上の旅行目的は果たせた。

甲府に泊まった夜、気温の急降下によって、河口湖は積雪9センチあり、湖畔の雪と桜の奇妙な対象は土地の人ならずとも面白かった。

やはり旅は思いがけないことが起きるところにもその価値があるということか。
Garyu4
Kawagutiko5

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2007年4月25日 (水)

花見後遺症

21日からの4日間は、下痢と風邪のダブルパンチに参った。
下痢はこちらが仕掛けたものだから、要らぬお節介みたいなものだが、風邪の方はどうして引いたか分からないのに、急に寒気がして来て、喉が痛み鼻水さへ出て来て止まらなくなった。
体温を測ってみると37.7度ある。
今日は土曜日医者ももう休みだからと我慢する。
明くる22日は広響の演奏会、早くから切符を買って待ってたのだから行かずばなるまい。
これが悪かった。音楽それ自体は誠に良かったのだが。
帰宅して計ったら38.1度ある。
何も欲しくないので、そのまま寝込む。

23日、呑んだ下剤が効き過ぎて止まらなくなり、終わったつもりでもだらしなく下着の中に洩す始末。
あわてて近所の医者に駆け込む。
その上熱に浮かされるみたいでよろよろふらふら、医者に行くのに車を運転すれば車もよろよろふらふら、同乗
した家内が怖いから止めて、タクシーを呼ぼうと言い続ける。
強引に運転して、車の前部を少しこすりながらも何とか医者にたどり着く。
話を聞いた医者は下痢は下剤のせいだから仕方がない。
風邪は正真正銘の風邪だ。と早速注射、点滴と処置がなされる。
寝台から立ち上がるにも助勢が居る始末だが、心なしか帰りはまともに運転して帰宅する。
お粥と梅干しの食事で済まして休む。

24日、体温は37度に下がる。
医者に言われていたので、また同じ時刻に通う。
そこでもう一度計ると、37.3度になっている。
未だ良くないと、注射と点滴を繰り返す。
夕方36.6度に戻る。ようやく元気が出て来る。夜食は軽く普通食をとる。

要するに今度の風邪は花見に浮かれて、人混みのばい菌を吸い込み、体力の衰えにつけ込まれたとしか考えられない。

25日、もう一日医者に行く。今日は気分が良いので歩いて行く。坂の上り下りが多少きつく、心臓の弱ったことをしみじみ悟る。
体温も平常に戻ったし、咳と啖が少々でるので点滴だけになる。明日からは飲み薬だけでよいとのご託宣。
明後日の奥道後行きを一旦は取りやめようと思ったが、一転決行することにする。

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2007年4月29日 (日)

内子の町起こし

4月28日(土)晴
昨夜の奥道後温泉の浴場には驚いた。規模の事ではない。湯加減の問題だ。
熱すぎて入って居られないかと思えば、ぬるすぎて風邪を引きそうになるなど、湯船は沢山あったがこれというものが見当たらなかった。
客もあわてて飛び出て他へ移動する姿が多く、戸惑ったのは私だけではなかった。

そのせいかどうかはしらないが、今日は一日中身体が痒くて参った。全身赤斑点で食中毒とも受け取れたぐらいだ。

砥部の陶器館を一寸見て、内子に向う。街並を拝見ということだ。
私らは内子座を皮切りに街を縦断して北上するコースを取る。
70年以上も昔、私の郷里でも見られた所謂芝居小屋の姿がまざまざとそこに見いだされた。ほんとに懐かしい。
保存状態はまことに立派で奈落の底など、こうだったのかと全く感心した。

古い街並は百年昔を偲ぶよすがになるかどうか、何とも言えかねたが、町の苦心の跡は伺えた。
蝋燭お大臣の豪邸も現代では色あせた感じだが、庭の手入れの行き届いた有様は、町の力の入れ方がよく分かって感心した。
もっともっと観客を呼んでも良い所だと、老人の私には思えたのだがどうだろう。
UtikozaNaraku1

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昭和天皇の日

4月29日(日)晴
ここに来て、昭和天皇のご意志が側近の書き記した日誌などから洩れ聞こえて、いろいろ物議の種になっている。
わたしが一番気になってるのはA級戦犯の靖国神社合祀の問題である。これは陛下も気にいられなかったようだ。
安倍総理が小泉と違ってこれを避けて通り、中国、韓国と交際を広げているのは賢明かも知れない。陛下のご意志を体してとでも言えば、国民世論に向っても大きなバックアップにもなりそうだ。

春の叙勲で秀雄さんが瑞宝章を貰った様に新聞に出ている。永年町の消防に研鑽奉仕したのだから当然だろう。先ずはめでたいことだ。身内としても誇りとしたい。

昨日詣でた大三島神社の樹齢千年の大楠の姿がなんだか気がかりである。根幹の部分はもう穴だらけで、じっくり支えているとも思われない。二十年前にも社前にどぐろを巻いていた大きなソテツを除去して、平然としている当局の事だから、なんとも思っていないのかもしれない。残念なことである。

今月2度の旅行は老人には無理押しだったようだ。体調がはっきりしない。先般の風邪具合もそれが原因と思われるし、下手をすると命取りになるかもしれないなと思ってる所だ。
なにもかも為し終えた満足感で今晩死んでも悔いはないのだが。

Sotetu
Kusunoki

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2007年4月30日 (月)

祖谷のかずら橋

老人の事だからうっかりは珍しくも何ともないが、ブログをちょっと読み返してみると、入れたつもりだった所がガラッと空いて、つじつまが合わなくなっていることに気づく。
中旬の高遠の桜見物あたりから、旅疲れてまず家内が先にダウンし、帰宅するや医者通いになり、ついで2、3日遅れて私が風邪でダウンした。毎日医者で点滴を繰り返し、いくらか良くなった所で、次に既に予約していた四国めぐりに27日今度は実の妹と出かけたのだった。
体調が不安だったので前日まで取り消すつもりだったのだが、つい色気が出て出かけることになった。
当日比較的ゆっくり出かければ良かったので、ぶらりと家を出た。広島駅でツァーのバスに乗り込む。
まだ元気が出る程でもなかったが、出発した以上は仕方がなかった。例によって妹が一番元気で既にちゃっかり一番乗りで乗り込んでいた。
乗りさえすれば行く先まで連れて行くツァーだから、居眠りしていてもよかった。
あっというまに大歩危の乗船場に来ていた。先に昼飯をいただき、そのまま階段を船の所まで下りれば遊覧船に乗ることが出来る。仕掛けの見事さは呆れるばかりである。
古生層の岩盤むき出しの渓谷を約40分上り下りして見せてくれる。渓谷側を通る土讃線の列車の窓から眺めたことはあるが、船で眺めるのは始めてだから興味が違う。しかしゆっくりした船旅だから、最上川や日本ラインのような急流に翻弄されるスリルはない。
終わると今度は山道をうねうねと超えて、祖谷のかずら橋まで行く。昔は13もの橋があったとか、もちろんこの地方の生活手段だったのだろうから当然だ。今は観光用に一つあるだけで、交通用にはいくつも立派な橋がかかっている。
一人¥450.で渡ってみる。家内は十津川の谷瀬の吊り橋で懲りたので遠慮する。私と妹が挑戦する。
45メートルだから、わけはない。私も元来足元のぐらつくものは何でも得意な方ではないのだが、この程度の長さなら問題はない。
妹は気合が違うから始めから問題にしない。
連れに目方の大きい人でもいると、もう少し揺れるのだろうが、生憎数も少なく揺れて困ることはなかった。ただ足の先かかがとが挟まったりすると困るのでそれは用心した。

一先ず渡り終えて、今度の旅が終わったなと感じた。奥道後の温泉に泊まることになってたが、別に目ではなかった。
85歳の妹に終始引き回された思いで二日間が通り過ぎた。因に私は一度だけ温泉につかったが、妹は3度も出かけた。家内もこれには付合いかねたといっていた。Yuransen2
Kazurahasi_1

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